声を失った少年【完結】   作:熊0803

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三話です。オリジナルです。


3.声を無くした少年は、古き記憶を見る。

 ーーー懐かしい、本当に懐かしい夢を見た。

 

 それは俺が小学六年生になった頃。

 ある奴が、クラスに在籍していた。

 そいつの名前は、雪ノ下雪乃。

 容姿端麗、成績優秀、スポーツ万能。

  まるで物語から這い出てきたかのような、まさに絵に描いたような完璧な少女だった。

  その頃の俺は既に話せなくなっていたが、まだ目は死んでいなくて。せいぜいが獣のように鋭い目つきだった。いやそれも十分に問題だが。

  まあそれはともかく、いかな俺とてそんな奴が自分のクラスにいたなら当然目がいく。健全な男の子らしく、気になっていた。目で追っていた。

 だからだろうか。そいつを取り巻く環境に気付けたのは。

 雪ノ下雪乃は、同性の奴らに嫌遠されていたのだ。

 優秀がゆえに、理解されず。

 完璧なゆえに、誰も気づかず。

 だから、本当に偶然なのだ。雪ノ下雪乃が女子に虐められていたのを知ったのは。

 

 

  ある日の放課後、夕暮れが校舎を茜色に染めようかという時間帯。図書室から帰ってくる道すがら、微かに何かが叩きつけられる音がした。何となしに気になったので音がした方向に近づと、突然目の前の物陰から五、六人の女の子が飛び出してきた。妙に慌てて、何かに脅えるような表情をぶら下げながら。

  そいつらは四年生の時から学年でトップカーストと呼べる場所に君臨していた女子たちだった。何かと人を見下し、あたかも自分が上位者のように振る舞う。小学生の癖にやけに背伸びをするその姿は、滑稽でもあった。男子を使いっ走り、教室で意味もなくはしゃぎ回る。小学生という低い精神年齢なので仕方がないといえば仕方がないのだが、静かな場所が好きな俺としては迷惑なことこの上ないと感じていたやつら。そんな奴らが恐怖を感じたのだ、いったい何があるのだろう。

 興味本位で物陰を見れば、そこにいたのは仰向けに倒れていた少女だった。

 否。それは頭から血を流した雪ノ下雪乃だったのだ。

  慌てて駆け寄り、肩を揺すると痛みに顔をしかめながら雪ノ下雪乃は俺を見る。

「あなたは確か…」

「…っ、…っ」

「え?ちょ、ちょっと。どこに連れて行くのよ」

  困惑している雪ノ下を強引に引っ張っていき、保健室に放り込む。

  しばらくすると、頭に包帯を巻いた雪ノ下が部屋のドアから出てきた。どうだ?という意味を込めてトントンと頭を叩くと、涼しげな表情を浮かべた雪ノ下は、

「別に助けてくれなんて一言も頼んでないのだけれど」

 いっそ清々しいくらいに、毒を吐きやがった。

  さすがに俺もブチっと切れて、言葉の代わりに普段の五割り増しで睨みつける。別に普段から睨んでいるわけじゃないが。

  俺の視線に耐えかねたのか、やがて雪ノ下は折れた。そして唐突に質問を投げかけてくる。

「…あなた、名前は?」

『比企谷 八幡』

「そう…私は雪ノ下雪乃。今日のことは、一応感謝してあげるわ。光栄に思いなさい」

 うわ、こいついちいち上から目線かよ。

  それからは、何となしに一緒に行動するようになっていた。

  一緒にご飯を食べたり。男女合同の時体育のペアを組んだり。あいつらに目をつけられないように、放課後に教室で一緒に遊んだりもした。

  まあとにかく本人には色々と言われたが、今の俺が見れば黒歴史になりかねないほどよく接した。

 

  「ねえ、あなたはなぜ私に付き纏うの?」

  ある日、いつものように教室で折り紙を折っていると、不意にそんな質問を雪ノ下はした。

 少し思案し、メモ帳に言葉を紡ぐ。

『よく言うならお前が苦しそうだったから。だから助けたかった』

  俺は救われるということを知っている。破綻した自分を見つけてくれた時の喜びを、知っている。だから健気にもなんでも一人で抱え込もうとする彼女を、どうしても助け出してやりたかった。

「!?」

 俺の回答に目を見張る雪ノ下。

  当然だ、いつか思ったように雪ノ下雪乃は完璧なのだ。

 だからいじめられようと、頭から水をかぶせられようと、たとえ石を投げられたって涙ひとつ零さない。

 外面は。

 けれど俺は覚えている。

  静かな場所を求めて学校内を彷徨っていた時、屋上で聞いたすすり泣きを。

  それが誰にも弱さを見せない雪ノ下雪乃だったということを。

『悪く言えば、俺の自己満足。俺が人を助けたという達成感が欲しかった』

「…そう」

  さすがに馬鹿正直に度々見ていたことを言えばストーカーだの何だの言われるので、おどけた様子で誤魔化しておく。

 それ以上は、雪ノ下は聞かなかった。

 

  それからしばらく後もそんなことをしていたら、他のクラスメイトに冷やかされはしたが、トップカーストを気取っていたあいつらは雪ノ下に近づかなくなっていた。

  その間に俺はより雪ノ下との仲を深め、いつの間にか自分がこうなった理由もすべて話していた。

「守られている立場で言えることではないのはわかっているわ。あなたが、こう言う言葉を一番卑怯だと思うのも。それでも、言わせて。…今まで、お疲れ様。これからは、私がそばにいるわ。ずっとずっと、あなたを孤独にしない。二度と誰にもあなたを、化け物なんて呼ばせないから」

「………ッ!!!」

  そしてそれに対して軽蔑もせず、むしろ受け入れてくれた彼女に俺は、心底救われた。守ろうとしていた少女に、心を助けられたのだ。だからみっともなく雪ノ下の前で泣いて、彼女に甘えた。

 

  ほぼ全幅の信頼を雪ノ下に置いてから更に数週間した頃には、周りからの干渉は完全になくなっていた。俺は満足していた。これでせいせいすると。

 だから油断していた。俺がいる限りはこいつは安全だと。

  あいつらは、小学生のくせに一丁前にこの俺自体をネタに雪ノ下を揺すった。自分たちに逆らえば俺に危害を加えるぞ、と脅して以前よりさらにエスカレートした虐めを始めたのだ。

  その時なんでそう思ったのかはわからない。だが、確かに俺は絶対に許しはしないとブチ切れていた。それこそ短い人生の中で最もと言えるほどに。今思えば、俺はとっくの昔に雪ノ下雪乃のことが好きになっていたんだろう。

  だから俺は、奴らに復讐をした。それも当時の俺が考え得る最低最悪のやり方で。

  授業参観。それは、己が常に努力をしていますよと親に見せつけるために行われる拷問のようなイベントだ。幸いその日は雪ノ下も珍しく休んでいて、好都合だった。

 だからそれを、本物の拷問にしてやった。

  昼休み。ちらほらと大人たちが教室に入ってくる中、黒板にグループのリーダーをはじめとした全員の名前を書き連ね、更にそれぞれのこれまでしてきたことについて事細かなところまで懇切丁寧に記したのだ。

  結果、それを見た教師と、参観に来た親に肩を手で押されながら教室から出ていかされ、そのグループは全員が一週間の停学処分。当然俺もこっぴどく叱られたが、雪ノ下のためと思えばさして辛くはなかった。でもこれでは終わらない。最悪の復讐劇のフィナーレは、まだここじゃないのだ。今まで彼女らの被害にあっていた男子たちにもヒーローを見るような目線を投げられたが、そんなものはいらない。彼女が笑えれば、それでいい。

 

  後日。昼休み、俺は教室のど真ん中で一人の少年に対して詰問をした。

  その少年の名前は葉山隼人。イケメンで身体能力抜群。誰からも愛されるような性格の、所謂「王子様」のような仮面をかぶっているやつ。それが俺が葉山隼人に下していた評価だった。

 葉山隼人は、雪ノ下雪乃と幼馴染だった。

 それなのに、雪ノ下雪乃の現状に口を出さなかったのだ。さぞ彼女は傷つき、失望しただろう。

  いや、一度だけ気づいて口に出したことがあると言っていた。その時はあいつらも葉山隼人に逆らえば流石にまずいことになるのがわかっていたのか、表面上はなりを潜めたが、裏ではより虐めは深刻化していた。

  それを伝え、ちょうど外に遊びに行っていたので見ていなかった前日のこと説明してやると、葉山隼人はすでに終わっているものだと思っていたなどとのたまった。

 しかも、それで反省してみんな仲良くできていたんじゃないかとも。

 

  コイツは何を言っている。お前のせいで余計に風当たりが強くなったんだぞ?それを知らなかっただと?〝ミンナナカヨク〟だと?フザケルナ。

 

 初めて、同世代の人間を本気で殺したいと考えた。

 

 俺は葉山隼人を殴った。

  手が血みどろになっても、爪が食い込んで手の平が破けても、あまりの膂力に未発達な骨と筋肉が断裂しても。本当に殺すつもりで葉山を本気で殴った。

  許せなかったのだ。なぜ雪ノ下雪乃の最も近くにいて、理解していなかったのか。気付いてやれなかったのか。少し前まで他人だった俺が気づけたのに、幼馴染なんて大層なご身分のこいつが気づかなかったのか。

  救済できたはずなのに、直接手を差し伸べず、甘すぎる考えに浸っていた大バカ野郎が。

  結果的に言えば俺の目論見は大成功。葉山を襲ったことが最高のショーになり、全ての人間のあらゆる悪意を自分に集めることに成功した。

 俺は教師数名がかりで取り押さえられ、小中一貫校だったその学校から六年生の卒業とともに退学になった。

  葉山は病院送り。そんなになるまで殴り続けたというのに、葉山はこれは自分が受け止めるべき報いだなどとふざけたことをぬかしたらしいが。

  俺は偉そうに説教を垂れる教師に、意味がわからないであろう、しかし俺だけがその意味を知っている言葉を叩きつけた。

 

『俺は人生で二度目の救いを手にした。だから、もう何があっても耐えられる』

 

  そうだ、彼女が俺を受け入れ続けてくれる限り、何があろうと、どれだけの悪意を向けられても大丈夫だ。

 PTAにまで目をつけられたので、引越しまですることになった。

 それと同時に、雪ノ下が留学をするという噂を耳にする。

 景色が切り替わる。

 

 ーーー

 

 退学になる前の、最後の日。

 俺は屋上に呼び出されていた。

 葉山を崇拝していたグループからの報復か、はたまたイタズラか。

 どちらにせよ返り討ちにするつもりで階段を上り切り、扉を開けると、しかし、そこにいたのは予想していたどちらでもなかった。

 

 ーーーそこにいたのは、雪ノ下雪乃だったのだ。

 

  艶やかな黒髪を風になびかせ、目を細め。頰に朱を差しはにかみながら振り返るその姿に、心底見惚れた。

  俺があまりの光景に固まっていると、雪ノ下雪乃はこちらに近づいてきた。ゆっくりと。一歩ずつ。

  やがて俺の目の前で止まると、唇と唇がくっつく寸前の距離で俺の目を覗き込む。

「…私、あなたに一度でも助けて、なんて言ったかしら。八幡くん?」

 いつもと同じように毒を吐いているのに、唇にかかる吐息が、妙に熱くてくすぐったい。

  ただでさえ話せないというのに、いつの間にか好いていた少女がほんの数センチ目の前にいることで舌が喉に張り付く。それと同時に驚いていた。なぜ授業参観の日休んでいた彼女が知っているのか。あの時大きな騒ぎにならないように教師陣が箝口令を敷いたし、後日俺が起こした暴力事件で誰もその話はしたがらなかったはず。そう思い驚愕の表情を浮かべると、彼女はクスッと笑った。

『だって、見てられなかったから』

 目線をそらしながらひねり出せたのは、そんな言葉。

  それを見るときょとんとし。次の瞬間にはまたふふふ、と笑いだす雪ノ下。

 むっとしたので、もう少しだけ言葉を付け足す。

『お前が傷つくのが、どうしても許せなかったから』

「あら、あなたいつからそんなキザなセリフを言えるようになったの?」

  また、目を背ける。その笑顔が綺麗すぎて、直視しているとこの汚れた目が潰されそうだったから。

『うっせ。ほっとけ』

「あらそう。…でもね、私も言いたいことがあるわ」

 けれど彼女はそんな俺の心中を知ってか知らずか、両手を頬に添えて強引に自分と向き合わせる。そして、

 

 チュッ

 

 気づいた時には、手遅れだった。

「!?」

「ありがとう。あなたのおかげで、私は救われた。本当は苦しくて。それを誰も気づいてくれなくて。諦めかけて、何もかも見たくなくなりかけた時に、あなたが来てくれた。わたしを見つけてくれた。だから、ありがとうと言わせて」

  唇に触れた感触に、完全に思考が停止する。目の前には、ぺろっと唇を舐めながら、右腕で髪を掻き上げる雪ノ下雪乃。その幼いながらも艶やかな姿に、自分と彼女以外のすべてが世界から消える。

「今日、あなたはいなくなってしまうから。私は遠くに行ってしまうから。だから言うわ。私は、あなたが好きです。話せないのに、誰よりも理解してくれるあなたが。怖い目をしているのに、誰よりも優しいあなたが。最悪の方法をとってでも、自分を犠牲にしてでも救ってくれたあなたが」

  視線が吸い寄せられて、動かなくなる。けれど今度はその綺麗な瞳から目を離したくない。

「明日、あなたはもういないけれど。私はもうこの国にはいないけれど。でも、だからこそ。ここで答えは求めない。いつかまた出会えた時に、答えを頂戴?」

 

 ーーー視界がぶれ始める。夢の終わりが近いようだ。

 

 ーーーあ■、必ず■えよ■。な■なら、■は君■た■なら怒れ■から。■しめるから。■くなれるから。そ■た■にもう一度この■を、残■に振るう■■がで■■か■。

 

 だ■ら、■も、ず■■。

 君■会え■その■まで。

 

 無意識に綴った言葉を乗せて、破れかけた小さな紙が風に向かって飛んでゆく。

 

『必ず、思い続けよう』

 

 古き記憶を写した夢は、終わりを告げる。

 

 ーーー

 

「…………………………。」

 自分の手を見る。

 すると、体と同じくぐっしょりと濡れていた。

  自分が汗だくだということを確認し終えると、急激に顔と脳みそがヒートアップし始める。

「〜〜〜〜〜っ!!!」

 ああああああああああああああっ!?

 バカじゃねーの!?バカじゃねーの!?バーカ、バーカ!

  いくら再会できたからってピンポイントにあんな夢見るとか俺の海馬はどんだけ余計な仕事してくれてんだ!今この時だけは自分の記憶力の良さが恨めしいわ!ついでにこの衝動を叫びに変えれないのが腹立たしい!

  ゴロゴロと布団の上で悶絶する。ガンガンと体のいたるところに物が当たる感触があるが、そんなことはどうでも良かった。むしろその痛みで多少落ち着いたくらいだ。あれ?ひょっとして俺ってドMなの?違うよね?違うと言ってくれ!

  落ち着くたびにまた新たな羞恥心が込み上げてきて、終わることのない羞恥の牢獄に囚われて行く。

 最終的にはびくん、びくんと陸に打ち上がった魚のような動きを床の上でやっていた。

「…どしたの、お義兄ちゃん」

 うつ伏せの状態から顔だけ上げると、扉を開いた義妹が若干引き気味に俺を見ていた。

 見たくなかったけど、見ちゃったからなぁ。みたいな顔をしている。

 なんでもない、なんでもないから。だから早くリビングに行ってくれ。

 そう目で訴えると、不思議そうな顔をしながらも小町は大人しくパタンとドアを閉めた。

 …はあ、いつまでもこうしているわけにもいかんし、学校に行く準備するか。




矛盾点や要望があればお願いします。オリジナルなので、おかしいところがあったら教えてください。

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