出来たばかりの小さな墓に、ダンブルドア校長は花を置いてくれた。二人並んで祈り、顔を上げた時には涙がへっこんでいた。
墓をもう一度眺めると、黒い入れ物が乗っていた。
「先生、これは?」
「牙じゃよ。バジリスクの毒は、それはもう大変貴重じゃからな……必要となる日が、いつか来ると思うてのう。ここに置かせてもらってよいかな?」
「はい。でも……こんなところに、誰か取りに来れるんでしょうか……」
「そこはわしらが気にすることではない。持ってけドロボーじゃよ」
何がおかしいのか、クスクスと肩を震わせた。
まあ、“彼女”は誰かの役に立ちたいと願っていたから、そういう形で求められても怒りはしないだろう。
「して、目的のものは見つけられたかの?」
「……」
蛇の目から見た、恐らくサラザール・スリザリンの姿を思い浮かべる。父親と同じか少し年上に見えた。あの老年の像は、スリザリンではなく別の誰かが持ち込んだのだろうか。
見たかったのは、姿ではなく思想。蛇の記憶からは『敬慕』の感情しか読み取れなかった。
「まだです。わたしが知りたいことは、まだ見つけていません」
顔と気を引き締めた。まだ帰るには早く、感傷に浸るのをもうやめにせねば。
ミリアはスリザリンの立像に、背を向けた。次に調べるのはそこではない。
なんじゃなんじゃ、と楽しそうについて来る校長先生。彼を連れて柱の間を行く。入り口と立像の、ちょうど中間くらいの距離でミリアは止まった。右手に折れ、柱と柱の間の壁を睨んだ。
「ここに何かが?」
「誰かの……感情の跡、でしょうか。とても、とても強い怒りと憎しみ……後は失望を感じます」
入る時に感じた誰かの気配。人と間違うくらい、強く強く、はっきりしていた。
誰のものだろう。少なくとも“彼女”ではない。“彼女”の目から見たスリザリンも、ここまでの憎しみを抱いているようには見えなかった。
「『感情の跡』とは、それほどはっきりと感じられるものなのかな?」
「普通は違います。まるでゴーストのようです」
見えるまでにこの世に執着した、魂と思いの残滓。
「この壁の奥に、じゃな。――ああ、わしにも分かる、魔法の痕跡じゃ。きみは下がっていなさい。――フォークス!」
ずっと天井辺りで舞っていたフォークスが、校長先生の肩に無言で降りた。ミリアが先生の陰に隠れると、にっこり頷いて、杖を出した。こんなに気を張り巡らせている先生は、初めてだ。
「扉を開く、魔法の言葉は?」
「『アロホモラ』?」
「正解じゃ」
杖をピュッと振った。
瞬間。
轟!
炎の爆ぜる音が、部屋に響き渡った。
「――、――!」
校長先生が聞き取れないほど早口で呪文を放つ。
鎮まった。炎も、憎しみも。
「先生――あれはいったい……」
「『悪霊の火』じゃ。チョー危険じゃから、絶対に唱えんようにの」
「はい」
「あの炎はどれくらいの『年齢』じゃ?」
「まるで昨日発生したみたいに『新鮮な』感情です。ここまで強いと、時と共に高まっているのかもしれませんが……五百年以上前は、絶対にありえません。百年……も、無いとは思います」
古木の悟り切った感情は、本当に神聖なものだった。百歳ほどの樹も、とても静かで穏やかな気配だ。
「百年以内――とすると、やはりあやつか」
「やつって?」
「う~ん、あまり教えたくないのう……」
「そんな!わたしが見つけたのにぃ……」
「ほれ、もう開いたぞ。共に入らんか?」
「いやです。もう何も教えてあげません」
いじけて体育座りをした。
「しょうがないのう、トム・リドルじゃ」
ごねるとしぶしぶ教えてくれた。
(トム・リドル――確か、ヴォルデモート卿)
今世紀最悪の闇の魔法使いの本名で、二度の『秘密の部屋』事件を起こした黒幕。“彼女”を荒れ狂う怪物に変えた、張本人だ。
「それで、きみが先に入るか?わしがお先に失礼してもよいか?」
「罠とかも、全部燃えてますよね」
「じゃろうな」
確認を取って、新たに現れた『秘密の部屋』に足を踏み入れた。
杖灯りで照らしても、真っ黒だ。壁を指でこすると、黒い煤がとれて荒い石壁が現れた。
「ここは、何の部屋だったんでしょうか」
「『秘密の部屋』は元々、サラザール・スリザリンが、ゴドリック・グリフィンドールたちが反対する、闇の魔法を教示するために造った――そのような伝承が残っておる」
「スリザリン専用の教室だったんですか?じゃあ……教授室、でしょうか」
「その可能性が高いの。あるいは実験室、研究室か、はたまたプライベートルームか……。部屋の造りや狭さから、生徒のために作ったようには考えられん」
他の先生のための部屋でもない。三人の創設者たちに『秘密』で造ったのだから。
「じゃあ、わたしが知りたいことは!」
リドルが、跡形もなく燃やし尽くしてしまった。
「そんな……」
足元から床に崩れ落ちた。その風で、灰が舞った。
怒り、憎しみ、失望……リドルの感情で、この部屋は塗りつぶされてしまった。
手元の灰を握った。リドルの強い思いが――
(――?)
それだけでは、ない?
「ミリア?」
「静かに」
若者の激烈な感情の奥に――かすかに……。
ミリアは目を閉じた。声を聞くために、耳を澄ませた。
――と考えられる。つまり理性の
声が、聞こえた!
その灰の元となった物品は、持ち主の心をそのまま写し取る――手書きの本だ。
「せ、先生!灰を全部集めてください!一つ残らず!」
「よし来た!」
涼しげな風が吹くと、部屋の中心に灰の山が築かれた。それを慎重に取って、思いを見る。
「わたしの力は、誰かの感情や考えを読むことです。だから、椅子や机はむりでも、手書きの本だけなら、そこに書いてあったことが分かります!……ちょっとだけ」
「素晴らしい!フォークス、あの道具を持ってきなさい!」
『あれだな』
フォークスが空中で一回転すると、一枚の羽根を残して消えた。数秒後、パッと現れた。銀のラッパを掴んで。
「この道具はの、人の記憶を抽出し煙として形に変える『エクソドス』じゃ。本の記憶をくみ取り、これを吹いてみなさい!」
「はい!」
灰をつまんで、目を閉じる。――リドルの奥には誰もいない。首を横に振ると、先生は袋を出してくれた。
また灰をつまんで、目を閉じる。
――が寮生たちは思うままに、他人の意――
「ふー!」
ラッパから開いた本の煙が出てきた。
「すぐさまこう唱えるのじゃ。『フォルメリベル』」
先生が呪文を唱えると、手元の灰が消えて、すとんと軽い物がミリアの膝に落ちた。
「ほ、本です!灰から本が出来ました!」
「『悪霊の火』に呑まれた品の復元は本来不可能――わしの発明ときみだけの力が為した、奇跡じゃ!」
「わーい!先生天才!」
「きみも天才!」
しばらく先生の手を握ってくるくる踊った。先生が灰に『固定化魔法』をかけていなかったら、またそこら中に散らばって集め直しとなっただろう。
『いつまでやるつもりだ……』
数分間空気を読んでいたが、限界は来る。フォークスがついに水を差した。
はっと我に返ってぱっと手を離した。真っ赤になりながら本の表紙をめくった。
「日記――というか日誌みたいです」
「どれ、先に読むぞ、すぐ終わるから」
「えー!」
嫌がるミリアから大人気も無く取り上げて、バラバラバラとめくった。
「うむ、確かに日誌じゃった。創立三年目の、寮監日誌じゃの」
「すごい……それって大発見じゃないですか!」
「本来ならの……」
先生が本を手に部屋の外に出た。戻ってきて手のひらを開けると、灰に戻っている。もう一度『エクソドス』と『フォルメリベル』で本の形に戻した。
「何もせねば『エクソドス』から出た煙は、数分で消えてしまう。超天才のわしがさっきこの部屋に保護呪文をかけたから、この部屋でだけいつまでも形を留めていられるが」
「じゃあ、この本を外に出してみんなに読んでもらうことは、出来ないんですね……」
「その通り。スリザリンのイメージを一新できるチャンスじゃったんじゃがのう……」
「一新?先生、じゃあ、やっぱり……」
「うむ。これを読む限り、実に生徒思いの良い教師じゃ。贔屓はちょいと出とるが、どの寮でも関係なく」
“彼女”があんなに慕った“彼”だ。生徒たちが噂したような根っからの悪人であってほしくない。
「さて……歴史的大発見に立ち会わせてくれたきみに、お礼せねばの」
杖をふりふりして、きらきらと光が舞った。光が集まって、部屋全体を明るく照らした。そればかりではなく、机と椅子一式、本棚まで現れた。
「また来るのじゃろう?」
「はい。全部の本を復元してみせます!」
孫を見るように微笑んで、人差し指を立てた。
「ただし、約束じゃ。次からは自力で脱出できるように、手段を用意しておくこと。授業にはちゃんと出ること。三食きちんととること。徹夜もいかんぞ」
さすがは校長先生だ。学生としての本分は外れないようにと。
「はぁい」
となると、時間が限られてくる。灰を少し手にとっては、ラッパを吹くか袋に入れる作業を始めた。
*****
作業はミリアが思ったよりスムーズに進んだ。慣れという物は頼もしい。
校長先生の言いつけ通り授業に出たし、ごはんもしっかり食べた。長い滑り台は徒歩では登り切れないので、学校の箒を借りた。初めての飛行訓練で大失敗した箒飛行だが、しっかり自分を持って念じれば行きたいところへ連れて行ってくれる。あまり高く飛び過ぎるのは怖くてできないので、クィディッチはお日様が西から登っても無理だと自覚した。
(次のお誕生日に、箒を買ってもらおう)
灰の山は、半年で片付いた。次は本の仕分け。部屋を埋め尽くさんばかりだが、同じ本の灰から生まれた被りが非常に多い。これを整理すると、三十三冊にまで減った。
(えーっと)
本の表紙を見る限り
・ホグワーツ教官としての日誌×12
・闇の魔法開発記録と、解析結果×10
・石像作品イラスト集×4
・ホグワーツ建設記録×3
・ルーン文字で書かれた本×2
・何が書いてあるかさっぱり分からない本×1
・表紙に何も書いていない本×1
というラインナップだった。
「嗚呼、惜しい――なんと惜しい。『悪霊の火』さえなければ――十世紀魔法史研究を塗り替え、新魔法研究を三百四十八度ほど転換する大発見じゃ……ホグワーツの歴史も新装版がでるじゃろうな……そして何より、わしの蛙チョコの文章も書き換えられる!モチ、きみの蛙チョコも出来るの。リドルのヤツめ……」
「蛙チョコに、わたしが……?なんとか発表できないんでしょうかっ」
「これが本物だと証明が出来ん。これらの書籍がきみの妄想ではないと証明する手段は無いのじゃ」
「……。蛙チョコ……」
ミリアは知らないが、ダンブルドアは一つの可能性に気づいている。
ミリアの能力を完全解明できれば――だがそれは、神秘部の実験動物として彼女を売ることに他ならない。彼女の父との約束を反故にすることになるし、教師として絶対に出来ない。
「さぁて、読むか読むか!」
「こ、これはダメです!」
ミリアは一冊の本を抱え込んだ。表題の無い本だ。
「一秒だけ」
「一秒で全部読むじゃないですか!」
「一ページ、一ページだけでも!」
「一ページだってダメです!」
「……ケチ」
「結構です!」
灰から再生する中で、概要は頭に入っている。
自分だけの秘密にしたい――ミリアは気付いていないが、これは親に恋文を隠す心境と似ていた。