妖精の魔法の授業が終わった後、フリットウィック先生に呼び出された。
「セルウィンさん、あなた私の授業で一度も魔法を成功させていませんね」
「……ごめんなさい」
「いやいや、謝ることじゃあないんです。マクゴナガル先生に聞いてみると、変身術もうまくいかないそうじゃないですか」
「……はい」
「落ち込まなくてよろしい!その代わり薬草学や魔法薬学では優秀な成績を残していると聞きましたよ!変身術では一度魔法を使えたようですから、スクイブではなさそうですが……杖に問題があるのかもしれません。その杖はどこで?」
「オリバンダーさんの店で、買いました」
「オリバンダーさん……とな。その時に何か魔法的現象は?」
「ええっと……火花ときれいな音が出ました」
「選ばれてないという訳ではなさそうですね……。杖を貸して貰えませんか?」
先生に手渡した。しげしげと眺め、一振りすると杖先から花束を出した。
「杖にも問題は無い、と」
飛び出た花束は教卓において、杖をミリアに返した。
「なんで魔法を使えないんでしょうか……」
「自信の問題ですよ、きっと。杖にもあなたにも問題はありません。心の中の自信の無さが、杖にばれてしまってるんじゃないでしょうか。ええ、時間は気にせず、ぼちぼち練習していきましょう」
手の中の杖を見た。そう言えば、この杖とは“お話し”したことがない。完全に道具としか見ていなかった。
黙りこくってしまったミリアの肩を、先生が叩いた。
「次の授業に遅れますよ。大丈夫、いつか必ず自由に魔法を使える日が来ます。では、今度の授業で」
「ありがとうございます、先生」
去り際に振り返ると、先生は花瓶に花を活けていた。
夕方。ミリアはベッドの上に正座し、杖と向き合った。
(杖さん、杖さん。聞こえますか?)
動物に話しかけるように、心で思う。無反応。
「杖さん、こんにちは」
声を出してみた。無反応。
「ミリア・セルウィンです」
無反応。無反応。無反応。いくら話しかけても。
その内早口言葉になってしまい、舌をかんだ。
「ぜぇ――ぜぇ――これでもダメか――強情者め」
そういえば、オリバンダーさんはこれを渡す時こう言っていなかったか?『気難しい』と。
「……む」
ミリアの中で、何かが弾けた。
「杖なら杖らしくなんかせんかおのれぇぇぇ!!!」
ぶんぶんぶんぶんぶん
『喧しい!』
「光った!」
杖先の光はどんどん大きくなり、ますます膨らみ。
『笑止』
人ひとり分の規模の、小さな爆発を起こした。
「――けほ」
「何今の音!?――あ、あんたの魔法?やったじゃん!」
黒焦げになったミリアは、レナが医務室に連れて行ってくれた。
冬が明けて、春が来て。ミリアの魔法は上達しなかった。『杖の声』も、あの黒焦げ事件から一度も聞いていない。
なんだかんだで波乱に満ちたホグワーツ生活は、初めて平穏と思える日々を迎えていた。ジニーは元気ないが、ルーナが見る限りニワトリ小屋に近づいたことは一度もなかったそうだ。ハグリッドがおんどりを置いていないせいだろう、柵を破られることもなかった。
そして何より、『スリザリンの継承者』がしばらく現れていない。学校の見張りが強化されたからとか、俺に怖気づいたからだとか、もう現れないとの噂も流れ出した。
その平穏は、五月に破られた。
「今度は二人も……」
グリフィンドールと、レイブンクローの上級生が、石にされた。グリフィンドールの方の被害者がハリー・ポッターの親友だったらしく、彼に対する疑いは急速に薄れていった。
「あんたはスリザリンで半純血なんだから――きっと心配しなくていい」
「レナ、そういうのじゃないの。そりゃ……もし誰か死んじゃったらと思うと心配だし、石になった人にも早く治ってほしいけど」
「じゃ、どういうの?」
「また、スリザリンの風評が悪くなるね」
「あぁー。こればっかりは……日頃の行いってやつ?身を縮めて待つしかないよ」
この事件を機に、教室間の移動が先生付き添いの集団行動となった。スリザリンも見る目も一層厳しくなり、内に内にと固まっていった。
そして、ハグリッドとダンブルドア校長が学校からいなくなった。ハグリッドの方はよりにもよって、生徒を石にした犯人として監獄送りだそうだ。
「絶対ハグリッドじゃないです!」
生徒襲撃に対し悲しみ、戸惑い、恐れ以上の感情は抱いていなかった。
「またか。決定に口を挟む権限は、我々にない」
スネイプ先生は面倒臭そうにするだけで、取り合ってくれない。廊下も自由に歩けない今、ミリアには何もできなかった。
次の日、ハグリッドからフクロウ便が来た。連行される前にフクロウに託したものらしい。
『一応言っとく。鳥小屋のそばでジニーを見た』
学校がこんな有様でも、期末テストは普通にやってくるらしい。
「あり得なくない?」
次は魔法薬学。いつも同じテーブルのレナが、ミリアに期末テストを愚痴った。
ミリアは全く別のことで頭がいっぱいだった。
(ジニーがいない)
グリフィンドールの列の中をどれだけ探っても、ジニーの気配がない。
警備がこんな厳重な中では、列から外れるのにも一苦労だ。それがいないとはどういうことだ?
「ねえ、ジニーは!?」
「ん、知らん」
「ありがと!」
列に戻り、レナに早口で囁く。
「おなか痛いの。何とかごまかして!」
「何?どういうこと!?――ちょ、ちょっと!」
列の後方に行き、そこから外れた。
見回りの先生を躱しながら、ジグザグと学校を走り回る。
(あの子が危ない!)
それは全くの勘だった。
厳重な警備の中姿をくらました理由。あやふやなニワトリ殺しの記憶。決まってその直後に起きた生徒襲撃――全くの勘だが、全てがミリアの中で繋がった。
(何か、きっと怖いことに巻き込まれてたんだ!なんで、気づいてあげられなかったんだろう!)
人の心が読めるのに。肝心なところで、自分は役立たずだった。
後悔しても遅い。後悔を推進力に変えて、無い体力を限界まで振り絞った。杖を握る手は、汗で今にも取り落としそうだ。
(お願い!まだ、何も起きないで!)
祈りが通じたのは、ミリアにとって幸運だったのか?うすら寒い廊下で、たった一人で立つ気配を捉えた。
祈りが通じなかったのは、ミリアにとって不幸なのだろう。ジニーの魂は眠っていて、彼女の肉体を動かすのは全く別の、――汚らわしい、魂の欠片だった。
「君は純血か?穢れた血か?」
なぜ、何故、一体何が起きた?この汚らしい“男”とジニーは、どういう関係だ?
「あなたは、誰?」
「質問をしているのはこっちだよ」
男にいらつきが芽生える。
(落ち着け。ジニーを助けなきゃいけないんだ)
彼は穏やかさを繕っているが、相当短気だ。そして自分たちを同じ人間だと思っていない。少しの刺激で、もう終わりだ。ここは素直に答えるべきだ。
「――半純血」
「『
(見ちゃダメッ!)
圧倒的な殺気。森でばったり出会った肉食獣など比べようのない、無上の殺意。
「ほう、バジリスクと気付いていたか。おちびさん、質問に答えてあげるよ。私はジニー・ウィ――」
「ジニーじゃない。あなたは誰なの……!?」
ジニーの皮をかぶった誰かが、警戒心をわずかに高めた。
「つくづく勘がいいね、君は。僕はそういう人を好ましく思うんだ。だから特別に名前を教えてあげる。僕はトム・マールヴォロ・リドル。いずれ魔法界を混沌の闇へ放逐する者だ」
彼――トムは、ゆっくりとこちらに歩み寄る。
「君はスリザリン生のようだね。気付いてると思うけど、僕がスリザリンの継承者なんだ。賢い君を『秘密の部屋』に招待しよう。さぁ――」
甘い声と、柔らかい手が、ミリアに伸びて――
「触るなッ!」
生理的嫌悪感が、身を引かせた。しまったと思った時には、もう遅い。
トムは蜜のような甘い表情を、凍てついた氷の表情に差し替えた。
「君に選ばせてあげよう。僕の杖の業にかかるか、『バジリスクの視線に焼かれるか』」
控えていた蛇が、また殺気を膨らまし始める。
(選ぶ――)
「アバダ――」
『お前に残る時間は、呪文一つ分』
『お前は選択肢を持っている』
『ただ時を受け入れ楽になるか』
『英雄として死ぬか――』
(わたしは――)
ミリアはこぶしに力を込めた。
―――――
トムは、目を見開いて倒れた少女を見下ろした。
脈は無く、瞳孔は虚ろに光を呑むのみ。
「ふん、汚らしい半純血が」
まだ暖かい体を、蹴り上げた。
「『さあ、帰ろうか』」
蛇語で少女を殺したばかりの『