1 手紙と家族会議とお買い物
ミリア・セルウィンは、日課の鳥の餌やりを終えた。
「また明日ね。ばいばい」
『明日はジューシーな種にしとくれよ!』
「ごめんね。しばらくかぼちゃだけしかないの」
『ちぇっつまんね――猛禽が来るぞッ!』
さっきまで群がっていた小鳥たちは、ばたばた一斉に飛び立って行く。
代わりにミリアの胸元に来たのは、茶色いメンフクロウ。分厚く黄色がかった封筒を、
『お仕事~お仕事~』
などとつぶやきながら、腕に落として飛び去って行った。その手紙にはエメラルド色のインクでミリアの名前が書いてある。裏返すと、真ん中には大きなH、周りにはライオン、鷲、穴熊、蛇の紋章――
「お、お母さーん!」
ミリアは種を放り出して、パタパタ家へと走って行った。
―――――
レスター・セルウィンは、娘が恐ろしかった。
ミリアは、鳥の声が理解できる。鳥だけではない、庭にいるモグラや庭小人、蛇――マグルの動物や魔法生物問わず、ありとあらゆる生物の声を。
そして、何よりも強く人の“意思”を。
マグルの妻、ロミーはそういうものかとあっさり受け入れたが、魔法界で育った自分は違う。蛇と話せるだけでも驚天動地だというのに、種類、種族問わず?おまけに口に出さない人の声まで?全く聞いたことがなかった。
誰にも相談できなかった。初めての愛娘を神秘部の実験動物にするなど絶対に嫌だった。
だからと言って、ただの女の子として育てるのも、レスターには不可能だった。得体の知れない能力を背負う娘を、それでも愛することは出来ても、目を見て話すことは出来ない。
今までレスターが娘のために出来たことは、住居を人気のない郊外に移したことだけだ。
ミリアの母、ロミーは全てを明るく受け入れた。驚きや動揺は、愛した男が魔法使いと分かった時に全て使い果たした、そう胸を張った。
昼は誰もいない家を誰もいない郊外から守り。夕方は声を出さずに娘に話しかけ、今日は“おともだち”とどんなお話をしたかに耳を傾けた。夜中、娘が寝入った後にこっそり帰ってくる夫に、今日の様子を報告する。
時には非魔法界に残る友人に電話をかけ、時にはふくろう通販で取り寄せた魔法グッズで遊んで――何よりすくすくまっすぐ育つ娘の成長を楽しんだ。夫にはよくこの孤立空間のことを謝られるが、別に苦になったことはない。
ばらばらでも愛しい家族三人、たくさんの娘の“おともだち”がいるから。
夜、『声出す家族会議』の議題は、昼間来た入学案内状のことだ。
「ホグワーツって、あなたがよく話してくれた学校でしょう?楽しそう!」
「……」
レスターは重々しい。空気を読んで、ロミーも気分を抑える。
「確かに、全寮制は心配ね……。あの子、人馴れしてないし……」
「とんでもなく、箱入りだ」
そうする理由はあった。だが周りから見れば、蝶よ花よのお嬢様に他ならない。
「――ねえ、あなた。何とかならないかしら。……口には出してないけど、とっても行きたそうにしてたの」
人の心が読めること、心を読まれるのは嫌なこと、他に出来る人がいないこと――ミリアは全て知っている。何のための孤独かも理解している。ホグワーツが今と正反対の生活となることも、理解した。
分かってなお、入学必要品リストを見る目は、輝いていた。
「――分かった。あの子にだっていつか、独り立ちの時が来る。校長に手紙を書こう」
「だ、大丈夫?その、聖マンゴとか、神秘部?だとかに連れ去られない?」
「……おそらく。彼は、今生きている中で最も偉大な魔法使いだから。そして、生徒思いで……お茶目な人だったなぁ」
懐かしそうに目を細めた顔が、いつになく穏やかで、ロミーもつられて笑顔になった。
「ねえ、この紋章の動物たちは、寮のシンボルなんでしょ?あなたはどれだったかしら」
「おれは穴熊。ハッフルパフさ」
「そうそう、ハッフルパフ。楽しい響きの、優しい人の寮。あの子もそこかしら」
「さあ……どこだろうなぁ」
―――――
「ロンドンに、お買い物?」
「うん、お買い物!お父さん金庫空にしていいって言ってくれたよ!」
「あの……ホグワーツ、行っていいの?」
「もちろん!あ、もしや寂しいか!?」
「ううん!」
ロミーはかがんで、ミリアの目線に合わせた。
「人と会う時のお約束。動物と」
「「おしゃべりしない」」
「人と話すのは」
「「口が動いてる時だけ」」
「このお約束は」
「「みんなにヒミツ」」
「よくできました!さあ暖炉に!」
言われる前に、もう暖炉横の
「行き先は『ダイアゴン横丁』!」
「はーい!」
ここは、最寄りの町まで自動車で何十分もかかるような場所だ。魔法力皆無のロミーでも、嫌でも慣れる。エメラルドグリーンの炎に入り、ダイアゴン横丁と唱えた。
グリンゴッツの金庫の中身を、言われた通り空にした。その足でミリアにピッタリのサイズのローブを仕立て、教科書を買いにフローリシュ・アンド・ブロッツ書店に入った。
「あら、サイン会?ついてないわねぇ。ちゃっちゃとすませちゃいましょ」
人ごみは、苦手だ。人の思いが無数に交錯するから。
人の思いは地層の様に重なる。表面と一つ下の層は、時としてまるで別世界の様に転換した。明るい地面も、傷つきやすい薄氷のような層を秘めていることがある。それを自分が壊してしまうのが、一番怖い。
何冊もの同じ著者の本を取っていると、青い目の男と目が合い、ウインクされた。その下の文句を見れば、教科書の著者ではないか。
「先に外、出てていいわよ」
「……ありがと」
教科書を全部ロミーに託し、足早に書店から脱出した。その途中、燃えるような赤毛の集団とすれ違った。
(かっこいいな)
でも、自分のよく跳ねる黒髪も好きだ。お母さんと一緒だから。お父さんとそっくりなのは、銀色の目。
もし自分があの赤毛だとどんな風になるのだろうか……誰かの気持ちをシャットアウトしたい時は、自分がものを考えるに限る。つらつら色んな人を赤毛にしてみて楽しんでいると、やっとロミーが帰ってきた。
「あー大変だった。あれがラジオでよく聞くロックハートさん?ただのセクハラあんちゃんじゃない。うちのお父さんの方がよーっぽどイケメンよ!」
本を取ろうとしていると偶然最前列に来てしまい、握手どころか爪先に口づけされたとか。マグル仕込みの化粧術で、普段から若々しいロミーは、いっそう輝いている。
「お母さん、だいじょうぶ?」
「ま、珍しい体験ができたわ。うん、次行きましょ!」
大鍋、薬瓶、望遠鏡、ものさし――学用品のほとんどを揃え、フローリアン・フォーテスキューでアイスクリーム休憩をとる。
「後は杖と――動物。良き相棒はいかがかな?」
ミントアイスをなめながら、ロミーは言った。
「……いい」
何故なら、動物は早く逝ってしまうから。
ミリアの初めての“おともだち”は、ケガを介抱したカラスだった。彼と心を通わせ、ミリアは怖い存在じゃないと森中に知らしめてくれたから、今たくさんの“おともだち”が周りにいる。
彼は最期の友情の証にと、看取らせてくれた。老衰で死ぬのはこの上なく幸福なこと、大きな友達が出来てとても楽しかった――そんな言葉を遺されても、彼を思い出すと胸が苦しくなる。
「そう……じゃあ、学校でいっぱい“おともだち”作らないと!」
「うん、どんなこがいるのかなぁ……」
次の目的地は、オリバンダーの店。何でもレスターが杖を買った店らしい。
「いらっしゃい。よろしければお名前を?」
この人は、なんだか怖い。記憶の束が渦巻いている。
「ミリア・セルウィンです」
「セルウィンさん?もしやレスター・セルウィンさんはご存知かな?」
「お父さん、です」
「おお、あなたはお父上と同じ目をしておられる。お父上は欅の木と
はっきりと、恐る恐る杖を手に取る幼い父が見えた。
「はてさて、ミリアさんはどのような杖がよいかな……」
今度は恐ろしいほど多数の杖の映像が。振り払うため、まだ会ったことのない一角獣に思いをはせた。映像と戦っているうちに、ミリアの採寸取りが終わっていた。
「まずは、これを試してみて下され」
楢、ブナ、オーク、マホガニー――様々な杖を渡された。しかしどれ一つしっくりとこなかったらしく、渡されては取り上げられていった。
「ふぅむ、難しい。――いいや、ひょっとして……」
オリバンダーは店の奥に消えた。どれだけ奥に行っているのか、なかなか帰ってこなかった。
「お待たせいたしました。ミリアさんは迷信を信じられる方ですかな?」
「迷信?」
「これはニワトコの杖でして、『とこしえに不幸』との迷信が広まっております」
「あんまり、気にしないと思います」
「よろしい。では、これを――ニワトコにセストラルの尾、三十センチ。気難しく振りごたえがある」
老人はもはや、期待と興味しか発していない。だが、ミリアには気にならなかった。“気難しい”杖に、ミリアの感覚は引きずり込まれる勢いだった。
まるで操られているように、杖を取った。
「ブラボー!」
杖はミリアの中の何かを吸っては、先から吐き出した。周りには、色とりどりの光と楽器の調律音のような澄んだ音しか知覚されない。ミリアの恐れは、杖にかき消されてしまった。
「これはですね、伝説の杖を再現しようと作った中の一つでしてな……しかし、他の杖とは変わらん――いえ、杖に選ばれたミリアさんを除いては。ニワトコは闇の魔法使いに好まれる材ですが、杖で大事なのは材ではなく選ばれること。――どうか、正しくお使いください」
兄弟杖が、一方は破壊の限りを尽くし、もう一方に選ばれたものがそれを止めたように――老人は、囁いた。
ぼうっとしたまま手を握られた。帰ろうかと母に手を引かれても、上の空だった。