「は? 出張?」
「うん、そうなの。明日からお父さんが海外に出張する事になったから、それに私もついていく事にしたの。あの人だけだとどうにも心配でね」
朝の7時半を少し過ぎた時間帯。
居間のリビングで朝食を食べ終えた蒼真は、飼い猫の黒歌と夜一の黒猫二匹と戯れて遊んでいた。そんな中、居間でテレビのニュースを見ながらお茶を飲んでいた母親からそのような事を聞かされていた。
「ふーん。いきなり出張なんて大変だな、親父も」
「そうね、でも会社勤めの社会人なら誰でも経験する事よ」
「それよりチケットは大丈夫なのか? 明日だろ?」
「それは大丈夫よ。ネットの航空サイトでもう予約はとったみたいだし。”格安でチケットを手に入れたぞ”って騒いでいたから」
それより、と母がそこで湯飲みの茶碗をテーブルに置いて、視線をテレビのニュースから蒼真の方へと向ける。
「暫く一人暮らしになると思うけど、体調管理には気を付けなさいよ。自炊を面倒臭がってカップ麺やコンビニ弁当ばかり食べないように。一応兵藤さんの奥さんにもアンタが一人暮らしをするって言ってあるけど、余り心配させないようにね」
「おいおい…、俺はもう高校生だぞ。ガキじゃねぇんだから大丈夫だって」
母の言葉に蒼真は視線を黒猫達から、母親へと移し、呆れたような表情を浮かべた。
「なら、いいけど……。それよりアンタ、そろそろ学校に行かないと遅刻するわよ」
母親は視線をテレビへと戻し、テレビの右上に表示されている時間を見てそのような事を呟く。
蒼真はそんな母親の言葉を聞いて、時刻を確認する。
時計を見て、もうこんな時間かと立ち上がり、「じゃあ行ってくる」と言って玄関へと向かった。
蒼真が居間からいなくなると、母親は二匹の黒猫へと視線を向ける。
「さっきは心配してるなんて言ったけど、基本アナタ達が一緒にいるから大丈夫ね。それじゃあ、あの子のこと頼んだわよ。夜一、黒歌」
『うむ、任せておけ』
『任せるにゃ』
母親の声に答えるような、そんな声が聞こえた。
☆☆☆☆☆
「おはようございます、ソーマ先輩。いい朝ですね」
玄関で靴を履き、鞄を手に持って、家を出た蒼真に、彼の家の前で待ち構えていた小柄な体型の白髪少女がペコリと頭を下げて挨拶をする。
一見中学生にしか見えない、いや、最悪小学生にも見えるほど小柄でロリ顔な容姿を持つ彼女の名前は塔城小猫。
蒼真の通う高校の後輩で、これでも立派な高校一年生だ。
常に無表情であまり感情を表に出さないが、その非常に整った容姿から、男子だけではなく女子からもとても人気が高く、蒼真が通う高校のマスコット的存在である。
「おう、おはよう塔城。そうだな、雲一つない快晴だ……で、なんでここにいるんだ?」
「先輩と一緒に登校したかったので。それと私のことは小猫でいいです」
小猫はいつも通りの無表情な顔で蒼真を見上げながら、そのような事を呟く。
その言葉に蒼真は随分と懐かれたものだと苦笑いをする。
最初に彼女と出会ったのは学校の食堂であった。
その小柄の体のどこに入るのかというほど、モグモグと小動物のように口に頬張る姿を見た時は驚いた。テレビの大食い選手権の番組に出場すれば余裕で優勝できるのではないかと思ったほどだ。
そんな小猫の食べっぷりに驚きながらも蒼真は空いている座席に座り自分の分の昼食を食べる。すると、そこで一つの視線を感じた。
顔を上げてその視線の方に振り返ってみると、食事の手をやめた小猫と目があった。
彼女は蒼真のことをじぃぃぃという擬音がつきそうなほど真剣に眺めていたが、暫くすると目線を逸らし、食事の続きを始めた。
そんな彼女の態度に蒼真は不思議に思いながらも特に気にすることはなく、蒼真も小猫から視線を外し、食事の続きをとる。
そしてその日の放課後、部活に所属していない蒼真は早々に教室を出て、下駄箱で靴を履き替え帰宅していると、帰宅途中に突如小猫が現れては、蒼真に近づきクンクンと匂いを嗅いで「やっぱり先輩からは懐かしい匂いがします」と小声で呟いた。
理由はよく分からないが、その日から小猫とはよく話をするようになり、昼食も一緒にとることが増えた。
同時にその日から男子たちからは嫉妬の目で見られる日が多くなり、蒼真の幼馴染とその悪友二人からは血の涙を流しながら襲撃してくるなど、面倒な日々が続いた。
「それにしても、今日はなんかいつにも増して眠そうな顔をしてるけど、大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。依頼者が少し特殊な方でいろいろと面倒な依頼が多いですが、これも仕事のうちと割り切っていますから」
「そうか。大変なんだな、悪魔っていうのも」
彼女、塔城小猫は人間ではない。いわゆる神話や空想上の生物として描かれる悪魔という種族だ。
先日、蒼真は駅前でチラシ配りの女性から『あなたの願いを叶えます!』といった魔法陣の描かれた怪しいチラシをもらった。
最初は宗教関係のチラシかとも思いすぐに捨てようかとも思ったが、女性から「騙されたと思って一度使ってみて」と言われ、取りあえずその日の夜に使ってみた。
すると、そのチラシに書かれていた魔法陣が紅く輝いたかと思ったらそこから突然と小猫が現れた。
蒼真はそのことに目を丸くしながら驚いた。召喚された小猫も蒼真の姿を確認して驚いたような様子であった。
それから蒼真は小猫に詰め寄り、詳しい事情を訊ねる。小猫は困ったような表情を見せていたが、何かを決心したような顔をして事情を話してくれた。
最初はとても信じられない内容であったが、小猫が証拠にと背中から蝙蝠のような黒い翼を出して、嘘ではなく、彼女が本当に悪魔であることを知る。
その後、一通り話を聞き終わり、今度は依頼の話へと移り、小猫がどういった願いを叶えてほしくて呼び出したのかと訊ねてくる。
だが、召喚しておいてなんだが、蒼真には叶えてほしい願いなどない。まさか本当に召喚されるとは思っていなかったので、何も考えていなかった。
どうしようかと考えていたが、結局何も思いつかず、正直にただ興味本位で召喚してみただけだと小猫に話すと、彼女は特に怒った様子もなく、
「そうですか。では、何か叶えてほしい願いができたらまた呼んでください」
といつもの無表情でそう言って、魔法陣の上に立つ。その際、
「それから今日話したことは内密にお願いします」
と蒼真に言い、現れた時と同じく魔法陣が紅く輝き次の瞬間には小猫は転移していた。
そんな当時のことを思い出しながら、蒼真は小猫とともに学校に登校した。
☆☆☆☆☆
私立駒王学園。
それが蒼真や小猫が通っている高校の名前だ。現在こそ男女共学の高校だが、数年前までは女子高だった為か、今でも生徒は男子よりも女子の数の方が全体的に多い。
発言力もいまだ女子の方が強く、生徒会もほぼ女子だけで構成されており、生徒会長も女子だ。そして悪魔の巣窟でもある。
先ほど言った生徒会、そして小猫が所属しているオカルト研究部という部活。そこに所属している者は全員悪魔で、詳しい話を聞けばこの学園の創始者や理事長など学園のトップもほとんどが悪魔と関わりが深い存在であるとのこと。
最初それを小猫から聞いたときは、妙に緊張してしまったが、別に知ってしまったからと言って取って食われるような事もなく、変に緊張していた自分がバカみたいだと思うほど、何事もなくいつも通りの日常を送っていた。
まぁ、それはそれとして、
「おい、ソーマの奴、塔城さんと一緒に登校してきたぞ!」
「あの二人、最近妙に仲が良いと思ったがまさか付き合ってるのか!?」
「クソ、あのリア充が! 爆発しろ!」
「ソーマくんってもしかして小猫ちゃんみたいな子が好きなのかな?」
「そんな、小鳥遊くん×木場くん以外のカップルなんて認めないわ!?」
「いいえ! 木場くん×ソーマくんよ! 私はそれしか認めないんだから!」
などと、周囲からそのような声が飛び交い、蒼真達はすごく注目されていた。
只でさえ、男子達には小猫と仲良くしている姿を見られて嫉妬されているというのに、この一件でさらに面倒な事が増えそうだと内心溜息を吐く。
……因みに最後の二人については何も聞かなかった事にして、あえてスルーする事にしたようだ。
「ただ、一緒に登校してるだけで、こんなにも注目されるとはな……。さすがに予想外だな」
彼等でこれなら、あの変態三人組に知られたらどうなるのか、それを考えて蒼真は再び溜息を吐いた。
「そ、そうですね。すみませんソーマ先輩。ご迷惑をおかけしてしまって」
小猫は頬を僅かに赤くし、周囲の声を聞いて恥ずかしくなったのか蒼真から視線を外して俯く。いつものクールな無表情な姿とは違う小猫に周囲の男子達が騒ぐのが聞こえる。
「い、いや、そんな事はないぞ。別に迷惑なんて掛かってないから」
いつもとは違う小猫のらしくない反応に、蒼真は一瞬ドキリと心臓が高鳴った。
その後、誰にも聞こえないような声量で「……これがギャップ萌というやつか」などとどうでもいい事を呟いており、視線を小猫から外す。
それから小猫とは、校門を抜けた学校の玄関で別れる。その際、小猫が蒼真に向かい、
「それじゃあ先輩。また食堂で」
と僅かに笑みを浮かべながらそう告げて、彼女は校舎へと入って行く。
蒼真もそのまま校舎へと入り、教室へと向かう。
そして、教室の扉を開けた瞬間、三つの殺気を察知した。
その殺気の元に視線を向けるよりも先に、
「「「うおおおおおおおおお!!! 死ねええええええぇぇソォォォマァァァァァァ!!!!」」」
という心の底からの叫び声が蒼真の耳に届く。
叫び声の方に視線を向けると、そこに予想通りの男子生徒三人が、目から血涙を流し蒼真の元へと全力疾走で駆け寄りながら、襲いかかってきた。
蒼真は一度溜息を吐き、襲いかかってきた三人の突撃を冷静に回避する。
三人は勢いよく全力で駆け寄った為、回避した蒼真に追撃をしかける事ができず、またその場に急停止する事もできず、彼等はそのまま三人仲良く壁に激突した。
「「「ぐばあっ!?」」」と同時に悲鳴を上げて倒れる彼等は、小猫とは違い、悪い意味での有名人である。
彼等はこの駒王学園始まって以来の変態達で、女子更衣室の覗きや教室でのセクハラ談議など日常茶飯事であり、いつ警察のお世話になっても不思議じゃないほどの行いをしている。
蒼真は冷めた眼で彼等を見下ろしながら口を開く。
「イッセー、それに松田に元浜。お前等いい加減にしろよ。毎度毎度襲いかかってきやがって、一体俺が何したってんだよ?」
蒼真のその言葉に三人はピクリと反応を示し、起き上がる。
そして涙を流した目で睨み付けながら言葉を発する。
「何をしただと……? 今更とぼける気か!?」
「ソーマ! 貴様が我が学園のマスコット、塔城小猫ちゃんと最近異様に仲がいい事は既に調べはついている!」
「それだけでも許し難い大罪だが、さらに貴様は今日小猫ちゃんと一緒に登校してきたそうだな!」
「最早、貴様をこれ以上野放しにはしてられん! 今日こそ我々の手で制裁してくれる!」
「そういう事だ。覚悟しろよ、ソーマ。幼馴染だからって手加減しねぇぜ!」
松田に元浜、そして幼馴染のイッセーこと兵藤一誠が、いつも以上の覇気を纏い、蒼真の前へと立ち塞がった。
そんな三人の言葉に蒼真は、
「あのさ、別にお前等が羨むような事は何一つないからな。ただ、一緒に昼食とって、世間話をしたりしてるだけだ。それに今日だって俺からじゃなく小猫の方から一緒にって――」
「「「それが羨ましいんじゃボケェェェェェェェ!!!」」」
三人は蒼真の言葉にバーサーカーと化し、結果的に火に油を注ぐ事になってしまった。暴走した三人は再び蒼真へと襲いかかっていき、蒼真はもう何を言っても無理そうだなと呟き、彼らと対峙した。
……因みにそんな彼等の争いはHRが始まるまで続いたという。
☆☆☆☆☆
その後、午前の授業が終了し、昼休みは約束通り食堂で小猫と昼食をとり、その事が原因で再び飽きずもせず、蒼真に襲い掛かってくる変態三人組をなんとか退け、午後の授業も終わり放課後。
一誠達変態トリオは、女子剣道部を覗きに行こうとコソコソと打ち合わせをしており、それぞれその顔に大変いやらしい表情が浮かべられており、取りあえず彼らを放置しておくのはいろいろと危険だと判断し、覗きをやめるよう近づくも、
「えーい、黙れ! この裏切り者! お前の指図は受けんぞ!!」
「俺たちの唯一の楽しみを邪魔するな!!」
「今更仲間に入れてほしいって言っても手遅れだからな!!」
などと、すごい剣幕でキレられ、彼らは覗きをしに女子剣道部を覗きに行った。
そんな彼らにさすがに少しイラッときた蒼真は、女子剣道部員の一人に彼らが覗きに行ったことをチクり、そのまま帰宅した。
その後、家に着くと母親が荷物の整理をしており、父親となにやら携帯で電話していた。
そういえば、明日海外に出張する父親についていくという話を朝していたな、と思いだし、そのまま部屋の扉を開け、制服から私服に着替える。
そして自室でのんびりと漫画の本を読んで過ごしていると、蒼真の携帯が鳴る。
携帯を手に取り名前を確認すると、相手は一誠であった。
女子剣道部員にチクッた事に対する文句かな、と当たりをつけて、通話ボタンを押す。
「なんだよイッセー、ボコられた文句でも言いに―――」
『ソーマ! やったぞ! ついに俺にも彼女ができた!!』
蒼真の言葉を最後まで聞かず、一誠は通話越しでもわかるほどにハシャぎながら、蒼真へと報告する。
その一誠の言葉に蒼真は、
「………、どうやら相当女子たちに絞られたようだな。今度腕のいい精神科か脳外科医を紹介してやるから、それまで強く生きるんだぞ」
『ちげェよ!! 何言ってんだ!! 本当に彼女ができたんだって!!』
「……一応聞いておくが、ゲームや妄想の類じゃなく、ちゃんと現実に存在するんだな?」
『当たり前だろ!? お前は俺をなんだと思ってんだ!! 今から証拠にその娘の写メ送るから待ってろ!!』
そう言って一旦通話が途切れ、すぐに一誠の彼女という女子の写真が送られてきた。
その写真には艶やかな長髪の黒髪に、スレンダーな体系の笑顔が似合う可憐な美少女が写っており、駒王学園の女子とは違う制服から、どうやら他校の生徒のようだ。
そこまで確認したところで、再び一誠から電話がかかる。
『どうだ! 可愛いだろ!! 名前は天野夕麻ちゃんて言うんだけど、明日お前にも紹介してやるよ!』
「……そうか」
蒼真は「罰ゲームなんじゃないのか?」と口から発せられそうになったその言葉を何とか飲み込む。電話越しで嬉しそうな一誠の声を聴いてさすがに確信もなく言えなかった。
そして一誠との通話を終え、携帯の画面が再び、天野夕麻という女子の写真に戻る。
(……まぁ別にいいか。これはもうアイツの問題だし、彼女ができたことでアイツの変態行動も少しは収まるだろ。それに松田と元浜の襲撃もイッセーの方に集中することになるだろうから、暫くは静かに暮らせそうだ)
そんなことを思いながら携帯をしまい、漫画の本の続きを読み進める。
しかし、蒼真は知らなかった。
この日を境に静かな暮らしとは程遠い、非日常が始まるという事を。