ソードアート・オンライン Escape from Real 作:日昇 光
もう二週間くらい空いちゃいましたかね…
遅くなってすみません!やっと書き終わりました!
時間見つけてチマチマ書いてたのでいつも以上にガタガタかもしれませんが、暖かい目でお読みいただけると嬉しいです。
終始無言のままランを部屋まで運び、俺は宿の地下にあるひっそりとした酒場まで移動した。この時間になると大抵の店は閉まってしまうのだが、一部の酒場は深夜帯も営業を続けている。ここもその一つなのだが、基本は宿の宿泊客くらいしか使わないため店の中は比較的静かだ。
隅の方にある席に座った少女を見つけ、そちらに向かった。何を言ったら良いのか分からないが、ひとまず謝罪する。
「すまん、待たせた」
「…いえ、それよりもあの子は?」
「…眠ってるよ。たぶん朝まで目覚めないと思う」
「そう…」
「……」
「……」
「……その、なんだ、久しぶりだな」
「…ええ」
およそ半年ぶりの再会。もしかしたら二度と会うことは無いかもしれないと思っていた少女との再会。それが果たされたわけだが、素直に喜ぶことができない。
「まさかお前がこんなゲームに手を出すとは思わなかったよ。何があった?」
「だいたい予想はつくでしょう。全部…いえ、半分は姉さんの差金よ。急にあんな高価なものを送り付けてきたから驚いたわ」
なるほど、予想通りだ。でも、"半分"?
「…もう半分は、私自身の意思よ。と言っても、この場合は褒められたものではないのだけれど…その…」
そこまで言って、雪ノ下は口ごもってしまった。だが、俺にはその先に続く言葉がなんとなく想像できた。こいつは頭でそれを分かっていても、プライドとか色々あって心が認めたくないのだろう。
「言いたくないなら言わなくていい。まあ、だいたい予想はできる。たぶん俺も似たようなもんだよ」
「…あなたも?」
「まあな…。もちろん単純な興味もあった。けど、無意識に逃げたくなってたんだ、あの現実から」
「…それをちゃんと認められるだけあなたはマシよ。私は、今でも認めきれていないもの」
「……」
自虐的な言葉を発するその姿から、一年前に初めて会った頃の、俺がただ憧れていた雪ノ下雪乃の面影は消えかかっているように思えた。いや、それはもっと前からだったのかもしれない。この世界に来る前、冷めかけたぬるま湯をなんとか冷やさないようにしていた頃から既に、彼女は、俺たちは以前とは別のものになっていたのだろう。
「あなたが現実に疲れるのは当たり前よ。一色さんの依頼も一人で請け負っていたのだから」
「……知ってたのか。悪かったな、一人で勝手な事してて」
俺は奉仕部としてはあの依頼を断った。俺の自己満足かもしれないが、あのタイミングで雪ノ下に生徒会の仕事を手伝わせてはいけないと思った。雪ノ下が生徒会に立候補したのは、きっと一色を落選させるためだけではない。それは口実で、本当に生徒会長になりたかったのだろう。姉の後を、姉とは違う道で追いかけようとした彼女なら、そうである可能性が高かった。そして、結果的にその道を閉ざしたのは俺だ。だから俺は、奉仕部が生徒会の仕事に関わる事があってはいけないと思った。そこに、せめてもの謝罪の意を込めて。
しかし、あの時の俺の行動は、本当に正しかったのだろうか。
「あなたが謝る必要は無いわ。あなた個人の行動に、私たちがあれこれ言う義務も権利もないもの。…それとも、私の許可が必要?」
そう静かに言う雪ノ下の表情は微笑んでいたが、そこには確かに諦めの類が見て取れた。その言葉が、その顔が、俺たちの関係が良くない方向に変わりかけている事をまじまじと俺に示すようだった。
「いや、そういうわけじゃ…」
「ねえ」
はっきりとしない濁った俺の返事が、先程より大きく、少し震えた声にかき消される。
「…あなたは、どうしてわざわざ部室に顔を見せたの?最初から生徒会の方に行ったほうが効率的でしょう。あんな状態で、無理をする必要なんて無いじゃない」
少しずつ、声音に怒りのようなものが感じられる気がした。
「…なんで、なんだろうな…」
本当に、どうしてだったのだろうか。平塚先生に怒られるから?時間が余ってたから?そんな簡単な理由じゃない事は分かるが、どうにも思い浮かばない。
「…ごめんなさい、捲し立てるように話してしまって。今日はあなたも相当疲れているでしょうし、明日にしましょうか」
「……すまん、こっちから呼んどいてなんだが、そうしてもらえると助かる」
それじゃあ、と言って雪ノ下は席を立ち、酒場を出ていった。
いざ再会したとなると、案外言葉が出てこなかった。伝えなければならない事、伝えたい事は確かにある。しかし、実際はそれらの詰まった箱を取り出してきただけで、そこにかけられた鍵を外す手段が分からずにいる。
俺が欲した『本物』とは、一体何なのだろう。あの部屋にそれはあったのか。俺が手に入れる事ができるものなのか。いや、そもそも───
「───本物なんて、存在するのか…?」
嘘の無い関係を望んだ俺自身、何度も嘘をついてきた。自分に、他人に、そうする事で安泰が保たれるならと、嘘をつき続けてきた。しかし、その結果できたのは叩けば崩れる脆い柱で、それに支えられた足場はぐらぐらと揺れ、崩れそうになる度に新しいハリボテの柱を建てる。そうする事で、揺れに気づかないようにしていた。葉山たちのグループもそうだ。俺が嫌いな馴れ合いで成り立っていたあの集団は、皮肉にも俺の嘘で支えられてしまった
。
嘘をつかなければ苦しくて、嘘をついても楽になれない世界で、『本物』とは、偽りのない空間とは、どれほど苦しいものなのだろうか。
「……はぁ…」
「おいおい、せっかく入ってきた客にいいなりため息はねぇだろ」
「んなッ!?」
突然聞こえてきた声に、ガタッとうるさい音を立てて俺は椅子ごと後ろに倒れ込んだ。あー頭がすっげぇぐわんぐわんする。まだ焦点の合わない目で声の聞こえた方向を見ると、頭に何かを巻いた赤っぽい服の男がこちらに向かっていた。
「…クラインか…急に話しかけんなよ、びっくりするだろ」
「悪ぃな。ていうか、俺が話しかけるまで気づかなかったのかよ!」
「すまん。ちょっと考え事してたもんでな」
「そうか」
さも当然かのようにクラインが俺の向かい側───さっきまで雪ノ下がいた───に座った。何しに来たんだこいつ……ん?
なんだか妙な違和感を感じる。別にこいつの今の行動にではない。……ああ、そうか。
「一人なのか?」
「まあな。小規模とはいえギルドで頭はってっと色々あんだよ。DDAの連中め…」
DDAとは《聖龍連合》というギルドの事だ。リンドがギルドマスターを務めていた《ドラゴンナイツ・ブリゲード》から発展したもので、レアアイテムに目がないのは相変わらずらしい。そのため、他のプレイヤーとのいざこざがよく耳に入ってくる。目の前にいるこいつも、おそらくギルド間で一悶着あったのだろう。さっきからロックグラス片手に人差し指をテーブルにリズムよく叩きつけたり、片足で床をリズムよく踏んずけたりしている。なんだこいつ、ドラマーか。
「何があったのか知らんが…それこそギルドホームで愚痴言い合うなり、全員連れてきてヤケ酒するもんじゃないのか」
「それがそうにもいかねぇんだよ。できるだけ他のギルドやプレイヤーとデカい問題は起こしたくねぇからな。騒ぎまくって収拾つかなくなると色々面倒だろ?だからホームでは今にも殴り込みに行きそうな連中を宥めて、後からこうして一人酒に逃げんのよ」
「アルコール入ってないけどな」
「うるせぇ!気分の問題だ!」
この世界の酒はせいぜい味が再現されている程度で、飲んだ人に酩酊感を与えるような飲み物はまだ見たことが無い。
それはそうと、やっぱりこの男は随分とギルドマスターの顔が似合うようだ。俺が女だったら惚れてるレベル。その割に女性プレイヤーから人気がないのは、こいつが下心丸出しで近づくからだろう。以前も俺に妹がいる話になった時、「オクトの妹さんいくつだ?」などと聞いてきたから半殺しにした。
「そんで?思春期真っ盛りの青年は何を悩んでたんだ?」
「いや、別に…」
「話すと案外答えが見えてくるもんだぜ?余計なお世話かもしれんが、こうして一緒に酒を飲んでるのも何かの縁ってもんだ」
「いや俺飲んでねぇし」
クラインに話してどうなるのだろうか。俺たちの事情など何も知らないこいつに相談を持ちかけて、何か解決するのか。
「……何を悩んでるのかは知らねぇけどな、今しかできない事って、後からしか分かんねぇもんなんだよ。俺とおめぇさんじゃ歳も大して変わんねえだろうが、それでも、青春時代を終えた身としちゃ、心残りって結構あるんだ。だからよ、今その青春の中にいる奴には、後悔しないような選択をしてもらいてぇって思うわけよ」
「……」
「…なんか悪ぃな、偉そうなことベラベラ喋っちまって。悪い癖なんだよなぁ」
きっとこの男にも色々あったのだろう。俺にだって一年も経たないうちに随分と色んなことがあったのだ。何となく、こいつの口から発せられる言葉は本心なのだろうと、そう確信できた。
頼ってもいいのだろうか。実際のところそんなに深く関わってきたわけではない。それでも、頼ることは許されるのだろうか。
いや、たぶんそれでいいのだ。ずっと一人の世界だったから、俺は無意識に頼ることを忘れていた。今まではそれで何とかなっていた。しかし、いつか限界が来ることは少し考えれば分かっていたはずなのだ。生徒会選挙の件がいい例だ。小町が、戸塚が、材木座が、川崎が、力を貸してくれたおかげで、やっと俺は動くことができた。
たまには、力を借りてもいいはずだ。
「…全部話せるか分からんが…聞いてくれるか?」
やや躊躇いがちに俺が言うと、クラインは白い歯を見せてどこか少年のような笑みを浮かべた。
「おうよ!どんとこい!」
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「───とまあ、そんな感じだ」
思ったよりは細かく喋ったような気がする。とりあえず、修学旅行のめんどくさい案件から一色の手伝いまで、一通りざっと話した。戸部がめんどくさいとか戸部がいい奴とか材木座が妙にカッコよかったとか戸塚がかわいいとか戸塚がかわいいとかそんな事は省いた。もちろん、戸塚がかわいいという事も仕方なく省いた。だから心の中で言っておこう。戸塚はかわいい。大事な事だからもう一度。戸塚はかわいい。
とまあ戸塚がかわいい件は置いておいて、俺の話を聞いてクラインは何か悟ったようだった。
「…なんつーかアレだな。オクトよぉ、おめぇは肝心なところで人の気持ちが読めてねぇんじゃねぇのか?」
「人の気持ち…ね」
「たぶんおめぇは、その依頼主?の頼みを忠実に叶えてやろうとして、そのために自分が何をすべきか、結果だけ考えて効率的に決めてんだろ。そりゃあもちろん大したもんだ。なかなかできるもんじゃないぜ?でもな、そのためにおめぇが犠牲になっちゃ駄目なんだ」
「…犠牲なんかじゃない。俺の周りで起こってきたことは、全て俺の出来事でしかない。俺はその中で、自分が納得できるように、満足できるように動くんだ。誰のためでもない、俺のために……俺は…」
「だから、それが違うんだよ」
俺の妄言にも似た主張はだんだん勢いを無くし、やがてクラインに遮られた。違う。そうだ。もう、俺はそれを分かっているはずだ
「いいか。完全に独りの人間ってのは、他人との関係に悩んだりしねぇよ。でもおめぇは違う。確かに普通よりは友情とかそういうのに目を向けないのかもしれんが、それでも大事に思えるものが少しはあって、それが欲しかったんだろ?」
「……ああ」
「…知ってるか?人ってのはある程度関わりを持っちまったら、それだけで他人の中に自分が生まれて、自分の中に他人が生まれるんだ。そんで、例えばその他人が幸せになると、自分の中にはそれと同じか真逆の気持ちが湧いてくるんだよ。もちろん、傷ついたときもな」
他人と同じか、違う気持ち。俺の場合は違う気持ちになったことがほとんどだと思う。今まで同情の類に触れた事の無かった俺にとって、周りは敵でしかなかった。小学校、中学校と俺を邪魔者扱いする連中に囲まれて、自分の不幸は他人の幸せだ、他人の不幸は自分の幸せだとしか認識しなくなった。いつの間にか、そうしかできなくなっていた気がする。
でも、この頃はもしかしたらそうでもないのかもしれない。雪ノ下に出会い、由比ヶ浜に出会い、戸塚に出会い、最近ではランに出会い、キリトやアスナ、クラインたちと出会い、世界には何かしらの方面で俺を認めてくれる人がいる事を知った。その多くが勘違いで、期待で、現実と違った時に裏切られたと思うかもしれない。思われるかもしれない。そうしてしまうことがひどく怖くて、それでもそんな結果を出してしまう自分がひどく嫌いで、どうしても心が開けない。俺にそんな資格があるのか、と戸惑ってしまうから。
「あんま言いたくねぇが、おめぇさんは、その…ガキの頃は相当苦労してきたみてぇだが、一度や二度くらいあるだろ?誰かの傷を感じて心が痛んだり、誰かの幸せのために何かしてやりたいと思った事がよ」
「…どう…なんだろうな」
そんな事があっただろうか。全部俺のためとか言って独りで強がっていた俺に。
いや、そういえばこの世界に来て、一度だけ正体不明の痛みを感じた事があった。第一層のボス戦のあと、《ビーター》が生まれたあの時。命を預けあった少年の悲痛な姿に、俺は何を思ったのだろうか。当時は結局その答えが分からず保留していたが、もしかしたらあれが、キリトの痛みを感じた、という事だったのかもしれない。
そのまま考えていると、それより前にも思い当たる節がある事に気づいた。文化祭で、失踪した相模を探し、散々に罵倒したあの時だ。雪ノ下雪乃がプライドと依頼の狭間で悩んだであろう中でも務めを果たし、そのうえで初めて誰かに頼る事をしてあそこまで導いた文化際を、無駄にしたくなかった。彼女が報われない事を、良しとしなかった。あの時の俺は、おそらくそう考えていたのだろうと今になって思う。
「そうやって誰かが傷ついたこととかが分かるのって、そいつを心から嫌ってる奴か、心から大切に思ってる奴なんだよ。曖昧な言い方かもしれんが、そういう風に出来てんだよ、人の心ってのはよ」
今までずっと独りだった俺が、誰かの傷に痛みを感じ、誰かの不幸を拒んだ。それはつまり───
「……大切だから、か…」
キリトに関してはまあ珍しくできた友人という点で、すぐに納得できる。しかし雪ノ下は、向こうにいる由比ヶ浜は、俺にとって何なのだろう。友人と言うほどお互いを知らないが、他人と言うには関わりすぎた。何にせよ、俺の中にある彼女たちが、俺を形成する上で大きく影響を及ぼしていることは確かだ。昔は分からないが、今はそれが不快だと思う気持ちは無い。
大切な場所で出会った、大切な二人だから。
少しは、先が見えてきた気がする。これはクラインに感謝だな。
「…まあ、その、参考になったわ。とりあえず礼は言っておく」
「へっ、相変わらず愛想がねぇな」
「ほっとけ……で、誰のパクリ?」
「なっ!?失礼だなてめぇ!今のは正真正銘俺の……と言いたいところだが、やっぱ鋭いなおめぇは。ほとんど受け売りだよ」
「お、おう、そんな事だと思ったぞ」
やっべぇ、照れ隠しで適当な事言ったら当たっちゃったよ…。落ち着け俺、こういう時は素数を…数えなくていいか、めんどい。
「高校時代に臨時で短期間だけ副担任だった若い女の先生がいたんだけどな、その人がいつだったか、ホームルームで話してくれたんだ。『誰かの傷は、その人を強く思うほど感じやすくなる。だから大切な人を傷つけないようにと人は動くんだ。それでも自分が誰かを傷つけてしまったと思うのは、その人を大切だと思っている証拠だ。そうやって傷つけてしまう事も考え覚悟する事が、本当に誰かを大切にするって事なんだ』ってな。男勝りでおっかなかったんだけどな、生徒思いのいい先生だったよ」
「…そうか…」
年齢的にも性格的にも一致する女教師を一人知っているが、たぶん別人だろう。そんな奇跡があるはずがない。そうだ、ただの偶然だ。きっとそうだ。……リアルに戻ったら聞いてみよう。
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翌日。いつもより早めに設定されたアラームに起こされ、部屋で受取り可能になっている宿の朝食を食べる。この機能、わざわざ人が多い食堂まで行く必要がなくなるので、本当に助かる。仕度をして部屋を出て、失礼だとは思うが、パーティーメンバーは解錠可能になっているドアを開きランの部屋を覗き込む。まだ寝ているようだが、それは当然だろう。いつもあいつが起きているであろう時間よりも早めに起きたのだから。この俺が。休日は昼前まで寝ている、この俺が。好きな言葉は怠惰です。
日課であるモンスター狩りを早めに済ませるため、フィールドに向かった。湧いてくるMobを片っ端から切り刻む。人が相手なら容易な事ではないが、相手はある程度動きが決まったAIだ。攻撃パターンを記憶してしまえば、レベリングなんてのは作業ゲーになってしまう。だんだん何も考えなくなってくるから、気持ちを落ち着けたい時には案外これが効くのだ。まあ、仮にも生き物という設定のこいつらを切り殺す事で落ち着くというのも恐ろしい話だが。そういった意味では、俺もこの世界をまだ完全に現実と見れていないのだろうか。
しかし、この世界で生きるプレイヤーそのものは、身体がデータで構成された作り物だとしても、中身は本物だ。世界が現実だろうが仮想だろうが関係ない。俺は今日、雪ノ下雪乃という一人の人間と決着をつける。正直に言うとまだ何をすればいいのか、完璧に分かったわけじゃない。それでも、昨夜のクラインとの話を踏まえて、俺なりの今の答えは見つかったつもりだ。あとは、それをぶつけるのみ。
最後のモンスターを倒し、俺は街へ戻った。
昨日と同じの酒場へ行くと、ご丁寧に昨日と同じ席に雪ノ下がいた。早いなあいつ。
「悪い、待たせたか」
「いえ、数分前に来たところだから、そこまでは」
付き合い始めのカップルみたいなやり取り(逆)を済ませ、向かい側の席に座る。これが本当にデートなら穏やかな話だが、そんな生易しいものではない。おそらくここで、俺たちのこれからの関係が決まってしまう。時間的になのかいつもこうなのか、静かな酒場の空気がより一層緊張感を増す。
「…あなた昨日、現実から逃げてここに来たと言ったわよね。逃亡生活の感想はどうかしら」
「聞くなよ、最悪だ。まあ、嫌な事ばかりじゃ無かったけどな。そういうお前はどうなんだ?」
「同じく、最悪だわ。私の場合は、いい事なんて大してなかったしね」
「そうか…」
俯きながら、どこか遠くを見るような目をして雪ノ下は答えた。こいつはあまり苦労しないような気がしたが、詳しく聞くのは野暮だし、場違いだろう。それに、女性プレイヤー故の苦悩とかの話になったら、それは俺には分からない。
「アルゴさんに聞いたけれど、あなた、第一層から前線に出ていたのね。ちょっと意外…いえ、逆にあなたらしいのかしら」
「意外って方で合ってるだろ。最初は街に篭っていようと思ってたんだけどな、色々あったんだよ」
「…何があったのかは知らないけれど、やっぱりあなたらしいと思うわ。……自分のことは自分で。何があろうとあなたの行動の起源は全て自分自身。それがあなたでしょう?」
そう言われて、改めて自分が今までどう振舞っていたのかを実感した。その通りだ。俺は、自分はそういう人間なんだと思っていた。誤魔化していた。
「…そうだな。自分のことは自分で。それは当たり前のことだって、そう思ってた。間違ってはいないと今でも思ってる……でもな…」
俺は知った。気づいた。気づかされた。独りになった気でいても、誰かとの関わりが隠れていることを。一人でできるつもりでいても、それが本当に自分一人の力だとは限らないことを。
「今回ばかりは、ただ自分が生き残りたいからってだけでこうして戦ってるんじゃない。助けてやりたいと思う奴や、一緒に戦いたいと思える奴に出会って、そいつらと揃って元の世界に帰りたいと思うようになった。自己満足や打算の積み重ねでも、いつの間にか存在が大きくなってたんだよな、これが意外に」
昨夜ここでクラインに話を聞いてもらったのが功を奏したのか、いつもなら恥ずかしくて言えないような事まで言えた気がする。俺の言葉を聞いた雪ノ下は、目をやや大きめに開いて、驚いたような顔をしていた。しかしそれも束の間、また俯いて視線をテーブルのどこかに向ける。
「…それは、強くなったのかしら。それとも…」
難しい質問だ。それは、俺も考えた。たが明確な解が出た試しがない。それでも、今納得できる答えはないこともない。
「…どっちもだろうな。俺はいつからか、少しでもいいから他人に認められたいと思うようになったらしい。自分を受け入れてくれる場所を欲し続けたってことでは、弱くなったのかもしれない。でも、そうして手に入れた繋がりがあるからこそ俺は戦える。歩みを止めずにいられる。…いや、違うか。止まってしまっても、また歩き出すことができるんだ。そういう意味では、強くなったって言ってもいいんじゃないか?」
「…そう、そうね…。あなたの口からそんなに前向きな言葉が聞けるなんて思わなかったわ。…あなたは私とどこか似ている…そう思っていたけど、全然違ったのね。道理で分からなかったわけだわ」
儚げな笑みを浮かべて視線を俺に向けた雪ノ下の口から発せられる言葉に、よく耳に残っていた刺々しさは感じられなかった。何となく、俺は今誰と話しているんだろうと思ってしまう。
「……何が」
静かに、短く聞き返す。
「…あなたがどういう人間なのか、あなたが何を考えているのか…。似ていると思ったから、少しは分かると思ったのよ。そして逆に、あなたも私を理解してくれているのだと、そう勘違いもしたわ」
「……そうか。それは俺も同じかもしれないな…」
修学旅行の一件がそうだ。俺があの場を掻き乱す事で事態がうまく収束する。そんな結果的には効率的な方法を俺が行うことを、彼女らなら認めてくれると思った。そう信じた。
しかし、現実はそうは行かなかった。俺はまた勝手に期待し、勝手に失望したのだ。
「言わなくても分かってくれる…そんな関係が存在するなら、それは素晴らしい事だろうな…。でも、言ったって分からない事だってあるんだ。そんな夢みたいな関係が、そんな簡単に手に入るわけ無かったんだ…なのに俺は…」
俺は、そんな関係を欲した。それが、あの部屋にあると思い込んだ。そしてそれが勘違いだと気づいた時、裏切られた気分にさえなった。被害妄想もいいところだ。
「…望んでしまったのね。あなたも、私も…。どこで間違えたのかしら…」
「間違えてなんかいない…と思う。俺たちが、結局何も特別じゃない、普通の人間だっただけだ…。誰だって、一度はそう望むんだろう。ただ…」
ただ、強いて言うならば───
「…結果を焦ったのかもな」
「…え?」
「想い描いた世界を手に入れたかった。自分にそれだけの準備ができていると思い込んだ。そのうえ俺にとってはおよそ初めての関係だ。だから結果を焦った」
欲しかったから。早く、陽が当たらなくても暖かい場所へ行きたかったから。そうやって焦ったから、目当ての物は離れていきそうになった。
でも、きっとこれは正解じゃなくても間違いじゃない。
「…もっと、まだ時間が必要だったんだ。俺たちが向こうの世界に残っていたとして、一年かかっても足りなかったのかもしれない。それだけお互いを見せて、知って、そしてぶつかって…その後で残ったものがきっと…」
その過程で見つけるものも、見失うものもあるだろう。手に入れるものも、手放すものもあるだろう。傷つくかもしれない。傷つけるかもしれない。それでも共にありたいと、そう思えるなら、それは───
「…『本物』だ……と、思う」
それが、俺の欲しかったもの。馴れ合うのではない、分かり合える関係が、欲しかった。
雪ノ下の方を向いて話すように努力はしていたが、ここまで言い終わって少し目をそらしてしまった。いつの間にかNPCの店員が運んできた冷や水は、既に氷を溶かし尽くしていた。
思ったより喋ったな、と思いながら再び雪ノ下に目を向ける。彼女の視線は、まだこちらに向けられていない。
「…それが、あなたの望んだもの…なの?」
「…ああ…たぶんな」
「…あなたの言う『本物』が、私の望みと同じなのかは分からない。でもどちらにせよ、これからまた探し始められると、あなたはそう言うの?」
昨夜見せたような、鋭い目がこちらを向く。睨むと言った方が正しいのかもしれない。思わず怯み、目を背けそうになるが、ここで逃げてはいけない。もう、逃げる場所など残されていないのだから。必死に、無様にでもなんでも、進むしかない。
睨み返すのではない、でも力を込めた目で、精一杯視線を捉える。
「…俺は…そう信じたい」
しばし沈黙が続く。現実ならば目が乾いてとっくに傷んでる頃だろうが、お構い無しに目を開き続ける。目だけでなく、太ももの上に置いた拳にも無意識に力が入る。
ふと、雪ノ下はその鋭い目を閉じた。
「…なら…まずはこの世界から抜け出さないといけないわね」
「…ああ」
そう言って薄く目を開いたかと思うと、雪ノ下はまたその目を閉じてふぅっ、と短く吐息を漏らした。
椅子の脇に置いた刀を手に取り、雪ノ下が立ち上がる。そしてそれを腰に備えると、俺に目を向けた。
「比企谷君」
しばらく呼ばれていなかった名前に懐かしさを感じたのは、本来の自分だからだろうか。それとも、こいつの大人しい声だからだろうか。
そして、続けて口を開く。
「今から私と《デュエル》しましょう」
まさかの宣告にしばし思考か止まってしまった。デュエルとは、別にカードゲームではない。融合もシンクロもない。この世界の剣士たちによる、純粋な決闘。
何の考えもなくこいつがそんな突拍子もない事を言ってくるはずがない。少なくとも、戦闘訓練ではないはずだ。丁度いい。ランを救った時の技が何だったのか、実は全く分からなかったのだ。
確証はないが、こいつの数値的なステータスも、割り切れない心の奥も、確認する事ができると思った。
「…分かった。その勝負、受けてやる」
俺も自分の剣を装備し、立ち上がった。
おい、デュエルしろよ。
違いますね。すみません。剣は拾い物じゃないですね。
それはそうと、いかがでしたでしょうか?相変わらず文章力に進歩がないので妙な雰囲気だとは思いますが、ここまでお読みいただきありがとうございます!
次回で仲直り完了のつもりですが、次の更新までまた間が空くかも知れません。お待ちください…
それでは!