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護衛たちを振り切りやってきたのは、44階層主街区【ラオール】
街の中心から少し離れた入江、巨岩を鳥居の形に組み立てた転移門から外に出るとそこには、一昔前の東南アジアの島国を思わせるような、常夏のリゾート地があった。
サンサンと降り注ぐ太陽と、キラキラとした貝殻らしきものが散りばめられている白浜、青々とした空と海がどこまで広がっている。しかし一度島の奥へ踏み込めば、様々な樹木が鬱蒼と茂っているジャングル。むせるような湿気と生命力旺盛な虫の洗礼をうける、『下層病』とは違う意味でプレイヤーに優しくない環境だ。
密林と海が大部分を占める未開状態のフロアだが、人も街もある。バナナかヤシの木と思わしき素材で作られた円錐円筒状の家屋、海岸沿いの港町である【ラオール】の町並み。密林内部にも街はあるが、巨樹同士を吊り橋で結んだ上に建てられている。地面には凶悪なモンスターやら『蛮族』が蔓延っているので、それを避けるためだ。
健康的に焼けた褐色肌に、麻布らしき麻白な一枚布で身を包んだ人の群れ。時には半裸状態か褌だけの人も。湿気と日差しの暑さ、海と密林の民であるためか自然と軽装にさせてるのだろう。活気は溢れているが、長閑な街だ……。
私の現状の逼迫ぶりには、そぐわないお気楽な空気。少々面食らってしまうが、だからこそいいのかもしれないと無理やり納得させた。
街を通り抜け、目的の地点まで行った―――。
転移門とはほぼ対角線上にある、人里離れた入江の崖際。街と海を一望できるそこにあったのは、一塔の灯台、根元には増設されたと思わしき住居も。
豪勢な別荘ではないが、オシャレな物件だ。眼下にはプライベートビーチまで広がっている。
(ここが、グリムロックさんのホームか……)
憧れるなぁ……。こんな場所で喫茶店を開いたら、さぞや人気が出るだろう。改築してペンションにするのもいいかもしれない。全てにカタがついたら、カインズと一緒にやってみたいなぁ……。
ぼおっと妄想を膨らまされるも、ハッと、現状を思い出した。振り払うと、扉を開けようと手を伸ばした。
トントン―――。ノックすると数秒後、がちゃり……扉が開かれた。
「―――よく無事で来てくれたね、ヨルコ」
「ヒヤヒヤしましたよ」
銀縁の丸メガネをかけた柔和そうな男/グリムロックの出迎えに、思わず軽口を返した。ようやく緊張をほぐすことができた。
「さぁ、入ってくれ」
「カインズは中に?」
「ああ。出迎えに行かせても良かったが、安全を考慮して待機してもらった」
招き入れられるがまま、グリムロックのホームに入った。
すると、
「あら、またお客さんですか?」
奥の部屋、おそらく居間だろう部屋から、一人の女性が現れた。
一瞬ドキリとさせられるも、頭上を見て安堵。プレイヤーではない。それに見た目も、現実ではあまりお目にかかれなそうな美人で、何より人間種ではなかった。……色白の肌と尖った耳が、それを表している。
「ああ。前に同じギルドで冒険してきた仲間の一人だよ」
まぁ、こんなに可愛い女の子なのに……。私を見て驚きを浮かべた。
舐められているのかと身構えそうになるも、そうではなかった。そういう世界とは無縁の人なだけだった。ただ、グリムロックと共に暮らしているからだろう。私のような/戦士も傭兵ともみえない外見であっても、そういう世界で生活していることは理解している様子だった。……端的に言うと、よくできた若奥様だ。
一目見ただけで、奇妙な既視感が舞い込んできた。今日が初対面なはずなのに/NPCのはずなのに、なぜか懐かしいと思えた。そして無性に、泣きたくなる気持ちにさせられた。沸き上がってくる感情にと惑わされる。
「……グリムロックさん? このN……女性は?」
どういうわけか、言い直した、今ではもう割り切って考えれるようになったのに……。この人をNPCと言ってしまうのは、躊躇わされる。
「そうだった、ヨルコには初めてだったね。
【ユウコ】て言うんだ」
「はじめまして、ヨルコさん」
そう言うとニコリ、素敵な微笑みを向けてくれた。
先に覚えた既視感が、またせり上がってきた。言葉が詰まってしまう。目尻が熱く喉が震え、抑えるのに精一杯になる。
女性は私の混乱には気づかず、グリムロックへと口を尖らせた。
「もう……先に言ってくれたら、色々とご用意できたのに……」
「ゴメンごめん。彼女に来てもらうのは、明日か明後日になると思ってたんだ」
仕方がないですね……。そう言ってしまうとあっさり、何とかしてみようと頭を巡らせ始めた。
その声の調子/仕草の一つ一つに、魅入られた。漠然としていた既視感から、形と名前が浮かび上がってくる。ありえないと視覚が訴えてくるも、それ以上の/醸し出している何かが酷似していた。まるで『本人』しか見えない、外見が変わっていることに彼女自身が気づいていない/気にもしていないような……。
侵食してくる妄想からハッと、目を覚ました。頭を振って振り払う。
「……お、お構いなく。長居するつもりは……ないですから」
「あら、遠慮はなさらないで。二人だけでは少し広い家なの。お客様が居てくれれば楽しいわ。それも、この人のご友人とあれば」
色々と、お話を聞かせてくれると嬉しいです……。やんわりとした押しの強さ。引っ込み思案の私の苦手なタイプだったが、彼女のソレは気にならなかった。むしろ、そうしてくれることを望んでいた。引っ張ってくれる頼もしさに安心できる。やはり『彼女』なら、そうしてくれただろうから……。
今度こそ涙が出そうになるところ、グリムロックのおかげで助かった。
「これから私の書斎で、彼女と話したいことがある。少し長くなると思うから、先に眠ってくれて構わないよ」
「……お夜食は用意しなくても、よろしいんですか?」
「大丈夫、客間を整えてもらうけでいいよ」
「ですが―――」
「代わりに、君の最高の朝食をお願いするよ」
気取ったセリフに、ユウコは目を丸くした。
そんな様子に耐えかね、グリムロックが恥ずかしそうに苦笑していると……クスリ、微笑で返した。
「わかりました。腕によりをかけて作らせてもらいます。
それではヨルコさん、ごゆっくりしていってくださいね」
そう言って、自分の部屋に戻ろうとしたユウコを、慌てて引き止めた。
「あ、ユウコ! 寝る前に、薬を飲むのを忘れてはいけないよ」
「……別にもう、どこも悪くはありませんよ?」
「ソレも薬のおかげだよ。またぶり返してしまったら大変だ」
大げさですね……。苦笑をこぼすも「わかりました」と、安心させてくる微笑をむけた。
ユウコと別れ/その懐かしげな背を見送りながら、グリムロックと二人、彼の書斎へとむかった。
グリムロックの書斎に入り……パタン、扉が閉められた。
それでようやく、【ユウコ】の衝撃が頭から抜け落ちた。冷静さが戻ってきた。
「あの女性は……メイドか何か、なんですか?」
「『何か』の方だよ。
とりあえず、一息ついたらどうかな?」
どうぞ。君の舌に合えばいいんだが……。部屋に備えていたポッドから、良い香りのする紅茶を差し出してきた。
まだ困惑は晴れなくも、焦りで平静になりきれていないとは自覚できた。受け取ると、「いただきます」……グビリと飲んだ。
(―――結構美味しい。やっぱり、いい趣味してる)
グリムロックは鍛冶屋なはずだが、『家事』の方も得意だったことを思い出した。かつて【黄金林檎】ではいつも、彼のこだわりの紅茶が楽しみだった。迷宮区やダンジョンで一夜を明かさざるを得なくなった時、随分と助けられた、メンバー同士の言い争いも鎮めてくれた。ソレがきっかけになって、今は私にもこだわりが伝染したのだ。……かつての楽しかった思い出を、忘れないためにも。
紅茶のおかげで一息つくと、おもむろに説明してくれた。
「……君の目には、奇妙に映ったかな?」
「え?」
「グリセルダという妻がいながら、あんなNPCの女にいれ上げてるなんて」
私の内心を読んだように、自分を抉るような言葉を出してきた。
「いえ、そのぉ……。非難するつもりは……無いです」
「ほほぉ、そう言ってくれるのかい?」
「それは……もう、半年も前のことですし」
促されると、自分でも思ってもみなかった言葉が出てきた。
「グリムロックさんが一番お辛いのは、確かです。前に進もうとするのは、決して悪いことではありませんし。どう乗り越えるかは、人それぞれですから……。だから、彼女とのことも……えぇと、そのぉ―――」
「ハッハ、相変わらずヨルコは優しいな」
慰めようとして、逆に慰められてしまった。上滑りした言葉だとも、見抜かれてしまった。
恥ずかしい……。それでも鷹揚でありつづける彼に、失礼だった。
今度こそ本音を告げた。
「…………ごめんなさい。少しだけ、軽蔑してます」
「だろうね。君ぐらいの年頃だと、受け入れがたいことだろう」
苦笑するグリムロックに、申し訳ない気持ちが湧いてくるも/だからこそ、本心は偽れない。……やはり私は、ずっと彼女を想い続けていてもらいたかった。少くともまだ、喪に服してもらいたかった。
まともに彼の顔を見れないでいると、口調を改め真剣に答えてきた。
「でも私は、彼女と出会って救われた。居てくれたことに感謝している。……妻を失って空いた穴を、埋めてくれたんだ」
自分の胸に手を添えながら、まるで傷跡を撫ぜるように/今では愛おしめるように、告白してきた。……余人には、理解しがたいだろう想いを。
聞き入って顔を上げると、グリムロックと目が合ってしまった。
「だから、これからもずっと、傍にいて欲しいと思ってる」
真正面からの告白に、ドキリ―――胸が高鳴った。私のことでは無いのだが、まるで私に愛を告げられたかのように錯覚してしまった。顔が熱くなってしまう。
「……で、ですが、彼女はそのぉ―――」
「わかってる。ゲームクリアをしたら、離れざるを得ない……」
一緒にいられるのは、そんなに長くないだろう……。今の調子で攻略していけば、早くて2年、遅くても3年といったところだろう。……先が分かってしまう以上、短いと言うしかないだろう。
なんと声をかければいいのか分からず、俯いてしまうと、
「……でもね。一つだけ方法があるんだ、彼女とずっと一緒にいられる方法が」
予想外の言葉に、思わず顔を見合わせた。
そこには、妄想とは違う何らかの確信が見えた。
「そんなの……あるんですか?」
「ある人が教えてくれたんだ。微々たる可能性で、かなりのリスクもあるけど、賭けてみる価値はある。
そのためにヨルコ、君の協力が不可欠なんだが……頼めるかな?」
私が……? 手まで握ってきそうなほどの懇願に、気圧されそうになった。
ここまで頼んできたのなら、協力するのはやぶさかではないが……。ここに来た目的を思い出した。情に流されるだけではダメだ。まずは過去の清算を済まさなければならない。
「……私でよければ、力を貸します」
「よかった! それじゃ―――」
「でも、先にグリセルダさんです! 彼女を殺した犯人を見つけないと」
ソレが今の私とグリムロックとを繋げている、共に置き去りにした過去を取り戻すために戦うと決めた。彼は先の未来を見ているも、今の問題を解決しない限りたどり着けない。だからと言って、ここで逃げて欲しくもない。
鈍りそうになった復讐の念を、新たに焚きつけた。目を丸くしていたグリムロックはしかし、すぐに鷹揚さへと戻った。
「そのことなら、安心してくれ―――」
ガタン―――。急に体から力抜けた、自由が利かなくなった。目眩でクラクラする。
何とか立ち上がろうと机をまさぐると……パリィン、カップを落としてしまった。まだ中に入っていた紅茶が床に溢れる。
「こ……コレ、は? 何が、どう……なって―――」
「【睡眠薬】だよ。君に渡したのと同じね」
グリムロックの視線に合わせ、こぼした紅茶を見た。
まさか、この中に仕込んで―――。私がやったように、毒を盛られた。全く気づけなかった。
だけど、どうしてこんなことを……? 私の困惑を先取りするように、答えた。
「グリセルダを殺したのは、私なんだ。シュミットは何も知らない、ただ協力させただけなんだよ」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。意味がわからない、冗談としか思えない。わからないが……こんな現状だ、否定し切ることもできない。
ただ茫然と、グリムロックを/真犯人を見上げた。納得いく説明が聞きたくて、嘘だと言って欲しくて……。
でも、帰ってきたのは別の言葉だった。
「ちなみに、カインズは無事だよ、別の場所に監禁してるだけだ。彼にも、協力してもらうことになるからね」
そんな……。カインズの現状よりも、初めから騙されていたことよりも、もうどうでもいいと流してしまう無慈悲さに打ちのめされた。グリムロックこそ、誰よりも/私よりも強く復讐を望んでいたと思っていたのに……真逆だった。グリセルダさんはもはや、彼の中ではどうでもいい存在になっていた。
彼が告げたことは全て真実だと、痛感させられた。
「……本当に、すまない。許して欲しい」
恨むなら、こんな世界に閉じ込めた『彼』にしてくれ……。そんなセリフが滲んで、聴こえてくるようだった。
向ける言葉と視線は、私に対しての限りない謝罪で満ちていた。本当にそう想っていると/それでもやり遂げなければならないとの覚悟まで、伝わって来る。しかしそこには、やはり……グリセルダさんはいない。彼女への謝罪だけはスッポリ抜けていた。
肯定する直感と証拠がないと否定しようとする理性とで、意識が混濁する。どうにかしなければと焦るも、なんのまとまりもつかず眠りに落ち続けていってしまう。
そして最後、必死に誰に向かってか声を絞り出すも―――闇の中に落ちた。【睡眠】に陥ってしまった。
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長々とご視聴、ありがとうございました。
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