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19階層【ラーベルグ】―――
【はじまりの街】の転移門から飛び出た次の瞬間、息が詰まった。体が重い……。酸素が行き届いていないかのようで、苦しくなる。
下層病……。今のオレでは20層以下は水中と同じだ。【兵糧丸】を取り出し口に放った。
口の中に味が広がっていくに従い、体も軽くなっていった。だけど、普段と比べて七割程度でしかない。しかも、ここはまだ圏内だ、外に出たらどうなるのか……。
街中を一気に走り抜け、特定していた場所までダッシュした。圏内を突き抜ける―――
直後、視界が歪んだ。
目眩でぐらついた、膝から力抜け落ちていく。同時に胃の中が焼けてるように気持ち悪い、猛烈な吐き気をもようしてきた。なのに、出す力が足りずに詰まっている、自分のゲボで窒息しそう……。
走った勢いのまま、地面にこけてしまいそうになるも……寸前で堪えた。徐々にブレーキをかけ膝立ちへ、何とか【転倒】は免れた。
しかし―――
(―――やばい、予想したよりずっと……きつい)
下層病が猛威を振るう。全身から冷や汗と油汗が溢れ出ているのがわかった、指先や末端の感覚も怪しい。きっと顔色は、蒼白になっているに違いない。
走るどころか/歩くことすら、立っていることすらままならない。ギリギリ気絶しないでいられるだけ。
コレが20層以下か……。レベルを上げすぎた末路だ。皮肉すぎて苦笑してしまう。
前線よりもきつい。フィールドの脅威がこれほどの暴威とは……。これではミイラ取りがミイラになる、たどり着く前にへばってしまう。
急いで/震えた指でメニューを展開し、【呼吸器】を取り出した。シュノーケルのような管と浄化フィルターがついているマスク。顔に叩き付けるように装着し、息を整える……。
気持ち悪さが引いた。指先にも神経が通い始めるとヨロヨロ、仕方なしに圏内に戻った/今は戻るしかない。……戻ると幾分か負担が緩和された。
【呼吸器】は最終手段だった。備えとして一応いつも用意していたが、長期滞在や戦闘を想定したものではない、迷い込んでしまった時の緊急脱出のためのモノだった。シュミットの分はもちろんのこと 自分の分すら足りない。買い足すにしても、ここ【ラーベルグ】では売っていない。【はじまりの街】には置いてあるが、【軍】の管轄下にある商人の手の中だ。
【吸魂の灰晶石】によるレベルドレインはできる。だが、犯人と対峙した時を考えれば、今のままのレベルでなければ逮捕できない、あの超重量のシュミットを動かすのも無理だ。道行だけドレインでやり過ごすのはアリだが、直前で戻せばどうしても目立ってしまう。
かと言って、このままでは圏外を移動できない……。悩まされると、目の端に映った。どのフロアの主街区にある、境界近くか【半圏内】にある店。
【騎獣屋】―――。いわゆるタクシー。フロア中を高速で移動することができる乗り物をレンタルしてくれる。
大抵は馬だ。ソレを標準にすると、他にはガチョウ型/長距離も短距離も瞬足だけど積載量がわずか、大犬型/短距離は瞬足で積載量もあるが長距離は苦手、象型/積載量は最も大きいが鈍足、がある。この【ラーベルグ】にあるのは、馬だけだ。
【騎乗】を鍛えていれば、どんな騎獣でも乗りこなしかつ最大のポテンシャルをひきだせる。モンスターに攻撃されても/一度降りても、振り落とされることはなく/店に帰ってしまうこともなく待ってくれる。しかし、残念なことにオレは鍛えていない。欲しかったが、鍛えるのには金がかかるので致し方なかった。騎獣を買い揃えたり一から育てたりなど、前線で頑張ってるソロには難しすぎる。
なので、店子に大枚を渡し、従順な馬を見繕ってもらった。
一番上等な馬をレンタルすると、その背に乗った。格好よく飛び乗れたらよかったが、よじ登るようなぎこちなさ。だが、未熟な乗り手に苛立たれることはなかった。……注文通りの従順な馬だ。
鞍にまたがると、すぐに走らせた。
発進するとグン―――と、上体がそらされた。そのまま通りを走り抜けながら、徐々に加速していく。
オレの全力疾走より少し遅いぐらいの早さ。だけど、馬にとってはソレが通常。ムチを使えば/轡を通して命令を送ればさらに加速する、倍は早くさせられるはずだ。
再び圏内を抜けると、また気持ち悪さがやってきた。吐きたくてたまらない……。急いで【呼吸器】を付け直した。
下層病は馬にまでは伝染せず。そのまま走り続けていく―――
主街区から馬を急がせ続けたのは、小さな丘の上だった。膝ほどの草が生い茂っている草原の中、一本の捻くれた樹が伸びている。
コレといった特徴のないロケーションだ。何かのクエストがあるわけでもなし、重要な通過点/目標点でもなし。NPCと遭遇できるわけでも、モンスターの狩場でもない。ただ、気持ちの良い風がソヨソヨと吹く/昼日中では明るい日差しも降り注ぐ、圏外でなければ絶好の昼寝ポイントなれど、どこか寂しさも感じさせる場所だ。
発信機の場所を地図で見た時、なぜココだったのか、首を傾げた。『盗賊村』でも迷宮区でもよかったはず、犯人の意図が読めなかった。
でも、樹の根元にあるモノを見て、繋がった。ここでなければならなかった理由が、この事件の元凶が全て、そこにあった。
ソレから目を逸らし続けてきたであろうシュミットは、今、固く縫いつけられてしまっていた。
「―――あぅ……うぅっ!? が……があぁぁッ!」
樹の根元にひっそりと建てられていた小さな石碑。そこにシュミットは、あの【罪の茨】に喉を貫かれながら/血をまき散らしながら、悶え苦しんでいた。
あまりの光景に茫然と立ち竦んでしまった。
オレの姿が目に映ってか、シュミットの助けを呼ぶような絶叫に目を覚まされた。
「ッ!? シュミット―――」
馬から降りると、急いで近づいた。
喉を貫かれていたので助けを呼べない。おまけに下層病だ。己の体と何より装備が重すぎて動けない、指先すら動かせないからメニューも開けなかったのだろう。さらに【出血】もひどい。あの短槍ではどれだけの使い手であっても、固くて重いシュミットにはそこそこもダメージを与えられない。防御力が少ない/【出血】を狙える首だからこそ、ダメージは半減域を越えて減少を続けていた。……シュミットは、オレが間に合ったことに心底の安堵を見せていた。
ひどいありさまに眉をひそめた。えげつない拷問だ。殺しだけでは飽き足らない異常者の仕業だ……。しかし、目をそらさずに看た。
【貫通継続ダメージ】をなくすためには、すぐに抜き取る必要がある。少々痛かろうが、他人のオレがやれば簡単に取れるはず。しかし、首を貫かれた不運、今無理に取ってしまえば【大量出血】で大ダメージだ。現在のHPだと危ない。シュミットもソレはわかっているだろうが、声を上げられない状態、息も苦しそうに血泡を吹いている有様から【酸欠】に陥っているのかもしれない。……知らずに/慌てて抜いてしまえば、逆に殺してしまう最悪な罠。
なのでまず、HPの回復だ。喉がやられているので、ポーションや丸薬を飲ませることはできない。振りかけるだけでは【継続ダメージ】と【出血】の相殺程度の回復量/速度なので、別の手段しかない。
「……シュミット、まずはHPを全回復させる。取るのはそれからだ」
意識も朦朧と怯える彼を安心させると、腰のポシェットから【回復結晶】を取り出そうとした。これで一気に全回復させれば、安全に抜き取れる……
寸前、【索敵】が警告を鳴らした。背後の草むらから投擲物―――
避けようとするも、位置取りが最悪だった。躱せばシュミットに当たる、当たれば止めになってしまう。……よけさせない為の二段構えか。
かと言って、叩き落とすには集中が足りない。瞬時に、剣を抜き放ちながら背後から飛んでくるモノを叩き落とすなど、極めていない。
なので―――ズシュり、そのまま受けるしかなかった。
背中に刺さった、鋭い痛みが走る……。
せめて背中の鎧部分に当てたものの、相手の技量と武器も良かったのだろう/軽快さを求めた革製の鎧だったのもまずかった、体まで突き破られた。
痛みをグッと堪えた。そしてすぐに、反撃とばかりに振り返った。同時に背中の愛剣を抜く、方向はわかっているので一気に踏み込める、叩き伏せるだけだ。
しかし―――ガクン、いきなり膝から力が抜けた。腕も固まり、全身が痺れていく……。
そのまま、膝立ちのまま動けなくなった。持っていた結晶もポロリ……落としてしまった。
(【麻痺毒】が塗られていたのか……)
ソレもかなり高レベルの毒だ。二弾ではなく三弾構えだったことに歯噛みしていると、
『―――ワン、ダ~ウン♪』
飛びかかろうとした先から、急襲者の楽しげな声が聞こえてきた。
睨みつけていると、敵の姿も見えた。昨日【マーテン】の教会で見た犯人と酷似した姿。【隠蔽】と偽装用装備で潜伏していたのだろうが、オレがこうなってはもう隠す必要がないと現れたのだろう。近づいて来る。
『まさか『遠征部隊』のリーダー様だけじゃなく、あの『黒の剣士』まで釣れるなんてなぁ♪』
上々上々……。愉快げな声音は、よく聞き知った/耳に焼き付かせておいたモノ。いずれは【監獄】以上の『冥府』につなぎ止めなければならない、最重要指名手配のレッドプレイヤーの一人だ。……少々くぐもって聞こえるのは、オレと同じように何らかのマスクを装着しているからだろう。
「……『ジョニー・ブラック』。お前が犯人だったのか?」
『犯人? ……ああ、そういうこと!
うん、そいつを仕掛けたのはボクちゃんだよん♪』
『ジョニー・ブラック』―――。このゲームに蔓延るレッドギルドを束ねる頭目の一人。彼の号令の下/本人手づからによっても、既に確認されているだけでも三桁の死者がいる。ただ当の本人は、そんな大悪党とは思えないほど、無邪気かつ享楽的なガキんちょな雰囲気しかない。普段は被っている汚れたズタ袋がないと、いっそうわからない。
「バカ言うな! お前みたいな低脳が、こんな面倒ごと仕掛けられるわけ無いだろうが。……黒幕は【Poh】だな」
『失礼なこと言うなよ、ゴキブリ野郎♪ ヘッドがこの程度なわけないだろう?』
煽ってみても肩をすくめていなされた。……わかってやっているのか本心からか、それすら読めない、フードとマスクらしきモノに隠されていっそう。
「それじゃ、何でお前が関わってるんだ? 」
『とある顧客から依頼されたんだ。もう一度、あなた様方のお力を貸してくださいってさ。
ヘッドは他にやることあって忙しいからって断ったんだけど、ボクは面白そうだと思ってね。手を貸してあげたわけ♪』
ただのアドバイザー、あるいは裏方でしかない……。それならもっと、影に徹すれば/舞台に上がるなどしなければいいはず。こうやって証拠を残してしまうことなどなかった、オレに接敵されるなんて不始末も。……【Poh】が黒幕ではない裏は取れた。
まだ【麻痺】は取れない、シュミットのHPも危ない。早々にジョニーを片付けなければならない。少なくとも、撤退させるぐらいの威嚇を……。
「それじゃ、ラッキーだったな。シュミットだけじゃなく、オレもついでに殺れるかもしれないんだからな。……こんな状況じゃなきゃ、返り討ちでしかないからな」
『確かに、君も釣れたのはラッキーだったけど……悪いね、コレ以上は近づいてあげないよ♪』
ギリギリ、オレの間合いの外で近づくのをやめた。
クソッ、読まれてたか……。胸の内で舌打ちした。
【麻痺】しているとはいえ、鎧通しされての直接に毒を刺し込まれたわけじゃない。若干動きが阻害されている程度の【麻痺】でしかない。集中すれば抜刀からの斬りかかりはできる、簡単なモノならソードスキルも使えるだろう。ただし、【加速】などの手を加えれば失敗してしまう、武器も【取りこぼし】/【転倒】までしてしまうはず。
焦りを隠しながら次の手を考えていると、ジョニーがシュミットに話しかけてきた。
『【シュミット】さんだったけ? いい表情するねぇ~、ゾクゾクするよ。保存しておいて繰り返し見てあけたいぐらいだよ♪ ……紛い物には絶対真似できない、真実がにじみ出てる』
ぞわりと、怖気が走った。隠れて見えないはずなのに、シュミットに向けられた陶酔の眼差しが観えた。必死で生きようともがき苦しんでいる姿を/赤くなり始めたHPバーに絶望している有様を、心底からウットリと眺めている……。確かに奴には、頭目の一人にたるネジの外れ具合があった。
言葉を失っていたオレに向き直り、その気色悪い眼差しを浴びせてきた。
『でも―――君の表情は頂けないね。よくないよぉ、そんな反抗的なお目めは』
含まれた蔑視と猜疑に、揺らがされていた正気を取り戻せた。
ついでに、起死回生の手も飛び込んできた。ジョニーには/オレにしか見えない網膜ディスプレイに、相棒からのメッセージの受信通知が映った。
来てくれたか―――。ギリギリセーフだ。ジョニーに気づかれないよう、顔を必死に作った。
「仕方ないだろうが。こんな三流演出家の三文芝居みせつけられたんじゃ、あくびを噛み殺すのに必死だよ。しかも、本人は一流なんだって錯覚してるとあっちゃな」
『余裕ぶっこける暇なんてあるの? あと少しでシュミットさん見殺しにしちゃうのに……。
あッ! それとも君、本当にボクらと同じ人種なのかなぁ♪』
嗤い声に、先とは違う怖気が走った。奥底をえぐり出そうとするかのような触手、いや、本人は友好の握手のつもりか……。
全くもっての見当違いだ。
「おいおい、冗談でも笑えないぞ。ついに頭の中に虫でも沸いたか?
人でなしの欠陥品のくせに、『人種』なんて分を弁えろよ。二足歩行できるからって自惚れんな!」
純粋な腹立ちとともに放った罵倒は、しかし、突こうとしたのとは別のツボを突いてしまったらしい。
一瞬だけ目を見張られると、大口を開けて笑われた。
『アハッハッハッハ! 面白いね、こういうのが負け犬の遠吠えっていうのかな?
それじゃさ、今その二足歩行すらできない君は、一体何者なんだい♪』
「なぁに、今はちょっと休憩中だよ。すぐに這い蹲らせてやるから、首洗って待ってろ」
『いいねいいねぇ♪ そこまで虚勢見せてくれると、尊敬しちゃいそうだよ。ボクが女の子だったら惚れてたかもね! さすがビーター様だ♪』
あまりの噛み合わなさに頭が痛くなってきた。このような処刑をしているとは思えない、純粋無垢で楽しげ、まるでお遊び感覚だ……。すぐに覆せなければ、発狂しそうだ。
さらならメッセージの通知が、網膜に映った。ジョニーに気づかれぬよううつむき加減で内容を確認し―――顔を上げた。
【索敵】でソレらを確認するとニヤリ、笑みを浮かべた。
「わかってないようだから教えてやろう。
この手のバカ話を偉そうに聞いてる悪党はな、大概が返り討ちに遭うんだよ」
次が無いのはお前だ―――。オレの渾身の捨て台詞に今度こそ、ジョニーは目を丸くした。
そしてすぐに、鋭く尖らせた。その悪意の塊でできた嗅覚で察したのだろう、【索敵】で警戒を最大限に高めた/危険な何かを探り出そうとする。
だけど……遅すぎた。
「―――行け、【シリウス】!」
第三者の号令とともに放たれたのは、漆黒の闇を纏った狂犬。遠間の草むらから飛び出し、ジョニーまで一直線に疾走―――
瞬時に気づいたジョニーは、迎撃しようと振り返った。何処からかダガーが魔法のように抜き出され、両手に握られていた。……ジョニーでなければ、賞賛したくなるほどの凄まじい対応速度だ。これではどんな相手であろうと奇襲は不可能だっただろう。
しかし、黒犬の方が早かった。
弾丸のように飛びついてくると、ジョニーの喉元に食らいついた。
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長々とご視聴、ありがとうございました。
ジョニーの性格は、原作と違っております。【Poh】以外の悪党にも華を持たせたいとの勝手な考えからです、ご容赦の程を。
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