偽者のキセキ   作:ツルギ剣

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前に書いたモノを、大幅にリメイクしたものです。


断層/空中回廊 転機

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 城の外壁から拾われた後、その当時の僕のレベルでは、少々心もとないと思われる深い森ダンジョンの入口。そこで、僕を拾った彼女/【ホープ】を待っていた。

 

 

 

 ―――私が戻ってくるまでに、暗記しろ

 

 と、投げ渡された立体ホログラム地図=《ミラージュスフィア》を見つめながら、かれこれ数時間は待ちぼうけを食らっていた。

 それだけ待たされると、体を動かしたくなる/剣でも振りたくなる。危険かもしれないが、ここでポップするモンスターを狩ろうと考え始めた―――。

 その矢先、突然、何もないはずの空間からゾロゾロと、プレイヤーが転移してきた。

 

 その時はまだ、《回廊結晶》=任意の場所に転移ポータルを作れる《転移結晶》なんて激レアアイテムのことは、知らなかった。

 システムの異常か、この世界には無いはずの魔法を使ったのかと、思わず腰を抜かしそうになった。……幸いなことに、そうはならなかったけど。

 

 警戒しながら、現れたプレイヤー達を見つめた。

 軽装・重装備、武器も装飾品も各々それぞれ、違っている。ギルドならばあるはずの統一感がない。けど、その雰囲気と顔つきだけはみな一様だった。……一様に静かに鋭く、黒く澱んだ空気を纏っているかのよう。

 

 現れたプレイヤーたちは、僕のことを一瞥するも……何も言わず。無視してきた。

 高度な《鑑定》スキルか、幾つもの装備を見て覚えていたわけでもないけど、現れた彼らが高レベルのプレイヤーだということは肌でわかった。僕らがいた中層域で屯していたプレイヤーとは、一線を画している。鋭さやら重さなどの「何か」を身に帯びていたからだ。

 その時の僕からすれば、鼻につく余裕か傲慢。それを当然のものと、腹の底にまで落とし込んだ腹の据わりように見えた。……僕では到底、たどり着けない境地だと。

 

 何人か現れ続けた後、3人の塊が一気に出現した。

 真ん中の一人は、両手を後ろに組まされながらの、首と胴体を金属製の鎖で束縛されている《バインド》状態。そんな囚人のような格好の一人を囲み/護送するかのように、現れれてきた。

 そして最後に―――ホープが帰ってきた。

 

 

 

 

 帰ってきた彼女は、初めて会った時と同じような、ボロボロの黒のポンチョを身につけていた。フードを目深に被って、顔を半ば隠しながら。―――プレイヤー皆が恐れている、殺人集団の首魁/《Poh》の格好を。

 だけど、中身は……女性だ。

 

 歩くたびに、ひらひらと揺れるポンチョとフードによって、顔の下半分しか見えない。そこだけだと、ゾッとするような美青年=《Poh》のイメージそのもので、通せるだろう。けど、すでに中の実態を知っている僕からすれば、もう女性以外に見えない。

 隠しようがなく、そもそも隠す気がないとしか思えない。

 形の良い卵型の輪郭と抜けるような白磁の肌、何より柔らかそうな頬と唇は……男の持ち物じゃない。改めてよく見れば、手の有り様も違う。男性的な、節くれだち強ばってもいない。生まれてこの方、ペン以外に重たいものなど持ったことの無いような、ご令嬢のモノだ。

 ただ、それでも構わないのだろう。

 そもそも《Poh》とは、『冷酷で残虐な殺人鬼、何十人もの殺人者を従える、美貌の青年』という、吸血鬼のようなイメージが広まっている。つまり、中性めいているということだ、もっと言えば人間でも無いとも。

 噂で広まって、実際対峙したプレイヤー/捕まえられた仲間の犯罪者たちですらも、そのように彼女を見てきた。中身がどちらだろうと構わないのだ。魔的なカリスマ性を醸し出していれば、彼らにとって彼女は、《Poh》でありそうとしか見えない。……そういうことなのだろう。

 

 

 

「―――『走れメロス』は、知ってるよな? 太宰治が書いた小説で、未だ国語の教科書にも載ってる名作だ」

 

 部下たちが自然と左右に退ける中を、当然のごとく近づいてくると、突然告げてきた。女性にしては少し低めのハスキーな声音、男性にしては少し高めで通りの良い声。……先に崖際で聞いた声音が、若干変声されている。

 

 突然過ぎて、何を言いたいのか頭が真っ白に。なので、疑う暇もなく/威圧されるがままただ、コクリと頷いた。

 それを了承と取ったのだろう。続けて、

 

「いまからお前は、そのメロスになる。親友の命を担保に、最後にやりたいことをやり、期日までに戻ってくる。……ただし、やつよりも厳しい条件のもとで、ソレを達成しなければならない」

 

 またわけのわからない説明に、僕はただ、ぽかーんと聞いているだけ。事の重大さを、その時はまだ、理解/実感できていなかった。

 コレが、これから始まる/強制参加させられる『ゲーム』の、()()()()()()()だとは。

 

「これからお前は、俺の指示を()()は無視していい。3回までなら、コイツの命は保証しよう。だが……()()()はない」

 

 後ろ手で、捕縛されている男を指すと、捉えていた部下たちが目立つように前へひったたてきた。

 

 現状についてこれないがらも/だからこそか、的外れだろう違和感が沸いてきた、彼女が使っている『俺』という一人称に。口調も、ガサツなものに変わっていた。

 おそらく、今の彼女/《Poh》は演技なのだろう。架空のキャラクタをロールしている。それを部下たちの前で糾弾すれば、彼女の正体が仲間たちにバレるはず。今までいいように翻弄してくれた分、一泡吹かせてやれるかもしれないが、残念ながらそこまで気を回せなかった。……正直に言うと、ビビっていた。

 

 直接的な敵意や害意といったものは、ない。あるいは控えている。のだが、周囲のレッドプレイヤー達が僕を見る目は―――肉食獣のそれだっだ。

 食える獲物なのかどうか、どこが一番うまいのか吟味している、捕食者/狂犬の群れ。飼い主から「待て」を命じられているため、離れた場所でじっとしている。たが、それが解かれたら容赦なく食いついてくるのは、肌で感じられた。……そうなったら逃げられない。ボロボロになるまで弄ばれて、捨てられるだけ。

 一度は命を捨てた身。大切な仲間も、もういない。生きる意義の全てがない。だから、何も怖いものなどないと思っていた。けど……それは勘違いだった。向けられる数多の悪意の中、ただひとり立たされるだけで、いまにも倒れそうだった。

 直感した/せざるを得ない。僕は―――()()()()()()()()、なのだと。

 

「信じられないというのなら、それもそれでいいだろう。早々に4回ミスを犯せ。そうすれば、こいつもお前も両方とも、くたばるだけだ」

 

 くたばる/死ぬ―――。その言葉に、息を呑まされた。背筋に冷たいものが走る。

 はんば麻痺している頭では、全てを飲み込めていなかった。けど、「死」を連想させる言葉に背筋が凍らされた。それだけは本当のことだと、直感させられる。

 周囲にいる部下達の誰かが言ったのなら、ハッタリか脅しだと、疑ったことだろう。最終的にそのような結末になるかもしれないが、目的はあくまでその過程にある。身の安全か金か、自分の欲求を満たすことに。

 今まではこういった思考は、思い浮かびもしなかった。崖から飛び降りてから、頭のどこかの回路がおかしくなったのだろうか。そんな、薄汚ない考えが止めどなく/嫌でも流れ込んでくる。……それがあるため、大抵の相手の言葉には、無関心を気取れる自信があった。

 だけど―――彼女は違った。別格だった。僕が偶然手に入れたこの思考は、すでに通り越した境地にいるのだと。……彼女の言葉は『決定』であり、コレは『死の宣告』だ。

 そして同時に、思った/思わされる。暗に伝えているようだった。―――【キリト】がいる場所もまた、そこなのだと。

 

「助けは、期待しないほうがいいぞ。

 今、この瞬間から『ゲーム』終了・撤収までの30分間、このエリア全域は俺が()()している。情報的にも物理的にも全てを、だ。お前がこれから行かなくてはいけない道には、お前以外誰もいない。……こいつの命は、お前以外の誰にも救えない」

「へ、ヘッド!? ま、待ってくださいよッ!」

 

 捕縛されていた男が、もう耐え切れないと、慌てて割り込んできた。

 男が口を開いことで、場が一瞬で―――凍りついた。じろりと、冷たい注目が男に浴びされる。

 ごくり……と、男が唾を飲まされる音が、僕の耳にまで聞こえた。

 

「……これ、冗談ですよね? いつものドッキリとか……なんでしょ? 他の奴らもグルで、マジ顔してるだけですよね?」

 

 窒息させるような沈黙を破るように、男はこわばった笑みを浮かべた。そして、おどけながら続ける。

 

「はいはい、わかってますわかってますよぉーだ♪ これでも付き合い長いですからね、いい加減ヘッドの気まぐれには慣れましたよぉ、と。

 ほんと、趣味悪いですよぉ? 今回はちょぉっと大掛かりすぎて、ビビりましたけど! 相変わらずやることなすことデカイですよねぇ。さすがヘッドだ、まじパネェよ! ……でもでも、なぁんたってこんな面倒なことを―――」

「―――俺、お前のそういう能天気なところが、大好き()()()ぜ」

 

 まくし立てる男を中断させるように、優しげに/親しげにホープは告げた。ほほえみを浮かべながら、過去形で。

 男はそれだけで……黙らされた。呼吸まで止められそうに、青ざめた。

 そして、理解した。自分の現状とこれから何が起きるのかを、理解させられた。

 

「……俺も、できればこんなことはしたくなかった。お前はムードメイカーで、いつもハイテンションで楽しませてくれた、いなくなると寂しくなる。お前らもそうだろ?」

 

 ホープの問いかけに部下たちは、直立したまま/静かなまま、小さく頷くこともせず。あるいはできず、ただ漂う暗い空気の一部に溶けているのみ。

 返ってこない答え、しかし気にせず。目元は笑わぬ笑顔のまま、ホープは続けた。

 

「でもな。お前はミスを犯したんだ。どうしようもなく、取り返しのつかない痛恨のミスだ」

「み、ミスを……? 俺が?」

「ああ、そうだよ。

 大抵のことは好き勝手やらせてるし、目だってつぶってやってる。ギルドの金をネコババしようが、その金で《軍》に取り入ろうが、女を見繕ってもらって下っ端数人とお楽しみしようが、だ。アホでも出来る仕事をキッチリこなしてくれれば、俺には何の文句もない。……そんなことしか、お前には頼んではいなかったはずだよな?」

「え……あ! も、もしかして……あのことを言ってるんですね!?

 そ、それだったらちゃんと、指定された場所に誘導したじゃないですか!?」

「ところがだ。一人だけ、生き延びちまった奴がいた。……正確には、二人だったかな?

 俺は確か、『《シルバーフラグス》のメンバー全員を、指定の場所まで誘導しろ』と命じたはずだ―――」

 

 懐かしいギルド名を聞いて、ぎくりとした。

 

 ギルド《シルバーフラグス》___。

 僕ら《月夜の黒猫団》と同じ、中層域で活動していた小規模ギルドだ。リアルでも知り合い同士のメンバーで構成されているギルド、という点でも同じだ。

 僕らとは、何回か交流があった。同じように、学校のコンピューター研究サークルの一員でもあって、出会って早々に意気投合した。……特に【サチ】は、そこの同性のプレイヤーと仲が良かった。

 彼らとはよく、アイテムのトレードや情報交換をしてきた。けど本音は、互いに生きているかどうかの確認をとっていた、だけなのかもしれない。仲がいいとはいえ別のギルド、競争相手でもあるため、離れて暮らすのが互のためだとの暗黙の判断だ。

 だけど、あるときからパッタリと……連絡が取れなくなった。

 《メッセージ》にも返信がない。彼らのギルドホームに出向いても、誰もいない。嫌な予感がして、第一階層の【生命の碑】を確認すると……予感は的中してしまった。

 彼ら全員の名前に、『死』のヨコ線が引かれていた。

 

 悲しいとは思った、どうにかできなかったものかと、後悔もした。でもそれが、ここの現実なんだと思い直し、それ以上は考えないようにした。

 彼らの死は僕らにとって、『このままではいけない』という危機感をもたらし/植え付けてきた。もっと強く、本気で『攻略組』を目指そうと、意識転換をする契機になった。……そして同時に、サチとのすれ違いが始まった瞬間でも、あったのだろう。

 今思い返せば、彼女が戦いを異様に怖がっていたのは、《シルバーフラグス》のメンバーの一人である女子の/身近な人間の死だった。中層域でいると気づきづらい、この世界は遊びではなく、現実と変わらないデス・ゲームなのだと。それを改めて突きつけられた時から、僕はサチの気持ちを理解してあげられなくなった。いや……僕自身が、ソレを受け入れるのに必死だった。

 

 今《シルバーフラグス》の名前を、こんな場所で/こんな奴らの口から聞いて、怒りでも湧いてくるのかと思った。

 けど……何も感じなかった。

 チクリと、胸に痛みが走ったようにも感じたが、それだけだ。何かの、強い感情/衝動をおこしてくれることは、なかった。

 我ながら、すごく冷たいとは思う。こんなにも無関心でいられる関係では、決してなかったはず。けど、今の僕にとっての彼らはそんな、名前だけの存在に成り果てていた。

 

「―――そいつは、お前のお気楽な脳みそでもできるような、ゴクゴク簡単な作業だったはずだ。手順もやり方も、丁寧に教えてやった」

 

 ため息まじり、ヤレヤレと肩をすくめながら。費やした労力と時間が無駄になったことを嘆く……フリをした。

 全くの他人である僕にでも、伝わって来る。そんなことは、ことの始めからどうでもよかったと、限りなく他人事として/無関心に見返している、と。

 しかし男には、伝わっていなかった。いや……そうじゃない。共感したいのに一人だけ省かれている。彼女の無関心の中に一人、自分だけがいると、言い訳をまくし立ててきた。

 

「そ、そいつらは……あとで始末しようとしたんだッ! バカなことにさ、途中で簡単なトラップに引っかかりやがったんですよ! それで急に、仲間と二手に分かれて行動しはじめたんです。

 その時どうするか、めっっちゃ悩んだんですが……。俺隠れてましたし、その時出ていって仕掛けると、ヘッドが立てた計画がご破産になっちまういそうで、見過ごすしかなかったんですよ。だからそいつらは、他の奴に《麻痺》させて運ばせることにしたんです」

 

 悪いのは、そいつらです! 俺じゃない―――。そう言い切ろうとする、寸前、

 

「安心しろ、そいつらはもう()()()()()()。残っているのはお前だけだ」

「………………へ?」

「正確には、まだ骨ぐらいは残ってるかもしれんがな。……どうなんだ、【リオン】?」

 

 そう言うと、後ろに控えていた巨漢に振り返った。

 

 他のプレイヤーと比べても一回り大きい、巨人のように感じる。一応は、プレイヤーの/人間の範疇に収まっている体格、ではあるが、どっしりと構えてる重みと装備や服装の上からでもにじみ出ている筋肉が、さらに一回り大きく見せていた。

 《筋力値》と《体力》にレベルアップのステータス上昇ポイントを多く振っている、脳筋プレイヤー特有のガタイの良さ。その中でも、かなり多く振っているのか、あるいはリアルでもかなりのマッチョだったのか。アメコミのヒーローもかくやというガタイ/衣服の窮屈さだ。首周りなど厚すぎて、それだけで《断頭》を防げそうなほど。

 金属製の装備は、装飾品と腰・脇のホルスターに収まっている短剣以外付けておらず。毛皮製の手甲と脚甲をキツく巻きつけて、胸当てと膝が隠れるほどの腰巻の軽装、加えて猛禽の羽を折り重ねて作ったかのような外套を羽織っている。蛮族系Modの親玉といった風格を醸し出していた。

 錆びた金色の肩まで伸びた蓬髪は、ライオンの鬣とでもいう威容。周りを見渡す赤い瞳は、ただそこにあるだけで睥睨されるかのように重みと鋭さがある。ここにいる彼らを格付けすると、間違いなくホープの次は彼だ。巨体のモンスターと初めて相対した時の畏れ/絶望感を、叩きつけてくる。

 

「確か、お前の持論だと、ゲス野郎ほどうまいらしいんだが……腹もたれたりはしなかったか?」

『一度に3人はきつかったが、ああいう奴らは痛みにすぐ屈服する。そいつを与えた俺にも、な。だからもう、()()した。……頭だけでも、残しといたほうが良かったか?』

 

 その口から出てきたのは、予想通り、ただ喋るだけで足元を揺るがしてくるような重低音。しかし……妙な違和感もあった。とても外見と符号しているのに、何かがズレているような奇妙な声。

 ただその時、その違和感を掘り下げることはできなかった。何気なしに交わされた二人の会話が、あまりにも()()だったから、何を言っているのか理解できなかった/することを拒絶していた。

 

「いや、お前の()()()の方が大事だよ。それに……あの程度のことも出来ないような奴らは、いらない」

 

 最後の一言は、あの巨漢の圧迫感を越えてゾクリと、ナイフを突きつけられたような冷たさがあった。周囲にいる部下たちの強張りが、肌で伝わってきた。

 

 周囲のプレイヤー達の殆どは、頭上のカーソルを黄色かオレンジに変えている、犯罪者たちだ。まだグリーンの者もいたが、本当の意味で『グリーン』であるとは思えない。何らか犯罪に関わっていることは、確かなはず。

 ソレは『強さ』の証にはならない。が、少なくともそうでないプレイヤーたちよりか/倫理観の枷が外れた分は、肝が据わってくるのではないかと思う。そんな彼らでも、ビビる相手。ビビらせるに足る、()()()()()を担っているプレイヤー/【リオン】。

 中でも、拘束されている男の表情は、それとわかるほどの怯えよう/蒼白さ。先ほどの饒舌が嘘のように/今にもショック死してしまいそうなほど、凍りついていた。

 

 リオンから拘束された男に向き直ると、さらにホープは続けた。……衝撃的な事実を。

 

「それと、俺たちの元に渡すつもりだったというのも、嘘だな。【軍】の奴らに引き渡すつもりだったんだろう?

 だから―――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、夢中になってな」

 

 …………頭が一瞬、真っ白になった。

 なん、だって……? 奴は、何を……したと? あのサチの友人に、僕も何度か言葉を交わしたあの女の子に、そんなことを―――

 

 沸騰しそうになる―――寸前、「ちょっと待て!」との疑いを止めた。

 伝聞情報を鵜呑みにするのは、危険だ。ソレで手痛すぎる目にあった、気を引き締めなければならない。

 そんなことがあるはずかない、起こるはずがない。そんな酷いこと、やれる人間がいるわけがない。無いはずだから、だから―――。

 僕の中にあった常識が、全力で彼女の言葉を否定した。

 

 だけど―――拘束されていた男は、違った。

 彼女の言葉を耳にして、今までの硬直が少しだけ解けた。口元にうっすらと笑みが浮かぶほど。まるで、()()()()()()()()()()()()かのように、ソレが、僅かに残っていた彼女との繋がり/同じレッドプレイヤー/生き延びれる縁があったと、()()()()()()かのように。

 

「…………へ、へっへっへっへ! 殺す前にちょぉっと、楽しんだだけですよ♪

 ただ死ぬだけなら、あの女だって可愛いそうでしょ? 最後に、()()()()の一つぐらいさせてやりてぇと、思っただけでさ。そうしねぇと、未練て奴が残っちまいますからね、せっかく女に生まれてきたんですし♪ ……ヘッドだってそういう遊び、好きでしょ?」

「『そういう遊び』が好きなのは、【ジョニー】の方だよ。……もっとも、お前と違って奴は、()()()()楽しみ抜くがな」

 

 彼らの会話が耳に入ってくると、視界が斜めに歪んだ。捻れてねじれて……気持ち悪い、吐き気もしてきた。

 ソレは視界の誤作動、ではなかった。はたまた、このアバターに搭載されていないはずの内蔵の不具合、でもなかった。自分の体がよろめきそうになったために、引き起こされたものだった。そのままその場に倒れそうになったが、なんとか持ちこたえる。

 だけど……猛烈な吐き気が、喉元までせり上がっていた。たまらず、手で押さえつけた。

 『ここ』は、今まで僕が居た場所/ぬるま湯とは、かけ離れた場所である。そしてココこそ、これからの僕の居場所だとも。……その事実を、叩きつけられた瞬間だった。

 ()()()()()を、互いに平然と笑いながら話し合える。そんな奴らの場所に、僕は、立ってしまったんだ……。

 

 吐き気をこらえていると、ホープは続けた。……拘束した男に、親しみの笑みを向けながら。

 

「アジトに連れ込んでからやったはいいが、気持ちよくなって寝ちまった。安心しちまったんだよなぁ。だからそのスキに、鍵を盗まれた。

 ……バカ丸出しだな。それで逃げられるともなれば、なおさら」

「で、ですがっ! その後すぐ気づいて、ちゃんと―――」

「捕まえ直した。

 そりゃそうだよな、女には()()()()()()()がたっぷりついてるんだから、どこに隠れたって無駄だ」

「そ……そうです! そうなんですよぉ♪ 

 確かに、気づいたときは『やべぇ』と慌てたんですが、ソレに気づけましてね。すぐに捕まえられたんですよぉ♪ ……全く、馬鹿な奴らで助かりまし―――」

「けど、女だけだった。男の方は捕まえられなかった。

 その女を人質にとって、男をどうにかおびき出そうとした。が……そのまま行方知れずだ」

「そ、そいつは……。だからせめて、女だけでもと―――」

「男は捉えられず、今まで黙って放置してきた。俺に報告も上げやしない。

 まぁ、当然といえば当然だな、お前たちにとって重要なのは、女だけだった。始めから()()()()()が目的だった。軍の『豚将軍』様の【NPC生化装置(ゴーストダビング)】には、必要ことだからな」

 

 これ以上、言わなきゃいけないことはあるか? ―――ホープの締めくくりに男は、目が飛び出るほど、絶句した。

 なんで、そんなことまで知っている―――。男の瞠目が告げる恐怖にホープは、嗤うのみ。―――どうして、この俺が、知らないと思ったんだい? 

 

 顔面蒼白。血の気が0になると……男は、ようやく悟った。

 見透かされていた。全て、手のひらの上だった。何もかも知った上で、見過ごされてきた。……出し抜けると、舐めてしまった。

 それでもまだ、一縷の希望にすがって……搾りだした。

 

「あ……あ、あんな腰抜け野郎一人、逃げたって……。何の問題も、ない……でしょう?」

「ところがどっこい! 逃げたそいつは、厄介な奴を引っ張り込んできた。―――攻略組の《黒の剣士》、あのビーターをな」

 

 その名前が聞こえると、初めて、僕は―――観客であることをやめた。

 驚き同時に、怒りが沸き起こった。今までのことなどどうでもいいと思える程の、燻り続けていたマグマにガソリンを投下したかのように。ただその名を聞いただけで、沸き起こってきた。

 そして、その怒りは、先ほどまで耐えていた吐き気すら、どこかに吹き飛ばしてしまった。コレは、悪魔達のおぞましい饗宴ではなく、僕の/()の復讐の序章だと。

 

「あいつがやってくるとなると、少しばかり考えを修正しなくちゃならない。【タイタンズハンド】の人事を、少し変えないといけなくなった。……ギルドリーダーは、【ロザリア】に任せることにした」

「なッ!? 

 あ……あのクソビッチに―――」

 

 言い切る直前ホープが、音もなく男の目前に迫っていた。

 そして―――

 

「そうだよ【ジャック】。お前は落第だ―――」

 

 耳元でそう、吹き込むように告げると、いつの間にか手に持った短剣で―――プスり、脇腹を刺した。

 すると―――男のアバターの輪郭が、一瞬だけブレた。そして直後、糸を切られた人形のように……その場に崩れ落ちた。

 

 《麻痺》___。

 男の頭上に浮かんでいるHPバーに、その致命的な状態異常の印が、ついていた。

 

 

 

 自分では身動きが取れなくなった男を、両側に立っていたプレイヤーたちが倒れる前に抱えた。

 拘束された男は、信じられないと言わんばかりに目を見開いて、ホープを見上げた。……懇願するかのように。

 しかし、男の願いを断罪するように/裁判官のように、あるいは神様の託宣を告げる預言者のように、宣告した。

 

「―――お前の命は、あと6分だ。

 その時が来たらお前は、この城の外に広がっている空に、墜落死する。その後10秒経ったら、現実でお前の脳みそは、電磁波で焼き尽くされる」

 

 告げられた内容は、明確な死の形。これから起きる絶対の予定。

 ゆえに―――

 

「それまで、お前にできることは、たった一つ―――」

 

 チラリと、僕の方に目を向け、指差した。

 

「―――祈れ。

 そうすれば、ここにいる《ケイタ》が、お前を助けてくれるだろう」

 

 

 

 ホープが告げ終わると、男をかかえていた部下の一人が、腰のポーチから結晶アイテムを取り出した。……濃紺色のそれは、《転移結晶》とはまた別の結晶アイテム。

 それをかざすと、何事かをボソリと告げた。

 すると、男を囲んでいた計3人のプレイヤーが細かい光の粒子に包まれ始めた。テレポートに伴う現象―――

 

 それに包まれると男は、先までの金縛りから一転、暴れてどうにか逃げようとする。

 だが、《バインド》と《麻痺》の二重の縛り。すでに体は、骨のないゴムの塊のようなもの、指先すらピクリとも動かせない状態だろう。……暴れようにも、暴れられない。

 なので代わりに、必死の形相で叫んだ。

 

「ま……ま、待って、待って下さいっ!? 待って下さいヘッド。ヘッドォォォぉぉ―――…… 」

 

 男の叫びは虚しく、ワープ現象によって途中で、かき消された。

 

 彼らがワープすると、後には光の粒子の残滓だけが残った。それも数秒後には掻き消え、跡には何も残らない。

 

 

 

 

 

 ホープは、それを確認すると、くるり―――僕と向かい合った。

 満面の笑みを浮かべながら、

 

「―――さぁて♪ お前のスタートは1分後だ。その間に、この『ゲーム』に参加するかどうか決めろ」

 

 先までの犯罪者の首魁然とした威厳はなく、子供のようにウキウキと、軽やかに告げてきた。

 そのあまりの落差に、呆然と、拍子抜けさせられてしまった。

 

「…………強制参加、じゃないのか?」

「? あたりまえだろ。嫌ならやめていいよ」

 

 何を当たり前のこと、言ってるんだ……と、言わんばかりの邪気のなさ。

 真意がまるで分からず、だけど馬鹿にされたかのような気分になると、全てが壮大なハッタリなんじゃないかと思えても来た。……実は、さっきの男は転移先で生きていて、ここから消えた後拘束を解除されて、密かに僕の間抜けっぷりを覗きに戻っているんじゃないか、とも。

 でも……先ほどの会話が全て嘘だとは、到底思えなかった。

 転移が終わったあと、それまで直立していただけの彼女の配下たちが、機敏に動き始めたのも、要因の一つだ。どこかに《転移》したりメニューを開いて連絡を取ったり、森の中にわけ入って姿が見えなくなったりなど。

 

 ウソかホントか、まるで判断がつかない。不思議の国に転移させられてしまった気分だった。

 ただ一つ、頭に叩き込めと言われた《ミラージュスフィア》の情報は、このためだったのかと、理解が降ってきた。

 

 もしこれが、本当に、彼の『処刑』であったとする。

 約6分後には、彼が死ぬ事になるとする。彼女の言うとおり、墜落死することが『決定』しているとする。そして彼女たちは、彼を助ける気など毛頭ない。僕以外には誰も、助けの手を差し伸べられない……とする。

 

(だからといって、やるのか?)

 

 僕は、聖人君子でも超能力を持っているヒーローでもない。映画のような、特殊な訓練を受けたか、修羅場をくぐってきた軍人でもない。

 誰かを/好きな人達を助けようと頑張ったけど、助けられなかった。終いには自分の命すらも捨てようとした、どうしようもない腰抜けだ。起こった悲劇をただただ嘆くだけの、救いようもない弱者だ。

 だからこんな、致命的な未来の情報を教えるのには、全くもってふさわしくない人物だ。

 

(……どうして僕なんだ?)

 

 考えても仕方のないことだけど、考えざるを得なくなる。

 どうして僕に/ふさわしくない僕に、こんな不釣り合いなことをさせるのか? ……わからない。彼女が何を考えているのかわからない。

 何より僕に、そんなこと出来るわけがない。

 

(あんな奴のために、命なんてかけられない) 

 

 彼とホープが語った話は、事実だろう。……確証はないが、そうなんだと理解させられる。

 あの男が浮かべた醜い笑顔は、自虐的でも露悪的ですらなく、自慢げだった。その感情は、僕以外のこの場にいた全員に共有されていた。一般常識や倫理とはかけ離れたレベルの臭気。男はソレを嗅ぎ取ると、ソレを縁に安堵してまでいた。

 

 もし本当に、()()()()()を引き起こしたのだとしたら、僕は彼を許さないだろう。おそらくは誰もが、彼を許さないはずだ。

 僕にはほぼ、関係のない惨劇。ただ、彼がやったことを僕に/《月夜の黒猫団》にもやったとしたならばと考えると、生き残った《シルバーフラグス》の彼の気持ちは痛いほどわかる。……きっと、あの男が何処かで生きている限り、満足に眠ることすらできないことだろう。

 ただ、誠に残念なことではあるが、犠牲者の彼と僕とは赤の他人だ。同じ境遇、同じ中層域のギルド、仲も良かった。が……復讐に手を貸すには、いささかばかり足りない。他人の命がどれだけ重いかは、身にしみてわかっていることだから、安請け合いはできない。

 だから―――

 

(…………毒蛇同士、互いに食い合えばいい)

 

 僕が手をかけずとも、奴は死ぬ。奴の仲間が、奴を切り捨て殺す。……自業自得だ。

 僕が無理して敵をとってやる必要など、どこにもない。

 

(こんなの、やらないのが当然だ―――)

 

 そう思った、矢先だった。

 

 

 

「―――【キリト】なら、やるだろうな」

 

 

 

 ボソリと、つぶやかれただけだったが、僕の耳にははっきりと聞こえた。ソレが頭に響き渡る。

 

 先ほどの葛藤は、それで、すべて無に帰した―――

 

「……どうする? あと20秒だぞ」

 

 誘い込むように、急かしてきた。……僕がどう答えるかなど、熟知していながら。

 

 

 

 僕は―――俺は、黙って頷いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

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長々とご視聴、ありがとうございました。

感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。

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