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鳴り響き続けていた怒号と爆音がやんだ。再び静けさが戻っていく。
ただしアノ、深淵に向かうような悲しみはなかった。ドン底であるのは変わらないけど、そこから徐々にほんの少しづつ、上昇しているのがわかる。元に戻ろうと再生している。
さやさやと、心地の良い風が頬を撫でてきた。くすぐったい/触感がわかる。
うっすらと目を開いてみた。だけどまだ、ぼんやりとしていてよく見えない。発光している靄か霧に包まれているような光景。天使が住んでる世界というものがあったとしたら、まさにこんな場所なのだろう。
死後の世界……。浮かんできた不穏な単語にちょっと不安にさせられていると、朧げながら/微かながら声が聞こえてきた。
“―――こんなこと……前代未聞、ですね”
驚いている女性の声。ありえないと、私を見ながら零していた。
聞いたことがあるとはわかるも、誰かまでは思い出せない。記憶にモヤがかかっているようで上手く取り出せない。
“ほらな! 賭けてみるもんだろ?”
今度は男性の声、先ほどの女性へ向けての言葉。おちゃらけながら煽ってる。
こちらもやはり、わからない。顔かたちは思い出せそうな/喉元までで掛かるほどなのに、名前を一致させられない。
ただ、女性の時は違い、ソレができないことに焦る/悔しく思った。
“……運はいつか、切れてしまうものですよ。特に……調子に乗ってると”
“『使いどころを間違えた場合は』な”
減らず口を……。言葉には出していないが、女性が言わんとしたかった声がわかった。よく見えないがおそらく、男性は小憎たらしそうなしたり顔を浮かべているのだろう。
大きくため息をつくと、真面目な調子に仕切りなおしてきた。
“今回は、私たちが間違えていたようですね”
“そうでもないさ。たぶん―――意外と、『神様』て奴が見ていないようで見てるから、じゃないかな?”
曖昧すぎる答えなれど、女性は納得したようで、だけどさらにため息をこぼした。
“……だったら早々に、現実世界に帰してもらいたいものです”
“全くだ! 悪趣味すぎて反吐が出る”
二人とも、ここにはいない誰かに向かって、愚痴を吐き散らした。
あからさま過ぎて周りを気にしてしまいそうになるも、概ね私も同じ気分だったらしい。おそらく顔には、苦笑が浮かんでいたことだろう。
“次も同じような方法で、できると思いますか?”
“……わからない。
コレを検証なんてできないし、させられない。それに、失敗したら色んな意味で被害甚大だ”
“…………そうですね”
“今、自分で試そうとか考えただろ?”
男性からの釘差しに女性は、知らぬふりをするかのように肩をすくめた。
そんな彼女に呆れるも追求せず、代わりに女性が開き直るように返した。
“私がやらずとも、このことが世に広まれば誰かが……試すはずです”
女性の意見に男性は眉をひそめた。
同時に彼女の意図を察して、確認してきた。
“……ここでのことは秘密にした方がいい、てことか?”
“『彼女』も共にです”
そう言うと、二人の視線が私に集まったような……気がした。
緊張させられていると、男性が溜息混じりにつぶやいた。
“死んだと、偽装しなきゃならない……か”
“名前も容姿も、変えなければなりませんね、別人になれるほどに。
【偽造】と【整形】を使えたり……しませんよね?”
“使える奴には、心当たりがあるけど……厄介なタレ込み屋がいる。そいつの口止めしないと”
“お金でしたら問題なく。言い値の十倍は払ってみせます。いっそ【連合】に雇い入れてもいいですよ”
“……さすが、大ギルド様は懐も面の皮も分厚い”
“面の皮はよけいです。
それだけの重大事ですから。金にいとめなどつけてられません。それにもう……【軍】の不始末に翻弄されるのは、ウンザリですから”
ポロリとこぼした本音にニヤリと、男性が笑みを浮かべたように見えた。
女性もソレに気づいたのか、モジモジと居心地悪そうにしている。
そんな彼女へ男性は、居住まいを正すと、微笑みとともに感謝してきた。
“―――ありがとな、アリス。お前のおかげでオレ……守りきれた”
アリス……。ようやく、女性が誰であったのかがわかった/一致した。
同時に、意識が途絶えていたまでの間で私に何が起こったのかも、思い出されていく。男性が彼女に感謝を捧げるようなこと―――。
“………………ズルい人”
小さな/男性には聞こえないような声で、こぼした。
ソレに気づかれる/確かめられる前にアリスは、いつものような厳しげな顔つきに戻して向き直った。
“次からのボス攻略はちゃんと、参戦してくださいよ”
“ああ、必ずな―――と、いきたいんだが……。少し頼みがあるんだ”
聞いてくれるよな……。イタズラの共犯にさせるかのような雰囲気にアリスは、眉をひそめそうになるも耳を貸した。
ゴニョゴニョと何事かを要求されると彼女は、片眉を上げて男性を睨んだ。そんな彼女に男性はニカリと、イタズラ小僧の笑みを浮かべるのみ。
しばらく視線の鍔競り合いをしていると、折れたのはアリス。肩を落とすと、盛大にため息をついた。
“―――本当に、めんどくさい人ですね、アナタは”
“ケジメを付けたいだけさ。たぶん、アイツも同じだろうよ”
“隊長も……? もしかして、『男の子』だからですか?”
“まぁそんなところだ”
“……私には理解不能です”
“してくれなくてもいいさ。どうせ……下らないことだからな”
でも、大事なことなんだ……。自嘲とは裏腹に、真面目な顔つきで向かい合う。
不満顔なアリスは、否定するでも理解するでもなく判断保留と、しぶしぶ頷いた。男性の要求を飲んだ。
ただ、取引成立と、笑みを浮かべながら差し出された男性の手には、あえて答えず。背を向けて遠ざかっていく。
一人残された男性は、その背に苦笑を向けながら見送った。
そして、私と二人きりになると向かい合い、告げた。ハッキリと、彼の声が聞こえる―――
「―――シリカ。これから、色々と大変だろうが……安心してくれ。君への誓いはまだ続いてる、これからもずっとな」
言い切ると、少し恥ずかしそうに/だけど誇らしくもあるようにはにかんだ。
私も思わず、微笑んでいた。
同時に、ようやく終わったのだと/嵐を凌いだのだと、わかった。私は今、ここに―――生きている。
笑顔を浮かべながらもポロリ、涙が頬へと溢れでた。
◆ ◆ ◆
55階層の【グランザム市】にある、【聖騎士連合】の宿舎/指令所―――。
56階層の開放に伴って、その拠点をたたんでいた。荷運び等でメンバーが忙しく動き回っている。
拠点の中は、今日までメンバーたちが集めてきた情報や考え込まれた分析やら予測などなどを記した書類/資料が、所狭しと積まれていた。掃除や整頓が間に合わない/足場もないほどの雑居房状態、どこに何があるのか把握している者などいないかのような混沌具合。持ち込まれたコルクボードやホワイトボードにも、地図やら写真やらが貼り込まれている。
それらが全て、取り払われていった。
ボードも、ストレージに戻されるか持ち運びしやすいように折りたたまれている。まるで初期化するかのように、元の宿舎の有り様を取り戻していく。
次に続くプレイヤーたちのためへ、自分たちのプレイ記録。
10階層を過ぎたあたりからか、攻略組全体で行われるようになった記録保存作業。自分たちが最前線のフロアをどのように攻略していったのか、突破するまでの道筋と思考を、間違いや失敗も含めて余さず記録し残す。
ただ答えのみを伝えるだけでは、強くなれない/生き残れない。一度クリアしたとしても、クエストの細部/モンスターのパターンは変化することがある。油断して対応できず死ぬことはざらだ。正答へ至る解法を自力で編み出した者以外にとって、その『正答』が正しいものであるとは限らない。何百もの死者達のおかげで、ようやくソレがわかった。
はじめは面倒くさがられたも、今では習慣となった。大事な仕事なのだとの認識が浸透しきった。【連合】のメンバーたちは段取りよく、資料の分類と整頓を続けていた。
そんな拠点の表扉をバタン―――、勢いよく蹴り開けた。
同時に、門番をしていた重装備のメンバーを二人、投げ込んだ。
「おわっ!?」
「なんだなんだ!? 何事だ!」
「おい、大丈夫か?」
床に転がされた槍持の重装備は、介抱されながら/まだ目を回しながらも、「あ、アイツが急に―――」と震えながら指差してきた。
それで皆の視線があつまってくるも、気負うことなく/挨拶することもなくズカズカと、入っていった。
驚きもひとしお、【連合】のメンバーたちは瞬時に殺気だち臨戦態勢。各々、乱入してきたプレイヤー=オレに武器を差し向けた。
【連合】全てから敵意を向けられているにも関わらず、オレは悠々と闊歩、ただ顔は少々剣呑。全員無視しながら、中央で作業の進捗を指揮していた男/ディアベルにのみ視線を定めていた。
遅れてオレの狙いを察したのか、周囲からの圧力がさらに増していく。
それでもズカズカと進んでいくと、互の間合いが重なる手前で、止まった。
同時に、ディアベルの護衛が前にでてきた。これ以上の狼藉は許さないと、静かな怒気を滾らせながら。槍を前に突き出したり剣のこい口が切られている……。
一瞥して戦力を確認。
隊長殿の護衛を買って出るだけあって、かなりの強敵だ……。こいつらどうしようかと睨んでいると、おもむろにディアベルが口を開いた。
「―――二人とも、下がってくれ」
「ッ!? 隊長それは―――」
言い募ろうとした諫言はしかし、向けられた静かな凄みで黙らされた。
『頼んでる』うちに下がれ……。ソレに当てられてか、周囲のメンバーたちも黙らされた。ゴクリと息を呑む音が聴こえてくる。
コレが【連合】を司る長の姿か……。そんな威圧を放ったとは思えないディアベルは、落ち着いた爽やかさを顔に向けてきた。
「久しぶりだね、キリト」
「ああ。クリスマス以来だな」
ずっと会いたかった。会いたくて逢いたくて、たまらなかった……。積年の想いを込めながら睨みつけていると、腹の底に抑えていた埋め火が燃え盛ろうとしているのを感じた。その火が腕にまで伝わってくるのをギリリと、握りつぶしてこらえる。
ディアベルは、自分に向けられてるモノを感じてか知らないふりか、無視して先ほどオレが投げ込んだメンバーたちへ目を向けた。
それで何かを/おそらくオレが彼らに何をしたのかを確認すると、ほんの少し口元に笑みを浮かべた。
「……腕は鈍ってないみたいだね」
「おかげ様で。他にやることない場所だったんでな」
監獄に閉じ込められてからやれたことは、ただ一つ。報復の想いを募らせるのみ。改心など/諦めるなど絶対にしてやらないと、日々この体に鞭打っていた。……ドラマや映画などでやられている監獄トレーニングは本当のことだったと、実体験できた。
なので、レベルやステータスには若干差が開いてしまっているだろう。だけど、スキルの習熟度や何より武器の扱いがその差を埋めてくれるはず。気合もプラスしたら負ける気がしない。
「なぜここに?」
「ケジメをつけに」
ケジメか……。ため息をつくでもないが、少し憂鬱そうな顔でつぶやいた。その奥で何を考えているのかは、わからない。
言いたい/確かめたいことは色々とあるが、アリスとの約束がある。こんな公衆の面前ではできない。彼女たちの想いを組んで、『コイツは何も知らなかった』と言うことで話を進める。
なので、オレがここでやることは一つ―――
「今からオレと、デュエルしろ。【助太刀】なしのタイマンでな。それで、オレが勝ったら【霊晶石】寄こせ」
「!? テメェ、黙って聞いてればやりたい放題―――」
プチんと、堪忍袋の緒が切れたように激昴する護衛兵。彼に釣られて周囲もざわついてくる―――。
しかしまたしても、ディアベルが制した。
無理やり鎮めると、静かに許諾してきた。
「いいよ。ただし、【全損決着】以外でだ」
「ああ、【半減決着】でいい」
互の言葉に、周囲がざわめいた。先ほどとは別の、純粋な好奇心によるもの。
あの『黒の剣士』と【連合】の隊長の一騎打ち―――。名勝負が見られるかもしれない/ゲーマーとしてのワクワクが、オレの無礼からの怒りを上回った。静かな盛り上がりがフツフツと湧き上がってきているのが、感じられる。
そんな彼らとは違い、表面上は落ち着いているオレとディアベルは、話を進めていった。
「どこでやる?」
「どこでもいい」
「なら……【転移門】の広場でやろう」
そう言うやいなや、サッとその場から立ち上がり移動した。
話が早くていい……。出し渋ったり日を改めたりしないことに感心していると、オレの傍を通りすがらボソリと―――
「―――アリスのこと、ありがとな」
周囲には聞こえないであろう小声で、囁いてきた。
思わず顔を向けるも、幻だったんじゃないかと思えてしまうほど、ただ通り過ぎただけの背中に見えた。
だからかなおさら、舌打ちした。
「…………やっぱり、知ってやがったんだな」
証拠は無いが、確信できた。
やっぱりオレは、どうしてもこの男を……好きにはなれないということが。腹の中を隠す奴は嫌いだ。
ディアベルの後に従って、【転移門】広場へと向かった。そこで、これまでの全てのことに決着をつける。オレの中にこびりついている【月夜の黒猫団】を葬る。
そして何より、ここより上へと登るために―――
(オレは、生き延びる。生きてこのゲームを終わらせてみせるよ。サチ、ケイタ……)
果たせなかった約束。今はもういなくなってしまった仲間たちに向けて捧げる、新たな誓い。
今度こそ/コレだけは絶対に、守り抜いてみせる。
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長々とご視聴、ありがとうございました。
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