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「―――そう、レベル5の【麻痺毒】です」
身動きとれず苦しがっているキリトに向かって女性騎士/アリスは、先の不意打ちに込めた追加効果を明らかにした。
「あなたの【免疫力】や装備は、ソレにも耐えうるだけの数値だと思われます。何発か重ねなければ無理だったでしょう。しかし、初撃のバックスタブならば……この通りです」
どれだけの抗毒耐性を持っていても、完全防御はできない。上層に行けばできるのかもしれないが、現状ではそのようなスキルもアイテムも存在しない。限りなくそれに近づけるだけ。なので、背後からの致命傷ならば、いくらキリトといえども【麻痺】は免れない。
既におおよその見当はついていたのか、何とか窮地を脱する術を必死に模索している。出会ってから今まで、私が見たことがないほどの焦りを露わにしていた。
そんなキリトを一瞥し、何かを確かめる。
「『烏』さんが作った改造結晶は……それですね。『回復』はありますが、『解毒』は……付けてないみたいですね」
よかった……。探していたのは、ピアスの形に変えた結晶アイテム/私もここまで逃れるときに使わてもらったもの。
キリトの両耳についていたのは、黄色の回復結晶と青の転移結晶のみ。残念ながら【麻痺】を即効で解除することができない。
もう脅威ではないと理解すると、私の目と鼻の先まで近づき凶器を/斧槍の穂先を差し向けてきた。
吐息が届くほど近くにある、鋼鉄の刃……。蛇に睨まれたネズミのごとく、逃げ出すこともできずただソレを見つめさせられた。
殺られる、もうすぐに、容赦もなく―――。息すら飲めないで震えていると、キリトの叫びが割り込んできた。
「ま、待てアリス! シリカに、手を……だすな!」
「そんなに【霊晶石】が欲しいんですか?」
そちらには目を向けることすらせず/私を無感動に見固めながら、逆に非難をぶつけ返してきた。
口を閉ざした/理解に及べないでいるキリトを無視して、私に向かって教えてきた。
「シリカさん。彼の目的は、アナタを助けることではありません。アナタを餌にして団長を誘い出すこと。彼が持っている【霊晶石】を横取りするためです」
唐突なキリトの事情に、困惑せざるを得なかった。
嘘は言っていないだろう、冗談でもないだろう。そんな人らしい感情を目の前の彼女から感じ取れない、通行人NPCに声をかけた時と同じで一方的/あらかじめ用意された文章を読み上げているだけみたいに聞こえる。何かしら真を突いた話なのだとはわかる。
ただ、それを今聞かされても、私の答えは……『で、だから何?』だ。
おそらくは翻意を促すためかと思われる。が、その程度では彼への信頼/どん底まで落とされたヤケクソ気分は揺るがない。ただそれを、目の前の彼女に言い返してやるほど強気には……なれそうにない。
そんな私に呼応してくれるかのようにキリトも、彼女が何を勘違いしているのか察した。
「違う! そんなの、見当はずれ過ぎだ」
「そうですか? でもアナタは、アレを独占するために団長を殺そうとしました」
「それは……」
「ソレを阻止され、監獄に閉じ込められた。そして、そこから脱獄までして―――彼女を見つけた」
キリトの私までの経緯。断片として聞かされてきて、おぼろげながらわかってはいたが……中々に、壮絶だった。
監獄に閉じ込められたのは/そこから脱獄したのは本当だったのか。さらには、【聖騎士連合】の団長と殺し合いまで……。【還魂の霊晶石】/たった一度の復活の奇跡を巡る血みどろの争い。それは今もなお、続いているらしい。
「彼女をみて心変わりした? あまりにも可愛そうだと思ったから? 今までの頑張りを全て投げ打つ?
……信じられませんね。私の知っている『黒の剣士』キリトは、もうすこし……タフなプレイヤーだと思っていましたが?」
「悪いな、現実はこんな優男で」
互いに皮肉/自嘲を言うも、表情は警戒で鋭くなったまま。
だが、その淀みない答えに何かを察したのだろう。ソレを確かめるべくもう一度、睨みつけ続けているキリトと相対すると―――ほんの少し、眉を上げた。
「…………そう。
それでは、私だけが……悪者ですね」
彼女の中でキリトの認識を修正した。誤解してすいませんと、自嘲に含ませて言った。
ただしまだ、私への刃は微動だにせず。
「そうだ、極悪人だよ! 超最低だッ! マジどうかしてるぞお前!?」
それまでの雰囲気を壊すかのように、キリトは喚いてきた。
いつもの彼らしくない……。おそらくは、この場の主導権を奪い取るための行動/わずかにできた隙間にしがみついていてきたのだろう。あからさま過ぎる意図/私ですらわかった。通常なら無視されて然るべきだろう。
だから/だけど逆に、彼女の興味を引いた。
「熟慮に熟慮を重ねた上の、皆の総意も背負った結論でしたが……おかしいですか?」
「ああ、おかしすぎる! そんなのお前にはに、に……似合わない、からなッ!」
言い淀みながらも出された言葉にアリスは、目を丸くした。関係ない私も同じく、一瞬目の前の死神を忘れてしまった。
あまりにも想像の斜め上だったのだろう。まじまじとただ、キリトを見つめ返してきた。
そんな無言に彼は、恥ずかしさを堪えるように表情を難しくする。それを隠すようにより強く、睨み返した。
しばらく見つめ合っていると、おもむろにアリスが、顔をかげらせながら呟いた。
「……そう、『似合わない』ですか。隊長にも同じこと言われました」
「あ、アイツと同じ……。
だったら、無理することは……ないんじゃないのか?」
『隊長』との言葉に少し顔を憮然とさせながらも、慎重に促してきた。
しかし、アリスは変わることなく答えた、あるいは尋ね返して。
「しかし、誰かがやらねばならぬこと。不義理を通す以上、私たちが手を汚すべき。隊長にさせるわけにはいかないので、副長の私が引き受ける」
「キバオウとリンドがいるじゃないか? 奴らに任せればいいだろ?」
「彼らは隊長や団員・攻略組たちの引きつけ役です。直接の執行が私なだけ、彼らも同罪になってくれるでしょう」
「……それにしても、手抜かりが多いんじゃないか? 直接お前がやれば、誰だってすぐに気づくぞ。たぶん【石碑】にだって刻まれるぞ」
「そう。だからこれは、言ってみれば……Dプランです」
「Dプラン、下策ってことか? それじゃ本来は―――……あぁ、そういうことか!」
キリトは少し頭を捻り、何かの答えに達した、険悪の表情を浮かべながら。
そして、出てきた答えを吐き捨てるように言った。
「だからレッドギルドが、【タイタンズハンド】がシリカを襲ったんだな」
なんだって―――。聞き知った名前にビクリと、背筋が痺れた。思わずキリトを凝視する、そしてアリスへと。
容疑者の少女は、それまでと変わらず。ニヤリとも嗤わずムスリとも焦らず、ただ静かな沈黙をもって佇むだけ。
ただキリトへ、それまで以上に無機質な視線を向ける。どこまで知っているのか/何を知ったのか/軽快に値することはあるのか、抉り出すような硬質な視線。静かに激しくにらみ合う。しかし―――小さく吐息を漏らした。
また無感動に戻すと、白状しはじめた。
「そう。アレは私たちの差金です。……方法は企業秘密です」
「奴らからお前たちまではたどれない、てことか? オレじゃ証拠をかき集められないと?」
「はい。かなり複雑ですので、面倒だと思われます。攻略の片手間にやる作業ではありませんよ?」
「奴らの何人かを捕えて、ちょっと話し合ってみた。そうしたら―――今後一切、オレのために命懸けで働いてくれるって約束してくれた。それでも難しいかな?」
「……明らかにしたところで誰も、あなた自身ですら……喜べない秘密ですよ?」
「どうかな? スッキリはすると思うぞ」
「『スッキリ』ですか……」
「『自己満足』て言い換えてもいいぞ。
便秘みたいで気持ち悪い、イライラさせられる。他のやつも似たような不満を持ってる。だからスッキリさせる。……コレ、じゅうぶん『大義』になるんじゃないのか?」
「……そう、ですね。
確かにそれが一番……いいのかもしれない。便秘は辛いですから、あの忌々しさは……。ここではもう、わからない病気ですが」
「……もしかしてアリス、お前……便秘になったことでも、あるのか?」
「え? …………そ、それは―――」
一変させられた話題にアリスは、急にアタフタと目を泳がせた。それまでの『美しき死神』が嘘のように、掻き消える。素の彼女が/体温をもった人としての彼女が見えてくるかのよう……。
コホンと一つ、大きな咳払いをすると、慌てぶりを律した。
「……知り合いから、聞いた話です」
「バレバレだぞぉ、嘘は苦手らしいなお前」
「ッ!? …………う、嘘じゃありません」
「おいおい……。そんなんでよく、この『計画』とやらに参加したな、というか参加させてもらえたよな」
「ッく!? …………確かに、そうですね。
女性にそんな、下世話なことを嘲笑いながら聞いてくるようなフロントプレイヤーがいるなんて、誰も想定できないことですから」
「悪かったな、あんまりいい育ちじゃなくて」
「育ちは関係ありません、品性の問題です。一般家庭で生まれ、両親や兄弟姉妹に愛され、現代日本の教育を受けれていれば誰でも、身につけられるモノです」
「いやいや、教育あんま関係ないと思うけど……」
「大いにあります! ソレが人と動物を分けること、人がより高貴な存在であるとの証拠ですから」
「…………まぁ、考え方は人それぞれだな。
それはそうと、だ。今のお前……鏡見せたいぐらいだよ。やっぱりそっちの方が似合ってる」
一瞬、何を言われたのか目を点にさせられた。
だけど、ニカリと笑うキリトを見てすぐに察した。
またアタフタと目を泳がせてしまう。カァと顔を赤くし、ソレを抑え込むように固く睨み返してきた。
「……意外と、軽薄な人だったんですね、アナタは」
「誤解してくれるんだよ、いつもこんな黒い格好してるから」
「狙ってやっていると?」
「昔、ハロウィンの仮装パーティーでの悪ふざけだったかな、無理やり妹の服着せられて外に出された時があった。そうした本当に……女の子に見られた、妹よりもな。男だって言っても、簡単には信じてもらえなかった。人によっては、むしろその格好のままでいてくれとも言われた。
だから、その教訓を生かして……区別をな、ちゃんとつけなきゃなと思って」
「……確かに、言われてみればそう……見えなくもないですね。
よく監獄の中で無事でいられましたね?」
「今思い返せば、それも脱獄の理由の一つだったのかもな……。もう少し長居してたら危なかったかもしれない。
ソレ込の慰謝料、ちゃんと払ってくれるんだろうな?」
「ソレは私たちとは無関係ですし、そもそも謝るべきことは何一つしていません。むしろ、これまでにあなたが引き起こした数々の迷惑行為に対して、請求したいぐらいです」
「そいつはほぼ全部、結果で贖ってきたはずだけど?」
「ええ、まさに『結果的に』そうなってきましたね。今後はどうなるかわかりませんけど―――」
「なるさ」
オレを信じろ―――。短な返答に込められた、無言の要求。【麻痺】で身動きできず地に伏している人とは思えないほど、言い知れぬ自信がこもっている。
向かい合うアリスは、それに―――揺らがされていた。揺らいでいるのを律しようと固くしているのが見えた。何の保証もないのに、目の前に最も合理的な解決法があるのに、ソレを投げ捨て彼に賭ける……。
迷いを断ち切るように、瞑目した。
しばし乱れを整え、もう一度開けると、
「―――あと2分弱。
惜しかったですね。私でなければ、あるいは……騙しきれたかもしれません」
違う、そんなつもりなんてない―――。キリトはその言葉をぐっと、飲み込んだ。もはや目の前の彼女には、弁解にしか聞こえないと悟らされて。
だけど/それでも、焦りの全てを噛み砕き……搾り出すように言った。
「……今からでも遅くは、ないと思う」
「もうあなたと交わす言葉はありません。私が信頼しているのは、【連合】の皆と、隊長だけです」
切り捨てるように言うと、もはやキリトを見ることなく。再び私に、あの冷たい視線を差し向けてきた。
そして、構え続けていた斧槍にも、力を込めた。
「ま、待てアリス!? 待ってくれ―――」
「さよなら、シリカさん」
「―――ギュキュゥキゥーーーッ!!」
ピナが私を庇うように、割り込んできた。
突然の闖入者にアリスは、寸前……刃を止めた。
おそらくピナでは、盾にもならなかっただろう。攻略組である彼女の刃の前では、ピナは紙にも等しい。武器に【貫通】機能が備わっていたのなら/槍系の武器には大体備わっている、そのままピナごと貫くことができたはず。でも―――
「……退いてもらっても、いいですか?」
「ギュゥッ! キュキュぅ、ギュゥッ!」
「イジメるつもりはありません。一撃で終わらせます」
「ギュギュキギュゥッ、キュッ!」
「……どうしても、退いてくれないですか?」
「ギュッギュッキュぅ、キキュゥッ!」
「…………仕方ありませんね―――」
溜息混じりにそう零すと、突然、一旦引いた。斧槍の穂先を下ろしダラリと、底冷えすような殺意すら掻き消える。
だからピナは/私ですら、首を傾げるも安心した。無警戒にぼぉと、一連の動作を眺めてしまった。
その間隙に―――
―――ズサッ
「―――エぅッ!?」
刺されて……る? ゲップのような、間抜けな音が出てきた。
刹那の煌き/無拍子の最速突き。
全く見えなかった、意識すらできなかった……。視界にはまだ、斧槍が下ろされている残像が見えていた。それなのに今/本体は、私の胸元に刺さっている―――。
全てを理解すると同時に、キリトの悲鳴混じりの雄叫びが響き渡った。
「シリカァァァーーーーーーッ!?」
HPゲージが一気に減り、危険域の赤へ、さらには……黒く。
そして、いともあっけなく、0へと削りきられた。
◆ ◆ ◆
ガクリ……。体から力が抜けた。
いや、体の/アバターの操作権を失ったのだろう。文字通り糸が切れたような感覚。
アリスが斧槍を引き抜く。その拍子に前のめりになりそのまま、うつ伏せに倒れた。
ドタリ……。見開かれたままの瞳から、地面と草が見える。平衡感覚が狂ってきているのか、岸壁に張り付いているような気がしてくる。今にも滑り落ちそうな気分。
どんどん冷えて/溶けていき、やがて―――プチッ。
何かが切れる音、たぶんスイッチ。キリトの叫びは聞こえなくなっていたから、音ですらないのかもしれない。
視界が真っ黒に染まった。
そして急に現れたのは、【Your Dead】の赤い文字。視界の中心にデンとのさばり、主張してきた。
だから、もうソレ以外には考えようがなかった。
(あぁ、私……死んじゃったんだ)
怒りも悲しみも諦めもない、ただのどうしようもない事実。
もう少し格好良い死に様を期待していたのに、あんな様……。ソレが最初の不満として浮かんできた。
もう体はないはずなのにポロリと、涙がこぼれたような気がした。
同時にそれで、残っていた感情がこぼれてしまった。もうなにも……ない。
絞り尽くされた今、本当の空っぽの人形になった。
自他の境界が崩れて溶けて、拡散していく―――……
―――…
――…
―…
…
。
私の意識はそこで一旦、掻き消えた。消えるはずだった……。
しかし―――
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」
次の目覚めは、禍々しい産声とともに放たれた。
私なのに私ではない声。……私から放たれているということだけはわかる。
女の子の私では到底出しようのない重低音。そもそも人の声帯からは出せないだろう雄叫び。周囲のあらゆる生物のみならず、大気も大地もいるのなら幽霊までも戦慄させるような、荒々しい激震/超常の存在による憤怒。
現実世界に似ている生物は、聞いたことはない。この世界でのみ/幻想上の生物のモノによく似ていた。
それは―――竜。
ピナのような手のひらサイズではなく、本物の竜。おとぎ話から/ゲームの世界から飛び出してきたかのようなラスボス。相対しただけで勝てないと、畏怖を超えて畏敬まで感じさせる存在。
今、私であるものから放たれているのはまさに、竜の咆哮だった。
長々とご視聴、ありがとうございました。
ピナ語はわからなかったので、感覚で書きました。間違っていたら申し訳ありませんm(_ _)m
感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。