キリトは答えてくれず、ただ黙って私をみつめるのみ。躊躇っても誤魔化そうともせず、言葉を探しているかのように。
だから続けた、私はもう全て知っているんだと。
「全部、わかってたんですよね、ここで初めて会った時から? 私が55階層の―――フロアボスだって、ことが」
私の追求にキリトは、眉をしかめ苦しそうに顔を固くし、伏せた。
その沈黙が、答えだった……。自分で聞いておきながらも、胸の片隅では否定して欲しかった。
全く意味がわからない、なぜプレイヤーがフロアボスにならなければならないのか? それに、何千人もいるのによりにもよって私が選ばれた理由は? なぜこんな理不尽が……。悲しさ怒りがあふれ出て、やるせなくなる。
「だったら……どうしてですか?」
かすれかけた問いかけにキリトはソっと、顔を上げた。
答える代わりに、尋ね返してきた。
「シリカは……死にたいか? 殺されたいか?」
「そんなわけッ! ……ないじゃないですか」
噴出しそうな激情を寸前で、堪えた。
それでまた黙りそうなキリトへ、最大の自制心をもって尋ねた。
「他に方法は……ないんですか?」
「探してる最中だが、おそらくは……な。他のゾロ目階層でも同じだった」
事務的に、努めて平静に。ただ事実だけを偽りなく教えてきた。
「前回まではどうやって、回避したんですか?」
「ちょっと待ってくれ―――」
そう言うとメニューを展開し、手のひらにアイテムを現出させた。
八角柱の結晶アイテム、ただし先っぽは錐となって尖っている。加えて、転移結晶や回復結晶の色とも違う緑色。
取り出したソレを掲げ「プロテクト、オン」と唱えると、薄緑色の光の紗幕が放った。キリトや私も透過しながら広がり数メートルほど、包み込むと空気に溶けるように消えた。
何が起きたのか、周りを見渡している私にキリトは説明してくれた。
「【結界石】だ。【虫除けの香】のワンランク上のアイテム、ていえばいいかな。これで暫くは、ここ周囲5m半径内でモンスターに襲われることはなくなった」
「……今の私にはあまり、意味のないアイテムですね」
こぼした皮肉にキリトは、苦笑した。
いつもなら/真実を知らなかった前までなら、ただ興味津々に驚いただけだっただろう。見聞が/セカイが広がってワクワクする。……今はそんな純真に、楽しめそうにない。
モンスターからの不意打ちへの対処を済ますと、ようやく答えてくれた。
「ここにログインした時、【生命の首飾り】ていうアイテム貰っただろ? 一階層内なら3回までは、死んでもすぐに復活できるアレだよ」
【生命の首飾り】。アレにはたっぷりとお世話になった。
一度目、あのチュートリアルを経ての【始まりの街】の外でアッサリ。二度目、攻略組の人たちがフロアボスを撃破した後、もしかしたら行けるかもと迷宮区まで足を伸ばしアッサリ。三度目、上層から降りてきた時、レベルにもHPにも余裕ができて慢心していところ、強敵に襲われて……。効能は全て使い切った。
2階層に登った瞬間、【生命の種】となったソレは今、【軍】に徴収された。そしてどこかのフロアに作った『プランテーション』にて育てられ、新しい【種】を作り出している。その【種】の恩恵で最大HPを増加でき、今日まで無事にゲームすることができた。
アレがそのような目的でも使われていたとは……初耳だった。
少し感心していると、キリトは続けた。
「知っての通りゾロ目階層の……ボスは、特定のエリアやフロアにも縛られない。それまで登ってきた階層全てに行き来できる。ただし、【圏内】の守りはなくなるけど」
「だから、一階層まで降ろしてそこで……復活させたんですね」
「そう。だけどそれは、33階層までの話だ。
44階層になった頃には、使える【首飾り】がなくなってしまった。注意はしていたんだけど、ソレ以外でもプレイヤーは死ぬからそれで使い切った……というのが、まぁ通説だな」
管理していた奴がいたわけじゃないから、わからない……。最後に含みを持たせた言い方だったが、追求せず。今の私には関係ないことだろうとは、わかった。
「なら、44階層ではどうやって回避を?」
「【聖騎士連合】の団長、【ディアベル】ていうパラディン気取りのイケメン野郎なんだけど……聞いたことはあるだろ?」
「……名前だけは、少し」
つい数時間前、誘拐され殺されかけた時にポロリと。
「そいつが、44階層で当たった」
衝撃の事実に、目を見開いた。
そして何かがピンと、繋がった気がした。
「みな必死で、別の解決方法を探した。特に【連合】は、文字通り死に物狂いだったよ。
44階層だけやたらと、情報量が多くてアイテムも何もかも狩りつくされてるのは知ってるだろ? 地図もあそこだけは、全部埋め尽くされてる」
文字通り、余すところなく/もう探索が必要でないほど。
フロア地図は通常、面積十数メートル単位で区切られたブロックを踏むことで自動的に埋められる。なので、地図の空白を埋め尽くしたとしても穴はある、見せてもらっているがゆえに見えなくなった穴。だけど44階層にその穴はない。実際の足跡でも埋められている。
あまり気に留めていなかったことに、そんな重苦しいストーリーがあったとは……。唖然としていると、さらにキリトは続けてきた。
「44階層に手がかりはなかった。みなソレを悟って下の階層の、43階層の捜査を始めようとした時―――ディアベル自身が決断した」
「……決断?」
「自殺だ」
ドキリと、胸が凍った、あっさりと告げられたのでなおさら。
「皆が止めるまもなく、奴は自害した。正しいかどうかはわからないが、あの時はそれ以外にはなかった。だからソレで、終わりだと思っていた。奴は死に、オレたちは上に登る……。
だけど次の瞬間、奴は―――怪物に変わった」
「か、怪物!?」
「ああ。通常の、大型モンスターとはちょっと……違ったタイプだった」
唐突な急展開に思わず、裏返った声を出してしまった。
困惑させられている私に構わずキリトは、何事でもないかのように先を続けた。
「なんとかその怪物を倒した後、どういうわけかティアベルは……蘇った。【降魔剣】ていう破格のソードスキルを土産にね」
『蘇った』―――。色々とわからないことだらけだが、ただその一言だけは聞き取れた。図らずも目を輝かせてしまう。
「だから今回も、そういうことが起きるんじゃないか、なんて考えが……ある。
前の階と44階との明確な差異は、『復活アイテムが使用されなかった』ことと『自害』であったこと。だから―――」
「私もそうすれば、もしかしたら大丈夫……かもしれないんですね?」
一縷の希望……と思いたいが、キリトの顔は曇ったままだった。
慎重にだけどはっきりと、希望的推測を排除した事実を伝えてくる。
「……可能性はある。だけど、条件があまりにも曖昧なこと、【降魔剣】があまりにも破格なスキルだったこと、何より失敗したら……取り返しがつかない」
『失敗したら』……。その言葉で、全てに水を差された。また冷え込まされる。
ギャンブルであること/命を賭けることは、仕方がない。圏外フィールドで戦うこと自体、少なからず賭け事だ。成功率を高めるために、レベルを上げ装備を充実させ情報を集めパーティーを組む。だから今回もそれと同じだと、納得できる。
ただその確率は、あまりにも低い。どうしても上げることができない。超ハイリスクほぼノーリターンのロシアンルーレットを強制的にやらされている気分が、拭いきれない。
上げられてすぐさま引き落とされた。そんな憂鬱に落ち込んでいると、さらに叩き込んできた。
「それに先の二つの条件の方も、現状だと満たしていないかもしれない」
「……どういうことですか?」
「復活アイテムを持っているからだ。【還魂の霊晶石】ていう結晶アイテムだよ。先のクリスマスの時に手に入れた。今それは【連合】が保持している。
ただし……一つだけしかない」
だと思った……。胸の内で自嘲しながら吐き捨てると、全ての事情がわかってきた。
なぜ現状、攻略組や色々が私を殺そうと躍起になっているのかが、私がここまで追い詰められたことも……分かってしまった。
「だから、私を密かに……殺したいんですね」
「ことが公になれば【連合】は、否が応でも責任を負わされる。それは【連合】だけじゃなくほとんどの攻略組の……望むべきところじゃないんだ」
申し訳なさそうな顔は……してくれなかった。ただほんの少し、そう見えるだけ。外からでは感情は読み取れない。
安心した。もしも彼にそんな顔をされてしまったら、私は……どうすればいいのかわからなくなったはず。『そんなもの』に応えられないのに、答えを要求させられているような気分だ。……最悪なのは間違いない。
「先延ばしにしたとしても、あと数日でタイムリミットだ。……55階層は、あとほんの少しで攻略し尽くされる」
44階層と同じように……。穏やかな心持ちで、その奮闘を受け取れた。諦観とはちょっとだけ違った心境。ありがたいとも、思えた。
胸の曇が少しだけ晴れると、もう一度、キリトに問いかけた。
「キリトさんはどう……されるんですか?」
「シリカ次第だ」
ハッキリと短くそう答えた。
私がそれに首をかしげてしまうと、補足してきた。
「君が殺されたくないのなら、オレの力の限りで守りぬく。どんな相手がこようが関係ない、ゲームクリア云々はもっと関係ない。【連合】から【霊晶石】を奪い取る、シリカに使わせるように仕向ける」
淡々と、フロアボスを倒すよりも困難なことを告げてきた。
他の誰かに言われたのなら、ただの笑い話だった。だけど彼に言われると、何だか……できそうな気がする。必ずやってのけてくれそうな、気がする。
胸の奥がじんわりと、暖かくなった。
そこから何かがこみ上げてきそうになるのをグッと堪えて/逸らすために、聞いた。
「もし、ソレができた場合、次の66階層は……どうするんですか?」
「ソレは、その時になって考えればいいさ。またクリスマスまで待つのもいいだろうな。……茅場に情のひと欠片でも残っていれば、あるいは、その前にできるかもな」
まぁ、望み薄だろうけどな……。カラカラと笑いながら、そんなこと何事でもないと言ってくれるかのように。
また、何かがこみ上げてきた。今度は目尻までジンワリと、滲んできた。
「皆さんに、迷惑……かかりませんか?」
「殺されてやるほどじゃないさ。それに、その程度耐えられないような柔い奴は、攻略なんてやめた方がいい。一階層の待機組に入れてもらえばいいんだよ」
あまりの暴論、そんな長期間の停滞への耐久力は攻略とは関係ないだろう。
だけど―――爽快だった。そんな簡単なことだったのに、難しく考えすぎてバカみたいだった。思わず笑が浮かんだ。
だからか、もう……耐え切れなかった。視界は滲みすぎて、見えなくなっている。
だからもう一度、最初の問を告げた。
「……どうして私を、助けてくれるんですか?」
私の心からの想いにキリトは、しばらく目を閉じ息を整えた。
そして、胸の傷を抉るように/だけどまっすぐと、教えてくれた。
「『絶対に守る』て約束した女の子を……守りきれなかった。その子をオレ以上に想って託してくれた奴の想いを、無駄にしてしまった。だから、その過去の不始末に―――ケリをつけたい」
もう終わってしまった/取り返しのつかないことだけど、それでも。ここで君を守り抜けたらほんの少しだけでも、救われるから……。たぶん、嘘偽りない彼の答え。出会ってすぐの私を助けたいから助けるなんてことでは、なかった。
でも、それでいいと思えた。彼には彼の願いがあって、ソレがたまたま今の私の願いと重なった。奇跡みたいだけど、必然でもあるような偶然。
だからもう……吐き出してしまえた。
「わ、私、私は……死にたく、ない……。死にたくないんです」
涙ながら、ちゃんと伝わったのかどうかすら分からずただ、訴えていた。
私の本心。生きることを諦めたくなんてない、現実世界戻りたいこのゲームだってもっともっと楽しみたい。
たとえ生きてても、ゲーム攻略には重大な役目は果たせないだろう。足を引っ張っているだけかもしれない、私が知らなかっただけではた迷惑なプレイヤーだったのかもしれない。今回生き延びたとしたら、間違いなくそうなる。一刻も早く帰りたい人たちから、恨まれることだろう。たった一つだけの復活アイテムを、どうでもいいプレイヤーに使うのだからなおさらだ。
それでも―――生きていたい。生き延びたい、生きてもいい場所が欲しい。殺すの殺されるのも殺させるのだってイヤだ、ただ純粋に……楽しみたい。ソレができて初めて、『生きてる』と思える。
「君は死なない。オレが守る。絶対に、守り抜いてみせる」
静かに/確かに、たぶん彼の中の尊い何かに誓って、言った。言ってくれた。
涙を拭う、ゴシゴシと荒っぽく。
それで、涙だけでなく鼻水もでていたことに気づき、顔を真っ赤にした。だけど構わず/もう格好はつけず、まとめて拭い取った。
顔を上げて、キリトを見据えた。
まだ顔は火照っていて、たぶん涙とか色々の跡が残っていて、見られたものじゃないだろう。でもそれが今、私の精一杯の/本当の顔。だから、目の前に鏡があったのならたぶん、私はその顔に、ちょっとみっともないと苦笑しでもすごく―――好きになったはず。
だからか、キリトは驚いて、面映そうに目を泳がせながらおずおずと、手を伸ばしてきた。
「それじゃ手始めに、またパーティー組むことから始めても……いいかな?」
3日ぶりの/改ての挨拶。
一瞬、何を言われているのかわからなかったが、すぐに理解できた。
逃亡中/真実を知った時、キリトとのパーティー関係を切っていた。フレンド関係も同じく。まだ確信は持てなくても、信じきれなかったから。いくらキリトでも、フロアボスを助けるとは想えなかった。
そんな色々がちょっと恥ずかしく、でも今更どうでもいいかと照れながら、その手を握った。
「はい! こちらこそ、よろしくお願いします」
いつものように/出会った頃のように、元気よく握手した。
パーティー確認のコマンドがたちがあり、了承を告げる。二人の視線がそこに集中した。その瞬間―――
“―――その男に騙されてはいけませんよ、シリカさん”
何処かで聞いたことがある、冷たい女性の声音。それでいて心地よさを感じさせてくる儚い響き……。
ゾッと、全身が総毛立った。キリトにも聞こえたのか、目を見開いている。
私は、何処から聞こえたのか探ろうと周囲を見渡そうとした。キリトは、それすらせず私の手を離し/背中の剣を掴もうとした。
反射的な/目にも止まらぬ速さ。居合の達人が目の前にいたのなら、まさに彼のような動作だったと思えるほど。ソレで私に切り掛られたらおそらく、何が起きたのかわからず地面に突っ伏していたことだろう。
しかし/それでも……遅かった。
キリトが剣のこい口を切った時にはもう、腹部から鋼鉄の刃が―――生えていた。
互いにソレを見た次の瞬間、私には鮮血が/キリトには苦悶の声が噴出した。
真っ赤に浴びせられながら、悲鳴を上げそうになった。おそらくその時、最もしてはいけない遅滞。
だからか寸前、キリトが思い切り―――押してきた。
急な押し出しに引き離され/受身も取れず、尻餅をついた。
「キリトさん!?」
「にげ、ろ……シリカ―――」
絶え絶えの息ながらガシリと、貫かれた刃を握り締めた。ソレで敵が少しでも身動きがとれなくなるように、縫いとめる。
しかし―――
「いいえ、もう逃がしません」
キリトのすぐ背後から聞こえた声。見上げたそこの風景も奇妙な歪みを見せていた、不出来な光学迷彩のように。
「ぐぉ、ぉぅ―――う、そだろッ!?」
「残念でした」
見えない声の主はそのまま、キリトを持ち上げた。宙に足を浮かされる。
そして、驚愕している間もなくブンと―――振り払われた。
無理やり投げ飛ばされたキリトは、もみくちゃに転がった。だけどすぐさま姿勢を整えていく。
吹き飛ばし/高所落下からの【転倒】や【気絶】を回避するための身ごなし。ここぞという時に慌てて失敗してしまうが、必要不可欠なプレイヤースキル/受身。体に染みこませたかのように自然と/反射的に、ソレを行っていく……。
しかし途中、体が―――固まった。不自然な強張り。まるで粘着性の糸に絡め取られてしまったかのように、リズムが狂わされる。
受身を取ることができずそのまま/地面を削るように、吹き飛ばされてしまった。
【転倒】させられたキリトと、そのHPバーを確認してだろうか。声の主は、すでに見えてしまっている斧槍をひと振りした、刃についてしまった血を払い落とすかのように。
そしてバサリと、巨大な翼が広がると、光学迷彩が解除された。
半透明な羽舞い散る中あらわれたのは、人形めいた美しさの白金の女性と、その肩に停まっている梟。
戦慄した。つい数時間前の恐怖が目の前に現れた。
そこにいたのは、55階層/鋼鉄の街にあるどこかの廃墟の中で襲いかかってきた、死神だった。
人間ではないような白晰の美貌に魅入られていると、近づいてきた。足音は鳴っているはずなのに、滑るような歩み。彼女よりも大きく重いであろう斧槍を片手で、軽々と持ち構えながら。
彼女の警戒はキリトに、だけど私への注意も怠らず。ソレがわかってか、腰が抜けてしまっていた、逃げるにも逃げられない。
斧槍の間合いに入ったギリギリあたりで、足を止めた。そしておもむろに、まだ地面に突っ伏されているキリトに向かって、解説し始めた。
「【結界石】は、擬似的な【圏内】フィールドを任意の場所に発生させることができる。結界の中にはモンスターは入ってこれない、そもそも近くに出現しなくなる。ただし、他プレイヤーからの攻撃まで防ぐわけではない。そして―――」
そこで初めて、彼女の視線が私に向けられた。
ゾクリと、心臓を穿たれた。そう思わせるほど無機質で、底知れない/何を考えているのかわからない瞳。
「外では自動的に働いてくれる【索敵】や【鑑定】が、【圏内】フィールド内では制限される。ソレは【結界石】によるフィールドでも同じ。
安全を考慮してだと思われますが……抜かりましたねキリト」
「アリ、ス……」
身動き取れないキリトは苦悶混じりに、彼女の名前を搾り出しきた。
そのHPバーには危険なデバフが、【麻痺】がつけられていた。
長々とご視聴、ありがとうございました。
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