『―――きたぞ、ターゲットだ!』
ホームの【フリーベン】からここまで、逃げに逃げてきた。
【帰還の秘薬】やら、虎の子の/保存していた【転移結晶】を使い切りながら、追っ手を振り切る。
『―――クソッ! 気づかれたか。
おい、【鍵開け】マスターしている奴いただろ。中に入る、強引に蹴破るぞ!』
まるで、世界中が敵になったかのようだった。
人狩り……。私を見かけるとすぐに追いかけ、捕まえようとする。ホームの外にはすでに張り込まれていた。
『―――チッ! また転移された、勘がいいのか【索敵】鍛えてたのか……。
だがもう、さすがに弾切れだろう、彼女のレベルじゃ多い方だったな。―――次で仕留めるぞ!』
昨日までの世界が急に、変転してしまった。
私はただの/ピナのおかげでほんの少しだけ有名になった、中層域の一プレイヤーに過ぎなかったというのに……。今では攻略組を筆頭に、知り合いすべてが敵になった。
いや―――たぶん、彼らにとって私が『敵』になったのだろう。自分たちの包囲から逃げ続ける獲物。
『―――探せ、まだ近くにいるはずだ! 絶対に逃がすなッ!
ターゲットに次の転移はない。このフロアで終わりにする』
逃げに逃げ続けた……。だけどもう、逃げ場はないらしい。転移アイテムも尽きた。誰を頼ればいいのかわからない、頼っていいのかも……わからない。
だから今、ここまできた。あるいは追い込まれたのか、望んでいたわけではなかったはずなのに……わからない。運命的に引き寄せられた。
だからたぶん、私の終わりにふさわしい場所。
【迷いの森】―――
鬱蒼と茂る森、空は木々に覆われ見えない。特徴となる風景なく続く、おまけに少し歩けば強制転移させてくる見えない壁がある。
なので名前の通り、地図とガイドなしでは延々と彷徨わされるダンジョン。
あえて正規ルートを外れ/迷い、追っ手を振り切る。背中にずっと張り付いていた敵意らしいモノが薄れた。
なので、それなりに身を隠せて見晴らしもいい梢に、座り込んだ。地面に腰を下ろし梢に背をあずけた。するとドッと、抑えていた疲れが染み出してきた。眠気にまで襲われ、いけないと頭を振る。
なので/気を紛らわすためにも、改めて周囲を見渡した。感慨がわきおこってきた。
(あれからまだ、3日しか経ってないのに……。もう、何ヶ月も前のことみたい)
今までの/まだ10年ちょっとしかない人生の中で、最も濃密な3日間だった。神様の気まぐれで与えられた3日間。
この森/この梢があった場所で私は、殺されかけた。あの大猿たちにピナもろとも、殺された、そうなるはずだった。―――キリトが助けてくれなかったのなら。
そこまで考えふと、思い出した。急いでメニューを展開し確認する。
「……よかった。まだ【心】のままだった」
【ピナの心】―――。ピナの形見。3日間の猶予期間内ならば、蘇らせることができる。そのための特殊なアイテムも揃っている。
逃げることに必死で、まだ使っていなかった。
アイテムを見ながら考える。
せっかくだ。どうせここで終わるのなら、ピナの顔を見てからにしたい……。ここで決意した目的だけは、果たしておきたい。
【心】をクリック。手のひらに白い小さな羽根が現れた。3日ぶりに/ちょうどここで見た羽根。
続いて【プネウマの花】をクリック。手のひらサイズの白い花が現れた。【思い出の丘】で苦労して/キリトと一緒に獲得したアイテム。
現れた羽の上にポトリと、花の雫を垂らした。磨かれた水晶のような透明な液体が、羽に染み込んでいく―――。
しばらく待つと羽から、光が溢れた。
輪郭が見えなくほどの光量。目を細めながらも見続けていると、光球の中で変化が起こった。手に持っていたはずの羽とは別物に、大きくなっていく。同時にどんどん光量が増していく、思わず目をつむってしまった―――
「―――キュッ、キュキュゥ♪」
聞こえるはずのない/でもよく聴き慣れた鳴き声に、胸が高鳴った。うっすらと/恐る恐る、目を開ける……。
目に映ったソレを見て、視界が潤んだ。
ふわふわのペールブルーの綿毛で包まれ、尻尾の代わりに大きな二本の尾羽を生やした、小さな飛竜。【フェザーリドラ】。小首を傾げながら無警戒に近づき、愛らしい鳴き声で何かを語りかけようとしている。―――ピナがそこにいた。
「お待たせだね、ピナ。ちょっと……遅くなっちゃった」
「キュキュ、キキュゥ♪」
元気な鳴き声で答えてくれた。まるで、この3日間などなかったかのように、ただ眠って今先に起きただけと言うかのように。
その天真爛漫な愛くるしさに、少しだけ……救われた。胸の重荷が軽くなったような気がする。
いつものように/ダンジョンでの定位置として、私の肩に停まった。やんわりと掴んできた足爪から何か、勇気のようなモノまで伝わってきた。
「……大丈夫。私は一人でも……大丈夫だから」
ピナに向けて、自分に言い聞かすよう呟いた。
ピナを冥土の道連れにする……。そんな情けない終わり方をしなくて済む。絶対にそんなことしないと/やらないだろうと、確信できた。最後が来たら必ず、ピナだけは逃がす。
ただ、それまでは……一緒にいて欲しい。最後のワガママ。
メニューを閉じてまた、静かにうずくまりながら座った。その時を待つ。
(できれば、痛くないといいなぁ……)
他人事のように願った。
高周波電磁パルスに脳を焼かれるというのは、どういう死に様なのか? さっぱり想像できない。沸騰したヤカンに触れた時のような痛みを、何百倍にしたようなものだろうか? それとももっと別の、悲惨なものだろうか。熱いのか痛いのか苦しいのか、それとも気持ちいい? ……。一人の夜/眠れない夜、ぼんやりとソレを考えるもわからなかった。他の人に聞いてもやはりわからない。端緒すらつかめない。
だから本番、何が起きたのかわからずに終わるはず。死に戻りで強制ログアウトされてすぐだから、おそらく。熱くも痛くも苦しくもないはず、もちろん気持ちよくなんてない。だからたぶん、眠るのと一緒だ。いつもしていること/この仮想世界でも同じ。
(だから、怖くなんてない。怖いことなんて、何も……)
いつの間にかプルプルと、震えてきた。ソレに気づき/抑え込むように膝をかき抱く。
それでも震えは、収まらない。考えれば考えるほど/意識すればするほど、止められない。体の芯から震えているようだった。
ガチガチと、歯まで鳴ってきた。まるで雪山の奥地にいるかのようで、何もかもが冷たい、寒い。
春になったここは、素肌を晒しても寒くなくなっていたはず。今はまだ夜にもなっていない。それなのに……寒い、寒すぎる。体感温度はどんどん冷え込んでいった、止まらない。まるで重要な栓が外れて、体温が抜け落ちていくかのようだった。ソレは熱である以上に、生命力であるかのようだった。
そう思うと堪らず……怖くなった。か細い悲鳴が、漏れた。
怖くないなんてウソだった。いつもと同じわけがない! 何もかも自覚しながら/させられながら、向かわされるんだ……。
生殺しだ。介錯すらされず、拷問じみた悪夢に包まれ/削り取られながら、消される。私の中にあった楽しかった記憶/尊い何もかもをも奪い尽くすまで、終わらせない。醜く汚れ不快な搾りカスになった後、捨てられる。……その頃にはもう、それでも/片隅ででもそこに居続けたいと願うだけになっているのに、切り落とされる。
視界が歪む、嗚咽が漏れる。目に溜まったモノがこぼれそうになった、あまりの気持ち悪さに吐き気がする。
だけど、落ちるギリギリで、膝に顔をうずめた。
わからない、わからない、わからない、わからないッ―――……。どうして私が?
たった一つの疑問/神様への訴え。
朧げながら/逃げる途中で得た断片的な情報から、答えはわかってきた。だけど/だからこそ、わからない。わかりたくなかった。ソレがわかったとしてもやっぱり……なぜ? 『なぜ?』だ。
どうしようもない理不尽さ。残ったのは、ただ……それだけ。答えにたどり着けない疑問符だけだった。
何とかまた、元の静謐へ。
諦観でくるんで考えることを放棄すると、ピナの警戒の鳴き声が聞こえてきた。
「キキュゥッ!? キュゥキュキュゥッ!」
催促され顔を上げると、確認した。
すると遠くから、獣の雄叫び、ドコドコと何か/太鼓のようなものを叩く音も一緒に聴こえてきた。
目を凝らしよく見ると……乾いた笑いがこぼれた。
どういうわけだろうか。なぜ神様はこんな、最も嫌な想いだけは汲んでくれるのか……
「ヴオオホオオォーォォオオォォッ――!」
【ドランクエイプ】2体。
かつてここで/私が、襲われた相手。連携を取られたら/回復行動を取られたら、ピナの援護があっても倒せないモンスター。……本当は3日前に、私を終わらせるはずだったモンスター。
だから、かつての相手とは違うのだろうが/仲間の不始末を処理するためか、またここに/私の前に現れたのかもしれない。
(ああ……ここで私、ゲームオーバーか……)
締まらない最後だった……。
もっといっぱい、楽しみたかったのに。これからもっともっと、このゲームを/現実世界だって楽しめたはずだったのに。素敵な想い出をいっぱいいっぱい、作りたかったのに……。
ピナが臨戦態勢、毛を逆立たせグルルゥと唸り威嚇する。
もう充分だ、ここから先は一人でいい/一人がいい。だから、ここから逃がそうと/今まで使ったことのない命令コマンドを向けようとした―――
寸前、飛びかかっていった。
「え……ピナ!?」
驚愕。止めるまもなくピナは、突貫してく。
今までこんな行動をとったことはなかった。索敵やHP回復などサポートに回ることが多く、その手の能力に特化している。そもそも【フェザーリドラ】自体、好戦的なモンスターではない。自分よりも強い相手に立ち向かうなどありえない。格上の相手を倒すだけの必殺など、持ち合わせていない。
だけど今/ピナは、無謀な突撃をしている。その行き着く先は……
大猿のターゲットがピナに向けられる。迎え撃つためか高々と、巨大な骨の棍棒を振り上げる―――
「だめピナ! 戻ってぇ―――」
制止の中断コマンドは虚しく、大猿とピナが衝突する。
ダンプカーと三輪車の対決/戦いの前から勝敗は決まっている。ソレが今、現実になろうとしている―――
(また私は、私のミスがピナを……殺すの?)
振り下ろされる棍棒でピナは、地面に叩き潰される。そんな結末を避けんと必死に手を伸ばすも、もはや届かず。絶望に顔を青ざめた。
激突の一瞬、見たくないのにまじまじと―――視えた。
振り上げた格好のまま、大猿の体に横一本、光の線が走ったのを。その線にそってズレていく上半身と下半身。
振り下ろされた棍棒はあさっての方向/空振り。ソレを不思議がった途端、全てが止まった。そして―――
ガラス破片を撒き散らしながら、消えていった。
唖然とする中/大猿だった残光の乱舞の奥から、懐かしい人の声が聞こえてきた。
「―――すまない。遅くなった」
全身黒を基調とした装備と、背中兄背負った一本の片手剣。謎の凄腕ソードマン/『黒の剣士』。
キリトがそこに、立っていた。
その姿を見た瞬間ハタリと、その場に尻餅をついてしまった。
「…………どう、して?」
「シリカならたぶん、ここに来ると思って」
短く静かな返答。
抜き放っていた/大猿たちを一撃で倒した剣を鞘に納めながら、近づいてきた。
その動き/足音でハッと、我に帰った。手に持っていた短刀を握り直し、差し向けた。
「こ、来ないでください!」
震えた声音ながら、最大の威嚇として叫んだ。
彼我の戦力は天と地ほど、私では絶対に勝てない。敵対した時点で負け、ここまで接敵されたら逃げ場などない。……私の威嚇など、ハエの羽ばたき程度でしかないだろう。
しかしキリトは、足を止めた。そしてソっと、いつも向けてくれた優しげな眼差しを向けながら、言った。
「今度は、きみの友だち―――守れた」
一瞬、何を言われたのかわからずにいると、代わりにピナが答えた。
嬉しそうに、私に対してするようにキリトに向かって、親愛の鳴き声を向ける。彼の傍をクルクルと、飛び回りながら。
悲惨続きのデジャブ。しかし今回だけは、違った。
自然とほろり、涙がこぼれ落ちた。
頬の濡れた感触でソレを自覚するとポロポロ、溢れ続けてきた。鼻水まで出てくる。
そのまま泣きじゃくりそうになる寸前、我慢した。歯を食いしばって/胸を押さえて耐える。すすり泣きになった。
ひと潮、激情の波が収まるのを見計らって、尋ねた。もうどうしたって、聞かずには済まされないこと。
「……なんで私を、助けてくれたんですか?」
私たちの出会い、その最初の場所。
そこでまた、同じ質問をぶつけていた。
長々とご視聴、ありがとうございました。
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