「―――待てシリカ!」
戻ろうとする私の肩を、キリトが掴んで止めた。
しかし、もう幾分も時間がない。こうしている間にもロザリアは……。その手を振り払った。
「離して、離してくださいッ! あのままじゃロザリアさんは―――」
「わかってる! もう少しだけ待ってくれ」
「もう少しって……」
死ぬまで待つってことか……。信じられないものを見た。今まで知っていたと思っていたことが全て、まやかしに思えてきた。
真正面に振り返ると、挑むように睨んだ。
「なんで、あそこまでする必要があったんですか?」
ここまで残酷な人だったとは思わなかった……。否定して欲しくて問いかけた。
しかし―――
「……『あそこまで』ていうのは?」
「とぼけないで下さいッ! アレはやり過ぎじゃないですか!」
プルプルと震えながら、指さした先にある光景は、今にも殺されんとしている一人の女性だ。なんの抵抗もできず地に這い蹲らせた。それでも足りず、仲間たちを裏切らせて毟り取らせた。空っぽの残骸に成り果てていた。
そう誘導した【黒の剣士】はしかし、私の糾弾はどこ吹く風。微塵も罪悪感など感じさせずに答えた。
「そうか? オレは―――あれでも足りないと思ってるよ」
「なッ……」
意味がわからない、ドウシテ……。キリトのことが本当にわからなくなった。怖くなってジリと、後ろに下がってしまう。
だけど、寸前で堪えた。ここで逃げたら、加担したことになる。もうどうしようもなくそうだけど、ここまでするつもりはなかった、ここまでの残酷さは自分の中にはない。受け入れがたい。ロザリアのためというよりも、己の心を守るために踏みとどまった。
そして睨みつけるも、帰ってきた答えはさらに斜め上を行った。
「彼女は、【タイタンズハンド】ていうオレンジギルドのトップだ。もう何人も殺してきた。シリカが組んでたパーティーもそうなる……はずだった」
衝撃の事実。一瞬、彼のでまかせかと思ったが……その顔には冗談や嘘をついている雰囲気はない。事実に沿ってる強みに溢れている。
様相が異なり怯むが、それでも拳はもう振り上げていた。鵜呑みにするわけにはいかない。
「……で、でも、彼女のカーソルはグリーン……でしたよ?」
「直接のPKはやってなかっただけだ。ターゲットを調べて仲間のフリをして、殺し屋たちの元に誘導するのが主な仕事だ」
確信をもって断定してきた。もうすでに調べ尽くしたのだと、伝わって来る。
たしかにそう言われれば、そのような盗賊の集団だった。ロザリア自身はグリーンで周りはほとんどオレンジ、それなのに彼らを統率しているのが彼女……。その事実だけでもう、キリトの言い分は証明されていた。
だとすると一層、疑念が沸いてきた。
「……なぜ、そんなに詳しいんですか?」
「オレが監獄に入ってた時の同居人が、犯罪者たちの内情に詳しい奴だったから。特に、中層域で暴れてる奴らのことは」
監獄に入れられてた……。何気なく言った過去は、言葉よりも重く伝わってきた。入れられ『てた』=過去形。
盗賊たちは口々に、脱獄という単語を漏らしていた。つまりキリトは……犯罪者。もしくは刑期をちゃんと終えてでてきた元犯罪者なのかもしれない。どちらにしても彼の過去には、何かしらの犯罪が関わっている。あの優しさの奥にはそんな、暗い闇が潜んでいた……。今更ながらゾッとさせられた。
しかし、第一印象は塗り替えられていない。彼が示してくれたモノが全て偽りだったとも思えない。
だから……聞いてみた。もし演技だったら隙を見せてしまうことだけど、今さら何を防ごうと遅い。ならいっそのこと……飛び込む。信じ抜いてみる。
「もしかして、そのために私を……助けてくれたんですか?」
「いや、それは―――」
顔を曇らせながら言い淀むと、突然、ロザリアがいる方向へ顔を差し向けた。
鋭い視線。ロザリアではなくその奥を見据えている。何をそんなに警戒しているのか私も見るも、視界にはぼやけた景色しかみえない。警戒するようなものは何も映っていない……。
そこでふと、違和感を覚えた。おそらくキリトが警戒しているものとは別だが、私には重要なこと。あるべきものがない。いや、もうあってしかるべきものがなかった。
戸惑って首を傾げていると、キリトが申し訳なさそうな顔で驚くべきことを告げてきた。
「……ごめんシリカ。そろそろ気づかれそうだから、始末してくるよ」
「し、始末!? ……気づかれる?」
物騒な単語と、意味不明な単語……。眉をひそめているとキリトは、ポーチからロザリアにかけた【香水】を取り出した。
「コレ、【蟲寄せ】じゃなくて【蟲除けの香水】なんだ。だから……あと20分は絶対、モンスターが彼女に襲いかかることはない」
一瞬、何を言ったのかわからなかった。
そうだと思ったから皆、あんな無残なことをしたのに、私だってキリトのこと責め立てているのに、ロザリアは今絶望しているのに、それじゃ全部……。不安そうに見上げる私にキリトは、ニヤリと笑みを向けてきた。イタズラが成功したかのような、悪ガキの笑顔。
ソレを見て全て悟った。一瞬呆けて、次にドッと力が抜けた。泣きたくなるような苦笑がこぼれた。
よかった、本当によかった……。怖くて溜め込まれた分、目尻から涙が滲んできた。こぼれそうになるのをぐっとこらえる/俯いてやり過ごそうとした。それならもう、何も言うことなんてない。いやなかったんだ……。
そんな私の様子を見てかキリトは、恥ずかしそうに頬をポリポリとかいていた。やりすぎたかなと大人気無さを、「あぁ、そのぉ……なんだ」と口ごもらせながら謝るタイミングに困っていた。だけどついぞ見いだせず、朗らかさで踏ん切ってきた。
「それじゃ、ちゃちゃっと全員【気絶】させて、監獄送りにしてくるよ。奴らかなりの重犯罪者だから、クリアされるまで出られないんじゃないかな? ロザリアはコレで懲りたと思うけど……反省しだいだな。
シリカは先に、オレのホームで待っててよ」
はいと/コクリと頷いた。
ソレを見てさらに苦笑するも、振り切って真面目な忠告をしてきた。
「オレが離れたすぐに【転移結晶】使って帰ってくれ。間違っても歩いて帰ろうとしないでくれよ。一人じゃこのフロアは、まだまだ危険なんだからな」
「はい! キリトさんの帰り、待ってます」
今度は元気よく答えると、キリトも頷いた。
そしてそのまま、ロザリアの元まで/彼女の『死』を隠れて見物しようとしている盗賊たちの下へと、踵返していった。
「……やっぱりキリトさんは、良い人だ」
その背中を見送りながら、改めて、信じてよかったと思う。彼は決して、残酷な人なんかじゃない……。なので私も、言われたとおり/言ったとおりホームで待っていよう。
耳につけていたピアスに集中し呪文を唱えようとした。
(……これはとっておこう)
青と黄色、両耳につけた二つのピアス。せっかくもらったものだし、記念にとっておきたい……。
ストレージから自前の【転移結晶】を取り出すと、呪文を唱えた。
「転移、【アルゲート】/23612―――」
次の瞬間、体は光に包まれ、別空間へと瞬間移動した。
◆ ◆ ◆
『23612』というのは、キリトのホーム名だ。
通常は、主街区などの【転移門】がある街にしか飛べない。しかし、【フラッグ】を立てておいた自分のホームなどには、直接飛ぶことができる。さらに、フレンドかつパーティーメンバーとの繋がりが深いプレイヤーだと、名前さえ知っていれば転移することができる。
名付け方は人それぞれで、別段センスを競うものではない。が/それでも、淡白なものだ。変わっているので覚えやすいが、数字だけでは自分のホームだと想いづらい。ただ、使い魔とは違い、建物を擬人化しすぎるのは気恥ずかしいし難しい。なので、現実の住所のようなモノに落ち着くのだろう、そう変わり過ぎてるとは言えない。
(今度機会があったら、聞いてみようかな……)
少なくとも、あと2日は一緒だから、いつでも巡ってくるだろう。
そんなことをぼぉっと考えていると、キリトのホームに転移していた。
もう見知ったホームの中。しかし一人、他人の家に上がり込んでいる……。そう思った途端、ソワソワとしてきた。
(キリトさんがいないのに、上がり込んでるなんてちょっと……)
ドキドキしてしまう。
改めて周りを見渡すと、色々と興味を惹かれる。機能的であまり物が置かれていないけど、ホームだからだろう、キリトの色がそこかしこから見えてくるような気がする。彼のことを知るチャンスだ、悪いことに使うわけではなくただの好奇心だ。今の私たちは、それだけの関係なったのだと……思ってる。もうワンランク上げても……いいのじゃないか。いや、そうなるべきだろう。
けど/誘惑に駆られるけど、信頼して行かせてくれた。無下にはできない……。騙してまで探るつもりはない。そんなことをしては、最も大事なモノを失ってしまうだけだ。何より、性にあっていない。
ただやはり……気持ちを誤魔化すのは不健全だ。ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ……確認したいことがあった。
(キリトさんなら、まさかないとは思うけど、男の人だし……)
ずっと疑問に思ってたことを、ここで解消するチャンスだ。今を逃したらたぶん、これから数年はわからないまま。
おそるおそる寝室に向かうと、簡素なベッド。意を決してその下を、覗き込んだ―――
「…………やっぱり、あるわけないよね」
ホッと安心、ちょっとだけ残念……。なくて良かったけど、あったらあったで覗き見したかった。どんなモノなのか興味があった。自分ではよくわからない男の人の好みが/キリトの趣向が、ソレを通してわかるはず。
顔を上げると、肩をすくめて自嘲した。そもそもここに、そんな『特殊趣味本』など売っているのかどうかすらわからない。探せばあるのかもしれないけど、少なくとも自分が知っている範囲内ではなかった。そういうものは、それだけ熟成した都市機能と文化を育んだ先に生まれる。ほぼ中世時代、あるいは産業革命前の電気機器のない自然豊かな田舎風のここでは、お目にかけることはまず無理だろう。
ため息混じりに寝室を出ると、手持ち無沙汰に客間のソファに腰掛けた。そこでキリトを待とうとした。
人様のホーム内で物色もできないとなると、時間が長く感じる。ただ待っているだけでは少し、ソワソワしすぎてる。何かしていたいなぁ……。
「お風呂入りたいけど……間に帰ってきたら、まずいもんね」
その時の不意打ちを妄想して、顔が真っ赤になってしまう。色々と冗談では済まされなくなる。…………なんてこと妄想しているのよ、私!
ブンブンと頭を振って、ピンク色の妄想を振り払った。真っ先にしたいことだけど、さすがにソレはまずい。大いにまずい。……まだ心の準備がでてきていない。たぶん……体の方も。 すると唐突に、お腹がなった。ぐぅ~と情けない音。聞くだけで力が抜けてくる。
(お弁当食べたばっかりなのに、もうこんなに……お腹すいたなぁ)
花より団子。食欲がほかの欲を振り落としてくれた。
かなり激しく、動き回らされた。格上のフロアということで、緊張の連続だった。大先輩がそばにいて安心はしていたけど、別の意味で緊張させられっぱなしだった。気づかないうちに多大なカロリーが消費されたのかもしれない。……その手の不確かな精神論だけでなく、急激なレベルアップが主な原因だろう。
力なくため息つくと突然、閃いた。明るく顔も上げる。
「そうだ! 夕食の準備して待っていよう!」
さきの弁当は好評だった。かなり多めに作ったが、ぺろりと全部平らげてくれた、それも美味しそうに……。今思い出しても実に、ホワホワさせられる。
よし! と立ち上がった。思い立ったら吉日だ。
キッチンまで行くと、食材保存用のツボと木箱を覗き込んだ。勝手に使わせてもらうことになるけど、食材は大体足が早いから。使えるときに使い切ったほうがいいから、キリトは【料理】があまり上手くないらしいから……ゴメンなさい。
しかし中には、【料理】にたるものはなかった。
燻製された小魚や肉が数枚/漬物にされている野菜/ドライフルーツらしき果物、あとはお酒と思わしき瓶が数本置かれてるのみ。……どれも長期保存可能な加工品だ。
ため息つくと、自分のストレージを確認。ここにないのなら自分のモノを使えばいい……。
しかし、持ち合わせにも【料理】に使えるものはなかった、自分のホームと35層の拠点に置いてきていたことを思い出した。なら、ここで獲得したものが使えるかもしれないが……未知の食材でもてなし料理をつくれるほど、【料理】を極めていない。そんな危なっかしいものをキリトに出したくもない。
ガックリ肩を落とした/考えた。キリトがあとどれくらいで戻ってくるかは……わからない。あと数十分、というわけではないだろう。『監獄に送る』というのだから、ヘタしたら数時間かもしれない。間を見積もって1時間だ。
帰ってくるまで何もしないでいるのは、心苦しい。それだけの時間があれば、もっと別のことができる。
「街の中だったら別に……構わないよね」
買い物しよう……。食材を買い集める。
【思い出の丘】までの冒険で、お金もアイテムも溜まった。ここ50層の相場はわからないが、食材の値段はどこもそう変わるものではない。大都市なら安くなる傾向だ。ふたり分の食材を買い揃えられるぐらい、わけない。
うんうんと納得すると、さっそく出発した。キリトが帰ってくるまでに全部済ませることはできる……。書置きも必要ないだろう。
ルンルン♪ と楽しげに散策&ショッピングに思いを馳せてトビラをあけた。するといきなり、人にぶつかった。おもわず鼻をぶつけそうになった。
「おっと! こんちわっス。また会ったっスねシリカちゃん」
「……ど、どうも」
朝に路地裏であった、飛行眼鏡の少年/名前は確か【レプタ】。
キリトの知り合いらしいが、私は……あまりよろしい関係を築けそうにない。年齢はほとんど変わらないはずなのに、敬語で嫌煙してしまう。
あまりにも衝撃的な出会いだったから。当たらないし致命傷にもならないとはいえ、出会い頭にピックを投擲させられるなんて、それも悪びれた様子もなく……。全く身に覚えのない罪を数えてしまった。
「今……一人みたいッスね。キリトさんはまだ帰ってきてない?」
尋ねているようだけど、断定しているような、確認している。
思わず正直に頷いてしまった。
「よかった! それじゃ、邪魔されることもないッスね―――」
パッと顔を明るくすると、いつの間にか取り出していたナイフ。
ソレが目に映った時/『ナイフ』だと認識できた時には、またいつの間にか―――脇腹に刺さっていた。
刺されて驚愕、おくれて痛みが広がった。
「え!? あ……れ? どうし―――」
さらにガクリと、膝から力が抜け落ちた。
その場に倒れてしまう直前、レプタに受け止められた。
「安心してください、【麻痺毒】ッス。動けなくなっただけッスから」
「どうし、て……? ここ、【圏内】なのにこんな……ことが? それにあなたは―――」
見上げると彼のカーソルは、グリーンのままだった。
色が変わってない……。本来なら、イエローに変色するべき/準犯罪者になるのにそのまま。誤作動が起きていた。
ブルブルと震える、カチカチと歯がなる。言い知れぬ恐怖に揺さぶられた。
困惑させられていると、レプタは静かに状況を説明してきた。
「【圏内】は、プレイヤーのHPやステータスが、他人から侵害されないようにしてくれるところッスよ。シリカちゃんには当てはまらねぇッス」
そんな特例、あるわけない……。事実そうなっているが、信じられないことだった。何らかの詐術が行われてるわけでもない。というか、どんな手段を用いても【圏内】は不可侵であったのに、なぜ……。
疑問は募るばかり。混乱で頭が破裂しそう。
「ここで、始末つけてもいいんッスけど。俺が手を出したらコウイチさんに迷惑がかかるかもしれない……。なんで、『ナイト』さんに頼むことにするッス」
こちらの事情は省みてもらえず、「よいしょっ!」と私の体を肩に乗せた。
同じ体格なのに、軽々と持ち上げている……。先に感じた強さは、まさしく本当だった。装備はここでも使えるほどの高価なもので、決して軽くないはず。なのに、それができる【筋力値】を彼は持っている、見たところスピードで翻弄する遊撃タイプなのに……。このフロアの基準レベルを大きく上回っている証拠だ。
彼はキリトの知り合いでもある。キリトはあの【黒の剣士】だ。ならば彼も―――攻略組だ。
怯えが顔にまで表れてくると、落ち着かせるようにニコリと微笑んできた。
「安心して下さい。死ぬかもしれねぇッスけど、死なねぇかもしれねぇッス。どっちにするかは……彼らに決めてもらうッス」
朗らかに恐ろしいことを告げてくると、ポーチから【転移結晶】を取り出した。
誘拐―――。全く状況に困惑させられっぱなしだったが、ソレだけはわかった。ソレだけは何としても妨げなければならないことだとも。しかしもう……抵抗は遅かった。
「転移、【グランザム】/青馬の館」
何処かへ、私が行ったことのない場所を唱えられた。
そのまま、光に包まれ転移させられる―――寸前、最後の抵抗を試みた。
気づいてくれる望みを託し、片耳の/黄色のピアスをもぎ取った。そのままギリギリ……投げ捨てられた。
手から離れ地面に落ちる数瞬、転移で消された。行方はわからない。ソレが残ったかどうかは……祈るばかりだ。
長々とご視聴、ありがとうございました。
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