偽者のキセキ   作:ツルギ剣

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55階層/思い出の丘 プネウマの花

 

 フィールドを南に歩いて数十分、早速最初のモンスターと遭遇したが―――

 

「い、いやぁぁぁ―――ッ!?」

 

 歩く花に追われていた。あまりの気持ち悪さに悲鳴を上げながら、ただひたすらに逃げる。

 濃い緑色の茎は人間ほどに太く、根元で複数に枝分かれてしっかりと地面を踏みしめている。茎もしくは動のてっぺんにはヒマワリに似た黄色い巨大花が乗っており、その中央には牙を生やした口がパックリと開いて内部の毒々しい赤をさらけ出している。

 茎の中程からは二本の肉質のツタがニョロリと伸び、その腕と口が攻撃部位となっているのだろう。人食い花は大きなニタニタ笑いを浮かべながら、腕あるいは触手を振り回して飛びかかってきた。

 

「大丈夫だって、そいつすごく弱いから! 花の下の白っぽいところ狙えば、簡単に倒せるから―――」

「そういう問題じゃ、ないんですってば!」

 

 とにかく気持ち悪い、悪意に満ちてるとしか思えない。健全な精神では向き合えない、生理的な嫌悪感をもよそうさせるデザインだ。……作った奴は、悪質な変態であるのは間違いない。

 くるなくるなとブンブン短剣を振り回しながら、逃げ惑い続ける。

 

「何なんですかコイツ? 気持ち悪すぎる……」

「そいつで気持ち悪がってたら、この先やっていけないぞ。

 花が幾つもついてるやつとか、食虫植物みたいなやつとか、あとヌルヌルの触手が山ほど生えてる奴とか―――」

「ひいぃ―――!?」

 

 それら怪物たちが目に浮かぶようで、鳥肌がたった。

 あたり一面は色鮮やかでキレイな花畑であるのに、どうして出てくるモンスターたちはそんなのばっかりなのか。恐ろしすぎる罠だ。……観光なんて生ぬるいこと言ってられない。

 キリト曰くまだ初級の変態生物は、そのカテゴリーにたがわぬ執念で追いかけてくる。モンスターとしてプレイヤーを倒す役目を果たしているだけなのだろうが、レベル差体格差未知である以上のおぞましさがある。ほとんど当たっていないとはいえ、短剣を目の前で振り回されているのにビビっていない、むしろ拒絶とは逆の意味に捉えているみたいだった。目と思わしき中に、ハートマークが浮かんでいるような気がする。

 コレが序の口なの……。早くもこのフロア、好きになれなくなっていた。

 

「も……もう! 来ないでって、言ったで―――しょッ!!」

 

 逃げるのをやめて振り向きざま、意識しないように速攻で、ソードスキルを叩き込んだ。

 しかし、外れた。刃を空を切る。狙いを定めていなかったから当然だ。

 それで敵は、ますます付け上がってきた。ニタニタ笑いを深めニンマリと、スキル後の硬直時間の隙間を縫って、二本のツタを伸ばしてきた。

 

「!? 避けろシリカ!」

「へ? ―――わぁッ!?」

 

 伸びされたツタが足に絡みつくと、いきなり引っ張られた。腰をしたたかに打つとその場に、【転倒】させられた。

 痛たぁと腰をさすりながらも、絡みついたものを外そうと短剣を振り上げる。

 

「こ……この! 変なとこ捕まな……いわ、わ、わわゎ―――ッ!?」

 

 短剣がツタを切る寸前、いきなり持ち上げられた。予想外の膂力に短剣は外れる。そしてそのまま、逆さ釣りにさせられた。

 すると当然/どうしようもなく、仮想の重力が働いた。ペロリとスカートが、めくり上がってしまう―――

 

「わわわわぁッ!?」

 

 ソードスキルもかくやとすばやく、スカートを押さえた。……ギリギリ隠しきれた。

 すぐに助けに近づいてきたキリトだが、私のその有様に躊躇していた。やるべきやらざるべきか、顔をそらすべきか無視して早急に問題を解決すべきか……。

 晒し者状態から脱出するため、ツタを切ろうともがいた。なんとしても早急に一秒でも早く、脱出しなければならない。しかし、逆さ吊りかつ片手ではうまくいかない。ツタもこちらを弄ぶようにうねうねと避ける。

 全く当たらない、当てられそうにもない……。顔を真っ赤にさせながら/乙女のプライド半分ほどかなぐり捨てながら、助けを叫んだ。

 

「き、キリトさん助けて! 見ないで助けてッ!!」

「む、無茶言うな!?」

 

 とは慌ててるものの、何とか見ないように顔を逸らしてくれている。ながらも何とか、助けに入る隙を伺う。

 そんな私たちの様子を楽しんでか、変態花はさらにゆさゆさと嬲ってくる。

 

「や、やめてッ!? やめ……このぉ! いい加減に―――!!」

 

 もうこの際、恥も外聞もない。ソレに一瞬ならばいけるはず……。両手でしっかり握り直し狙いを定めるとプチンッ―――ツタを断ち切った。

 開放されるとそのまま、頭から地面に落下した。変態花の悲鳴も上がる。それとほぼ同時に、キリトがソードスキルを繰り出すのが見えた。高速の刃が変態花に叩き込まる。

 ほんのひと拍ほど遅れて、下卑た頭がボトリと切り落ちていった。そして分断された体の方も、遅れて倒れる。

 

 私はその手前あたりで、受身も取れず頭から落下していた。ついでに両足の膝も地面につくくの字の屈伸格好で。ゆえに当然、『丸見え』を越えた『丸見せ』状態。さらにさらに、無事を確かめようとキリトが振り返った/あられもない格好と向かい合った。

 瞬間、どちらもフリーズした。

 

 再起動は数秒後。すぐさまキリトは、顔を逸らし背を向けた。私もすぐさま引っくり戻り、服の乱れを整えた。

 すべてを終えると遅れて、顔が/全身が真っ赤になっていった。まるで、ドラゴンの火炎ブレスを浴びた直後のように真っ赤っかに。猛烈と、記憶消去しようとしたが……当然のことできなかった。なかったことにしたいが、もはや叶わぬのぞみ。

 なので恐る恐る、極限を振り切った恥ずかしさを抑えに押さえ込みながら、ボソリと確認した。

 

「……見ました?」

「見てないですよ」

 

 嘘だ、絶対に嘘だ。顔は見えないが確信できた、反応が早すぎる、言葉遣いもおかしい。

 じと目でその、ほぼ確定犯人の背中を探るも……証拠は見えない。なのでボソリと、引っ掛けてみた。 

 

「…………ワインレッドに黒の花柄レースのローライズ」

「(ビクッ)!?」

「やっぱり見たッ!」

 

 捨て身の追及が功を奏した、隠しようもなく肩が動いた。間違いない、犯人だ。肩はプルプル震えながらも、指先はピシリと突きつけた。

 観念したのか犯人=キリトは、おそるおそると振り向いた。そしていきなり、その場に正座して腰をほぼ直角に曲げながら、頭を下げてきた。

 

「―――すいませんでした! 眼福でしたッ!」

 

 土下座、見事な土下座だった。完全なる謝罪をぶっこんできた。

 二の句が告げずワナワナと、指を突き出した状態で固まってしまった。こんなに真っ直ぐ謝罪されたら、何も言えないじゃない。てか本当に、見られちゃったのアレを……。『シリカは痛恨の一撃を受けた』のにようやく気づいた。

 思考停止/現実逃避しようと、あるはずのない『ログアウト』ボタンを探していると、頭を上げたキリトが頬を掻きながら何とも言えない難しそうな顔を向けてきた。

 

「……オレ、シリカのことずっと年下だと思ってた。けどもしかして、同年代かずっと年上、だったりするの……ですか?」

 

 語尾を無理やり丁寧語に変えながら、尋ねてきた、もしも年上だったのなら失礼が無いようにするために。

 予想もしてなかった追撃にまたまたポカーンとなった。ナニを言ってるのこの人は……。私が彼より年下なのは、見れば分かることではないのか?

 ハッと、自問したら気づけた。『見た』からわからなくなったのだ、と。私が年上の可能性は極々小さいが、ないとは言い切れなくなった。あんなもの常時履いてる女子中学生ならびに高校生でもいなかろう、アレは『勝負』のための戦装束だ。少なくとも彼の視点では、ありえない部類だろう。

 そしてウッと、もう一つも気づけた。ここでもし、誤解を訂正して年下だと正直に教えたのなら、どうなるのか? ……私の乙女心は爆散する、おそらく塵すら残らないだろう。もう二度と彼の顔をまともに見られない。かと言って年上だと嘘をつけば、後で必ずバレる。空恐ろしい二重の罠だった。

 

「……ぷ、プライベートにつき、回答を拒否します」

「いや、無理に聞きたいわけじゃな……ないですから。……で、いいのかな?」

 

 そんな私の懊悩などなかったかのように、キリトはおずおずと尋ねてきた。実際、そんなつもりで聞いてきたわけではなかったのだろう。

 顔を引きつらせながら/曖昧に苦笑しながら、まるで自己紹介し直すように言った。

 

「……今までどおりで、お願いします」

「あぁー……うん! それじゃ……そうするよ。今更変だしなぁ」

 

 そして、互いに誤魔化すように笑った。

 すると、どうでもよかったような気がしてくる、強張りが少しだけ解けた。本当にクスクスと/でもまだちょっと恥ずかしそうに、微笑がこぼれてきた。

 

 先に立ち上がっていたキリトが手を差し出した。その手を取り立ち上がった。

 先は長い、ここはまだ序の口でしかない。それにここは、私にとってはありえない危険地帯だ……。今度は失敗しないと、気を引き締め直した。

 前を進むキリトの背を追いかける。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 ―――と、勢い込んでしまったのが、悪かったのだろうか。

 またもや、このフロアの洗礼を受けてしまった。

 

「うへぇ、べとべとしてるよぉ……。それにちょっと―――臭!?」

 

 気持ち悪い、鼻をつまむ、それでもこみ上げてくる腐った生卵臭。まるで自分の体臭がそうなってしまったかのようで、恐ろしくなってしまう。

 早くお風呂入ってすっきりしたい……。巨大食虫植物の胃袋をカッ捌いてしまった報い、注意されたがその場に留まってしまった未熟のなれ果。それが、全身ベトベトで胃液/溶けきらなかった残留物まみれ。入ったらお風呂まで汚染されそうな凶悪なヘドロだ。

 

「……キリトさん、何で言ってくれなかったんですか?」

「悪い……。浴びたことなかったんで、失念してた」

 

 心配しそうに謝るも、ちゃんと鼻をつまみながら/適度な距離を保ちながら。決して私が触れられないようにしている。

 立場が違ったら私も同じことしそうだけど……。恨みがましく睨む、憂さ晴らしと気持ち近づこうとする。

 そんな攻防を何度か続けると、話を逸らすようにつぶやいてきた。

 

「それにしても、こんなに……臭うとはな。【蟲寄せ団子】制作の素材になれるわけだ」

「感心してないで、助けてくださいよぉ。どっかに小川とかの水場ないんですか?」

「残念ながら、ここら辺は一面花畑だよ。この時期だと雨も降らないだろう。……しばらくはそのままで我慢してくれ」

 

 キリト曰く、あと一時間もしないうちに痕跡も臭いも消えるとのこと。だが、こんな格好をあとそんな長時間晒したくない/こんな臭を引き連れて冒険したくない。せっかく二人きりなのに……。彼は時々、乙女心をわかってくれない。

 盛大に/力なくため息をついた。

 

「……せめて、臭い消し用のアイテムとか、ありませんか?」

「【香水】のこと? 悪いな、今は持ち合わせてないんだ。

 かわりにコレ―――鼻に詰めて、こらえてくれ」

 

 ポーチから取り出してきたのは、二つの小指大のコルクらしきもの。耳栓ならぬ鼻栓。いらんことに片側には、小さな花の彫り物がついている。

 なるほど、確かにコレは香水の代わりになるだろう。匂いをかげる場所を封じれば臭は感じない。しかし―――

 

「……なんですか、これ?」

「【鼻栓】」

「そんなことはわかってます。私が言いたいのは……コレをつけろと?」

「結構効くんだよコレ。ここみたいな臭のきついフィールドだと、御用達のアイテムだ」

 

 ほれほれと、勧めてきた。その顔には悪意の含みは……見当たらない。

 かなり躊躇うも、抑えきれない異臭が促してきた。どうも耐えきれそうにない……。

 えぇいままよ! と【鼻栓】をひったくると、くるり背を向けスッポリと装着した。

 すると―――奇跡が起きた。

 爽やかな春風が、鼻腔を満たす。雲一つない青空の下に広がる大草原、全身が清められていく……。この一瞬で、別空間に転移したかのようだった。

 

「わぁ、ふごひぃ! 全然臭わなくなった!?」

「だろ! こっちの方が消臭剤よりも効果あるんだ、安くて長持ちもするしな」

「こへ良いでふね、キリトさん! しゅごいでふよぉ!」

「そうなんだが、ただ、見た目がちょっと―――プッ!」

 

 耐え切れず吹き出してきた。

 首をかしげていると、こちらを見ない代わりに手鏡を向けて見せた。思わず、ソレを覗き込む―――。

 ブワッと一気に、顔が真っ赤になった。ソレを見てますます笑われる、腹まで抱えられた。

 

「わ、笑わないでくだふぁいよ! キリトさんがやふぇっていったじゃないでふかッ!」

「ぷはっ! しゃ、喋り方までッ!? ……まさかここまで、面白くなるなんてなぁ」

 

 ウガーと怒るも、目尻に涙をためるまで笑われるだけ。

 なので、もう臭いなんてどうでもよくなった。すぐに【鼻栓】を取り去ると、そのままフンとそっぽを向きながら先へ進む。

 

「……臭い大丈夫?」

「我慢できます」

「それじゃ、【マスク】は使わない? 【鼻栓】よりかは効果薄いけど」

 

 ギッと睨みつけた。なんでそっちを先に言わないの……。

 再び喚きたくなるも、やめた。

 

「……結構です、ガマンします」

 

 プンスカと先へ進む私に、ニヤニヤと含み笑いを向けるキリト。……くそぉ、今に見ておれよ。

 悔しさを抑えながら、どうやって復讐してやろうかと頬を膨らまし続けた。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 その後も幾度か戦闘を繰り広げながら、赤レンガの街道を進んだ。

 

「……そろそろ機嫌直してくれよ、シリカ」

「キリトさんもアレ浴びたら、考えてもいいです」

 

 さすがに無言を通しきるのは難しく、「まだ許してませんから」とそっぽを向くだけにとどめていた。

 

「それでいいならやるけど……、そっちにも被害でるぞ?」

「いいですよ、もう慣れましたから。存分に臭くなってください」

「それじゃ、仲直りは後回しだな。―――もうゴールみたいだ」

 

 小川にかかった小さな橋を渡っていると、その先に一際大きな丘が見えてきた。赤レンガの道はその丘を巻いて、頂上まで続いている。

 

「アレが【思い出の丘】だよ」

 

 色とりどりの花が乱れる登り道、ワサワサと這い出てくるモンスターの群れ。頂上は、高く茂った木立に覆われ見えない。

 ラストスパートだ……。もう一度気を引き締め直した。

 

 

 

 一段と激しくなったエンカウント率。同じような敵とはいえ油断ならない……。慎重に立ち回りながら、着実に敵を屠っていった。

 35層とは比べ物にならない強敵、ゆえに経験値も大量、LAをキリトが譲ってくれたのも大きい。ここまで来るだけでレベルが上がっていた。

 基本はバックアップに徹するキリト。ヘイトを稼ぎ引き寄せて、私が危なくなったらサポートに向かう。複数体に囲まれた場合はすぐさま数を減らし、私が常にタイマンで敵と向かい合えるように整えた。かなりのレベル差があるとはいえ、キリトからもらった良質の装備と立ち回り方を覚えれば、それほど危険な相手ではない。時々ヒヤリとさせられたことはあったが、数をこなしてくれば慣れていく。……私の成長を考えての布陣だった。

 至れりつくせりの冒険。故にますます、疑問が募っていく。

 

(なぜキリトさんはあの時、35階層なんて下層にいたのだろうか……)

 

 聞こうと思って聞きそびれた理由。聞かずじまいにここまで来てしまうと、ますます聞き辛くなってしまった。ので、チラチラその横顔をのぞき見ながら、考える。

 墓参り、お礼参り? パーティーを一度全滅させた過去がある。何かしらのケリつけにやってきた。そこに私が偶然いた……。彼の知り合いと思わしき高レベルプレイヤー、私のことをよく知っているような口ぶり。キリトは彼がいることを快く思っていない。なぜ? 彼が告げた言葉「手間をかければどちらも辛いだけ」、キリトの答えには「自分たちの手は汚さないのか?」―――。

 

 何かが噛み合いそうになる寸前、景色が開けた。木立を抜け頂上にたどり着いた。

 思わず駆け寄り、歓声を上げた。

 

「うわぁ、キレイ……」

「とうとう着いたな」

 

 空中の花畑。そんな形容がふさわしい場所だった。周囲をぐるりと木立に囲われて、ポッカリと空いた山頂。その開けた空間一面には、美しい花々が咲き誇っている。

 今日まで随分と絶景を観賞してきたが、中でも指折りの光景だった。五感いっぱいに……見蕩れてしまう。

 

「ここに、その……花が?」

「ああ。真ん中あたりに岩があって、その天辺に生えてる……らしい」

 

 指し示した先にあるのは、白く輝く大きな岩棚。

 息せきながら駆け寄り、胸ほどの高さのソレを上から覗き込むも―――

 

「……えぇと、ここで……いいんですよね?」

「ああ、その……はずだよ」

「でも、そのぉ……ない、ですよね?」

「いや、そんなはずは―――。ホラ、見てごらん!」

 

 視線に即され再び岩の上に視線を戻すと―――

 

「あ……」

 

 柔らかそうの草の間に、今まさに一本の芽が伸びようとしていた。

 視点を合わせて焦点を絞っていくと、細部のきめ細かさだけではない、明らかな成長が見られた。若芽はくっきりと、鮮やかな姿へと変わっていく。そして、二枚の真白い葉が貝のように開き、その中央から細く尖った茎がスルスルと伸びていった。

 息詰めながら見守っている最後、先端に育った純白型に輝く涙滴型の膨らみがほころび―――しゃらんと、鈴の音を鳴らした。蕾が開き、光の粒が宙を舞った。

 

 【プネウマの花】―――

 優しく触れると、ちぎりことなく手の中にこぼれ落ちた純白の花。その瞬間、音もなくネームウインドウが開き、その名を知った。

 

(やっと手に入れたよ、ピナ……)

 

 壊れないように/だけどしっかりと、去来する様々な思いを込めて、胸の中に抱き寄せた。確かにここにあると実感する。

 

「―――これでピナを、生き返らせられるんですね」

「ああ。【心】に、その花の中に溜まってる雫を振りかければいいんだ」

 

 メインウインドウを展開し、その上に花を乗せた。アイテム欄に格納されたのをしっかりと確認し、ソレを閉じた。

 小さくひとつ、吐息を漏らした。大きな肩の荷をようやく下ろすことができた。

 キリトに振り返ると、気持ちを新たなにニッと、朗らかに笑いかけた。

 

「あとは、キリトさんの分と予備にもう一本、ですね」

「時間も十分間に合うしな。……ピナには少し、我慢してもらうか」

 

 【心】の耐久限界値は、まだまだ余裕がある。すぐに復活させてあげたいが、ソレでは【プネウマの花】を手に入れることができない。罪悪感がチラとよぎるも、やりたいことができたのだ。そのためにもコレは、必要なことだ。

 

「それじゃ、一旦帰るか!」

「はい!」

 

 【転移結晶】ならすぐだが、まだ時間はある。それに、もしも同じようなことが起きたのなら、今度は一人でここまでたどり着かなければならない/たどり着きたい。

 空中庭園をあとに、【思い出の丘】を降りていく。

 

 

 

「戻ったらお風呂入って、服と体も洗いたいですよ」

「もう取れてるから大丈夫だろ?」

「見た目はそうですけど、気持ちの問題ですよ。あの感触を洗い流したいんです」

「そういうもん、なのか?」

 

 クンクンと、私を/めくった自分のコートも嗅ぎながら、首をかしげていた。

 

「……別に、臭は残ってないぞ? それにここじゃ、汗臭くもならないだろ?」

 

 やっぱり彼は時々、乙女心を無視してくる……。顔や見た目は中性的なのに、中身は野生児に近いのかもしれない。

 もうさすがに慣れたので、いちいち頬を膨らませるのも面倒になった。ただ呆れるだけにとどめる。

 

「キリトさんはお風呂、嫌いなんですか?」

「嫌い、てわけじゃないけど、現実でもシャワーでざっと流してただけだしな。それにここじゃ、そんなに必要ないだろう? いちいちお湯張るのも面倒だし金かかるし」

「確かに、特別な効果とかはないんでしょうが……。サッパリするじゃないですか。これで一日終わったとかぐっすり眠れるとか癒されるぅとか、そんな感じに」

 

 説得しようとしながらも、段々と自信がなくなってきた。よくよく考えてみれば、そんなこと他で代用できてしまう、別に風呂である必要はどこにもない……気がしてきた。

 

「そうなのか? オレは少し……不安になるけどな」

「不安、ですか?」

 

 よりにもよって、正反対とは……。どうなったらそうなるのか、興味が沸く。

 

「風呂に入ると、その……全部取らなくちゃならないだろ? 別に下着つけて入ってもいいけど、濡れるし何より現実の習慣的にさ」

「それは、まぁ……そうですよね。水着とかあれば使えるんでしょうか、自宅のお風呂に入るのにはわざわざ必要ないでしょうね。で、ソレが何か?」

「いやいや、怖いだろうソレ! ……コレはおそらく、このゲームのシステム上の大問題だぞ」

「へ!? 何が問題なんですか?」

 

 いきなり大事になって、ビックリしてしまった。

 そんな、冗談だと思っている私をみてキリトは、雑談から本腰を入れはじめた。真面目そのものの顔を向けてくる。

 

「いいかシリカ、よぉく聞いてくれ。君にとっても大事なことだ。

 武装は服を身につけてないと装着できない。服は下着を穿いていないと着れない。そして下着は、全身が濡れてたりすると穿けない。バスタオルとかで拭かないといけないんだ、石鹸とかついてたら水で改めて流し落とさないといけないんだ。自然に乾かすには、お湯の種類にもよるけど最低20分はかかる。女性で髪の長い人だったら、もう10分必要なんだ」

「……ソレが何か?」

「まだわからないか? 

 この逆はないんだよ。この工程を一つ飛ばしにすることもできない! いちいちメニューを展開して操作する手間をかけないといけないんだよッ!」

「そ、そういえば……確かに、そうですね」

 

 どんどん迫り来るキリトに、圧倒されてきた。意味不明な熱にあてられ、混乱させられる。

 そんな私に構うことなく、さらなる熱弁をふるってきた。

 

「もしも、バスタオルを用意するのを忘れてしまった場合、裸でうろつきまわなくてはならなくなる。それに服や下着は、武装と違ってほとんどの人は注意を払っていないけど、ちゃんと【耐久値】が設定されている」

「それは私も、たぶんみなさんも……知ってると思いますよ。でもソレは、武装で守られてますし、ステータスにもほとんど関わらない。そんなに気にする必要はないような……」

「甘い! 武装の上からでも攻撃を受ければ、ちゃんとダメージを受けるんだ。戦うたびに服と下着の耐久値は減っている。だから、いつ先に壊れてもおかしくはない。みんな武装は変えても服まで変えようとはしない、まして下着をやだ!」

「……確かに、言われてみればそうですけど……。実際に壊れるなんてこと、起きたことないですよね? それは―――」

 

 ピンと、何かが噛み合った。キリトが恐れていたモノが、朧げながら見えてきた。

 図らずもゾッと、背筋に鳥肌が立った。

 

「そう、コレがSAO超常現象の一つ。服は武装が下着は服を身につけてる限り、壊れないんだ」

「……で、でもソレは、おかしいですよ! もし保留されてるだけなら、武装を解いた瞬間一気に服まで……取れるじゃないんですか? そんな人見たことも、私だってないですよ!」

「ソレも超常現象の一つだな。そもそも身につけている限り、自然に壊れることがない。自分で脱ぐか破るか、他人に(コホンッ)されるかだ。

 服と下着が自然に壊れるのは、ストレージに格納した時なんだ」

 

 繋がった。全て繋がった―――。打ちのめされた。私は何とも平然と、恐ろしいことをほぼ毎日し続けていたのだろうか? 体の芯からブルブルと、凍えてきた。

 お風呂に入るとき服と下着は、その場に脱ぎ捨てるよりもストレージに格納する、そちらの方が手間も少ないし別に洗濯する必要もないから。でも、もしその時、服と下着の耐久値が0になっていた場合……破壊されてしまう。さらにもし、替えの服と下着を用意していなかったら(私を含めほとんどのプレイヤーは、趣味で収集する以外に用意する必要性を感じていなかった)/(新しい鎧を店で購入した場合あるいはドロップでも、大抵専用の服がついているからあえてソレだけを買う人は少ない)、真っ裸で過ごさなくてはならなくなる! 下着までついてる装備は稀だし、そもそも使いたくない/実際使いたくないような装備ばかりだ。デス・ゲーム化したここでは、そんな変わった/使えない/気色悪い装備は真っ先に売り捨てられる。

 なぜ私は今まで無事だったのか……。そもそも稀な事故なんだろうが、ほぼ無限回繰り返せるここでは全てがあり得る。これからどうなるのかは……誰にもわからない。

 

「……わかっただろ。コレが、オレが風呂を怖れる理由だ」

 

 厳かに、限りない畏怖を込めて、キリトは吐露した。

 その怖れに私は、また一つ察するものがあった。

 聞くべきかソッとしておくかべきか、迷った。だが、好奇心には勝てなかった。

 

「もしかして、キリトさんはまさか……そんな目に遭ったことが?」

「一度な。ソレも、7階層にある隠れエルフ里の秘湯で遭った。長くてしんどいクエストを終えて油断しきってたことも、あったがな。……あの時ほどオレは、茅場晶彦を恨んだことはなかった」

 

 グッと涙をこらえるように、まだ良き思い出にするには傷が疼きすぎると、底深い恨みの念が込められた告白だった。

 想像できてしまった。あちゃーと額を打つ。自宅ならまだしも公衆のお風呂で……。その場に自分がいなかったことが悔やまれる。もし時間を巻き戻し、その場にいたのならそのまま―――

 ケフンケフンッと、咳払いした。身の内から沸き上がった何か良からぬモノを祓う。さすがにそりゃ早すぎるでねぇかのぉ……と、今は雲上にいらっしゃるであろうお爺ちゃんの苦笑も聞こえた。

 

 

 

 いつの間にか【丘】を下り、街道をひた戻っていた。手前の橋も渡り、フィールドへと戻る。

 

「……そういえばアイツも、風呂好きだったっけな―――ッ!?」

 

 呑気なつぶやきが突然、厳しい顔つきになった。

 何事かと驚いていると、その鋭い視線が両脇の茂る木立に向けられた。じっと睨み据えると、いつもより一層低く張った声を差し向けた。

 

「―――そこで待ち伏せしてる奴、出てこい」

 

 放たれた威嚇に数秒、緊迫の沈黙が響いた。私もじっと、キリトが睨み方向に目を凝らす。

 

 何も見えなかったがガサリと、木の葉が動いた。そして、プレイヤーカーソルが浮かび出てきた。色はグリーン、犯罪者ではない……。

 しかし現れたプレイヤーは、見知った人物だった。……できれば二度と、会いたくなかった人物。

 炎のような真っ赤な髪/それ以上に赤い唇。エナメル状に照り輝く黒いレザーアーマーを装備し、片手で細身の十字槍を構えている。

 

「ろ……ロザリアさん? どうしてここに……?」

 

 瞠目する私を無視して、ニンマリと口の端を釣り上げながら笑った。

 

 

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 もしも現実にフルダイブのVRゲームができた時、このての融通のきかなさ/現実の感覚との齟齬が、色々と問題を引き起こしそう。さらには、超長期ログイン状態なんて想定されていないのに、いきなりデス・ゲームに仕様変更された場合は特に。このての超常現象が問題を引き起こすはず。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。

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