遠くで誰かの声が聞こえる。
『何だよこの化物は……、バグか?』
軽薄そうだが油断ならない声、若い男の声。おちゃらけているように振舞っていても、警戒心に満ちている。
うっすらと目を開けるも、ぼんやりとしか見えない。周りはグチャグチャではっきりもしていない、意識が混濁している。指先も動かせない、そもそも感覚があるのかどうかすら怪しい。
『外見は【ワーウルフ】に似てっけど……、違うよな。そもそも奴ら、こんな砂漠になんていねぇし』
『そもそもコレ、モンスターじゃないでしょ。普通なら倒したらすぐに消えるものだし』
最初に聞こえた男の他にも、女の声。どちらも若い、オレと同じぐらいの年齢だろう/そのようなアバターにしているのだろう。ただ、女の声は男のそれと違って、無造作に触ればただではすまなさそうな冷たさがあった。
まとまらない気持ち悪さを押し殺して注意を向けると、二人の他にも誰かいるのがわかった。気配しかわからないが、オレを物色している奇異の視線を感じる。
その一人、はじめの男とは別/落ち着いた力強さを感じられる声が聞こえてきた。集団のリーダー格の雰囲気を醸している。
『……調べてみたが、該当するモンスターはいなかった』
『まじか?』
『【識別】スキル使ってもダメなの?』
『ああ。俺が知らないとなると、運営が新しく出した奴か、それとも―――』
『不正ユーザー』
中性的かつ機械的な声が、話を継いできた。その声には感情の色合いが薄かった、NPCなのかもしれないが……わからない。
周りにいるのは、この4人だけだ。
『おいおい、何を言い出すかと思えば……。ここにそんなクラッカーいるわけねぇだろ、どんだけセキュリティ厳しいと思ってんだよ。ただのバグだよコレは―――』
『プレイヤーじゃなくて、わざわざモンスターに偽装した意味は?』
リーダー格の男が話を途中で遮ると、問いかけた。突飛な意見ではあるが否定しきらず、その真意を聞くために。常にそうであるかのように、冷静で公平な態度。
NPCのような男は、そもそも聞いていなかったかのように、リーダーの質問にだけ答えた。
『違う。これはプレイヤー』
そう訂正すると、何かを指し示した。他の3人の視線がそちらに移る。
おもむろに、女が一人オレのそばに近づいていくると、何かの操作をした/腕を動かした。すると、その胸の前に半透明の光る板=おそらくはメニューウインドウが現れた。光が目に刺さる、女の様子がソレで隠れてしまう。
『……確かに、反応があるわね』
『まじか? でもよぉ、それじゃなんでアイコンが見えねぇんだよ?』
『不正ユーザーだからでしょ。メインサーバーに登録されてないだけよ』
ウインドウを閉じながら、面白みのない質問だと言わんばかりの気のない返答。男は納得しきれず首を傾げ続けるも、それ以上は追求せず。そういうものかと興味を失せた。
不正ユーザー、メインサーバー……。ゲーム内キャラとは思えない単語/発言ぶり。そんなものを吐けるのはプレイヤーだからだろうが……、どうにも様子が違っている。SAOのプレイヤーとは思えない。
『―――あの森から来たな』
リーダー格の男が、あさっての方向/おそらくはオレがいた灰の森を見つめながらつぶやいた。何かを値踏みするように、冷静の下で鎌首をもたげさせて……。一瞬、ゾッとさせられた。
オレと同じく危険な臭いを嗅ぎとったのか、女が注意を促してきた。
『……立ち入り禁止区域よ』
『違う、ただの未踏域。【放射線汚染】による被爆ダメージが厳しすぎて、未だ誰も奥まで到達できてないだけ』
『おまけに、こんな辺鄙な場所でわざわざ来るのも面倒。中にはお宝もレアアイテム落とすモンスターもいねぇ、ただの薄気味悪いだけの森だしな』
【放射能汚染】……。聞き慣れた単語だが、今ここで聞くとは思わなかった/あるはずがないと思っていた。剣が主武器のファンタジー世界には、最も縁遠い単語のはずだった。つい先まで見せられた未来風の異世界には似合うが、SAOには似合わない。
話の流れから、何らかの状態異常を指しているのだろう、ソレもかなりキツいのを課せられる類の。混乱させられるが、続きに耳を傾けた。
『入ったことあるの?』
『いいや。面白そうな話題だったから、覚えてただけだ。……森の中で幽霊を見た、て話もな』
『ゴシップの一つ』
森の中で幽霊……。オレの同じプレイヤーのことだろうか、ログイン早々にあの巨人と戦わされている。
まさかいるとは思わず、驚かされた。β版でもそうであったように、プレイヤー全員が別々の異空間で戦わされているとばかり思っていた。不親切極まりないが、チュートリアルのようなものだから一人で戦わされるのだとばかり。他のプレイヤーたちと空間を共有していたなんて……。それだけ広大かつ見通しの悪いフィールドだった、ということでいいのだろうか。かなりの距離を歩いてきたはずだったが誰とも遭遇しなかったのは、瞬殺されてしまったのか道が誘導されていたからか……、ここでは判断はできない。
それと、『見た』という点/ゴシップとして広まっているという点にも驚きを隠せない。今日がサービス開始初日で、プレイヤーは皆初ログイン中であるはずなのだから、現在進行形でなくてはならない。話題として広まっているはずがない。ただ、彼らが嘘か冗談を言っているとも考えづらい/する必要を考えられない。そもそも彼らは、本当にプレイヤーなのか? NPCではないのか、用意されたイベントではないのか? 一体全体本当に、ここはどこなんだ? ―――
疑問は絶えない。体をまともに動かせないのがもどかしい。
『【除染】するから立ち入りが禁止されてる……て、聞かされてきた』
『だが、一向に終わらない。真面目にやっている気配もない』
『こんな訳の分からないのも、飛び出してきたしな』
軽薄な男がそう吐き捨てると、視界が揺れた。頭そのものが揺れていた。……蹴られた。
リベンジする優先順位を組み替えていると、ほかの誰かが/気配の重さからリーダー格の男が何も言わず離れようとした。
『―――待って! すぐに行くつもり!?』
『ああ。まだこいつが消えていないうちに、な』
消える、オレが? ……。一瞬呆けるも、すぐに理解した。
オレは今、理由は全く分からず納得もできないが、彼らの手によって倒された=HPが0にさせられた。だから身動きがとれない/五感も曖昧になっている。現状は復活猶予時間だ。β版では約3分ほどで、ソレを過ぎれば【はじまりの街】の【黒鉄宮】の【復活の祭壇】からリスタートさせられる、あるいは自分の【ホーム】から。本番の今は若干の修正がされているかもしれないが、おおむねそうなるはずだ。『消えないうち』とは、そういう意味だろう。
リーダー格の指摘で気づかれたのだろう=チャンスは今しかない/迷っている暇はないと。だがそれでも、食い下がってきた。
『……せめて装備整えてこないと、【放射能汚染】に耐えられない』
『過去に敗退した挑戦者から、どのような装備であっても無意味。たどり着けないように設定されていると推測できる』
『だが今、俺たちには鍵がある』
再びの指摘に女が、何かに気づいた。
『……もしかしてだけど、コイツの【血清】を使う、てこと?』
【血清】……。また、聞き慣れたが似合わない単語が飛び出してきた。前ほどの衝撃はないが、その意味を考えれば嫌な気分を沸かせてくる。……今のオレは、無力なモルモットと同じか。
『コイツはあの森を抜けてここまで来た。どんなプレイヤーもモンスターも長くはいられないあの森の中から。……コイツの血には、あの強烈な【放射能汚染】に耐えるだけの抗体があるはずだ』
確信を込めて告げてきた。まだ可能性の一つでしかないはずだが、すでに決定した事実であるかのような口調。
女はそれ以上続けられず、同意を求めるかのようにほかの二人に目を向けた。
『確定は無理。でも、可能性はある』
『コイツみたいな狼男になっちまう、なんてこったぁねぇよな?』
『……君についてだけは、問題ないと確信』
『あん? ……どういう意味だよ、ソレ?』
『既になっているから』
軽薄な男は一瞬キョトンとするも、女から「その通りね」と含み笑いを向けられ、軽口を理解した。肩をすくめ苦笑をこぼした。
『ここでデスペナを食らえば、次の試合までに持ち直すのは難しいだろう。ここまで来るのに溜め込んだ金もアイテムを消えるしな。だが―――』
『みなまで言わんでもいいよリーダー。
こんな面白そうなこと、他の誰かに取られるなんてありえねぇ』
そう言い切ると、獰猛な笑みを浮かべた。……はっきりとは見えないものの/だからかもしれないが、男が放射している感情の色合いが見えていた。
NPCのような男も頷くと、残った女は一つため息をついた。そして、降参とばかりに手をヒラヒラさせながら言った。
『……どうせ私たちが優勝するのはわかってた。だったら、ハンデの一つでもつけてた方が燃えるわね』
決まりだな……。皆の同意を受けとると、リーダー格がニヤリと哂った。
◆ ◆ ◆
その後、迅速に事は運ばれた。
オレは彼らに運ばれ/引きずられ、抜けてきた砂礫の荒野を通り、あの灰の森へと戻っていった。……彼らとともに。
オレの意識いつ途絶えたのか/復活猶予時間が過ぎたのかは、わからない。懐かしの森の中に入ってすぐに、かすかに見えていた視界も消えた。五感も完全に閉ざされた。そして、この不可思議な異世界からも、消えた。
短いですが、ご視聴ありがとうございました。
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