偽者のキセキ   作:ツルギ剣

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断層/空中回廊 決意

 

 

 

 僕と彼女との出会い。それはまだ、最前線が46階層にあった時期、現実の日本では晩夏といった季節だろう。場所は、それよりもかなり下の、多分最下層近くのフロアのヘリだったはず。……詳しい階層と場所は、恥ずかしながら知らない。

 

 キッカケは、日本の有名アニメ映画、かのスタジオジ○リが生み出した傑作『天空の○ ラ○ュタ』の主人公とヒロインの出会いと同じだ。その役柄は、僕らの場合真逆だけど。

 その時僕は、『飛○石の結晶』なる特殊アイテムを装備していなかった(多分そんな便利アイテムこのSAOの中にはどこにもないだろうけど)ため、もし彼女との出会いがなければ地面に叩きつけられて脳みそが焼かれていた。

 彼女は、空の城からメガネ大佐の誇大妄想のために落っことされたかの太っちょ将軍並みの勢いで落下する僕をキャッチするために、同じくフロアの縁から外へ飛び出さなくてはならなかったはず。ロープを体に結って、バンジージャンプをしたはずだ。下手をすれば二人共死んでいた可能性があった。いいやだいぶ上手でも、落下するボクとランデブーするためには神の思し召しがたぶんに必要だった。そうなったのは、奇跡と言って差し支えないだろう。だから彼女は、文句のつけ用もなく命の恩人だ。

 だけど僕は、今振り返ってみても、そのことを彼女にちゃんと感謝した覚えがない。する余裕も雰囲気もなかった。何より僕自身が、それをちゃんと口にしようとする気がなかった。その時の僕は自分のことが頭がいっぱいで、今に至るまではガムシャラに突っ走っていただけで、やっぱりこの期に及んでも自分のことしか考えていなかったから……。

 ただ、今じゃ言い訳でしかないけど、それを口にしてしまったら最後、彼女と僕との絆が失われてしまうんじゃないかと怖かったからだ。そんなものの存在は僕の妄想でしかなかったかもしれないが、それゆえに口に出したくなかった。

 本心はどうだったか全くわからないが、彼女もそれを気にしている様子はなかった。彼女は何も、自分のこと以外を気に病む人ではないから。

 

 だから今、それを話そうと思う。

 あるべき場所に帰った僕と、何処か遠くに消えてしまった彼女。言葉だけでも彼女の元に、届くように―――……。

 

 

 

 

 

 ★   ★   ★

 

 

 

 第一印象は「なんだこいつは!?」という怖れ混じりの驚きだった。

 彼女は僕の出会った人の中でも、一等な変人だった。たぶん、彼女以上の変人には、なかなか出会えないんじゃないかと思う。

 まず第一声からしておかしかった。

 

 

 

 

 

「―――お前と攻略組を分けているのは、一体どんな理由だと思う?」

 

 男にしては少し高めの声。だけど迷いのない声音で、『彼』は言った。……かつて僕自身が、誰かに問うたことそのままを。

 

 僕はつい先ほどまで気絶していたためか、仰向けに横たわったいた。隣で独特の奇妙な出で立ちをした『彼』を見た。

 膝下まで隠れるほどの裾がぼろぼろになっている黒のフード付きポンチョ、そのフードを目元まで被っていたため口元しか見えない。だから始め、『彼』がどんな顔をしていたのはわからなかった。

 目が覚めて、自分がまだこの世界にいた事に激しく落胆した。『あれ』は夢じゃなかったと突きつけられて、沈鬱な思いにとらわれていた。でも/だからだったのかもしれないが、妙に冷静になっていたことは覚えている。隣の人物が、黒い噂の『彼』だったことの驚きは少なかった。

 

 とりあえず、今まで介抱してくれたらしい隣の『彼』には、感謝の言葉をかけなければならない。律儀にもそう口を開こうすると、いきなりそんな質問をされた。

 

「…………情報力、だろ?」

 

 思わず返した答えは、かつてはっきりと宣言した答えとは、違うものだった。

 

 僕のことは何から何まで知っていると言わんばかりの上から目線だった。そんな質問をいきなり浴びせられて、戸惑いを超えて驚愕していた。なんだってそんなこと聞いてくるんだ、それも自己紹介の前に/邪魔した説教をするよりも前に。

 でも、不思議なことだが、彼のその無遠慮な態度はひどく板についていた。思い出してみるとおかしなことだらけなんだけど、あまりにも自然だった。ので、ついついこちらも乗せられてしまった。

 我ながら、このレスポンスの良さには苦笑せざるを得ない。そんなことだったから僕は、こんな結末になってしまったんだ……。

 

 容赦のない現実に叩きのめされて、自分がいかに甘かったのか骨身にしみていた。

 全て終わったと観念して目を閉じてみたら、こうやってまだまだ先があった。僕にとっては世界の終わりだと思っていたものが、実はどこにでもある不幸な出来事の一つでしかないと思い知らされて……涙も出なかった。

 だからもう、かつてと同じようには、答えられなかった。

 

「違う! ……本気でそう思ってるのか?」

 

 そんな諸々が、一蹴された。

 思わず顔色にまで出てしまったけど、そこに込められているのは、僕を小馬鹿にしての嘲笑ではなく叱りつけての訝しりだった。ので、反発だけは喉元でこらえた。でも、考えを改めようとは思えず、黙って睨みつける。

 なぜ彼のような奴に、そんなことを叱りつけられなければならないのか? わからない。お前なんかに言われたくない/何様のつもりだと、腹が立つ。

 何もかも/自分のことすらどうでもいいと諦めていた。そんな僕だったが、不愉快だった。僕の中にまだあった執着が、その言葉で刺激されたのかもしれない。

 

 しばらく黙って睨み合うと、先に彼が折れた。

 ため息をつきながら、今度は心底馬鹿にしながら、

 

「……意志力だよマヌケ。

 絶対に自分が、このゲームをクリアしてあの茅場の鼻っつらを折ってやるっていうやるガッツ! 泥水すすっても生き延びてやるっていうタフさ! 初めての敵・予期せぬ行動パターン・最悪の罠に遭遇しても機転を利かせられるユニークさだッ!」

 

 力強く歌うように、演説された。

 彼の容姿と噂とのギャップに困惑していると、続けて

 

「未来なんて誰にもわからないんだ。全てを見聞きしている監視網が引かれているわけでもない。情報力なんてものは二の次なんだよ」

 

 やれやれこんなことも分からないのか……。そう言わんばかりに肩をすくめて/哀れみすら込めた見下しで、吐き捨ててきた。

 やり込められて僕は、奥歯を強く噛んだ。

 そんなことは分かっている、僕だってそう思っていたさ。それを抱き続けることこそが強さなんだって、思っていたんだ。それを補えば前線プレイヤーの仲間入りが出来るって、できていなかったのはそれが足りなかっただけからだ……。そう、信じてたんだ。

 

(でも、現実は……そうじゃなかった)

 

 知っていたら、あんなことにはならなかった。

 どれだけ強く意思を持とうが、知らなかったら何もできない。知っていさえすれば、何が何でも止めていたんだ。知っていさえすれば……。何も知らなかったから/知ろうともしなかったから、こんな結末になった。

 

 思い返すと、無力感で視界が歪んでくる。嗚咽が漏れそうになってくる。弱音も言い訳も懲り懲りなのに、漏れ出てくる。

 でも、ここは告解室じゃない。相手は神父さんでもない。ここはSAOという仮想世界のデス・ゲームの中で、目の前の彼は史上最悪の殺人鬼だ。そんな相手に、自分の弱さ/罪なんてものを告白するなんて、狂気の沙汰だ。……その時まだ僕は、常識の内にあったから。

 

 拳を握り締めて/その硬さと痛みで、内側から湧き上がってくるものに/しがみついている何かを守らんと耐えていた。

 それすら知っていたのか彼は、さらに踏み込んできた。僕の胸をえぐる言葉。

 

「お前にはそれがなかった。だから―――

 

 

 

 大切な仲間も守れなかった」

 

 

 

 一瞬、頭が真っ白になった。

 

 思い返してみたら、まずなぜ彼がそんな事を知っているのか疑問に思うところだ。

 確か彼とは初対面だったし、何より僕らの身に起きたことがプレイヤーみんなの耳に伝わるには、まだまだ時間がかかるはずだった。どこにでもある中層プレイヤーの一ギルドの存亡は、ゲームクリアやゴシップとしてもあまり価値のないもののはずだ。―――それなのに彼は、言い当ててみせた。

 

「全部お前の責だ。お前の力不足が招いた結末だった」

 

 当てずっぽう……というわけではないだろう。向けられた言葉/視線の中には、確信が滲んでいた。その直感に貫かれていた。

 

「……ち、違う! アレはあいつが、信じてたのに裏切って―――」

「お前、ちゃんとタマついてんのか? 自分のスケをよく知らない他の男に預けてどうすんだよ? 寝盗られ好きのドMな変態だったのか?」

「そ、それは……。僕には、力がなかったから……それで、仕方がなくて!」

「あぁ……本当に変態だったんだなお前」

 

 畳み掛けてきた嘲笑いで、感謝は吹っ飛んだ。奥歯を噛み締める。

 

「それで、意趣返しに自殺ってか? 奴の目の前で飛び降り自殺? ……はっ、こりゃお笑い種だな!」

 

 腹まで抱えそうな嗤いに、僕の何かがキレた。お前なんかに、僕の気持ちが―――。

 そして、沸き上がってきたのは……今まで出したこと/在ることすら知らなかった感情だった。

 

「まぁ、せっかく助けてやった命だ。せいぜい無駄に生きな―――」

「て、めぇーーッ!!」

 

 コントロールできず叫んだ。飛びかかり、『彼』の胸元を掴んだ。

 裾がボロボロになっているフード付きの黒ポンチョ。体当たり気味に掴みかかっため、目元まで深々と被られたフードが、ふわりと跳ね上がった。素顔が見える。

 同時に、もう片方の拳で殴りかかろうとした。そのいけ好かない顔を殴り飛ばしてやろうと、腕を振り上げる……そうしようとした。

 

 だが、そこから垣間見えたものに、勢いが殺された。

 一瞬、思考まで停止した。

 

 小さな卵型の輪郭のうちに、全てが正しい形/正しい位置の元に置かれている顔のパーツが収まっている。腕の良い職人が何十年もの歳月をかけて作った傑作、素材から加工方法・使われている道具まで全てが最高のもので編まれた人形。……有り体に言ってしまえば、テレビの中でしか見たことがない美人だ。

 だがその右半分は違う。爬虫類の鱗のような、醜く歪んだ火傷の跡が刻まれている。眞白な左と比べると、それがいや増して浮き彫りにされてしまう。ただ逆に、黒灰の右が、かつてあったであろう整合の取れた美しさを想像させてくる。実際に目に見えた時よりもそれは、何倍も誇張される。

 そして一番重要なのは、フードの内側に隠されていたもの。男性では決してありえないものだった。……襟を掴んだ腕/手首から肘にかけて感じ取れた奇妙な弾力は、間違えようがない。

 

 ポンチョ越しに伝わってくるそれは、柔らかくそれでいてほのかに温かい。腕が半分ほどその中に埋まっているが、全体の形は崩れたりせずもとに戻ろうと包み込んできていた。そして小さくだが、トクトクと、鼓動が響いてきた。自分の胸に収まっているのと同じ、心臓の鼓動―――

 

「…………女?」

 

 間抜けな質問は、ぐるりと反転した視界で返された。

 そして硬い何かに、叩きつけられた。

 

 

 

 

 

 ★   ★   ★

 

 

 

「―――私の言ったとおりだろ? お前は、武器を持っていない女には簡単に手を挙げられるのに、『黒の剣士』様をぶん殴ろうなんて考えられないフニャ○ん野郎だからだ。

 ちなみに私のレベル、奴と大差ないぞ」

 

 見下しながら『彼女』は、冷静に覆しようのない事実を告げた。……それを今、味合わされたばかりだった。

 

 襟を掴んだ腕を捻られそれを軸にして投げられ、地面に叩きつけられた。まるで古武術か魔法かのようだった。あまりの出来事に、受身は一切取れなかった。背中と頭をモロに叩きつけられて、そのまま気絶させられた。

 そして目覚めると、もう一度地面に仰向けになっていた、無様に……。

 

 頭の奥底にまだ鈍痛が残っていた、意識がはっきりとしていない。だが、声ははっきりと聞こえる。すぐそばに立っている彼女の声は、嫌になるほど聞こえてくる。

 

「私のお前に対する評価は、今のところかなり悪い。だが最低ではない、見込みはある。……見ず知らずの女の胸を初撃で鷲掴む根性は、あるみたいだしな」

 

 本人からの冷静な指摘に、一瞬カァと赤面した。ひっぱたかれる方がまだましだ……。そんなつもりはサラサラなかったのだが、そうなってしまったのは事実なので何も言い返せない。

 それなのに、僕の方にスタスタと近づくと、手を差し伸べてきた。

 はじめその意味を捉え兼ねたが、気づいてもあえて取らなかった。これ以上、惨めな真似は晒したくなかったから。

 

 差し出された手を無視して、自分の力だけで体を起こす。だが、意識がまだはっきりとしていないせいか、手足に上手く力を伝えきれない。コントロールしきれず、上体を起こすのが精一杯だった。

 その必死さを隠すために、掴む代わりに言った。

 

「……何が狙いだ、僕を生かして?」

「そいつも違う」

 

 伸ばした手を無碍にされたことを気にした様子もなく、答えた。

 意味を測り兼ねていると、

 

「お前は死人だ。本来なら、ナーヴギアに脳みそを焼かれて人型チキンになっていたはずだ。……お前は今、生きちゃいないんだよ」

 

 意味不明な暴論に、目を丸くするしかなかった。

 

「お前がフロアの縁から捨てた命を、私が拾った。だからそれをどう始末するかは、私の勝手だ。この場でお前を生かすも殺すも、な。……ここのルールだと、もう所有権は私に移ってるはずだよな?」

「それは……そんなの、あるわけない」

「どうして?」

「僕はまだ、捨て切っていないから。勝手に止められただけだ!」

 

 主導権を取られたくなくて、屁理屈を返した。そして、どうだと言わんばかりに睨みつけた。

 しかし、目があったと途端、威勢は崩された。同時に何かがゴッソリとえぐり取られた。暗い、どこまでも落ちていくような黒の瞳、吸い込まれてしまうほどに―――

 

「―――本当に、そう思うか?」

 

 その声は、耳朶を超えて直接頭に、心臓に響いた。背筋に寒気が、心臓を掴まれたような冷たさが全身を凍りつかせる。

 【麻痺】したように縮み上がっていると突然、

 

 

 

 地面がなくなった。

 

 

 

 先まで確かに踏みしめていた地面が消え失せ、虚空が広がっていた。まるで一瞬で、【転移】したかのように。

 助け出された場所へもう一度、投げ出されていた。

 

「うあ゛ああぁぁああぁぁーっ―――!」

 

 悲鳴を上げながら、落下していく。

 なんだこれなんだこれ、ナンダコレは―――。起こるはずのない異常現象に、頭の中が真っ白になった。

 何かを掴もうと手足をばたつかせるも、空を掴むのみ。突風で髪が逆立つ/肌を薙ぐ、体温をあらゆるものを削ぎ落としてくる。根源的な恐怖が精神を焼き尽くしてくる、慄えが止められない。訪れるであろう絶対的な死に、破裂寸前だった

 死にたくない死にたくない、こんな所で死ぬなんて―――。弾ける寸前、彼女の声が聞こえた。

 

「どうした死にたがり、何をビビってるんだ?」

「だ、だ、だって僕たち、落ちて―――……て、あれ?」

 

 急に、元の平原に戻っていた。確かな地面の感触がある。

 

「悪夢でも見たのかな、こんな昼日中に」

 

 全てを見透かしたような眼差しに、肝が凍りついた。

 『何か』をされた。だけど何をされたのかわからない。あんなこと、このゲーム世界でもありえない。まるで魔法だ。あまりにもリアルな幻覚を魅せられてしまった、あるいは突然別のフィールドに強制転送させるのか? どちらにしても別の方法であっても、一プレイヤーにできるわけがないのに……。息を飲まされた。

 

「言ったろ、お前の命はもう掴んでるんだって。だからこんなことができるんだ」

「な、何か……チートでも、使ったのか?」

「なぁに、ちょっとしたイカサマだよ。コツさえ掴めば誰でもできる」

 

 自慢げに話すも、仕掛けを明らかにはしない。ヒントは与えたあとは自分で見抜けと、挑発するかのように……。

 信じられないが、信じるしかない。見せつけられた力は紛れもなく、事実だったのだから。まだ動悸が収まらない、手足に浮遊感が残って気持ち悪い。圧倒されてしまった。

 

「コレで、お前の生殺与奪は私の手の中にあることが証明された。……何をさせるのもさせないのも、私次第だ」

 

 含みを多大に込めたソレで、逆に引き出された。顔を上げて睨みつける。僕の中で押し殺されていた感情を/怒りを、差し向けた。

 

「殺人の片棒なんか担がないぞ! そんなことするぐらいなら―――」

「安心しろ、私にそんな気はない。お前にそんなことできるとも思っちゃいない」

 

 呆れられながら、はっきりと断言された。眉をしかめる。

 しかし、それなら尚の事――― 

 

「だったら……何をさせるって言うんだよ!」

「証明してみせろ―――

 

 続く命令に、胸を穿たれた。

 

 

 

 あの場にいたのが奴ではなくお前だったら、全員を救えたと。お前の意志をな」

 

 

 

 放たれたソレは、まるで予期していなかった答えだった。

 でも、僕の胸に燻っていた何か/言葉にしてこなかった何かが……奮えた。

 

「飛び降り自殺できるほどぶっ飛んだお前なら、そんなこと簡単だろ?」

 

 顔を合わせると、見えたのはあの冷たい眼差しではなかった。不敵にも笑っていた。いたずらの共犯者に向けるような、嘘を挫く温かいものだった。

 理解できない、説明しきれない。自分のことなのに、どうしてこんなに混乱しているのか……。さっぱりわからない。

 過程がごっそり省かれていた、答えだけが降ってきたようなものだ。ソレと僕とは確かにつながっていることは分かっているのに、どこをどのように通って繋がっているのかさっぱりわからない。直感だ。だから、ただその言葉に奮えるだけ。

 

 どうして彼女がそんな言葉を吐けるのか……わからない。でもそれは、僕にとって一番欲しかったものだった。当てずっぽうで言ってみせたのなら、またもや奇跡を起こしてしまったらしい。先のものなんか比べ物にならないぐらいの。

 ただ、奇跡は立て続けに起きないもの。だから、何らかのトリックがあるはず。だとは思われるも……タネは全くわからない。あるのかすらわからない。

 わからない、わからない、わからない―――。僕には彼女のことがわからない。頭の中は真っ白だった。

 

「必要なものは用意する。レベルや金はくれてやる、戦い方も教えてやる。勝つために必要な全てを与えてやる」

「勝つため……、全て……?」

「そうだ。

 お前に今必要なのはただ、覚悟だ。今までの自分を捨てると決断するだけだ。……仲間を失ったことを、後悔し続けるためにな」

 

 言い終わると、【幻書の指輪】が嵌められている右手を縦に振るった。

 鈴の音と共に、メニューウインドウが胸の前に出現した。そして細い、剣を振り回すよりも音楽を奏でるのに適したような手と指で、何事かの操作をした。

 

 視線が外れてくれたことで、少しばかり正気を取り戻した。いや……常識といってもいいかもしれない。とりあえず人心地がつけた。

 少なくとも、頭の回路が狂ったわけではなかった。僕は今まで、皆がいなくなってしまったあとでも、落下している最中であってさえも頭の調子がおかしくなったりはしなかった……はずだ。狂って壊れるほどの倫理感を持ち合わせては、いない。どこまでも僕は、普通のどこにでもいる一般人でしかなかった。……情けなくなるほどに。

 

 取り戻した常識が、計算だと告げた。彼女が企んでいる『何か』を見極めろと訴える。

 無視して何かをしている彼女に、その通りにした。

 

「……それで、お前にはなんの得があるんだ?」

「それはお前には関係のないことだ。まだ『同志』でもないお前に、教えるつもりはない」

 

 操作を続けながらこちらに一瞥することもせず、一刀のもとに切り捨てた。

 その答えに眉をひそめるも、静かに受け入れていた。それは予期していた拒絶で、その時の僕と彼女の関係を確かめるだけのものだったからだ。今生きて命を握っている彼女と、まだ死んでる僕。……死人に口無し/人形は命令通り動けばいいだけ、ということなんだろう。

 

 手を横に振ってウインドウを閉じた。何事かの操作が、終わったのだろう。

 すると再び、僕と向き合った。

 

「できないなら『できない』と言ってくれ。ウジ虫に付き合うほど暇じゃないんだ」

 

 言いながら腰元に手を添えた。正確には、ポンチョに隠れているがそこに吊ってあるであろう自分の武器に。

 汚れた包帯を雑然と巻いただけの柄が、ちらりと見えた。『彼』の代名詞とも言える凶器。抜き出されるとハラハラと包帯が解け落ち、刃が晒される。

 

「もしできないなら、すぐに……楽にしてやろう」

 

 宣告とともに、色のない眼差しを向けてきた。

 言葉通り、表も裏もない。僕の返事しだいで、それが振るわれる。ドッキリでも冗談でもなく、ソレは起こる……。

 それなのにどういうわけか、僕の心は不思議と静かだった。そんなことで発破をかけられたからではなくて、すでに心は決まっていた。恐怖と怒りとは、別の場所に僕はいた。

 

 しばし目を閉じ、沈黙した。自分の心が、静かであることを確かめた。

 そして最後に、確かめなければならないことだけ口にした。

 

「……本当に、僕にできるのか? あいつに【キリト】に、勝てるのか?」

 

 荒立てないように抑えたが、言葉にするとどうしても抑えきれなかった。ようやく形になってくれたと言うかのように、溢れ出てくる。

 ソレを抑える手は、僕の中に残っていた最後の怯え/目の前の彼女に対する疑い。その道を行くならもう、失敗するわけにはいかないから。

 僕の中にある命よりも大事なモノを賭けて、問いかけた。

 

 

 

「できる。お前にしかできないことだ」

 

 

 

 断言した。それまで同じように/嘲た調子は一切消して、迷いなく応えた。

 その答えを、瞑目して受け止めた。

 そして空を仰ぐと、うっすらと目を開けた。透き通った夜空の天蓋に、上層の輝きが星のように瞬いている。

 

 そこに、失った仲間のことを思い描いてみた。はっきりとその顔を思い描くことができる。

 その顔は皆、幸せな笑顔だった。あの怖がりの【サチ】も笑っていた。現実でもこの仮想の世界であっても、それは変わらない。

 次に、あの事件のことを思い浮かべた。その時の、みんなの最後の顔を思い浮かべる。逃げ場もなくモンスターに追われて、自分の残りHPを見て絶望している顔……。初めに思い浮かべた顔が、醜く歪んだ。

 そして最後に、あいつの顔を思い描いた。一人生き残ったあの男の顔。僕に贖罪を求めて、頭をたれている悲しげな顔。僕より何倍も強いはずなのに、縋り付いてくるような弱々しい泣き顔―――。その顔はなぜか、僕のそれとダブって見えた。

 堪らず、奥歯を強く噛み締めた。ギリッという響きに、全てが砕かれた。

 憎しみを滾らせてくる奴と僕の顔/怒りを掻き立ててくる皆の終わり、そして、悲しみに沈まされた幸せな日々。その全てが……砕けた。

 視界に映っているのはもう、ただの夜空だった。

 

 向かい直ると、僕の心は静寂を取り戻していた。……いや、その時初めて、静めることができた。

 

「―――覚悟、定まったようね」

「ああ……」

 

 短く答えた。それ以上、言葉を重ねる必要はなかった。 

 ただふと、違和感に気づいた。彼女の言葉に初めて、柔らかな温かみを感じたのだ。

 事この期に及んで驚くことなどないと思っていたが、確かめようと彼女の顔を見ると、

 

「ついて来い【ケイタ】。お前のそれが本物か、試してやる」

 

 しかし彼女は、背を向けていた。その顔は見えなかった。それまでと同じように命じると、そのまま離れていった。僕が後ろから付いてくるのを、微塵も疑わない足取りで―――

 僕は一つ苦笑を漏らすと、その背に付いていった。

 

 

 

 

 

 ★   ★   ★ 

 

 

 

 その先にあるのが、真っ赤な荒野でも構わない。僕はまだ、生まれてもいないのだから。もう一度生まれなおすためには、血塗れた産道を逝くしかないのだから。【黒猫団】皆の無念を晴らすには、彼女が示す道を歩むしかなかった。

 そして、僕の中に生まれた、あるいは解き放たれたこの感情を終着させるには、これしかない。

 

 

 

「僕は……俺はキリトを―――倒す!」

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。

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