今日も牛頭の看守NPCが、喚き散らしてくる。
『―――おらぁ、キリキリ運べクズ共!』
囚人たち/一様にボロ切れのような囚人服を着せられた集団が、不満そうに睨む。ながらも働く。逆らえば/口答えしただけでも/ただ目があっただけでさえも、何をされるかわかったものじゃない。労力を無駄使いしたらこの先やっていけない。
ここでは看守の命令は絶対だ。どれだけ理不尽でも筋が通ってなくても従わなくてはならない。『ここ』に外のような自由はない。
あらゆる不満を飲み込み、身の丈超える巨大な大岩を押し上げ続ける。この監獄が要求する懲罰をこなす。
急斜面の山道、巨人が作った砂山のようで何もない。
頂上まで一本坂だが遥か高み、上は薄雲で覆われ見えない。抜けた先は雪が積もっている光景だと言われているが、俺は行けたことがない。
転がして登るほどに、大岩は大きく重くなる、まるで雪だるまのように。動かすのが段々と困難になってくる。さらには、一本の遮るものがない坂道ゆえに、一度でも力を抜いたり踏ん張りが効かなくなったらやり直しだ。お情けとしてドアストッパーらしきものを渡されているが、中腹を越えたあたりから/一番辛くなる時からは役に立たない代物。
何とか頂上まで辿りつけたらクリア=『罪』が贖われるのだが……ソレはほぼ永遠にできない。その手前で、筋力・体力・持久力もろもろ全てを使い果たしてしまう。あと少しの頂上を見据えながら、力果て落とされやり直し。何度も何十回も何百回ですら果てしなく、続けさせられる。
何の実りもない、芽が出ることすらない。あまりにも不毛な、ただただ苦しませるだけの地獄だ。
今日も無駄に、一日を殺すために登り続ける。
『おい貴様! 手を抜いてるんじゃねぇッ!』
「―――いぐぅッ!?」
などと現実逃避していると、すかさず看守が飛んできた。鞭打たれた。痛みで思わず気が抜ける、よろけた拍子で大岩がズシリと押される。
この脳タリンの牛頭が……。半泣きになりながら、嘲笑うサディストを睨みつけた。
ここは外とは違って、痛覚がかなり鋭敏になっている。現実のソレに近い。なので、無防備な背中を思い切り鞭で叩かれると、骨にまで響く。背中の皮がズル剥けるような容赦のない一打だ。眠気も強気も正気すらも吹っ飛ばすほどの激痛が噴き出してくる。
痛みとにじみ出てくる涙を必死で堪えていると、何かが気に入らなかったのだろう、牛頭が突っかかってきた。
『……なんだぁ、その反抗的な目は? もう一度やられたいようだな』
「い、いえ! もう……充分です、気合入りました」
『そんな余裕こけるのなら、まだまだだな。ホレもう一発だ―――』
不意の連打。背骨までえぐり取られたかのような痛みに、悲鳴すら上げられなかった。
耐え切れず膝を折りそうになるも、大岩に潰される恐怖から抑えつけ続けた、まるでしがみつくようにして。事実、ソレに意識を逸らし続けていなければ堪えられない。
何発か打つと満足したのか、喜悦を浮かべながら俺の顔を覗き込んできた。
『よしよぉし、その顔だ。ソレでいい。実にお前らしくなったぞ』
「ウウッ・・・・うっうっうっ・・・・」
悔し涙が溢れ出た。さらに悦ばすこととわかっていながらも、こぼれてしまう。
もう現実に帰りたい。でも、死にたくない……。
誰も助けてはくれない/逃げ場なんてどこにもない。それなのにただ、こんな無駄な苦行を強いられる。続けろなんて……。俺が一体何をしたって言うんだ、神様よぉ?
(こんなの、あんまりだ……)
なんとか、泣き言は胸に納めた。ただただ運ぶことだけに集中する、他のことは考えないようにする。
人形になりたい/プレイヤーであることを辞めたい。この苦しみから解放されるのなら、見えもしない魂なんて/もうやせ細って使い物にならない肉体なんて/誰も待っていない現実世界なんて、なくなってもいい。全部捨てるからくれてやるから、だから……。ギリギリそれだけは、堪えた。
『無駄口叩かず、とっとと運べ! お前らはただこのためだけに生かされてる家畜だ。そのことをよぉく、胸に刻め! ……あの新入りみたいにな』
指し示した鞭に釣られて、看守が褒め称えている新入りを見た。
俺の遥か先に登っている。他の誰よりも先へ、どれだけ鞭打たれようともへこたれず、頂上へと登り続ける―――。
その姿に俺は……呆れた。
(……全部無駄なのによくやるなぁ、ビーターさんは)
ビーター=チーター+βテスター。第一層のボスエリアにて判明した、あの黒髪の少年を指す別名。今はもう彼のみを指す蔑称ではなくなったが、その名からイメージされる姿は目の前の彼だ。
ココとは最も縁が深そうであり、同時に縁遠い存在。なので、最もいるはずのないプレイヤーだったが……こうしている。捕らえられ閉じ込められていた。
『あれだけの根性と力があれば、仲間を殺さずにも済んだものを……。クズの考えはよくわからん』
看守はペッと、唾を吐き捨てながら軽蔑した。自分は仲間を絶対に裏切らないと確信しているかのように、できない奴らを人でなしと/卑怯者と断罪している。
ここは、【黒鉄宮】が用意している監獄が一つ。パーティーメンバーをPKした/間接的にもそうした犯罪者たちが堕とされる地獄だ。俺もその一人。誤解でも冤罪でもない、間違いなく正しい住人の一人だ。
看守の言うとおり、その行為自体は唾棄すべきものだろう。だが、後悔は薄い、むしろ清々している。罪悪感は持ち続けるほうが難しいほど。ソレを思い返せば、この苦行も幾分か薄れていく……。殺っても殺らなくても地獄なら、せめて自分の意思を持ちたいから。
取り返したから今、こんな無駄なことができる……。随分な酷い皮肉だ。俺には初めから自由なんてなかった、この仮想世界の中であってさえも、何処にいても……。
乾いた笑いが漏れた。笑うほど胸が掠れ切り刻まれる、痛いのに痛くない……。もう情けなさも感じない。
ふと疑念が沸いて、ビーターを見上げた。
それにしても、なんで奴はここにいるんだろうか? 確かソロプレイヤーのはずだったのに、誰かとパーティーを組んでいたのか……。すぐに答えに至った。
(なるほど、嵌められた口か。相当嫌われてたもんな。……バカな奴だ)
ビーターの癖に、意外と脇は甘かったんだ……。間抜けぶりを哂った、自分のことは脇に置いて。
苦行を続ける、ただただ無益な苦行を、何も考えずロバにでもなっているかのように……。
あぁ、無益ではなかったな。ロバの偉大さを痛感した。俺はこんな風には生きたくないと想っている。
そんな自分がいることに/どこへでも羽ばたける予感に、少しだけ……慰められた。
◆ ◆ ◆
窓一つない、今にも押しつぶされそうな灰色の石室の中、怒鳴り散らした。
「―――どういうことだコウイチ!? なんで【保釈金】を払えない!」
無駄だとわかっていながらも、目の前のガラス板を思い切り叩いていた。
今のレベルで身体パラメーターならば、そんな薄膜を砕くことなど容易いのだが……できなかった。柔らかくしかし不可侵の見えない壁が、ぼわわんと小さな波紋とともに浮かび上がっていた。
ソレが地獄と現世の分かれ目、ただ声と映像だけしか通れない。唯一外界と接点を持てるここ【面会室】の防壁に、抜かりはない。
「オレの所持品はお前が預かったはずだ、オレにもしものことがあった時用にな。そいつを使えばいいだろう」
イラつきを限界まで抑えながら、確認した。そんなことも言わなきゃわからないかと、できない相手でないことはわかっているがそれでも口から出た。……今のオレに、誰かを気遣う余裕なんてコレっぽっちもない。
相手は少しだけ眉をひそめるも、申し訳ないと目を伏せながら謝罪してきた。
「……払うことはできる。だが相当な金額だ。君が集めたものの大半がなくなるぞ?」
「かまわない、ここから出られるならな」
「ディアベル君たちには勝てなくなるぞ?」
その指摘にグッと、飲み込まされた。自然と眉間にも皺がよる。腹からのわなつきを奥歯を噛み締め耐えた。
ディアベル―――。その名前はオレにとって、この世で二番目の仇だ。ここを出たら真っ先に思い知らせなければならない相手だ。
奴は……残念なことに強い。単品でもそうだ、それなのに【聖騎士連合】などという猛者たちまでついている。その全員を相手どるなど、かのクォーターポイントのフロアボスを単独で倒すのと同じほど無謀だ。所持品・所持金の半分を奪われた後ならなおさらだ。
「私も協力はできる。が、この金額となると話は変わってくる。今の私には立場がある。君を助けると少々……ややこしいことになり兼ねない」
わかるだろ……。苦笑しながら同意を求めてきた。
コウイチ。かつては攻略組を率いるトッププレイヤーの一人だったが、今は違う。ギリギリ食らいつけるといった有様にまで堕ちている。身につけている装備品も、前線にいるプレイヤーのモノとはランクがおちた粗悪品だ。……ただ一つ、主武装である『呪われた槍』を除いて。
【軍】の暴走により下層域で支配体制が築かれてしまった。そのことを憂いて指導者の座から退いた。一人でも多く救い出すために/【軍】の支配の手から逃れられるように、力を授ける=後進の育成に尽力している。あるいは、『徴税』を免除させる『免税区域』を構築し認めさせた、そこに戦えないプレイヤーたちを集め保護する。【軍】の横暴を拡げさせないカウンターを作り上げ運営している。
ゆえに今、その善行にふさわしい二つ名がつけられている。
『―――【腹話術】はできるか、キリト? できなければ声には出さず、首を振ってくれないかな?』
耳に直接入ってくるコウイチの声に、驚かされた。向かい合っているその顔/口元は全く動いていないのに、聴こえてくる。
何が起きたのか瞬時に理解すると、返事を返した。
『……何を警戒してる?』
『さすがキリト。アルゴさんに教えてもらったのかな?』
小さくニヤリと笑った。しかし相変わらず口元には、動きはない。
【
この仮想世界で声を出す時は、喉と舌ベロと唇の動きが連動する、まるで現実世界の肉体と同じように。ソードスキルと同じだ。違いは、初動モーションをほとんど意識せずにとっていること、『動かされている』と感じられないほどスムーズで真に迫っているからだ。通常ソレは、ラグのない動きをもたらしてくれるだけ、ここにリアリティを感じさせてくれるだけだ。
ソレを崩す。唇を動かさず/他と連動させずに声だけ出す、現実の腹話術のように、ソードスキルを発動せずに通常攻撃を使う。戦闘とは逆をやる。
すると、不思議なバグがおきる。可聴域にいるプレイヤーには聴こえるのに、モンスターやNPCたちには聞こえない。不思議がられるも人の声として認知できない。またプレイヤーでも、アイテムや【索敵】【聞き耳】で強化した分は聞き取れない。純粋な、持ち前の人間の聴力で聞き取れる範囲内ででしか聴こえない。さらに、舌ベラと口の形を整えて声に指向性を持たせれば、離れていながら耳打ちできる。
情報屋と/『鼠のアルゴ』との交渉の際には大抵【腹話術】だ。ソレができることが、交渉相手としての最低限のマナーになっている。できない者は、【腹話術】の情報と教授が高値で売りつけられるか、安全な交渉場所を用意しなければならない。
『オレは別口だよ。で、答えは?』
『色々だが、わかりやすいのは【軍】かな。ここは彼らの所有物だからね。……そこのNPCを通して、ここでの会話が盗み取られる』
視線で指し示した先/オレの背後で監視している馬頭の看守。何を考えているのか/そもそも何かを考えているのかわからない無表情(そもそも馬の表情の見分けなどつかない)だが、しきりに耳はピクピクと動いていた。何かを聞き取っているようで、でも意味は分からず反応できない、脳みそにまで達していない。まさに馬耳東風の有様。
胸の内で舌打ちした、注意力が散漫になりすぎていた。ここはオレにとって未知のダンジョン、敵地の真っ只中なのに。
『こうやって面会するのも、かなり危険なことなんだ。かつての戦友とのことで来れたが、それ以上の手助けをすると……私を頼ってくれている人たちを危険にさらすことになる』
かつてのように気軽には、と言ってもビーターと指導者とでは表向き敵対関係なので気取られぬように、共闘していた時とは違う。互の道が別れた。全てはあの25階層から狂ってしまった。
『私ができるのは、君が保有していたアイテムや金を【軍】に徴収されないよう保管することだけだ。奴らがわざわざ君に【逮捕状】を出したのは、ソレを狙ってのこともあるだろう』
『装備してたモノは盗られたぞ? オレの主武装だ』
『安心してくれ、ソレも回収してある。君が盗られたものは何もない』
その返事にピクリと、燻っていた怒りが反応した。コウイチを睨みつける。
【石化】させられたオレから装備を剥ぐ? そのまま監獄にぶち込まれたのに、【黒鉄宮】の中は完全に【軍】の縄張りでそんなあからさまな小細工など許すわけがないのに? いつ何処にそんな余裕があったのか? ……コウイチ一人では、ありえないことだ。
『……【聖騎士】どもとグルだったのか?』
『協力関係にあるだけさ。ここで生き延びるには、攻略組の有力ギルドとのパイプが必要不可欠だ、【軍】を牽制するためにもね』
『オレが【聖晶石】を取るのを、邪魔したのか?』
話をズラそうとするコウイチを無理やり、強制した。
敵か味方か? お前は今ここで、オレと会話するのに値する親友なのか? もしそうじゃないのなら……。さらに視線を鋭く/暗く研ぎ澄ました。
一瞬、重たい沈黙が流れた。
『……そうとも、言えるかな。結果的にそうなった。
それにもし、あの場に私がいれたのなら、同じような行動をとっていただろう。……君にアレは掴ませなかったはずだ』
「オレがここから出ることは、反対か?」
【腹話術】を解いて、静かに糾弾した。
背後の看守がピクリと反応した。その動きにコウイチは、オレへ非難の視線を向けようとするも、瞑目して飲み込んだ。
そして溜息をつくと、うつむき気味でぼやくように尋ねた。
「……そうでもしなければ、ふり切れないかな?」
「お前はどうなんだ、神父様?」
挑発するように、二つ名を使った。
神父。その二つ名は、【軍】の支配下にいるプレイヤーたちにとって、救いの神に等しい存在だ。窮屈な下層域における唯一のオアシス。ソレが一般が抱いているイメージだ。概ねそれは正しい、攻略組でもそう想っているプレイヤーは多い。
しかしオレは、オレとでは通じている別の側面で使っている。ソレを形作るための犠牲を/ソレがソレであるための生贄の血を、際立たせるようにして。
「あまりにも多く……見すぎてしまってね。アレは、たった一人だけしか選べられないのだろ? なら遠慮する。ディアベル君の使い方なら賛同だ」
挑発には乗らず。しかし、一気に一回り老け込んでしまったかのように、自嘲しながら答えた。
「私は、君の出所を助けることはできない。……すまないな」
目を伏せ謝罪してきた。
しかしすぐに、【腹話術】で継いでくる。
『だけど、方法がないわけじゃない。【保釈金】よりも簡単に済ませられる方法がね』
『……どうやる? まさか……脱獄か!?』
そんな方法があるのか……。【脱獄クエスト】。ココが監獄ならばもちろんのこと、設定されているのだろう。ただしこのゲームの神様が、真面目に犯罪者を取り締まろうと考えていなければ。
『いやいや、そんな綱渡りなことする必要はないよ。普通に、その【懲罰クエスト】をクリアすればいいだけだ。それですぐに出所できる』
聞きなれない単語に一瞬、疑問符が浮かんだ。アレがクエスト? いつもこなしてきたものと……同じ? クリア条件が/方法があるのか?
『アレを、クリアする……? そんなこと……できるのか?』
『見えるものに騙されなければいいんだ』
オレの不安を吹き飛ばすように、確信に満ちた声で告げた。
『『絶対に不可能』なんてことの方がありえない。無限に登り続けさせるなんてのは、何らかのトリックがなければ成り立たない。機械には、いや人間ですら、そんな大それたモノを作り出せたことがなかった』
『そりゃ確かに、方法はあるが……他人の協力が不可欠だろ? 複数人で一つの岩を押し上げれば頂上まで行けるだろうが、お一人様限定だ。ここにいる奴らにオレも含めてそんな自己犠牲は……望み薄だ』
『違う違う。もっと簡単に、誰でも一人でできるんだ。仕掛けられてる詐術に気づけばいいだけで、五感を内側へだけに絞れば―――』
「おい、もう時間だ! 面会は終わりだぞ」
看守の割り込みで、コウイチのヒントが中断された。
何とか続きを聞こうと/教えようとするも、椅子から引きずり下ろしてきた。無理矢理にも引き離しながら、嘲ってくる。
「……見つめ合うだけなんて、気持ち悪い奴らだ。貴重な面会時間を無駄にしたな」
思惑通り、【腹話術】での会話は聞こえていなかった様子、ただ黙って見つめ合っている姿しか聞き取れなかった。
それだけでも確認がとれたと安堵しようとすると、
「―――君ならできるよ、キリト」
引き離されていくオレに、応援のメッセージを告げた。
『さっさとそんな檻から抜け出して、前線に戻って来い』
【面会室】の扉が閉まる寸前/【腹話術】での励ましを最後にオレは、再び監獄に戻されていった。
長々とご視聴、ありがとうございました。
【腹話術】は、拙著独自の設定です。
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