振り抜かれた剣閃/限界まで反らした上半身。避けることなどできず、斬られた。
一閃、腹から胸にかけて斬撃が走った。
「―――ぐぅっ!」
苦悶。しかし、斬られると同時に倒されるがまま、ディアベルから離れた。背中で雪床を削る。
思った以上にあいた間合い/止めの一撃には足りない。ゆえに、踵返し踏み込んでからの、上段振り下ろし。ディアベルの大剣が襲いかかってくる。
迎え撃つ/今度は躱すも、まだ【崩し】で片膝立ち。動けない/防ぐしかない。だけど、あの一撃は無理だ。こんな力のはいらない姿勢/片手剣では押し切られてしまう。『アレ』を使っても意味がない。なので―――地面の雪を握った。
無言の気合とともに襲ってくるディアベルの顔に、投げた。雪片がふりかかる/視界を曇らせた。
イチかバチかの賭け。オレが身動きできないのは変わらない/破れかぶれの足掻きでしかない。顔に特に目への飛来物には反射が働いしてしまう、本能が攻撃の手を遮る。しかし、奴らならそのまま突貫してくるかもしれない。振り下ろせば攻撃は通る、オレは大ダメージだ、本能を押し殺せるだけの強引はあるはず。
しかし、攻撃の手を止めた。顔を守るディアベル/避ける間ができた=賭けに勝った。僅かにできたその隙を縫って、危地を脱した。
「ハァ、ハァ、ハぁ―――」
乱れる息を整えながら/ダメージを確認しながら、ディアベルを睨みつけた。奴も、止められたその場所からオレと対峙する。
傷は……予想通り深い。初撃の奇襲も相まってHPもかなり削れている。傷口もまだ開いたまま/再度ここを斬られたら【出血】になる。長期戦がますます不利になってしまう。
奥歯を噛む/自分の不注意を呪った。もしコレが、初撃決殺モードの【決闘】/ここでやる一般的な【決闘】であったのなら、勝負は決まっていた。【還魂の霊晶石】の『所有権』を賭けていたのなら、システム的に手にすることができなくなっていた。例え奪ってもディアベルが「返せ」と告げれば、強制的にオレの手元から消えてしまう。
オレの動揺が伝わってしまったのか、ディアベルがニヤリと口元を歪めた。
「だから言っただろ? せっかく先手をくれてやったのに、てさ」
「ちぃ……。ナイト様とは思えないやり口だな」
「君こそ。ビーターとは思えない脇の甘さだ」
煽り文句の応酬。その間にも次の手を思考。
初撃は取られた、ダメージも負った。しかし、ソレは問題じゃない/コレは【決闘】じゃない。ルール無用の奪い合いだ、先に【霊晶石】を持ってココから出た奴が勝ち=必ずしも殺す必要はない。先の攻防は奴の勝ちじゃない、オレの注意を逸らせるために【霊晶石】を手放してしまっただけ。
精神的な傷を無理やり塞ぐと、幾分か冷静さを取り戻せた。自ずと挽回の手が浮かんできた。
「……コレが【決闘】だったら、君は負けだったんだ。大人しく退いてくれないかな?」
「残念なことに、コレは【決闘】じゃなかった。先にそうしてたら終わってのにな」
オレがソレを受けるとは思えないけど……。同感だとあっさり、ディアベルは苦笑した。
愛剣を構えながら、空いた片手はほんの少し握り気味にダランと。ディアベルも、【霊晶石】は拾わず剣を下段に構えた。ソードスキルの初動モーション、大剣から/この距離から/あの構えから繰り出されるのは……。
弾けた、互いに。暴走列車が如く、ディアベルがズームアップしてくる―――
速度は片手剣が/オレが上、威力はむこう。しかし当たらなければ意味がない/当たったら吹き飛ばされてしまう。なので、正面衝突はさけるべき……。定石ならそう考えるだろう、横をすり抜けてからの後の先の一撃が本命だと。しかしオレは、あえて乗った/アクセルを踏み続ける、【加速】させた。
狙いは『武器破壊』、武器さえ奪えばあとはどうとでもなる。
突進系のソードスキルは、ぶつかる寸前に強烈な攻撃を根元などに受けると、どれほどの硬度があろうが耐久値が残っていようが砕けてしまう。使い手のレベル差がありすぎれば起こりえないことだが、オレとディアベルは大差ないはず、必ず成功する/させてみせる。
高速の中意識は研ぎ澄まされ、狙う一点に絞られていく。
激突の寸前、突然ディアベルが急停止=地面を撫でるように滑らせていた大剣が喰いこんだ、同時に捻り刃の腹を向けた。
困惑、だが問題ない、むしろラッキー=自分から弱点をさらけ出してくれた。お望み通り砕けばいいだけ。
だけど―――、続く爆裂を浴びてしまった。
地面の雪が大量に、振りかかってきた。避けきれず全身に浴びる。
思考停止。異常事態に頭が真っ白に、ソードスキルの【急制動】!?
だけど止まらない/止める必要もない。オレの方が早いことは変わらない、そこにあることはわかっているのだからあとは、貫くだけだ―――
雪煙で視界が奪われながら、剣を突き込んだ。
甲高い音が鳴り響いた。オレの剣は確かに届いた。しかしソレは、求めていた音色ではなかった。
続いて、雪が削れる音、ディアベルの呻く声。その気配は激突時から離れていた。いや、引き離された。オレの攻撃はクリーンヒットしたらしい。
しかし見えない、なのですぐさま【索敵】/ソナー効果を利用した音響視界=【心眼】に切り替えた。光情報によらないので目潰しされても『見える』、障害物も透過できる。色が削げ落ちた作りの荒いポリゴンの光景、だけどそこには青色の電飾で象られた人影があった。ディアベルだ。
見えると同時に追撃。耐え切れず片膝つこうとしている今なら叶う。やられた分はキッチリ返してやる。
体重を乗せての袈裟斬りはしかし、差し込まれた大剣で防がれた。衝突の甲高い音が一瞬、互の剣を通常の視界と同じ映像として見せた。
そのまま力押しした。ディアベルの足は地面に食い込むも……耐え切った。
払いのけられる前に、空中で前転、ディアベルの背後に降り立つ。互いに背中合わせ―――
すぐさま横薙ぎ/ほぼ同時だった。互いに示し合わせたように同じ方向へ、半回転しながら互の首を狙う。
再び向かい合う/刃が首筋に到達する前に、止めた。空いた左手で互の右肘を押さえた=それ以上振りぬけない。……またもやお互い、同じ反応を示した=斬れない/避けきれないので止める=致命斬撃である『断頭』はフェイク。
斬撃は中途で止められたエネルギーが、衝撃波として放たれた。二人を中心に円形に、降り積もった雪が吹き飛ばされる。
奇妙な鍔迫り合い/互いに両腕を交差させながら睨みあう。ギチギチと軋む音色=掴まれた腕が軋んでいた。
隙を見せればそこを喰らって潰す、容赦しない/できる相手じゃない。しかし……ソレもお互い様だった。
どちらがとも言わず手を離す/仕切り直した。ディアベルの拘束が外れる。睨み合いながらも離れていく―――
その寸前/ギリギリの接近戦=オレだけの間合い。【片手剣】とともに鍛え抜いたもう一つの攻撃スキル=【体術】の出番だ。蹴り技の初動モーションを作った。ライトエフェクトが瞬く=システムアシストが『乗った』感触。
単発蹴り技【昇月牙】―――。
後方宙返りをしながら前方の敵に斬撃を浴びせる技。効果的な使い方は、空中コンボへと続ける跳ね上げのための初撃、あるいは怯んでしゃがんでいると錯覚して追撃してくる敵へのカウンター。今回はそのどちらでもない追撃だ。
突然の足刀の切り上げにディアベルは、慌てて回避しようとした。
しかしギリギリ、顔をそらすだけ/顎へのクリーンヒット=【気絶】の危険を防ぐのみ。オレの足刀は首筋と頬に大きな切り傷を引いた。鮮血のエフェクトが飛び散る。
たたらを踏まされたディアベル、しかしその目はまだ死んでいない/ちょうど宙吊り状態のオレを見据えていた。
傷はそのままに、横薙ぎを打ち込んできた。無防備の頭部を狙う。あまりにも不安定な姿勢ながら/体の捻りのみで、迎え撃った。
カーンと剣撃が鳴り響いた。その振動で持ち手が痺れた、離してしまいそうになる寸前で耐え切る。しかし、衝撃全ては殺せなかった。
ディアベルはその場で踏みとどまるも、オレは背中から地面に落ちた=受け身が取れなかった。衝撃が内蔵を揺さぶる、思わず肺から空気が吐き出された。
「―――がッ!?」
通常ならコレで【転倒】、ディアベルはすぐに動けないと言えども危険。今は一秒も惜しい戦場だ。しかしここは雪床、衝撃はだいぶ散らされた。幸いにも【転倒】は起こらず、すぐさま立ちあがった。
再びにらみ合い。互いに息を切らしながら/鮮血を滴らせながら、剣を構え続ける。ジリジリと間合いを詰めていく。
また死闘が繰り広げられる……その前に、ディアベルは笑った。
「……死に急いでる割には結構粘るじゃないか、キリト」
嘲るように/褒めるように、何とも言えない複雑な微笑みとともに図星を突いてきた。
いきなり内心に踏み込まれ固まりそうになるも、やせ我慢を貫く。
「オレが、死に急いでる……? お前相手にか?」
「俺は、プレイヤー全員を帰還させるためにもゲームクリアを果たす。一人でも多く生き延びさせてね。けど……ここで死にたがってる奴は、その限りじゃないんだ」
死にたがってる奴の面倒はみない。むしろ、死なせてやる方がいい……。暗にそう、オレに向けて告げてきた。
反論が……出てこなかった。認めてはならないと焦るも、言葉にできない。ただ強く、奥歯を噛み締める/睨みつけるだけ。
「俺は生き延びる、皆も生き延びる。必ずこのゲームに勝つ。だから、邪魔する奴は誰であろうとも―――倒す」
宣言すると剣気が、迸った。チリチリと空気が焦げ付く、雪の冷たさが吹き消された。
圧倒されそうになるも、腹に力をためて跳ね除けた。
オレにも譲れないものがある。奴のような誰もが認める大義じゃないけど、大事なことだ。ここから前に踏み出すため、もう二度と立ち止まらずにすむように―――
ふと、気づいた/気づいてしまった。
オレがここまで頑張った理由は、しつこく思い続けてきたのは結局……自分のためか? サチや【黒猫団】のことは二の次だったのか? まとわりついた罪悪感を取り払って身軽になるために、そうしなければ生き残れないから/食い殺されるだけだから。だから、だからだから―――。
(だから……だったのかよ)
足元がぐらついた。肩の力が抜け落ちそうになった。急に忘れていた疲れが全身を侵してくる。
欺瞞が外された。己を真綿で覆っていた偽りが剥ぎ取られていく。残ったモノは何とも……受け容れがたかった。
全てが反転していた。オレはディアベルたちが掲げた大義名分を「くだらない」と切り捨てたのに、ことココに至ってソレにしがみついていたことに気づかされた。罪悪感と大義名分は双子の悪魔のようなものだった、どちらも下らない。だから、ソレを根底に据えて動いていたオレの方がずっと……愚かだった。
必死に、ディアベルと対峙した。動揺が剣先に表れブレる、なのに止められない。だからと言ってここで倒れるわけには行かないと、鼓舞する。侵食してくるモノを無視し続けた。
それでも『納得』したいから、『奇跡』を信じているからここにいる。あるのなら、他の誰でもない自分だけが掴む。だから……頭がお花畑になるのだろう。
オレの動揺をみてか突然、ディアベルは構えを解いた。自然体のまま直立。
握った大剣に目を向けながら、何かを悩み……決断した。
「できれば、この手は使いたくなかったけど……仕方がない。俺がダメージを負った以上、皆が無理を押してでもおしかけてくるだろう」
ハッと、指摘されて初めて気づいた。大ポカだった。
ソロであるオレとは違ってディアベルのHPは、パーティーメンバーやレイドを組んでいたであろうギルドメンバーに知られている。彼らの視界隅に浮かんでいるはずだ、この異空間であってもソレは変わらない。ボスを倒したことも知られていた。そして今、他プレイヤーから攻撃を受けていることも。
もう【霊晶石】の奪い合いなど言っている場合ではなかった。【聖騎士】たちが乗り込んできたらオレは、確実に袋叩きにされる。逃げ延びることすら難しいかも知れない。
「これからは一方的な惨殺になる。君にまだ生き延びる意志があることを、祈ってる―――」
そう言って、儚く微笑んだ。まるで、今生の別れを告げるように……。
そして唐突に、その剣の鋒を自分に向け―――
胸に突き立てた。
ズブリッ―――。
音を立てながら、自らの刃を胸の中に押し込んでいく。
「―――グブゥッ!」
吐血。口から鮮血が吐き出され、白い雪原に赤い飛沫を撒き散らした。視界隅に映るディアベルのHPバーが、ガクンとイエローへ減少した。
「なッ、何してる!?」
「君の方こそ、遺言を考えて……おけ。これを使うと、手加減ができ……ないッ! 最悪、殺してしまうかも……しれないから、な―――ゴフゥぅッ!!」
口と胸から鮮血を滴らせながらも切れ切れに言うと、突き刺したそれを捻り上げた。
割腹。胸の傷跡から噴水のように吹き出た鮮血が、極寒のこの場所で瞬間に凍らされて赤い雪となって舞い散っていった。減少を続けていたHPが、それで更に赤へと進んでいった。
(このままでは死ぬだけだ。奴は一体何を?)
「だけど、君の暴行を止めるにはこれしか……ない。だから―――使わせてもらうぞ!」
「!? 【降魔剣】か!」
狙いに気づくと、愛剣を抜き払って強襲。脇目も振らずにソードスキルを放つ/初動モーションを取った。奴の胸からアレを取り払わなければならない。
光を纏うのももどかしく、弾けた。発動と同時に【加速】。白い雪煙が、背後で巻き上がる
(奴が自殺するよりも早く、殺さなくてはならない。そうしなければ勝てない。発動されたら終わる。今のオレに、アレに勝つだけの力と装備はない―――)
「させるかァ―――ッ!!」
雪をまい散らさせながら、突進していった。
(間に合え、間に合えッ、間に合えぇーッ!!)
届け届けと、脳神経が焼き切れるほど叫んだ。今までにないほどの【加速】、全身が刃になったかのような錯覚までしてきた―――
だけど、到達するまでの刹那。首筋の毛が泡だった。
危険な何かが、見えないどこからからやってくる。オレの五感のどれかが、意識に登らないそのかすかな情報を捉え知らせてきた。【超感覚】とでもいうシステム外スキル、隠れ潜む何か・害意や敵意を向けてくる何かの違和感を感じ取る。その警告が最大でがなり立てていた。
確認しようと振り返る……間もなく、それは―――
オレの背中を胸まで貫いた。
「―――ゴブゥッ」
腹からせり上がってきた鮮血を吐き出した。不愉快な痛みがそこから、全身に染み広がっていく。弓ぞりになりながら雪原に倒れ伏された。そして、突進の勢いのまま地面を赤く染めながら滑っていった。
ガクガクと上下に激しく揺すられた、ガリガリと積雪ごと固く凍った地面を削っていった。それでも勢いは止まらず、横転を繰り返していた。
まるで高速道路での交通事故さながら。平衡感覚が失われて、上下左右がわからなくなっていた。視界いっぱいにかき分けた雪の白が覆って、全く何も見えない。激しい微振動に脳みそが撹拌されて、思考や体の感覚がごちゃまぜになって上手くまとめられなくなっていた。
それでも徐々に勢いが散らされ衰えていくと、止まった。雪原の中に肩まで突っ込みながら、なんとか止まった。
「……なッ、にが―――」
まだグルグルと回り続ける視界の中、状況を確認しようと気持ち悪さを押す。
背後からの突然の飛び道具。今も胸を貫いているソレを見る。
オレの肩ほどある長さの一本の灰銀の短槍、金属製の棒の先に手の平から肘までの鏃が取り付けられている投げ槍。その刃にはほんのりとだが、何のエンチャントかわからない紅い光が内部で脈打つように淡いでいた。【投槍】による遠距離攻撃。
飛来してきた先を、今この時には正面にあるそれを見る。先にオレが通ってきたここと向こうを区別する境界、エリアを断絶させている空間の裂け目。飛び出したそこは、小さな波紋がたゆたって広がっていた。だけどそこには、いるはずの誰かがいない。
(エリア外から狙って、当ててきた……だと?)
ありえない事実に驚愕させられながらも立ち上がろうとするが、突然、世界が傾いた。
並行を失って取り戻せない。全身が痺れて動けなくなっていた。
固まった体をそのままドサリと倒れ込まさせると、雪の中に頭から突っ込まされた。
(―――なんだ!? 何が起きたんだ!?)
顔にシミ広がっていく冷たさも気にしてられず、すぐさま異常を確認。視界に映るHPバーを見た。
そこには、先ほどの不意打ちのダメージと、点滅しながら主張している凶悪なデバフが表示されていた。
「―――ディアベルはん! 無事かいな!?」
「ああ。問題ないよ……」
駆けつけた誰かにディアベルが、苦しそうにだが返事をした。
そして、今まで貫いていたいた己の剣を、胸から引き抜いた。ギリギリ0になるかならないかの境目。HPバーは、真っ赤なその場所で止まった。
「そんなわけないやろが! ―――ヒール、【ディアベル】!」
取り出した黄色い【回復結晶】を取り出すと、叫んだ。癒しの白い光がディアベルの周囲で発した。
すると瞬く間もなく、ディアベルのHPは満タンまで戻っていった。
「……無茶してくれなはんな、あんた一人の命やないんやで」
「俺は大丈夫だキバ。……わかってたことだろう?」
「わかるかいッ! 【アレ】は使わん予定やったやろうがッ!」
心配そうに怒鳴りつけるキバオウを払ってディアベルは、平気だと言い張っていた。だけどその胸からは、今の俺にも以上の傷跡がパックリと空いていた。手で押さえたそこから、ドバドバと鮮血がとめどなくこぼれ落ちていた。
【回復結晶】が全快させてくれるのは、あくまでHPだけ。身体の損傷や欠損・毒などは治してくれない。それらは街の【施術院】か【医術】スキルをもつ医者に見てもらわなければならない。それもできる結晶アイテムは存在するが、NPC店舗では販売していないモンスターのレアドロップだ。稀少性が高すぎて、今まで攻略してきた中でも十数個しか発見されていない。
HPを全快した以上、あとは安静にし自然回復で危機的状況を脱するまでの時間は稼げるが、それでも危険な状態であることは変わらない。
「リンドが一歩でも遅れ腐ったら、死んでたんやぞ! わいらが駆けつけるまで、待てへんかったんかいな!」
「現場での臨機応変の対応、てやつだよ。―――それよりも、彼のほうが重傷だ」
なおも叱りつけようとするキバオウを差し置いて、オレを指差してきた。
「……すまないキリト。もう少し穏便に運びたかったんだが、手荒なことになってしまったな」
何か罵倒してやろうと口を開くも、声が出ない。喉からは掠れた息しか出てこない。出せないことに、その時になってようやく気づいた。
「いま君の胸に刺さっているのは、【バジリスクの鱗】を溶かして錬成した短槍だ。付加攻撃として【石化】を与えることが出来る武器だよ」
歯噛みしながら、その事実を聞いていた。……今は最も聞きたくない、実に嫌なアイテム名だった。
【石化】。【麻痺】と同じぐらい最悪なバットステータスの一つ。
それをソロでモンスターからもらってしまったら、誰か気のいいプレイヤーが通りかかってくれるまで、その場で待ちぼうけを食らってしまうことになる。自力回復には、食らった【石化】のレベルにもよるが一時間は掛かる。あらかじめ対処していればもう少しだけ短くはなるが、最短でも三〇分はロスする。ただその間、身動きが一切取れない代わりに防御力は桁外れに上がるので、大量のモンスターに囲まれ逃げ道がなくなった際には、緊急手段として使われる。……使われてきたものだった。
高価な【転移結晶】を常備しておくことができないプレイヤーの保険、昔のフロントプレイヤーがとっていた保険。十数分も攻撃して成果が見込めなければモンスターたちも飽きるのか、はたまたそういう仕様なのかプレイヤー救済処置なのか、【石化】は最終防衛手段として充分以上な効果を発揮してくれる方法だった。一箇所にとどまり続けるモンスターやエリアボス・フロアボスには効果は見込めないが、それ以外の攻略や探索では実績を積み重ねてきた戦術だ。
(これは、ディアベルの皮肉か? ……趣味が悪すぎるぞ)
染み出してくる罪悪感を押さえつけるように、睨みつける視線を強く尖らせていった。
【バジリスクの鱗】。あるいはバジリスクから取れる全ては、現状において、武装に【石化】の追加効果を付与させる最も優れた素材アイテムだ。あるいは、消費アイテムである投擲武器に毒として付与させるには。
モンスターの捕獲クエストのためにもオレは、ソレを常備していた。【黒猫団】にいた時も、あの悲劇が起きた時もずっと……。
だから使った。全員を助けられないから【石化】させた/壁にした。そうすればモンスターの侵攻を制限できるから、今までそうしてきた経験と直感がそうさせた。アレは正しい判断だったのだろう……、オレが生き延びるには。
モンスターが強すぎた/多すぎた。明らかにあの階層で出現するレベルを超えていた、まるで前線のモンスターたちだった。【石化】させても【黒猫団】たちでは耐え切れなかった。
考えてみれば筋は通る、あの隠し部屋が今まで見つからなかったのは、まだ前線がそこまで到達していなかったからだろう。そういう隠し部屋がなかったわけじゃなかった、なのに……油断した。
何も告げられずいきなり【石化】させられた。身動き取れない中、ただ自分のHPが0になるのを見せられ、そして―――。裏切られたと、恨まれても仕方がない。
ソレが今オレに、突き刺さっている。
「じきに指一本動かせなくなって五感もすべて閉じられる。そうなれば、次に目覚めるのは30分以降になるだろう。だけどそうなる前に―――
【黒鉄宮】の牢獄に送る」
見下ろす目は峻厳に、まるで裁判官にでもなったかのように宣告してきた。
しかしソレは、あまりにもトンチンカンなことだ。
「……は? どうや―――ッ!?」
だが、そうでもなかった。
気づかされた。今までオレたちは、何をしていたんだ? パーティーも組まず、【決闘】システムも使っていない。ただ【霊晶石】を奪い合うために、圏外で殺し合って/斬りつけ合ってそれで―――。
ディアベルのカーソルは、イエローに変わっていた。ならば、同じことをしたオレもきっと……そうだ。充分【黒鉄宮】に送還できる。
加えて、今のオレには―――
「残念ながら君には、【月夜の黒猫団】をMPKした疑いがかかっている。【軍】から【逮捕状】を預かっているんだ」
そう言うとディアベルは、メニューを開き魔法スクロールのような羊皮紙を取り出した。そして、巻かれていたソレをオレに見える開いた。
ソレはまさしく【逮捕状】だった。問答無用で/オレンジカーソルでなくても【黒鉄宮】の牢獄にブチ込むことができる、獄卒長に多額のワイロを贈らなければ獲得できないアイテムだった。街から犯罪者を取り除く【ガーディアン】たちをも徴用できる、名前が書かれたプレイヤーが捕まるまで犯罪者扱いされる。
「……本当はこんなもの使いたくないんだが、今の君にはちょうどいい。わかりやすいお仕置きが必要みたいだからな」
システムの【石化】処置を振りほどかんと暴れるも、動く手足はない。指先すら微動だにしない。
「次に目覚める場所は牢獄の中だ。完全に【石化】が完了し次第、そちらへ運ばせてもらうよ」
「ちくしょう! くそ野郎、がぁぁ―――ぁ…… 」
肺の中の空気を絞り出しながら、なんとかそれだけ吐き出した。
だけどそれを最後に、体は完全に凍りついてしまった。見えていた視界も、写真のように固まった。鮮明な色合いと輪郭は持っているにも関わらず、今までと違って奥行きがない。視点の移動もままならない。
「『牢の中で頭を冷やせ』なんて、つまらないことは言わない。むしろ俺への怒りを掻き立てていろ。次は本気で殺しにかかってこいよ、隠してる『奥の手』を使ってね。……でなければ、コレは奪えないぞ」
ディアベルの言葉は、近くでありながら遥か遠くからの木霊のように聞こえた。全ての環境雑音・胸の鼓動すらも遠のいていき、耳が痛くなるような静寂が迫ってきていた。
(ちくしょうッ、ちくしょうッ、チクショウっ、ちくしょうがァッ―――)
麻痺してしまった声帯は音を出せず、頭の中だけで反響する声。舌先すら微動だにしなくなっていた。
“―――たとえ君に恨まれたとしても俺たちは、君を失うわけにはいかない”
最後に耳が捕らえたつぶやきは、懺悔に似た響き。
もう体は、ただのオブジェクトへと変わっていた。
それを最後にオレの意識は、底のない暗闇の中に閉ざされた。
長々とご視聴、ありがとうございました。
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