最後の一撃を叩き込んだあと、幾十ものガラス片となり拡散した。雪煙とともに燐光が舞い上がる。
イベントボス【背教者ニコラス】は倒された。
後に残されたのは、奴が背負っていた宝の山。年一のイベントボスにふさわしい報奨だ。
目の前に浮かんだウインドウに、獲得したそれらのリストがいくつも並んでいる。スクロールして確認した……
だけど、その中に欲しいモノがなかった。探してみても、それらしきものが見当たらなかった。
(……やっぱり、ただの噂でしかなかったのか)
渇いた笑いが出てきた。一気に緊張がほどけ、虚脱した。
踊らされただけ……。喉から手が出るほど欲しがっていたアイテムは、なかった。ただ噂だけが一人歩きしただけだった、あるいはこのゲーム製作者のイカレ具合を読みそこねてしまったのだろう。
(……そんなことは初めから分かっていた、はずだった)
ドサリと、地面に膝をついていた。留め金が外れてしまったかのように、ガクンと崩れ落ちた。雪原の冷たさが足全体に染み込んでくる。
「もう、終わりだ、何もかも……」
頭をたれながらつぶやいた。望みは絶たれてしまった……
見下ろした真白な地面に、小さな穴が一つ二つと空いたのが見えた。何者にも染められていない白さに映える、紅い穴。溶けて染み込み、縁は桜色の淡いを帯びていた。
それで自分が今、傷を負っていることに気づかされた。頬と肩口・脇腹にパックリと開いた切り傷、ボスに付けられた重傷=【出血】の警告表示、視界の隅でうるさくがなり立てていた。
今更そんなことは、どうでもいい……。すぐさま止血治療が必要だと冷静な部分が訴えてくるが、気力が/生きなきゃならない力が湧いてこなかった。流れたまま、流し尽くしてしまったらそれまでと、何も考えられない。考えたくない。
呆然としたまま、絶望を感じていた。
ふと、小さな鈴の音が聞こえてきた。メニューウインドウの展開時の音。
見上げた先にいたのは、乱入してきた共闘者/大盾と大剣を装備した重量級の壁戦士、だけど重さを感じさせない爽やかな優男=ディアベル。フルプレートの鎧などの暑苦しい装備は似合わないのに、それでも人並みには着こなしてしまえる若い騎士。
やつもオレと同じように、今回のボス戦で報酬を得たのだろう。それを確認していた。スクロールしその中の一つをクリックすると、ストレージに入っていたアイテムが実体化した―――
ウインドウに浮かび上がったソレは、卵ほどにも大きな/七色の煌きを放つ途方もなく美しい宝石だった。
目を見張った/凝視させられた。その容姿もさる事ながら何よりも、【鑑定】スキルによって自動的に告げられたその名前が全身を貫いた。
【還魂の聖晶石】
何のアイテムなのかは、わからない。名前だけでは判断できないが、『ソレ』以外には考えられない。稀少な結晶アイテム特有の煌きを放っているそれは、間違いなくオレの求めていたものだ―――。
動悸が激しくなった、抑えようとしてもできない。絶望して沈殿していたのが、急にがなり立ててきた。全身がブルブルと震えだしてもくる、砕けたはずの足に力が通い始めてきた。
「―――そいつをよこせ、ディアベル」
今に炸裂しそうになるギリギリ/抑え込んで言った。同時にムクリと、幽鬼のようにして立ち上がった。
もう取り返しがつかない、導火線に火がついた。一度消さた上でのソレは、オレの僅かばかり残っていた倫理観をかき消した。呼吸は乱れに荒れ苦しい、視界にはそれだけしか映っていない。
「なせ、これが欲しいんだ?」
俺の物欲しそうな様子に気づいたのか、ディアベルがこちらに目を向けてきた。手に持ったソレを向けながら―――
なぜ、なぜだって……? そんなことどうでもいい、論点をはき違えている。ソレがオレの手に収まっていないことが問題なんだ。
すぐに沸点を越えた。
「お前には関係ないッ! いいからよこせ」
威嚇するように/それだけで圧倒するように/悲鳴のように喚いた。
どこまでも続くかと思われていた砂漠の中、ようやく見つけた。渇きが心にまで侵食し痛み以外の全てを取り去っていたその時、突然目の前にオアシスが現れた。一も二もなくそれに飛び込んで渇きを潤したい/取り戻したい。それ以外には何も考えられない。……皆を見殺しにしてしまった罪と絶望感から、解放されたい。
ソレが今、目の前にあった。他人の手に握られていた。……許せない。
「……渡す義務はないな」
そう言うと、警戒の鋭い視線を差し向けてきた。
だけどそれだけ、それ以外に動けない。……動くなど許さない。
アイテムストレージに収め直させるわけにはいかない。そうなったら、少々ややこしいことになる=奴を無力化させなければならない/殺してはならなくなる。【麻痺】か【気絶】状態にして拘束すること、身動き取れなくなったところでメニューを開かせ奪い取る。【盗み】スキルを使いこなせたら楽できたが、あいにく持っているだけの初期状態。ただ、今ここはボスとの戦闘のために隔絶されたフィールドになっている、【聖騎士】たちの増援はない=できないことはない。
しかし、奴相手には危険すぎる/そんな手間をかければ逆襲される。そもそも、オレの目標は悟られている=オレがこれから何をするのか予測されてしまっている。……正面切って戦わず逃げられたら/このフィールドから抜けられたら、オレの負けだ。
ゆえに、逃がさずストレージにも収めさせてはらない。凄まじく不利な勝利条件、頼れるのはこの身と愛剣のみ。強く固く、握り締めた。今までの経験で培ってきた戦闘計算が、冷静に戦術を紡ぎあげる。
(アイテムごと奴の腕を切り落とす。あの防御力を突破するのは難しいが不可能じゃない。……『アレ』をつかって攻め続ければ、押し切れる)
自然と、だけど相手にそれと気づかれないようにして、腰のベルトに取り付けていた短刀=副武装に手を伸ばした。
主武装である愛剣が壊れた時に/狩ったモンスターの死骸の解体などの細かな作業用に、腰の背部に実体化させて装備している。少々重くなるも動きに支障が出るほどではない、いちいちストレージから取り出す手間を省ける方が重要だ。何より、盾を装備していない余裕がある。ほとんど使ったことはないが、用心するに越したことはない。……今のようなことが、起きないこともないので。
ソレを使って、今まで隠してきた『特殊スキル』を使う。入手経路不明/まだ誰も会得していないであろうスキル。完全に会得したわけではないが、充分に実用可能なレベルには達している。不意打ちとしては効果抜群だ。ボスとの戦闘の際には使わざるを得ないと考えていたが、ディアベルの活躍で隠しとおせた。……皮肉なことに。
「……どうしても、渡す気はないか?」
「君こそ、引くつもりはないのか?」
睨み合いながらの最終勧告。にじり寄って間合いを詰めようとするも、動けない=もうギリギリの瀬戸際に立っていた。
微動だにせず、その時を待つ……。全身の感覚が鋭く尖っていった。
少しでも異変があれば、それが合図だ。どんな些細なものであろうとも、見逃さない=鋭敏になった感覚が捉えてくれる。邪魔する鼓動と呼吸が細く静かなものへと変わっていった。……抜けた緊張の分、もう少しだけ詰められるかもしれない。
慎重に慎重に、神経を研ぎ澄ませながらにじり寄った/境界を侵していく。
本来軽いはずの積雪が、今は重い足かせのようだった。進むたびに足が囚われていく。次の爆発時に足がとられてしまう心配が募ってきた。【転倒】などしたら目も当てられない、全てが台無しだ。慎重に慎重に、進み続ける―――。
そして……ここが限界/これ以上は詰めれない=ディアベルの警戒の剣気が伝わってきた。機械が紡ぎ上げたココにそんな微妙なモノがあるわけないと思っていたが、あった。何度も遭遇すれば認めるしかない、知れば使える/使えれば強くなれる=『ビーター』であるオレには命に関わる必需品だ。迸らされた見えざる架空の刃にグッと、唾を飲み込んだ。
ソレを押しのけるように、ソードスキルの初動モーションをあからさまにとった。剣気を跳ね返す=不退転の意志を放った。
もう何も、恐れることなんてない―――。爆発しようと、踏み込んだ前足に力を込めた。その寸前、
「―――【月夜の黒猫団】だったな。君が所属していたギルドの名前は」
ピクリと足が固まった/固められた。
絶妙なタイミングで語りかけてきた。ソードスキルが発動する一歩手前、まだノーリスクでOFFにすることができる刹那。その誘導にまんまと……乗せられた。
勢意を殺され見上げさせられると、ディアベルは続けて告げた。
「彼らの誰かを復活させたいのか? 見殺しにした詫びを入れるために?」
さらに呼吸まで、乱された。
なぜお前がそれを知ってる? ……声に出しそうになるのを、寸前で飲み込んだ。
今重要なのは、隙だらけの奴の腕を切り落とすことだ。話し合いや交渉の出る幕はとっくに終わっている。だけど、静かに叩き込まれたその一撃は、研ぎ澄ませた殺意を打ち壊すのに充分だった。機先を制されてしまった。
「君は攻略には欠かせないフロントプレイヤーだ。最近迷宮区に顔を出さないので気になっててね、動向をチェックさせてもらったよ」
オレの心を読み取ったかのようにディアベルは、解説してきた。……返礼として/焦りを隠すためにも、睨み返した。
そんなオレの様子にディアベルは、これみよがしに溜息をついた。
「残念ながら、今の君にコレは渡せないよ。意味のない懺悔なんかのために使わせるわけにはいかないんだ」
プツリと、何かが切れた。その瞬間全てが真っ白になった。奴は一体、ナニヲイッテルンダ―――。
ディアベルはさらに、オレの逆鱗にふみこんできた。
「キリト、君は間違えている。一度死んだプレイヤーは二度と蘇らないのが、このゲームの鉄則だろう?」
「それができるアイテムだろうがッ! ソレはッ!」
叫んだ、もはや我慢の限界だった。牙を剥き出すように吠えた。
そして激情のまま、溜め込んでいたモノを吐き出した。
「『意味のない懺悔』だと……ふざけんなッ! オレの方こそそんな、無意味な説教なんて聞きたくないね。
なぁ、一体いつ神父にくら替えしたんだよ、ナイト様? 犠牲にしてきた仲間が多すぎてヒヨっちまったのかな?」
皮肉な言い回しにディアベルは、眉をひそめた。奴にとって=皆の期待を背負ったナイト様の急所。
ソレで気を整えると、さらに嘲るように肩をすくめた。
「そんなくだらないモノは、お前の大好きな【聖騎士】かファンどもに聞かせてやれよ。きっと涙浮かべながら改心してくれるはずだぜ。ありがとうありがとうございます! 貴方にそう言っていただければ死んだ者も浮かばれます……てさ。
オレが欲しいのは、そのアイテムだけだよ」
優しげでもある声音で/悪魔の囁きのように、差し出された手を払いのけた。今まで『ビーター』の演技としてだけ使っていた嗤いが、オレ自身の本性であるかのように自然と浮かんでいた。
言い知れぬ恐怖に追いつかれる前に、畳み掛けた。
「もう一度だけ言うぞ。さっさとソレよこせ」
「断れば力尽くで奪う、か……」
オレの恐喝にディアベルは、顔を暗くして伏せた。
何らかの迷いがあるのだろうが、知ったことではない。むしろ悩んでくれた方がいい。それにリソースをかけてくれれば、戦いを有利に進められる、アレを奪いやすくなるから。
好機かと思い、もう一度踏み込もうと足に力を込めた。しかしそれは、見込み違いだったらしい。
「俺もそれで構わない。―――戦おう」
顔を上げたディアベルの視線は、強い。固く壊れない意志が秘められていた。容易ならざる敵だと直感させてくる=踏み込ませない眼力。
再び、踏みとどまされた。
「君にも、コレを使わないといけない理由があるように、俺にもある。……次の55階層で死ぬことが定められているプレイヤーを、助けなければならない」
それは先に、リンドが言い放ったこと=大義名分/キレイ事。奪って専有しつつ恨みを逸らす卑劣な言い訳にしかならない……はずだった。
納得してしまった。ディアベルの口からでたソレは、違ったものに聞こえてしまう。
「俺は44階層で偶然助かった。死ねとこのゲーム自身に言われたのに、どういうわけだか生かされた。おまけに【降魔剣】なんてふざけたスキルを押し付けてきて、だ」
誰もが羨む特権だが、心底嫌そうに吐き捨てた。『特別』はプレゼントではなく、ただのレッテルだと断じる。
「次もまた、同じなのかどうかわからない。でも、同じであることを見込んで自殺させることになるだろう。皆が新たな【降魔剣】の使い手を望むから、俺もそうあって欲しいとは思う。でも、もし違っていたのなら……その人に申し訳が立たない」
言いながら、厳しい顔つきになっていた。オレが浮かべていたような、罪悪感に苦しまされている/潰されまいとしている表情。
ソレを見せられると、唐突に理解した。ディアベルの罪=自殺すれば手っ取り早く/誰も不快な想いもせずに先に行ける=自殺を強要させる空気の発端になってしまった。今後ゾロ目の階層で犠牲になるであろうプレイヤーたちの死には、自分が大きく/マイナスに関わってしまう。
まだ犠牲になっていないそのプレイヤーのことを背負いこんで、なんとかしようともがいてきた。たぶん、44階層で自分が生き残ったその日から今までずっと。その暗中模索の日々が顔に刻まれていた。無視しても誰も責めることはないだろうに、なんという……。
この仮想世界の中では、自分の感情を他人の目から隠し通すことは難しい。強い感情であればあるほど、表に現れてしまう/感情表現が単純でゆえに強制してくる。加えてオレには、彼のその気持ちはよくわかる/わかってしまう。過去形と未然形の違いはあるが、オレもまた出口のない苦悶の日々を過ごしてきたから……同情が沸いてきてしまう。
「俺には、その人を助ける義務がある。自殺から救う手段を持ち合わせていなければならない。―――君にこれを譲るわけにはいかない」
強くはっきりと、だけど覚悟を秘めて宣言した。
渇いていたのは、オレだけではなかった。蘇生アイテムを喉から手が出るほど欲しがっていのは、彼もまた同じだった。ただのレアアイテム欲しさでここに来たわけではなかった/オレから唯一の救いの道を奪い去ろうとしていたわけではなかった。……それだけは、わかった。
でも―――、目をつぶってソレを飲み込む。同情しそうになる弱さを/弱さだと断じて、押し殺した。
ひとつ大きく、息を吐いた。白い靄とともにソレは……消えた。
「……遺言はそれだけでいいのか、ディアベル?」
「遺言? ……心外だよ、キリト」
戦える/傷つけられる/叩き斬れる―――殺せる。
できればしたくない。だが、今この場でコイツには……仕方がない。どちらも退けない/邪魔者だ、排除するしか道はない。ただ……それだけだ。
愛剣を握り締める。ソレで研がれた鋼鉄と繋がったかのように、全身の感覚センサーが活性したのを感じた。頭もいつになく透き通っていた。
ゆえに、捉えられた。今までとは異質な、奴の奥に潜んでいたものを。
「立場をわきまえろ。今のお前は俺に、生かされているんだぞ」
取り巻く空気の質が変わった。ディアベルの表情が豹変していた。
今までの/爽やかでありながら精悍な若騎士の顔が、残酷で冷徹な暴君のような歪みを帯びていた。背丈はそれほど変わらないはずなのに、遥か高みから見下ろされている気分。
(これが、ディアベルの本性か……)
生唾を飲み込むと剣を前に身構えた、引き攣りながらも口元に笑いを浮かべる。
君子豹変とは、コイツに相応しい言葉だ……。今までこんなものを抱えながら、あんな騎士ヅラをかぶり続けてきた。誰にも悟らせず『コレ』を腹の奥底に押し込め続けてきた。対峙しながらも匂いすら感じさせないというのは……恐れ入る。愛剣の確かな鋭さと硬さを間におかなければ、飲み込まれていただろう。
「オレ相手に随分な自信じゃないか。……一体どこからそんな妄想が沸いてきたんだ?」
「初撃を打ち込ませてやる時間をくれてやった。こんな無駄話なんてせず問答無用でやればあるいは……奪えてたかもしれないのにね。随分と舐めてくれたじゃないか、ビーターさん―――」
先ほどのお返しとばかりに皮肉ってくると突然、オレに向かって宝玉を投げてきた。放物線を描きながら飛んでくる―――
思わず、ソレに注意が向いてしまった。視線が奪われる、間抜けにもキャッチしようと慌てて身構えようとしてしまった。―――その隙を突かれた。
すぐさま大剣を構えた=初動モーション。光に包まれると、ソードスキルが発動した。大砲のように突撃してくる。
「!? しまッ―――」
突進型のソードスキル。大剣のソレは同じ重量系武器でないと相殺できない/オレの片手剣では不可能。先出しされたら躱すしかない/注意が逸らされた今はソレすら難しい、でもやるしかない/やれなければ終わる―――。
迫りきた刃をギリギリ、避けた。ディアベルの攻撃は空を穿つ。しかし、体は弓なりの無理な姿勢。次撃は躱せない―――
突き出された大剣はそのまま、オレを両断せんと打ち下ろされた。
長々とご視聴、ありがとうございました。
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