偽者のキセキ   作:ツルギ剣

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塵界 ログイン 後

 

 

 

 

 

 

 

 巨人の胴体がゆっくりと傾げ……、倒れた。地面が揺れる、灰が舞い上がった。

 切断した首から大量の血流、地面の灰と混じり赤黒い水たまり。どぼどぼと流れ落ち広がっていった。

 微動だにしない/動く気配もない。倒したことを確認すると、一気に力が抜けた。

 

「―――がはっ! はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 膝に手をつきながら、息を荒げた。今までまともに呼吸していなかったように空気を貪る。弾けそうなほど脈打つ鼓動にも初めて気づいた。そして、全身にドッと汗が噴き出しているのにも。

 自分が生きていることを実感した。すると、遅ればせながら手足が震えていた。寒いわけでもないのに歯の根もあわずガタガタと、体の芯から震えている。止められない……。

 

(俺……、やったんだ。倒したんだ)

 

 ふたたび巨人をみると、ようやく実感に至った。あの強敵に勝ったのだと、勝利の実感が湧いてきた。

 すると、震えが徐々に静まってきた。呼吸も整っていく。

 そのまま何とか落ち着かせると、余韻に浸ろうとした。その奮えのまま笑おうとしたが、腕に走った痛みが遮ってきた。

 

「いっッ! ちぃ……」

 

 呻きながら腕を押さえた。そうするだけ/押さえようとした腕の方も痛い。ほんの少し動かすだけでも激痛が走る。

 痛みはすぐさま脳みそまで駆け上った。握りつぶされるような痛みに立ってもいられず、その場に尻餅をついた。

 

 限界以上の武器を無理やり使用した反動だ。

 遠心力をつかった裏ワザ。助走をつけて力を溜め、腕だけでなく全身のひねりをを用いてぶん回す。そのため一撃のみ、使うとは言えない/振り回されているだけ。それでも、今の自分では出せない攻撃力を引き出せた。【頭部切断】の致命攻撃が成立、格上の巨人を倒すことができた。

 ただ、残心がうまくいかなかったのだろう。振り回した勢いを殺せず腕が/体全部が悲鳴を上げていた。もう身動きも取れない、戦えない……。

 でも、それだけの価値はあった。

 倒した巨人をもう一度見下ろした。にやりと笑う。

 

 ぼんやりと疲れを抜いていると、先の高揚感は冷めてきた。次第に不安が募ってきた。

 

(……倒したら、何かくれるわけじゃ……ないのか)

 

 勝利のファンファーレもない。ガックリと肩を落とした。

 残ったのはただ、巨人の死体だけ。もはや血は流れることはないが、それま出たもので灰白の地面が赤く染まっていた。凄惨な殺人現場だ―――

 寒気が走り抜けた。今更ながら怖気づいてきた。

 確かに倒したのに、自分がやったこととは思えない。どうしてこんなことができたのかと、現実世界の常識が鎌首をもたげてきた。オレはこんなこと、どうして出来たんだろう? どうしてコレよりも、貰えるアイテムやら経験値やらの方を真っ先に期待していたのか……。

 そして、ようやく異常に気づいた。

 

「……なんで死体、消えてないんだ?」

 

 そこにあり続ける死体。その圧倒的な存在感/物々しさ。さきまで自分と同じく動いていた/確かに生物だったはずなのに、今はただの無機物に成り果てている。これからその姿形も崩れて風化し、最後は塵にかわり消える。寒々しいまでの静止に、こちらの生命まで吸われていくようだ。

 β版ではこのようなことはなかった。倒した/HPが0になったモンスターは、大抵すぐに無数のガラスの破片に変わって空中に霧散し消えた。跡には何も残さない。戦いの爪痕や【血痕】=その場のモンスターとのエンカウント率を上昇させる&プレイヤーにつけば攻撃力微上昇/精神系状態異常耐性微減少などを付加/負荷する、切り離した部位=生体素材アイテムは残るがそれも時間が経てば消える。戦闘の痕跡は自動的に素早く清掃された。しかし、残り続けていた。さらには生々しさが加味されていた。血の匂いが鼻だけでなく皮膚にまで染み込んでくるかのように濃厚。まだソコに巨人がいるかのような臨在感を突きつけてくる。目には見えない怨念のようなものが残留しているような不気味さが醸し出されていた。それがオレの芯を掻き毟ってくる。

 気持ち悪さに眼を閉じた/顔を逸らした。芯からの慄えに怖れる。それ以上は考えないように蓋をした。

 

 気を取り直すと/そこから離れようと、立ち上がった。体はまだ休みたがっているが、無理を押して立ち上がる。……ここにいても仕方がない/長居したくはない。

 巨人の死骸を避けるように横切ると、投げ捨てられていた【手斧】を拾い上げた。降り積もった灰の中から拾い上げる。

 手に取るとおもわず、眉をしかめた。蓋が刺激される。……刃にはべっとりと、巨人の流血が張り付いていた。

 ソレも、β版にはなかったものだ。【血痕】がプレイヤーの武器にも残るなどなかった。どれだけ斬っても突いても叩いても刃には血糊はつかない、綺麗なまま。ただ【耐久値】が減るだけ、ソレが見てもすぐわかるように刃先が欠けたり丸く潰れたり亀裂が走ったりする。それだけだった。このような生々しい/本来あるはずの汚れは、自動的にぬぐい去られていた。

 地面に刃をこすりつけた、【血痕】をぬぐい去ろうとした。布か水があれば取れるのだろうが、あいにくそんなものはここにない。服を使うなど論外だ。……【血痕】は完全には取れなかった。どうしてもぬぐい去れない。

 大きくため息をつくと、諦めた。渋々と腰のベルトに収めた。

 β版にはなかった現象なので何が起きるかわからないが、捨てるにはおしすぎる。現状、これだけがオレの使える武器だ。このさき何が起きるかわからない以上、持っていくしかない。

 

 あたりを見回し「何か」のサインを探すも、途方にくれた。……リベンジを果たしはいいが、これからどうすればいいのかわからない。

 何かイベントが進むのかと期待するも……何もない。ただ森は静かなまま、シンシンと灰が降り注いでいるだけ。その奥から新しい敵がやってくることも……ない。続きを示す兆候も見当たらない。

 本来この戦いは、負けることが「決まって」いたのだろう。こんな初期ステータス/初期装備/【剣技(ソードスキル)】すら使えない今ではほぼ絶対に勝てない、それなのに勝ってしまった。製作者たちの見込みが外れてしまった。……現状は、バグのようなものなのかもしれない。

 しばらく呆然と佇んでいると、意を決した。

 

「……もっと奥、行ってみるか」

 

 相手がこないなら、こっちから行くしかない。……それ以外に何をすればいいのかわからない。

 降り積もった灰の道を歩む。

 

 

 

 

 

 何もない/代わり映えない景色、何も聞こえない/ただ足音だけそれすら灰に吸収され微かなもの、どこまでも続く/進んでいるはずなのに足踏みしているだけのような錯覚に襲われる―――。

 心なしか、段々と寒くなってきた。腕をさする/手をこする、意味もなく指を動かした。吐く息にも白いものが混じっているかのように見えた。

 あまりにも生物の気配がない。林立している木々にも生命の温かさを感じられない、ただの柱かずっと昔に枯れ果ててしまったかのように思えてしまう。オレしかいない。そのためかただ居るだけで、生気のようなモノを奪い取られている錯覚に襲われる。現にそうなっているのかもしれない。寒さは徐々に冷たさへと変わり、凍てついてまでくる。すでに手足の指先の感覚が怪しくなっていた。どんどん静寂へと溶け込んでいく。

 

(罠でも敵でもいいから、何か来てくれよ……)

 

 苛立ちを越えて懇願していた。そして、後悔が滲みできた。

 もしかしたら、あの敵は倒すべきではなかったのか? 負けて/殺されなくてはいけなかったのか? 倒された想定がされていなかったのか……。製作者たちの手抜かり、不安になってきた。

 同時に怒りも湧いてきた。なんだってその程度のこと考えていないのか? 苦労して勝ったなのにゲーム自体始められなくなるなんて、ふざけてる。勝っちゃならないのならもっと理不尽な強敵にすればいいのに、なんだってあの程度なんだよ―――。

 答えが見つからぬまま、足を止めた。

 

(……ダメだ。一回おちるか)

 

 もう耐えられない、これ以上は時間の無駄だ……。大きく溜息をつくと、メニューウインドウを展開しようと右手を振った。

 GMに抗議する、あるいはログアウトする。最悪やり直さなくてはならないかもしれない。……出鼻をくじかれた、最悪な気分だ。

 人差し指と中指を揃えた剣印を縦に振った、それでメニューが胸の前に展開するはずが―――、できない。何も起きなかった。

 

「…………そうだった。最初は使えないんだっけな」

 

 メニューを展開して操作出来るのはこのあとから、別空間へと転移してからだった。ここでは使うことができない。

 またため息がこぼれた。

 

(やばい、もしかしてコレ……、詰んだ)

 

 もうどうしようもない、この仮想世界に隔離されたも同じだ……。戦いには勝ったはずなのに、ゲーム自体に敗北した。

 何か他に方法が/打開策がないか、頭を巡らした。必死にひねり出そうとした。こんなところで人生終わっていいはずがない、こんな死に様では死んでも死にきれない。だが……、どこにもなかった。考えつかない。

 無力感に襲われると、乾いた笑いがこぼれた。……本当にもう、どうしようもない。

 今できることはない/誰も助けてはくれない=独りだ。ソレを思い知らされた……。

 

 だが逆に、踏ん切りがついた。気持ちを切り替える。戻れないのなら前へ進むしかない、できるのなら走って/駆け抜けて。

 誰も踏み入れたことのない場所へ行く。その事実に思い至ると、ワクワクが蘇ってきた。萎えていた冒険心が燻られる。

 もう仕方がない。ふたたび歩き始めた。

 

 

 

 

 

 閑散とした森が続く。降り積もった灰をかき分け進む。体は寒くて仕方がないが、それでも先へと行く。

 

 あとどれぐらい行けばたどり着くのか、わからない。そもそもたどり着くべき何かがあるのか。このままずっと同じ風景が続いていく=ループしているだけじゃないのか。……もうそんな先のことは考えられない/考えては歩けない。ただ歩くために歩く。

 かわりに、一体この場所は何のか考えた。

 どうして始まりがこの場所のなのか。SAOは剣が戦いの主役にある/異形のモンスターが跋扈するファンタジー世界=現実世界なら中世以前の世界のはずだ。現に先ほど、現実にはありえない巨人がいた。現在のこの場所も空を覆い尽くすほどの原生林、大きく齟齬があるわけではない。だけど、ログインする前にイメージした/β版で体験したモノとちがって、暗い。ロウソクの火が今にも消えかけているような、世界の終末感がそこかしこに漂っている。降り続けるのが雪ではなく灰であることが、ソレを一層後押ししてくる。積み上げてきた全てが失われ、もう二度と元に戻ることはない。これから先は無に帰るだけ、深淵一歩手前の死に瀕した世界……。

 空に浮かぶ鋼鉄の城。そこにいるはずなのに、どうにも別の場所にいる気がしてならない。例えば、空の上ではなく地上に。先の見えない灰色の風景がそう錯覚させてくるだけかもしれない/この森を抜けられたらすぐに改めることができるかもしれないが、それでも公式のPVや雑誌などで喧伝してきたSAOの煌びやかな雰囲気とここは全く合わない。自由で広々とした開放感がない、縛り付けられ汲々とした閉鎖感で息苦しくなる。現実世界よりなおここは……重い。重苦しい。

 もし、あの巨人をあの場で倒せずヒット&アウェーの長期戦で削っていく戦術をとった場合、奴とこの森の中でずっと命懸けの鬼ごっこをすることになったはず。今ソレを考えると、ゾッとしてしまう。もはやサバイバルホラーだ、大自然の中に身一つで投げ出されたかのようなもの。敵意を漲らせた巨人に追われながら/いつ殺されるのか怯えながら、誰もいない=助けが来ないこの森の中を隠れ走り回る。オレも含め大抵のプレイヤーは、そこまで心身を削らずに、無謀であろうとも挑んで倒されることを選ぶはず。だけど、今のオレには、そんな突貫をしている自分をイメージできない/その選択を迷わず選ぶとは言い切れない。染み込んできたこの森の重力が、ソレを許してくれない。怯えを植え付けてきた。……そんな気がする。

 

 灰に足を取られよろめいた。ギリギリ踏みとどまり、転倒は防ぐ。

 何とかバランスを取りながら気づいた、気づけていないことに気づいた。足首から下の感覚が麻痺していた。両足の感覚は小指ほどの太さの骨にまで退行していた、分厚く重い何かがはめ込まれているだけ/革と木でつくった義足を履いているような感覚。立っているはず/そう見えてはいるはずなのに、地面の感触が伝わってこない。流れているはずの血液も膝で折り返しているかのようで、鼓動も体温も感じられない。綱渡りしているかのようで不安定だ。

 また乾いた笑みが浮かんできた。

 

(……もうそろそろ、ダメかもしれないな)

 

 真冬の雪山で遭難したようなものだ、登ったことなどないがおそらくそんな感じだ。これからやってくる死に怯えるよりも受け入れる、今までよくやったと自分を褒めて慰める。ここまで頑張ったのなら、もういいだろう……。

 そこでふと、今の自分の不自然さに気づいた。

 なぜオレは、こんなに頑張っているんだ? GMに連絡もログアウトもできない仲間もいないのなら、一旦死んで強制ログアウト=リセットすればいいだけじゃないか。何をこんな無駄なことをしているんだ。今まで掛けた時間でどれほど有益なことができた/損失だったのか考えてみろ……。今更なことに気づいた。

 だけど、だからといって、ここまでやった以上最後までやり通す/やり通したい/やり通さないと収まりがつかない。みみっちく微かな可能性にしがみついている/損切りできないだけ=ゲーマーとして失格な態度かもしれないだろう。ここまで歩いても何もないなら、これから先にも何もない、あったとしてもコスパが釣り合わない/ふさわしい何かを想像できない。悔しさは一旦飲み込んで次に賭ければいい、最後に勝って笑えればいい……。残念ながら、ソレはできない。

 

(まだ道……、続いているよな)

 

 顔を上げ前を向くと、そこにはまだ先が伸びていた。代わり映えのない寒々しい風景だが、それでも道があった。

 

 感覚が失せた足を動かした、一歩前へ踏み出す。倒れないように注意しながら慎重に、だけど立ち止まらずに前へ歩き続ける。

 よろめきに四苦八苦していると、はじまりの小屋にあった【木の棒】を思い出した。

 アレを今もっていれば杖にすることができた、歩くのが非常に楽になっていたはず。ベルトに挟んで固定し落ちないようにはしているものの【手斧】は重荷になっていた。武器としてなら優秀なのだろうが、それ以外では役にたたないどころか有害だ。選択ミスに歯噛みした。……巨人を倒せなかったら今の苦労はなかったのではあるが。

 無い物ねだりしても仕方がない、過ぎてしまったことを悔やんでも今は変わらない。平衡感覚を研ぎ澄ましながら一歩一歩進んでいった。

 

 

 

 

 

 スピードは落ちたものの、進み続ける。前へと進み続けた。

 

 いつの間にか、灰の吹雪が弱くなってきているのに気づいた。顔に打ち付けるようだったのが、髪と肩の上にはらりと乗るように。視界も奥行を増していき、灰色以外の彩と輪郭が浮かんでいた。

 何か変わろうとしている。そんな予感が湧いてくるも、期待はしなかった/できなかった。ソレを受け取るには心が凍てつきすぎていた、透明であれたからこそ見えたのかもしれない。変化を変化とは思えず、ただ歩くことだけに、すでに歩いている意識すら希薄になっていた。瞳は茫洋と顔は虚ろ口からは意味を成さない小さな呻き=ゾンビのようにフラフラよろよろと、ただ前へ前へ先へ……。

 歩く反動で前のめりに、足元に目がいった。地面を見下ろす。

 そこで始めて、地面に灰が降り積もっていないことに気づいた。自分の足が見えた、粗末な革靴は破れ去り裸足になっている。

 足取りが軽くなったとは、感じなかった/そんな余裕もなかった。灰をかき分ける感触が消えていたことにも気付かなかった/麻痺していたのでできなかっただろう。段々と低くなっていったのでわからなかったのかもしれない。それでも、確かに地面が/土が見える。今までとは違う。

 顔を上げた、今度は期待を込めて。―――その視界にはもう、森はなかった。

 あったのは、幾棟もの尖塔/ビル。色鮮やかな輝きを放つ卒塔婆の群れだった。

 

「―――なんだ……、アレ?」

 

 かすれた小さな声が口から抜けた。まるで生まれてから今まで使ったことがなかったかのように、喉を削った。痛みに頭の奥が痺れる。

 

 目に映ったソレは大都市。それも現代のものとは違う、おそらくは外国においても違うだろう。

 未来の大都市。一昔前の科学者やSF作家が夢想したような、世界中の文化がごった煮がえした退廃と享楽の悪徳の街。同時に、365日24時間休むことなく輝き続ける機械の街。地球上の全てのエネルギーを蕩尽し続けることで成り立っている破壊の釜、そのくべるべき燃料には人すら例外じゃない/人の欲望こそ最大の原動力。……その燃えカスが、オレの背後にある灰の森であり、街との間に広がっている岩とゴミと廃墟だらけの荒野なのだろう。

 異質な風景=明らかに別の異世界、SAOの世界観から程遠い場所がそこにあった。

 

 呆然とソレを眺めていると、抑えていた不安が飛び出してきた。……オレは本当に、SAOっていうゲームをやっているのか? ここは仮想世界で、いいんだよな? もしかして、ソフトの中身自体が違ってたのか?

 自分が今どこにいるのか、わからなくなっていた。ここは現実世界ではないのだろうが、その確信も持てなくなった。自発的にログアウトできない/外との連絡も取れない今では、ここの住人でないと証明できない。オレの妄想だと言われたらそれまでだ。―――ただ一つの方法を除いて。

 ベルトに挟んでいた【手斧】を取り出した。刃を首筋に当てた。

 

 ほんの少し力を込めれば、それで終わる。このわけのわからない状況から抜け出せる。これ以外にはもう方法がない……。息を整え意を決しようとした。

 でも、できなかった/やらなかった。

 怖いわけでは、ない。ここで死んだところでこの世界から追い出されるだけ/現実で目を覚ますだけだ。そうした後やり直すなりゲームの運営者にクレームを叩きつけたりもできる、そのために必要な作業だ。泣き寝入りしてやることはない、オレの他にも迷惑を被ったプレイヤーがいるかもしれない、すぐさま改善すべきバグだ。さっさとやるべきだった。……できなかったのは、やっと「何か」にたどり着いたからだ。

 ようやく謎が解かれようとしている、新しい謎が用意されている。そんな期待に、死ぬのが惜しくなった。

 

(……こうなったらとことん、突き詰めてやる)

 

 【手斧】をベルトに戻すと、荒野へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 風吹きすさぶ荒涼とした大地、砂埃が舞い上がり空を覆う。今は昼中ではあるのだろうが、陽の光は淡くかすれていた。

 

 砂塵のためか乾燥しているためか、呼吸するたびに口と喉が痛くなる。肌からも水分が抜け出るのか渇いてくる、目もうっすらとしか開けられない。代わりに先までの冷たさは消えていったが、無理やり乾かされ固められツヤと柔らかさを奪われる=錆びさせられてきた。別の切り口で生気を奪い取ってくる/オレをこの荒野と同化させようとしてくる。……あまり長居したくない場所だ。

 砂よけのため、口元を腕で覆った。―――その時、体の異常に気づいた。

 目を見張った。自分の腕のはずなのに、自分のものとは思えない=毛深く筋肉が隆々と詰め込まれていた。人のソレともかけ離れている。

 驚き腕を離すと手が見えた。ソレもまた変貌していた。指が5本あるのが一緒なだけ、関節の数や基本構造も同じだろう。だけど、その指先/爪はちがう。鋭く研ぎ澄まさほんの少し湾曲している爪=凶器、生えている指の半分ほどの長さもある。混乱しながらも眺めていると、徐々に短くなり指先に納まってもきた。

 手や腕だけでなく腹や足にも目をやると、変貌は歴然となった。人の構造とは明らかに違う/分厚い太ももと大きく後ろに湾曲したかのような足=肉食獣の脚部。その全てが黒い獣毛で覆われていた。

 

「■ッ! ■■■■■■■■■ッ!?」

 

 思わず叫んだが、一瞬耳を疑った。自分の口から発したものなのに、自分の声と違う。獣の咆哮になっていた。

 口元に手を当てた、本当に自分の声なのか確かめようと……。すると、さらなる変貌が明らかになった。

 突き出た口に鋭い犬歯が並んでいた。即頭部に耳はなく上へと伸ばしていくと、見つかった。ピンと立ち上がった三角形の大きな耳。首から肩まで触っていくも、ゴワゴワとした獣毛の感触があった。

 鏡で確かめる必要はない。もはや、間違いようがなかった。

 

(……なんでオレ、獣人に……なってるんだ?)

 

 もう一度、まじまじと自分の手を見た。……そこには、人の頭を簡単に握りつぶせそうな獣の手があった。

 爪に意識を向けると、瞬時に伸びた。固く鋭いソレは、コンクリートも簡単に切り裂けそうな凶暴さがある。

 

 一体全体なんだって、こんなことになってるんだ……。考えても答えは出てこない。さっぱりわからない。

 異常な場所、異常な現象、異常な現状、異常異常異常―――。頭が混乱から抜け出せない。ここに意味はあるのか、今のオレにはわからないだけなのか、ただの気まぐれなのか……わからない。わからないことだらけだ。

 だけど、だからこそ吹っ切れた。ここで考えても仕方がない。答えは、先にしかないらしい。

 気持ちを切り替え先に進んだ、今度は獣の足で。

 

 

 

 

 

 獣の体は、意外と快適なものだった。

 

 人のそれとは違って、軽やかで早い。

 先と違って疲れは微塵も感じない。固くてザラザラとした地面のはずなのに、まるで低反発のクッションの上を歩いているかのようだった。ほんの少し力を込めれば、軽く自分の背丈の倍は跳躍/【剣技】並みの加速ができそうだった。運動機能が飛躍的に向上していた。……嬉しい誤算だ。

 おまけに、五感も鋭敏に研ぎ澄まされていた。

 目測およそ数kmは離れているであろう廃車らしき物体、それがわかるだけでも異常だが、その壊れた扉の鍵穴まではっきりと見えた。砂埃がザラザラと舞っているだけの不毛の荒野だと思っていたが、耳を澄ませてみると何かの息遣いも聞こえた。カサコソと身動きしている音も聞こえる。正確な場所まではわからないが、巨岩の下や廃物の中やくぐもった空からきこえてくる、自然現象ではなく生物の気配であることは確かだ。乾ききって臭など漂いようがないと思っていたが、石油と硝煙と卵が腐ったかのような異臭が鼻につく。嗅いでいられず鼻筋をしかめた。……それさえなかったら最高だった。

 β版でも味わえなかった万能感。今のオレなら、なんでもできそうな気がする。どんな敵にも負ける気がしない……。自然と、口元に笑みが浮かんでいた。

 だが、それが油断だったのだろう。視界の端でほんの少し瞬いた赤い光点を、見逃した。

 

 ソレに気づいたときにはもう、間合いの中だった。

 

 ここはSAO=剣の世界とは違う。未来の/科学技術が発達した世界だ、発達しすぎて自己崩壊しようとしている世界だ。だから当然、使用している道具の性質は違う、戦いの有り様も違う。互いに目と鼻の先で=近距離戦が主体ではなく、相手に知覚されないような死角/遠間から=遠距離戦が主体になっている。―――敵は重火器を使用してくる。

 異常ではあるものの、獣人はSAOの世界観にあてはめることができる。だから、「こんなことも起きるだろう」と受け止められた。自分がそうなっているのはおかしなことだが、ソレがあること自体は否定しない。むしろ知覚範囲が広がってくれた分、こんな荒野であっても心にはゆとりを持てる。……そこに、歪みがあった。

 【狙撃】を警戒していなかった―――

 

 パチリと、小さな火花が瞬いた。続いて、鋭く風を斬る音が鳴った。

 そこでようやく気づいて、光と音が出た方角に顔を向けた。見過ごしてもいいような違和感を感じた程度、近くの何処かで小銭が落ちた音色に反応したようなもの。だから―――、続く衝撃に驚愕した。

 思い切り、肩をぶつけられてたたらを踏んだ。目の前には誰もいないはずなのに/そもそも今のオレには力士の体当たりですらどこ吹く風で無視できそうなのに、よろめいていた/よろめかされていた。それも、上半身が限界まで弓ぞりにさせられそのまま頭から倒れる勢いで、倒される。

 驚くよりも先に体が反応した。【転倒】一歩手間で持ちこたえた。体操選手かフィギュアスケート選手ばりのCの字、少々横ひねりも加えられたのでGの字だろうか。常人だったのならば間違いなく腹筋がちぎれていたが、獣の体はソレに耐え切った。

 衝撃を散らし切ると、今度は激痛が全身を燃え上がらせた。左の肩口を中心に全身へと、同時に大量の血液が噴出した。荒野を()に染める。

 

 突然の出来事と激痛で頭はパンクしていた。何も考えられない。何が起きたのか、オレは無事なのか、この飛び散っている紫の液体はなんなのか……。意識が遠のき、感覚から遊離していく。

 そしてカチンと、何かがちぎれた音がなった。同時にフワリと、無重力状態になった。何かから解放され軽く/薄くさせられた気分。……ギリギリ繋がっていた心と体が離れた。

 そこから先のオレは、オレではない何かに=獣になっていた。

 

「■■■■■■■■■■■ーーーーッ!!」

 

 大気を轟かすかのような咆哮。自分の鼓膜が破れるのすら無視した爆音。

 叫び切ると、疾走していた。文字通り颶風のごとく、周囲の風景から色が剥げ落ち赤一色に変わった。

 赤く染まった異界。そこでは、何もかもが止まって見えた。

 鳴り止まなかった風は凪ぎ、砂埃まみれの汚れた空気はねっとりと粘つく液体になっていた。鼻から/口から吸うと喉や肺の中に張り付く、ただの一吸いが深呼吸であるかのようで重い。空気の質まで変わっていた。

 加速された時空間。踏み込んだその領域を、駆け抜けていく。

 

 なぜ走っているのか、何処に向かっているのか……。すでにオレはオレのコントロール下にはなかったので、わからない。

 でも、察しはついていた。オレであってもそうする。……オレを狙撃した誰かを、突き止める。

 すでに居場所はわかっていた。撃たれた瞬間、微かにだけど見えた、スナイパーの居所/うつ伏せでライフルを構えているその姿が。瞼に焼き付けていた。

 ソレを視覚にしっかりと捉えながら、彼我の距離を消していく―――

 

 だが突然、目眩に襲われた。ぐにゃりと視界が歪んだ。力が抜け落ちていく。立っていられない―――

 

(何だ、何だよ!? 一体……何が起き、て―――)

 

 視界の端から暗闇が侵食してきた。徐々に黒く狭め消していく。

 それと同時に体から、熱が奪われていった。栓が壊れてしまったかのように、抜け落ちていくのが止められない。虚脱感は平衡感覚まで消していく。

 

 【疫病】―――。そのデハブが頭に浮かんできた。

 HP減少だけではなく、吐き気と悪寒と頭がガンガンと痛む最悪のデハブ/現実の風邪の症状そのまま。まだレベル1であり【鑑定】スキルもないはずなので、メニューが展開できてもわからない。診察用のアイテムもアクセサリもない。だけど、βの経験上わかった。あの時以上の最悪さでもある、間違いようがない。

 いつどこでコレをやられたのか……、わからない。ログインした初めからそうなっていた/時限爆弾式だったのかもしれない。あの森の中の灰が感染源なのかもしれない、倒した巨人の血液がそうだったのかもしれない。狙撃された銃弾に、毒が埋め込まれていたのかもしれない。

 わかっているのはただ一つ、もう手遅れだということだけだ。

 

 息苦しく胸を押さえた。腹の底から何かがせり上がってきて、たまらず吐いた。胃液と吐瀉物が地面に撒き散らされる。

 それでも、気持ち悪さは抜け落ちない。力がとめどなく抜け落ち続ける、止められない。吐いたモノのなか紫色のものが混じり始めていた。

 自分が吐き出したものを見て、笑ってしまう。

 

(何だ……、コレ? リアリティ、高すぎだろ―――)

「―――ッ、■■■■ッ!」

 

 盛大に吐き散らすと、膝から力が抜けた。体がガクンと落ちた。

 何とか耐えきるもフラフラと揺れる、体が傾いていく。泥酔したかのように世界がぐるぐる回っていた。何とか安全圏までたどり着かないといけない、ここで倒れてはまずい/また【狙撃】されてしまう。もうすこしだけ前へ―――

 だが、その一歩を踏み外した。たまらず倒れた。

 

 砂埃が舞い上がる、頭に/全身に降り積もっていく。地面に倒れたはずだが、あるはずの衝撃も感じられなかった。意識はそこで途絶えていた……

 荒野の中へ全て、溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。

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