偽者のキセキ   作:ツルギ剣

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 かつて書いたモノを、大幅にリメイクしたものです。


中間層
喪失


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 デス・ゲームが始まって2年が経とうとしていた。最前線はまだ46層、ようやく折り返し地点が見えてきた時期。

 βとビギナー、スタートラインの不平等は均される仕組みを構築/実行してきた。βで踏破された10階層、フロアボスを倒すたびに攻略参加プレイヤーと一定レベルの希望者に全ての所持アイテムと所持金を『喜捨』させた。レベルとスキルは残るので第一層からやり直し、というわけでは必ずしもないが、皆そこからリスタートする。

 誰もが予想した通り攻略スピードは落ちた/足枷でしかない/先頭で引っ張った方が早かったはず……と思いきや、全体の底上げになった。フロアボス撃破によって何度も何度も始めから往復させられることで、その姿が皆に見えた。始めからスタートさせられる、にも関わらず、そのほとんどが次のボス戦に参加し撃破していった。常識的には「あり得ない」その事実に、何より彼らの攻略姿勢に、全員が奮起させられた。「次こそは彼らの仲間入りをする」と、安全な圏内から飛び出していった。攻略参加総人数/機会が増加した副産物として、攻略速度も上がっていった。ゆえに、10階層を越えて喜捨はつづけられた。

 しかし、25階層=初のクォーターポイントで、ソレは変わった。それまでの常識を超える尋常でない強さのフロアボスとの戦いで、喜捨システムの金庫番を任されていた最大ギルドが変質してしまった。この浮遊城アインクラッドの経済システムを攻撃するための『プレイヤーが独自につくった通貨』を保有アイテムと金以上に大量に発行してしまった。ソレはまたたくまにプレイヤーやNPCたちにも呑まれ流通し、攻略で致命的な傷を受けた最大ギルドは回復した。そして、それ以上の『強権』を持つに至った。プレイヤー皆がその強権の実在を確信し、膝を屈した。

 喜捨システムは25階層で打ち止め。すぐさま対策に乗り出すも、一度走り出してしまったソレは止められなかった……。今までの全てと縁を切り、少数先鋭による攻略が再開された。そして/ゆえに、プレイヤーの中に明確な実力差が区分された。

 

 【待機組】―――

 主に第一階層の【始まりの街】付近で屯しているプレイヤーたち。現実世界からの救援を待ち続けている集団。ほとんど安全な【圏内】から出ようとせず、下層域で生活を続けている。百にも満たない少数派だ。

 【攻略組】―――

 前線の迷宮区の踏破とフロアボスの撃破を目指す、フロントプレイヤー。未知の領域を掻き分けていく危険に満ちている。新しいモンスターとの戦いは死闘と言ってもいい。オレがいる場所。こちらもひとにぎりの少数派だ。

 【アインクラッド解放軍】/通称【軍】―――

 このゲーム内の最大ギルドで、構成メンバーは千に達している。直接のメンバーではないが下部組織として追随しているギルドを合わせれば、三千人は超えている。

 先の25階層の大打撃により前線開拓よりも組織力強化を優先、加えて根城である【はじまりの街】から10階層まで=【転移門】を使ってノーリスクで移動できる範囲を管理/支配すること=何時どんな場所・どんな状況であろうともすぐに手助けできるシステム作りに力を注いできた。その結果、【圏内】レベルとは行かないまでも、モンスターが活性化する夜であっても/適正レベルに達していないプレイヤーでも【圏外】に出られるレベルまで安全になった。流通路の整備・維持やモンスター出現エリアも綺麗に整備されて、物や人の移動が驚く程楽になった。……しかしソレは、かの強権=『通貨発行権』を握るまでの話。

 【アインクラッド解放議会】/通称【議会】―――

 【軍】から独立した数十人あまりの中規模ギルド【議会】……と、言われている。詳しい実態は誰も知らない、わずかに知られている構成メンバーは『沈黙の誓』を強要されているので探ることもできない。影の支配者たち。

 彼らの手により、NPCたちのみならずプレイヤーたちにも支配システムが強要された。【軍】や下部組織全てを支配下に収めている特権階級だ。今までプレイヤーたち全てが積み上げてきた流通システムをまるごと強奪したため、攻略組とはいえその力を無視することができない。実力行使で屈服させようとするも、低階層では攻略組は動きが取れない。その階層の標準を遥かに超えるレベルの身体と装備の維持ができない=低階層は大気や大地に含まれている『力』が薄すぎる、【軍】が握っているモノを使わない限りは。ゆえに/情けないことに、彼らを駆逐するための新たなシステムを構築しているも、目下従わざるを得ない窮状。

 【準攻略組】/【脱落組】―――

 【議会】の支配からはんば独立しているが、攻略組までは届かない尖兵。あるいは、支配の煽りを受けて待機組へと落ち込んでいく敗残者たち。または、危険極まりない最前線での戦いから身を引き/逃げて、【議会】の一員か【軍】の幹部となった元攻略組たち。

 本来は、攻略組が雑ながら切り開いた道を綺麗に均してくれるプレイヤーたち。【軍】の支援を受けつつ攻略組が獲得した情報をもとに、堅実に力をつけていく人々。いずれ攻略組の一員になるか【軍】の開拓員となるかしてくれる。デス・ゲームの危険をスリルとして=通常のVRゲームとして楽しめる場所、前線開拓に嫌気がさした攻略組プレイヤーが、戻ってくる場所……だった。

 

 そんな中層域に位置する一ギルド=【月夜の黒猫団】。

 ソロで前線を戦い抜くことに疲れて=言い知れぬ虚しさを感じて=自分がその一助となって作り出してしまった地獄からわずかでも救い出すためにも、身を寄せてもらったギルド。

 現実でも知り合い同士の少人数、レベルも装備もそこそこでしかなかった。だけど、互の信頼関係はどのギルドにも負けない、アットホームな雰囲気でこのデス・ゲームを楽しんでみせていた人たち。

 ギルドの一員になったオレは、恐れていた虚しさが癒されていったのを感じた。埋め合わせてくれる何かが、彼らにはあった。彼らと共に戦い何かしてあげれれば、ソレは確かなものになる。またゲームクリアまで戦い抜ける力/どんな危険であれ飛び込んでいける勇気/この世界に来て良かったと心より思えていた始まりの純真さが、蘇ってくれるはず。そんな確信があった。

 でも……全ては夢だった。今も頭からコベリついて離れない、悪夢になった―――

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 吹き荒れる風を押しのけ、【ケイタ】の罵倒が突き刺さった。

 

 

 

「―――ビーターのお前が、僕たちと関わる資格なんてなかったんだ!」

 

 

 

 瞳に憎しみと怒りを滾らせながら、そう糾弾した。

 それは全くの事実で、責められてしかるべきで、疑いようもないことだった。オレがもっと早く自分のこと=彼らよりも遥かに上のレベルと装備を持っていることを話していれば、こんな結末にはならなかったのだと思う。

 こんな……ギルド全滅なんて結末は。

 

 最前線で生死の境を綱渡りしている毎日、いずれ訪れるであろう運の尽きを予感しながら、まだオレの番じゃないとタカをくくって一日をやり過ごす。すでに攻略が作業になり始めた頃から、はじめの必死さや奇妙な異世界を冒険している高揚感が薄れて、今日を無事生き延びた幸運にも感謝することを忘れてしまった。残ったのはただ……虚しさだけだ。

 今までとこれから、消費した/消費されるであろう年月と労力を考えてしまうと、オレは一体何をしているんだと疑いたくなってしまう。ゲームクリアして生き延びたとしてもその後、オレに待っているのは何なのか……考えてしまう。

 例え嘘をついてでも、前線に残るのは嫌だった。どんどんこの世界を広げていっているはずなのに、その度にオレは窮屈になっていた。広げれば広げるほどオレの罪も膨らんでいく、歯止めが効かなくなった【議会】が犠牲者を作り続けた/今なお作っている。こんな地獄があとどれほど続く、コウイチは50階層で挽回すると言うが……確証はない。

 うんざりだった。孤独の恐ろしさが身に沁みて/道理の通じないバカどもに嫌気がさして、腹の奥底から叫んでいた。―――こんなのはもう、沢山だ!

 気づけば、ビーターとしての責務を放棄していた。そして、彼らとともに生きようと自分を誤魔化していた。

 しかしその嘘が、彼と彼らを破滅させた。

 

「……君ならば、助けられたんじゃなかったのか? それだけの強さを持っているのなら、助けられたんじゃないのかッ!」

 

 血を吐き出すような罵倒。いや、懇願しているようにも見える。理不尽な現状が受け入れられず、ただ単純な答えが欲しくて。

 何も言い返せなかった……。今オレが口にするすべてが、言い訳にしかならない。

 何もかもオレのせいだったのだ。オレの嘘が全て裏目に出てしまった。正直に話していたら彼らは生きていたかもしれなかった。オレの『悪い予感』に重みがついて、みすみす罠にかかることなどなかったはずだ―――。後の祭り。正体をバラした後が怖かっただけだ。

 

「それなのに、どうしてッ―――」

「ケイタ!?」

 

 最後まで言い切らず、駆け出していた。新しいギルドの新居から、もはや誰も来ないそこから飛び出していった。

 オレも、追いすがるように駆けだした。今は=あんな錯乱状態では、一人にすることは危険だとの経験則と直感から。このフロアは彼にとってそこまで注意を払わなくてはいけない場所ではないが、油断すれば根こそぎに全てを奪ってくる。それがこのデス・ゲームだから。……追いついた後の事など、考えずに。

 レベルやスキルの熟練度からして、スタートダッシュに遅れても追いつけないことはなかった。このような追跡と捕獲のクエストも、数多く受けてきた。だが、例えその背に追いついたとしても、なにを言えばいいのかわからなかった。どうしたいのかもわからなかった。ただ、例え憎まれ恨まれていたとしても、一人になるのが怖かっただけだ。失った命を背負う重責を、少しでもいいから免れたかった。

 その気持ちが、ケイタとの微妙な距離を保たせていたのかもしれない。

 

「待てケイタ! 待って……待ってく―――ッ!?」

 

 そしてそれは、取り返しのつかない距離だった。

 

 

 

 フロアの縁。その背の向こうには、どこまでも晴れ渡った蒼穹が広がっていた。

 

 

 

 浮遊城アインクラッド。

 地上から遥か離れた空に揺蕩うこの鋼鉄の塊は、どういうわけだかどのフロアも開放感に溢れている。閉じられているフロアなど、今のところない。

 βの時、そしてこの本仕様にダイブして間もない頃は、閉塞感を感じさせない気持ちの良い空間だと思ってしまった。デス・ゲームなどというものを仕掛ける倫理感の欠如は置いといて、この世界に無数に存在するオブジェクトや風景などのディティールへのこだわりは、さすが天才と唸ってしまう出来だった。このゲームがもしこんなことにならなかったら、後進のプログラマー/デザイナーたちの頭を抱えさせる不朽の名作になっていたことだろう。プレイヤーがただ見るだけしかない「外」の風景まで現実に見まごうレベル、それ以上の=無機物の『命』が浮かび上がっているほどの明瞭さで作りこまれているのだから。

 だがその時からオレに、ソレを堪能する余裕はなくなった。

 それは監獄に施される、囚人に対する見当はずれの優しさ=生殺しにさせ続けるための心理誘導でしかなかったのだから。ソレと何一つも変わらないものだった。縁には細い縄で作られた進入禁止の動線が引かれているが、それ自体は破壊不能オブジェクトではない。ほんの少し力を込めればちぎれてしまう、取ってつけたような言い訳だ=忠告はしたんだから悪いのはお前らだ。

 そんなものが、最後の歯止めだった。

 

「ケイタ、頼む。……早まるなよ」

「なあ、キリト。最後に答えてくれないか?」

 

 最後に……。不吉すぎる言葉に息を飲まされた。

 先程までの誹りようが嘘のように、穏やかなほど静かな声。底も天井もない蒼穹を背にしながら、そこに半歩足を踏み入れながらまっすぐ、オレを見つめてきた。

 

 

 

 その瞳を、今でも覚えている……

 

 

 

 焼き付いている、といったほうがいいかも知れない。

 ソレは、最前線で戦っているプレイヤーに見られる目。自分のHPが残りわずかしかなく、目の前には凶悪なフロアボス/後ろには仲間が、しかし援護は望めない。彼らもまた、自分と同じような状態になっているのだから。わずか数メートルしか離れていないが、手が届かない長すぎる距離。そこに一人、置き去りにされてしまった。―――そのプレイヤーが、仲間に見せる瞳だ。絶望という言葉を形にしたような瞳。

 ソレを向けられるたびに、何か言わなければならない/しなければならないという切迫感に支配される。だけどできないということは、少なくともオレの中には答えはないということはわかっていた。ウンザリさせられるほど、わからされてきた。

 だからケイタの言葉(ねがい)に、答えてやることができなかった。

 

「もし、あの場にいたのがお前じゃなくて、僕だったら、助けられたのかな……皆を?」

 

 静かに問いかけてきた。たぶん、血を吐くような思いを込めて。

 答えは……今でもわからない。確かなことは何も言えない。オレは、あの迷宮区の情報を知っていてレベルも格段に高かったが、何も言えなかった。だからと言って全てを把握していたわけではなかった/不測の事態だった=自分の嘘をバラしたくなかった。残念ながらあの時、あれ以外の答え方が出来たとは……思えない。

 彼らと一緒に行動すると決めた時から、決まっていたのかもしれなかった。いつかは話そうと思っていたが、彼らが少なくとも上位プレイヤーに成長してからだと決めていた。それならば、お互い少しは戸惑うかもしれないが、最後は笑って受け入れてくれるんじゃないかと期待していたから。対等になれば、嘘をついた事も帳消しになると計算していた。そう……計算していた。

 ソレは甘い見通しだった。オレはこの異世界において絶対不可侵の『強者』だと錯覚していた、こんな低階層ならヌルゲーだろうと見くびってしまった、自分だけならいざ知らず仲間がいるのに。それだけの……ことだ。

 

「僕だったら、助けられたか? 皆を?」

 

 口を開きかけるも寸前、こらえた。沈黙し続けた。

 どんなことが弾みになってしまうか、わからなかったから。いや……正確に言おう。答えられないだけだった。

 オレの代わりにケイタがいたとしても、結末は同じだった。そのときはかなりの確率で全滅しただろう、とは言えなかった。メンバーからの信頼はオレよりも厚いかもしれないが、個人的な技量と指揮能力/情報量が欠けていた。仮にその差を対等にまで引き上げたとしても、オレが生き残れたのは仲間の死骸を盾にしたからだ。死んだ仲間の死骸を【石化】させて壁にした。ソロプレイにおける不意の包囲戦での防御手段。ただの圏外ではモンスターのモノを使えるが、迷宮区では仲間のモノしか使えない=仲間を強制的に壁戦士(タンク)に変えてしまう。その決断(卑劣さ)はケイタには……難しい。

 だから無理だろう、と。そんなこと言えるはずもなかった。

 オレは、事この期に及んでも嘘つきだったから。辛い現実から目を背けていたかったから。……一人ぼっちはあまりにも、寂しすぎたから。

 

「…………話をしたいならこっちに来てくれ、ケイタ。そこは……危険だからな」

 

 言えたのは、それだけ……。

 

 オレのそんな言葉に失望したのか、ケイタはその場で瞑目した。

 卑怯なことに、チャンスだと思った。

 今ならケイタをそこからこちらに引きずりこめる。その後暴れるかもしれないが、それはステータス差でどうとでもなる。そこから少しでも動かすことができれば、それだけでことは足りる。そう―――足りるはずだった。

 再び見据えられたその瞳を、見なければ。

 

「やっぱりお前は、クソ野郎のビーターだな―――」

 

 金縛りに遭ったかのように、見入られてしまった。

 その間隙にケイタはそのまま、背後へ倒れ込んだ。

 

 ふわりと、その体が地面から離れた。何もない青い空へと、踏み出した―――

 

 

 

 頭の中が一瞬、真っ白になった。

 

 

 

「よせ、ケイタァぁぁ―――!!」

 

 出遅れたがオレはしかし、この身に備わった力の限りを尽くして/ソードスキルの爆進力も利用して、その革製の鎧の裾野を掴んだ。

 間に合った―――。

 

 だが、失念していた。ここが仮想世界のゲームの中でしかも【圏外】だということを、完全に失念していた……。

 【盗み】スキル以外で、他人の装備品を直接触ることはできない。それは形を持った物体ではなく、一定のダメージ判定が自分のアバターに届かないように防ぐための、目に見えるが実際には存在しないフィルターでしかないからだ。鎧のみならず衣服もまた同じだ。ここでは「攻撃」という手段でしか、オレたちプレイヤーは触れ合えないようになっている。

 ゆえに、この手は何も掴んではいない。

 

「―――あ……」

 

 だから、掴んだはずのその手は、虚しく空を握っただけ。

 

 後はただ、起こるべくことが起きた。

 

「ケイタァァァァーーーーーッ!!」

 

 ケイタはオレの手をすり抜けて、空に落ちていった。どこまで下に、あるはずのない地上に向かって……落下した。

 はじめの一階層ですら、点になるほどの距離を落下して初めて消滅が確認されていた。その時いた階層では、どの地点でケイタが消滅したのかはさだかでない。

 でも/だからといって、フロアの縁から一歩踏み出した者の末路は変わらない。セーフティーネットなどというものは、どのフロアにも設置されていない。

 

 

 

 奇跡は、訪れなかった……。

 【月夜の黒猫団】は、ケイタを最後に消滅した。

 

 オレはただ、呆然とヘタリこんでいた。フロアの縁で、その先にある余りにも青く綺麗な空を見つめながら、ただただあいつが行ったであろう場所を見つめていた。おそらくは何時間も……。

 そこから立ち去れたのは、ただの習慣だ。自分のアバターの耐久値が減りすぎて、HPゲージを微減少させるまでになっていたからだ。仮想世界だからといって空腹を無視し続けると、色々な状態異常やバットステータスが付加されていく。HPの微減少もその一つだ。……ソロのオレには慰めをかける者など誰もいない。

 変化するHPバーを見て、反射的に体を起こすと、安全圏まで動かしていった。よろよろと、まるでゾンビのように/まさしく『生きた死体』であるかのように。……だからなのか、モンスターに襲われること/殺しにかかってくれることなど、なかった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 それからは何もする気が起きず、ただ蓄えを減らしていくだけの毎日=引きこもりニート状態。寝て起きて、時々食べて、ぼぉーと時間が過ぎるのを待つ繰り返しだ。

 なにも考えたくなかった……。そんな怠惰な生活を繰り返していても、攻略組として積み重ねてきた懐の金は充分すぎるほどだった。フィールドに出て、狩りをする必要すらなかった。ホームと食材店を行き来するだけだ。

 ゲームクリアすること、ビーターとしての責務を負うこと、あの男に一泡吹かせてやること―――。全てがどうでもよかった。このまま消費し続けて、一階層の広場にいる「待機組」の仲間入りをするのもいいかもしれないと、本気で考え始めていた。

 そこから抜け出せたのは、ひとつの偶然。一筋の希望だった。

 

 

 

 クリスマスに起きる、特殊イベント。そのボス【背教者ニコラス】は、この世界ではもはや存在しない『蘇生アイテム』をドロップする……かもしれない。

 

 

 

 眉唾物の噂かもしれなかった。この世界の創設者の悪ふざけかもしれなかった。プレイヤーたちの願いをあざ笑うための、趣味が悪すぎる趣向かもしれなかった。希望を見せて叩き落とす、食いついたアホウ達の顔をみて馬鹿笑いする。……それらを考えると、かなり腰が引けてくる。

 でもそれ以外に、この苦しみから逃れる術がわからなかった。

 

 出来るだけの準備は整えてきた。

 寝る間も惜しんでレベル上げに従事した。その副作用で頭の奥底でズキズキと鈍痛が響いている。だが、気にしなければ戦闘に支障はない。むしろ今の心理状況だと、そのぐらいの痛みがあったほうが冷静になれる。経験値稼ぎと同時に貯めた金を使って、武装に強化も施した。

 単独だったらもはや誰にも、負けない自信があった。ただ、ソロで年イチのフラグMobを狩るという、無茶を通り越して自殺行為であることを抜きにして。

 『死に場所を求めている』というヒロイックな考えに突き動かされている、わけではない。奪ってしまった【黒猫団】の命の重責を、少しでも軽減したかっただけだ。オレは今でも腹の奥底では、死にたくないと思っていた。他の誰がくたばろうとオレだけは生き残る。どれだけ窮地に追い込んでもオレの生存欲求は、その難所を無事に生き残る方策をひねり出し続けてきたのだから。

 

 

 

 その生き汚さの先にあったのが、この場所だ。

 【背教者ニコラス】が現れるであろう奇妙に捻くれたモミの木。普段は枯れているが今は降雪で眞白な小さな花を咲かせているその大樹の前に、一番乗りでやってくることができた。

 予定されている出現時刻まであと……数分。ほかのプレイヤーはまだ誰も、ここには来ていない=まだボスは誰にも狩られていない。

 うっすらほくそ笑んだ。ただコレは、神様というよりは悪魔の僥倖だろう。気持ちを引き締めて一歩を踏み出そうとした。

 すると背後で、転移時特有の音が鳴り響いた。透明な空気が歪み幾つもの波紋を広げていった。

 

 振り向くとそこには、色とりどりだが同じような鎧武者姿のプレイヤーたちが、戦意をまとわせながら歩みでてきた。装備と振る舞いを一瞥しただけだが、全てが高レベルのプレイヤーであると示している。

 その中心には、赤い武者鎧に身を包んだ野武士=オレがよく見知っている男がいた。

 

 

 

「―――尾けてきたのか、クライン」

 

 

 

 背後に現れたプレイヤーたちを引き連れた男に、趣味の悪いバンダナで赤髪を逆立てているクラインに、言った。オレの数少ない……友人。

 いや、もう旧友と言っていいかもしれない。ここに来たということはつまり、ボスを狩りに来たということだから。もし本当にそうならば、オレのやることは……一つだけだ。

 『ボスは一人で倒す』。それだけは決して、譲れないことだから。

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

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