偽者のキセキ   作:ツルギ剣

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 キリト君、(´;ω;`)


ボスエリア ビーターの誕生 後

 誰もが皆、舞い上がり消えゆく青白の燐光を仰ぎ見ていた。声も出さずただ見送るのみ。驚愕の連続で頭が麻痺してしまっていた。何が起きたのか/起ころうとしていたのかすらわからないまま、過ぎ去った。

 ゆえに、幻想的な葬送の後に待っていたのは、先送りにしていた現実的な問題だった。見事危機を退けたオレ達への賞賛ではなく、理解不能な化け物を畏れる不審の眼差し。

 ソレはオレも同じだった。はんば無意識の勝利、ただ首を刎ねるだけしか考えていなかった。見送りながら呆然と、己がやったことを思い出していた。―――ゆえにまた、一手遅れた。

 

 

 

「―――やっぱりお前ら、知ってやがったんだな!」

 

 真っ先にオレを犯人扱いしてきたシミター使いの名探偵、今回もまたその灰色の脳細胞から直感を閃かせて糾弾してきた。オレはチートをつかったプレイヤー、己の欲のために重要な情報を隠しディアベルを見殺しにした/もしくは攻略に参加したプレイヤー全員を見殺しにしようとした最低野郎……。

 戸惑っていただけのプレイヤー達が、わかりやすい回答へと誘導された。畏れの空気に怒りと妬みの色が混じってくる=ざわめきが広がっていく。

 周りを見渡しようやく、誤解を解かせてもらえないことがわかった。どんなに言葉を尽くしても/逆にすればするほど、名探偵の結論の証拠になってしまう。……もはやオレ達は、チートプレイヤー以外の何者にもなれない。

 もう一人のチートプレイヤー=コウイチを見た、今どんな顔をしてこの空気に対応すればいいのか参考にするために。そこにあったのは……、オレとあまり変わらない。現状に驚き戸惑い眉をしかめて考え込まされていた、まるで見当はずれの迷探偵にコレは何かの冗談なのかとも悩まされているのだろう。……残念なことに、現実だった。

 

「黙ってねぇで何とか言ってみろよ!」

 

 さらに、追い打ちを掛けてきた。

 残念ながら、何か奥に/別に狙いがあってこんなことをしている、という腹黒展開はない。ソレに付随するであろうほくそ笑みなど見いだせなかった。ただただ八つ当たりをしたいだけ=最も厄介な相手。

 オレは答えられず、ただ黙ってどうしたらいいのかと考えていると、代わりにコウイチが答えた。首をかしげながら純朴そうに、悩みに悩んだ末に搾りだした答えだというように、

 

「……ナントカ?」

 

 一瞬、場が凍りついた。糾弾した相手すら、驚きのあまり口をパクパクさせていた。あからさま過ぎるセリフ……。

 次に/当然のことながら、非難の視線、怒気が吹き荒れた。

 

「お、お……お前、よくもそんなこと言えたもんだな、おいッ!」

「そう言えと言ったのは君だろ? 冷静になってくれ」

「ふざけんなッ! ディアベルさんを見殺しにしたくせに、冗談で済まされると思ってんのかよ!」

「ソレだよ! 一体君らは何の話をしてるのかな?」

 

 名探偵はさらに罵倒しようとするも、ようやく気づいた、自分とコウイチの認識のズレを。先に水を差されてしまったことで、怒り任せの激情で押しきれず見えてしまった、あるべきはずの手応えの無さが。悪意のかけらも見い出せず、言葉に詰まらされる。

 その隙を突くようにコウイチが、さらなる問題発言をねじ込んできた。

 

 

 

「あの程度の勘働きもできないようなプレイヤーが、ここにいるのか?」

 

 

 

 一瞬、皆の目が丸くなった。あポーンと口を広げてしまった。

 アレは知識があったからできたわけではなく、ただ自分の直感を信じて行動したまで、だから説明できる根拠などない。全く保証のない賭けだった、ゲーマーとしての技量の差だ。成功した結果だけからイカサマをしたんじゃないかというのは、言い掛かりでしかない……。オレも言いたかった正論だ。

 さらに、このボス攻略に参加している皆ならば多かれ少なかれそんな賭けに勝ってきたはず、とも。モンスターの攻撃パターンやクエストの行くすえなど、大筋はβと変わらずとも変更が確かにあった、ソレも最悪な『改善』という形で/一見すると同じなのでより惑わされてしまう。そんな罠を掻い潜ってココに立っている/生き残っている=賭けに勝ってきた。オレ達だけが特別なわけではない……。ボス戦の熱にのまれてオレもつい見失っていたが、指摘されれば正しくそうだった。

 察しの良いプレイヤーから徐々に理解が広まると、場の空気の刺がわずかばかり丸くなった。ほどよく自尊心をくすぐられたことで、意見が染みとおっていく。しかし/やはり、まだ足りない。

 

「あの程度でそこまで驚くということは……。君たちは随分と、ディアベル君に依存していたみたいだな」

「なッ!? て、てめぇ……」

 

 私が見殺しにしたというよりは、君らに足を引っ張られたからではないのかな……。元凶をそっくりそのままお返し。コウイチが仄めかした侮辱は、誤たず相手に伝わったらしい。逆に審判台に立たされ狼狽し始めた。

 追い風に乗り、さらに煽り立てた。

 

「君たちは次から、フロアボス戦に参加しないほうがいいと思う。できれば迷宮区にも入らない方がいいだろう。……殺されるだけだ」

 

 上から目線の決めつけ。なれど、教師が身の程知らずの生徒を諭すような助言めいていた。何ら悪意は含まれていない、しかし侮辱以上の憐れみがこもっている。

 ピキリと、こめかみに青筋が立った。糾弾者たちは今すぐ斬りかかりそうな怒気を放っていた。誰もが固唾を呑んだ。しかしコウイチは、彼らと真正面で向き合う―――

 ゾクリと、背筋が凍った。

 彼の顔には、今まで見たことのない冷徹さが浮かんでいた。まるで、視界に映っているプレイヤーたちを命ある者と見ていないかのような、虚。傍から、ソレも味方の側から見ているだけというのに、腹の奥底まで冷やされる。

 

 何もできずに見入られていると、小さくため息をつかれた。落胆までする。

 

「―――口は出せても、剣はぬけないのか……」

 

 せめてそのぐらいの覚悟は、見せてもらいたかった……。斬りかかってこなくて残念だと。あるいは、こちらは素手でチャンスなのにやらないなんて情けないと。ほぼ同レベルで武装も同質だというのに遥かな格上の風格で、見込みなしとの烙印を押した。

 そして、話はこれでついたと、投げた槍を取ろうと背を向けようとした。

 

「ま……待てよ! 話はまだ終わっちゃいねぇぞ!」

「まだ何か?」 

 

 案に相違してちゃんと応えを返してきたコウイチに慌てるも、気を取り直し続けた。

 

「アレがただの勘だって言われても、納得できるか! あんな速攻の連携、起きる前に仕留めるなんてありえねぇよ。あんなの、知らないでできるわけがないッ!」

「警戒を怠らなければできたはずだ。ボスはHPが0になったというのに、死骸が残り続けていた。アレは明らかに異常事態だった。気づけなかったほうがおかしいだろ?」

「お前ら以外に誰ができたんだよ! 誰がアレ以上何かが起きるなんて警戒できた奴がいたんだよ! HP0になって終わったと……、思っちまっただろうが!」

「ソレは―――。そうだった……のか?」

 

 君だけではないのか……。少々ウンザリ気味で説明を続けようとすると、ふと周りを見渡した。思っていたのと違う。相手の言葉に肯いている者たちがほとんどであることに/自分だけが異常だったことに、ようやく気づいた。

 相手はその戸惑いを見て気を取り直したのか、たて続けてにまくし立ててきた。

 

「ハッ、化けの皮剥がれたな! やっぱりお前らは知ってたんだ。勘働きだとか警戒心とか言ってけむに巻きやがって、小賢しい真似するんじゃねぇよ!」

 

 ほんの少しの取っ掛りからまた、強烈な言いがかりにまで盛ってきた……はずだが、多分に皆同じ疑惑を抱いていたのだろう。元の木阿弥。皆自分以外で誰かしらの生贄を求めていた。そして今日のソレは、オレとコウイチだ。

 事ここまで極まってしまったのなら、観念するしかない。ただ元βであるオレはともかく、コウイチはビギナーだ。本来負うべきでない責任を取らされることになる。それだけは、なんとして避けなくてはならない。せめてオレだけに、被害を最小限に留める方法―――

 刹那。ひとつのアイデアが浮かんだ。次に、ものすごい葛藤がおきた。

 ソレを出したらオレは、孤絶する。ほぼ永遠にソロプレイを通す必要がある/パーティーを組むことができない。今のこのSAOでは準自殺行為だ、オレはまだ死にたくない、生きて現実世界に戻りたい。他のβテスターたちのことなど知ったことでもないだろう、見ないふりをしたって構わないはず。だけど……、あまりにも逃げ場がない。迷っている暇はなかった。

 

 ここが、オレの選択の場だった。後回しにし続けたツケはここで支払わなければならない。ただそれだけの……、ことだったんだ。

 覚悟を決めると、瞑目した。後悔を飲み込むと、そのアイデアを実行した。

 

 

 

「元βテスター、だって? オレをあんな素人連中と一緒にしないでもらいたいな!」

 

 

 

 努めて嘲笑しながら、相手を侮蔑するような視線を向けながら、言った。

 

「……キリト、君は一体何を言って―――」

「お前には驚かされたぜコウイチ。まさか教えてやってなかったのに、あんなにすぐに動いたとはなぁ。危うくLA取られちまうところだった」

 

 言葉とは裏腹の思いを視線に込めて伝えた。

 ソレを正しく察してくれたのか、コウイチは続く非難を飲み込んだ。眉間にシワを寄せながらオレを睨む。

 かえって名探偵は、皆同様に怯んでいた。同じようにオレの豹変に目を見張っている。急に何をトンチンカンなことを言い出すんだコイツ、ではなく、やっと真犯人の自供が始まったとの安堵。……重要な第一歩は、うまくいった。

 

「オレはβの間、誰も到達できなかった層まで登った。ボスのカタナスキルを知ってたのは、ずぅーっと上の層でカタナを使うModと戦ったからだ。嫌ってほど散々にな。

 ほかにもいろいろ知ってるぜ、アルゴなんか問題にならないぐらいにな!」

 

 嘲るように/見下すように、戸惑うプレイヤーたちに言い放った。βテスターの経験値など及びもしないレベルにオレはいると、錯覚させる。

 言い終わると、その効果の程を観察した。

 

「なんだよ、それ……。そんなのもう……、チートだ。チートじゃねぇか!」

 

 ざわめきが戸惑いに、戸惑いは怒気へと変貌しエリアの中に広がった。口々にオレへの非難が叩きつけられる。

 これでいい、これでこそだ……。誰にも気づかれないようほくそ笑んだ。オレの求めていた空気が、出来上がってきた。あともうひと押しだ。

 プレイヤーたちの非難に耳を澄ませていると、『ビーター』という奇妙な響きの単語が届いた。βテスター+チーター=ビーター。安易な命名だが、ゆえに伝わりやすい。締めくくりにはピッタリだ。

 

「【ビーター】か。いいじゃないか、それ!

 よぉし、今日からオレは【ビーター】だ! これからは元β如きと一緒にするなよ」

 

 傲然とそう吐き捨てると、メニュー画面を開いた。そこから、先程ボス戦で手に入れたLAアイテム=【コート・オブ・ミッドナイト】なるマントをクリックし、着装した。

 するとふんわり、体全体にかかる重みが増えた。それまで使っていたくたびれた灰色の生地のものではなく、艶のある漆黒の革のコートが身に纏われていた。丈も随分と長いもので、裾は膝下まで伸びている。……欲しかったイメージほぼまんまで、驚く。

 そのコートをバサリと翻した、まるで剣についた血糊をふるい落すように。そして、唖然としているプレイヤーたちを横目に、上層に続く階段へと足を乗せた。

 

「じゃあな。二層の【転移門】は、オレが有効化(アクティベート)しといてやるよ」

 

 最後に、これ見よがしの笑顔とともに言い捨てると、二層へとつながる門を押し開けた。

 

 後ろは、振り返らないことにした。もう気にしている余裕が、オレにはなかった。

 ビーターのオレはただ、前に進むしかないのだから。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 残された攻略組たち。あのビーターに従って前に進もうとするものは、いなかった。

 ほとんどの者が、この場に座り込んで戦いの疲れを癒していた。ホームに戻るにも体力が、数値では表せない精神的な疲労が、まだまだ取れていなかった。

 戦いは終わった。しかしまだたった一つでしかない、それなのにこんな結果に……。予定なら盛大な祝賀会、しかし今は、まだ99も残っている憂鬱に落ち込んでいた。なぜなら自分たちは、勝利以上に大事なリーダーを……失ってしまった。

 

 皆、努めてそれを考えないようにした。楽観的に、前を向くように心を保とうとした。やっと第一歩を踏み出したんだと、この世界の先に進めるんだと言い切りたかった。

 だが、それを言葉にする者はいなかった。ソレをここに居る皆に宣言した彼は、今、数人の仲間たちに囲まれてこの冷たい床に体を横たえていた。

 

 

 

「―――ディアベルはん。わいが……、わいが阿呆なばっかりに……」

 

 こないなことになるなんて……。不思議と、涙は出なかった。悲しくないわけはないが、それ以上に空っぽだった。

 リアルの彼など知らない、本当の名前も知らない。加えて、昨日あったばかりの相手でもある。だが、そんなこと瑣末なことだった、リアルでは決してありえないだろう命を預け合った仲だから、細かいことなどどうでもいい。そのはずなのに……、こうして物言わなくなった彼を見ていると、ソレがとてつもなく重要なことのように思えてしまう。縁を失い大切なその思いすら消えてしまうような不安感。

 

 どうしてわいは、いつもこうなんや……。なにかするたんびに、誰かを傷つけてしまう。皆のためにと思っても失敗ばっかり、どうしようもない阿呆……。

 普段は努めてしないが、その反動でか、このような時には反省の深海の奥底まで沈んでしまう。何度もその度に後悔するが、治らない。自分でもどうしようもない/性格だからとしか言い様がない。悪いなとは思うが、いつもその一言が出せない。出せなくて口か拳が先に出して……、こんな悲惨を呼び寄せてしまう。

 

「あんたも大間抜けやで。わいなどほおっておけば良かったのに、カッコつけおっての……。ナイト気取るんやったら、もっとマシなもんのために命はらんかい」

 

 弱々しく、そんな愚痴が出てきた。

 不意に、目の前のディアベルの姿が、過去の出来事と重なった。

 

 ―――あいつだって、わいが余計なことせな生きてたかもしれんのに。わいが生きとるよりも、あいつの方が何倍も人のためなっとったのにな……。

 

 かつて救えなかった者。救おうと考えて背中を押してしまった弟……。もうどこにも、いなくなってしまった。

 それは、誰にも言えないこと。もう誰も聞くこともない。自分の胸の中にだけ、焼き付いている痕……。誰かに告解する時はもう、失われてしまった。

 

「……ディアベルはん。もうなんもかんも手遅れやけど、礼だけは言わせといてな。

 ありがとな。あんさんがいなかったらわい、ここにはいなかったわ」

 

 もう行くわ……。花向けにそう言うと、立ち上がる。……立ち上がろうとした。

 寸前、目に奇妙なものが飛び込んできた。白い光―――

 

 

 

 眩しいばかりの光がディアベルから、放たれた。

 

 

 

 光に目が眩み、顔を背けた。周りの者も何事かと注視し、同じくその光を遮ろうとした。

 それは数秒の間彼を包むと、何事もなかったかのように消えていった。

 

 静寂が再び、場を支配した。皆の意識は、その中心に吸い込まれていた。

 

「なんだ! 何が起きたんだ!!」

 

 同じく簡易的な葬式に服していたシミター使い【リンド】は、それまでの沈黙を破って目の前の異常に驚きの声を上げた。

 

「こいつは……、まさか―――」

 

 その異変に心当たりがあったのか、黒の巨漢【エギル】が、輪の中に割って入ってきた。

 そしてその手を、ディアベルへと伸ばそうとした。

 

「おいッ! 何さらしとんじゃわれぇ―――」

「HPバーを見てみろ!」

 

 突然割って入ってきた無法者の手を掴み凄むが、エギルは堪えず、逆に切迫した様子で返してきた。

 

「いいから見てみろ、今すぐだ!」

「何を言うとるんじゃ―――」

 

 反射的にソレが目に入り、続く罵倒を飲み込まされた。

 視界の左隅には、自分のものとパーティーを組んでいる他の5人のものが、横並びにある。そして、レイドによってつながっているリンドやエギルたち他パーティーのHPバーは、その頭の上あたりにあるカーソル横に名前とともに表示されている。……『ビーター』の名前もあったが、今はもうない。

 HPや状態変化の有無の情報は、パーティーを組むことによって明らかになる。それを強制的に見る方法は【索敵】スキルに存在するが、今の段階ではその『見破り』は使えないだろう。また、隠すための【隠蔽】スキルもそれほどでもないため、必要もない。パーティーを組んでしまえば、そのプレイヤーの名前と今の状態が自然とわかってしまう。レイドパーティーのメンバーの場合は、ある一定の範囲まで近づくかメニュー画面を開かないとわからない。

 そして今、その範囲にいるレイドパーティーのHPバーは皆、視界に表示されていた。しかしその中でひとつ、ありえないものが浮かんでいた。……あるはずのないものがそこにあった。

 

「こ、こ、こいつは……どうなってるんや!? なんで、こんな―――」

 

 驚愕―――。まさにその一言が、目に映っていた。絶句―――。周りに者たちも、目の前の現象に言葉を失っていた。

 

 

 

 0になった後消えたディアベルのHPバーが再び、彼の頭上に表示されていた。

 

 

 

「……何が、どうなってる―――」

 

 目の前の不可思議にリンドが、皆の意見を代表するかのように呻いた。この中でも唯一平静を保っているエギルに、震えながらも問いかけようとした。

 その途中、静寂を保ち続けていたソレがむくりと―――、動いた。

 再び、皆の言葉は失われた。口火を切ろうとしたリンドは、驚きのあまりバタリと、その場に尻餅を付いた。アワアワと震えている。

 動いたソレ=ディアベルは、仰向けだった上体をお越した。そして、定まらぬ焦点を固定するかのように、その手でふらつく頭を支えていた。まるで寝起きかひどい二日酔いであるかのよように億劫そうで、夢と現実の淡いにいる。―――それもひと時だけ、その目に再び意識の光が戻り始めた。

 

 ディアベルはぼんやりと、現状を認識しようとあたりを見回した。すると急に、ぼけぇと緩んでいたその顔が凍りつき始めた。

 

「……ハッ! ボスは、皆は!? 俺はどうなっ―――」

 

 急に、体を起こして戦闘態勢を取り直そうとするディアベル。その傍らに、周りにいる者たちが添え物として置いた愛剣を掴み、構えようとしていた。

 しかし、立ち上がろうと足に力を入れようとした瞬間、すぐさま体勢が崩れた。

 

「でぃ、ディアベルさん!?」

 

 倒れるディアベルを支えるためにリンドは、腕を伸ばそうとするが、自身も腰を抜かしていたため届かなかった。その手は虚しく、伸ばされたままだ。

 代わりに、ちょうど倒れるであろう後ろにいたエギルが、彼の背をキャッチした。

 

「ディアベル、急に動くな。まだ自力で立ち上がれるほど体の【耐久値】が回復していない。しばらくはそのまま寝てるんだ」

「エギル……さん?」

 

 巨漢の腕に体を支えてもらいながらディアベルは、ようやく危険がなくなったことを理解した。落ち着きを取り戻し始める。

 

「ボスはどうなったんだ? 皆、無事みたいだけど……」

「今さっき倒したよ。犠牲者は、……誰もいない。みんな無事さ」

 

 エギルが、ディアベルに答えた。つとめていたわっている様子は見えないが、その低いバリトンが自然と、聞く相手を落ち着かせていた。

 

「……どうやら、俺だけ置いてけぼりみたいだな。まったく……、恥ずかしいなぁ」

「ハッハッハッ、そいつは悪かったな! でも、こっちだって驚いてるんだぞ。まさかあんたがまだ、【首飾り】の復活効果を残していたなんてな」

「あぁ、ソレか。それは―――」

 

 言いながらディアベルは、体を起こそうとした。まだぎこちなく、エギルはその背を支えてやろうとしたが、なんとか自力で動ける様子を見てその背から手を離した。

 

 上体だけでも起こせた彼は今度は、麻痺しているかのようにうまく動かせないその手を胸元に伸ばすと、首にかけてあるはずの首飾りを手のひらの上に取り出した。

 顕になったそれ=三つある雫のひとつは、輝きと透明さを失って黒く濁っていた=使用済みの証。

 皆ソレを見てようやく、ことの次第を理解した。

 

「まぁ何はともあれ、無事でなによりだ! リーダーのあんたに死なれちゃ、これから先面倒だからな」

 

 答えに詰まったディアベルにその意味を察したのか、エギルはこの話題を切り上げた。

 その心遣いに再び苦笑を浮かべると、今度は自力で立ち上がろうとした。しかしまだ、足は自重を支えるだけも回復していないらしく、よろめきバランスを崩した。そして再び、倒れそうになった。それを、今度こそと身構えていたリンドが支えた。

 「すまない」と一言いうと、リンドの肩と手に持っていた愛剣を杖にして、ようやく立ち上がることができた。

 

「……しょっぱなからこれだと、先が思いやられる」

 

 満足に立ち上がることもできない満身創痍に、ディアベルは自嘲した。

 そして、幾分か外面は弱々しくなるも本質的な爽やかさをもって、周りで信じられないとオロオロしていたパーティーに健在の笑顔を向けた。

 

 それが彼らの中で、この戦いの終わりを告げるものとなった。

 

「ディアベルさん、無事でよかったぁ!」

「本気で死んじゃったのかと思ったぞ、この野郎が!」

「ホント、心臓に悪いですよ。こんなの」

「よかった。本当に、よかったよォーー……」

 

 口々に、彼の生還を喜んでいた。

 そして、その頭や肩に仲間たちの腕が当てられていた。中には少々加減をわきまえないものもあったが、隣のリンドがしっかりと支えていた。

 仲間たちにもみくちゃにされたディアベルは、「もう勘弁してくれよ、こっちは生き返ったばっかりなんだぞ」と言うが、止むことはなかった。ちらりとリンドに視線を送るが、いつもは忠実な彼も、今回ばっかりはそれを見て見ぬふりでやり過ごす腹らしい。それを見て小さくため息をつくと、為すがままにされることにした。

 

「まあ、及第点はもらったんじゃないのか?」

 

 ディアベルと仲間たちを近くで微笑ましく見ていたエギルは、そう言うと自分の横手に指差した。

 そこにはキバオウの姿が、先程からじっと何かを言いたそうに固くなっていた彼が、挑むようにディアベルを睨んでいた。

 

「キバオウも、無事でよかっ―――」

「よかないわい!!」

 

 予想していた答えと違って、ディアベルは、ポカーンとキバオウを見つめるだけだ。

 その怒声に、周りの者も押し黙った。

 

「わいはあんさんがてっきり、死んでもうたと―――」

 

 言い終わる前に、その目からポロポロと大粒の涙が溢れていた。それらは、頬を伝ってゆっくりと流れ落ちるという過程をごっそりと無視して、目尻から吐き出されように外に出た。

 一つ一つの粒は、現実ではありえないだろう指の爪サイズの大粒だ。加えて、液体としての縦横無尽な滑らかな動きはなく、シロップのように緩やかに動いていた。これが、現状最高の解像度を誇るゲームたるSAOの限界だ。少しというかかなりの割合で、液体環境の不首尾がキバオウのその感情を描くのを阻害して、逆に観る者にとって少々滑稽なものだと思ってしまうであろう光景にしてしまった。

 ゴシゴシと、腕を目にこすりつけるかのようにして、こぼれ落ちる涙を拭った。

 

「キバオウ……」

 

 すまない―――。そう続けようとするディアベルを、またもやキバオウの怒鳴り声が遮った。

 

「生きとるんなら生きとると、はよ言わんかい! こんのボケナイトが!!」

「ななッ!? そんなこと、無理に決まってるだろう?」

「じゃかましいわ、根性みせんかい! あんさんナイトやろうが。そいとも……、ちがうんかいな?」

 

 問いかけに含ませたものに、周りの者たちも察したのか、空気が暖かいものへと変わっていた。ソレが、少々芝居じみ過ぎていたと突きつけてくるようで、難しい顔になってしまう。

 しかし、その中で一人ディアベルだけは、意気消沈した。驚きそして己のうちへ何かを問いかけるかのように、呟いた。

 

「そう、なのか……? ナイトだったらできて当然……、だったのか」

 

 最後にガックリと、肩の力を落としながらため息をこぼした。言葉をそのまま、自分の未熟を指すものとして捉えてしまったらしい。悔しそうに恥じるようにうなだれた。

 ドッと、皆の笑いが引き出された。

 

 湧き上がった笑いに、戸惑うディアベル。なぜ笑われているのか理解できずオロオロと、ソレがさらに笑いを引き立てる。

 それで釣られて、しかめっ面を浮かべ続けるのも変だと思ったのか、苦笑した。全く、そんなに笑うなよな……。

 

「あんさんも大概なお人やなぁ!」

 

 そう言い捨てると、笑いの渦に飲み込まれていった。腹を抱えながら大口で笑う。

 そうだそうだ、この半熟ナイトが! ……と、他の者たちがはやしたてる。それがまた、笑いを盛り上げた。その中で一人、ディアベルだけは苦笑し続けた。

 彼らの笑いはしばらく、止むことはなかった。……もう数分前の葬式など、影すら残っていない。

 

 

 

 

 

 第一層フロアボス戦、犠牲者0。

 それがこの戦いにおける、最大の報酬だった。

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。

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