偽者のキセキ   作:ツルギ剣

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ボスエリア ビギナーの犠牲

 

 第一階層フロアボス【イルファング・ザ・コボルドロード】

 青灰色の毛皮をかぶった、二メートルは軽く超えるたくましい体躯。血に飢えた赤金色に爛々と輝く隻眼。右手に骨を削って作った斧、左手に革を貼り合わせて作ったバックラーを携え、腰の後ろには差渡し1メートルは半はあろうという湾刀(タルワール)をさしている。以前に一度見たことはあったが、改めて見直すとその巨大さは俺の中に畏怖を呼び覚ます。とりわけ、デス・ゲームとなった今では、その巨体が意味している脅威は何倍にも膨れ上がっていた。決死の覚悟で補うには、余りある恐ろしいものだ。

 取り巻きの【ルインコボルド・センチネル】

 獣の王に比べれば対したことのない敵だが、王の体力と時間によって計12体も現れる。装備している武器も異なっているため、囲まれては厄介なことになる。一体一体はそれほど恐ろしくはない敵だが、連携を取られると王よりも危険だ。バラけさせて一体ずつ潰す必要がある。

 その彼らの相手をする部隊に、オレたちのパーティーも参加していた。

 

 

 

「ハァァーーっ!!」

 

 鋭い呼気とともに放たれる、神速の【リニアー】=アスナの細剣。【センチネル】の唯一の隙たる喉元に突き刺さった。

 ソードスキルの意図的な加速/攻撃力上昇。プレイヤースキルなので公式名称はないが、みな【加速(ブースト)】と呼んでる。俺もβで知悉してある程度は体得しているが、彼女には及ばない。

 【加速】を正しく発動させるためには、システムが描くであろう刃の軌道を完璧に先読みする必要がある。その軌道にのみ力を集中する、外れればソードスキルは失敗してしまうリスクがある。知識だけではできない。経験を重ねても体得できるかどうかはわからない、センスの有無が大きく関わっている。

 彼女は、それを難なくやってのけていた。【リニアー】は単純な細剣スキルの一つでしかないが、その一発一発を見事に【加速】させて打ち込んでいる。単発ならともかく連発は俺にとって賭けのようなものだが、彼女にとってはいつものことだ。背筋がゾッとする、羨ましい才能だ。

 

「次、来るぞッ!」

 

 アスナの後ろ姿に見とれながらも、前に飛び出した。迫り来る新たな【センチネル】の一撃を払い除ける。

 金属と金属がぶつかり合う。甲高い澄んだ音色が一面に響き渡る。突進と同時に突き出してきた槍の穂先を、オレの剣が弾き返した。本来ならアスナを貫いたであろう槍の軌道に割り込み、その腹で穂先を受け止めた。

 しかしそのままでは、剣の【耐久値】が激減する。まだ余裕はあるとはいえ長期戦、途中で折れて使い物にならなくなるのは最悪だ。システムにダメージ認定される前/槍の穂先がオレの剣の腹に食い込んで押し通ってしまう直前に、一気に上へと跳ね上げた。釣られて敵の槍も、上へと跳ね上げられる。

 不意にベクトルをそらされた敵は、その場でつんのめり倒れそうにたたらを踏んだ。だが、寸前で踏みとどまった。しかし、放たれた攻撃はキャンセルされ、【崩し(ディレイ)】を課せられた。硬直を余儀なくされる。

 

「【スイッチ】!」

 

 オレが言うやいなや、背後からコウイチが飛び出してきた。長槍を腰だめに/一直線に、突き出してくる。

 リーチは長い槍だが、パリィされると懐が隙だらけになってしまう。一度槍のリーチの中に入ってしまえば、相手は逃げる以外に選択肢がない。片手剣のように剣腹で受ける武器防御へ瞬時には切り替えられない、攻勢か防勢かだ。そして、アスナ同様、生半可な相手にコウイチの槍は躱せない。

 火でもつきそうな空擦音。オレの耳へ届いた時にはもう、敵の喉元は射抜かれていた。コボルト兵も喉元に刺さっているソレを見て、「おや? こんなもの喉に生えてたかな?」と言わんばかりに、致命傷であることすら気づかず不思議そうに思考停止していた。

 急所をクリティカルで貫いたために、敵のHPは激減。だが、まだ出現したばかりの【センチネル】であるため仕損じた。危険域手前の濃いイエローで止まる、レッドには変色していない。

 オレもコウイチも動けない、立ち位置上アスナもできない。【スイッチ】をつかったばかりのオレでは、連続使用=体を半透過させることができない/邪魔になってしまう。ここで決めたいが一手足りない。なので、

 

「レプタ君、仕留めろ!」

「うオォぉぉーーっスぅ!!」

 

 新しくパーティーに加わった大剣持ちの少年が、雄叫びをあげながら横薙ぎの一撃【スラント】を放った。急所や鎧があるなども関係ない、問答無用に超重量の鉄塊をぶつけた。

 敵は切り伏せられくの字に折れ曲がりそのまま、地面に叩きつけられた。HPも0へと変わり動かなくなった。

 

「GJだ、レプタ君」

「いやぁ、皆さんの方がスゲェっすよ」

 

 惜しみなく賛辞してきた。戦いの高揚だけではないだろう、腹の底から言っているのが感じられる。

 昨日、彼を仲間に加えることを心配していた。今日のボス戦に支障をきたすのではないか、せっかくまとまっていたオレ達を崩すことになりかねやしないかと。強引だが、オレ達のやり方についてこれなければ抜けてもらおうと考えていた。……どうやら杞憂だった。

 これで2体。ほかにも数体、別パーティーが倒しており、センチネルの数は少なくなっていた。まだ12体全てを倒しきったわけではないが、このままの調子ならばそれもいずれ果たされるだろう。

 

「グオオホオオォーォォオオォォッ――!」

 

 エリアの中心から、コボルト王の咆哮が響き渡る。苛立ち混じりの雄叫び。

 相手をしているのは、隊長の【ディアベル】率いるパーティーと他二組、壁部隊/突撃部隊/回復部隊とローテーションしながら順調に攻略している。奇抜な部分はないがそれゆえに堅実で隙がない、無理せず慎重に立ち回っている。徐々にディアベルたちは、コボルト王を追い詰めていた。

 

 ―――このまま、なに事もなくいってくれ……。

 

 一抹の不安。順調に行き過ぎて逆に罠に嵌められているのではないかと、これまではβと代わり映えのない。何事も起きなければ倒せてしまう。思っていた以上に簡単だったと、どこか気が抜けているような油断が現れていた。

 だが、そんなわけはあるはずがない。ここまでがそうであったように、ボスがそうでないはずがない。何かしらの変化があるはずだ。漠然としすぎて拭いきれずコベリ付いたままだ。優勢が続くことを祈るしかない。

 

「次、行くよ!!」

 

 迷いを切り裂くように、アスナが叱咤してきた。彼女の視線はすでに、次のセンチネルへと向かっていた。

 両手用大斧を装備した敵。強力ななぎ払いによってプレイヤーたちを近づけさせない。壁部隊が前に出てタゲをとって攻撃を防いでいるが、厚い盾と鎧でそれを防ぐたびにほんの少しだけ後ろに吹き飛ばされる。

 通常のゲームならば、壁に気を取られている隙に遠距離攻撃で攻め立てるのだが、このSAOにおいて遠距離からの攻撃は【投剣】スキル以外にはない。加えてそれは、今の段階のスキル習熟度とパラメーターでは、大したダメージを敵に与えられない。全身に着込んだ硬い鎧に阻まれてしまって、ヘイト値を上げる以外には使い道がない。

 なので、このような敵相手に壁は必要ない。むしろ邪魔だ。先ほど俺たちがしたように、懐に飛び込んで一気に倒しきるのが上策だ。そうしなければ、今攻めあぐねているそれと同じことが起きてしまう。つまり……、ほかのセンチネルと合流される。

 戦況をしっかりと理解していたのだろう。アスナは合流しようとするセンチネルを再度分断するため、攻めあぐねている部隊の援護へと駆けていた。オレも彼女の後ろに続く。

 ふと、俺の顔に苦笑じみたものが浮かんできた。……これではどっちが先輩かわからない。

 

 新たに現れた俺たちを見咎めて、敵の注意が一瞬こちらに向いた。その隙をついて、後ろから忍び寄った曲剣持ちのプレイヤーが、その背中に振り下ろしの一撃を浴びせた。

 コボルト兵は倒れた、事なきを得た。

 周りを見渡すも、すぐに援護が必要な部隊はいない。ほとんどのコボルト兵は駆逐していた。あとは、中央で暴れている王を倒すだけだ。

 

 

 

「ウグルゥオオオォォォーーーっ!!」

 

 

 

 一際猛々しい雄叫びが、エリア全土に響き渡った。コボルトの王の苦痛と、それ以上の怒りがないまぜになった咆哮。

 大音量に気を取られて、コボルド王へと顔を向けた。

 すると王は、初期に装備していた骨斧と革盾を投げ捨てた。代わりに、腰に吊っていた湾刀に手を伸ばし引き抜こうとしていた。4本あるHPバーの3本が、ディアベルたちの攻撃によって削り取られて残りが一本になっている。それがキッカケになり攻撃パターン変更モーションを取り始めた。

 

 淡い金色の光に包まれている王。新たな武器を抜き放つその数秒だけは無敵状態、プレイヤーの攻撃は届かない。こここそが攻撃のチャンスであるはずだが、ゲームの仕様であるが故の悲しいところだ、指をくわえて待っているしかない。王は、自分を倒そうと構えているプレイヤーたちの目の前で、悠々と新たな武器を抜き放つ。

 その間ディアベルたちは、手をこまねいているだけではなかった。次の攻撃に備えるために、陣形を縦列から囲い込みへと変えていた。壁部隊となっている重量級のパーティーは別の部隊と交代する。

 湾刀状態は攻撃力こそ骨斧状態よりも強いが、そのパターンはバーサク状態も加わって振り下ろしと振り上げだけの単調なものだ。怒り狂いながら襲いかかるその姿は恐ろしいものではあるが、囲い込みながら注意を散漫にさせ続ければ簡単に倒しきることができる。前面に力が集中し、側面や背後ががら空きになる。ちょびちょび削って足を止めれば、何ら脅威にならない。

 β時代のコボルド王のパターンそのまま。初見プレイヤーは辛いだろうが、経験者なら対応できる。楽勝だ、誰も死ぬことなんてない―――

 途端、全身に稲妻が走った。

 

(そうか! βのまんまだったからか!)

 

 先ほどの不安が一本、繋がった。再度コボルド王の姿を確認する。

 抜き放たれた湾刀。しかしその刃は、以前見たよりも細く鋭い、刃先は空気に溶けるかのようだ。分厚い鋼鉄で対象を叩きつける無骨な鈍器ではなく、持ち主に己を扱うだけの技量を要求する冷器。

 それは、湾刀というよりもむしろ―――……。

 

「オラァッ! 来いやアァァーーーっ!!」

 

 王の無敵モードが終わるやいなや、一人のプレイヤーがタゲを取った。

 忘れようにも忘れられない、とても印象深い男性プレイヤー。サボテンじみたトゲトゲの頭の先から、小柄ながらがっしりととした体を覆っているスケイルメイルを振動でガチャガチャと揺らしながら、自分と仲間を鼓舞し敵を威嚇するかのように吠えた。【キバオウ】だ。

 その雄叫びが火蓋を落としたのか、コボルト王は撓めた体を勢いよく―――発射した。己を倍するほどの高さを、巨体とは思えない俊敏さで一気に跳躍した。

 その異常行動に皆、呆けたように瞠目した。頭上の王を見上げる。

 

「だ……ダメだ、下がれッ! 全力で後ろに飛べぇ!!」

 

 オレの叫びはしかし、放たれたソードスキルのサウンドエフェクトによってかき消された。

 

 巨大な肉弾と化した王はそのまま、呆然と見上げるだけのプレイヤーたちに向かって落下した。そして地面に激突する寸前、そのあまりの過重ゆえに凹んだ、硬い地面が波打つ。その全ての破壊力が地面に吸収される寸前、今まで溜めてきた力を=巨躯の落下エネルギー+人外の筋力の全てを手に持った湾刀に乗せて、己の360度全域に放った。

 【刀】専用ソードスキル、重範囲攻撃【旋車(ツムジグルマ)】。 

 赤いライトエフェクトとともに放たれた斬風は、さらに真っ赤な6つの血柱を上げた。前線で王を囲っていたキバオウとそのパーティーたち、その一撃で体の各所を切り裂かれた。鮮血のライトエフェクトを吹き出しながら宙に跳ね上げられた。

 空に吹き飛ばされたプレイヤーたち。全員がHPをその一撃でイエローにまで落とされている。今までの骨斧とは比べ物にならない。範囲攻撃といっても、フロアボスが使えばここまで凶悪なものになってしまう。

 

 プレイヤーたちは、受身も取れずに地面に落下した。体の痛みと何よりも突然の攻撃の衝撃に呻き、身動きがとれないでいる。【旋車】の追加効果=【転倒】を越えて【気絶】状態にまで落とされていた。

 一連の暴威をただただ呆然と見ているしかなかった。あまりの想定外に金縛りに遭っていた。すなわち、傷ついた彼らの救出とその間ボスのタゲを引き受けるという役目、速攻で走り出せば間に合ったのかもしれなかった。はんば麻痺していた誰もがなすことができず、致命的な隙をコボルド王に与えてしまった……。

 

 スキルの硬直から解放された王は、次なる凶刃を放とうと初動モーションをとり始めた。

 ようやく他のプレイヤーたちも、心理的呪縛から解放された。助けにはいろうとするが、間に合わない。ボスは既に、【旋車】の残心姿勢から立ち上がることなく、獣としての本性そのままにほぼ四足状態になるほど腰をかがめていた。野太刀を地面すれすれの並行の下段に構えていた。

 戦慄が走った。初動モーションを検知したシステムが、さらなる暴虐の力を付与する。

 王の視線の先には、先程タゲをとってしまったキバオウがいた。その彼に向かって王は駆けた、地面を擦るギリギリに野太刀を走らせる。そして、その突進を直前の踏み込みによって性質変換、刃に収束させ暴力へとかえた。

 刀ソードスキル【浮舟】。刀の振り上げと同時に、対象を身動き取れない空中へと掬い上げてしまう剣技。空中コンボへとつながる初撃だ。彼の今のHPでは続く連撃に耐えられない。【浮船】は、かれの目前へと迫っていた。

 

 ―――だめだ、避けられない……。

 

 脳裏に浮かんだ最悪から、目を背けたかった。だが、奇妙にも時間感覚が加速されていた。まばたきすらしたくてもできない。オレの意識/視線は、次に起こる悲劇を捉えようと今に固着されていた。キバオウは、何が起きるのかわからないのか/考えることができないのか、瞠目しながらソレを眺めているだけ。

 

 数度言葉を交わしただけ、第一印象も悪い。βテスターを毛嫌いしている横柄な態度からも、友人にはなれそうにない奴だった。そんなこともあって、性格というか肌からして合わないと直感してしまった。同じ空気を吸いたくないとまではいかないが、互いの/少なくとも自分の視界に入れないように努力したくなる。それが、オレにとってのキバオウだ。たぶん奴にとってもそうなのだろう。その一点だけは、互いに分かり合えるところだ。

 そんな奴が、目の前で死ぬ……。

 どこか、オレの目の届かない場所でなら、ここまで動揺したりはしなかったはずだ。「ここではよくあること」という分類に投げ込んで、おしまいだ。ネットに載せられている殺人事件の記事と同じだ、流し読みして10分ぐらいしたら忘れる。その程度のものだったはずだ。

 でも、目と鼻の先。ホンの少し足を動かせば届くであろう距離での出来事は、あまりにも膨大な情報量を俺の中に押し込んでくる。それは、本来奴にふさわしいであろう枠から安々とあふれ、予期していなかった分オレの精神の骨格部分をぐらつかさせてくる。

 たぶんオレは、そんな状態であっても、奴のために涙は流さないだろう。それは、悲しみよりも悔しさに近い感情を呼び起こすものとして、俺の中に刻まれる。「どうしてオレはあの時……」そんな後悔の烙印が、これから先ついてまわる。運命に類する何かが、決定的に決まってしまう分水嶺。

 オレは、そんな未来を半ば覚悟した。それ以外に何も、できなかった―――。王の野太刀が、キバオウに叩き込まれる。

 

 その寸前、何かが/誰かが、凶刃の前に飛び出してきた。

 

 

 

「―――【キャスリング】!!」

 

 

 

 静けさを斬り裂くような叫び。ソレとともに飛び出してきたのは―――、ディアベルだった。

 叫んだ次の瞬間、キバオウは後ろへと引っ張られた。自分で動いたのではない、システムによって強制的に動かされた。入れ替わるようにディアベルが引き寄せられ一瞬、キバオウと交差した、【スイッチ】のように互の体を透過する。そして、死地へと飛び込んだ。

 

 連技(パーティースキル)【キャスリング】、あるいは【身代わりスイッチ】。

 βでもその存在自体は知られていた、【スイッチ】同様にパーティーさえ組めばすぐに使える。だが誰も、誰ひとりとしてここぞという時にやったことがない。裏技のような連技だ。

 通常の【スイッチ】は、パリィやスキル発動後の硬直時間を使って/埋めるために、他のパーティーメンバーとポジションチェンジする。クリティカルを取ったりコンボへと続けるための戦術だ。ソードスキルの使用により必然的に高速戦闘が繰り広げられるSAOでは、他のメンバーが割り込める隙はあまりない。むしろ、互いに邪魔し合って衝突事故を起こしてしまう。それを防ぐためにも、【スイッチ】はある。

 問題は、【スイッチ】を行うときに生じるポジションチェンジには、若干ながらシステムアシストが付与されるということだ。

 【スイッチ】自体は、交代するどちらかのパーティーメンバーが口頭で言えば発動する。言わないと発動しない。発動させなくても必要な行動をとっていればクリティカルやコンボは狙えるのだが、後から来るプレイヤーが前のプレイヤーを避ける必要がある。【スイッチ】を発動させると一時的だが、交代するプレイヤーは前のプレイヤーの体を『透過』することができる。相手と自分の体が邪魔することなく位置交換できる。それが、【スイッチ】のシステムアシストだ。

 この【キャスリング】の場合さらに、別のシステムアシストが付与される。メンバー同士の立ち位置を瞬時に交換する。

 ただ【スイッチ】とは違い、いつでも発動させられるわけではない。条件がある。前衛のプレイヤーが何らかのダメージを受けて身動きがとれなくなっている時だけ、発動できる。【崩し】や【転倒】あるいは【気絶】/【麻痺】/【凍結】/【石化】/【衰弱】など、ソロでは致命的なデバフに取り憑かれた時だ。余りにも距離が空いていたり障害物があったりすれば失敗するが、仲間を救出するためにこの上ない助力だ。ただし、副作用がある。成功した場合、前衛のデバフに高確率で伝染させられてしまう。体が透過状態になるためか、装備による保護は効かない/持ち前のステータスと運だけだ。……ソレが、別名の由来だ。

 使い道のない連技だった、このデス・ゲームならなおさら。使っても/使わせてもらならない封印すべき、自滅技だ。

 

 そして今、ディアベルとキバオウの距離はギリギリ許容範囲内だった。

 片手剣スキルの中でも飛距離が長い基本突進技【レイジスパイク】を放ったからだ。10メートル近くの距離を一気に詰める剣技、この【キャスリング】のためにあるような技だ。彼らの立ち位置が入れ替わる。

 【レイジスパイク】は、そのシステムアシストの大部分を長い飛距離に使っている。攻撃力は、その距離を一気に飛んできたというのに、スキル無しの通常の突き攻撃に毛が生えたぐらいのダメージしか与えられない。場所の入れ替えと先制攻撃/奇襲用に使う技だ。コボルド王の一撃を相殺するだけの威力は、これっぽっちもない。

 さらに、【キャスリング】の副作用が襲う。キバオウが患っていた【転倒】がディアベルにも伝染する。コボルト王の前にも関わらず、体が硬直し地面に転ばされる=無防備をさらされる、最悪な硬直時間を課せられた。

 王は容赦なく、剣線上に突如割り込んできた不届き者を掬い取り……、空へ跳ね上げた。打ち上げられる―――

 そして、致命のコンボが始まった。

 

 この場にいたプレイヤーが全てが、固唾をのまされた。

 刀スキル【緋扇】―――。

 上下の連撃のあと、一拍置いて突きの一撃を放つ空中コンボだ。技が決まれば、その名のとおり緋色の扇が宙に開くことになる。そして、その中心として彩られた犠牲者は、それを描く画材にされたあと用済みとばかりに投げ捨てられる。

 中空で王の野太刀に滅多切りにされたディアベルは、最後の振り下ろしで地面に叩き落とされた。受身など取れず、ゴムボールのようにバウンドした。そしてペチャリと、糸が切れた人形のように倒れた。

 その傍で着地した王は、露払いでもするようにひと振り、刀を胸の前で振った。遅れてパラパラと、宙に撒き散らされた鮮血のライトエフェクトが舞い落ちてくる。まるで赤いダイヤモンドダスト。ほんの数滴落ちただけで、ほとんどは中空で霧散し消えた。

 

 先までディアベルがいた場所に、今はキバオウがいる。無理やり引き寄せられ転がっていた。

 【転倒】から回復し、何が起きたのか確認しようとした時には……、すでに終わっていた。

 

「……そんな、ディアベル……はん?」

 

 いつの間にか目の前に転がっているディアベルに、声をかけていた。どうしてあんたは、そこに寝転がってるんだ。それもそんな有様で―――。心が現状について行っていない=放心状態で彼は、もはや物言わぬディアベルに返事を期待していた。

 ここにいるプレイヤー全員、オレの視界の隅にも表示されているディアベルのHPは、すでに0、黄色でも赤でもなく黒。先ほどの空中コンボを、すべてクリティカルにもらってしまった。反撃のためのソードスキルは不発に終わり、防御行動もとれない。

 空中コンボに遭遇してしまった場合の最適な対処は、体を丸めて完全防御でやり過ごす。攻撃によるコンボ相殺は、お地蔵さんみたいに冷静沈着であることに加えて、飛ぶことに慣れている鳥でなければ成功しない。その点ディアベルは、決定的な選択ミスをしてしまったと言えるだろう。ただできたとしても……、焼け石に水だった。

 オレを含めたここにいる全てプレイヤーでも、同じ結果だっただろう。あんな状況下に置かれたのなら、まともな対応などできない。

 ディアベルは静かに、しかし無造作に、その体を地面に横たえていた。

 

 

 

「ウグルアァァォーーーッ!!」

 

 

 

 コボルド王の雄叫びに、空気がたわめられた。これでは足りない。こんなものでは満足できない。もっと俺を奮わせろ! ……そんな野蛮な渇望が聴こえてくる。

 エリア全体をビリビリ震わせると、その赤く染まっている眼光で睥睨した、次なる獲物を仕留めるために、血に飢えた眼差しを差し向ける。……その凶悪な視線に魅入られ、心臓が握り潰されたかのように凍えた。

 そんな王の周囲には、いち早く危機を悟った斧持ちの攻撃部隊が詰めていた。先の会議でコウイチとひと悶着した禿頭の黒人【エギル】。今にも荒れ狂わんとする王のタゲを引き受けようとする。

 オレはその間、王に鼓舞されたのか、急に活気づいたコボルト兵の相手をさせられた。振り下ろしてくる斧の柄元に、横薙ぎをひいて切断。急に軽くなった武器に戸惑っている敵の喉元に、すかさずアスナが【リニアー】を突き込んだ。

 ちらりと見たHPバーは、まだ0には至っていない。仕留めきれていない以上危機は去っていない。しかし、

 

「悪い、ちょっと抜けるぞ―――」

「へ、抜けるって……? キリト君!?」

 

 あとは仲間に任せると、アスナと【スイッチ】で立ち位置交換したまま背を向け、消沈しているキバオウの元へと駆けていった。

 

 

 

「そんな……どうしてあんたが、こんなことに……。こんな……こんなはずじゃ、なかったのに……」

 

 もはや何も語ってくれないディアベルに向かって、キバオウは嗚咽を漏らしていた。

 死の恐怖、驚愕、悔恨、罪悪感―――。それらがドロドロに混ざった感情が、キバオウの胸の内を掻きむしっているのだろう。

 小柄ながら態度は人一倍でかかった彼は、見る影もない。今はその見た目よりも小さく霞んでいた。傍らのオレにも気づかず、ただ懺悔していた。

 そんなキバオウを横目に捉えながら、ディアベルの成れの果てを見た。

 体の各所に、赤い毒々しい輝きを帯びた太い線が引かれている。特にその胸の中心部には、巨人の三白眼とでも言うようなものが横に見開かれていた。コボルド王によって付けられた傷だ。もはやそこから何も噴き出しては来ないが、その痕だけは彼に刻まれ続けていた。

 改めてHPバーを見た。そこにはやはり……、何もない。もう何もかも手遅れだった。

 腹に力を込め直し感傷を吹っ切ると、ヘタリこんでいるキバオウを叱咤した。

 

「ボヤッとすんな! 立てッ!!」

「でも、ディアベルはんが……。ディアベルはんは―――」

「ディアベルは死んだ!!」

 

 はっきりと言葉にした。ここはまだ危険地帯だ/一秒を争う、こうしている間にも新たな犠牲者が出るかもしれない。キバオウの目を覚ますと同時に、オレ自身を前に進めさせるために必要なこと。

 

 死骸……。今はもう動かない/語ることすらもできないソレはしかし、多くのことを観る者に訴える。

 この慌ただしく嵐のような戦場の只中にあるというのに、それだけは静寂を貫いていた。あらゆる音を/意味を飲み込むように、佇んでいる。ただのオブジェクトとは違う、目を離すことができない。腹の奥底からこみ上げる/脳みそを麻痺させるその感情を表す言葉を、オレは持っていない。

 HPが0になったのならば、すぐさま爆散させて消してくれればよかった……。オレは、この死体化というシステムを作ったであろう者を恨んだ。罪などまるでないがその死体をも憎んだ。そうしなければオレは、ここから一歩も進めない。

 だけど、同時にそれは/当たり前だと思っていた行為は、大切な何かを切り捨てることだった。そんな根拠もない直感がどこからか、叩きつけてくる……

 

 オレの叱咤でキバオウは、腑抜けていた顔を引き締め直した。無神経なセリフを吐くオレを睨みつけていた。今はそれでいい……。

 しかしまだ、戦うには足りない。

 

「目を覚ませキバオウ! このままじゃ戦線を保てず総崩れだぞ。

 戦えないのなら邪魔だ、泣きたいのなら後ろに下がってろ!」

「くッ! おんどれは―――」

 

 吐き出そうとした罵倒は寸前で歯噛みし、逡巡した。

 オレの言うとおりにすべきなのか? 戦わなくてはならないのはわかるだけど、こんな場所にディアベルを置いたままでいいのか? ……迷える時間は、あまりにも少ない。

 立ち上がることはできても、その場から動くことはできなかった。

 

「お前は……、お前はどうするんやッ!!」

「決まってんだろう―――」

 

 愛剣を握り締めた。強く、硬く冷たいがブレない確かな感触を染み込ませるように、そうあれる様に……。

 暴虐の中心たるコボルトの王に視線を向けた。そしてにやりと、不敵な笑みを浮かべると、

 

 

 

「ボスのLAを取りに行くんだよ!」

 

 

 

 宣言と同時に、駆けた。ボスの下へと、戦う―――

 後ろを振り返る余裕は、どこにもなかった。

 

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 【キャスリング】は、本作独自のパーティースキルです。名前の由来は、チェスからとらせてもらいました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。

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