偽者のキセキ   作:ツルギ剣

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1階層 後
迷宮区 拠点


 

 翌朝、奥さんが深々と頭を下げてきた。

 

「―――本当にほんとうに、ありがとうございました!」

 

 娘は無事、快方に向かっています……。全て貴方たちのおかげですと、目尻に涙を溜めながら感謝してきた。一気に10歳は若返ったかのように、憂いが消え去っていた。

 面映くどう返事をしたらいいかわからない。照れて頬を掻く。

 

「お返しと言ってはなんですが、コレを―――」

 

 お役に立てればよろしいのですが……。家のタンスからゴソゴソと、赤鞘に納められた黒柄の片手剣を大事そうに差し出してきた。クエスト報酬=【アニールブレード】。デザインは少々いただけないが、性能は申し分ない。

 受け取ると一言、感謝でも言いたくなってきた。βではおざなりの返答だけだったが、今回はソレだけでは済まされないように思う。口を開きかけると、

 

「よろしいのですか? 随分と高そうな逸品だ」

 

 横からコウイチが、遠慮を挟んできた。

 

「娘の命の恩人ですもの、むしろこれしきのモノしかお渡しできないのが、申し訳ないほどで……」

「店では見かけないモノですし、よく使い込まれているように見えます。奥さんのものだったのですかな?」

「いえ、以前に夫が使っていたものです。私たちが扱うことはないので、ホコリを被っていたところです」

 

 以前に/夫が/使っていた。過去形……。嫌な予感に息を飲んだ。ちゃんと観ていたのならばそのはずだったと分かっていなければならないこと/どうせNPCだからと考えないようにしていたこと、ソレがいきなり投げ込まれた。無神経にも踏み込みすぎてしまった。

 閉口してしまったコウイチの代わりに、聞かねばならぬことを尋ねた。

 

「それはつまり……形見、ということですか?」

 

 そんなもの、受け取れないです……。予想以上の重たさに慌てた。性能がいいから/やり方さえ心得ていれば簡単にゲットできるからと、気軽に貰っていいものではなかった。

 どうしたらいいものかと/返すべきなのかと、本気で悩まされていると、ソレを察してか奥さんが慌てて訂正してくれた。

 

「いえいえ、夫は生きてますよ! 今は徴兵を受けて【バスティア砦】へ派遣されているだけです。任地からちゃんと、手紙も送ってくれていますよ」

 

 なんだ、誤解だったのか……。ほっと一息、胸をなでおろした。

 そして、改めて感謝を告げようと顔を上げると、奥さんの頭の上にうっすらとクエストマークが浮かんでいるのが見えた。幻かと目を瞬かせるも、ちゃんとそこにある。

 

(キリト、アレはもしや……新しいクエストか?)

 

 コウイチの耳打ちに答えられず、呆然とソレを眺めていた。

 初めてのことだった/知らなかった。この【森の秘薬】クエストは、このエリアで完結する単発のクエストだったはず。なのにどうして、次があるのか……。どう反応していいのかわからず、会話の流れに従った。

 

「任期はまだ、終わっていないんですか?」

「……はい。今からちょうど3年前に行きましたので、あと2年ほどで帰ってこれる……はずです」

 

 躊躇いがちにも説明してくれた奥さんの顔には再び、憂いの暗さが現れていた。

 5年の徴兵期間、βでは探りきれなかった彼女ら家族のキャラ設定/事情。現代では、自分を高めるいい機会だとかいざという時の準備になるとか、どちらかといえばプラスのイメージがある。だけど/やはり、拭いきれないマイナスがあった。働き手が取られる、我が子が/頼れる人がいなくなる、殺されるかもしれない……。奴隷であることをいやが応でも思い出される。ここはのどかで世間知らずな田舎、ではなかった。

 一新された重たい認識に俯いてしまうと、代わりにコウイチが続けてくれた。

 

「これほどの剣をお持ちということは、名のある剣士だったりするのですかな?」

「いえいえ、名のあるだなんて……。普通の猟師ですよ。ちょっと不器用で無口な、どこにでもいる……」

 

 言い切らず物思いに入った奥さんの顔には、そこはかとない寂しさが浮かんでいた。夫がどんな人だったのか/どう見ていたのか、言葉以上に伝わってきた。

 その共感に釣られてだろうか。自然と口からこぼれてきた。

 

「もしお返事があるのなら、届けましょうか? オレたちは旅をしていますので、そちらの砦にもいずれ通ることになると思います」

「え? いえ、そんな!? ですが……。助けていただいたのに、返事まで届けてもらうなんて……」

 

 遠慮しながらも素直には飛びつけない、でも……。躊躇いながらも迷っている様子に、返事を送る術は限られている/こちらからは送れない、との推測は正しかったと直感できた。電信機器の無いこの世界では、国や一部の行商以外に通信を担当することができない。こんな辺鄙な村に手紙が来ていること自体、奇跡だった。

 そしてソレが、新しいクエストを引き出すトリガーでもあったのだろう。おぼろげだったマークがハッキリと輪郭を帯びていた。目に映るとコウイチと頷き合い、押し通す。

 

「ご本人にも、ちゃんと断っておきたいので。自分の娘が流行病で苦しんでいる時に、奥さんが必死で一人で看病しているのに、どこぞの僻地で遊んでるマヌケにね」

 

 皮肉な言い回しに、目をパチクリと驚かれた。オレのキャラでないのはわかっているから、そんな黙って見られると恥ずかしい……。そしてクスリと/そっと、口元を隠しながら柔らかく微笑んだ。

 

「それでは、大変申し訳ないのですが……。お願いしても、いいですか?」

「任せてください。必ずお届けします」

 

 快く了解すると、奥さんはいそいそと家に戻った。そして、大事そうに抱えてきた二通の茶封筒を渡してきた。

 クエスト受諾。封筒を受け取った次の瞬間、胸の前で半透明ディスプレイが自動展開した。そして、『【戦地への郵便】クエストを受諾しました』との確認を告げてきた。

 

(なるほどな、連続で【森の秘薬】ができなかったのは、こういうわけだったんだな)

 

 即座に次が可能だったのなら、せっかく作り上げた雰囲気が台無しになる。特にコレは、病気の娘を助ける感動エピソードでもある、連続で繰り返せたら悪い冗談になる/βではそうなっていた。そのためにインターバルを置いた……と思っていたが、違ったらしい。渡された手紙を見つめると、そんなβからの疑問が氷解していった。

 

「それでは、お気をつけて。旅のご無事をお祈りしています」

 

 別れの言葉を贈ると、離れていくオレ達の背を見送った。森の中、その姿が見えなくなるまでずっと―――。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 朝露に濡れる茂み、サラサラと風の音を奏でる梢、柔らかな木漏れ日のシャワーが降り注いでいる。現実世界ではお目にかかれない森の道。舗装されているわけではないが、人が往来することで開けて均されたその道は、森を抜けるための大通りであり最短ルートだ。この先に、目的地たる迷宮区がそびえ立っている。

 誰も通る道ゆえか/人の匂いが気になるのか、同じ圏外であっても道とそうでない場所ではエンカウント率が違う。モンスターと言えども普段は他の獣たち同様、縄張りのなかで静かに暮らしているだけなのだろう。積極的に人に/プレイヤーに襲いかかっては来ない。第一層ゆえか、魔物というよりは動物が少し凶暴化しただけなのかもしれない。警戒しながら進むも、立ち塞がってきたモンスターはほんの数体のみだった。

 

「パスティア砦というのは、何処にあるのかな? 地図上ではそんな場所はなさそうだが……」

 

 なのでコウイチが、ストレージから地図を取り出し、依頼先の砦を探して頭をひねっていた。

 メニューには、自分の現在位置を示したリアルタイムのマップがあるも、手に持ち見ているのは羊皮紙のような古い紙質の地図=店で買った地図。メニューに載っているのは、今自分がいる周辺と今まで歩いてきた場所のみ、これから行く場所を知りたければ店で地図を買うしかない。【索敵】と【鑑定】スキルで重複している【測量】を習得すれば違ってくるらしいが、今は無理だ。

 

「一層にはないよ。三層にあるはずだ」

「三層? 一層のクエストなのにか?」

「層をまたがる大型クエストなんだよ、層ごとにお使いを要求される。こなさないと先に進めない。だからおそらく、二層で何らかのアクションを起こさないと達成できない仕掛けには、なってるんだろうな」

「直通では行けないものなのかな?」

「行けるやつもあるけど、大概は、飛び越える時には下の階層に戻らされることになる。それにその砦、うろ覚えなんだけど、二層の何処かの街で許可証みたいなものを貰わないと、住民がほとんど相手をしてくれないんだ」

 

 先に許可証を手に入れておけば、戻る手間が省ける……。このクエスト自体はじめてなので、ソレが最適な攻略法とは言えないが、セオリーに従って裏を読めばそうなる。もし許可証が必要ならば/みなこのクエストを受注したのならば、先に手に入れておかないと渋滞してしまう。

 納得してくれて感心するコウイチ。そんな彼とは違ってオレは、鳴りを潜めていた不安が芽を出していたとこに気づき眉をひそめた。

 

(改めてプレイすると、結構穴あいてたな。遊びつくしたと思ったのに……)

 

 βと本製品の違いかもしれないけど、今回のクエストは間違いなくやり逃しだった。自分のロールを理解し話の流れにのっていけば、自然と出てくるものだった。自分の体験だけでなく別のプレイヤーの体験談も集めてはいたが、何ぶん弱コミュ障、ソレに面白すぎて自分のことで手一杯でもあった。知識や経験値はビギナー達よりはあるのだろうが、完璧ではない。自惚れてしまえば取り逃してしまうモノがきっとある。

 もっと正確な情報が必要だ。自分のソレが本当に正しいのか確認したい。他のテスターと意見交換すべきだ。

 

「……アイツならもっと、知ってるかもしれないな」

「アイツ?」

 

 コウイチの相槌に目をしばたかせた。独り言、声に出ちゃってたのか……。

 

「同じβテスターの一人。情報屋やってたプレイヤーだよ」

「このゲームには、クラスや職業はなかったはずだが?」

「勝手に名乗ってるだけ、ではあるけど、そう言えるだけの情報通だったからな。あいつに聞けばゲーム内の大抵のことはわかる、ただし金しだいで」

 

 その金が大問題だけど……。尻の毛まで毟られた嫌な記憶が蘇ってきた。良質で信頼できるからこそ惜しみなく渡すべきだけど、取られすぎだったのかも。……詐術だったかどうか/どんなやり方だったのかの情報は、いくらで買えるんだろうか。

 

「彼の名前は? チームで動いていた?」

「一人だよ、それに女だ。名前は【アルゴ】で、みなは上に『鼠の』をつけて呼んでた」

「鼠? それは……、あまりいい印象を受けない通り名だな。小柄ですばしっこいから、だったりするのかな?」

「当たり。それらしいアバターでプレイスタイルだった、てのもあるけど、顔がちょっと独特でね。それっぽいペイントで化粧してたんだよ」

「化粧……? 髭でも描いてたのかな?」

「何だってそんなことしてたのか、わかんないけどな。アイツにしかわからないこだわりがあったんだろう。

 まぁ、βから名前は変えているだろうし、あの【手鏡】のおかげで容姿も違うだろうから、探しようにも手がかりがないよ」

 

 オレはβテスターです/あの【キリト】ですなんて、言いふらしながら歩くのは嫌だし。お手上げ……。

 肩をすくめて降参していると、コウイチが何やら考え込んでボソリと、ソレを尋ねてきた。

 

「もし、その彼女がだ、ここでも情報屋を開業しようと考えていたのなら、β時の名前と容姿を使うのではないかな? 容姿は【手鏡】の影響で変えられているだろうが、名前はそうならないはず」

「いや、そんなことは……」

「情報屋に必要なのは、信頼と知名度だ。ソレは一朝一夕で手に入れられるものではない、地道な努力が必要だ。一から作り上げるよりも、βで築いたものを援用したいと考えるはずだ」

 

 反射的に否定を出しそうになったが、根拠を引っ張ってこれなかった。逆に頭を捻らされた。確かにそうなのかもしれない、オレが/βテスターがかつてのプレイ体験や知識を利用するように、名前を利用することは充分あり得る。素顔を隠すよりも公表した方が価値があるのなら、情報屋なら。

 

「……だから、名前は同じかもしれないと?」

「おそらくだが、容姿も似ているはず。現実の自分の特徴をトレースしたアバターのはずだ。ゲーム内だけではなく、現実での商売も考慮に入れていたのなら」

 

 リアルトレード……。犯罪めいた臭いに眉を顰めそうになるも、ソレだけではないのですぐに収まった。むしろそっちの方が少数だろう。仮想世界の中では、迅速な対応が出来るとは限らず、盗み聞きを防ぎきることもできない。現実でパイプを繋いでおくことは/利用することは、個人経営の情報屋には必須だ、必ずしも犯罪行為とは言えない。

 ただ、だからと言ってソレは、飛躍し過ぎている気もする。

 

「それなら逆に、全く関係ない姿にしてるんじゃないのか? 同じだってバレたら危険だ」

「だが、信頼される。同じなら、現実で顔合わせをした時も見つけやすい。店の看板みたいなものだよ」

 

 ソレを隠してしまったら、客は寄り付いてこないし、そもそも商売しているのかもわからない……。彼女にとって/情報屋にとって自身の容姿は、商売の広告塔でもある。

 ソロで黙々とプレイしていたオレとは、真逆の考え方だ。言葉では理解できても、どうしてできるのかわからない、やってみろと言われたら遠慮してしまう。性に合わなすぎる。

 

「ここでは皆、多かれ少なかれ素顔を隠している。違う自分を演じようとする、成りたいがためにそうする。だから、他人のソレを暴き立てたりはしない。せっかく作り上げて浸っている異世界の空気を、壊したくないからな」

 

 その暗黙のタブーを逆手にとって、現実そのものを出してしまう。そもそもオンラインゲームは仮装舞踏会ではなく出会いの場であるから、先手は有利に動ける、無理に取り繕わない自然体なのでさらに。現実そのものでも、本当に同じだと悟られることもない、自分がそうだからと勝手に錯覚してくれる。

 

「加えて言うなら、この森にも来るのじゃないかな? 最速でそのアニールブレードを獲得するのは、βテスターなら真っ先に考えることの一つだろう?」

 

 オレが背負っている新しい片手剣を指摘してきた。

 最速で動くということは、ソロで動くということでもある。ならば、武器として万能/平均値である片手剣であるはず、ますますコレが必要になる……。指摘が現実味を帯びてきた。

 

「……βとは地図も変わってるし、ここも一つとは限らない。それに彼女は、もしβのスタイルで通すなら、片手剣は使わないはずだ。ここには用もない」

「重複している可能性は消せないが、数は多くないはずだ。武器としては使わないのかもしれないが、βテスターのここでの容姿を確認することができる。昨日から今日の昼頃あたりまでで、しかもソロでやってくるプレイヤーは、ほぼ間違いなくテスターのはずだからな」

 

 まずはテスターの顔と名前を一致させる。アイテムよりも有力プレイヤーを/常連の顧客になりそうな奴らを知る……。彼女なら、まずはそうするだろう。オレの記憶にある彼女の印象とその推測に、そう違和感はなかった。

 感心しながらコウイチを見た。まだ一度も会ったことがない人物の行動を、ここまで推測してくるとは……。オレはまだまだ、修行不足だった。

 

「だとすると、この森は二つ以上はあるみたいだな。彼女がソレを狙っていたのだとしたら、オレ達と同じかもっと早く到着して待ち伏せしていたはずだから」

「確かに……、そうらしいな」

 

 話を締めくくると、視界の先の光度が上がった。木漏れ日に慣れた目には眩しい、白明で霞む。その奥に薄らと、開けた平原が見えてきた。

 森を抜けた。話し込んでいるうちに、いつの間にか到着していた。

 明るくも広々とした平原フィールドに足を踏み入れた瞬間、視界に映る絶景に目を奪われた。

 

「おぉ……、近くで見ると圧巻だな」

 

 目の前にそびえ立つ迷宮区、天高く頂上がみえないほど。あまりにも高すぎるので、距離感覚がわからなくなってしまう。現実ではこれほど超高度の円塔は存在しない、おそらく構造か素材の問題で不可能だろう。もし未来に、軌道エレベーターができたのなら、このような威容になるのかもしれない。

 感動がひとしお引くと、そのふもとに見える街を指した。

 

「一旦あそこの街に行こう。アイテムの補給をしたら、宿を探さないと」

「予約しておくのかな? もしや、その方が安く泊まれる?」

 

 安くなる……? すぐに反応できなかったが、一考しなるほどと合点。たしかに、現実だとそうだ/早期予約割引がある。宿屋も商売なのだから、そんな仕組みをつくって客を集めようとしても良さそうなものだ、こんな古風な世界にはそぐわないけど。

 

「違うちがう。探すのは宿屋じゃなくて、攻略用の拠点だよ」

「家でも買うのか? さすがに……、今の資金では足りなくないかな?」

「ちょっと無理はするけど、先に取っておかないといい場所は取られるんだよ。せっかくの一番乗りだ、一番上等なやつをとっちまおう」

 

 迷宮区の攻略は早くても1週間はかかる、こんな状況下じゃ少なくとも倍は見積もらないといけない。街の宿屋を拠点にするよりも、一軒家の方が財布も気持ちも楽だ。βだったらログアウトしてシャワーでも浴びればスッキリできるが、今はそうはできない。プライベートを守れる安全なねぐらが必要だ。

 

「郊外にいい物件があるんだ。まずはそこに行こうか」

 

 βでも世話になった拠点。そこに向っていった。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

「……ここが、一番上等な家?」

 

 街からだいぶ離れた圏内ギリギリの場所、のどかな牧場。風車と一体となっている母屋に小さな牛舎、木造の貯水タンクらしきものが横手に備えられている。囲われた柵の中、なだらかに畝ねる丘で数頭の牛がムシャムシャと、草を食んでいた。

 

「そ、ここの二階に泊まれるんだ」

 

 はんば呆れ気味のコウイチを押しながら、居住契約を完了させたそこへと入っていった。

 宿屋に泊まったり/一から作り上げたり/空家を探したり=拠点を探す時にまず調べる項目。空き部屋を借りる/NPCとはんば共同生活するというのは、後回しにされがちだ。だからなのか、格安のいい物件になっている。

 

「街から離れてるし買い物にも不便がある、夜になると圏外との境界線が曖昧になってモンスターが出ることもある。施錠も防犯もできるわけじゃないから、他プレイヤーの侵入も防ぐことができない。牧場主さんは宿屋の店番たちとは違って警備してくれるわけじゃないからな。でも―――、アレがタダで飲める」

 

 牛舎の中に入ると、乳を絞られてる牛、数個の桶の中に眞白な液体がたっぷりと入っている。

 NPCに一言了解を得ると、差し出されたコップでソレを掬いそのまま飲んだ。コウイチも同じく飲んでみると、目を見開いて驚いた。

 

「これは、まさしく……牛乳だ。ちゃんと牛乳の味がする! VRとは思えない出来だ……」

 

 感嘆しているコウイチに牧場主NPCは、どう反応していいのか分からず複雑な表情を浮かべていた。褒められているのだろうが、何処かズレた賞賛/莫迦にしているとも取れなくない。またもやあからさまなメタ発言に、オレもアワアワと落ち着かなくなってしまった。気持ちはすごくわかるけど、自重して欲しい……。

 

「何杯でもいいのかな?」

「ここで飲む分にはな」

 

 おもわず説明してしまうと、振り返った。部外者のオレがなんで我が物顔で許可出してるんだ、失礼すぎる……。だけどNPCは、何も聞いていなかったかのように乳搾りを再開していた。ホっと一息、胸の中で安堵を漏らす。

 NPCには聞こえないよう声を潜めながら続けた。

 

「【耐久値】がほとんどないから、外に持ち出してもすぐに【腐ったミルク】になって、飲めたものじゃなくなる。HPも減るし何より、臭い」

 

 保存用のポットがあれば別だが、今の段階でそんな便利グッズはない。そもそも、ソレがある頃にはこの場所の価値もなくなる。

 

「なるほど、コレで商売はできないわけだ」

「【料理】スキルがあれば別らしいけどな。【チーズ】に変えれば数日はそのままでも持ち運べるし、しっかりと保存して発酵させ続ければ値も上がる」

「料理か……。そういえば最近は、まともなもの食べてなかったな。最後は確か……、アイツの弁当だった」

 

 ボヤくようにそうつぶやくと、げんなりした。ほとんど感情をあらわにしないコウイチが、その味を思い出してなのか、憂鬱そうに顔色を翳らせた。

 

「愛妻弁当、だったりして?」

「いや、妹の実験台だ。高校に入学したら弁当になるから今のうちに予行練習したい、とのことで、犠牲になった」

 

 現実の食の最後の思い出がアレというのは、悲しいことだ……。よほど独特な味付けだったのか/まずかったのか、でもやる気になっている妹に女子力が無いとの痛恨の一撃を食らわすのも躊躇われて/同僚に貶されるのも癪に障るので……忍苦の昼ご飯。ご苦労が偲ばれた。

 どこの兄貴も、妹には苦労させられるのか……。共感が湧き上がってくると、何気ない調子で尋ねてきた。

 

「キリトこそ、妹の弁当の想い出はどうだ?」

「いやぁ、アイツはそんなことするタイプじゃないし、部活が忙しくて暇もないだろうしな―――……て、なんでぇ!?」

 

 なんで知ってるの! オレの心を読んだのか?

 訝しげにしていると、くすりと意地悪げに笑ってきた。

 

「ただの勘だったが、当たりみたいだな」

「……カマかけたのかよ」

「予想通りの面白い反応が見れた。

 さて、アイテムは準備した。拠点も整えたし何より日和もいい。もう迷宮区に行くだけだな」

 

 無理やりに会話の方向を変えられて、拳のやりどころが消化不良ぎみ。上手く逸らされてしまった気がしないでもないが、大したことでもないので今は仕舞っておくことに。気持ちを切り替えた。

 

「武器と防具はダンジョンの中にあるはずだ。回収しながら攻略していこう」

 

 コップ一杯、掬った牛乳を飲み干し喉を潤すと、牧場を後に。戦場へと向かっていった。

 

 

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

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