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―――油断してしまった。
あの危機的状況、集中しすぎていたのだろう。この結末まで頭が回っていなかった……。
残心とともに愛剣を背中の鞘に納めると、緊張の糸が僅かに緩んだ。胸の内でもホッと安堵をこぼすと、臨戦態勢が解かれてしまったのを感じていた。棚上げさせていた疲労感が体にのしかかる。
だから―――
「―――ねぇ、こうなるってわかってたの?」
背後からそっと、フィリアの一言。
何気なしに振り返ると―――ヒュンッ、微かな風切り音が耳に届いた。
そして、ソレが目に映った時にはもう……遅かった。
バチンッ―――。左手に、鞭の一撃。
「ッ―――!?」
強烈かつ正確な打撃にそのまま、左手が背後にはじけ飛んだ。つられて半身にさせられ、よろけ倒れそうになった。
ギリギリ/偶然だろう、寸前に踏ん張れたので【転倒】は免れた。
しかし―――握っていたもう一つの剣までは、そうではなかった。
弾け飛ばされた衝撃で手放し、遠く背後へと落としてしまった。……武器の【取りこぼし】。
落とされたソレを見送りながら/突然の出来事に驚愕しながら、それでも、体は今必要な行動を取っていた。―――すぐさまの臨戦態勢。
愛剣を握り直し/ギリギリ四足になるほどの腰を落とし、突撃タイプのソードスキルを放とうと身構えていた。速攻の反撃―――
しかし……ソレは読まれていた。
顔を上げフィリアに/敵に視線を定め直すと、目の前には―――鞭。すぐさま放たれていただろう鞭撃が、オレの顔面を襲おうとしていた。
反射的に避けた。反撃を強制キャンセルし、追撃の軌跡から頭部を外す。ついでに歯を食いしばり、くるだろう衝撃に備えた。
強引ながらもソレは、功を奏した。
鞭撃は、わずかに頬をかすったのみ。耳朶を通り過ぎた時、焼けるような摩擦音を脳髄へと刺し込みながらも、それだけだった。ただ、あまりにも強引すぎた。体を支えられずそのまま、横倒れになっていく。
それでも、仕切り直し。奇襲を凌ぎ切ったとなれば、結果は上々だろう。後はただ、喰らいつきに行けばいいだけだ。組み伏せてやるのはそう難しいことじゃない。彼女は早まったことをしてしまっただけになる。
しかし―――甘かった。
ギリギリで避けたはずの鞭撃の影、もう一撃が隠されていた。
ソレはオレの目に映ることはなく、ただ―――バチンッと、顔面を叩いていた。
もろに受けてしまった鞭撃。しかも、予想だにしていなかった……。床に横倒れた後、横転からの切り返しのプランは、潰された。
そのまま倒され、後ろに弾け転ばされていった―――
転ばされた後、わずかに途切れていた意識を繋ぎ直し、顔を上げられた時にはもう……フィリアに陣取られていた。
オレが首を切り落としたプレイヤー/彼女の弟、その事切れ虚ろな表情を浮かべている頭部を、悲しそうにも愛おしくか、腕に大事そうに抱えていた。
その佇まいに―――ゾクリと、首筋が粟立った。
同時に、彼女の目的が思い出された。共に戦ってきた仲間を売ってまで果たそうとした目的。何のためにここまで/こんな死地まで、オレについてきたのか……わかってしまった。
頭が痺れ、喉が強張る。言い知れぬ躊躇いの金縛り、レッドライン/危険域に踏み込もうとしている警告。
今すぐとっと逃げろ―――。ソレが正しい選択だ。誰だってそうする、誰かに責められることもない、ここにはその誰かすらいない……。
しかし/それでも/だからこそ、
腹の奥底からこみ上げてくる何かが、金縛りを突き破って……言った。
「―――馬鹿な真似はよせ。考え直せ」
戻ってこい―――。今ならまだ、引き返せる。
最後の警告、今オレができる最大の譲歩。ただの気の迷い/冗談で終わらせられる最終ライン……。
しかし―――フィリアは踏み込んでしまった。
「55階層での噂、本当だったのね」
オレに向けてきた瞳は、底冷えするほどに……虚ろだった。
まるで、その腕に抱えている頭部と同じように―――レッドプレイヤー特有の禍々しさ。
微かに繋がっていただろう、オレと彼女を結んでいた線は、その虚ろに飲み込まれてしまっていた……。
胸に確かな、痛みを感じた。奥の奥までに射し込んでくる、鋭く致命的な痛み……。
そんなことはあり得ないと思っていた。そんなことオレには通じないと思っていた。自分が考えている以上に無神経で無遠慮なんだと自覚していた。何の痛痒も感じずにどんな犠牲もものともせず目的を遂行できる、最高にタフなプレイヤー/ビーター。
しかし……そうじゃなかった。なりきれていなかった。……オレはまがい物だ。
でも、意地だけは残っていた。
ソレが顔にまで表れそうになる寸前、唾と一緒に飲み下した。
「…………何のことだ?」
「ターゲットだったビーストテイマーの女の子は、実はまだ生きている」
再び迫りきた衝撃にも、何とか耐えた。……耐えれたはずだ。
オレの前でソレを口に出すということは、確証が無い証拠。【聖騎士連合】の奴らがキッチリと約束を守ってきた証、レッド達にすら漏れていなかった。……ブラフに引っかかるほどお人好しじゃない。
ただ、時間は必要だ。これから彼女が何をするつもりなのか? この難問を打開する解決策を導き出す時間、今オレにできることは―――
「……【生命の碑】にはちゃんと、横線が引かれてただろ?」
「ええ。でも、誤魔化す方法は幾つかあるわ」
「どんな方法だよ? システムにクラックしてダミー情報でも割り込ませる、てか?」
「『碑文に横線が引かれてる』と見えればいいだけ。その時確認した数人が、後から再度確認した数人にも、そう錯覚させればいいだけ。
個人でその全てを騙しきるのは、不可能かもしれない。けど、
大方の目星は付けられている……。そこまで悟られているのなら、逆に話は早い。
「……仮に、そうだったとして。何でソイツらは、
「それは――― 」
無表情のまま口に出そうとして……止まった。僅かばかり蘇った、フィリアのためらい/心。
しかし……すぐに虚ろが覆い尽くしてきた。
その突端を引き戻さんと、すかさず言葉を差し込んだ。
「万が一、お前の妄想がすべて当たってるとして、だ。彼女と
後生大事に抱えているソレ、彼女にとってはまだ彼。……糸口はやはり、そこしかない。
「もしも、復活させられるとしても。蘇るのは彼なのか、それとも、
シリカの場合とは違う。彼女のピナは、普通の使い魔でしかなかった。『自分』というものを持っていたとは、少なくともシリカに匹敵するだけの自分を持っていたとは、思えない。
しかし彼の場合は、違う。
あの大猿は明確な自分を持ち合わせていた。しかも、一国の指導者としての強烈な自我を。かえって彼は、限りなく自分を薄められていた、使い魔に操られてしまうほど薄れた自我。さらに致命的なのは、彼とあの大猿の仲はすこぶる最悪だった。……シリカのようになれる可能性は、極めて低いはず。
それでも―――
「―――私にとって重要なのは、
現実の世界で、あの子の姿をした人が傍で、生きていてくれることだけ。……それだけだったの――― 」
―――ヒュンッ。
言い切られるとほぼ同時に、投擲していた。袖口に仕込んでいたワイヤー付きクナイ。
しかし―――パチンッ。
鞭一蹴、弾かれた。
呼吸を読んでの奇襲。しかも狙いは、彼女ではなく彼女が守りたいもの/頭部となき別れた胴体部だ。……ダメージを与えればすぐに消滅する。少なくとも/それだけでも、彼女は目的を果たせなくなるはず。
タイミングは掴んだはずだったが……読まれていた。
「……チィッ!?」
「させないわ」
すかさず、二の手―――。愛剣を握りながら、突貫。……少々のダメージは覚悟の上だ。
真っ直ぐ跳び込んでいった。
そんな無謀な突貫に、予想通り/予測不能な多方向から鞭撃が、叩き込まれてきた。
不意打ちでしかも不安定な態勢だったのなら、吹き飛ばしも【転倒】もありえた。しかし、覚悟をまとっての突進では不可能だ。そんな攻撃では、オレを妨げることなんてできない―――
構わず突っ走っていった。そんなオレを遮るように、一本の鞭撃が胸元まで迫り来た。―――鞭の色合いとは異なる何か、『赤白の短冊のような板切れ』が巻きついていた鞭撃が。
《ソレ》に気づいたときには、もう……遅かった。
胸にソレが触れた時、鞭の衝撃が体奥へと突き響いた直後―――
《爆砕符》___。貼り付けた箇所に小規模な爆発を引き起こす、魔法の短冊。見た目と音の派手さとは異なり、与えるダメージは極微小。しかし、高確率で態勢の崩しと【転倒】を、タイミングが合えば【気絶】まで引き起こせる攻撃・消耗アイテム。
時限爆弾か千切れる・水に濡れる等、スイッチの入り方は様々にある。今回のソレは、強い打撃にゆらいするものだったのだろう。……鞭の打撃のような。
仕込まれた/引き起こされた爆発に、突進は殺された。仰け反らされその場に、縫い止められてしまった。
さらに、その無防備の中、繰り出されていた多数の鞭撃が叩き込まれてきた。
避けることも防ぐこともできず、為すすべもなく叩き続けられていくと―――いつの間にか、元の場所まで押し戻されていた。
「―――つぅッ!?」
「近づかせない」
連続打撃から立ち直り/顔を上げると、今一度フィリアと相対し直した。
しかし今度は、踏みとどまった。……止まるしかない。あまりの鉄壁さに近づくこともできない。
このままじゃ―――。そう焦りが噴き出してくると、気づいた。
ジリ貧なのは、彼女の方ではないか……?
このままオレと戦っても、にらみ合いの持久戦に持ち込むだけ、現に今そうなろうとしていた。援軍がここまできてくれるのは見込み薄だが、来てしまったら彼女の負けだ。オレと援軍達を相手取って逃げ延びれるはずがない。しかも、時間も無い。あの大猿に彼を食べ尽くしてもらわない限り、復活の可能性は0だ。
ならどうして今、行動にでた……?
ここから、今すぐにでも、逃げ出せる算段があるからだ。
(でも、どうやって……?)
ここは【狭間】、フロアとフロアの間にある、どこにも所属しないエリア。
だから、全域が【転移無効化空間】になっている。ここから抜け出すには、歩いてエリア外まで出るしかない。しかし今、その唯一の出入り口は塞がれている。……完全な牢獄だ。
しかし/だからこそ、【狭間】はレッド達の巣窟足りえた。奴らが拠点を持つとなれば、【狭間】以外にありえない。【狭間】のことはオレや攻略組以上に、奴らの方が知悉しているはず。
ならば……ありえるだろう。
この牢獄から抜け出す、奴ら独自の脱走方法が―――
―――トゥルルルル、トゥルルルル……。
突然、奇妙な電子音が、あたり一面に広がった。
「―――やっぱり、仕込んでいたわね」
ソレは、彼女が手を突っ込んでいた
そして―――
「さぁ、約束は果たしたわ。……今度はそっちが守る番よ」
もう誰もいないはずの頭部に向かって、そう命じると―――
頭部だけになった彼から突然、嗤い声が鳴った。
ソレは、本来の彼のモノとは明らかに違うだろう。異質な邪悪さがこもっていた。
その不気味な現象に、一瞬真っ白に/眉をひそめてしまうも直後、浮かんできた。その声音の持ち主が、いったい誰なのか―――。
ソレが喉元まででかかった寸前、フィリアが向き直ってきた。
いや……オレではなかった。
「ねぇ、お猿さん。
今ほんの少し、その人を止めてくれたら、あなたの兄弟と部下たちは助け出してあげるわ」
ハッ―――と思わず、振り返ってしまった/視線を逸らしてしまった。
今まで、状況が分からずだろう、静観していたトビ/無理やり使い魔にした猿たちの幹部の一人。……反旗される考慮は、していなかった。
その心の隙を、突かれた。
マズい―――。やられた。
見えた呆けていたトビからすぐに、フィリアへと向き直るも……遅かった。
「
聞いたことのない呪文が唱えられると―――光の柱。転移時にしか発生しないはずの現象、ここでは発生しないはずの現象。
ソレがフィリアと周囲を包み込むと……次の瞬間、ポリゴンの欠片を残し掻き消えてしまった。
◆ ◆ ◆
―――ソレは、偶然がつないだ奇跡だった。
ここまで計算していたわけでは、なかった。
もう生き埋めの上の手詰まり、何とか生き延びれただけのイッパイイッパイで、次を考える余裕などなかった。ただの偶然、九死に一生。……原因不明は、チートで片付けられることだろう。
だから、勝手に思うことにした。―――まだ繋がっていたと。
ちぎられてもなお、絡まっていた。微かにつなげてくれていた。腐れ縁というには短すぎるけど、そんな奇妙な繋がりだろう。
だから、ソレを残してくれたのが神様とは、言いたくない。きっと/もっと別の何かのおかげだと、信じている―――
『―――おかえり、フィリアちゃん♪
また随分と、キレイになったね♪』
あぁ、やっぱり『コイツ』だったか……。最悪な予想は、いつだって当たってしまう。
「……アレはどこにいるの?」
『アソコに、総督府に隔離されてるよ♪ 部下のお猿さんたちが一生懸命、
そう言うとくっくと、含み笑いをこぼした。
自分たちの戦況が不利になっているというのに、余裕な態度。舞台に参加しているはずなのに、観客であるかのように楽しんでいるだけ、相変わらずの/いつもながらのムカつかせる態度だ……。けど、今はさすがに訝しまざるを得ない。
その自信の源は、いったいなんだ……?
『急いだほうがいいのは……わかってるか。
ソレの耐久値もギリギリだろうけど、あっちの方も攻略組たちが攻めてきちゃってさ♪ こっちは指揮官がいなくなって混乱しちゃってるし、もうすぐにでも―――』
バンッと、崩壊すると茶化してきた。
自分たちの敗北。それは同時に、奴自身の『死』でもある。なのに―――
「それにしては、随分と余裕じゃない。何か策でも……て、いいわ。
そんなこと、どうでもいいことだったわね」
『そう、
僕には関係ない……。すでに/もう、目的は果たしている。
そう言わんばかりの含みに、改めて考えさせられた。奴にとっての目的/際限のない愉しさ、最高にノれる遊びに興じること。しかし、死んでしまったらそれまでだ。今日以降も生き続ける他のプレイヤーたちを尻目に、途中退場……。そんなみみっちい終幕など、求めていはいないはずだ。
死なば諸共、巨大な花火でみなを巻き添えにする―――。そんな最低最悪な自爆なのか? 思い浮かんできた仮説に、ゲッソリと呆れ返りそうになると、
『……とこで
「? ……なんのこと?」
『君の後ろにいる人のこと』
ようやく奴から、切り出してきた。
ココに転移してからすぐに/ずっと、互いに警戒し合っていたが、そんなことはおくびにも出さず。フィリアとの会話に興じてきたが、ようやく指摘してきた。おそらくは/本当に、フィリアがどっちの側についているのか、判断できなかったからだろう。
なぜなら―――
「何をいって―――…… 。ッ!?」
振り返って確認したフィリアが、ようやくそこに、オレがいたことに驚愕していたからだ。あの狭間の地下牢の中、置き去りにしてきたはずのオレが、自分とともにココにいることが。
彼女が驚くのも、無理はないだろう。当のオレ自身も驚いていた。この偶然がつないでくれた奇跡に、鞭に絡まっていた
けど、そんなことはおくびにも出さず。ニヤリと、不敵な笑みを浮かべながら返した。
「―――悪いなフィリア。アンタの願いは、叶いそうにない」
どれだけ犠牲に/切り捨ててきても、叶わない願いというものはある……。そうしてしまったからこそ、叶わないとも言える。
たぶん、オレがここにいるのは、ソレを彼女のど頭に叩きつけてやるためだと……信じている。
切り返せず/動揺のまま、後ずさりしそうになっていたフィリアの代わりに、
『―――ようこそ黒の剣士! やっぱり君が一番乗りだったね♪』
フロアボス以上の黒幕然と、心底愉快そうな顔つき/大げさな身振りも加えて歓迎してきた。
けど、当然オレは、そんなこと嬉しくともなんともない。
あるのはただ、ココに転移してから奴を観察し続けての違和感/疑問/仮説。ソレが確信に至っただけだ。
「ということは、お前が本体……てわけじゃ、ないな」
『ご明察♪
ただ……あんまり壊したくない一点モノ、ではあるよ』
「……はぁ。
相変わらず、お人形遊びが好きみたいだな」
いい加減、卒業したらどうだ? ……ついでに、人生からも。
事此処に至っても、本体は現さず隠れ続ける、呆れるほどの用意周到さ/臆病さ。いい加減、覚悟を決めて欲しいものだ……。遊びの範疇を越えてしまった遊びは、ただ、ドン引きされる冷めたものにしかならないのに。
胸の内で盛大なため息をつくと、ふと疑念がわいてきた。どうして奴は/ここまで、人形であることにこだわってる……?
問い詰めてやろうと口を開き直した―――寸前、フィリアが割って入ってきた。
「―――ここは、私が受け持たなくちゃならないところね」
自分の不始末は自分で取らなきゃならない……。主武装の鞭とサブのソードブレイカーを両手に、いまいちどオレと相対してきた。虚ろに染まった視線も、再びに―――
すぐさま、気を引き締め直した。
浮かんだ疑念は棚上げ、この目前の難敵を/突き崩せなかった障害をどうにかしなければならない。……先の戦いは、オレの敗北だったから。
(それに今は、先よりも状況が悪い……)
どうすれば越えられるか……。守りに徹した彼女は、強い。空いた片手からの冷たさが、嫌な汗をもたらす。
臨戦態勢をとりながら、フル回転で頭脳を働かせていると、
『5分ぐらい稼いでくれれば、大丈夫かな。
それじゃフィリアちゃん、頑張ってね♪ ――― 』
そう残すとジョニーは、彼女が持ってきたソレを抱えて、部屋から退出していった。
第二ラウンドは、その扉の音をゴングに、始まった。
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長々とご視聴、ありがとうございました。
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