黄金の虎   作:ぴよぴよひよこ

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第六十一話

 

 

 公開遠征の日程も決まり、選抜された各々の部隊は今日も訓練と研修を重ねていた。

 一チームまるごと抜擢された部隊は自分たちに求められた能力を伸ばし、個人で引き抜かれた隊員は新たなチームメイトとの連携を学ぶ。

 暦が五月に入り、三門市を出発するのが一週間後に迫る今日では、その研鑽も佳境に入ったことだろう。

 そんな、隊員も職員も多忙を極める中、大河は悠々とボーダー本部基地を歩いていた。

 ぼこぼこと膨らんだビニール袋を右手ごと肩に乗せ、ゆっくりと歩む先は開発室。そこへ我が物顔で入室し、忙しなく動き回る技師たちへの挨拶もまばらにずんずんと最奥を目指す。

 ボーダー内で特に忙しいはずの開発室において、なぜか人気も薄くなる最後の扉を開くと、計器を叩きモニターを睨みつけていた茂森が振り返って笑みを浮かべた。

 

「やぁ大河くん。たったいま最後の調整が終わったところだよ」

「ちーす。そりゃちょうどよかった」

『おっせぇよ! 何してやがった!』

「そう怒鳴んなって」

 

 響く怒声に牙を見せつけるような笑みを返した大河の視線の先には黒いラッド、エネドラ。

 非生物らしくぎょろりとした機械的な単眼は部屋に入ってきた大河のほうに動き、六本脚がかちゃかちゃと音を立てていた。

 エネドラが怒っているのは他でもない、彼自身の重要な進退が今日決まると言っても過言ではないからだ。

 

「あー、もう準備はできてんのか。じゃあちゃっちゃと始めちゃってくれよ」

 

 持っていた荷物をデスクに置き、大河がそう言うと、エネドラが「テメーが遅れたんだろうが!」とまたがなり立てた。

 

「それじゃエネドラ。試してみてくれ」

 

 調整機器に接続されていたトリガーを外し、エネドラの前に置く茂森。

 

『やっとか、よっしゃあ!』

 

 促されたエネドラは、待ちわびたかのように眼前に置かれたそれに前脚を乗せる。

 握ることはできない。が、それは触れてさえいれば事足りるのだ。

 

『行くぜ……トリガー、起動!』

 

 そうして決意とともに告げられた言葉には、確かな意思が乗せられていた。

 

『《トリガー起動開始――起動者実体スキャン、スキップ――戦闘体生成》』

 

 サァ、と砂が流れるような音とともに、エネドラの姿が変化していく。

 

『《実体を戦闘体へ換装――メイン武装、該当なし――》』

 

 かつて見た黒髪が流れ落ちる。かつてエネドラだったものが構築されていく。

 

『《トリガー起動完了》』

 

 起動シークエンスを知らせるオートオペレーションが終了して、しばし開発室最奥の部屋は無音に包まれた。

 エネドラは目を見開いて自分の身体の具合を確かめている。

 手のひらを握る。開く。脚を上げる。戻す。

 頭にも手をやってみると、そこに角はなかった。鏡を見やれば黒く染まっていた眼も元通りになっているのがわかる。

 すべてを確認し終えたエネドラは最後に口の端を鋭く尖らせ、そしてそれを戻すことは終ぞなかった。

 

「はは、ははははは! すげぇ、動ける! 動かせる!! はははははっ!!」

 

 狂ったように哄笑するエネドラとは対照的に、茂森は「うん」と冷静に"実験結果"を見定めていた。

 

「トリオン遠隔供給もしっかり起動しているようだね。これで定期的なチャージなしでもトリガーを常時起動できるだろう」

「おォ、そうか!」

 

 茂森の言葉に喜色ばむエネドラ。

 そう、これは実験である。

 物質によるトリガーの起動。トリオン体からトリオン体への換装。遠隔によるトリオンの供給。

 さまざまな研究の成果としてエネドラのトリガー起動実験は成り立っている。

 それと同時にこれは"報酬"の前払いでもあった。

 アフトクラトルの情報や到達ルートへの助言。そして遠征への同行へ向けてある程度の自由を与えられたのだ。

 

 きっかけは単なる呟きだった。

 黒トリガー『泥の王』を取り戻すことを前提に協力を了承したエネドラであったが、取り戻したあとどうするつもりなのか、という話題の流れで大河が呟いたのだ。

 

 ――そういえばエネドラ、トリガー起動できねーの?

 

 当初できるわけねーだろ、と一蹴しかけたエネドラだったが、近くにいた茂森は目から鱗とばかりに大河の発言に乗った。

 

「トリオン兵のトリガー起動か。ふむ、レプリカという前例がある以上不可能とは言えないね」

 

 レプリカは自律型トリオン兵であるが、空閑の黒トリガーとほぼ一体となっており、自らの意思でその能力を発動することができた。

 『意思』というのが大事なのだ。トリガーを起動させるにあたって必要なのがそれであるがゆえに。

 その発言にエネドラは目の色を変えた。

 生きている――というよりは自我があるだけ――でも万々歳であった彼だが、人型に戻れるならそれに越したことはない。昆虫のような六本脚ではなく二本の足で歩き、機械音声ではなく自らの口から言葉を発したい。元人間からしてみれば当然の欲求であった。

 当然の欲求だからこそ、それを協力の報酬として言い出すのも当然であった。

 しかしアフトクラトルへの遠征においてエネドラの協力は重要なものではあるのだが、ボーダーとしては正直なところガロプラの存在のほうが大きい。

 そこで大河は茂森と協議した結果、さまざまな実験という名目でエネドラ復活への目処を立てた。

 

 なぜそこまで乗り気になったのか。

 もともと大河はエネドラを一人の人間として扱うつもりだった。という建前はさておき。

 そこには無論のこと、利己的な理由があった。

 もはやエネドラにアフトクラトルへの帰属意識などないのは明白。そしてこれまでの、実験とまではいかないがエネドラの状態を事細かに調べ上げた成果を見るに、彼には古い記憶は失われてはいても新たな情報を蓄積できることがわかっていた。

 この黒い角には元から情報収集のための効果が付随されており、エネドラの自我が保存されていたのに加え、かなりのデータ容量が確保されている。

 つまり、レプリカから吸い上げた情報をまるまるエネドラに乗せ、これまでの単独遠征に連れ出すことができると思い至ったのだ。

 

 レプリカは自身で言っていたように空閑のお目付け役。それを遠征のために引っ張り回すことは難しいだろう。それでもデータさえあればいいと思っていたが、わざわざ計器を叩くまでもなく答えてくれる存在がいるのであれば便利なことこの上ない。

 現在のエネドラは大河とも趣味が合うため、殲滅できそうな国を自分から提言してくれそうな部分も好ましかった。

 

 そして、近界国家を能動的に、より効率よく攻撃できる可能性が上がるならば、茂森という男がそれに乗らないはずがないのであった。

 エネドラ復活実験はまずノーマルトリガーを起動できるか否かから始まった。

 結果は可。

 ラッドの状態でトリガーを起動すればラッドの姿のままトリガーは起動できた。

 が、数秒もないままトリオン切れを起こして――語弊のある表現だが――エネドラは昏倒した。

 

 現状エネドラは小型のトリオンタンクを装着しているのだが、トリガー起動に際してその貯蔵量をほぼ一瞬で使い果たしてしまうのである。

 かといってトリオン供給用のコネクターを接続したまま起動することはできない。ふつうに切れる。

 そこから茂森たちはラッドが持つトリオン遠隔吸収能力を使って、周辺からトリオンを得ての起動を実験してみたが、これもうまくいかなかった。

 トリガーを起動すると、本体であるラッドはホルダー内に格納されてしまう。そしてホルダー内へ影響を及ぼせるのは己の戦闘体のみ。

 トリオン供給機関を持たないエネドラにトリガーを起動させるには、戦闘体自体にトリオン吸収能力を搭載する――ある意味では戦闘体の究極系とでも言えるようなそれを実現させる必要があった。

 しかも、通常のラッドの吸収量ではまったく足りない。

 言葉にしてみると、ラッドをまるまる一体装着した戦闘体を構築する必要があり、コストがかさむそれを維持するのにはラッドの能力では不足してしまう、というもどかしい状況なのである。

 

 最終的に手を出したのはアクティナから奪ってきたトリガーとその技術であった。

 外部からのエネルギー供給を得ることで無限の稼働を果たす科学国家のトリガー。

 特殊な波長でのエネルギー送受信を行っているとみられていたこれらは、開発室の解析により、供給源と同一のトリオンをとある波形で照射することで戦闘体や武器トリガーへのトリオン送信を可能にしていることが判明した。

 

 つまりアクティナ軍が使っていたトリガーはすべて、個人の自前ではなく星から汲み取ったトリオン(あるいは相似エネルギー)で構成されているのである。

 それはボーダーには再現できない技術であるが、茂森が目を着けたのは同一のトリオンであれば遠隔供給は比較的簡単である、という部分だった。

 

 ボーダーのトリガーで例に挙げると、スコーピオンを生成し、投げつけたとする。

 手を離れた時点で形状操作はできなくなるが、オンオフ――すなわちトリオン供給の是非は使用者に残されたままだ。供給を遮断しない限りブレードはそこに残り続ける。供給のラインがそこにあるのだ。

 

 茂森はここから発想を変えて、エネドラを構成するトリオンを全て大河由来のものにし、供給源も大河のトリオン器官とした。疑似的にエネドラを大河のトリガーとして扱うことで円滑なトリオン供給を可能としたのである。

 そして完成したエネドラの戦闘体には耐久力がほぼなく、武装もまたない。その節約分でトリオン受信用コアを構築し心臓部にはめ込んでおり、疑似供給機関としている。ちなみに服装は彼が元から着ていた黒のボトムにだぼっとした紫のシャツだ。エネドラ自身が指定したあたり、彼なりのこだわりがあったのかもしれない。

 

 こうして、エネドラは再び己の足で大地を踏みしめることができるようになったのだった。

 

「ほらよ」

「あ? んだこれは」

 

 大河が持ち込んできていたビニール袋を放る。

 それなりの重さをしていたそれを受け取ったエネドラは怪訝な顔をしたが、中身を見て狂喜乱舞した。

 

「うおお! こりゃ玄界のリンゴか!?」

「快気祝いってやつだ。好物なんだろ?」

「気が利くじゃねぇかよタイガ! まさかまたリンゴが食えるとは思ってもなかったぜ!」

 

 子どものようにはしゃぐエネドラを見て、大河も邪気なく笑った。ここまで喜ばれては、買ってきた甲斐があったというものだ。

 がさごそと袋を漁ったエネドラが赤々と熟したリンゴを手に取り迷いなくかぶりつく。

 

「うンめえぇぇッ!」

「そりゃよかった。適当に高いやつ買ってきたからな」

「やべぇな玄界、正直舐めてたぜ!」

 

 順調に"こちら側の世界"に抵抗感を失くしつつあるエネドラを見て大河がほくそ笑む。本体がラッドなのに食ったものはどこへ行くのだろうか、という疑問も浮かばなかった。

 

「そんなに美味いのか?」

「おォ」

 

 もっしゃもっしゃと咀嚼するエネドラに興味本位で尋ねたところ、アフトクラトルでは果物というものが基本的に高級嗜好品であるとのことだった。

 農園には広大な敷地が必要になり、必然的に主要な街から離れた場所に作らなければならなくなる。そしてそれを守る一般市民と農作物護衛用トリオン兵を巡回させるには金がかかる。

 ついでに言えば野生動物を勝手に狩ることも禁止されているため、どうあがいても獣害や鳥害が免れないらしい。

 そんな中生き残った果物も基本は料理や酒に使われ、ごく一部の糖度が高いもののみが純粋な果物として売りに出されるようだ。

 

 そういった事情がある国で育ったエネドラには、日本の農家が何代も重ねて品種改良していったリンゴが大層美味く感じられたことであろう。噛みしめる度に甘酸っぱい果汁があふれ出るのをじっくりと楽しむように、しかしあっという間に食べ終わってリンゴの芯だけが残った。

 

「っはぁ~……」

 

 そしてうら寂しそうなため息をつき、その芯をぐりぐりとつまんでいじり、

 

「オレ玄界に永住するわ」

 

 そんなことをのたまうのであった。

 

「はええよ、決断が」

 

 からから笑ってエネドラに突っ込み、自分もリンゴをひとつかじりつつキャスター付きの椅子に腰を下ろす大河。

 エネドラが復活できた以上、彼にはアフトクラトルへの遠征よりも先を見越してもらわねば困る。これから先、エネドラに待っているのは近界国家についてのデータ集積、端的に言えば勉強……であるが、それにはまず、やはりアフトクラトルに持っていかれてしまったレプリカの奪還が重要となるだろう。

 そのためには、と。大河は二つ目のリンゴをエネドラに放りつつ語る。

 

「アフトクラトルまでの航行ルートは覚えたか? 俺はガロプラはあんま信用してねえからよ、ちゃんと働いてもらわねえと困るぜ」

「あたぼうよ。オレの記憶だけだと不安があったが、ガロプラとレプリカ、だったか? そいつが残したデータがあれば問題ねぇ。あとはどこに出るか、だな」

 

 がしゅりとリンゴをかじると果汁があふれ、エネドラが嬉しそうに口を拭う。

 エネドラが言う「どこ」とは、アフトクラトルの"領地"の問題であった。

 ボーダーの目的であるC級隊員は、当然ハイレインの領地にこそ囚われていることだろう。あの男こそがアフトクラトル四大領主の一人であり、広大な国土のおよそ四分の一を支配している。

 その他の四分の三は別領主のもの、そして領主は戦争時以外は敵対関係にある。

 ゆえに他領地に潜入したり、攻撃したりする意味はないのだ。

 

 だが問題が一つあった。

 アフトクラトルの艇でしか突入先を選択できないのである。

 これはアフトクラトルの防衛システムの一環であり、同時に公平を期すためのものであるらしい。

 侵入してきた敵に対し、その領地の主が優先的に攻撃、ひいては拿捕の権利が与えられる。これは領地の戦力バランスを保つための法であり、領主の力を他に示すためのもの。

 敵を吸収できれば領地を増やすための力となり、被害を被れば信用と権威が失われるのである。

 だからこそ敵の撃破は領主の絶対的な責任として一任され、他の領主はノータッチを決め込む。ボーダーがアフトクラトルへ侵入する場所は、絶対にハイレインの支配するベルティストン領でなければならないのだ。

 

「で、ベル……なんたら領に入れる目途は立ってんのか?」

「いんや、まったく。オレぁ遠征艇の操縦なんざやったことねぇからな」

「おいおい……」

 

 そんな大役を任されたエネドラであったが、彼自身にそんな能力はなかった。

 アフトクラトル製の遠征艇であればゲートを開く先を選べる機能が備わっているが、それがなければゲート生成先の座標を正確に入力しなければならない。

 そんな数値をエネドラは覚えていないし、そもそも艇の操縦すら覚束ないのであった。

 期待はずれな返答に眉根を寄せた大河だったが、エネドラは悪そうな笑みを浮かべた。

 

「でもま、艇さえありゃいいんだから話は簡単だろ? ガロプラを支配してんのはハイレインの野郎だ。ガロプラを押さえてるやつらが乗ってきた艇は、当然ハイレインとこの艇だろうよ」

「あー、そうか。そいつらブッ殺して遠征艇か、データブッこ抜きゃいいのか」

「そういうこった。ガロプラの雑魚どもはアフトから抜け出すのが目的って話じゃねぇか、一石二鳥ってやつだな」

「それもありだなー。突入前に楽しみが増えるのも大歓迎だし」

 

 ふむふむなるほど、とエネドラの提案を咀嚼したリンゴとともに飲み込む。この話は上層部にも持っていくかと思案しつつ、どうせ弾かれるだろうなとも思う。

 ガロプラにあるアフトクラトル遠征艇を襲う際、下手に捕縛を狙ったりガロプラとの拙い連携では、こちらの知り得ない情報網でハイレイン側に強襲が知られてしまう可能性がある。

 ゆえに遠征艇強奪の手段はアフトクラトル兵の殺害になるだろうし、それ以外など大河にとってありえない。

 しかし他の隊員の前で大っぴらに近界民を殺すことは、友好主義の玉狛や第一部隊長の忍田だけでなく、城戸ら上層部もあまりいい顔はしないはずだ。

 なぜならA級上位の遠征経験者らも近界民同士の小競り合いに関わったことはあっても、自ら手を汚した経験はない。あくまで慣れているのは死体であって殺しではないのである。

 

 そういった背景もあり、敵地突入前という重要な場面、アフトクラトルに「打撃」を与える任務であることも相まって、遠征隊員たちに無駄な精神的衝撃や任務に対する忌避感を与えるのは避けるべきだと判断されるだろう。

 総合的に考えて、この話を上に持っていってもアフトクラトルの遠征艇を襲うのはガロプラに任され、ボーダー側は同時に出国。後に情報を渡されるのみになる、と大河は思い至った。

 

「うーん。他に何かいい手があればいいんだが……」

 

 できるだけ近界民を多く殺せるような、そんな手段が。

 などと、持ち得る知恵を絞って邪悪なことを考えている大河の隊員用端末がぶるりと震えた。着信の報せだ。

 その画面に映る発信者を見てやや眉をひそめながら通話ボタンをタップする。

 

『木場か』

「ういっす。どしたんすか? 城戸さんから直で来るなんて珍しいっすね」

 

 通話先は表示されていた名前と違うことなく城戸であった。

 いま言ったように城戸から直通で大河へ連絡が来ることなど、これまで数えるほどしかなかった。それも入隊してすぐの頃、つまりミサキがおらず木場隊が存在していなかった時期の話だ。

 部隊としての命令ならば先にミサキへと送られる。そのほうが確実だし、話が早いのである。

 

 つまりこれから話されるのは面倒事か、と若干大河は警戒するのだった。

 

 

 

 


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