黄金の虎   作:ぴよぴよひよこ

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第五十三話

 

 

 

 ボーダーはガトリンの投降を受けて、その部下たちも捕らえることに成功した。

 ガトリンから部隊固有の通信周波数を聞きだした大河が本部作戦室にそれを伝え、基地から発せられた通信を捉えたガロプラ遠征部隊に忍田が投降を促したのである。

 当初はガトリンの捕縛は認知していながらも通信の内容を信じなかったガロプラの部隊であったが、ガトリン本人による証明暗号の開示と説得によって渋々ではあったもののそれに従った。

 基地中央、遠征艇離着陸場に遠征艇を着底させ、非武装状態で降りてくること。

 そう伝えたボーダーによる厳重警戒のなか、ガロプラ遠征艇は言われたとおりに着陸し、その部隊員たちは無抵抗のまま囚われることになったのだった。

 

 しかし、だ。六人もの捕虜。はっきり言ってその数は多すぎる。

 情報を引き出すだけなら――サイドエフェクトありきではあるものの――二人か三人ほどいれば済む。それ以上は無意味というより、無用だ。

 それを理由に大河は何人かの近界民(ネイバー)は殺処分することを提案したが、さすがにそれは上層部に却下された。城戸も捕虜を無価値と断ずるには早すぎるとして保留とし、近界民たちは狭い仮想空間を檻に一様に閉じ込められることとなった。

 

 

 

* * *

 

 

 

「隊長……なんで、投降なんか……」

 

 何もない空間に押し込められたガロプラ遠征部隊の一人、レギンデッツが俯いたまま言葉をもらす。

 それは問いのようでいて独り言のようでもあった。

 拷問で受けた傷に治療を施されたガトリンは短く嘆息して、これもまた独り言のように呟く。

 

「……予想外のことが多すぎた。玄界(ミデン)は……アフトよりも危険だ」

 

 頼りになるはずの隊長がこぼした弱音のような呟きに、レギンデッツは強く反駁した。

 

「それでも! 任務失敗だけならまだしも、玄界に協力するなんて――」

 

 これは完全なる背信行為である。このことがアフトクラトルに知られようものなら、ガロプラの立場はいまよりさらに悪いものになる。

 ならば任務を遂げられなかったとしても、死んでそこで終わりになったほうがマシ。そういう意味の言葉を叫ぼうとしたレギンデッツであったが、横から副隊長が遮ってそれを諫めた。

 

「レギー。やめなよ。これは隊長の決定だし……僕もこの判断を間違いだとは思わない」

 

 負傷した隊長に代わりコスケロが"交渉"を担当した玄界人との会話を思い出す。

 そこで得た情報は、ガトリンの心を折った個人戦力の話とは別に玄界の脅威を物語っていた。

 ――ここは、玄界の一端でしかない。

 一端どころか、辺境の地とでも言っていいほどの規模である、と。

 事前の調査で市街地にはおよそ30万ほどの市民が住んでいると推測されたが、玄界からすればそれは全体の1%にも満たない人口なのだと。

 

 人口の多さは、国の強さ。

 玄界の全人口のトリオンをかき集めたら、どれだけのトリオン兵を作れるのだろうか。兵士を選別すればどれだけの精鋭が並ぶのだろうか。そう考えただけで怖気(おぞけ)が走る。

 しかも恐るべきことに、この国は日常生活にトリオンをまったく使わないという。

 すなわち、夜の海を漂う国々のように他国の人材を必要とはしないのである。

 それならばガトリンが迫られたという悪夢のような二択も裏付けられる。

 国を落としたところで、玄界はそれを必要としない。ならばどうするのか?

 ……消すのだろう。敵対した以上放置はできまい。かといって玄界は獲得した国民になんら使い道を見出せない。むしろ邪魔でさえあるのかもしれない。ならば滅してしまうのが手っ取り早く確実だ。

 なんと恐ろしい国か。これを敵に回すのならアフトクラトルを裏切ったほうがまだマシだとガトリンは判断したのだろう。

 コスケロも賛成だった。消滅させられるくらいなら吸収されたほうがまだいい。弾圧がごとき合併だとしても、少しでも民が生き残れる可能性に賭けたい。

 

「副隊長まで……!」

 

 しかしレギンデッツにはまだ納得がいかなかったようだ。

 彼も理解はできた。本当に玄界がアフトクラトルより危険な国であるのなら、どちらについたほうがいいかなんて考えなくともわかる。心身ともに剛健たる隊長が玄界の力を実際に見せつけられてそう思ったのならそれは事実でもあるのだろう。

 けれども彼は今回の攻撃において玄界の兵と直接戦闘を行っていない。自分の戦闘用トリガーすら起動していないのである。

 陽動と誘引。それが彼に任された役割であり、作戦の要。だが全力を出せなかったことが彼の納得を妨げていた。

 ただやられただけ。いいようにあしらわれ、捕縛されただけ。これではなんのために来たのかもわかりやしない。祖国のためか、アフトクラトルのためか。それすら判然としないのだ。

 

「オレは……納得なんてできねぇっスよ!」

「レギーあんたいい加減にしなよ」

 

 床を叩いたレギンデッツを、ウェンが憮然とした声音で諫める。膝を抱いて座ったまま、わめく仲間に鋭い視線を投げつけた。

 しかしその裏で、内心彼女もまた己がなんの役にも立たなかったことに憤りを感じていた。

 突然の『虎』の強襲。天井から降って湧いたそれに踏みつけられ、何がなんだかわからないうちに首をもがれた(ヽヽヽヽ)

 足止めの「あ」の字も出ることなく撃破され、そのうえ脱出機能を露見させてしまったのである。その失態が隊長の捕縛にも繋がっているとなれば、彼女が抱く自責の念の大きさは言わずもがなだろう。

 けれども、いま話すべきは過ぎたことではなくこれからのこと。ちらりと隊長に視線をやって、ウェンはぼそりと尋ねる。

 

「でも実際、あたしたちはこれからどうするの?」

 

 どうなるの、とも聞こえたそれに、ガトリンは残った右手で眉間のしわを揉みながら考える。

 ガロプラが存続するための道はある。しかしそれが正しい道なのかはわからない。

 アフトクラトルの脅威、玄界の戦力、ガロプラの現状。負傷の熱に浮かされる思考は混沌としていて、頭の中ですらまとまらなくなっていく。

 

「策はある。だが、もう少し考えさせてくれ……」

 

 

 

――――――

――――

――

 

 

 

 敵性近界民の無力化に成功。しかし大河の機嫌はそこまでいいものにはならなかった。

 それというのも、結局一匹たりとも手にかけることができなかったからだ。

 殺してやらない(ヽヽヽヽヽヽヽ)と決めたのはガトリンだけ。残りの有象無象は憂さ晴らしの足しにでもしてやりたかったのに、ボーダー上層部および城戸はそれを許さなかった。

 そもそもにして、ボーダーは捕虜の近界民の扱いが杜撰すぎる、と大河は憤っていた。呆れている、と言い換えてもいい。

 捕虜たちの手足を折るでもなく、個別に収監もしない。食事は出るし排泄の自由すらあるという。

 ――ぬるすぎる。

 最低でも両手両足は叩き折って、その上で両目も潰しておくのがベストだ。これは近界民を恨んでいるからなどではなく、単にいままで危険回避のためにそうしてきたというだけのこと。

 隙を見せてはならない。目の前に起死回生の一手(トリガー)が転がっていても、それを手に取ることすらできない状態にしておかねば放置などしてはいけない。

 ぬるすぎて、あくびが出そうで、それがまたいらいらを上乗せしていく。

 

 だいたい玄界の軌道周辺にはまだガロプラもロドクルーンも浮かんでいるのだ。

 応援部隊が来ないとは限らないし、そもそもロドクルーンの遠征部隊は現存している。

 とはいえトリオン兵主体のロドクルーンなどボーダーの敵ではないことがすでにわかっているし、であるならば大河はその国に飛んでいって根本から断絶してやればいいとさえ思っていた。

 これもまた、上層部には却下されたが。

 大河の遠征艇も公開遠征に向けてチューンナップと増築が予定されているためだ。いま(ふね)を出すわけにはいかない。これは最優先事項であり、決定した城戸にも覆すことのできない絶対のもの。

 さすがの大河も遠征艇なしに単独による星間飛行などできはしないので、渋々それには従った。

 しかしそれはそれとして――

 

「あーあ、つまんねー」

「だよねぇ! せっかく近界民を捕まえたのにさぁ!」

 

 大河のぼやきに大声で反応したのは茂森だ。

 ガロプラ遠征部隊を拿捕した翌日のいま、彼らは開発室の最奥――ほぼ大河のトリガー関連専用スペースになりつつあるそこで、トリガーのチューニングをかねて雑談を交わしていた。

 近界民をどうこうしたいという話のネタにおいて、大河の会話の相手を務められるのは三輪を除けば茂森しかいない。というよりも、こういうときは殺しかた(ヽヽヽヽ)にこだわりなどもっていない三輪より茂森のほうが乗ってくるのである。

 ……ちなみにミサキにぼやいても「グロい話すんなゲス兄貴」と一蹴されるのみだ。あくまで彼女は大河の手伝いをしているだけであって、近界民を殺戮することをいいことだとも悪いことだとも思っていない。しかし嬉々として内臓を見せつけられるのは御免被りたいのである。

 ともあれ、捕獲した近界民の行く末を、一匹を除いて上層部にかっさらわれた大河はこうして茂森に愚痴っているのだった。

 

『しっかし、部隊まるごと捕まえちまうとはさすがのオレも予想外だったぜ』

「まあ、なあ。運はよかったぜ、『雷公』も完成してたしな。あれがなきゃふつうに逃げられてただろうし」

「備えあれば憂いなし、ってね。この調子で他のトリガーも調整を進めていこう」

 

 エネドラも会話に交ざり、ここにボーダー内でもっとも危険な思想をもつ三人が揃った。三輪がいれば四天王と称してもいいかもしれない。

 余談だが大河の放電トリガーは茂森によって『滅雷公(ルインメイカー)』と名付けられた。略称は『雷公(らいこう)』。余談の余談にはなるが、大河本人はトリガーの名称などどうでもよかった。がしかし、ミサキが提案した『クソ兄貴危機一髪(ハッピーエンド)』だけは断固として拒否した。ぜんぜんハッピーじゃないしエンドなどしてたまるかと紙――しかも正式書類――に書かれたそれをぐしゃぐしゃに丸めて捨てたのであった。

 

「でも、城戸司令も慎重だよねぇ。情報を引き出したいのはわかるけどさ、六人も捕まえたら二、三人くらいは見せしめ(ヽヽヽヽ)にしてもいいと思うんだけど」

「それな。下っ端は大した情報も持ってねえだろうし、生かしとく価値なくねえ?」

『イヤイヤ、価値はあるだろうよ』

 

 どや顔――のような雰囲気――でエネドラがそう言うと、二人は興味深そうに「どんな?」と尋ねた。

 

『自分は何されても喋らねぇってやつは結構いるからな。そういうときは目の前でお仲間を削るのが効果的だろうよ』

「ほほー、なるほどね」

「そういやそういうのはやったことなかったなー」

 

 明るく話すにはあまりにも極悪なそれ。

 しかしこの場に他の人間がいないために誰に突っ込まれることもなく会話が進んでいく。

 

「試してえけどなー。ガトリンってやつ以外は手ェ出せないもんなー」

「じゃあそいつを拷問すればいいんじゃないかい?」

「や、あいつが隊長だし一番情報持ってそうなんすよね。だから意味ないっていうか。でも似たようなことはしようと思ってたけど」

『似たようなことだぁ?』

「あいつの目の前でガロプラって国ぶっ壊そうと思ってたんだけど、城戸さんたちに止められてな」

 

 過激な発想にエネドラが前脚を器用に打ってげらげらと笑う。

 

『ぎゃはは! そりゃ面白そうだな。オレぁ賛成に一票入れるぜ』

「私もぜひ見てみたいねぇ、その花火」

『あん? ハナビってなんだ?』

「花火っていうのは色のついた火がつく火薬を詰め込んだ砲弾でね、夜空に撃ちあげると綺麗な華が咲いたように火薬が飛び散るんだ」

『ほー。タイガの砲撃に色がついた感じか』

「だいたい合ってるね。もっと細かく飛び散るから華のように見えるんだけど」

『いいねぇ、ガロプラ花火(ハナビ)。見てみてぇぜ』

 

 いまも楽し気に会話しているように、元近界民であるエネドラと茂森はそれなりに仲がいい。

 茂森にとっては己のすべてを奪った近界民など「死んだ近界民も悪い近界民」と断じてしまいたいところではあったが、エネドラはそれなりに有能なうえ、大河と協力体制を組んだいまではきちんと味方として認識している。

 

 しかしなにより四年半前の第一次大規模侵攻がアフトクラトルによるものではないとわかったのが大きいだろう。

 エネドラの言によれば、それ以前からちまちまと玄界で人を攫ったことはあったものの、四年半前となると周期も違うし記録にも残ってない、とのことであった。その当時はちょうどガロプラに攻め込んでいた時期でもあり、自分も参加していた、とも。それに大規模な侵攻となれば当時から試験運用中であったラービットを確実に投入しているはずだ、というのも情報の信頼度を上げている。

 

 ボーダーの調査では第一次大規模侵攻において使用されたトリオン兵は、バムスター、モールモッド、バンダーといったどこの国も使用しているものであり、おそらくは"こちらの世界"のトリガー技術が遅れていることを知り、国の特定を防ぐために普及率が高いそれらをデフォルトのまま使っていたとみられている。

 その点について茂森は納得し、エネドラを真っ向から嫌悪するということはなくなった。

 これは彼の独特な考え方によるものもある。茂森の思想は、大河と三輪のちょうど中間あたりとも言えるものだ。

 法に縛られないからこそ近界民に直接的な復讐を果たしたい。そして近界民とは危険な存在のため、できれば根絶させたいが、最優先すべきは大規模侵攻を引き起こした国。

 大河は無差別に、三輪はすべてを、そして茂森はその中でも特定の国を――殺したいのである。

 

「あーあ、せめて一匹くらい報酬でくれたってよくねえか? 捕獲できたの俺のおかげじゃん」

「そこは私も同意できるんだけどねぇ。ま、大河くん風に言うなら『より多く殺すため』に我慢ってところかな」

「はあ、ガロプラだけは別ってことにしたいんだが」

 

 諦めきれない様子でぼやき続ける大河。いじけたように床を蹴るとパソコンチェアのキャスターがからころと音を鳴らして転がった。

 彼にとって殺害とは過程であって、トリオン器官を抉り出すことこそが目的である。だが遠征艇に手を出したガロプラの連中に対しては前言を撤回して、ただ単に腹いせで殺したいと思っているようだ。とはいえ上層部の決定にはさしもの大河も逆らえない。とくにいまの慎重になって然るべき状況においては。

 そんな大河を見ていたエネドラは『ふぅん』と鼻――は存在しないが――を鳴らしてから、あたかも面白いことを思いついたように前脚を打ち鳴らした。

 

『じゃあよ、こういうのはどうだ?』

「あ? どういうのだよ」

玄界(おまえら)はアフトクラトルまで行きたい。いまそのために遠征艇を改造してる。んで、一番の問題は二隻の(ふね)の足並みを揃えることだろ?』

「あー、そうらしいな」

「だね。大河くんの遠征艇はほぼノンストップで進めるけど、もう片方はそうもいかない。かといって連結させるのも難しいし、大河くんの出力に耐えられる供給器とシステムをいまから造るのもあんまり現実的じゃないからねぇ」

 

 大河用に造られたあらゆる機材は、完全に一点物の特注品(フルオーダー)である。

 戦闘用トリガーをはじめ、基地の貯蓄用トリオンタンクやその接続機器ですら他にはないワンオフパーツであり、もう一隻の遠征艇にそういった機材を組み込もうとすると根本から建造しなおさなければならなくなる。つまり、時間が足りないのだ。

 それでそれがどうした、と大河が尋ねると、エネドラはにやりといやらしい笑み――やはり雰囲気――を浮かべてこう言った。

 

『ガロプラの連中を"燃料"にしちまえばいい』

「! あー……」

「なるほど、それは……」

 

 つまりはトリオン器官を引き抜いて、そのまま遠征艇に接続する。もとから乗り合わせる隊員の保有トリオンも含めれば、トリオン器官の四、五人分あれば補給予定地であった二国くらいはショートカットできるだろう。

 そして、トリオン器官を引きずり出すには心臓ごと抜き出すほかにない。トリオン器官とは、手術によって取り出すことができないためである。つまりは間接的にだろうが連中を殺せる、ということだ。

 

 トリオン器官は心臓の横にあるということだけがわかっているのだが、人によって正確な位置はまちまちであるし、そもそも目に見えないため完璧な切除は不可能とされている。大河のサイドエフェクトを用いればもしかしたら可能なのかもしれないが、医療知識など持ち合わせていない彼にメスなど持たせたところで殺してしまうことには変わりないだろう。

 それ以前に、トリオン器官のみを完璧に抜き取られた人間がどうなるかもいまだ不明である。

 そのまま生き続けられるのか、それとも死ぬのか、それすらわかっていない。

 いまのところトリオン器官の強弱によって引き起こされる人体への影響は、サイドエフェクトのように脳のほんの一部が変質することだけとされている。

 それ以外にはどれだけ過酷な運動をしても、精神的な疲労を感じたとしても、トリオンの増減は起こらない。人体はトリオンを生み出す器官はあっても、トリオンを消費する器官を有していない、というのが現在の結論である。

 

「それは考えてなかったなぁ」

「つーかできるんすか?」

 

 エネドラの提案を受けた茂森が思案顔で顎に手をやった。

 ボーダーには剥き出しのトリオン器官(と心臓)からトリオンを抽出する技術がない。だがラッドが行うように極至近距離から吸い取ったり、供給器を取りつけて吸い上げる形ならば可能であり、それらを応用すれば見様見真似で実装はできるかもしれない。

 しかし仮に可能だとしても、上層部はけっして許可を出さないだろう。いかに近界民が人権を持たないといっても、あまりに非人道的すぎる。大河のような存在がいる時点で矛盾しているかもしれないが、それをおいてもエネルギーの供給法は秘匿するには根本的すぎて隠しようがない。いまでもトリオンという概念が対外的には隠されたままだというのに、人間の心臓から得ている、などと公表できるはずもなかった。

 

「まぁ、仕組みくらいなら思いつくよ」

「へーえ、そういう使い道もあるんだな」

 

 なるほどなるほど、と頷く大河。

 そんな彼が近界民から抉り出したトリオン器官をどうするかといえば、しばらく香りを楽しんでからの廃棄である。有体に言えばポイ捨てする。

 大河にとってトリオン器官とは嗜好品だ。他に煙草も酒も嗜まないが、その代替品ともいえるのがトリオン器官であった。

 鮮血とともにほとばしる生命の香り。それは抉った直後がもっとも芳しく、時間が経つごとに失われていく。そして血が酸化して鉄臭くなるころには、味のしなくなったガムを吐き捨てるかのようになんのためらいもなく投げ捨てる。

 大河はトリオン器官の匂いの変化を大気との反応による劣化と考えていたようだが、エネドラと茂森の話を聞く限りではそうではなかったらしい。もしくは特殊な保存方法があるのかもしれない。そこのあたりはバムスターでも解体すればすぐにわかることだろう。あれも捕まえた人間のトリオン器官を奪って保管する機能がついているはずだ。

 

『いい案だろ?』

 

 得意げに脚を鳴らすエネドラに、大河は顎をさすりながら頷いた。

 

「次の遠征会議あたりで提案してみるか……。どうせ忍田サンあたりがうるさいんだろうけど」

「ははは。たしかに忍田くんの考えは甘いからねぇ。防衛重視とは聞こえがいいけれど、近界民を絶滅させなきゃ戦いは終わらないっていうのに」

 

 防衛というのならば、攻めてくる元を断つべき。人類の安全を確保するためには、次元の向こうの生物を完璧なまでに一網打尽にせねばならないのだ。

 やれやれと肩をすくめる茂森に、しかし大河は鼻を鳴らして口を挟む。

 

「俺はそこらへん、どっちかってーとシゲさんとのほうが相容れないけどな。俺は近界民が絶滅したら困るほうの人間なんで」

 

 茂森を否定するようにそう言いきった。

 これまでの会話や行為と矛盾するようだが、大河は近界民の絶滅を望んでいない。むしろ近界民は多ければ多いほどいいとさえ思っている。

 もしボーダーが本格的に近界へと進出し、近界民を完全なる絶滅にまで追い込んでしまったとしたら、大河はとても困ってしまう。その胸に抱く殺人衝動のぶつけどころを失ってしまうのだから。

 近界民とは人間の代替品。そう思っている。

 近界民を殺しトリオン器官を抉りたい。間違いなくそう思っている。

 その上で、近界民には絶滅してほしくないのである。少なくとも向こう十数年くらいは。

 

「ふふっ」

 

 自身の思想に真っ向から反対された茂森はしかし、それでも笑って大河の肩を叩いた。

 

「それでもかまわないよ。いつでも目の前の近界民を殺したいと思っているのならね。ああでもでも、四年半前の下手人を見つけられたら、そいつらだけでも根絶やしにしてほしいなぁ」

 

 茂森は復讐に囚われてはいても、冷静に物事を計れるリアリストであった。

 全近界民の完全な殲滅。もしそれを本当に実行するとなれば、百年単位の時間がかかる大事業となるだろう。"こちらの世界"の宇宙を観測しきれないように、近界の果てもまた観測できていないのだから。

 レプリカがもたらした軌道配置図にあるだけでも未踏破の国が数十も浮かんでいるというのに、未だ計り知れぬ暗黒の海にはさらなる未知の世界が広がっているのだ。

 根絶は難しい。そして最優先されるべきは復讐。そこをはっきり見極めている茂森にとっては、大河のいまのセリフも別段裏切りだとは捉えていなかった。三輪であったならどうだったかはわからないが。

 

「ま、それくらいならな。どうせ近界民はまだまだいるし、シゲさんには世話になってるしよ」

 

 もともとガロプラだって消すつもりだったのだ。国の一つや二つ消したところで近界民は絶滅なんかしない。だいたい、これまでも壊滅状態にまで追い込んだ国はいくつもある。

 

「ありがとう。大河くんは素直ないい子だねぇ、孫が生きていたら嫁にあげたいくらいだよ」

「それ反応に困るからやめてくださいよ……」

「そうかい? じゃあ新しい拷問用トリガーの草案があるんだけど試してくれない?」

「それもマジでやめろ。いや本気(ガチ)で」

 

 そうかー……と気落ちした茂森をなんとも言えない表情で見ている大河。

 そこへ、珍しくも専用スペースに入ってきた人物が現れて彼に声をかけた。

 

「おう木場、ここにおったか」

「んあ、ぽんきちさん? なんかあったんすか」

 

 現れたのは鬼怒田。彼もこのスペースによく入る――入らざるを得ない――人物の一人である。

 別段急いでいるようにも怒っているようにも見えないが、いつもよりどす黒い隈が目の下で存在を主張していて、強面の鬼怒田をより恐ろしい風貌に仕立て上げていた。

 

「上層部の都合がついたんでな、捕虜の尋問を始めるから来い。今回はランク戦と防衛任務で他のサイドエフェクト持ちは来られんから、おまえの妹も一緒にな」

「あー了解っす。ミサキには俺から連絡しときますんで。近界民はどれ(ヽヽ)を連れてくんです?」

「おまえが捕まえたやつだ。隊長格って話だったからな」

「あいあい。連行は?」

「三輪に任せておる。おまえは妹を連れて一号会議室に来ればええわい」

「了解」

 

 短く答えて隊員用端末を取り出す。

 ガロプラ遠征部隊を拿捕して翌日の今日、普段から忙しいボーダー上層部がこれだけ早く都合をつけられたのも、今回の緊急性を如実に表しているだろう。ガロプラの連中は無力化すれどもロドクルーンの動向はつかめておらず、いまも事情を知る隊員たちの中には緊張が保たれている。

 その割には鬼怒田が急いている様子はなかったな、と大河は不思議には思いつつ、とくに気にすることなく通信先一覧からミサキを選択した。

 

 

 




 


いつも読んでいただきありがとうございます。
従属国来襲編の終盤をもちまして、完全オリジナルストーリーに入ります。

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