黄金の虎   作:ぴよぴよひよこ

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第五十話

 

 

 

 玄界(ミデン)の遠征艇格納庫。

 そこで対峙した玄界の兵に、ガロプラ遠征部隊隊長・ガトリンはひどく困惑していた。

 ウェンを仕留めた『虎』。おそらくは玄界の最精鋭ともいえる兵。

 それはいい。しかし、その兵の様子がどうにもおかしかった。

 玄界の民に手を出せば、玄界の戦力はガロプラに向く。そういう判断のもとに開始した軍事施設へのピンポイント攻撃。しかし目の前の男は、まるで親兄弟を殺されたかのような怒りを剥き出しにしてこちらを睨んでいる。

 侵攻してきた自分たちに対して怒りの感情をもつこと自体に不思議な点はない。どのような規模であれ攻撃は攻撃、生活を脅かす輩には誰もがそうした思いを抱くはず。

 けれどもここまでの激憤ははっきり言って異常だ。なんせまだガロプラはなんの戦果も挙げていないのである。そのうえ玄界の戦力はこちらをほぼ完璧に迎撃することに成功している。

 想定以上の戦力差。ガトリンは優位に立ったからこそ顕れる隙を突こうと画策していたのに、目の前の敵はそれを簡単には許してはくれそうになかった。

 

「おまえら」

 

 きつく結んでいた口を開いた男は、凝縮した怒りを絞り出すようにその言葉を紡いだ。

 一音一音に滲むどす黒い感情。ガトリンたちは何が起きても反応できるように体勢を整える。

 

「遠征艇を壊しに来たんだってな……?」

「……!」

 

 ガトリンはほんの僅かに目を見開いた。

 ガロプラの目的。アフトクラトルを追撃させないための局所攻撃。

 なぜこの男がそれを知っている?

 いや、予想はつく。予想されたという予想。そもそもこの地下格納庫には遠征艇しかないのだから、ここに来た目的などそれの破壊しかありえないだろう。

 だがいまの質問には、確たるものがあった。すでに知っていることを確認するような、そんな色合いの問いであったのだ。

 

 ――玄界側が基地に侵入されてからも静かに誘導を続けたのは、それがあったから?

 

 向けられた怒りとは別に、悪寒が背中を走る。

 ここまで明確に作戦が暴かれているとなると、アフトクラトルの捕虜がこちらの情報を吐いただけとは考えにくい。「敵遠征艇の破壊」はこちらの遠征艇内で決めた作戦だ。部隊の誰かが内通でもしていない限り、玄界の兵がそんな言葉を吐くことなどできるはずがない。

 

(どういうことだ……?)

 

 ガトリンは身内を疑いかけて、しかしすぐさま疑念を振り払った。

 彼らはみな優秀な隊員だ。部隊を編成するにあたって、自らの目と耳で人と成りを確認してから仲間として選んだのだ。あの中の誰もが裏切りなどという行為に走るとは思えない。

 何より利がないだろう。玄界と通じて得られるものなど、何もない。せいぜいがアフトクラトルへの意趣返しくらいだが、マザートリガーを押さえられている以上、その結末は破滅にしかならないのだから。

 

「…………」

 

 ゆえに、ガトリンは言葉ではなく、行動で答えを示した。

 トリガー起動。『処刑人(バシリッサ)』生成。追加武装にチャージカノンを選択。

 一撃で全てを決めてしまえばいい。多少玄界の恨みを買おうとも、追いかけてこれないのなら結果は同じだ。遠征艇さえ破壊できれば新たな足を作っている間に星は遠く離れていく。……次の周期のことは、考えないようにして。

 充填完了。目標、遠征艇格納庫。

 敵は……動かない。対峙した男はこちらを睨んだまま微動だにしない。

 好機と見たガトリンは固い床にどうにか『処刑人』の爪を突き立てて、チャージカノンの引き金を引き絞った。

 

「……!?」

 

 しかし発射した瞬間ガトリンが言葉もなく瞠目した。

 解き放ったチャージカノンの一撃が突如出現した深緑色のトリオン塊に弾き飛ばされてしまったのだ。自分たちが使うシールドにも似たそれをしかし、意味不明な分厚さと強固さに、ガトリンが盾であると認識するまでにしばらくの時間を要した。

 傷ひとつ付くことなく大砲を防ぎきったシールドが、なぜか弾け飛ぶように自壊する。その反響音が消え去ったあと、しばし無音の間が広がり、そこに目の前の男が呟きをもらす。

 

「……殺す」

 

 ぶちん、と音がした。

 堪忍袋の緒だとか、そういう比喩のようなものではなく、極めて物理的な。

 ――まずい。

 それが敵の戦闘体のリミッターが外れる音だとは知る由もなかったガトリンであったが、とにかくまずい状況であることだけは本能で理解できていた。

 危機感が募る。

 怒れる虎の尻尾を踏んだなんて生易しいものではない。これはもはや、いままさに牙が打ち鳴らされようとしている虎口の中に頭を突っ込んだような、馬鹿げているほどに絶望的でしかし、けっして笑えない感覚。

 

 だがその先に起きた現象はさらに輪をかけて理解が及ばないものであった。

 

「こ、ろすゥウウ! こ、こココろすスス……!!」

 

 敵の全身がびきり、みしりと軋んで、ところどころ溶岩が湧き立つように膨張と収縮を繰り返す。まるで悪魔にでも身体を乗っ取られたかのような、あまりにも不吉な兆候。

 ガトリンもラタリコフも、息を飲んでそのさまを見つめていた。

 

 

 

―――――――

 

 

 

 格納された遠征艇内部ではミサキが慌ただしく機器を操作しながら悲鳴をあげていた。

 

「ああもう、やっぱり!」

 

 近界民を見た瞬間に怒りが爆発するだろうと思っていた大河は、ほんの一瞬だけ持ちこたえた。けれども、敵の攻撃に対してはやはりそれを押し留めることはかなわなかった。

 このままでは本当に吹き飛んでしまう。ボーダー基地どころか、三門市そのものが。

 

 大河のトリオン能力は異常。

 それはいまさら語るに及ばないただの事実であるが、いまでもその出力を受け止められるトリガーがこの世に存在しないことは、戦闘体開発者の鬼怒田や茂森、そしてトリガー制御を与るミサキしか知らない隠された真実だった。

 専用に開発された強化戦闘体『フェンリル』でさえ、大河のフルパワーには対応しきれない。

 幾重にも及ぶ拘束、いくつもの同時起動に、複雑な内部機構。そして訓練に一年以上を要した大河の「加減」によってようやくトリガー起動にまで漕ぎつけられたのだ。

 トリオンコントロール――調整や制御が苦手な大河であるが、それでも全くできないわけではない。長い訓練の末にどうにか最低限(ヽヽヽ)を覚えた彼だからこそあの程度(ヽヽヽヽ)で済んでいる。

 

 それが怒りによって失われるとどうなるか。

 間違いなく弾け飛ぶ。『ジャガーノート』のような規格化された爆発ならまだマシだ。完全に我を忘れた状態で、測定さえできないトリオンが流れ込んだ爆弾がどうなるか、ミサキにもわからない。下手をすると本当に三門市ごと消滅する可能性すらあった。

 

『――!』

 

 ミサキが軒並み振り切っている計器に目を剥いている間にも、近界民が差し向けた犬型トリオン兵が二匹、大河にブレードらしき角を突き立てる。

 しかしそんなものでは内蔵された骨に傷すらつけられず、小型のトリオン兵は変容しつつある戦闘体に巻き込まれて、刃を喰い込ませたままもがき続けることになった。

 

『邪魔だ、犬ッころ……!』

 

 大河が左腕に取りついた犬型の頭部を無造作に引き千切る。

 右足に組み付いたもう一匹は床ごと踏み砕き原型がわからないほどに粉砕。木端のトリオン兵ごときでは、もはやまともにダメージを与えることもできない。

 ずしん、と重苦しい音を立てて大河が一歩を踏み出す。それだけで床の亀裂がまたひとつ増えていく。その先にいた近界民は身を竦ませて飛び退った。

 

『こ、ころ殺殺殺殺――』

 

 もはや自我が存在しているのかも曖昧なうわごと。戦闘体は彼が人間であることを否定するかの如く異形と化し始めている。

 二人の近界民はそのありさまに言葉もなく動けないでいるらしい。

 しかしもっとも恐怖していたのはミサキである。

 あの犬型トリオン兵は限界まで膨らんだ風船に突き立った針のようなものだ。頑丈さゆえに破裂はしなかったが、あと何秒それが持つかわかったものではない。

 ――よくもそんな危険なことを。こちとら全メーターが振り切っていてどう対処すればいいのかもわからないのというのに。いや、それよりも。

 どうにかあれを落ち着かせなければならない――

 

「だああ、クソ兄貴が一番遠征艇壊しそうだっつーの……!」

 

 至極もっともなセリフを吐き捨てる。

 しかしぼやいても始まらないし、大河も止まらない。

 いまも徐々に外部調整が弾かれ始めている。

 すでに『フェンリル』へのトリオン供給出力は許容値を遥かにオーバー。ミサキは先ほどブレードを突き立てられた傷口から余剰トリオンを強制排出させてどうにか破裂を防ぐ。

 強化戦闘体に対する拘束たる"皮の鎖"も"筋の鎖"も、とっくに張り裂けた。足を踏み出せば床が割れ、制限が失われた供給量が戦闘体を変形させていく。

 

「拘束を再実行……! ――ダメよね、わかってたけど」

 

 いくら実行命令を繰り返しても、返ってくるのはエラーコードのみ。ミサキはコンソールもトリオン製なのをいいことに、それを両手で力いっぱい叩いた。

 

「外部からの調整じゃ、止めらんない……」

 

 ぼそりと呟きを落とす。

 もはや大河は外からコントロールできるような存在ではなくなってしまった。増水した河川の流れを変えられないように、外部調整では増大しすぎたトリオン量に対して影響を及ぼせない。

 さりとて、支流を作るが如く武器トリガーを起動しようものなら、そこから一気に決壊へと繋がるだろう。ハイドラはいわずもがな、虎爪を発動すれば数百メートルは伸びるであろう上に、けっして折れないそれを振り回したらどうなるか。

 いまの大河を止めるには、物理的か、あるいは言葉によってでしか為しえない。

 

 ではミサキが外に出て大河を止めるか。

 不可能だ。よもやミサキに対して攻撃を加えるようなことはないだろうが、止めることもまた無理であろう。

 さらに言えば、ミサキが敵の攻撃に晒された場合、よりひどい状況になるのは目に見えている。大河が大事にしている二つのもの。その両方に手をかけられては怒りが頂点に向かう速度が何倍にも早まるに違いない。そしてミサキが緊急脱出(ベイルアウト)でもしてしまえば、本当に大河を止める存在がなくなってしまう。

 その本人こそが危険に晒しているのだが……この状況では理解しても止まらないであろう。すでに導火線には火がついてしまっているのだ。火をつけた近界民が目の前にいるとなれば、理性を上回る怒りは消しにくい。

 

 ならば、言葉で止める。

 幸いにして、通信はまだ生きている。大河の呪言のような呟きは遠征艇にも届いている。もう意味のある言葉ではなさそうだったが。

 

「…………」

 

 ミサキが大きく息を吸い込む。

 モニターに映るは人の形を失いつつある肉親。

 あの暴走状態の兄を止める言葉は、彼女でも簡単には思いつきそうもなかった。理詰めなど聞く耳を持たないだろうし、感情で喚いたところで響くかもわからない。

 だから、ミサキはただ思いついたことだけを口から放った。

 

「ちょっと兄貴!」

『…………』

 

 反応はない。

 

「もうやばいって! 止まれ、止まりなさい!」

『…………』

 

 やはり反応は――

 

「止まってってば――お兄ちゃん!!」

『…………』

 

 返答はなかった。が、反応はあった。

 悲嘆するようなミサキの叫びに、膨張を続ける大河の戦闘体がびくりと震えて動きを止めた。

 ――好機!

 ミサキの目がぎらりと輝く。

 兄の耳に言葉が届いた。チャンスだ、唯一にして最初で最後の。おそらく限界は目前。これ以上暴走が続けば、間違いなく弾け飛ぶ。

 何年かぶりにした「お兄ちゃん」呼びを恥ずかしがる余裕もない。なんせまさに命がけなのだから。

 そうしてミサキは力の限り叫んだ。

 

「兄貴! こら! おすわり! 伏せ!!」

《…………おい》

 

 結果的に見れば、この試みは成功した。いや、大成功と言っても過言ではなかった。

 あの状態から持ちなおさせるのに言葉による説得など効果が薄いと言わざるを得なかったが、どうにかこうにか最後の一線を前にして、ミサキの声が彼に届いた。

 モニターを通じる音声ではなく、大河の戦闘体からの秘匿通信が返ってきて、ようやくミサキ――と同時にボーダー――は窮地を脱することができたのだった。

 

 

 

 




 


読んでいただきありがとうございます。
久しぶりにランキングに載ってて驚きました。その影響にも。

今話で判明したこと
「大河はキレると語彙力が下がる」

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