黄金の虎   作:ぴよぴよひよこ

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第四十九話

 

 

 

 首尾よく玄界(ミデン)の基地へ侵入できたガトリンはしかし、不穏な空気を感じ取っていた。

 ――敵がいない。

 侵入した際に敵の(ブラック)トリガー使いによる迎撃をやり過ごしてから、ただの一人も追手がかかっていないのだ。外はあれだけ警戒されていたというのに。

 不気味だ。

 まるで魔物が棲む洞穴を手探りで進んでいるかのような、じとりとしたものが背中にのしかかる。

 

「……誘導されているのでしょうか」

 

 追走しているラタリコフがぼそりと呟く。

 誘導。その可能性はある。

 非戦闘員の居住区や雛鳥の避難場所から離されているだけという可能性。

 事実いくつかの通路は目の前で封鎖されていったし、追手がなくともこちらが探知・追跡されているであろうことは確実。ならば仕掛けるタイミングを見計らっているか、罠を張り巡らせているのか。

 しかしこちらに壁抜け用のトリガーがあることは玄界も知るところのはず。基地に入ってすぐは攪乱のために何回かランダムに壁をすり抜けていたが、やはり追撃はなかった。

 もしくはある程度泳がせて、侵入した目的を探っているのかもしれない。

 

「……そうかもな。だが最短で行かせてもらえるというのなら僥倖だ」

「だね。一気に叩いて一気に引く。それで終いにできる」

 

 ラタリコフと同じく後ろで通路を駆け抜けるウェンが同意する。

 ただでさえ少ない戦力を削らずに目的地まで行けるのなら、それが向こうの狙いだとしても優位なのはガロプラだ。一撃必殺と瞬時の撤退。遠征艇さえそこにあれば、ガロプラにはそれがかなうのだから。

 

 初日にこの任務を完遂することができれば、いま出撃させているトリオン兵もすべて回収して、それを小出しにして玄界を足止めすればいい。そこまで完璧に抑えられたのなら、アフトクラトルのみならずガロプラとロドクルーンも玄界の周回軌道から遠く離れたところまで逃げ切ることができるだろう。

 その前提さえあれば、玄界の民を攫うことだってアリかもしれない――

 そこで、ウェンの思考は途切れた。

 

「――!?」

 

 尋常じゃない衝撃音にガトリンとラタリコフが驚いて後ろを振り向く。

 いま走っている通路はすでに地下。ここを抜ければあとは一気に降下するだけだというのに、このタイミングで追手がかかるとは。やはり非戦闘員がいるだろう区画から離れたために玄界の誘導が終わったということか。

 しかしそれならば作戦のうち。追手はウェンに任せて二人は走り抜けることに専心すればいい。

 

「なんだ、こいつは……!?」

 

 それができなかったのは、現れた玄界の兵が異様に過ぎたからだった。

 どこから現れたのかと思えば、通路の天井をぶち抜いて襲い掛かってきたらしい。この、地下の通路までの、分厚く固いそれを。

 そしてそのままウェンに組み付き、二の腕を両足で踏むように押さえ込み、頭を捻じ切った。――素手で。

 

「見つけたぞ、クソ野郎ォ!!!」

 

 轟と吼える謎の刺客。

 ガトリンは直感した。こいつが『虎』だと。

 そして同時にまずいことになったと舌を打つ。

 武器トリガーも使わずに戦闘体を引き千切るその性能も警戒するにあまりあるが……そんなことより一撃で首をもがれたウェンの脱出機能が発動してしまったのだ。

 

 脱出機能はガロプラにおける最新技術であるが、アフトクラトルとの合同作戦時にはこれを発動する機会はなかったと報告を受けている。それというのも、前遠征部隊がガトリンたち後続部隊に「足止め」の任が与えられるであろうことを見越していたからだ。

 脱出機能は「知られていないこと」がもっとも肝要なポイントとなる。

 他の国にはあまり普及しておらず、最新型のこれはアフトクラトルにさえまだ知られていない秘奥のトリガー。つまり捕虜から漏れることもないはずであるため、ガロプラがこの技術を持っていないことを前提に玄界が迎撃作戦を立てている、とガトリンたちは想定しているのだ。

 しかし玄界がすでに有する技術でもある以上、こちらもその機能を持っていると知られればそれなりの対応をしてくる可能性が高い。

 

 すなわち、脱出機能を無効化する手段を、玄界が確立しているかもしれないということ。

 

 アフトクラトルの『卵の冠(アレクトール)』のような、トリオン体の上からそれを無効化するトリガーないし方法。もしそれらを玄界が持っていれば、この任務の危険度は一気に跳ね上がる。

 脱出機能はできれば一斉撤退にのみ使いたかった。そうできなくとも、露見するのが早すぎた。

 ともあれ、ウェンを責めることはできないだろう。

 『虎』の出現は隊長であるガトリンにも予想はつかなかった。運が悪ければ自分がやられていたかもしれないのだ。

 

「《一気に抜けるぞ、ラタ!》」

「《了解!》」

 

 案の定脱出機能を予期していなかったであろう『虎』が一瞬怯んだのを皮切りに、二人は全速力で駆けだした。

 真っ直ぐな通路には遮蔽物もない。この砦の強固な壁を素手で打ち砕くような膂力の相手なら一息で追いつけるかもしれない。攪乱用のトリオン兵『ドグ』を撒き散らしたものの、それがどれだけの足止めになるかはわかったものではなかった。

 

「《ここです!》」

 

 背中に突き刺さる『虎』の殺意をひしひしと感じながら、二人はどうにか降下用エレベータ上部までたどり着いた。息をつく間もなく壁抜け用トリガーを床に設置し、迷うことなくそこへ飛び込んでいく。

 大口を開けた竪穴区画は薄暗く、それこそ魔物の口腔内に身を投じるような怖気を感じはしたが、化け物に追われた二人に選択肢などなかったのであった。

 

 

 

――――――

――――

――

 

 

 

「チィ、クソどもが……!!」

 

 犬型トリオン兵を踏みつぶした大河は、床ごとひしゃげたそれに一瞥もくれることなくミサキに通信を繋げた。

 

「ミサキ、おまえいまどこにいる?」

《遠征艇。ワープでこっちくる?》

「ああ、頼むわ」

 

 敵の狙いが遠征艇であると判明した時点で、ミサキはオペレーションの場所を作戦室から遠征艇へと変更していた。

 最悪、遠征艇が直接攻撃されるようなことがあっても、ミサキが遠征艇に搭載されたトリガーを発動すればそれを防げるからである。さらに迅や忍田、城戸からも次々と要請が飛んできたのだ。とくに迅からはほとんど泣き言のようなものが。

 暴走する大河を止められる最後の可能性は、妹であるミサキ。

 本人もそれを自覚しているし、読み取れた大河の思考が怒りと憎悪に塗れていて危険だと判断した。

 あれほど怒りを発する兄は彼女も見たことがなかった。いつ、何があっても薄ら笑いを浮かべていた大河はいま、完全に心の余裕を失くしている。

 余裕がないということは、隙が生まれるということでもある。

 だがそれ以上に危険なのは、怒りにまかせたトリオンコントロールがどうなるか、ミサキにもまったくわからないという点である。

 

「よっと」

 

 すとん、と音を立ててミサキが大河の背後に現れ着地する。

 これはスイッチボックスによる瞬間移動(ワープ)。ミサキのそれは専用にチューニングされており、大河の戦闘体に埋め込まれた座標には初期設定で飛べるようになっている。主に遠征艇からの出撃、または収容に際して使用されるもの。

 

「とりあえず遠征艇に行ってからまた出るって感じで」

「おう」

 

 手に持っていたスイッチボックスを開き、手早く設定をいじっていく。

 トリオン兵ごとひびの入った床に木場隊の文様(エンブレム)が浮かび上がると、大河とミサキは揃ってそこに手を着いた。

 

 トリガーが発動する刹那、ミサキは大河の横顔を盗み見る。

 傍目から見ただけではそれほどいつもと変わらないようにも思える。むしろ人を小馬鹿にするような薄ら笑いがないだけマシとも言えた。けれども中身(ヽヽ)はもはや、別人かと勘違いしてしまうほどにぐちゃぐちゃだった。

 火のような激憤と、粘つくような憎悪。合わせてマグマのような感情の塊が大河の中にうごめいている。

 対照的にミサキは背筋が凍るような思いでいた。こんなこと、レプリカを持ち去られたときにさえなかった。

 たしかにあのとき、瞬間的にではあったが大河は怒りの感情を露わにした。しかしそこにはやはり余裕があり、敵の近界民に対して憎悪までは抱いてすらいなかった。

 そうだ。憎悪だ。

 ミサキは思い当たる。

 大河が近界民をその手にかけるとき、彼はおよそ殺意と呼べる感情は抱かない。「そいつを殺す」というのは意思であって意志でなく、そこには喜びしか持ち得ないのである。

 手強い敵、煩わしい反撃に苛立ちを覚えることはあっても、本気で憎むようなことはなかった。

 近界民とは、敵である前に獲物。たとえ害獣と吐き捨てようと、それを狩ってトリオン器官を得ることが目的であるがゆえ、けっして憎悪の対象にはなりえない。はずだった。

 ――「殺したいから殺す」。

 その「殺したい」理由が憎悪だけで塗り潰されている。「殺す」方法が悪意に満ち満ちている。

 そんな兄の姿を見たミサキは、初めて、大河が純粋に怖かった。

 

「――着いたな。あいつらは……まだ降下中か」

 

 すでに動力を起動している遠征艇の駆動音に紛れて、大河の強化戦闘体から発せられる不可思議な音がミサキにも聞こえてくる。

 みしみしと軋む音。ぶちぶちと千切れる音。それはすでに渦巻く激情がもたらす悪影響が出始めている証であった。

 

「ねえ、兄貴」

「あん?」

 

 努めていつも通りに、ミサキが声をかける。

 

「遠征艇が起動してる以上、生半可な攻撃じゃ破壊されることなんてないよ。だから……」

 

 だから、落ち着いてよ。

 だから、気をつけてよ。

 そんな気持ちを言葉にしようとするのがなぜか躊躇われる。

 

「わーってるよ。少しは落ち着いてきたし、なんも問題はねえって」

「……そう。ならいいけど」

 

 嘘だ、とは言えなかった。おそらく本人さえ気づいていないのだろう。

 表面上は落ち着いたようにも見える。けれどもその中に渦巻くマグマはいまもなお噴き出るときを待ち続けているのだ。次に近界民の姿を見た瞬間、それが爆発的に噴出することは容易に想像がつく。

 しかし止められない。止める術を思いつかない。

 現に近界民は遠征艇の破壊を目論んでおり、大河を止めたところでより酷い未来が待っていることなど迅でなくとも予想できるというものだ。

 

「んじゃ行ってくるわ」

「ん」

 

 そう言って遠征艇から出撃していく大河を見送り、ミサキはいつものようにコンソールの前へと腰を下ろした。

 できることはもう、これしかない。大河が敵を迅速に撃滅することをサポートする。それだけに没頭しなければ。

 その先で近界民がどれだけ凄惨な地獄を味わおうとも、それは自業自得というもの。自ら虎穴に飛び込んだ獲物に対して、哀れみはもっても同情などできはしない。そもそもこんな事態になっているのは近界民のせいなのだから、その罪科はその身をもって償うべきだろう。

 ミサキは深呼吸をして、いつものように遠征艇の演算処理装置を大河のトリガーに接続した。

 

 

 


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