黄金の虎   作:ぴよぴよひよこ

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第四十六話

 

 

 

 エネドラと協力を約束してから一週間ほど。

 大河とミサキは発電トリガーの他にも木場隊の力を活かすために新たな実験と訓練を重ねていた。

 度々訪れる三輪とその部隊員たちとの訓練にも明け暮れ、いまや木場隊作戦室の仮想空間はランク戦に勝るとも劣らない激しい戦場と化している。

 実際、激しさだけでいえば(まさ)っているのだろう。何しろハイドラが火を噴くだけで通常のランク戦マップのおおよそ三分の一が消し飛んでしまうのだから。

 

「旋空弧月!」

「威力が足りてねえぞ米屋――っと?」

 

 三門市を模した戦場で米屋の旋空、ではなく幻踊が起動された弧月・槍の一閃を腕で受け止める大河。首に向かって伸びようとするブレードを嫌い、そのまま腕で絡めとって捻じり折る。

 さすがA級部隊というだけあって、三輪隊は大河との対戦で数度の壊滅を受けてからすぐさま戦術を練り上げてきた。

 いまでは無造作にハイドラを撃つだけでは撃破に至らないことも多く、こうして接近戦を許す程度には「戦闘」の体裁を保つまでになっている。

 

「うっは、シールドもなしに止められると凹むな~」

「変なフェイント混ぜてきやがって。やり合う度に面倒くさくなってくるな、おまえは」

「それ褒め言葉で、っしょぉ!?」

 

 力任せに振り抜かれる虎爪。

 会話中にも油断をするなと思い切り横薙ぎに払ったが、米屋は新たに起動し地面に突き立てていた槍に体重を乗せて器用にも身を躱した。それこそが狙いと気づいて顔をしかめながらも。

 

「やっべ、空中はまずい」

 

 ハイドラのあまりに強すぎる火力は、たとえ制限を課されていなくとも極近距離での使用が憚られる。吹き飛ばされる瓦礫にダメージ判定がほとんどなく、仮に当たったとして強靭な強化戦闘体の前では体勢が崩れるようなことがないとしてもだ。

 爆風は匂いを散らし、粉塵は視界を殺す。ゆえに撃つなら空中へ向けてが一番よい。

 

「と、おも――」

「わねえよ」

 

 攻撃の隙に飛来する狙撃も、背後からの鉛弾(レッドバレット)も、すべてを無視して大河はハイドラを撃ち放つ。

 瞬時に芥子粒になって緊急脱出(ベイルアウト)していく米屋。背中に撃ちこまれた弾痕と錘をそのままに振り返ると、ハンドガンを構えた三輪がなんとも曖昧な顔をして立っていた。

 

《くっそー、木場さん強すぎぃ! 秀次、カタキは頼むぜー》

「……ああ」

 

 一応頷きはすれども、この対面で勝てるとは微塵も思ってはいない。

 難敵を前に戦意と尊敬がごちゃまぜになった表情で、三輪はハンドガンの引き金を引く。

 

鉛弾(それ)も小手先じゃ通用しねえぞ!」

「くっ……!」

 

 巨大な爪にすべて着弾し、間違いなく鉛弾が作動しても大河の移動速度はまったくもって揺るがない。

 しかしそれはすでに知るところ。鉛弾の一番の狙いは、脚だ。

 

「――ここっ!」

「おっと……」

 

 振り回される巨爪をぎりぎりで回避しつつ、狙った通りの場所に弾を撃ちこむことに成功する。

 当たったのは大河の右足、くるぶしのやや上だった。

 強化戦闘体の膂力に対して鉛弾の重さという特殊効果はほとんど意味を為さない。おそらく百発以上打ち込んだところで運動性能に変わりはないだろう。

 単純に重さという点で言えば、の話だが。

 三輪が狙ったのは移動自体を阻害する部位への攻撃。脚に横方向の角度から鉛弾を打ち込めば、重石は反対側の脚の動きを邪魔するように生成される。こうすれば瞬発的な跳躍移動はともかく、歩行・走行を阻害して動きを鈍らせられるとみたのである。

 

「……なるほどな」

 

 ちゃんと考えてトリガーを使っているものだ、と感心しつつも、大河は意地の悪い笑みを顔に張り付けて三輪に忠告した。

 

「でも言ったろ。小手先だってよ」

「……なっ」

 

 大河はおもむろに左足を上げると、そのまま右足、鉛弾がせり出した部分に振り下ろした。

 ごぎん、と嫌な音。その一撃で無情にも重石がへし折れる。そうして三輪の狙いは純度100%の力技で無為に帰してしまったのだった。

 そういえば、と三輪は思い当たる。

 たしかに鉛弾が発動した錘は硬い。弧月ですら斬りおとすことが叶わないそれは、当たれば鉛弾の起動者が解除するか被弾者が戦闘体を破棄するまで効果が続く。しかしかつて一人、常軌を逸した使い手がその錘を斬って捨てていたではないか。

 あのアフトクラトルの黒トリガー使いである。

 あれも常識が通用しない使い手であったが、常識が通用しないというなら大河のほうが上回っている。強化戦闘体の出力は実体験した三輪ですら測り知れないものであった。ならば重石をへし折る程度、造作もないのは当たり前。

 

「《奈良坂、援護しろ!》」

《了解》

 

 再び突撃の構えを見せる大河に、離れすぎないように距離を取る。すでに古寺は跡形もなく吹き飛ばされてしまっているため、三輪は唯一残った味方である奈良坂の援護射撃を要請して回避に専念した。

 もっとも警戒すべきはハイドラによる広域・高火力の一撃。

 あの老兵がそうしていたように、大筒はその向きで発射方向が事前にわかる。わかったところで回避ができるかというとそうでもないのだが、大河を前に何も考えずに動くことは、それはもはや死んだも同然なのだ。

 

(この距離ならメテオラはない……。爪に注意しつつ右の大砲を最警戒して、撃った瞬間に左側に回り込む……!)

 

 動く要塞のような大河にあまり近づきたくないのは本音。しかし三輪の持つ射撃用トリガーではダメージを与えられないのもまた事実。

 傷をつけて継続的なダメージを期待しようとも、大河は首と胴が繋がってさえいれば仮に四肢をもがれたとしてもトリオン枯渇による緊急脱出(ベイルアウト)などしないだろう。あれにトリオン切れなどという概念は存在しないのだから。

 ならば一撃で首を落とすほかにない。

 されど伝達脳と供給機関は弧月ですら刃の通りにくい硬さの骨に守られていて、狙うとなると骨の隙間に刃を滑り込ませるという神業が必要になってくる。戦闘中にそんなことができる者がいるとすれば、それはおそらく太刀川かその師匠の忍田くらいのはずだ。

 奈良坂のアイビスならば頭を弾き飛ばせるかもしれないが、威力重視の狙撃銃では簡単には当たってくれないと思われる。

 であればやはり、接近し、喉を掻き切る。これしかない。

 首の横には強固な砲身があるため弧月で攻撃するなら突きに限られてしまうものの、逆に言えば威力の乗りやすい突きであれば刺さりやすく、また骨による妨害も受けにくい。

 

「今日はまた新しいトリガーが完成したんだよ。まあ新しいっていっても既存のものを使いまわしたようなもんなんだけどよ」

「……?」

 

 狙撃を回避しつつ大河が言葉をもらした。

 この男は戦闘中の会話、しかも本物のアドバイスでさえ隙を作るための道具にしてくるので性質が悪い。ゆえに警戒はしつつも、その言葉の真意を知るために三輪は耳を澄ませて続きを待った。

 

「秀次の訓練を引き受けて正解だったな。迅も太刀川もすぐ逃げやがるし。おまえらの諦めの悪さ、嫌いじゃないぜ――ってことで、新型トリガー見ても……折れてくれるなよ?」

「……元より俺が頼み込んだことですから」

「はは、そうだったな。……じゃあ行くぜ!」

 

 三輪の答えに満足したのか、大河が緊褌一番(きんこんいちばん)、両手を広げてなんらかの構えと思われる姿勢をとった。背中からは虎爪と同様の材質とみられる突起……背びれとでも称すべきものが二枚。

 ちりちりと後頭部が焼けるような緊張感のなか、何が起きても即応できるように意識を集中させて三輪が身体に力を入れる。だが、

 

「『バーニア』起動(オン)!!」

「――――え」

 

 次の瞬間には、三輪の戦闘体はバラバラになって空中に投げ出されていた。

 動かすことのできない首の代わりに、眼球を巡らせて何が起きたかを確認しようと必死に努める。

 その視界の端で何かが高速で飛行(ヽヽ)していた。

 

《三輪! っ、ベイル――》

 

 辛うじて聞こえた奈良坂の通信。しかしごく短いそれさえも途切れて、三輪は彼も同じようにやられたのだと理解した。

 

 

 

――――――

――――

――

 

 

 

「っかぁー! また全滅かー!」

 

 何十回目かもわからない部隊壊滅による敗北を受けて、米屋が木場隊作戦室の床に転げてしまった。戦闘結果を示すボードには「木場大河:三輪隊」という他では見られない記述と、三輪単体で挑んだときと同様の一列に並んだ○と×が入れ替わることなく続いている。

 

「しかも空飛ぶとかあり得ねぇー! あり得なさすぎて笑えてくる」

「この前の近界民が使ってたの見てよ、ありゃ便利そうだなーと思ってスラスターとかからなんか作れねえかと開発してみたんだよ、主にミサキが」

 

 あまりにも圧倒的な大敗。しかしそれでもなお笑みを浮かべることができるのが米屋の強みであろう。

 大河もそれを理解していて、わかりやすく戦闘結果から考察を述べた。

 

「米屋も秀次も、俺の首を狙ってただろ。ありゃ正解だ。強化戦闘体を落とそうと思ったらやっぱそこが一番の狙い目になる。でも逆に狙いを絞りすぎて俺が守りやすくなってんだよ」

「うーん、オレも最近は足狙いなんだけどなー。木場さん相手だとあんま意味ないっつぅか」

「俺としては狙撃手に首を狙われるのが一番めんどくさいからな、足を削って首か頭を撃ち抜くほうが簡単だと思うぜ」

 

 自らの弱点をも曝け出してそう言うと、奈良坂が頷きつつも反論する。

 

「……それは開始前の作戦会議でも出たんですけどね、そもそも木場さんはサイドエフェクトで俺たちの位置を把握できるでしょう。だからこそ狙撃は体勢を崩すほうを優先して、前衛組が決める形にしたかったんです」

「まあ、それも有りっちゃ有りだ。ただミサキの制御がないときは俺の砲撃精度はそんなないからな、けっこう近づかれても牽制くらいにしかならねえんだ」

「いや、牽制でもおれは吹き飛びますから……」

「「それはおまえの訓練不足だ」」

「……はい」

 

 大河と奈良坂に同時に切って捨てられた古寺はがくりと肩を落とした。

 最後に三輪のほうに向きなおった大河は、牙を見せつけるように笑って言う。

 

「でもまあ、さすがはA級って感じだな。戦るたびに手強くなってるのを実感するぜ」

「ありがとうございます。……俺たちは、戦るたびに大河さんの強さを思い知らされます」

「ほんとそれなー」

 

 あぐらをかいた米屋がそう締めくくり、大河と三輪隊の訓練はしばしの休憩となった。

 他の作戦室よりもスペースがとられた空間には、三輪隊が来ることを見越して新たに持ってきてあった長テーブルが設置されている。ちなみにずらりと並んだ菓子類はミサキがため込んでいたものを大河が無断で引きずり出してきたものである。

 

「そういや遠征の選抜試験の内容ってまだ決まってないんだっけ?」

 

 もりもりと菓子を頬張りながら大河がそう問うと、三輪はすすっていた茶を飲み込んで頷いた。

 

「はい。でも大河さんの参加が決まった時点で人数的な問題がなくなったので、A級は希望すればほぼすべての部隊が参加権を与えられるみたいです。防衛上、最低でも二部隊ほどは残らなければならないので、倍率が大きく下がった感じでしょうか」

 

 公開遠征は、公開されるというだけあって絶対に失敗が許されない任務となる。市民の期待を一身に背負わなければならないそれは、できる限りの戦力を送ることが前提だ。上位はもちろん、実力がすでに認められているA級ならば順位が一番下であろうとも選考の対象となる。それ自体は通常の遠征でも同様だが、今回はより多くの部隊を引き連れることになるだろう。

 かといって防衛をおろそかにすることもできないので、公開遠征の重要度を考慮し、今回は二から三部隊をこちらに残すことになっている。

 

「あーそうなのか。じゃああんまり順位とか意味ない感じか?」

「そうなりますね。そもそもA級ランク戦はB級の昇格試験と同時に始まるので、今年は選抜試験で潰れるはずです」

「ふうん。ランク戦とかやったことないしよくわかんねえんだよな」

 

 スナック菓子をかじりつつ大河が鼻を鳴らす。

 それを聞いた全員が同時に「大河が一般隊員でなくてよかった」と思った。

 仮に大河がトリオン能力をそのままに通常のトリガーを起動でき、チームを作ったとして、彼はどのポジションについていただろうか。

 高トリオンを活かすポジション……そしてコントロールが苦手なことも加味すれば、おそらくは銃手(ガンナー)あたりか。

 その場合、銃手(ガンナー)というより砲撃手(キャノニア)なんて新しい名前がつけられるかもしれない。影浦隊の北添のようなグレネードガンどころか、連装式ミサイルポッドを抱えてランク戦のたびに仮想フィールドを焼け野原にする化け物が生まれそうだ。そんなもの、間違っても一般隊員と同じにしてはいけないだろう。

 

「と、ともかく、今回は俺たちも選抜試験への参加は確定ってことです」

「そうか」

 

 脳裏によぎった空恐ろしい光景を打ち消しつつ三輪が結論を述べる。

 隊員同士の対戦にさほど興味がない大河は締めくくろうとしたが、三輪隊の面々は逆にそちらのほうに話題を移していった。

 

「今年はランク戦なくなっちまったけど、オレたちいまスゲェいい感じだからいけるとこまでいってみたかったってのはあるよなー」

「そうですね。木場さんとの戦闘は毎回実戦さながらの緊張感がありますし、やはりそういう訓練は身になります」

 

 米屋と古寺が訓練の重厚さに自身が成長している実感を噛みしめる横で、奈良坂も同意して話を引き継いでいく。

 

「A級ランク戦も訓練という観点で見れば経験値は多いんだろうけどな。ただ、どの部隊も特色がはっきりしてるし、結果が変わり映えしないというか」

 

 奈良坂が言うようにA級ランク戦は番狂わせが起きにくい。それは各部隊がそれぞれ強みを活かす術をもっているため、個々人の力量よりも、いかにその戦術に相手をはめ込むかが重要な戦いになりやすいのである。

 戦術訓練としてはいいかもしれないが、戦闘訓練としてはやや劣る。戦況がパターン化されやすいと、戦闘を避けなければいけない場面が多くなるからだ。

 つまり隊員一人一人の錬成は個人(ソロ)ランク戦で補うというのが主な方針となる。しかし狙撃手(スナイパー)には個人ランク戦が存在せず、また三輪や米屋クラスの実力者になるとランク戦の相手も限られてきてしまう。

 そこに降ってわいた大河との戦闘訓練は、三輪隊にとってありがたいものだった。

 オールレンジの攻撃方法と、全員を相手にして余りある実力。戦術、戦闘、連携、すべてを鍛えることができる訓練相手に、三輪隊の練度はたしかな底上げを果たした。文句があるとすれば、理不尽すぎる攻撃力くらいだろうか。

 特殊なS級隊員との訓練によって、彼らは回避行動の技術はかなりのものを習得したといえよう。しかし防御の術はまったくもって身につかない。

 大河を前にシールドなどなんの役にも立たないのだからしかたのないことではある。だがこの訓練だけをずっと続けているとシールドを使わない癖(ヽヽヽヽヽ)がついてしまいそうだった。

 

「しかし古寺の言う通り、緊張感のある訓練はありがたい。木場さんには感謝してます」

 

 些細な不満はなかったことにして、奈良坂は謝意を述べた。

 部隊単位での訓練をする機会というのは、意外と言えるほどに少ない。ランク戦以外でやろうとしたならば、自分たちと他の部隊員たちのスケジュールをすり合わせなければならないし、A級に任される任務は県を跨ぐ特殊なものも多く、そもそも相手が見つからないことがしばしばある。

 けれども大河であれば、一般隊員がかかずらう任務とはほぼ無縁である。会議か開発室に出向いていなければだいたい木場隊作戦室にいる上、それらも長い時間拘束されているわけではない。

 三輪隊のメンバーの都合がつけばいつだって超弩級のS級隊員と訓練ができる、というのは、大河と三輪のパイプがあってこそのこと。他の部隊にはない大きなアドバンテージと言えるだろう。

 

「そこは気にすんなよ。こっちもいろいろ試したいことがあるし、A級部隊が訓練相手になってくれるのはありがてえ」

 

 咀嚼した菓子を飲み込んで大河も感謝を示した。

 いままで彼の訓練に付き合ったことがあるのは迅や天羽、木崎と小南、そして太刀川であるが、それも二年以上前のこと。とくに初期の頃はトリガーの制御もままならなかったこともあって訓練と呼べるものであったかどうかすら怪しい。

 そんなひたすらに爆撃されて粉微塵になるような実験(こと)に付き合わされた隊員たちは誰もが「二度とやるか」と固く誓っており、いまでは訓練の相手を探すことはA級部隊同士のランク外対戦を組むよりよほど難しい事柄となっているのである。

 

「他のやつらはすぐ逃げ出すからなー、秀次に頼んで正解だったわ」

「いえ、そんな。大河さんにはいろいろお世話になってますので」

 

 謙遜する三輪の頭をわしわしと撫でまわして爽やか――傍目から見ると凶悪――に笑う。

 大河がボーダー隊員同士における人付き合いをしておいて、初めてよかったと思った瞬間であった。

 しかしあえてフォローを入れるならば、迅や太刀川はトリガーの相性がどうとかいう以前に、たった一人で相対させられたのが運の尽きだったと言えよう。三輪は自分から頼み込んだことだからと逃げ出すような真似はしなかったが、それでも訓練相手としてはトリオン兵より役立ったかどうか判然としない。かの巨砲に援護もなく立ち向かうというのは、まさに蟻が虎に挑むようなものなのだ。

 

「ただいまーっと」

 

 その後もしばらく歓談を続けていると、この部屋のもう一人の主――ミサキが作戦室に帰ってきた。

 彼女は三輪隊が兄の相手をしてくれている間に自分の仕事をするべく、ここ最近はしばらく開発室にこもりきりであった。

 もともと技術者(エンジニア)枠でボーダーに入隊した彼女は、いきなりS級になった大河よりずっと人脈が広い。女っ気が少ない技術者界隈においてはもはやアイドルか何かのような扱いすら受けているミサキにとって、開発室とは居心地のよさで言うなら生活の場となっているこの作戦室と同じくらいとも言えた。

 それでも自分の仕事=大河のトリガー関連であり、不器用な兄のため健気にも汗水流してきたというのに、彼女が受ける仕打ちはあまりにも酷であった。

 

「ああ、三輪たちまた来て――ああああああ!?」

「おかえ――どうした?」

 

 二度目になるが、テーブルに並んだ菓子はミサキがため込んでいたものを大河が無断で引っ張り出してきたものである。

 

「クソ兄貴ィ! あんたなに人のお菓子食い漁ってんだ!」

「なんだよ、いいだろ別に。足りなくなったら買ってくるって」

「そうじゃない! あああ……遠征前に頼んどいたご当地お菓子が、おすそ分けでもらった高級羊羹がぁ……。んな、こないだ根付さんに頼み込んで譲ってもらった一日限定10個の激レアスイーツまで……!?」

 

 まるでこの世の終わりがごとく、両手で顔を覆いがたがた震えはじめるミサキ。

 あまりの恐慌ぶりに、そして貪っていた菓子類の希少さに大河も少なからず動揺した。

 

「……あの、ミサキ?」

「あ゛?」

 

 小柄な少女がへたり込んだその場からギロリと目を尖らせた。その怒りの凄まじさは、噴き出した感情が彼女のツインテールを持ちあげて炎のように揺らめいているような錯覚さえ生み出している。

 それを向けられた大河は「あ、死んだな」と悟った。

 木場隊の虎は一匹ではない。むしろ暴れ回る獣がいたならば、それを制御できる存在のほうが恐ろしいだなんて、子どもだって考えなくともわかる自明の理。

 

「その、なんだ、……わ、悪かっ」

「トリガー(オン)!!!」

 

 謝罪の言葉を蹴り飛ばす勢いで拒絶したミサキは吼えるように呪い……もといトリガーを起動させた。

 ぎょっと身を縮みこませる大河。

 ミサキが換装した戦闘体は服装こそオペレーター用のものだが、中身はまるで違う。そも、彼女も一線級のトリオン保有量を誇っており、危険な遠征のために護身用などではない本格的な武装を有しているのである。

 

「待て待て待て謝るから! 悪かったって知らなかったんだって!」

「黙れァ!!」

「ストップ、ちょ、落ちつげぼぉ!?」

 

 見事なラリアットが大河の喉に食い込み、それを震えながら眺めていた三輪隊の面々は「こうやって首を狙うのか」と訓練の反省を思い出していた。

 木場兄妹のヒエラルキーをまざまざと見せつけたミサキはしかし、それでも怒りが収まらなかったらしく、悶絶する大河の足を引きずって仮想訓練室に叩き込む。

 

「トリガー起動しろ。五秒以内」

「あの、ミサキちゃん?」

「ご、よんさんにーいち」

「トリガー起動(オン)!!」

 

 凍える瞳の恐怖政治で大河を仮想マップに送り込み、地響きがしそうな歩みでもってコンソール前に赴く。

 そしてキーボードを何回か叩いてから出力レバーのつまみを思い切り押し込んだ。

 

「『バーニア』全開放(フルスロットル)!!」

《ぎゃああああああ!!?》

 

 モニターを通じて大河の悲鳴が部屋全体に響き渡った。しかしそれは一瞬で、すぐにどんどん小さくなっていく。

 背中の噴進装置が全力稼働して、大地を割りながら猛スピードで埋まり続けているのである。

 

「フー……フー……!」

「あ、あの……ミサキ先輩……?」

 

 猫科動物の威嚇じみた息遣いで自らを落ち着かせようとしているらしきミサキに、果敢にも三輪が声をかける。ぎょろりと動いた瞳は緩慢な動作に反して旋空を放てそうな鋭さを湛えており、三輪は一瞬話しかけたことを後悔しつつなんとか言葉をひり出すことに成功した。

 

「すみませんでした、その……ミサキ先輩のだと知らずにお菓子を食べてしまって」

 

 ぺこりと頭を下げる三輪。

 米屋、奈良坂、古寺の三人は、これからは三輪をことを心から「隊長」と呼ぼうと胸に誓い、その偉大なる背中に続いたのであった。

 

「すんませんした!」

「申し訳ない……」

「本当に申し訳ありませんでした……!」

 

 土下座せんばかりの謝罪を受けて、ようやくミサキは人の姿に戻った。

 

「むぅ……、…………殺……、――まあ、いいよ。あたしも鬼じゃないし」

 

 長い葛藤の中、若干危険な言葉が飛び出かけたのを三輪たちは聞かなかったことにした。

 ゆえに「いや鬼だろう」とは口が裂けても言えない三輪隊の面々は、虎より怖い鬼に平服しつつ強制削岩作業の真っ最中にいる男を視界の端から追いやった。もはや悲鳴も聞こえてこない。人の形をした何かは糸が切れたマリオネットのように四肢を投げ出してマントルを掘り進んでいる。

 

 

 

 


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