黄金の虎   作:ぴよぴよひよこ

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第四十四話

 

 

 

「本国に関する質問には、いかなるものであっても回答しない。それ以外に言うことはない」

 

 尋問が始まって開口一番、近界民(ネイバー)がそう発言した。

 戦闘体状態である大河、ミサキ、菊地原はそれぞれがサイドエフェクトをもってヒュースの言動に注意を払う。

 

「《あー、こりゃダメだ。こいつは情報は吐かねえ》」

 

 まず大河が即座に尋問が無意味であることを確信した。

 ヒュースとやらが纏う匂いはまったくもって揺らいでいない。緊張もしていない。

 敵地の上位連中に囲まれながらも揺るがぬ兵士。こういう手合いは得てしてなんの情報ももたらさないと経験から知っている。たとえ凄惨な拷問を施そうとも、こいつは短い悲鳴以外声をあげることなく、最後までこちらを睨みつけながら死んでいくだろうと判断した。

 

「《同感。この近界民は何をしたところで何も吐かないと思いますよ》」

 

 ミサキも同様にこの時間を無駄だと断じた。

 彼女のサイドエフェクト『思考追跡(トレース)』は、ある程度の付き合いがなければ相手の思考の表層程度しか推し量ることができないが、それでもヒュースの心のうちには確たるものがあると看破していた。

 忠誠、覚悟。そのような言葉で表わされる意思の固さ。

 おそらくこれはその忠誠を誓った相手にしか崩せない、厄介な代物だと。

 

「《……右に同じ、ですね》」

 

 菊地原もまた同じように、ヒュースの心音の変化のなさに呆れかえっている。

 その図太さに関してはいささか腹立たしいとは思いつつも、この近界民に対して別に個人的な恨みでもあるわけがない彼は淡々と仕事を全うしようとしていた。

 

「……ふん。やはり玉狛に置くと、捕虜も態度がでかくなるわい」

 

 秘匿通信で報告を受けた鬼怒田が鼻を鳴らす。

 

「だが近界民よ、我々を玉狛と同じにするなよ。必要なら荒っぽい手を使ってでも貴様には情報源になってもらう」

 

 これは揺さぶり。三人もの隊員が無駄だと断じても、鬼怒田としてはそうせざるを得ない。

 呼び出された近界民が「何も答えない」と言って、はいそうですかと帰すわけにはいかないのだ。組織として、ある程度の面子も保たねばならないのである。

 

「貴様ら近界民には我々の法は適用されん。素直になるなら今のうちだと思うがな」

「《はっはー。『荒っぽい手』を使うんなら俺に任せといてくださいよ。たぶんなんにも喋らないだろうけど》」

「《少し黙ってろクソ兄貴》」

 

 トリオン体ではない城戸や鬼怒田を代理してミサキが釘を刺す。

 『思考追跡』など使わずとも幹部連中のこめかみが引きつったのを見れば言いたいことなど誰でもわかっただろう。ヒュースだけは己の態度によるものかと思っているかもしれないが。

 目玉だけ明後日の方向に向けた大河を牽制するように、忍田が咳ばらいをしてからヒュースのほうに向きなおった。

 

「……ヒュースといったな。私はこの組織の軍事指揮官である忍田という者だ。私個人としてはきみをまっとうな捕虜として扱いたいと思っている。

 その上で聞かせてもらいたいのだが、きみを捕縛した際にアフトクラトルの連中はなぜきみを置いていった?」

「答えない、と言ったはずだ」

 

 やはり頑なな様子にしかし、忍田は怯まずに質問を続ける。

 

「アフトクラトルが故意にきみを見捨てたのは明白だ。ならば、もう忠義を立てる必要はないのではないのか」

「……侮るな」

「《!》」

 

 忍田の質問に対し、初めて揺らぎを見せた近界民にサイドエフェクト持ちの隊員が注視する。

 

「遠征に出る以上、死ぬことも覚悟の上だ。何が起き、何をされようと情報はもらさない。どちらから(ヽヽヽヽヽ)だろうとな。それ以外に話すことなどない……!」

 

 見せた感情は怒り。

 匂いも思考も心音も、それ以外の情報は何も得られない。

 

「《やっぱ無駄ですって。情報も吐かない、捕虜交換にも使えない。だったらこいつの利用方法はもう決まったようなものじゃないんすか》」

 

 大河が言っているのは、この近界民にすべての罪を着せて処刑するという意味の言葉。

 攫われた58名もの隊員の家族や友人、それらのヘイトを一身に浴びせてボーダーへの悪感情を軽減させる。それで何が変わるというわけでもないが、敵の一味を始末したとなれば市民たちの心情も少しは和らぐかもしれない。

 そんな物騒なセリフに忍田がぎろりと睨みをきかせた。

 

「……遊真くん、少し聞きたいのだが、向こうの世界では捕虜の扱いはどうなっている?」

 

 心を落ち着けようと静かに呼吸をしてから、林藤たちと同席していた空閑に尋ねる。

 

「んー。拷問的なのもないことはないけど、やる意味はあんまりないかな。どっちかというと憂さ晴らしみたいなもんだし。拷問するなら数を揃えて情報のすり合わせをしないといけないしね」

「《ほーらな》」

 

 大河の茶々を無視して城戸が口を開く。

 

「だが、おまえならばどの情報が嘘かどうか、判別がつくのではないのか?」

「そのために呼んだの?」

 

 嘘がわかるサイドエフェクト。それがあれば数を揃える必要はない。

 しかし相手が何も声をあげなければ意味がないのもまた事実である。この近界民はどんな拷問にかけたところで、嘘すらつかずに黙って死ぬ。そう確信できる意志の強さを持っている。

 それを理解している城戸は「確認したまでだ」と空閑に謝意を見せてヒュースに向き直った。

 

「近界民……いや、ヒュース。取引をする余地もない、か?」

「ない」

 

 即答したヒュースに、城戸はしばし黙考して結論を出した。

 

「よくわかった。今日はここまでにしよう」

 

 短くため息をついた城戸が出席者に言い聞かせるように終了を知らせる。

 得るものは何もなかった。

 できればアフトクラトルの情勢くらいは欲しかったところだが、傍から見ても、そして内心をうかがおうともそれが得られないと誰もが答えた。もういくつか揺さぶる話題はあったものの、ヒュースの覚悟の強さを前にしては無意味であると言う他ない。

 しかし空気が緩みかけた直前、おもむろに大河が口を挟んだ。

 

「ちょいといいっすか」

「どうした?」

 

 城戸が発言を許すと、彼は挙げた手の人差指をヒュースに向ける。

 

「玉狛が管理してるのかなんなのか知らねえけど、ちょっと杜撰すぎるんじゃないんすか? そいつの耳にトリガーがついてんだけど」

「!」

 

 その発言に全員の視線がヒュースに集まって、その隣にいた空閑が「おお、ほんとだ」とヒュースの右耳を指さした。

 

「……チッ」

 

 舌打ちをするヒュースから林藤がイヤリング型のトリガーを押収する。

 よもや戦闘用のトリガーでもないのだろうが、一瞬にして緊張が走った会議室にようやく弛緩した空気が流れ始めた。そして城戸が管理を任せた者にじろりと視線を飛ばして責任を問う。

 

「林藤支部長、これは失態だぞ」

「いや申し訳ない」

 

 飄々と謝罪する林藤はしかし、内心ではこのことを重く見ていた。

 玉狛の隊員である三雲に害をなした近界民の扱いを玉狛で引き受ける。矛盾するようだがこれは三雲のためでもあり、またヒュースのためでもあった。

 小型とはいえトリオン製のブレードで刺された三雲は重傷を負い、いかに近界民友好派の玉狛といえども一時は危うい雰囲気になりかけた。とくに責任を感じている木崎もまさか捕虜に害を為すことはあるまいが、暗い感情の一欠けらくらいは抱えているだろう。

 しかし三雲は報復など望んではいないだろうし、させてはいけなかった。

 林藤は己の過去から、"こちらの世界"で近界民と和解するのには長い時間がかかると知っている。また、今回のような尋問が逆効果であることも。

 ヒュースに対しては処分を避け、時間をかけてある程度の妥協、打算を含んだ取引までもっていく腹だったが、今回のことでそれも難しくなったのは明白。管理体制がおろそかであると伝わってしまえば厳しめの監視くらいはつけられるかもしれないし、そうでなくとも報告書を頻繁に提出しなければならないだろう。

 玉狛の隊員たちとの溝を埋める時間はもうとれないかもしれない。そして、

 

「やはりいまからでも本部で管理すべきなのでは?」

 

 当然、こういった提案も出てくる。いまからでも本部預かりになってしまうと、ヒュースの身の安全は保障できなくなる。林藤としては、そういった血なまぐさい前例(ヽヽ)を作りたくない。

 しかし根付の発言には城戸も思案顔で頷いてしまっていた。

 

「今回のことは始末書も書きますから、大目にみてくれませんかね」

「しかしですねぇ……」

 

 心の中で焦る林藤に、ここで助け船が入る。

 

「まぁ、林藤支部長とは取引もある。今回限りならば目を瞑ってもよかろう」

 

 鬼怒田がため息交じりながらも了承を提案したのだ。

 彼はすでにヒュースの件については話がついていた。この捕虜よりも優れた情報源、そして空閑のサイドエフェクトがあればこそ実現した交換条件。むしろ鬼怒田にとってはヒュースを本部で拘束するメリットがなく、また価値も薄いのだろう。

 

「……いいだろう」

 

 根付は失態を理由に食い下がろうとした――そもそも玉狛に捕虜を収容する施設があるかどうかもわからない――が、最終的には城戸が頷いたためにそれを諦めたのだった。

 

「では会議を終了とする。捕虜は念のために体内スキャンを(おこな)ってからさがらせろ」

「了解です」

聴取に協力(ヽヽヽヽヽ)してもらった隊員にはまだやってもらうことがある。鬼怒田開発室長についていってくれ」

「あいあいさー」

「了解です」

 

 林藤はヒュースを連れてスキャンのために。他の隊員たちも鬼怒田の用とやらを手伝うために会議室を退出していく。

 ぞろぞろと連なって歩く通路はそれなりに広いものであるが、七人にもなると少々手狭に感じる。その道すがら三輪は尋問の内容について大河に尋ねた。

 

「尋問という割りにやけにあっさりしてましたね。どうだったんですか?」

 

 三輪はあの会議室内において戦闘体になっておらず、また通信を受けるための機器も持ち合わせていなかったため、傍目から見た薄すぎる内容に疑問を覚えたらしい。

 たしかに通信がなければかなり異様な会議だった。三門市で大暴れした敵の近界民の一味に対し、わずか数分ほどで終了してしまったのだからこの疑問も当然のことと言える。

 大河はすでに捕虜に対する興味も失せていたがゆえ、薄れかけた印象を噛み砕いて三輪に伝えた。

 

「ああ。あのヒュースとかいうやつはテコでも動かないタイプだったんでな、城戸さんも時間の無駄だって見切りつけたんだろ」

「意外ですね。俺は、やってみなければわからないと思いますが」

 

 城戸が三輪の復讐心を買ってくれたように、三輪も城戸が極度の近界民嫌いだと認識している。

 たとえそれを表には出さずとも、拷問してでも情報を得たいのは事実だしボーダーとしても益がある。サイドエフェクトも絶対ではないのだから、城戸ならば物騒な手も迷わず使うのではと思えたのだ。

 

「林藤支部長との取引だ。さっきも言ったがの」

 

 そんな三輪の疑問に答えたのは鬼怒田だった。

 

「空閑の力をうちに貸す代わりに、あの近界民の扱いを玉狛に一任しろとな」

「空閑の力?」

 

 オウム返しで大河が尋ねると、鬼怒田は鼻を鳴らして空閑のほうを見た。

 

「嘘を見破るサイドエフェクトだと。こと尋問に関してはおまえらのものより有用だと言っていいだろう」

「ほーう」

 

 大河もちらりと空閑のほうに視線を向ける。

 照れているのかいないのかさっぱりわからない表情でどうもどうも、と手をあげる空閑。その横ではなぜか三雲が冷や汗を垂らしていた。

 

「あまり信用はしておらんがな。忍田本部長は空閑だけで充分だと言っておったが、わしはそうは思わん。だからおまえたちも呼んだのだ」

「なるほどね」

 

 いかに強力なサイドエフェクトだとしても、それが絶対とは限らない。とくに「嘘を見破る」といった相手の心理を読み取る類のものに関してはそれが顕著であろう。たとえ同じ答えでも、相手の考え方ひとつで読み取れる情報が左右されてしまうのだから。

 例えば「リンゴが好きか」と問いかけ、相手が否と答えたとする。

 そこで相手が考える理由が「嫌いだから」という場合と「嫌いではないが大好物というわけでもない」という場合があっても、どちらも「嘘ではない」という判定になってしまう。

 もしかしたら空閑の能力はその細かい部分まで読み取れるのかもしれないが、他の人間にはそれがわからない。ゆえに鬼怒田は人数を必要としたのだろう。

 大河が得心がいったと頷き、それからはてと首を傾げる。

 

「じゃあもう終わったんじゃないんすか?」

 

 捕虜にした近界民はたった一人。

 であれば尋問する相手ももはやいないはず。なのにまるで空閑の力を借りるのはこれから、と言っているような口ぶりに、大河はもう一度質問を飛ばした。

 鬼怒田は到着した開発室への扉を開きながら答える。

 

「むしろ本題はこっちだ。これ(ヽヽ)はおそらく、空閑にしかできないだろうからな」

「んー?」

 

 慌ただしい様子の開発室内をずんずん進んでいく鬼怒田に続きながら、大河は隣にいたミサキや三輪と顔を見合わせる。

 二人も軽く肩をすくめるくらいしかできなかったが、その答えはすぐに姿を現した。

 

「雷蔵、あれを起こせ」

「了解です」

 

 部屋で待っていたらしきチーフエンジニアの寺島雷蔵が機器を操作して、それ(ヽヽ)にトリオンを注入した。

 

「黒い、ラッド?」

 

 三雲がそう声に出すと同時、ラッドが瞳のようなコアをぱちくりと開いて全員を見回す。

 

『あぁ? やっと来やがっ……げぇっ、虎野郎!?』

「あ? なんだコイツ」

 

 ガラス張りになっているため匂いが感じ取れない大河は、向こうが己を知っているような口ぶりをしていてもそれが誰だか気付けなかった。

 ミサキは声や態度、そして黒い角からしてエネドラと呼ばれた近界民だろうとあたりをつけたが、大河としてはエネドラの印象=抉り出したトリオン器官の匂いとしか認識していなかったため、思い出すのにも時間がかかるらしい。

 

『てっ、てめぇあれだけのことしておいて忘れたとは言わせねぇぞ!』

「生憎だがラッドに知り合いはいなくてなー。誰、おまえ?」

 

 トリオン兵の知り合いならあてがあるんだけどな、と煽っているのかややふざけた様子の大河に、鬼怒田が呆れたように補足した。

 

「こいつは木場が撃破した(ブラック)トリガー使いの成れの果てじゃ。アフトクラトルの角は未知のトリオン技術っちゅうことで、解析するためにラッドに乗せかえた結果がこれだ。

 どうにも、角には生体情報を収集する機能があるようでな。しかもコイツの角は脳と半ば同化しておった。そのせいで知識や記憶があるらしいのはいいが、性格まで反映されたのは鬱陶しいところだわい」

「へーえ、そんなこともあるんだな」

 

 関心したように吐息をもらす大河。

 トリオン技術は未だ未知の領域が大きい。脳と同化して記憶をバックアップなどというのは現代医療でも真似できない異質の技術……否、現象だろう。

 これを意図的に再現できればトリオンを治療に使うなんてこともできるかもしれない。遠征という不測の事態が起きがちなものには、いくらでも湧いて出るトリオンに新たな使い道ができることはいいことだ。

 ともあれ、今日ここに来たのはそういった話し合いをするためではないのだろう。気を取り直してエネドラの成れの果てに注意を戻す。

 

「で、こいつがどうかしたんですか?」

「うむ。ラッドにエネドラの意識が根付いたのはつい最近でな、その時点でいくつか聞き取りもしたが、やけにすらすら情報を吐きよる。肉体自体は死んだから諦めもついたのかもしれんが、あっさり答えられると逆に信憑性が薄い」

「なるほど、そこで空閑(コイツ)ってわけか。たしかに俺じゃトリオン兵相手に聞き取りなんか無意味だしな」

 

 トリオン兵が意識を持ったところで、戦闘体のような生体機能はついていない。汗も心音もないのだから大河や菊地原では嘘も何も見破ることはできないだろう。

 ギリギリ役に立ちそうなのがミサキだが、彼女もトリオン兵が人格を有しているのを見るなんて初めてのこと。『思考追跡(トレース)』も相手の声や仕草の微妙な変化があってこそ十全に発揮できるものであって、声はともかくトリオン兵の仕草なんて人間の頃とはまったく違うはずだ。そもそも六本脚である。

 頼みの綱はただ一人。

 トリガーまで隠し持っていたヒュースをあっさり見切ったのはそういうことか、と納得しつつ、空閑は己の役割を理解した。

 

「オッケー、やることはわかった。さっそく始めよっか」

 

 

 

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