新しいオリキャラが出てきますが、別に覚えなくてもまったく問題はありません。
第四十話
* * *
「失礼します」
空気の抜けるような音とともに開かれたドアをくぐる三輪。
彼が足を踏み入れたのはボーダー本部に存在する木場隊作戦室、もとい木場兄妹が生活している部屋である。
この木場隊作戦室は基地中層に割り振られる一般的な部隊作戦室とは配置が異なり、司令室や会議室などに代表される、組織にとって重要な施設が集約された最上層――通称「窓付き」と呼ばれる場所に位置している。このことからも彼らの存在がボーダー本部にとって大きな意味をもっていることがうかがい知れよう。
そんな魔境とも言うべきエリアを訪れた三輪はしかし、己の目的である人物を目にして――彼を知る人ほど――珍しい笑みを浮かべた。
先日の焼肉店で大河にとある頼みごとをされた三輪は「力になれるのなら」とそれを快諾し、こうして木場兄妹の根城に足を運んだのだった。
「お? どうした秀次、なんか用か?」
が、そこにいた大河から返ってきたのはそんなすげない言葉であった。
しかし三輪もうろたえない。むしろ不思議がられる理由はわかっている。約束の日時はもう少し先、一週間後の今日なのである。今回は時間が空いたので、様子見、進捗の確認といったところだ。
「今日は防衛任務もないので、差し入れついでに寄ってみました」
「おお、悪いな」
三輪が手土産に購入してきたいいとこのどら焼きが入った紙袋を差し出すと、大河はそれを受け取ってひとつ取り出し、コンソールに向きっぱなしのミサキに放り投げた。
振り返りもせずにキャッチした彼女は兄と同じような釣り目がちの視線だけをよこしてどら焼きにかぶりつく。
「はんひゅーみわー」
「お口に合ったのならよかったです」
「ほのほらひゃひうあいな」
「何言ってんのかわかんねーよ」
どら焼きを口にくわえたままキーボードを叩き続けるミサキに、自らもどら焼きを頬張りつつ大河がこぼす。すると、ミサキは手を止めてから大仰にやれやれと肩を落とした。茶髪ぎみの色をしたツインテールがそれに合わせるようにゆらりと揺れる。
「こんくらい言わなくてもわかってくんないとさー。絆が足りてないよ、絆が」
「おまえのサイドエフェクトと一緒にすんなっつーの」
嫌みったらしく述べたミサキの頭をぐりぐりと撫でつける大河。
先の振り返りもせずにどら焼きをキャッチした際もミサキのサイドエフェクト『思考
実際のところある程度以上の付き合いがなければタイミングや角度、勢いなどが伝わらないためミサキの言う絆は充分足りている。
木場兄妹のやりあいを見ていた三輪は微笑ましそうに目の端を落として大河に声をかけた。
「新しいトリガーの出来はどうですか?」
「あー、それなんだけどな」
新しいトリガーの開発および実験。その手伝いが三輪に託された『頼みごと』だった。開発と調整自体はミサキが行うので、実質的には実験台になってくれ、というのが大河からの依頼である。
「ぽんきちさんに頼んでた骨組みが送られてきて、やっと形にはなるかなってとこなんだけどよ。なんせこれまでのトリガーとは質が違うからミサキも苦戦中って感じなんだわ」
先の妹と同じようにやれやれと肩をすくめる大河に、ミサキは不満たっぷりに睨みをきかせた。
「ていうかあたしの本業はトリガーじゃなくてトリオン兵の開発なんだけど。そこんとこわかってる?」
ミサキが文句を述べたように、トリガーとトリオン兵の開発は似ているようで違う。広義的に見ればトリオン兵もトリガーの一種ではあるが、開発にはそれぞれ独自の知識や理解が必要となる。
それでもミサキがトリガー開発に着手できるのは、大河の
遠征艇を操縦してのサポートだけでは足りないと判断したミサキが、長い時間を学習に費やして戦闘用トリガーの
初の遠征に出たのが三年前。外部調整が可能になったのは前回の遠征の後半から。つまりおよそ二年半もの間、彼女は兄を補助する
――全ては家族を死なせないため。
そこからくる兄からの信頼や期待は居心地の悪いものではないものの、アテにされるのはいささか癪にさわるのであった。
しかし大河はにししと笑ってミサキの頭をわちゃわちゃかきまわした。
「わーってるよ。わかってるし感謝もしてるって。サンキューミサキ愛してるぜー」
「うっっざっ」
その手をはらい眉間にしわを寄せたミサキから視線をきって、三輪のほうに向き直った大河は至極楽しそうに口を歪めた。
「こいつが完成したら、俺ももっと
大河はあの大規模侵攻において一つの課題を課せられた。それは「戦闘の自由度が低い」こと。
焼肉店で流れたボーダーの記者会見、そこで話された公開遠征。攫われた人間の奪還という目的とは別にレプリカを取り戻したい大河としては、もちろん今回の公開遠征にも参加するつもりである。
あのとき城戸司令が述べた遠征の参加要項は「希望者を募り、試験により選抜」であった。S級かつ司令直属隊員、さらには遠征経験者であり特級のトリオン保持者たる大河はおそらく優先的に登用されるであろうが、彼には彼で思うところがあったのだ。
大規模侵攻にて大河はアフトクラトルのトリガー使いと対峙し、
別段そこに責任を感じているわけではないが、課題が残ったのは事実。これまでのような膨大なトリオン量に飽かせた戦闘方法ではいずれ限界がくると思ったのだ。
必要なのは新たな"力"。火力的なものではなく、もっと精密に、自在に扱える己の武器を大河は欲したのだった。
「手加減するだけなら別に、素手でもそこらの近界民くらい引き千切れるだろうけどさー。やっぱアレを見ちゃったらねえ」
もごもごとどら焼きを頬張りながらミサキも頷く。
ボーダーが向かう次の遠征先はアフトクラトルへと決定された。そこにはハイドラを弾き飛ばす驚異の使い手の存在があり、そして公開遠征の前提である「潜入」という点が大河たちの危機意識を煽った。
このままでは単に遠征艇の動力扱いで終わってしまう可能性がある。
近界の国に到着して大河が出撃を我慢できる時間はおよそ三十分である。――という冗談はさておき、理由もなく、仮にれっきとした理由があったとしても国へ乗り込もうとする大河を押し留めるのは至難だ。この悪知恵の回る男は重箱の隅を突くような些細な要因で侵攻を正当化しようとするため、ミサキは毎度のように苦労させられている。
「それに、借りも返さなきゃなんねえし」
大河の瞳孔がギッと引き絞られる。金に輝く虹彩の中、収縮した瞳に映るのはやはりあの老兵。
いくら潜入とはいっても必ず戦闘は起こるだろう。あの黒トリガー使いもまた出張ってくるやもしれない。もしそうなったなら、それは危機ではなくチャンスとなる。
アレはおそらく近界にも類を見ない使い手のはずだ。奴を打倒できたのならば、広い惑星国家群の中でも脅威となる星はかなり減る。そうなれば三門市民捜索という名目でもっといろいろな国へ渡る機会が増えるに違いない。
遠征の事実が知られてしまったのなら、今度からはそれを利用しよう。それが大河の思惑であった。
「アフトクラトルは
トリガー技術は常に進化を続けている。それは玄界も近界も変わりない。
だからこそ、現状に満足してはいけない。己が最強であると驕ってはいけない。
いかなトリオン量を持とうと、いかな強力なサイドエフェクトを有しようと、打てる手は打たねばならないのである。
「ま、とにもかくにも、まずはトリガーの完成が――」
大河がそう締めくくろうとした矢先、木場隊作戦室の扉が開いて全員がそちらを振り向いた。
「やあやあ大河くん、トリガー開発捗ってるかい?」
現れたのは開発室用の作業着を身に纏った中年の男。
鬼怒田よりやや歳を重ねながらも筋骨隆々の身体。ざっくばらんに切りそろえられた短髪と無精髭、そしてある意味
「げえっ、シゲさん!?」
三人の中で唯一驚いていたのは大河だった。彼が驚いたことに驚いた三輪もいたが。
それだけ大河の様子が三輪には不可解であった。
常に泰然自若とした男が、たった一人の技術者が現れただけで驚き――いや、恐怖を抱いている。
「シゲさん」と呼ばれた技術者には三輪も覚えがあった。それというのも彼の持つ
「茂森さん?」
「おお、三輪くんもいたのかい。鉛弾の調子、いいみたいだね。聞いたよ、近界民の撃退に一役買ったそうじゃないか」
「はい、おかげさまで……」
茂森という男が、あまり交友関係の広くない三輪とも友好的に話しかけることができるのは、彼が城戸派の人間だからだ。
「でも惜しいねぇ、今回の戦果が近界民一人と腕一本だなんて! せっかく六人も来たのに。これじゃあ足りないよねぇ、ぜんぜん足りないよ! ……もっともっと殺さなくっちゃあ、ねぇ?」
それも、かなり過激派の。
立場や業績から見た場合、城戸派の筆頭といえば鬼怒田や根付を指すことが多い。が、近界民排斥主義という思想にもっとも準じているのはこの男である。
四年半前の大規模侵攻において、茂森は全てを失った。
妻も、息子も。その嫁も、孫さえも。
その怒りと絶望は容易に彼を狂鬼へと変えた。凄まじい執念をもって、近界民を殺す鬼へと。
茂森は大規模侵攻が収まったあと、しばらくして始まった現ボーダー設立のための職員募集にいち早く応募した中の一人だ。それまでの人生に培ってきたものを全て捨て、トリガーの開発という前人未踏の技術職に就いた。そして近界民への憎悪のみでチーフの地位にまでのぼりつめたのだ。
大河の専用トリガーがやたらめったら破壊と殺戮に向いているのは本人のトリオン出力が異常なのも大きいが、茂森がその設計に噛んでいるのも多分に含まれているだろう。その殺意はトリガーに乗り移ったかのごとく、いまも死を撒き散らさんと煌々と宿り続けている。
「そうですね。次があれば、今度こそ奴らの息の根を止めてみせますよ」
「ははは、期待しているよ」
茂森の物騒極まりない発言に怯まず返答できるのは、三輪もまた近界民によって狂わされた一人だからであろう。笑いながら近界民を殺そうなんて言える人間は、ボーダー隊員といえど彼らと大河くらいのはずだ。
だからこそ三輪は大河の怯え方が不可解だった。大河にとって茂森は頼りになることはあっても、怖がる必要などこれっぽっちもないはずなのだから。
「何しに来たんすか、シゲさん」
歓迎とは程遠い感情を露わに眉をひそめた大河とは裏腹に、茂森は声が裏返りかねないほど上機嫌で話しかけた。
「なんだい、釣れないなぁ大河くん。仕事の合間を縫ってトリガー開発の手伝いに来てあげたっていうのにさ」
茂森にとって、大河の存在はまさしく希望の星である。
近界民を殺したいとのたまい、それを実行した隊員はボーダー内部においても大河ただ一人。
戦闘員を諦め、そして「防衛」に主眼を置くボーダーのやり方に不満を覚え始めたころに現れた大河は、近界民の根絶を心より願う茂森の狂気を受け止めるにふさわしい人物だったのだ。
彼は大河の専用トリガー開発への協力を申し出て以来、ずっと献身的に尽くし続けてきている。それは大河も知るところ。
だが、当の本人はどうにも乗り気ではなかった。
「そりゃあありがたいけどよ……。ありがたいっていうか……うーん……」
戦闘用トリガーの開発には多大な労力が要る。それはベースとなる骨組みを与えられながらも苦戦しているミサキを見れば明らかなことだ。そして、いま現在開発室がてんやわんやの大忙しなことも大河は知っていた。
あの記者会見のあとから開発室は公開遠征のために多忙を極める混沌状態と化しているのだ。というより、忙しくない時期がない、というほうが正しいのかもしれないが。
大河が極秘遠征から持ち返ってきた未知のトリガーの解析もまだ済んでいないというのに、大規模侵攻で受けた被害の修繕、そこから得た情報による防衛施設の改善、次の遠征のための遠征艇改造、と仕事は山積み。開発室の人員はほとんどが不眠不休、残業、泊まり込みとブラック企業も裸足で逃げ出す魔境状態である。
その合間を縫って来たとなると、いくらなんでも無碍には扱えない。
「まあいいや。そういうことならお願いしますよ」
諦めたように手をあげ、それをそのままミサキのほうへ流す。
茂森はしたりと頷いてミサキの横に椅子を引っ張っていった。
「はいはい、任されたよ。それじゃミサキちゃん、このデータをその骨組みに組み込んでくれるかい」
「はいよーっと」
システムコンソールに並んで作業を始めた二人の見やりつつ、どうにも顔色の優れない大河を慮るように三輪が声をかける。
「大河さん、茂森さんのこと苦手なんですか?」
「いや、苦手っつーか……むしろシゲさん自体は好きだぜ。城戸さんよりは話が合うしな。けどなあ……こういうときの
「……?」
なんとも要領を得ない大河の様子に、ますます不思議そうな顔をする三輪。
「数が揃うとよけいに……」
ぶつぶつと呟きながら渋面を作り、それきり大河はなんの反応もしなくなってしまった。
しばらくしてトリガーの試作ができあがってから、三輪はその言葉の答えを得るのだった。
* * *
これより第二部となります。
原作を追い越すためいままでよりオリジナルの設定や独自解釈などが増えていきますので、予めご了承ください。