黄金の虎   作:ぴよぴよひよこ

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第三十二話

 

 

 

「……来ますか」

 

 老人の静かな声とは裏腹に、一撃で一切合財を薙ぎ払うような剣撃が振るわれる。

 あらゆる方向から叩きつけられる超速のブレード群。大河は虎爪で自分を囲うようにしてなんとか防ぎ、その身を敵の目前にまで運びきった。

 この近界民(ネイバー)はなにも降り注ぐ弾丸の群れを一つの円で防いでいるわけではない。幾層にも重ねられた防衛圏を構築して斬り潰しているのである。

 そこへ突っ込み強引にこじ開けて、中心部にまで至ってしまえばそうそうブレードは振るえまい。そんな風に考えていた大河はしかし危険な匂いを感じ取って地に爪を喰い込ませた。

 

「――ふっ!」

「っぶね!」

 

 展開するブレードに匹敵しかねない杖剣の一閃を、爪による強制的な姿勢制御でどうにか躱す。

 いくら生身の筋力が関係しないとはいえ、イメージもできない動きはいかなトリオン体だろうと再現できない。この一筋の剣戟はそれだけで相当な研鑽を積んできているのが理解できる鋭さだ。やはり生半な覚悟では眼前に立つことすらままならないらしい。

 

 だが大河の戦闘体はそういう『技量』を圧し潰すために開発された驚異の性能をもつ特注品。

 第一拘束を解除した彼はサイドエフェクトと物理法則を無視するような体捌きで無数の刃を潜り抜けた。剣が見えなくとも円の形くらいは把握できる。様々な角度、広さで伸ばされる展開領域から刃が及ぶまえに身を翻し、僅かな隙を縫って爪を振るう。

 

「ンのやろ!」

「ぬうっ……!」

 

 ほんの少し生まれた敵の体勢の歪みに、村上と荒船が弧月を煌めかせる。

 

「「旋空弧月!!」」

 

 射撃手段を持つ隊員からは常に援護射撃が放たれている。そこへさらに囮役の二人がオプショントリガーを起動して遠距離から斬りかかった。

 

「ほう、伸びる斬撃とは面白い」

「……簡単に止めやがって」

 

 腹立たしいほど余裕のある微笑み。

 闇夜を切り裂く剣閃はそんな微笑を浮かべた敵へ届く前にかき消されてしまった。未だ目に映らぬブレードはその総数も形もはっきりとはわからない。厚い弾幕を削り、目の前で荒ぶる虎の爪を弾きながらもまだ余裕があるというのか。

 忌々しく吐き捨てた大河が囮役二人に向きかけた敵の意識を剥ぐために躍りかかった。

 

「どこ見てやがる!」

 

 僅かに首を反らした敵へ腕を振りかぶる。

 目の前に己が立っているのに他に意識を割く余地があるのか、などと今さら問うまでもない。今も弾丸は降り注いでいるのだ。しかし視線をも外したその動作は死角を嗅ぎつけた大河の身体を半ば反射的に動かさせ、彼を罠へと引きずり込んだ。

 

「隙だらけです!」

「ッ!」

 

 老兵の杖剣が振りかぶった右の二の腕を捉える。相変わらず驚くべき剣速の一閃。――が、硬質な音(ヽヽヽヽ)が響いて、その刃は通り過ぎることなく浅く食い込むにとどまった。

 

「――な」

「残念、ハズレ(ヽヽヽ)だ」

 

 強化戦闘体(フェンリル)には骨に相当する部位が内蔵されている。これは超高密度のトリオンでできており、関節部以外、とくに動きの少ない腕や脚には厚さのあるものが使用されているのである。たとえ攻撃に特化したブレードトリガーだろうと容易には斬り落とせない。

 間違いなく斬り飛ばせると確信していたであろう近界民は一瞬動きを止めた。その隙を逃さずに刃が食い込んだままの右腕を強引に叩きつける。

 

「トリオン体まで硬いとは、いやはや」

 

 大振りの一撃は虚を突いたにも関わらず避けられてしまった。しかし目的だった敵の意識は間違いなくこちらに向いている。今はそれで良しとしよう。

 自らを納得させた大河の眼前で杖剣を持ちなおした老兵は、さらなる鋭さをもって斬撃を繰りださんと腰だめに刃を構えた。

 

「――ならば首を落としましょう!」

 

 この硬度は関節にまで及ぶまい。一瞬で見切ったのか老兵は次手に首を薙ぐ一閃を選択した。けれども首を挟む両肩についた大砲は、暴発を防ぐために大量のトリオンを注ぎ込まれている。つまり大河が操るトリオン体の中で、この砲塔が(ヽヽヽヽヽ)もっとも硬い(ヽヽヽヽヽヽ)

 

「そっちは大ハズレだ!」

「ぐっ!」

 

 まさかそれそのものが攻撃用の武器ではないはずの大砲、そんなものがこれほどの硬度を持っていたとは思いもよらなかっただろう近界民は、今度こそ不意を突かれてその身に傷を刻まれた。攻撃を受けないと睨んだ大河はそのぶんだけ敵の回避を織り込む余裕があったのだ。

 

 とはいえついたのはほんの小さな切り傷にすぎない。

 左の大腿に刻まれた僅かな傷は少量のトリオンを漏出させてから薄く消えていく。

 

「……厄介ですな。やはりあなたにはここでご退場願いたい」

「ああ、おまえを殺したらそうするわ」

 

 老兵がこぼすぼやきを剥き出しにした犬歯で噛み砕いて笑う。

 降り注ぐ弾幕を防ぐには相応のブレードの数が必要、こちらを仕留める動きをするなら僅かでも隙が生まれるだろう。それを目に見えない玉の(きず)として責木(くさび)を撃ちこめば、あるいは。

 あえて挑発するように手をひらひらと動かした大河は内部通話で囮役の二人に通信を送った。

 

「《隙を逃すなよ》」

「《わかっています》」

「《いつでもいけますよ》」

 

 サイドエフェクトによる事前察知。野生の獣のような警戒態勢の前で、老兵がすっと杖剣を持ちあげ、片手でそれを支える構えをとった。

 何かする気か。

 ちりちりと肌を焼くような気配。今まで振るっていた黒トリガーはシンプルな性能だ、まだ他に何かあってもおかしくはない。隠していた別の能力でも発動するのか。

 油断せずにそのさまを睨み続けていると、円の一つが近界民と自分を結ぶ軌道で展開された。

 ブレードで自らを押し出す超高速の突き。そう見定めた大河が跳び退り、直後に悟る。

 ――やられた!

 

「――っ!?」

 

 眼前から姿を消す老兵。その背後に陣取っていた村上が胴体を真っ二つにされて凝然と目を見開いた。

 近界民の狙いは大河ではなかった。いや、大河だけ(ヽヽ)ではなかったのだ。

 展開した円軌道はたしかに二人を結ぶように伸ばされたのだが、それを(はし)るブレードは突きの姿勢を見せた老兵を押し出すのではなく、大河の背後から襲い来た。そして避けられたと見るや刃の向きを変え、自身を弾いて背後の村上に斬りかかったのだ。

 まさに突きを放たんとする体勢こそフェイク。次善の策まで練られた急襲は攻撃のために気を張っていた村上に防御すら許さず真一文字に身を分か断った。

 

「……スラスターON!」

それ(ヽヽ)は知っておりますよ」

 

 最後のあがきに放たれたレイガストの一撃もあえなく(はた)き落とされる。先の侵攻時に誰かがスラスターを使うところを見られていたようだ。知っている動きが全て通用しないなど、厄介どころの話ではない。

 歯噛みした村上が緊急脱出(ベイルアウト)を発動して夜空に昇っていく。

 

「《チッ……。おいあと何分だ?》」

「《……あと、四分ですよ》」

 

 残った囮役の一人、荒船が重々しくこぼす。

 極限まで集中して行う戦闘は時が凝縮するような感覚になる。ふだんより高速化する思考がそうさせる時間経過の錯覚に、大河はもう一度舌を打った。

 

 三人がかりでよもや一分しか稼げないとは。ここが玄界でなければもう少しやりようも……。

 生まれかけた言い訳を強引に飲み下す。しかし一瞬の弱音さえ読み取られたのかミサキの声が戦闘体内部に響いた。

 

《……兄貴》

「《わかってる》」

 

 交わした言葉はそれだけ。

 たったそれだけで木場兄妹はしっかりと意思疎通を果たしていた。

 ここで負ければ後ろにいる合同部隊をも切り刻んで、この老兵は基地にまで乗り込むだろう。そうなった場合、おそらく助かるのはほんの僅かな人数だけだ。遠征艇に乗せられる人数に制限があろうと、アフトクラトルがもつ黒トリガーはそれすら取り払える。キューブ化すれば数百程度の人員は貨物室にでも押し込めるのだから。

 ここで、負ければ。

 もしそうなりかねないと判断した時には、もはや玄界(ミデン)がどうのと言っている場合ではなくなる。つまり、二人はこの危機に際して規格外を誇るトリガーを完全開放し、この一帯ごと敵を消し去ることを視野に入れ始めているのである。

 超高速移動すら覆う超々広範囲の殲滅爆撃。この老兵を殺すにはそれだけの手段が必要だ。自分を――自分たち以外をあまり信用しない木場兄妹は背後の合同部隊に対してそこまで期待していない。彼らが木場隊を打倒する相手に確実に対抗できるかと考えた時、頷くことはできなかったのだ。

 行えばボーダー基地をも半壊させかねない攻撃だろうと、地下深くにある遠征艇に緊急脱出(ベイルアウト)する妹は助かり、兄を思うミサキはそれを止めない。

 

 戦いは迷った方が負けだ。

 近界(ネイバーフッド)遠征で培った徹底的なまでの危機管理。大河の冷徹な思考は妹以外の全てを犠牲にしても天秤を揺らすことはない。

 ……ともあれ、それは最終手段だ。勝つことを諦めたわけでもないのだから、今は置いておくべきだろう。

 

「…………」

 

 ざりざりと足の爪で地を掻く。

 突進前の威嚇のような動作をしながら、距離のあいた近界民を睨みつけた大河はもう一度踏み込むために脚に力を込めた。

 出力を抑える鎖が解かれた戦闘体は残像すら映す初速でもって敵に肉薄する。

 

「――今度は当たり(ヽヽヽ)のようですな」

「……!」

 

 その残像とともに右手を置き去りにさせられた大河は振り向きそうになった首を強引に敵の方へ縫い付けた。

 今の出力での制御は自分でも難しい。そんな状態で元から目で捉えられない剣の嵐に突っ込むのだ、落ちたのが首でないだけマシ――そう思え!

 手がなかろうと爪は生える。これは肉体でなくトリオン体。肘から先に突き出た刃を振るって杖剣を弾く。

 

「旋空弧月!!」

 

 叫ぶ荒船の声。視線すらやらずにおいたが、それは大河だけであった。

 

「っ!?」

 

 荒船の宣言(ヽヽ)に釣られて伸びる斬撃を警戒していた近界民は、線状ではなく点で飛んできた攻撃に目を丸くした。

 今は剣士として振舞っている荒船の本職は狙撃手(スナイパー)、いつの間にか狙撃銃に持ち替えていた彼は「見た攻撃に即座に対応する」老兵の、ある種の癖を逆手に取ってだまし討ちを行ったらしい。

 しかしそれでも援護射撃を削り潰す異常な使い手。旋空より早い狙撃の弾とはいってもそれを落とすのに造作もない。

 狙撃の反動が消える前に伸びた円に荒船が捉えられ、避けきれないと悟って出したシールドごと横に分割されてしまった。

 

「《すんません、あと……三分っす》」

 

 ひびが広がって、荒船の戦闘体が爆散する。

 ああ、まいった。一人で三分は難しい。となると――

 大河の思考が危険な領域にまで及んだその時、彼と、同時にボーダーをも救う声が通信に乗る。

 

 

「《――――よし》」

 

 

 二宮の静かな声が大河の選択を止めた。

 彼は五分とされた作戦立案時間を使い切ることなく、ものの二分で組み立てたのだ。

 村上と荒船の犠牲は無駄ではなかった。短い時間に済んだ背景には二宮に反発しがちな影浦が親友(とも)のためと文句を飲み込んだことが大きい。そんな偶然が積み重なってボーダーは近界民の手ですらない消滅の危機を逃れたのだった。

 

 巨大化させた爪で強引に敵を振り払い、戦闘開始前の距離に戻って尋ねる。

 

「《……決まったのか》」

「《なんとかな。あんたの右手がなくなったのは痛いが……》」

 

 右肘から先で輝くブレード。爪を生成し攻撃はできても、柔軟な動きはさせられそうにない。

 二宮の指摘に大河が妹の名を呼ぶ。

 

「《問題ねえ。おいミサキ》」

《あー……、もうっ! やってやるわよ!》

 

 髪をくしゃくしゃにする音と、計器を叩く音。ややあって大河の右ひじから伸びるブレードの束が形を変えていった。

 メキメキと音を立てて変形した姿は巨大な右腕(ヽヽ)。もとより伸びる爪の数は五。であれば自在に形を変えるブレードで腕を構築することも可能である。

 とはいえ腕の動きを完全に再現させるには緻密な調整と、大河の思考をつぶさに追跡(トレース)する必要がある。ミサキも実際にやるのは初めてだ。最大限に集中せざるを得ないこれを行っている限り、もうハイドラの加減もできなくなるだろう。

 

「《……なるほど規格外と言うだけある。まあいい、これで全て出揃った》」

 

 二宮は両手にキューブを生み出しながら敵を見据えた。

 囮役のおかげで、なんとか必要な人員を減らさずに作戦を練ることができた。ここまで来たなら、あとは敵が全力を出してしまう前に殺し切るべし。

 

 

「《攻撃を開始する》」

 

 

 高い壁への挑戦。険しく遠い道のりへ足を踏み出した。

 

 

 


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