黄金の虎   作:ぴよぴよひよこ

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木場 大河②



第三話

 

 

 大河は昔から生き物が大好きな、ごくふつうの子どもだった。

 自分でもわからない内に人に引き寄せられ、持ち前の明るさですぐさま懐く彼は多くの人間に好かれる人気者でさえあった。

 それが「人を殺したい」とまで言うようになってしまったのはなぜか。彼がきっかけだと思っている要因は二つある。

 

 一つは小学校時代に理科の実験で行った蛙の解剖。

 当時理由もなく生き物全般が好きだった大河にとって、この実験は授業とはいえ心苦しいものであった。麻酔を打たれて動かなくなった蛙にメスが入るところなど、見ていられなくなって瞼をきつく閉じていたのを、彼はいまでも鮮明に思い出せる。

 そして、その次の瞬間のことも。

 

 同級生たちの悲鳴につられ、好奇心に負けて目を開いた大河の視界に映ったのは、腹を切り裂かれた哀れな蛙。

 鼻をつく生臭い血の臭いになぜか心惹かれて目が離せなくなる。いや、生臭さではなく、もっと強く、もっと濃い何か。それを探して大河は腹を開かれた蛙に顔を近づけた。

 騒ぎ、あるいはからかうような同級生の声もいまは耳に入らない。

 

 どれだ。どこだ? この芳しい匂い(ヽヽ)の元は。

 

 目を皿のようにして蛙の内臓を探る大河の姿は、よもや気でも狂ったのかと同級生たちに思わせた。それを気にも留めずに彼は蛙の腹に指を捻じ込み続ける。

 そして見つけた。外気に晒されてなお力強く拍動を続けるルビーのような美しい心臓を。

 

 これだ。この匂いだ。

 

 まるで宝物を見つけたような顔で心臓に触れる。とくんとくんといまも血液を送り続けるそれは、まさしく儚い宝石だった。

 ――()は、どうなっているんだろう?

 思いついてしまったが最後、生まれた興味は脳の信号を待つことすらなく手のひらを勢いよく閉じさせた。

 途端、飛び散る血液。小さなはずの蛙の心臓はどこに納まっていたのかと驚くくらい血で真っ赤に手を染め上げる。そこに広がるその匂いに大河は陶酔した。

 (わか)る、(わか)っていく――これは命の匂い、輝く生命の芳香。

 そして急速に訪れる死の匂い。命を運んでいた血液が鉄の臭いに変わっていくのをつぶさに感じ取る。

 

 ふと違和感を覚えて大河は首をめぐらせた。

 自分に注がれる奇異と忌諱の視線。

 しかし感じた違和感はそれではなく。

 

 ――――いい匂いがする。

 

 そこで、大河は全て理解した。

 己が生物を好んでいたのは、この"命の匂い"に惹かれていたから。そして生物のカテゴリにはもちろん、人間も含まれている(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)、ということに。

 蛙も、犬も猫も。生きるもの全てが持つ生命の香り。

 ○○くんも。□□ちゃんも。△△先生も××さんも。みんな胸の中にコレ(ヽヽ)を隠し持っているんだ。――――見てみたいな。

 ヒトが放つそれは他と比べて特に濃かった。だからより興味を引く。

 気になる。……気になる。

 

 この日から大河少年は同級生から距離を取られながらも、なおにこにこ笑って懐いてくるどこか不気味な子どもとして注目されることとなった。

 

 しかしこの時点ではまだ、人を殺したいなどと声高に言うことはなかったのだ。

 幼いながらもそれが悪いことであると理解していたし、人ならざるも生き物を殺傷すれば怒られ、悲しむ者がいるというのは知っていたから。

 だから大河は我慢した。ずっとずっと我慢し続けた。

 誰もが持つふくよかな生命の香りを嗅いでも、祭事で大人数の匂いにあてられても。

 耐えて、耐えて耐え続けた。

 そうして中学を過ぎ、高校に上がり、かつての蛙事件もすっかり忘れ去られ再びふつうの学生になりかけたころ。

 

 あの大規模侵攻が起こったのだった。

 

 謎の侵略者による大蹂躙。人々は逃げ惑い、ある者は殺され、ある者は連れ去られた。

 混乱を極める最中、大河はたった一人の妹を連れて家へと急いだ。泣きわめく妹をなだめすかし、さまざまな形をした侵略者の妙な臭い(ヽヽヽヽ)を避けて幸運にも無傷で自分たちの住居に辿り着くことができた。

 だがそこで待っていたのは、既に冷たくなり始めた両親の姿。

 胸に大穴が空き、見るからに死んでいる彼らを目に捉えた妹は酷く泣き叫んだ。

 それをなだめつつ大河も悲しみに暮れ、しかし蘇えるかつての切望。

 

 ずっと嗅ぎたかった匂い。探し求めていたモノ。――人間の臓腑の香り。

 けれど足りない。これは足りてない(ヽヽヽヽヽヽヽヽ)

 

 その存在を知ったいまならわかる。

 求めていたのはトリオンの匂い。生体エネルギーであるその香りに大河は惹かれていた。

 当時は知り得なかったトリオン器官ごと心臓を抜かれたがらんどう(ヽヽヽヽヽ)な両親からは、その残滓しか感じ取れない。

 

 これがもう一つのきっかけ。

 ずっと耐えてきた大河の欲求は、両親の死の匂いによって強く、より大きく膨らんで、もはや抑えきれるものではなくなり始めていた。

 

 ――殺したんだから、殺されても文句は言えないよな。

 

 怒りでもなく、憎悪でもない。ただそういう言い訳(ヽヽヽ)を得て、零れる涙を拭くこともせずに大河は立ち上がった。

 遠くにはいまもなお蹂躙を続ける謎の巨獣たち。

 匂いでわかる。アレは生き物じゃない。ならば――

 

 

 

――――――

――――

――

 

 

 

「アレを操ってる奴らがいる」

 

 黙って話を聞いていた城戸司令に視線をやりながら、大河は笑う。

 殺戮を繰り広げた謎の侵略者。あの巨像からは生きた匂いがしなかった。だがあれほどの動きをプログラムするには高度な知識が必要である。

 

「そいつらはきっと俺たちと同じような人間(ヽヽ)だ。けど、俺たちの世界の住人じゃない。つまり……」

 

 殺しても、いいんだ。

 そう結論づけた大河は大規模侵攻で唯一近界民(ネイバー)と対抗し、近界民にもっとも近い場所にいるであろうボーダーへ入隊したというわけである。

 なるほど、と頷いた城戸は再びこめかみの傷に指を這わせた。

 

(彼の匂いに対する執着はおそらくサイドエフェクト……言うなれば強化嗅覚の影響だろうが、トリオンを嗅ぎ分けるというのは聞いたことがない)

 

 正隊員と同じように、ランク分けすればSからCのうちもっとも希少度の低い強化五感の一種。しかし炎や電気と同じように、それそのものには匂いなど存在しないエネルギーであるトリオンを嗅ぎ取るなど、本来ならばありえない話だ。

 だが彼の尋常ならざるトリオン能力の影響がそれを可能にさせているのかもしれない。同時に、この異常な殺人衝動もそのせいか。

 いわば、副作用(サイドエフェクト)の副作用。一度知ってしまったトリオン器官の香りは、まるで麻薬のように大河の脳を侵してしまったのだろう。

 しばし黙考していた城戸は話し終えた大河に向かって口を開いた。

 

「……結論から言おう。たしかに近界民を殺しても法に触れることはない。奴らにこちらの人権など存在しないからな」

 

 城戸は努めて無感情にそう断じた。

 個人的な恨みを除いても、この世界の住人ではない近界民はいかに人型をしていたとしても厳密には人間ではない。ゆえに殺そうと監禁しようと罪に問われることもない。この世界の法はこの世界の秩序しか守らないのだから。

 

「――――!」

 

 その言葉にギラリと目を輝かせる大河。

 まさか自分のこんな話を真面目に聞いて、しかも肯定してくれる人間など存在するはずもないと思っていた彼は、それだけで城戸に対して好感を覚えた。

 

「君がS級隊員となり、もし……私の、本部司令直属隊員となれば、いつかその願望を叶えてやることも可能だろう」

 

 城戸が続けたのはやはり勧誘のセリフだった。

 この異常に過ぎる殺人衝動を持った人間を放置するのは危険すぎる。しかし手元に置いてコントロールできるならば、これ以上ない強力な駒となるだろう。

 大河の能力を活かすには、その牙を向ける相手を用意せねばならない。だが近界民を排除するのは城戸も望むところ。これは穏健派の忍田にも友好派の玉狛にもできない優位な点である。例え異常嗜好の持ち主であっても、城戸にとっては都合のいい趣味であるとしか思わない。

 

「どうかね?」

 

 試すように問われた大河は、一瞬の逡巡もなく即答した。

 

「なります」

 

 初めて自分の異常性を認めてくれた人間。それだけでなく、望みを叶えてくれるとあっては頷かないわけがなかった。

 殺してもいい、と。殺させてやる、と。この男の部下になれば『殺しの許可証(ライセンス)』が手に入るという。ならば断る理由がどこにあるというのか。

 

「俺は、アンタについていく」

 

 鋭い歯を見せて笑った大河を見て、城戸も満足そうに頷いた。

 その莫大なトリオン能力を以て近界民を排除する。黒トリガーにすら値しかねないその力を存分に揮わせる。このトリオン能力があればおそらくどのようなトリガーでさえ起動できるだろう。それこそ、近界(ネイバーフッド)の国をまるごと消滅させてしまうような、規格外の破壊兵器さえ。

 それを、いま、手に入れた。世界を揺るがす引き金(ワールドトリガー)を、この手の中に。

 

「決まりだ。これから先、木場隊員には私が直々に命令を下すことになる。鬼怒田開発室長には君専用トリガーの開発を急がせよう」

 

 城戸が書類を一枚取り出して署名、押印して大河にもまた名前を書かせる。

 嬉々としてペンをとる大河を見つつ、城戸は内心でほくそ笑んだ。忍田派や玉狛派に先んじて、城戸派はとてつもなく大きな"牙"を手に入れた。あとは鋭く磨き続け、来たるべき時に突き立てるだけだ。

 そうでなくとも大河のトリオン量はボーダーに対して多大な利益を生むだろう。防衛能力や防壁の強化、トリガーの新規開発、使い道はいくらでもある。

 

「では、これからよろしく頼むぞ」

「こちらこそ」

 

 どちらからともなく右手を延ばし、契約(ヽヽ)を終えた。

 互いの利益のため、虎は首輪を受け入れ、飼い主は餌を約束した。後の最凶戦力、特S級隊員はこうして誕生したのだった。

 

 城戸は無表情のまま、傍から見てもわからない程度だが上機嫌になったらしく、心なしか饒舌に大河と会話していたところに鬼怒田が現れ、大層彼を驚かせたという。

 

 

 





大河のイメージはコミックス13巻に掲載されている『企画初期のカゲ』です。
超悪人面(笑)


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