第二十八話
月の光が厚い雲に遮られた真っ暗な夜に、とうとう決戦の時は来た。
しんと静まり返った三門市。冬の澄んだ空気はしかし不穏な音声を伝播させ、街じゅうにそれを響き渡らせた。
《
放棄地帯と違って小奇麗な建物の群れは、人がいないだけで
今宵は風も寡黙に過ごすらしい。警報以外に何も音が存在しない街に、なお避難路を示す電光掲示板や点滅を繰り返す信号機がぼんやりと明かりを差し伸べて、ひそやかな薄気味悪さを助長している。
《付近の皆様は直ちに避難してください》
誰もいない街中で、街路樹だけがその無機質な警告を身に浴びていた。
――――――
――――
――
繰り返される警報を耳にしながらも、本部作戦室の末席に座った根付は組んだ手の上に顎を乗せてほっと息を吐いた。
「念のため警戒区域を広げておいて正解でしたねぇ」
レーダーを映し出す巨大なスクリーンには、出現したトリオン兵が市街地に向かって侵攻していく様子が映し出されている。
メディア対策室長である根付には許しがたい光景のはずだったが、迅の予知によってさらなる被害が予想された三門市は警戒区域をさらに広げており、現在トリオン兵が向かっている地点が無人であると知っている彼はふだんよりも落ち着きを持ってそれを眺めることができていた。
「だが止められねば意味はない。敵の数は?」
忍田が厳かに問うと、コンソールに向かっている沢村が端的に答える。
「数は二。出現したトリオン兵は爆撃型のようです。基地から離れ、西部、東部にそれぞれ向かっています」
「たったの二体だとぉ?」
「何か狙いがあるのかもしれないな……。とにかく撃ち落とそう」
鬼怒田の怪訝な声に頷きつつ命令を下す。
本部基地の外壁からミサイル型の迎撃装置が発射され、トリオン兵に殺到する様子がレーダーに映し出された。ミサイルタイプの攻撃力は迎撃砲台のそれよりも数段上だ。当てるのに一定以上の距離を必要とするため強襲時には使えなかったものも、爆撃型が基地から離れていくのであれば自爆モードであっても撃墜するのに充分な威力を発揮してくれるだろう。
「目標まで五〇……二〇……、命中!」
そして直撃し、
だが。
「……! 撃墜したトリオン兵の周辺に新たな反応多数! これは偵察用小型トリオン兵の反応と思われます!」
「イレギュラーゲートを開くつもりか!」
沢村の報告に忍田がそう推察すると同時、爆撃型トリオン兵を示していたレーダー上のマーカー付近にさらに点が増えていく。
あの小型トリオン兵は周辺の人間からトリオンを吸収してゲートを開くという能力を持っているが、警戒区域であるあの地点に人はいないはず。最初から充填しておいたのか。
ラッドが開くイレギュラーゲートに誘導装置が効かないのはボーダーも既に知るところ。しかしそれに予めトリオンを注ぎ疑似的な
――厄介なものを。
忍田が歯噛みしている間にも次々とトリオン兵が送り込まれてくる。
「西部地区に敵トリオン兵団出現! データにない反応! 数……一〇〇……二〇〇!? さらに増加中!」
「なっ……!?」
「なんじゃその数は!?」
あまりの数に全員が息を飲む。
先日撃破したアフトクラトルのトリオン兵だけでも千に近い数があり、敵戦力は粗方削ったと思っていたところにこの追加数。やはり迅の言った通り敵には増援があったらしい。
「東部地区にもトリオン兵団が、こちらは三〇体程度、ですが……」
「人型、か!」
モニターに映し出された映像に、アフトクラトルとはまた違った装いの
角がないため所属する国は違うようだが、イルガーとラッドを使ったことからしてアフトクラトルとは協力関係にあると思われる。
「冬島のワープで対応に当たらせる! 部隊は――」
しかしボーダーとて準備は万全だ。ほぼ無限のようなトリオン、それを存分に活かした防衛措置は徹底されている。
忍田が本部作戦室に詰めていた冬島に指示を飛ばそうとした時、ザザ、と通信が繋がる音が聞こえた。
《本部、こちら実力派エリート。聞こえてますか?》
「迅か、どうした?」
通信は現在ソロのA級隊員扱いとなっている迅からであった。彼はいま本部基地防衛のため、警戒任務にあたっていた狙撃手とともに屋上に待機している。
《人型近界民、出ました?》
「ああ、今確認した」
《そっちにはA級の上位部隊を回してください。単独部隊じゃけっこうヤバイかもしれない》
「何、それほどの……?」
彼の言葉に忍田のみならず、わずかながら城戸も眉を上げた。
敵はこの短期間にそこまで強力な駒を新たに持ちだしてきたというのか。ならばなぜ最初からそれを使わなかったのだ?
……ともあれ、今はそれを考えている場合ではない。
「了解した、助言感謝する」
《いえいえ~、実力派エリートですから》
通信が切れ、一瞬の間が空く。その刹那に思考をめぐらせた忍田は冬島へと命令を下した。
「東部地区に出現した人型には太刀川隊、風間隊、草壁隊を回せ! 現場の判断で不足だと感じられた場合はすぐに報告するよう通達しろ!」
「了解~っと。
「ああ、頼む。西部地区には天羽を。フォローに嵐山隊と片桐隊をあたらせろ、前警戒区域を出たトリオン兵を追撃させるんだ」
天羽の黒トリガーは大軍を相手にするのに向いているものの、昨日までの警戒区域を越えて追撃させると放棄されていない民家への被害が大きすぎる。人がいないとはいえそれは憚られるため天羽にはトリオン兵団の
切っていくような勢いで指示を飛ばす忍田に鬼怒田が立ち上がって声を荒げた。
「忍田本部長、A級をそんなに外へ出して大丈夫なのか!? 敵の、アフトクラトルの狙いは本部基地だと迅も言っておったろう!」
迅の予知。敵のうち二人の顔を見た彼が言うにはアフトクラトルの目的はC級隊員から少し
おそらくはこちらが奪った
茫洋とした話ではあったが本部はそれを前提とした防衛態勢を敷いている。いくつかの特例も通して万全の構えをとっているのだ。
けれどもここまでの増援は予想を超えている。そんな鬼怒田の焦りに頷いた忍田はそれでも落ち着いて所見を述べた。
「戦力は充分整っている。基地防衛であればB級の合同部隊でも間に合うだろう。市街地に向かったトリオン兵団に捕獲用の新型が紛れ込んでいた場合を想定すると、最小限の出撃に留めるにはA級部隊が必要だ」
「たしかにそうですねぇ。無人とはいえ市街地への侵攻は最小限に留めねば。また散らばる前に殲滅したほうがいいと、私も思いますよ」
忍田の説明に根付が同意する。
このトリオン兵団と新たな人型近界民の狙いは明らかに戦力の分散。しかも迅の言葉を信じるならB級で人型を抑えるにはかなりの人数が必要になる。ならば強力なA級部隊で速やかに排除し、また本部へ戻らせるのがベストだろう。
「東西ともに迎撃部隊現着、交戦を開始しました!」
市街地の防衛はこれでひとまず大丈夫か。だが敵の本命はまだ来ていない。
「アフトクラトルの反応はまだか?」
忍田が問うと、コンソールを操る沢村が広域レーダーの出力を上げた。
「依然反応は――来ました! 基地南部に敵性反応! アフトクラトルの人型近界民と思われます!」
それと同時に敵が出現したらしい。
モニターに映し出された黒い球体のようなもの。辛うじて見えた影の数は五、つまり残った人型全員で
「迎撃部隊を周囲に展開しろ。屋上からも援護射撃をさせるんだ」
「了解っ」
冬島がスイッチボックスを操作して待機中の部隊を送り出す。
厳戒態勢を敷かれた今は基本的に部隊単位で管理され、それぞれの作戦室が本部の大規模トリガーを介して冬島のスイッチボックスに接続されている。
それらを統合する冬島が各部隊のオペレーターに作戦と隊員の状態を確認させてから
「迎撃部隊配置完了!」
沢村の報告通り、基地周辺レーダーにいくつもの味方識別反応が浮かぶ。
基地防衛。敵の全戦力を計算に入れた迎撃部隊はA級が少ないとはいえボーダーの主力陣である。加古隊、三輪隊に続き元A級の二宮隊、影浦隊。そして個人から迅、空閑の玉狛勢、最後の砦に木場大河が待ち構えている。
……敵の狙いのひとつに大河の存在が予想されているとあったが、それでも彼が捕獲されるなどという事態はボーダー幹部たちはそこまで心配していなかった。
もし捕らえられたら危険なんて言葉では表せられないくらいの――三門市どころか世界の危機である――異常事態に陥ることになるが、率直に言ってアレの捕獲は困難を極めるというレベルではないのだ。
たとえその仕組みを知ろうとも――いや、知れば知るほど無理難題だということばかりが浮き彫りになる厳重な管理体制。もともと徹底されていた大河の危機回避システムは、捕獲まで至るのにボーダー基地を落とすことすら必要になる。もはや心配をすべきは彼でなく基地の方と言っても過言ではない。
「木場はおいといても、黒トリガーを二つとも出すのは心臓に悪いのぅ」
鬼怒田が気を揉んでそうこぼす。
大河を含め他の隊員と違って黒トリガーには
ちなみに空閑の黒トリガーは本部ではなく玉狛が管理するものであるが、入隊時にその存在は空閑と同時に本部にも容認されており、先日の第一次アフトクラトル強襲時の独断使用にも特にお咎めなどはなされていない。無論ランク戦などに使用してはならないが。
そして迅の手に戻った『風刃』は現状もっとも有効に使えるという点で本部管理のまま彼に使用を許可している。
「ですがやはり心強いですねぇ。こういう時こそ存分に力を発揮してもらわないと」
根付は額をハンカチで拭いながらそう言った。
過剰にも思える戦力だが、敵もまた互角かそれ以上だ。角つきの強力なトリガーが二つ、黒トリガーが空間移動とキューブ化、凶悪な遠隔斬撃で三つ。そんな相手に温存はしていられない。……最強部隊たる玉狛第一はある意味で温存とも取れる任務に就いているが。
迎撃部隊が配置されたのを確認して、忍田は拳を握りしめた。
「――――戦闘開始だ!」
最後の火蓋が切って落とされる。