黄金の虎   作:ぴよぴよひよこ

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第二十七話

 

 

 

 大方の作戦会議を終えたボーダー隊員たちは、それぞれ鋭気を養うために自由時間を過ごしていた。ある者は好物をたらふく食べたり、好きな映画を見てやる気を高めたりなどなど……またある者は家族に連絡をして安心させてやったりと来たる決戦に向けて心の準備を整えている。

 

 B級以上の部隊は作戦室に籠る者も多かったが、それを持たないC級隊員は狙撃訓練場を仮初の宿として一塊に過ごすことになっていた。

 ボーダー隊員とはいえ未だ戦力に数えられていない彼らは庇護対象であり、戦争が終わるまでは家に帰ることも許されていない。敵の主だった狙いは彼らである。家に戻すために方々に散らすと敵の矛先がどこに向くかわからなくなってしまう。

 まるで囮か何かのような扱いになってしまったが現状ではどうしようもない、と幹部たちは決断した。

 そのひよっ子たちでごった返した狙撃訓練場で、一人の少女が不安そうに猫を撫でていた。

 

「チカ子、大丈夫かなー……」

 

 明るい髪色にぴょこんと跳ねた毛が特徴的な夏目出穂は、新型トリオン兵から逃げる際、近界民(ネイバー)によってキューブにされてしまった狙撃手(スナイパー)仲間の雨取千佳を気にかけて不安を口にした。

 かつてこの訓練場でも見た雨取の異常なトリオン能力は近界民にとって有用であるらしく、新型や人型近界民に執拗に追い回された挙句に目の前でキューブにされてしまったのだ。

 その後近界民は撤退し、雨取は開発室のラボでキューブ化から解放されるという話になっていたが、未だその姿を見せてはくれていない。どうにも拭いきれない不安が夏目の心を覆っていたのだった。

 

「大丈夫だよね。メガネ先輩もそう言ってたし、A級の人なんか近界民ボッコボコにしてたもん」

「……」

 

 感情の読めない猫の表情。声に反応してか小首を傾げて少女を見上げる。

 頷いてくれていると捉えた夏目はかの戦場のことを思い起こしていた。

 

 キューブ化された雨取を抱え、強力な新型を一手に引きつけて逃げる三雲。おかげで夏目をはじめとしたC級はそのほとんどが窮地を脱することができたのだ。

 走る先に見えたボーダー本部基地の大きな正面扉に安心感を覚え、しかし振り返ると追い詰められた三雲がラービットに囲まれ、もうダメだ、と目をつぶった直後。

 臙脂色の隊服を着たA級部隊、三輪隊が現着して三雲はその窮地を脱した。夏目と同い年という緑川も参戦して新型を抑えに回り、彼らは獅子奮迅の言葉が似合う奮闘ぶりで新型を無力化させ、気の強い夏目が慄くほど強大に思える人型近界民さえも圧倒しているように見えた。

 基地屋上からは正確無比な狙撃と味方ですら驚く威力の砲撃が援護射撃として行われ、ついにはその人型近界民も撃退することに成功したのだ。

 

 ……しかし、未だ敵の侵攻は終わっていないらしく、こうしてC級は一纏めに集められ保護されている。不安は消えない。

 敵が諦めていないということは、また雨取が狙われることになるということかもしれない。

 だが己には守ることさえできないという現実に、夏目は拳を握りしめることしかできなかった。

 

「早く戻ってこい、チカ子ぉ……」

 

 彼女の小さな声は、C級隊員たちの喧騒に紛れて誰にも届くことなく消えていった。

 

 

 

* * *

 

 

 

 研究開発室、メインラボ。

 そこではキューブ化という未知の能力を解析し、輝く六面体にされてしまった隊員の解放が急がれていた。多くのC級がキューブ化され、そしてA級隊員の木虎も同じく箱詰め(ヽヽヽ)にされてしまっている。

 できれば戦力になるB級以上の隊員の解放を優先したいが、立方体になってしまったそれらには見分けが全くつかない。サイドエフェクトで判別できないかと鬼怒田はトリオン供給中の大河にキューブを見せたものの、会ったことのある木虎はともかく、他はほとんど判別不能のままであった。

 

 致し方あるまい、と諦めた鬼怒田は片端からキューブ化を解いていった。急遽作り上げた孵化器(ヽヽヽ)は二つが限度で、方法が確立されても複雑な秘密箱のようなそれは解放するのに数十分を要する。早く戦力を整えたい鬼怒田にしてみればもどかしい時間だ。

 いらいらと腕を組んだ開発室長の前で、並んだ孵化器、その内の一つが輝き始めた。

 

「…………あれ?」

「おお! 雨取か!」

 

 キューブがあった場所に呆けた顔をしてへたり込んでいたのは雨取千佳であった。彼女に目をかけていた鬼怒田はほっと胸を撫で下ろして孵化器から降りるのに手を貸してやる。

 

「あの、ここは……」

「ここはボーダーのラボだ。きみは敵のトリガーでキューブ化されとったんだよ」

「そっか、私……。っ! あの、修くんは!」

「三雲なら無事だ。今は近界民が一時撤退して、隊員はみな基地に控えておる」

 

 慌てて起き上がった雨取にそう説明すると、彼女は深く息を吐いてもともと小さな身体をさらに縮こませた。

 鬼怒田が優しく肩を叩き安心させてやっていると、扉の向こうから無遠慮な声が響いた。

 

「うーっす、ぽんきちさん、供給終わりましたー、っと?」

「その名で呼ぶなと言っとろうが!」

 

 陽太郎がそう呼んでから、大河は響きが気に入ったのかそれを真似して鬼怒田を「ぽんきち」と呼び続けている。毎回こうして怒鳴られてもどこ吹く風だ。

 

「んー?」

 

 顔を赤くした鬼怒田を無視して姿を現した大河。彼は雨取の小さな身体を認めると、扉をくぐってその近くまで歩み寄った。背の低い少女に向かい、しゃがんで目線を合わせる。

 

「……ふーん。ほっほう、こいつは……」

「……あの、なんですか?」

 

 いきなり現れた大河にじろじろと観察された雨取は居心地が悪そうに身を捩った。

 どうにも嫌な感じがする――人格者である雨取は口に出すことはなかったが、心のうちにざわざわとしたものを感じ取っていた。

 そして目の前の男がギッと牙を見せた瞬間、彼女の小柄な身体が跳ね上がる。

 

「おいコラ、何を脅かしておる」

「えー、そんなつもりはなかったんすけど。悪いなおチビちゃん」

「い、いえ……」

 

 立ち上がった大河を見上げて、雨取は怯えたような表情をみせた。それはもはや人型近界民を目の前にしたのかと思えるくらいの怯えようだ。

 

(……なんだったんだろう?)

 

 雨取は背の高い男を見上げたまま心の中でそうこぼした。

 どうやら、彼女に宿っているサイドエフェクト『敵感知』が発動したことに本人も驚いているらしい。今まで近界民にしか反応しなかったはずのそれが、ボーダー隊員である人物に対して発動したのは初めてのことだった。

 といっても、この能力が実際にどのようなものであるのかは雨取本人すらきちんと理解していない。近界民の襲来、自分を狙うトリオン兵の気配を敏感に感じ取ってきた信頼にあたう感覚ではあるものの、原理や条件は未だはっきりしていないのである。

 

(近界民、じゃないよね)

 

 思いつつ、仮にそうだとしても発動する意味がわからないと自問自答する。同じチームを組んでいる空閑も近界民だがサイドエフェクトは反応しないし、他の隊員に狙撃訓練で狙われた時もまた同様だ。

 しかしこの感覚を信じて今まで危機から逃れてきた彼女は、どうにも大河のことが気になってしまったのだった。

 

「んじゃ俺は戻りますよ」

「おう、ご苦労だったな」

 

 プシュ、と近未来的なドアが開く。

 開発室の入口をくぐりながら、大河は背後の少女のことを考えていた。

 

 ――なんだありゃ。めちゃくちゃいい匂いがする。

 

 今まで名前くらいしか知らず、アマトリ チカという少女が高いトリオン能力を有していると聞いてはいたものの、実際に会ったのはこれが初めてだ。そして、あのような特濃のトリオンの匂いを嗅いだのも。

 なるほど敵が狙うわけだ。

 そう思えるほどのトリオン能力は近界を渡り歩いた大河でさえ初めて見る。そんな自身はもっと規格外であるのだが、自分の匂いは得てして感じ取れないもの。それはトリオンも同様であった。

 

(あー……中身見たいなー。でもなー、ボーダー隊員だしなー)

 

 トリオン器官を抉り出したらどれだけ芳醇な香りが噴き出るのだろうか。しかし近界民であるならまだしも、玄界(ミデン)の、日本の――ボーダーの人間。そんなことが許されるはずもない。

 いっそのこと寝返ってくれればいいのに。

 そんな物騒なことを考えつつ、大河は次の予定へと向かっていった。

 

 

 

* * *

 

 

 

 陽が落ち、すっかり暗くなった基地の屋上で、大河は三輪と迅の二人と顔を突き合わせていた。

 三輪とともに迅によってここに呼び出されていたのだ。

 

「木場さん、秀次。メガネくん助けてくれてありがとな」

 

 ぼんち揚げを片手ににこやかな笑みを浮かべた迅が二人に礼を言う。ずいっと差し出された菓子の袋を、三輪は無視し、大河は無遠慮に手を突っ込んでひと掴みほど中身をかっさらった。

 

「別に助けたわけじゃない。俺は近界民を狙っただけだ」

「まあそうな。つーかアレで助けたって言うのか?」

 

 否定の言葉とぼりぼり響く咀嚼音。しかし迅は変わらず笑みを浮かべていた。

 

「とりあえずメガネくんが死ぬっていう最悪の未来は回避された。二人のおかげでね」

 

 雨取千佳のために身を挺した三雲。「幼馴染を守る」という、他者には変えられない彼の行動原理には常に死がつきまとっていた。

 予知でそれを知った迅は駆けつけられる中でも最高戦力である三輪隊と大河、No.1狙撃手(スナイパー)当真勇に直接頼みに行ったのだ。どうか、彼を守ってくれと。

 そしてそれは成った。敵は一時的な撤退ではあるものの、消耗は敵が大きく、ボーダーは少ない。何よりこの先三雲修には「死ぬ」という未来はほとんど視えていない。だからこそこうして直に礼を言いたかった。

 

「んなことよりよ。あいつを助けないと後悔するってどういう意味だったんだ?」

 

 ぼんち揚げをあらかた食べ尽くした大河が手を払いながら尋ねると、迅は困ったように頬を掻いた。

 

「んー、それなんだけど。実はよくわからないんだよね」

「はあ?」

 

 胡乱気な視線を受け流し「あっはっは」とてきとうに笑ってごまかす。

 迅のサイドエフェクトは『予知』。つまり選ばれなかった選択肢の()は視えないのである。三雲の死と関連しているように思えた大河の未来は、実はそうではなかったらしい。

 ただ、と迅は真剣な顔つきに戻って忠告した。

 

「まだ木場さんのその未来は消えてない。敵の再度侵攻で何かあるのかも」

「おまえまたテキトーなこと言って俺を使う気じゃねーだろうな」

「いやほんとほんと」

 

 据わった鋭い目を向けられておどける迅だったが、彼の胸の内にもまだ不安はあった。

 視えた未来の中、後悔しているのは大河だけではない。三雲たちや己も肩を落としているイメージが脳裏に過って消えないのだ。

 誰かが死ぬという未来ではない。その中には全員揃っている。唯一連れ去られる未来が消えていない雨取でも、次の戦闘で死ぬという可能性は限りなく低いはず。

 なのに、消えない。「最悪」はすでに回避され、この先もボーダーは変わらず運営されているというのに。

 

「迅」

「あ、おうどした秀次」

 

 思考に耽りかけた迅を三輪が呼び戻した。

 冷たい風が吹きすさぶ中、三輪は闇夜に溶け込むような黒いトリガーを懐から取り出して迅に手渡す。

 

「これは返しておく。城戸司令にも進言したが『風刃』は戦況に応じて投入したほうがいい。このさき俺の必要にならないのなら使い慣れているおまえが持っていたほうがいいだろう」

「……そうか。わかった」

 

 そう言うだろうと思っていた迅だったが、あえてそれを伝えずに受け取った。

 三輪に『風刃』を渡したのは三雲の死を回避するため。完全にではなくともその未来を回避した今となっては彼が言うとおり、もっとも使いこなせる迅がこれを手にしていたほうが戦力になる。

 再び握りしめることになった『風刃』はその手のひらの中で、どこか懐かしさを迅に感じさせた。

 

「……ありがとな」

「? だから俺は何もしていないと」

「いや、こっちの話。ともあれ、もう一度アフトクラトルを追い返せばこの戦いは終わる。あと少しだ、頑張ろうぜ」

「そんなこと、おまえに言われるまでもない」

「ほんとに冷たいなー秀次は。でも次はきっと、一緒に戦うことになる(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)。その時はよろしくな」

 

 視えた未来の一端をこぼした迅は、冷たい風から逃れるように屋上から去っていった。

 

 

 

 

―――――――――――――――

 

 

 

 

 決戦の備えを済ませた大河は今度こそ自分の城へと戻ろうとしていた。

 待機場所、予想される攻撃への配置の確認、そして基地トリオンの供給。貯蔵するエネルギーと人員、その両方の全戦力が整ったボーダー本部は、もはやアフトクラトルが初手と同じ規模のトリオン兵団を差し向けてきたとしても充分抗戦できる要塞と化している。

 だが迅の予知によれば敵の攻撃は苛烈なものだという。どこにそんな余力を残していたのかは定かではないが、今のボーダーを手こずらせるほどの猛攻が予想されていた。

 

 ――まあ、なんにせよ全て叩き潰すだけだ。

 ざっくりとまとめた大河はややつまらなさそうに肩を落とした。

 近界民が攻めてくるのならそれに越したことはない。ない、のだが。

 大河の配置は合同迎撃部隊。おそらく忍田派も紛れているであろうその部隊の中で近界民の心臓を抉り出すのは至難だ。すでにC級が攫われている現状、できれば敵は捕縛し捕虜として扱うとの決定が下されている。

 城戸司令も判を押したその命令には大河も従わざるを得ない。

 欲求に任せて行動できるのは抜け道(ヽヽヽ)がある時だけだ。今回でいえばこの戦争は「防衛」とともに「救出」も視野に入り始めている。

 大河にしてみれば全員殺して遠征艇を奪ってしまえばいいのに、と思わなくもないのだが、それでも決定は決定。先を見据えた指示であるため、下手に行動することはできない。

 

「あーあ、つまんねーの」

 

 ぼやきながら木場隊作戦室のドアを開く。

 住み慣れた()、そして最後の肉親である妹の匂いが大河を包んで荒んだ心をいくらか穏やかにさせた。彼にとって家族であるミサキの匂いは、抉り出したトリオン器官の匂い以外に「何か」を満たしてくれる唯一の安定剤でもあるのだ。

 

「おかえり、兄貴」

「ん、ただいま」

 

 独自の研究スペースから顔を出したミサキがぱたぱたと室内履きの足音を立てて駆け寄ってくる。そしてそのまま大河の胸にぼふっと飛び込んだ。

 

「お? どした、なんかあったのか?」

「んー……」

 

 気の強い妹がふだん見せない甘えた様子に、大河は抱き止めつつも不思議そうに尋ねた。

 

「さっき迅さんに会ってさ……次の戦いで兄貴がやられるかもしれないから、気をつけろって」

「はー?」

 

 ミサキのツインテールを撫でつけながら大河が気の抜けたような声をもらす。

 迅とは先ほどまで会っていたが、そのような警告はなされていない。敵には黒トリガーがおり自身を打倒するような相手がいることに今さら驚きはしないし、それだったら直接己に言えばことは済むはずだ。

 なぜミサキに? と不審がった大河であったが、すぐに考え直した。

 彼の戦闘能力は対人戦においてはほとんどミサキのサポートがあってこそ。そして戦闘中に暴走(ヽヽ)を抑えられるのも、城戸司令を除けば妹のミサキただひとりだ。だからこそ遠回りに警戒させたのかもしれない。

 

 しかしながらわざわざ妹の不安を煽るようなやり口が快いわけでもなかった。内心で舌を打ちながら大河は改めて問い直した。

 

「やられるってのは負けるってことか? 死ぬとか攫われるとか想像できねーんだけど」

「わかんない。ただやられるかもって言ってただけだし」

「……相変わらずテキトーだよな、あいつも」

 

 だが明言しなかったということは、おそらくそういう未来ではないのだろう。

 幾分か気が楽になった大河は妹の肩を押し返して笑みを浮かべた。

 

「ま、どうせ俺が戦線離脱したらきちーから根回し(ヽヽヽ)でもしたんだろ。緊急脱出(ベイルアウト)先を遠征艇にしときゃ復帰も脱出も安全にできるし、ミサキもそっちに変えとけ」

「うん……わかった」

 

 身を離したミサキは指揮用(オペレーション)コンソールを叩いて脱出先の変更を実行させた。

 彼らの遠征艇は特別製。豊富なトリオンを殲滅の手段にさえ用いる極めて攻撃的な代物だ。改造を施されたトリガーをも装備させられ、テレポーターやカメレオンといったものと同様の能力を有している。そして緊急脱出(ベイルアウト)してきた大河を接続すれば、彼の戦闘体での時と同等、場合によってはさらに凶悪な攻撃力を発揮する。

 

(これが必要、ってわけか?)

 

 いましがた行った設定の変更に迅の思惑を垣間見ながら、しかし必要ならばいいか、と大河は小さく嘆息した。

 次の攻防戦は楽しむ暇もない。できればとっとと追い返して、次なる遠征に臨むことが彼の唯一の楽しみであった。

 

 

 

 




 




大規模侵攻の展開に悪戦苦闘中……原作通りに終わらせちゃえばよかったと後悔しております。

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