あれから数日、多種多様な測定の結果、木場大河のトリオン能力は『測定不能』であることが判明した。……これを判明と表現していいのか定かではないが、とにかく現状の機材では彼のトリオン量の底を観測できないことがわかったのだ。
もはや異常という言葉にすら収まりきらない大河のトリオン能力であるが、保有する"量"よりさらに特筆すべきは"出力"だ。
訓練用は言わずもがな、正隊員用の正規のトリガーですらそれに耐えきれずに破損してしまう。同じように、訓練室にでも入り込もうものならその部屋ごと機能不全に追い込んでしまうのだから
だが少しは抑えろと鬼怒田に怒鳴られても、生身の状態でトリオン量の調節をすることなど誰にもできないのだから仕方がない。
これはもう大河自身の努力や気合でどうにかなる問題ではなかった。
例えるなら、ダムの放水でコップに水を注げと注文するようなものなのだ。どうにかすべきは放出量ではなく器のほう。
大河を戦闘要員として扱うには特別なトリガーが必要だ。鬼怒田はそう結論付けた。
「こりゃ大仕事だわい」
初めて会った日から一度も消えない隈の上でギラリと光る丸い目。大の大人がおもちゃを見つけた子どものようにはしゃぐ姿を見て大河は苦笑した。
「あー……あはは。で、俺はどうすりゃいいんですかね」
「開発室はこれからおまえ用のトリガーの開発を始める。おまえ自身の処遇については城戸司令に一任したから、一度司令室に顔を出しておけ。設計が終わり次第わしも向かう」
「はいはい……」
手を払って追い出された大河は、一人わけもわからないまま歩き出した。
とりあえず合格はしたってことでいいんだよな? そう不安に思いつつ近未来然とした廊下を進んでいく。
鬼怒田の説明により、ボーダー隊員にはトリオンとかいう謎パワーが必要で、どうしてか己にはそれがものすごい量で備わっているらしい……ということだけは理解できている。だがなんでか強すぎてまともに運用できないらしきことも感じ取って、大河は己の行く末が少々心配になったのだった。
「はあ……っていうか司令室ってどこだよ」
思えば場所すらちゃんと聞かされていなかった。
あの鬼怒田という男は開発室長という地位にいることから、それなりに
不満も露わにため息をついた大河は、適当に視界に映った人間に聞くことにした。ちょうど都合よく、少し向こうにエレベーターを待っている様子のスーツを着込んだ男性がいてくれたのを見つけたのだ。
「あのー、すんませーん」
「……どうしたね?」
振り向いたその男性はその筋の者かと思うくらいの人相の悪さをしていた。白いものが混ざった髪を後ろに撫でつけた頭と、鋭い目のその左にかかる長い傷痕が余計にそう思わせる。
が、そんなことを気にも留めずにふてぶてしくも大河は道を尋ねた。
「やー鬼怒田サンって人に司令室に行けーって言われたんですけど、司令室ってどこっすかね?」
「それなら、私もいまから向かうところだ」
「え、マジ? ちょうどよかった、連れてってくれません?」
「ああ、来たまえ」
ラッキー、と促されるまま到着したエレベーターに乗り込む大河。
「いやー助かりましたー、ありがとうございます!」
「かまわん」
「俺こないだ入隊試験に合格したばっかなんですけどね、なんか鬼怒田サンって人に捕まっちゃって」
「鬼怒田開発室長から聞いている」
「あ、そーなんですか。これ俺ちゃんと合格してるんですかね? なんか入隊式ってのがあったみたいなんですけど、俺それ出てないんすよ」
大河は自身も飲み込めていない状況に、不安からかぺらぺらと口を回していく。
強面の男性は見た目にそぐわない律儀さで、時おり頷きながら大河の言葉を聞いていた。
「きみはたしか木場大河だったか」
「あ、はい。知ってるんですか」
「ああ。心配せずともきみはすでに正式に入隊していることになっている。安心したまえ」
「そうなんだ、よかったー」
いま大河が馴れ馴れしく話しかけている相手こそ、界境防衛機関ボーダーの最高司令官、城戸正宗である。
舐め腐ったような態度の大河であるが、若者が増えつつあるこの組織では寛容な心も必要なのか、城戸司令はとくにそれを咎めるようなことはしなかった。むしろ彼をよく知っている人間からすれば意外なほど穏やかに応対しているとさえ思われることだろう。本当に見ている者がいたら胃を痛めていたかもしれないが。
「こっちだ」
案内された部屋にはたしかに『司令室』と書かれている。
城戸がノックもせずにそのドアを開けたのをなんら不思議に思うこともなく大河は後に続いた。
「あれ、誰もいないじゃん……司令って忙しいのかな」
キョロキョロと室内を見回す。
部屋の中にあるのは執務用と思しきデスクと書類の入った棚。他には来客用のソファがテーブルを挟んで鎮座しているのみだ。
そういえば、と大河は思う。鬼怒田には司令室に行けとは言われたものの、時間の指定はされていなかった。もしかしたらこのままここで司令とやらを待つよりも、もう一度開発室に戻ったほうが早いかもしれない。
いったん戻るかと思い直した彼が案内してくれた男性に礼を言おうと向き直ると、
「では、話をしようか」
「……!?」
そこには悠然と椅子に座る強面の男の姿があったのだった。
そしてようやく思い至る。案内してくれたこの男性こそボーダー最高司令官なのか、と。
「ええ……、ちょっと、先に言ってくださいよ」
「なんだ、知ってて話しかけてきたのではないのか」
「いや知りませんって。こないだ入隊したばっかって言ったじゃないですか」
「そうだったな。では改めて自己紹介しよう。私がボーダー本部最高司令官、城戸正宗だ」
「木場大河です、よろしくお願いシマス……」
「別に身構えずとも、取って食べたりはしない」
冗談なのかそうでないのか判然としない真顔で言われ、さしもの大河も言葉に詰まる。
それに唐突に話をしようと言われても、彼はここへ行けと言われただけでどのような内容の話をするかなどこれっぽっちも聞いていないのだ。気まずそうに頬を掻くくらいしか彼にはできなかった。
「さて、きみにはボーダー史上類を見ないトリオン能力が備わっているという話だが」
「え、ああなんかそういうこと言ってましたね」
口火を切った城戸司令に、まるで他人事のように返す。
実のところ、大河はトリオン能力をもてはやされているのはわかっていても、それがどれだけ異常なことなのか未だに理解できていない。
鬼怒田の説明は専門用語ばかりでわかりにくいし、同期の隊員たちとは一度も顔を合わせてすらいないのだ。平均も知らないのに、能力が高い――しかも目に見えないエネルギーが――と言われても、彼にとっては「へえそうなんだ」としか言いようがないのである。
「鬼怒田開発室長からは、きみは通常のトリガーを扱えないと報告を受けている」
「らしいっすね。俺、正隊員にはなれないんですか?」
「いや……」
左目にかかる傷を指先でさすりながら、城戸は鋭い形をした目を大河の方へ向けた。
「ボーダーは現在、隊員を募りその規模を広げている。それに伴い隊員にはランクが付与されることとなった」
「ランク……ですか」
「個人や部隊単位での能力の指標だ」
軍隊などとは少し形式が異なるが、階級のようなものである。防衛という戦闘を含む任務を行うボーダーでは、公になるまでは少数精鋭の部隊がいくつかあるだけだった。
しかし隊員が増え規模が広がりつつあるいまでは少し体系が変わってきている。
より優秀な人員を、より優れた部隊を、それに見合った任務に就けさせる。能力が見合わない隊員たちにはランクを上げるために切磋琢磨してもらい、仮に個人では劣っていてもポジション分けされた部隊内で役割を担わせる。そのための階級付け。
「AからCまでのランクを定め、隊員たちには決められたレギュレーションの武装で模擬戦を行ってもらう予定のはずが、きみには通常のトリガーは扱えない。つまりランク戦には参加できないというわけだが……」
そこまで言い、少しの間を置いて城戸は続ける。
「私はきみをS級隊員に任命しようと思う」
「S級?」
「ああ。本来は
「すんません、ブラックトリガーってなんすか」
「……通常のものよりもずっと強力なトリガーだと思えばいい。鬼怒田開発室長がきみ専用のトリガーを完成させれば、おそらく黒トリガー並の戦闘能力を有することになるはずだ」
「はあ」
大河は納得とも嘆息ともとれない相槌をついて頷いた。
彼は入隊式にも顔を出しておらず、ランク戦についても知らなかったままだ。もちろん対外的には機密である
一応、合格書類にはランクのことと、それに伴う給料の変化なども書き記されてはいたものの、それをしっかりと読み込む前に鬼怒田に呼び出されてしまっている。
いまいち話が伝わっていないと見た城戸は、もっと深い話をするべく切り込もうとした。
「きみは、何か目的があってボーダーに入隊したのではないかね?」
「ええ、まあ」
「よかったら聞かせてくれないか」
城戸司令は大河を囲い込む腹積もりだ。
S級にするのは確定としても、彼のトリオン能力は脅威である。放置する手はない。
そして願わくば、本部司令直属の隊員にしてしまうのがもっとも都合がいいのである。人が増え、派閥が形成されつつある現在のボーダーにおいて、城戸は己の真の目的のためにも強力な駒は手元に置いておきたい。
問われた大河はするりと視線を泳がせてから答えた。
「やー、近界民をブッ殺したいだけっすよ。うちの両親、あいつらに殺されちゃったんで」
「ほう……」
面接の時と同じく、あからさまな嘘と思える返答に城戸は目を眇めた。
「ここにはきみと私の二人だけだ。盗聴も、記録もされないと断言する。加えて、きみの目的がなんであれ、それを理由に不当な扱いはしないと約束しよう。木場大河くん、きみの本当の目的を教えてくれないか」
「…………」
真っ直ぐに見つめられ、大河は居住まいを正した。
これはもう生半可なごまかしは効きそうにない。城戸の視線は心の中まで見通すような鋭いもので、てきとうな嘘を並べたところですぐさま見破られるだろうと大河に確信させた。
しばしの間を置いて、ゆっくりと彼は話し出す。
「……近界民をブッ殺したいってのは本当です。でも正確に言うなら」
すぅ、と深く息を吸い、大河は
「俺は、――――"人を殺したい"」
そう答えたのだった。