C級ランク戦ブースへ大河たちが到着すると、そこでは奇妙な光景が待ち受けていた。
「三雲センパイ、すみませんでした」
「……えっと、何が?」
空閑と戦っていたはずの緑川が三雲に頭を下げ謝罪していたのである。
不可思議な状況に大河と三輪は一連のやり取りを終えるまで待ってから彼らに話しかけた。
「よう玉狛の」
「お? タイガー先輩とミワ先輩」
「あ、ど、どうも……」
自分たちの方へ向かってくる二人を確認した空閑は「コンニチハ」と手を上げ、三雲は汗をだらだらと流して会釈した。どうやら三雲は初対面時、いきなり大砲を向けてきた大河にトラウマを植え付けられたらしい。
彼らの横にいた三輪隊の隊員である米屋も気付いて話しかけてくる。
「おー秀次、どうしたんだ?」
「陽介もいたのか。俺は城戸司令にこいつらを呼んでこいと命じられたんだ」
「え、そうなの? くそー白チビとバトるつもりだったのに……」
「悪いな、それはまた今度にしてくれ」
「ちぇー」
口を尖らせながらも米屋は三輪の変化について思う。やはりどこか丸くなっている、と。その変化を与えたであろう人物にも目をやってみる。
「今ちっと会議しててよ、それに関しておまえらの……っつーかレプリカの情報が必要になったんだわ」
「ほう。レプリカの」
空閑と言葉を交わす大河を見るが、果たして三輪が丸くなった理由はわからない。三輪本人に聞いても「最機密事項だ」としか返してくれなかったため、米屋は友人でもある隊長の心境変化のわけについて、ついぞ知ることはなかった。
「忍田本部長に三雲も連れてこいって言われてる。まあとにかく来いよ」
「は、はぁ……」
「すまんね、よーすけ先輩。勝負はまた今度な」
「すまんなよーすけ」
「絶対だからなー」
「オレも絶対リベンジするからね!」
「うむ、ではさらばだ」
今生の別れのような演出で
「誰、こいつ」
「あ……えっとこの子は……」
三雲が言葉を探して言い淀むと、視界の下の方でちょこちょこ動いていた影がむくりと身を起こした。
「おれはたまこまのねむれるしし、りんどうようたろうだ」
馬に乗るようにカピバラに跨ってキラリと目を輝かせる子ども。
白けかけた大河だったが、その身に宿るトリオンの濃さに意外と納得の様子を見せた。
「ほう、なかなかデキそうなやつじゃねーの」
「ふ、なかなかおめがたかい。なをきいておこう」
「俺は木場大河だ。よろしくな」
「たいがか。おぼえておく」
キラリと目を輝かせて自己紹介を交わす二人。
この年齢にしてこのトリオン能力。陽太郎が名乗った「玉狛の眠れる獅子」とやらは実は的を射ているのかもしれない。少なくとも後ろを歩く三雲(めちゃくちゃ薄い)よりは期待できるんじゃないか、と大河は思うのだった。
それきり、特に友人でもない彼らは無言でエレベーターに乗り込んだ。
別段それを気にしたというわけでもないだろうが、静かに上昇を続ける狭い箱の中で空閑が三輪に向けて口を開いた。
「今日はいきなりドカドカ撃って来たりしないんだな」
「…………」
が、無視である。元々コミュニケーション能力が高い方ではない三輪は、
「そりゃ入隊を認めたんだから殺せねーだろ。俺たちはおまえに情報さえ吐いてもらえればなんでもいいのさ」
代わりに大河が答えて、空閑はそうか、と頷く。
「お姉さんの敵討ちのためか」
「……なぜそれを」
姉のことを言われてようやく三輪が反応した。空閑は情報源について話すことはなかったが、もし米屋が教えたとバレれば空閑の代わりに彼がしばらく無視されることになるだろう。
「たしかにレプリカが詳しく調べれば、お姉さんを殺したのがどこの国かけっこう絞れると思うぞ」
「……、ふん。その情報はいずれ吐いてもらうが、今日の議題はそうじゃない。黙っていろ
むう、と口を尖らせて空閑が黙る。
初めて出会った時に狂犬のようだった三輪がこれほど大人しくなっていたのには実際に矛を交えた空閑にとっても意外であった。少しばかり神経を逆なでるようなことを言ったのは、その理由が気になってあえてのことだ。情報が欲しい時、相手を怒らせて口を滑らせるのを待つというのはありきたりな手法である。
「…………」
三輪が大河の背中を見て心を落ち着ける。
狂犬だった彼は狂獣である大河の本物の狂気にあてられて、かえって精神的には落ち着いたのかもしれない。
しかしその牙が丸くなったわけではない。今は雌伏の時。噛みつき方を、噛み殺し方をこれから学ぶのだ。もし空閑が本当に問題を起こしたならば、冷静に猛る今の三輪を相手にすることになり、初めて会った時よりも手こずることになるだろう。
無関係なのにプレッシャーを受けて胃を痛めそうな三雲が
他人に配慮しない大河と三輪は大股でさっさか歩き、追随する三雲と小柄な空閑、カピバラのらいじん丸が早足で後を追う。
到着した会議室の扉を開けると、鬼怒田の怒声が彼らを迎えた。
「遅い! 何をもたもたやっとる!」
「ああ鬼怒田さん、お疲れっす」
部屋の中央には
そんな多忙な開発室長に大河があいさつをすると、足元にいた陽太郎がそれに続いた。
「またせたなぽんきち」
「ぶっほ!!」
鬼怒田の「なぜおまえがおる!?」という大声をかき消して大河が吹いた。
「ぽ、ぽんきち……はっはっは!」
「何を笑っとるか木場!」
「くく……、まあ落ち着いてくださいよぽんきちさん」
「貴様がその名で呼ぶんじゃない!」
まるでコントのようなやり取りだったが、城戸の咳払いで場の空気が引き締まった。
「時間が惜しい。早く始めてもらおうか」
頷いた忍田が前に出て、会議に参加したばかりの空閑と三雲に説明を始める。
――近く予想される近界民の大規模侵攻、対策を立てるため空閑の情報と、三雲のトリオン兵との戦闘の経験を教えてほしい。現在わかっているのは小型偵察用トリオン兵と、大型の爆撃用トリオン兵を使う国だということ。
「なるほどな。レプリカ、頼んだ」
頷いた空閑は近界の情報を渡すためにスリープモードだったレプリカを起こした。
『心得た』
袖からにょろりと顔を出したレプリカが毎度の如く炊飯器型をとる。
空閑が正隊員になった日からレプリカの持つ情報はボーダー本部のものになってはいたが、その
コピーするにも時おり資料に紛れ込んでいる「その国独自の文字や言葉」はデータベース化すらできない謎の情報だ。
だが自律トリオン兵であるレプリカは聞けばわかりやすく答えてくれるので無理に解析するより聞き取りで情報をまとめた方が早いとされ、惑星国家の軌道配置図やその国の名称といった重要なものを提供してもらった後は、大河の奪取してきたトリガーの解析に開発室の総力をあげ、レプリカには必要な時だけ応じてもらう取り決めを交わしていたのだった。
「いま、わしらの世界に近づいてきておる国はこの四つ」
鬼怒田が機器を操作すると会議室の中央に浮かぶ軌道配置図の中から、今現在接近している国の名前が表示される。
リーベリー。
レオフォリオ。
キオン。
アフトクラトル。
「おまえにはこれらの国の特徴を教えてもらおう」
『承った』
鬼怒田がふんぞり返って促すと、浮遊したレプリカがそばにいた宇佐美に投影機と自分を接続してもらい、浮かんでいたホログラムが切り替わる。
『これらの国に滞在したのは七年以上前のことなので現在の状況とは異なるかもしれないが』
そう前置きして解説を始めた。
レプリカがそれぞれの国の映像を映し出す。
『広大で豊かな海を持つ水の世界、"海洋国家"リーベリー。
この国は自国の資源が豊富であるがゆえ他国に攻め入るようなことは滅多にない。逆に防衛時には海そのものが敵の進撃を阻む防壁となるため、兵力が特別高いわけではないが敬遠されることが多く、比較的平和で穏やかな国だ。
そして特殊なトリオン兵に騎乗して戦う"騎兵国家"レオフォリオ。
こちらも戦闘の際に騎乗のためのトリオン兵を必要とするので、あまり侵攻には向かず、主に防衛に特化した戦力を備えている。人馬一体の兵士たちは機動力、突貫力に優れ、開けた戦場では特に真価を発揮する』
リーベリーとレオフォリオの国が映し出された立体映像を眺めながら、会議メンバーたちが黙って聞き入る。
続けてレプリカが残りの二国の映像に切り替えた。
『偵察用小型トリオン兵ラッド、爆撃用大型トリオン兵イルガー。これらを扱う国はこの中ではキオンとアフトクラトルに絞られる。キオンは厳しい気候と地形が敵を阻む"雪原の大国"と呼ばれ、アフトクラトルは近界でも最大級の軍事国家であり"神の国"と称される。
どちらも抱える戦力は星々の中で指折りだ。特にアフトクラトルは七年前の時点で十三本もの黒トリガーを所有していた』
「十三本……!」
思わず忍田が絞り出すような声で驚嘆した。
黒トリガーが十三本。数字としては二桁でありながら途方もない数だ。一つでもあればその国力は目覚ましいほどの変貌を遂げるというのに、それが両の手の指よりも多いとなると、その凄まじさが理解できるというもの。
『しかし黒トリガーはどの国でも希少なため、通常は本国の護りに使われる。遠征に複数投入されることは考えづらい。多くても一人までだろう』
レプリカの言葉には頷きつつも、城戸がこちらで得た情報も交えて尋ねる。
「仮に黒トリガーを一人含めたとして、六人以上の近界民が遠征部隊を差し向けてくるとなると、それはどの程度の規模の戦力だと考えられる?」
『遠征に使われる船はサイズが大きいほどトリオンの消費も大きい。黒トリガーを含める六人、もしくはさらに多い人数での遠征、それを"こちらの世界"へ、という前提を含めて考えるとかなりの規模が予想される。三門市を一つの
「……そうか」
「六人ってやけに具体的だな?」
二人の会話に口を挟んだ空閑の言葉に、忍田が小さく頷く。
「木場のサイドエフェクトで、少なくとも六人の近界民が存在することが判明したんだ。先月の小型トリオン兵を送り込んできた近界民だ」
「なるほど……」
ちらと大河を見やると流し目で見つめ返される。空閑は玉狛支部で"話"をした時にサイドエフェクトという言葉が出てきたことを記憶していても、それがどういう能力かは説明されていない。しかし「そういう匂いがした」とは言っていたので大体の予想はついたようだ。
『攻めてくるのはキオンとアフトクラトル、どちらかの可能性が高いが、人型近界民が現れた際、見分けるための目印を教えよう。一言で言えば、頭に
「ツノ? 鹿やらヤギやらの角か?」
鬼怒田の疑問にレプリカは炊飯器のような全身を使って頷きの動作を行う。
『正確にはトリガーを改造したトリオン受容体だが、外見上は角のように見えるはずだ。アフトクラトルでは以前より、そのトリオン受容体を幼児の頭部に埋め込み、後天的にトリオン能力の高い人間を作り出す研究が進められていた。
我々が滞在していた時期には既に実用レベルにあり、同時にこの技術は国家機密でもあったため他の国に流出するとは考えにくい』
レプリカの説明に大河が感心したようなため息を吐いた。
「どうやってそんな国家機密を手に入れたんだ?」
『それは――』
「待て木場。今はその話をしている場合じゃないだろう」
「……うっす」
忍田に咎められて大河が沈黙する。しかしどうにも気になってしまっていた。
軍事国家のトップシークレットというその情報。手に入れるのはそう簡単な話ではない。実際に近界の国に攻め込んだことがある大河だからこそその難しさが理解できる。
太陽の国で例えるなら、あの試作型トリガーの性能や仕組みが当てはまる。
アレももし市街地を殲滅するようなことさえしなかったならば、決して戦場に出てくることはなかっただろう。切り札足り得る技術はそれだけの非常時にでも陥らなければ姿を見せることはない。ただ滞在するだけでは国の機密など手に入れられるはずもないのである。
大河は見たこともない空閑の父親に対して疑念とともに尊敬の念を抱いたのだった。
「続けよう」
城戸が静かに進行を促した。
「角付きだと具体的に何が変わる? トリオンの量か?」
再開された対策会議で最初の質問をしたのは風間。
レプリカがふわりと身体の向きを変える。
『量に加えて質も変化する。"角付き"の使うトリガーは武器というより身体の一部と捉えた方がいい』
「そりゃどういう意味だ?」
続けて大河の方を向き、説明を補足した。
『簡単に言えば、"自分の指先を操るようにトリガーを操作できる"。
例えばボーダーのトリガーで言えば戦闘体の腕がスコーピオンになり、指先の感覚まで再現して動かせるようなものだ。複雑な能力のトリガーだろうと素早く、かつ精密に操作できる彼らの戦闘力は、通常トリガーを大きく上回る』
「なるほどそりゃ厄介そうだ……」
言いながら、大河はその角とやらがちょっと羨ましくなった。トリオンコントロールの苦手な彼にはぜひとも欲しい機能が備わっている。しかしまぁ、実際に着けたとしたら頭蓋骨ごと暴発するというなんともグロテスクなオチが待っているだろうけども。
『さらに、角を使って黒トリガーとの適合性を高める研究もされていた。黒トリガーと適合した場合は角が黒く変色する』
「ふうん……」
いよいよもってレプリカの持つ情報量が異常になってきた。大河はあの交渉で空閑の入隊を認めたことに間違いはなかったと確信する。
近界最大級の軍事国家の機密をこれだけすらすらと言い連ねることができるのだ。もはやこのトリオン兵の価値は、己が積み上げてきた遠征の回数と屍の山よりも高い。
「では、人型近界民の参戦も考慮に入れつつ防衛体制を詰めていこう」
忍田の鶴の一声で会議の方向は部隊の運用についての話へと切り替わっていった。
そういった類の話が苦手な大河は適当に聞き流して明後日の方向を向く。どうあってもその身は一つの駒。いつなんどき敵が攻めて来ようと、大河は下される指令に従ってそれを排除するのみ。……ただ、極上の餌が目前にぶら下げられれば、どうなるかは定かではない。
(早く来ねえかなー)
そんな物騒な思いを馳せながら、会議の終了を待つのであった。
リーベリー、レオフォリオについては完全に捏造設定。どうせ出ないしいいよね。