第十一話
翌日、開発室最奥の部屋にて三輪は大河と相対していた。
しかしようやく念願の叶った彼は目の前の状況に困惑している。
「おう、来たか」
「ど、どうも。……これは何をしているんですか?」
「ああこれか?」
三輪が指したのは大河に取りつけられた機器の数々。
リクライニングシートのようなソファに深く座った大河にはさまざまなチューブや電極が伸びる機材が取りつけられており、さながら重篤な入院患者の病室のような様相を呈していた。
足の踏み場もないほど乱雑に張り巡らされた極太の配線はどこかサイバネティックでもあり、三輪は実は大河が改造人間なのではないかと半ば本気で思ったほどだ。
「これは基地運営用のトリオンを供給する機械だよ」
「基地運営用……? 防壁や迎撃用のですか?」
「そうそう。あとは研究用とか実験用とか……まあいろいろあるけど、早い話が俺は今日、乾電池役ってこと」
「そ、そうなんですか」
途方もない話に三輪は驚きや尊敬を通り越して呆れてしまった。基地運営をはじめとするトリオンを個人で供給するなど、どれだけのトリオン量を有していれば可能となるのか。城戸が言っていた「
ソファ横に用意されていたドリンクをストローで吸いながら大河がまぁ座れ、と手で示す。
配線に埋もれかけていた椅子に腰を下ろして、三輪はぺこりと頭を下げた。
「今日はありがとうございます。急な頼みを聞いてくださって」
「おう。鬼怒田さんに頼んで防音にしてもらってるからなんでも話せるぞ。……で、何を聞きたいんだ?」
大河がずごごーっと中身を飲み干したコップを備え付けの簡易テーブルの上に置くと、瞬時にそれが消えて新たな飲み物が配置された。スイッチボックスにも使用されるワープトリガーである。
無駄遣いこの上ないトリガーの使用法に一瞬鼻白んだ三輪だったが、極秘の話をするための気遣いなのだろうとなんとか気を取り直して大河に向き合った。
「えっと……では。まず、木場さんはなぜ単独で遠征に行かれるのですか? 未知のトリガーを手に入れるだけなら通常の遠征に同行するだけでもいいはずですが」
「そりゃおまえ、
ノータイムで返された物騒極まりない答えに、しかし三輪は怯むことなく聞き入る。元より彼も近界民と交渉するなど生ぬるいと感じているのだ。三輪にとっては大河の答えはむしろ、理想的とさえ感じられた。
「ふつうの遠征じゃ、下手すりゃ本当に行って帰ってくるだけだ。んなつまんねーもん、行きたくねーよ」
「どうしてそこまでして近界民を? 気分を害されたら申し訳ありませんが……やはり家族を殺された恨みでしょうか」
「そりゃあ、恨みがないって言えば嘘になる。こんなんでも家族の仲が悪かったわけじゃないしな。でも別に、俺は復讐のためにやってるわけじゃない。殺したいから殺す。それだけだ」
「……そう、ですか」
三輪は大河のことを同じ復讐に燃える仲間だと思っていたが、どうやら違ったらしい。その事実に覚えたのはほんの僅かな落胆と、同じくらいに湧いてくる興味。
視線を落とした彼はどこかで復讐者と成り果てた己の進むべき道を探していたのかもしれない。家族を殺されたこととは別のところで近界民殺しを望む大河に、それを重ねているのだろうか。
「俺の遠征は完全にトリガー奪取に限定されてんだ。おまえも知ってるだろうが通常の遠征任務にはあの大規模侵攻を敢行した国の情報を探したりとか、その被害者の捜索も含まれてる。
けど俺はその真逆。"こっちの世界"……向こうじゃ
「…………」
開かされていく内容に黙って聞き入る。理由が復讐でないことは少し残念だったが、それは置いておいても、大河が
が、続く言葉に三輪は違う意味で言葉を失った。
「今日ここに来る前、城戸さんに聞いたぞ。おまえは姉の仇を討つためにボーダーに入ったんだってな」
「……っ」
急な話題の転換に息を飲んでしまう。
脳裏に過るかつての記憶。冷たい雨と、己の腕の中で失われていく姉の体温。三輪はそのフラッシュバックに吐き気を覚えて口を押さえた。
そんな彼を慮ることなく、大河はさらに続けて言う。
「言っちゃ悪いが、俺とおまえは違う。俺がやってることはただの殺戮だ。玄界とはほとんど接点のない国で暴れて、殺して……。向こうにとっちゃ俺たちが大規模侵攻を受けた時と同じような気分だろうよ」
たしかにその通りだ。三輪も素直にそう思う。
何も知らずに過ごしていたところに、あの決戦兵器のような武装を抱えた男がやってきて一切合財を灰塵に帰される。向こうからしてみれば悪夢のような話だろう。
「おまえが俺に何を期待してんのか知らねえけど、たぶん望んだ答えは返せねーぞ」
「…………」
黙り込んでしまった三輪を、大河は感情の読めない表情で眺めていた。
試すような、哀れんでいるような視線。晒された三輪は膝の上できつく拳を握りしめる。
望んだ答えは返ってこない。大河の言葉にしかし、失望していない自分がいて彼は当惑していた。では己は何を望んでいたのだろうか。それさえわからず何も言い出すことができずにいる。
「じゃあ逆に聞くがな」
静かな機械音だけが場を支配する中、大河が鼻を鳴らして問う。
「おまえはなんで城戸さんの下に就いたんだ?」
「それは、近界民を排除することがボーダーの使命だと……」
玉狛の友好派は論外として、忍田本部長の派閥でさえ生温い。近界民排斥主義を掲げる城戸派こそ己が身を置くべき立場。
そう答えた三輪だったが、大河は肩を竦めて否定した。
「そうじゃねえよ、直属隊員にまでなった理由だ。派閥がどこだろうと襲ってくる近界民は排除する。おまえが復讐を望んでようがやることが変わらない以上派閥はどこだっていいはずだろ。まあ、司令派は近界民を恨んでる連中が多いから居心地はいいだろうけどよ、直属にまでなる意味はない」
「それは、そうですが」
ボーダーは界境
三輪が司令直属隊員になったのは、城戸に勧誘されたからだ。
その時の口説き文句は――
「昨日の空閑に対しての様子を見りゃわかる。おまえは近界民を殺したがってる」
そう、近界民を殺せる、と。殺していいと言ってのけた城戸に忠誠を誓った。そのために今日まで牙を研いできたのだ。
「じゃあなんで殺したい? 復讐するだけなら大規模侵攻を起こした国だけでいいはずだろ」
次の問いにもすぐには答えられなかった。
「俺は……」
三輪とて近界にはさまざまな星が浮かび、中にはこちらの世界と全くすれ違わなかった国もあったのだろうとわかっている。復讐すべきは姉を殺した大規模侵攻を起こした国。他はどうでもいいはずなのに、彼は頑なに近界民を排除しようとする。それはなぜなのか。
いまでも定まっていない心の内へ彼はようやく向き合い、その
「――俺は……きっと、やつらが
国単位ではこちらの世界と接点がなかろうがもはや関係ない。次元の壁の向こうは全て敵だ。やつらは既に奪った。かけがえのない者を、時間を、全てを。
仮にいままで地球とすれ違わなかったからといって、もしこちらにトリガー技術がないと知ればどんな国だって侵攻し、人々を蹂躙しようとしただろう。
ボーダーが設立されてからもトリオン兵はひっきりなしに送り込まれてくる。その事実がそういった考えを助長する。
「…………」
両手で震える肩を押さえた三輪を、大河がじっと見つめている。
「だから……」
攻めてくる"かもしれない"。奪おうとしてくる"かもしれない"。それだけで、既に奪われた者からすれば排除する理由になる。この不安が晴れるとすれば、それは近界民を殲滅し尽くした時にでしかありえない。
ゆえに――
「殺さなければ、と……思います。怖いから殺す。危険だから殺す。近界民だから……」
そこまで言って、三輪は大河を見つめ返した。俯いた顔から見上げるようにしているその目は、叱られるのを待つ子どものような不安や怯えを孕んでいた。
「……はっ」
そんな彼の頭を大河は愉快そうに笑いながらわしゃわしゃと撫でつけたのだった。
「やっぱ俺とおまえは
「っ~~……」
呆けた表情を戻せず、どこか気恥ずかしさを覚えた三輪は俯けていた顔をさらに下へ向けた。
しかし同時に大きな安心感も得て、なぜだろうと理由を探す。
きっと、誰にも言えなかった「怖い」という感情は彼の本質を指していたのだろう。恥ずかしさと、自分でもわかる理不尽さから言えなかった言葉。自分が近界民を酷く憎んでいることを知り、なおついてきてくれる米屋のような仲間にさえそれを伝えることはできなかった。
怖いから根絶やしにするなんて、あまりにも理不尽で非合理で、荒唐無稽な子どもの言い訳だ。その弱さを覆うために「危険」という言葉に言い換え、
だが大河は笑って認めてくれた。弱々しくちっぽけな本当の自分を。そのことに彼は安心したのかもしれない。
あれだけ固執していた復讐は三輪の全てではなく、彼はおぼろげながらも前を見ようとしていた。たとえそれが非現実的なものであっても、歩みを止めることはなかった。
そんな彼にとって大河という存在は、きっとこの上ない味方で、「殺したいから殺す」という危険な思想さえ迷わず突き進む力強さに思えて頼もしく感じたのだろう。
「き、木場さん?」
「…………」
黒髪をくしゃくしゃにしつつ大河は三輪に対する認識を改めていた。
実際のところ、大河にとって三輪の思いなどどうでもいいことであった。他人がどういう意志をもってボーダーに入隊し任務に就いているかなんて興味もない上、知ったところでなんの益もない。
そして己が異端中の異端であることは理解していたし、城戸司令以外の誰かにわかってもらうつもりもなかった。
しかしこうして実際に「誰かの近界民を殺す理由」を聞かされると少しだけ心が動いたのだ。
あの不安や怯えを孕んだ瞳は、かつての自分だった。
決して許されない切望。三輪の思いとは道を
だからこそ三輪の思いを簡単に否定することはできなかった。
城戸が頷いてくれた時。ミサキが嘆息しながらもついてきてくれた時。大河は言葉に表せないほどに嬉しかったから。
「あ、あの、もう……」
「んあ? ああ……」
気まずそうな声にふと我に返る。
まぁごちゃごちゃ考え込んでしまったが、要は近界民殺しのお仲間ができて少し気が楽になった、といったところか。
「悪い悪い」
「いえ……」
やんわりと外された手を引っこめて、代わりに飲み物と一緒に送られてきた菓子類を勧めた。
「ほれ、食え」
「ありがとうございます」
断るのも無粋かと三輪はそれに手を伸ばしつつ、逸れた話題を元に戻そうと話しかける。
「木場さん、よかったら遠征先でのことも聞いていいですか?」
「かまわねーよ。どうせ今日は暇だからな」
尋ねられた大河は鷹揚に頷いた。
その身体から伸びる機材はいまも彼のトリオンを吸い上げ続けている。常人なら数分で終わる作業も、大河の莫大なトリオン量にもなると一日がかりの大仕事だ。ちなみに初めてこの仕事を任された際にはトリガーだけでなく本部のトリオンタンクすら破裂させて、鬼怒田の頭髪と血管の数本が犠牲になったのは余談である。
「んー、何を話すか……」
「記憶に残ったことだけでもかまいませんよ」
心なしか柔らかくなった三輪の語調。それに気付かないまま大河はぽんと手を打った。
「んじゃそうだな、遠征の最後のほうの話でもするか」
半年にも及ぶ遠征になると、最初に赴いた国なんかは印象が薄くなるもの。記憶に新しい近界の国を思い浮かべた大河は、ソファに座り直して長話の体勢をとった。
三輪も居住まいを正して聞き入る姿勢になる。彼は久方ぶりに、心がわくわくするのを感じていた。
「最後に乗り込んだ国なんだがな――――」
目を輝かせている後輩に教えてやろう。
大河は血に塗れた話を、あえて
たとえこれで三輪に恐れられようとも構わない。それならそれで、己のやることにはなんら影響もない。これからも一人戦場に立つだけだ。
血に飢えた虎の、禁断の記録が紐解かれていく。
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三輪の思いは完全に独自解釈。
次回から国家だのトリガーだの独自解釈だのオリジナルの設定が多数出てくるのでベイルアウトの準備だけはしっかりと。
よろしくお願いします。