黄金の虎   作:ぴよぴよひよこ

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木場 大河①


序章
第一話


 界境防衛機関、ボーダー。

 この組織は次元を超え襲い来る謎の侵略者『近界民(ネイバー)』と対抗できる、地球上でただ一つの民間組織である。

 世界を震撼させた近界民侵攻を抑え、平和を守る組織として市民――特に本部基地が存在する三門市ではヒーローのような扱いを受けており、この町の者にとってボーダーに入隊することはある種のステータスとも言えた。

 

 そんな特殊な防衛機関に入隊するには、いくつかの試験をクリアする必要がある。

 ・基礎体力

 ・学力テスト

 ・面接

 これらが一般に知られている試験内容だ。

 防衛、すなわち戦闘を行う隊員には運動能力が求められ、作戦を理解する頭も必要となる。そして特級の極秘技術である『トリガー』を扱うため、入隊する者の素性は厳密に調査されるのである。

 しかし試験合格のための内訳には、公にされていないにも関わらずもっとも重要なファクターが存在した。

 

 それが『トリオン』。

 トリオン能力とも呼ばれるそれは人間ならば誰しもが持っている、心臓の横にある見えない内臓『トリオン器官』で生み出される生体エネルギーだ。近界民と戦うために必要なボーダーの武器『トリガー』を使うための動力でもあり、これが一定の基準に満たないと試験を全てパスしても落とされることとなる。

 トリオン器官はある程度鍛えることも可能であり、しかしそれでも劇的に変化することは稀なため、特にトリオン能力がそのまま戦闘能力に置き換えられる防衛隊員としての入隊にはそれなりの能力が求められた。

 

 剣を振るうにも、弾丸を放つにも、トリオンが必要なのだ。

 失えば戦線を離脱せざるを得ないボーダーの防衛隊員は、基本的にトリオン能力が高ければ高いほど適性があると言えよう。

 

 ――しかし、やはり物事には例外があった。

 

 

 

* * *

 

 

 

 四年前――

 近界民(ネイバー)による大規模侵攻が起きてから三度目の入隊試験。

 史上初の異次元からの侵略、そして歴史にもなかなか類を見ない千を超える死者を出した()の事件は、それまで少数精鋭志向であったボーダーを規模拡大の道へ歩ませるには充分な出来事であった。他にも様々な思惑が入り乱れてもいたが、ともかくとしていま現在ボーダーでは大々的に民間からの入隊を募集しているのである。

 また、人々の中には界境防衛機関が公になり、しかし保持する技術や近界民に関する情報が開示されずにいたことを不審に思う者も存在したが、それをおいてもボーダーは市民の憧れでもあり、三度目を迎えた入隊試験の会場を受験者で埋め尽くせるほどには、ボーダーという組織には期待が寄せられていたのだった。

 

 第三試験会場。ここは体力テスト、学力テストをクリアした者が最終試験たる面接を受けるための控室である。面接するだけにしてはやたらと広いそこには、数百人もの人間が自分の番を待って座っていた。

 高まる緊張と不安に自然と口数が多くなる受験者の群れの中で、その青年は一人、無言で目を瞑っている。

 

「えー、受験番号351番、木場(きば)大河(たいが)くん。四番の面接室へ」

「はい」

 

 名を呼ばれた青年が立ち上がり、案内された部屋へ通される。

 明るめの茶髪が伸びたままといったようなボサボサ頭。特に鍛えられたような身体でもなく、身長も高校生にしては少し高いかくらいの、極めてふつうの男子。

 面接室で待っていた三人の試験官たちも、彼を一目見た際の第一印象はその程度だった。

 

「木場大河くん、一七歳、高校二年生……ね。ああ、座ってくれていいよ」

「うっす」

 

 試験官のうち中央に座っていた男性が椅子を勧めると、木場大河はがさつな返事とともに、無遠慮にどかりとパイプ椅子に腰を下ろした。金属の軋む音に試験官の一人が目を眇めてもおかまいなしである。

 

「じゃあ、まずは志望動機から聞かせてくれるかな」

 

 試験官が書類を手に取りながら決まりきった質問を飛ばす。

 これはほとんど形式だけのものだ。この木場大河という高校生は運動・学力のテストは合格してきているし、素性も問題ない。あとはトリオン能力さえ測れればいい。

 もっとも、あまりに不純な動機を持っていたならばその限りではないが。

 問われた彼は視線を泳がせつつ、頬を掻いてこう答えた。

 

「あー……、復讐ですかね。うちの両親、近界民(ネイバー)? に殺されたんで」

「……なるほど」

 

 明らかに嘘を吐いている。三人の試験官たちは全員そう確信した。

 しかし書類上にはたしかに「近界民侵攻により両親が他界」と記されていた。残った家族は妹が一人。もしかしたら金銭的な理由が志望動機で、いまのは試験官の同情を誘うための嘘か、と彼らは受け取った。

 どちらもボーダー志望の者にはありがちな理由ではある。家を失った者、家族を失った者――どちらであっても防衛任務に意欲を見せてくれるため、特に減点対象にはなり得ない。

 まあ、全てはトリオン能力で決まる、と言ってしまうと元も子もないのだが。

 

「君は防衛隊員志望かな? それとも技術者(エンジニア)?」

「防衛隊員ですね。機械とかあんま強くないですし……身体を動かすのは嫌いじゃないっす」

「ふむ……」

 

 彼の答えを書類に書き込みつつ、"試験終了の合図"を待つ。

 この部屋にはトリオン能力を測る装置が備え付けられており、別室でそれを測定しているのだ。モニターしている()の試験官から通信が届けばあとは適当に話しておしまいにするだけ。

 いくつかの質疑応答を繰り返しているうちに、中央の試験官の耳にザザ、と通信が繋がる音が届いた。

 

《こちら観測室(モニタールーム)……》

 

 どうにも困惑した様子の声に、通信を受け取った男は思わず眉根を寄せる。先ほどまでは「トリオン能力(てい)、不合格」とばったばったと受験者を切り捨てていたくせに、と。

 彼は面接中の大河に知られないようこっそりと――実は試験官はトリオン体である――秘匿通信を送り別室の試験官と言葉を交わした。

 

「《どうしたんだ? 測定は終わったんだろう?》」

《いや、それが……。もう少し面接を引き延ばしてくれないか?》

「《はぁ?》」

 

 歯切れの悪い答えに語気が荒くなる。しかしまぁ、必要ならばしかたない。そう思って改めて目の前の男子を観察してみた。

 ふてぶてしさを除けばどこにでもいそうな高校生。だがトリオン能力を測定している試験官の様子からして、もしかしたら彼は金の卵なのかもしれない。あまりの数値に測定器の故障を疑ったとか、そういう事態になっているのかも――

 トリオンはトリガーを介さない限り目には見えない。だからこそこうして時間をかけて測定しているのである。

 面接の内容を世間話に移行させつつ、試験官は観測室からの連絡を待った。

 

 

 

 

《すまん、待たせた。受験番号351番、合格だ》

 

 およそ一時間にも及ぶ面接は、その言葉でようやく終わりを迎えた。

 やれやれとバレないように心の中でため息をついて、締めくくりの質問を飛ばす。

 

「じゃあ最後に……。木場くんは、正隊員になれたら何をしたい?」

 

 最初と最後の質問は全て同じと決まっている。面接内容があまり重視されない以上、奇をてらった質問など余計に意味がないためだ。多くの受験者たちは「頑張って街を守りたいです」とか「これ以上自分のような人間を増やさないために努力します」などといった綺麗な言葉を使う。

 しかし彼は違った。

 鋭い歯を剥いて残忍に笑い、こう答えたのだ。

 

「――とにかく近界民をブッ殺したいです」

 

 至極楽しそうに。溢れんばかりの期待を声に乗せてそうのたまった。

 一瞬ぎょっと身体を固まらせた試験官たちだったが、どうにか平常心を保って愛想笑いを浮かべる。

 近界民に復讐心を抱く者は数多い。故に馬鹿正直に近界民を殺したいと宣言した受験者も少からずいた。最近ではたしか三輪という少年も似たようなことを言っていたはずだと記憶している。

 だがこれほど楽しそうに、嬉しそうに「殺したい」などと言った者がかつていただろうか。

 猛獣を野に放つような、取り返しのつかないことをしてしまったかのような焦燥感に囚われるが、すでに合格は決定事項。試験官たちはどうすることもできずに大河の退室を見送るしかなかった。

 

 

 

* * *

 

 

 

 試験を通過した大河は後日、ボーダー基地本部にて訓練用トリガーの受け渡しのために開発室に呼び寄せられていた。

 と、思っているのは本人だけで、実際は大河のトリオン能力について技術者(エンジニア)、その筆頭である鬼怒田開発室長が呼び出したのである。

 

 あの面接で行った大河のトリオン能力の測定結果は――――『不明』、であった。

 

 彼を測定しようとした機器は軒並みエラーを吐きだし、全くもって解析不可能だったのだ。

 とりあえず合格としたのは、それが機器の不調や大河にトリオン能力が全くないからではなく、むしろトリオン能力が高すぎるのではないかという疑いがあったから。そしていま、今度こそ精密に計測するために呼び出したのだった。

 

「わしはボーダーの開発部門を束ねる鬼怒田(きぬた)本吉(もときち)という者だ。おまえが木場大河で間違いないな?」

「あー、はい」

 

 気の抜けた返事に鼻白みながらも、鬼怒田が訓練用トリガーを差し出す。

 

「これがボーダーが近界民と戦うための武装、トリガーだ。これを持って起動の意思を発すれば誰にでも使える。まぁ、最初は勝手がわからんだろうから、『トリガー起動(オン)』という言葉をキーワードにして慣らしていくのが通例だな」

「へえ……」

 

 受け取ったそれをしげしげと眺める大河。

 訓練用トリガーにはほぼ基本的な能力しか備わっていない。すなわち、トリオンでできた戦闘体への換装と、一つだけ設定された武器の発動である。

 そして戦闘体で訓練室に入ればコンピューターがそのトリオン能力を再現するために精密に測定してくれるのだ。面接用の程度の低い測定機器では測れなかった彼の能力も、これではっきりするだろうという鬼怒田の考えである。

 

「ではやってみろ」

「うっす……」

 

 いきなり渡されて「トリガー起動(オン)」と叫べ、などと言われると少し気恥ずかしいものがある。まるで子ども向けの特撮ヒーローのようではないか。

 しかしまぁ、これを起動するのがボーダーの戦闘員たる最低限の資質なのだからやるしかないわけだが。

 深呼吸して羞恥心を押し込めた大河は、トリガーを握って起動する意思をたしかに強めた。

 

「トリガー、オ――――」

 

 瞬間、開発室に爆発音が響き渡った。

 同時に巻き起こった白煙が瞬く間に部屋を埋め尽くしていく。

 

「な、なんじゃ!?」

「鬼怒田さん、大丈夫ですか!」

「わしはいい! 木場は――」

 

 一瞬にしててんやわんやになった開発室内。己を心配するエンジニアたちの声を遮って大河を慮る鬼怒田は出来た人間なのかもしれない。

 空調を全開にして、ようやっと煙が晴れた部屋の真ん中で、当の大河は呆然と突っ立っていた。その手には破損したトリガーホルダー。怪我などはないようだが、心底驚いたらしく腰を抜かさないまでも目を見開いて固まっている。

 

「木場、無事か!」

「え、あ、はあ……まあ」

「そのトリガーを見せてみろ。もしかしたら不備があったかもしれん」

 

 正気を取り戻した大河がゆるりと腕を上げる。

 鬼怒田の技術者らしい分厚い手にトリガーを渡すと、鬼怒田は短い足をどたどた鳴らして解析用の機材の前に走っていった。

 それを見送ってから大河はさっきの爆発で服でも破けてはいないかと裾に目をかける。どうやら先の派手な爆発は物理的な被害をもたらさなかったようで、身体も服も、立っていた場所さえも傷一つない。

 

「これは……」

 

 ほっと一息ついた頃、少し離れた場所で鬼怒田の驚くような声が聞こえて、そちらを見やるとちょいちょいと手招きをされた。

 

「どしたんすか?」

「木場、今度はこっちの部屋でもう一度トリガーを起動してみろ」

 

 歩き寄った矢先、示された狭い部屋に押し込まれる。かろうじて見えた表札プレートには『測定室』と書かれていた。

 何事かと思う暇もなく新しく渡されたトリガーに目を落とし、「早くせんか」と急き立てる鬼怒田の声に背中を押されて再び起動の意思を強く持つ。

 

「トリガー、オ――」

 

 ボパァン! とまたも炸裂音。

 今度は狭い部屋に押し込まれたおかげで白煙が襲うのは大河だけである。ゲホゲホと咳き込む彼を無視して、鬼怒田は目を見開きコンソールに釘付けになっていた。

 

「なんじゃこれは……!」

「げほ、ちょ、鬼怒田サン、換気して換気」

「いいからとっとと出てこい!」

「前が見えねーんすよ!」

 

 どこか興奮した様子の声に急かされ、手探りで測定室を這い出た大河。

 なんなんだよ、と口を尖らせた彼を待っていたのはいつの間にかプリントアウトされた紙を持った鬼怒田の姿だった。

 

「これを見てみい」

「これは……?」

 

 渡されたコピー用紙には見たこともない単位で表わされた数字と、ほぼ真上一直線に線が伸びたグラフ。

 はてと小首を傾げる大河に鬼怒田がグラフを指さして説明してくれる。

 

「これはおまえのトリオンの出力グラフだ」

「出力」

 

 オウム返しに答えた大河の頭からハテナマークが取れない。そもそも入隊したばかりの大河は『トリオン』という言葉にすら聞き覚えがなかった。しかも指されたグラフはもはやグラフの体を為していないようにも思える。

 

「なんか、ブッ飛んでますね」

 

 ややふざけ気味に言った大河だったが、意外にも鬼怒田は満足そうに頷いた。

 

「その通り。木場、おまえのトリオン能力ははっきり言って異常だ。トリガーが暴発したのも、おまえのトリオンの出力に戦闘体が耐えきれず破裂したと思われる」

 

 このグラフは起動されたトリガーに注ぎ込まれたトリオンの数値を示している。通常、戦闘体に換装するための『起動費用』がかかるため、少し上に伸びてから山なりに降っていくはずのグラフである。

 それがほぼ一直線に真上に伸び、上限値を越えて計測不能となっているのだ。戦闘体の限界値さえも突破して、換装した直後にそれが弾け飛んだらしい。

 

「へー、そんなこともあるんすね」

 

 呑気な声で返した大河だったが、鬼怒田が口角泡を飛ばしながらそれを否定した。

 

「あるわけなかろう! 異常だと言ったろうが! こりゃ面接の時に計測機器がエラーを起こしたのも頷けるわい」

 

 まくし立てられるように説明されても、専門家でもなければ今日初めてトリガーに触った大河には全く理解が追いつかない。そんな彼を放置して鬼怒田は隈のできた目を輝かせて興奮していた。

 

「こりゃあとんでもない掘り出し物だぞ……! 城戸司令にも報告せねば――おい木場! もう少し付き合ってもらうからな!」

「えー……」

 

 飲み込めない状況に不満の声を上げた大河だったが、やはり無視された。

 このあとも様々な機械やら何やらに繋げられ、鬼怒田の悲鳴なのか歓喜なのか判然としない奇声を聞き続けることになったのだった。

 

 

 

 


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