「信じられんな……いや、有り得んことではないのだが……うむ……」
エルメロイは、顎に手を当てて、まじまじと凛の令呪を注意深く眺めた。
「君も、士郎君も、聖杯戦争の経験者だ。しかも、君たちは戦いの『勝者』でもある。ならば、途中で脱落した私から言う事は何もないか……」
そうつぶやくが、彼はまだ何か言いたげなようだった。
……別に、この堅物を安心させてやる必要などないのだけれど。
「ええ。私なら大丈夫です、先生。それは、先生が一番良く知っているのではなくて?」
「…………」
自信たっぷりに宣言した凛を、エルメロイはいつものように、眉間にしわを寄せて見据えた。
「……そうだったな。“鉱石学科の災厄”には、私もよく悩まされたものだ」
昔の自分たちの異名を聞いて、凛の顔が少し引きつる。それを確認したエルメロイは意地悪く嗤う。
「行ってこい。そして、必ず、生きて、帰ってこい」
「はい。“また”、頂点に立ってやりますから」
凛は特に断りもなく立ち上がり、ずんずんとドアの方へと歩いていく。士郎が、
「こら、凛! あいさつくらいしていけよ……どうも、すいません」
軽くこちらに会釈して、それに続く。
彼らが出ていったのち、エルメロイは自らの席に戻る。そして、引き出しに大切にしまっている、アレを取り出す。
「聞きましたか。エジプトで聖杯戦争が行われるそうですよ。……世界とは、やはり広いものですね」
取り出し、彼が話しかけたのは、一見ただのくすんだ赤色のボロ布である。しかし彼にとっては、この世で最も大切な、もう二度と会う事はないであろう、あの人との絆。あの人との記憶。
「私も、まだまだ負けていられないな」
そっと引き出しにしまって、エルメロイは眼鏡を掛け直した。
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「おい、凛……お互い忙しくって会えないんだから、別れの挨拶くらいはちゃんとしとけよ……しかも、第五次聖杯戦争の勝者は俺だろ? 人の手柄を……」
「黙りなさい。あれが私流の、船出の言葉なのよ。それに、最後まで“サーヴァントと一緒に”生き残っていたのは私じゃない。聖杯を破壊したのも、私のサーヴァントになったセイバーだしね。あんたなんか、あの金ピカぶっ殺しただけでしょうが」
「“だけ”ってお前……ま、いいけど」
エルメロイの部屋を出て、凛たちは家路につく。朝のうちに「今日は休みます」と、互いの職場には連絡を入れてある。これから、エジプト旅行の準備をしなくてはならない。
「……しっかしこれから大変ねえ。ホテル代とか渡航費はむこうが出してくれるにしても、食費はさすがに自己負担よねえ……。着替えもいっぱい必要だし、頭が痛いわ……」
「いきなり金の心配か……さすがは凛だな」
「仕方ないじゃない、こればっかりは職業病みたいなもんよ。宝石翁も、魔術の才能はそりゃ“魔法使い”のレベルだけど……もうちょっとお金のかからない魔術、考案してくれりゃあよかったのにねえ……」
凛の家に代々伝わる「宝石魔術」は、文字通り宝石を用いる魔術である。本来貯蔵の効かない魔力を宝石に貯蔵し、有事の際には取り出したり、宝石自体は魔弾として使ったりもできるという、なかなかに汎用性の高い魔術だ。
が……そのコストがかかりすぎるのが難点だった。父及び自分の魔術の特許料や、外道神父のせいで激減していながらもいまだなかなかの量はある父の遺産等、財源はかなりあり、生活に困るようなことは決してないのだが、いかんせん値が張るものを消耗品として使わなくてはならないので、貧乏性にもなるのだ。
「それはまったく同感だよ。知ってるか? うちの支出のほとんど、お前の宝石代なんだぞ」
「必要不可欠な投資じゃない。あれがなかったらあたしの仕事成り立たないでしょ。家計はあんたに任せてんだから、うまくやりくりしてよね」
「はぁ……はいはい……」
言って無駄だとは士郎も分かっていたが、いろいろと愚痴らずにはやっていられないのもまた心情。しかし、言い負かされるのもまた予定調和。口喧嘩にもなりやしない。
いや、こんな一方的な言い争いをしてる暇もないわけで。
「なぁ、凛」
少し緊張した声で、士郎は凛に呼びかけた。
「なぁに? まだ、なにか言いたいことある?」
先ほどのエルメロイのような仏頂面で、凛は振り返る。少し威圧される。……でも、言っておかなくては。
「その……別に、勝ち負けとかどうでもいいから。頼むから、無事で帰ってきてくれよ」
それだけ、伝えておきたかった。
これからの生活とか、躬和のためとか、そんな理由は、彼の中から一旦消え去っていた。ただ、どれだけ俺がお前を大事に思っているか。それだけは、どうしても分かっていてほしかったのだ。
そんな士郎を――凛は、『ハッ』と鼻で笑った。
「な、何がおかしいんだよ! まじめに言ってるんだぞ!」
士郎は顔を赤くして怒る。ちょっとした気恥ずかしさが、今になって浮かんできたのだろう。
かわいいやつめ、と心の中で微笑みながら、凛は続ける。
「当たり前でしょ。あんたなんかいなくたって、なーんにも問題ないことくらい、よく知ってるわよね? どんな奴らが相手なのか知らないけど、全員秒で倒してやるんだから」
「……はぁ……これだからお前は…………」
先ほどのエルメロイとの会話でもわかったが、こいつの自信過剰はどうも不治の病のようだ。
士郎があきれかえっていると、凛が、おもむろに
「ん? どうし――」
言いかけて、士郎の言葉が止まる。
凛が、上目づかいでこちらを見ていた。その視線に、思わず心がときめいてしまったのだ。
「……でも」
彼女のほのかに紅い唇が動く。……今日はどうしてしまったのだろう。いつもは、こんな気持ちになることなんてないのに。
「それまでは、あんたも無事でいてよね」
言い終えて、凛は士郎の頬に軽くキスをした。士郎が何が起きたのかも分からないうちに、彼女はぐるんと回れ右をして、そのまま足早に歩いていった。
「あ……ちょ、ちょっと待てって!」
振り向かない彼女を追って、士郎は小走りになる。
思えば昔からこういうやつだ。つんけんしてて、厚顔不遜でも、奥底にはちゃんと愛があるのだ。
時計塔は未だ午前11時。少しぬくもりはじめた、3月のおひるまえのことである。
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うむ。やはり人間の霊の人生を見るのは面白いものであるな。無限のバリエーションの
特にこの男。自らの愛する者らのために、文字通り命を削って戦ったにも関わらず、何ひとつ、何ひとつ変えることはできなかった。挙句の果てに、その愛する者すらも壊して、同時に自らも壊れてしまうとは……ククククク、クハハハハハハ! 思い出すだけでも嗤いがこみあげてきおるわ。
……何? ほう……我を呼ぼうというのか。確かに、久しくあちらの世界には出ていなかった。久々に我が力を振るうというのもまた一興であるな。
……いや、待て。何故、我が人間どもの下僕として戦わねばならぬ。あちらの世界に出られるというのは確かに貴重な機会ではあるが、それだけは我が誇りにかけて許せぬこと。我を使役しようなどとは、とんだ不敬である。
しかし、せっかく与えられたこの機会。どうにか利用できぬものか…………。
……フッ。ククク。ククククククク、クハハハハハハハハハハハハハハハハハ!! これは、我ながら名案だ。そのままでも十分に面白いものに、さらなる力を与えたらどうなることか……きっと、それはそれは見ものであることだろう!
目覚めよ、男。もう一度、貴様に機会を与えてやろう――