魔法少女育成計画routeS&S~もしものそうちゃんルート~    作:どるふべるぐ

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前回で語った特典小説の内容による設定変更の有無については、この物語では三巻目の内容は反映せずラピュセルとアリスが出会わなかった世界ということで進める事にしたぽん。でもその前の一巻二巻は含める事にしたので、今話ではその内容についてちょっとだけ触れる所があるぽん。まだネタバレが嫌だという人は円盤を買ってから読むことをオススメするぽん。ダイマ?何の事だか分からないぽん♪


たまとはこんなことを

 ◇ラ・ピュセル

 

 僕は、魔法少女になりたかった。

 それは幼馴染の小雪も一緒で、幼稚園の頃は二人でどんな魔法少女になりたいかをいつも語り合っていた。

 そして小雪は人を助ける魔法少女になりたいと言った。困っている人を助け、泣き顔を笑顔に変える。そんな魔法少女に。

 でも、僕が憧れたのは戦う魔法少女だった。どんな敵にも負けず、どんな危機にも怯まず、力と勇気で乗り越える。そんな凛々しく格好良い魔法少女達の活躍をアニメで、漫画で、ゲームで見るたびに僕の心は躍り胸が熱くなっていった。凄い。格好いい。その姿に、その凛々しさに、そして何よりもその『強さ』に憧れた。なりたいと思った。僕もこんな、戦う魔法少女に!

 

 ……そして、僕は戦う魔法少女になった。なった、はずだった。

 なのに、僕はクラムベリーという絶対に負けてはいけないはずの相手に負け、スイム達の卑劣な策略に屈している。憧れた『強さ』を手に入れたはずなのに。戦う魔法少女になれたはずなのに……今の僕は理想からほど遠い、弱者だ。

 アニメで見てきた魔法少女達は、どんな敵にも負けなかった。そして彼女達の多くは実在の魔法少女がモデルになったらしいと、ファブから聞いた事がある。きっと実際の彼女達もアニメと同じく強く美しい魔法少女だったのだろう。キューティーヒーラー達も、マジカルデイジーも。

 僕も同じ戦う魔法少女のはずだ。なのに……同じ『強さ』になれないのは何でだ。

 なにが足りない? 何が違う? 彼女達にあって、僕に無い物は何だ……ッ。

 

 絶望の中でそう問い続けて、ようやく答えに辿り着いた。

 僕のために頑張ろうとするスノーホワイトの姿に、答えを見つけた。

 本当に正しい、戦う魔法少女の『強さ』とは――

 

 ◇◇◇

 

 名深市門前町には、その名の通り数多くの寺がある。

 その中でも特に寂れた廃寺が王結寺だ。荒れ果てたままうち捨てられ、雨風に曝されてきたその外観は夜ともなれば一層不気味で、いかにも何かが出てきそうな雰囲気が漂っている。実際に少女の生首やら名状しがたいもこもこの怪異が出たという噂話もあり、訪れる者はよほどの物好き以外誰もいない。

 そんないわくつきの寺の本堂の裏が、僕とたまの特訓の場所だった。

 

「じゃあ、始めようか……」

 

 月明かりの中、夜風にそよぐ木の葉が奏でる静かな音色に包まれて、僕とたまは向かい合っていた。

 たまはあいかわらずガチガチに緊張している。ここに来るまでだって手と足が一緒に動いていたし、だいたい三歩歩いて転んでいた。おまけに助け起こそうとすればビクッと震えて後退られる。万事そんな調子だから、

 

(きっ、気まずい……っ!)

 

 こうして二人っきりでいるのは非常に気まずかった。

 というかよく考えてみれば、港の戦いで僕はたまを文字通り踏んだり蹴ったりしたわけだし怖がられるのも当然か……。

 とはいえ魔法少女たる前に一人の男たるもの、引き受けた以上はやらねばならない。腹を括るんだ僕。

 

「えーと……。じゃあまずは君の魔法を見せてくれないか」

「うっ、うん……っ」

 

 怖がらせないようなるべく穏やかに言うと、ぎこちなく頷いたたまはさっそく、近くの地面をその肉球グローブから生えた爪で一掻きした。

 そうして夜闇に一筋の光の軌跡を描き付けられた爪痕は、瞬時に広がり直径一メートル程の穴となる。

 

「おおっ……」

 

 見事な穴だ。その形は綺麗な真円で、中の深さも三メートルはありそうだ。魔法少女ならともかく、人一人を落すなら十分な穴だろう。

 

「本当に簡単に穴が開くんだな」

 

 これが、たまの「穴が掘れる」魔法か。最初に聞かされた時はいかがなものかと思ったが、ひと掻きでこれだけできるのなら大したものだ。港で襲撃された時に危うく落ちかけた巨大な穴もこうして掘ったのだろう。

 覗き込みつつ関心の声を漏らしていると、たまはちょっと照れくさそうに小さな声で

 

「穴掘り、得意だから……」

 

 と、微笑んだ。

 

「えっと……それから、見えていれば前に付けた爪痕も広げられるよ」

「へぇ。すごいじゃないか」

「そっそんなことないよ……。ラ・ピュセルみたいに戦いに使えるわけじゃないし……」

 

 と言いつつ、その頬は確かに緩んでいる。

 それは、今夜僕と顔を合わせてから浮かべた初めての笑顔。きっとたまは自分の魔法が本当に好きなんだろう。……小雪も『人助けにすっごく役立つんだよ』と、自分の魔法をすごく嬉しそうに話してくれたっけ。

 

「……ッ」

 

 いけない。今は目の前の事に集中するんだ。

 ふと心に浮かんだ小雪の笑顔を頭を振って振り払う。

 

「にゃっ!? ご、ごめんなさいっ。弱い魔法でがっかりさせちゃったよね……」

「いや、違うんだ。気にしないでくれ」

 

 気を取り直し、改めて考える。

 たまの魔法は確かにすごい。でも、地面に穴を掘るだけじゃ罠か不意打ち、あとは移動くらいにしか使えないだろう。どう考えても用途が限られていて直接戦闘向きじゃない。

 なら、やっぱり今特訓すべきなのは、

 

「じゃあ、次は組み手をしようか」

「ええっ!?」

「魔法少女と戦うための訓練なんだから当然だろう」

 

 案の定、青い顔で声を上げるたまに僕はキッパリと言う。

 幸い組手なら時々ヴェス・ウィンタープリズンとしているので、僕にもある程度は教えられる。まあウィンタープリズン曰く、映画に出てくるようなモンスターが実際に現れた時に備えてのものらしいけど。この前やらされた対ゾンビ用格闘術なんて魔法少女相手に役立つとは思えないんだけどな……。

 ともあれ、実際魔法だけに頼りすぎるのも良くない。基本的な徒手格闘でも覚えておけば戦い方の幅がぐんと広がるし、何よりいざとなれば素手でも戦えるというのは自信にも繋がる。気の弱いたまにはむしろそっちの方が重要だろう。

 

「大丈夫。組手だから武器は使わないよ。君に怪我をさせるつもりはないから、安心してかかって来なさい」

 

 出来るだけ安心させるように、頼もしい口調で自分の胸をどんっと叩く。その拍子にたわわすぎる果実がぶるんと揺れたので慌てて手を離し、軽く拳を構えた。

 いくら特訓とはいえ、女の子を殴りたくはない。できるだけ防御と回避主体で、攻めるにも捌くか投げるかにとどめよう。けど、手加減はしても油断するつもりはない。

 たまが何をしようと対応できるように、神経を研ぎ澄ませる。呼吸を静かに落ち着かせ、眼差しに戦意を宿し叩きつける。訓練とはいえ魔法少女と拳を交える緊張を感じながら来る一撃を待つ僕に対して、たまは

 

「ひっ……あ、ぅあ……っ」

 

 完全に委縮していた。

 何とか立ってはいるものの、その足は震えて腰は引け、小さな尻尾はくるんと丸まっている。血の気の引いた顔色で、僕の姿を映す瞳は震えていた。

 いけない。相手に呑まれてしまっている。

 

「たま!」

 

 叫び、その意識を引き戻す。

 ハッと我に返ったたまは湧き上がる恐怖心をぐっと堪え、意を決して動いた。

 

「えっ、えええええいっ!!」

 

 ギュッと目をつぶりながら地を蹴り拳を突き出す。勢いはある、だがそれだけだ。狙いも何もあったものではないその拳は空振りして、たまはバランスを崩し顔面から地面へ激突した。

 

「うにゃ!?」

「勢いは良いけど、狙いが駄目だ。だいたい目を閉じていては当たる物も当たらない。たとえ当てられてもかすり傷程度じゃどうにもならないだろ」

 

 ちょうどorzの格好で倒れ込んでいるたまの背中を見下ろしつつ、駄目だった点を指摘する。

 先ずは技術……は、そもそも戦いそのものの経験が碌に無いから仕方が無いか。とすると、やっぱり当面の課題はメンタル面。その心の弱さをどうにかするしかない。

 ならばここははっきりと、あえて厳しい声で

 

「いいかいたま。怖くても相手をちゃんと見て、目を逸らさずに立ち向かうんだ」

 

 そう告げた僕の言葉に、たまの背中が震え、泣き出しそうな声が漏れた。

 

「うぅ……っ」

 

 いけない。言い過ぎたか?

 咄嗟にフォローすべく僕は口を開こうとして――

 

「わ、かった……っ」

 

 その前に、たまは立ち上がった。

 地面に倒れた跡と手形を残し、震える足で地を踏みしめ、立ち上がった彼女の瞳には今だ怯えと緊張がある。だが同時に何か強い意志も宿したその眼差しは、今度は逸らさずにしっかりと僕を見ていた。

 

「へえ……」

 

 臆病な性格から耐えられずやめてしまうかもしれないと思っていたたまの意外な姿。それに軽く驚きつつ、僕は再び地を蹴るたまに拳を構えた。

 

 

 ◇たま

 

 

 握った拳を力一杯に突き出す。けどそれはあっさりと避けられてしまう。それでも何度も繰り返し拳を振るうが、結局一度もラ・ピュセルを捉えること無く風切り音だけが虚しく響く。

 

「はぁ……っ……はぁ……っ…くぅっ」

 

 息が苦しい。わき腹が引き絞られるようにキリキリと痛み、涙の滲む視界がかすむ。

 たまはもともと体力のある方ではなかった。それは魔法少女になっても同じで、慣れない特訓はその少ない体力を容赦なく削っていく。

 そしてなによりも辛いのが、ラ・ピュセルと向かい合うというそれだけであの忘れもしない最初の戦いの記憶が、痛みと恐怖がたまの心に蘇ってくるのだ。

 殴り合いの喧嘩すらもしたことの無かったたまが初めて受けた暴力。迫る靴底に覆われて暗くなる視界。鼻がひしゃげ、痛みが顏一面に広がって、そして暗い穴の中に落ちていくあの恐怖。

 思い出しただけで、身体が震える。たとえ今のラ・ピュセルに害意が無いと理性では分かっていても、本能が恐れてしまうのだ。

 

「………っ!」

 

 でも、それでも、やめる訳にはいかない。強くなるためには。力を得るためには。立ち向かわなければならない。ここで諦めたら、私は……。

 諦めろ逃げ出してしまえと囁く恐怖心を必死に押さえつけ、震える瞼を決して閉じずに、たまは再び拳を握りラ・ピュセルへと向かって行った。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 それから、僕とたまは何度も組手を繰り返しているが、あまり上手くいっているとは言えなかった。

 その瞳こそ僕を捉えているが、たまの振るう拳の軌道は単純で見切るのは容易。くわえてかつて戦った時の恐怖を引きずっているのか、極度に緊張したその身体は強張り腰が引けている。そんな状態で振るわれる拳が当たるはずも無く、僕に容易に捌かれ時には投げられる。既に何度も地面に倒れ転がったその全身は土に塗れ、魔法少女特有の美貌も流れる汗が土と汚れに交じってぐちゃぐちゃだ。

 ここまでやってきたけど、正直進歩しているとはいい難い。やっぱり根本的に、この子には戦いが向かないのだろう。性格的にも能力的にも。それは僕が最初に予想していた通りだった。けど

 

「はぁ…っ…はぁ…っ…」

 

 たまは、今だ拳を振り続けている。

 何度倒れても、何度転んでも、その度に立ち上がって来る。震える足で、唇からは疲労の滲む荒い息を吐きながら、それでも瞳だけは真っ直ぐ僕を見て立ち向かってくるのだ。

 けど、やはり技術が足りない。僕はたまが振るう単純な軌道の拳を横にずれることで避け、すれ違いざまにその背中を片手で軽く押す。するとバランスを崩したたまは再び地面に倒れ、そしてまた、立ち上がるのだ。その動きを止めず、諦めず。ただただ立ち向かうその姿には感心よりも、むしろ危うさを感じてしまう。

 必死過ぎる。いくらなんでも頑張りすぎだ。

 

「たま、少し休もう」

 

 両ひざに手を着き崩れ落ちそうになる身体を何とか支えつつ荒い息を吐くたまに、見かねて声をかける。しかし、たまは弱弱しく首を横に振って

 

「ま、まだ大丈夫だよ……っ」

「もうフラフラじゃないか。無理は良くないよ」

「本当に…はぁ…大丈夫……だから……――ぁっ」

「たまっ!?」

 

 ぐらり揺れて、倒れ込む華奢な体を咄嗟に抱き留める。

 掌で触れたその肌は熱く、汗に塗れていた。

 

「あっ。ご、ごめん……っ」

「……やっぱり休もう。いや、休まなくちゃ駄目だ」

「そ、そんなことないよ。……私は、まだ頑張れるから……頑張らなきゃ、だめだから……」

 

 苦し気な息遣いで、それでも途切れ途切れの声で拒絶するたま。

 やっぱり、おかしい。これはもう熱意とかそんなんじゃない。今たまを突き動かしているのは、まるでブレーキの壊れた機械のように自分が壊れようとも目的にむかって突き進もうとする危うい何かだ。

 

「たま、君はどうして――」

 

 そこまでするのか。

 腕の中のたまに問い掛けようとした、その時――

 

「あーー!? ラ・ピュセルとたまが抱き合ってるー!」

「おおっ! お姉ちゃんマジスクープ!」

 

 響く、愛らしいがどことなく禍々しさを感じさせる二つの声。驚いて声のする方に目を向ければ、いつの間に現れたのか、双子の天使が硬直する僕たちにニヤニヤと笑みを向けていた。

 

「いやー。今頃どうしてるかなーって見に来てみればまさか二人でイチャついてるとはねー」

「ギュッと抱き合っちゃって超ラブラブじゃーん。実は付き合ってたとかマジアンビリーバボーだし」

 

 言われて、今更ながらに異性と肌を触れ合わせている事を意識した僕とたまは、顔を真っ赤にして慌てて離れた。

 

「にゃっ!? ち、違うよミナちゃんユナちゃん!」

「そ、そうだよ! これはなんというか事故で――」

「あーいいよいいよ照れなくってもー」「そーそー。それに今更誤魔化しても遅いしねー」

「誤魔化してるわけじゃなくて……ほんとに私…っ…ラ・ピュセルとはそんなんじゃ……っ!」

 

 僕もたまも必死に言うけど、ピーキーエンジェルズは性悪な笑みをますます深めて

 

「へー。じゃあ恋人じゃないなら何で抱き合ってたのかなー? あ、もしかしてラ・ピュセルに無理矢理襲われたとかー?」

「なっ!?  ぼっ――私がそんな事するわけないだろう!」

「だってラ・ピュセルって男の子だしねー。女の子と二人きりになったらー。こうムラムラっとしたりするんじゃないのー? まして魔法少女ってみーんな美少女だし」

「………そっ、そんなわけないだろ!」

「うわっ何か間があったよ」

「お姉ちゃん。もしかしてあたし達も狙われてるんじゃない?」

「まーその時は年上として優しく受け止めてあげてもいいよー」

「お姉ちゃんマジおねショタ」

「だから違うと言っているだろう!」

 

 一向に止まらない嘲笑とからかいに思わず声を張り上げたその時、隣にいるたまがその身を震わせて

 

「………ッ」

 

 その場で爪を一閃させ地面に穴を掘り、その中へと潜ってしまった。暗い闇に、小さな涙の雫を散らして。

 

「たま!?」

 

 突然の行動に慌てて穴を覗くが、どこまで続いているのか底が全く見えず、その姿を捉えることは出来なかった。

 

「あらら。逃げちゃった」

「ちょっとからかいすぎたかなー」

 

 悪びれもせず肩をすくめる双子。その姿に怒りが込み上げる。

 

「どういうつもりだ! いきなり出てきて邪魔して、これじゃ特訓が台無しじゃないか!」

「だってあたしたちの変身できる物の種類を増やす特訓てマジ退屈でかったるいからさー」

「ユナは見るのが動物の図鑑とかドキュメンタリーだからまだマシじゃん。あたしなんて機械の設計図やら仕組みの解説書を延々と読ませられるんだよ。もうホントうんざりだし。あたしは理系じゃなくて文系だってのー」

「だから気分転換にちょっとからかってやろうかと思ってさ」

「ま、ある意味大成功みたいな?」

「お前らという奴は……ッ」

 

「くしししし」と互いに笑みを向け合う二人を僕が更に怒鳴りつけようとした時、彼女らの唇から出た不穏な一言がそれを止めた。

 

「ラ・ピュセルも大変だねー」

「よりにもよってたまの特訓相手なんてねー」

「あいつヘタレでビビりで臆病だから」

「そうそう。ルーラをやった時も膝抱えて泣いてたし」

 

 それは、まるで愉快な笑い話のように語られた、だがけして聞き逃せないおぞましさを孕んだ言葉。それを聞いた瞬間、僕の背筋にぞくりと悪寒が走った。

 

「それは、どういうことだ……?」

 

 湧き上がる嫌な予感。脳裏に蘇るのはスノーホワイトがキャンディーを奪われたあの夜、何故かスノーホワイトではなくルーラが死んだ不可解な事件。

 ……ずっと疑問に思っていた。何故スノーホワイトのキャンディーが半分残されていたのか。そして何故奪った側のルーラのキャンディーが一番少なかったのか。あの後、ルーラに何があったのか。

 全ての謎と疑問が今、たった一つの情報によってバラバラのピースから一つの恐るべき絵図へと組み上がっていく。

 リーダーを喪ったはずなのに、悲しみの色がまるで無かったスイムスイムとピーキーエンジェルズ。そして今の言葉。ルーラを――『やった』。

 ぐらりと、何もかもが揺らぐような感覚に襲われる。

 まさか、そんな……。敵同士と言うのならまだわかる。でも同じ仲間を……魔法少女が。

 信じられないし、信じたくないと感情が叫び、だが冷徹な理性がそれを否定する。それでも、僕は

 

「お前たちは、ルーラを……殺したのか?」

 

 慄く重い唇を開き、問い掛けた。

 はたしてピーキーエンジェルズは

 

「本人に聞いてみればー」

「じゃー特訓頑張ってねー」

 

 答えること無く、邪悪な笑みだけを残し去ってしまった。

 一人残された僕は、去りゆくその背中を暫し呆然と眺め、

 

「待っ――」

 

 我に返って追いかけようとしたが、寸でで思いとどまる。

 だって、僕は見てしまったのだから。逃げていくたまが浮かべていたあの悲痛な表情と、流れ落ちた涙を。なら、そのままにしていいはずがない。泣いてる女の子を放っておくなんて、正しい魔法少女が――スノーホワイトの相棒がしてはいけないんだ。

 僕はぽっかりと空いた穴の中、底知れぬ暗黒へと身を躍らせた。

 

 

 ◇たま

 

 

 何処までも続くかのような地の下を滅茶苦茶に掘り進み、出た先は薄暗い夜の森だった。

 街灯の光も街の明かりも届かず、白い月明かりだけが夜闇を静かに照らしている。そんな墓所にも似た森の奥で、膝を抱えたたまは独り泣いていた。

 細い腕で震える膝を抱いて、その小さな胸の内では悲しみが悔しさがやるせなさが、様々な感情がぐちゃぐちゃに渦巻いて、潤んだ瞳から涙となってぼろぼろと零れ落ちている。

 

 また、失敗してしまった。頑張ったのに。痛くても辛くても怖くても、我慢したのに。何度も転んでも、泣きそうになっても、それでも必死に立ち上がったのに、駄目だった。

 あげくラ・ピュセルにも嫌な思いをさせてしまった。せっかく特訓に付き合ってくれたのに自分はお礼一つ言えずに怖がってばかりで、それでもラ・ピュセルは嫌な顔一つせずこんな自分を指導してくれたのに

 

「ごめん……ごめんね……ラ・ピュセルぅ……」

 

 ピーキーエンジェルズの誤解を解かなくちゃならなかったのに、自分は一人逃げ出して、

 

「私……やっぱり……駄目なのかな……」

 

 申し訳なくて、情けなくて、悔しくて悲しくて胸が張り裂けそうなのに、こうして泣いている事しかできない。

 まるで、あの時のように。

 

「ごめんね……ルーラ……」

 

 大好きな人を喪った、あの夜から

 

「頑張ってみたけど……やっぱり……私じゃ……」

 

 自分は何も、変われなかった。

 震える手が無意識に、自らに掛けられた首輪に触れる。懺悔するように。縋るように。しかし物言わぬ首輪はもちろん慰める事も責める事も無く、ただただその首を縛めるのみ。己が犯してしまった罪からは、決して逃れられぬのだとばかりに。

 だから、もしそんな彼女に声をかける者がいるのだとすれば

 

「――たま」

 

 女の子の涙を放っておけずに追いかけてきた、お人よしの魔法騎士だけだろう。

 

「ラ・ピュセル……っ」

 

 背後から掛けられた声に驚き振り向けば、涙で潤んだ視界にラ・ピュセルの姿が映った。

 月明かりの中に立つ彼の鎧には所どころ土がついていて、白く艶やかな柔肌はほんのりと上気している。

 おそらくは必死に追いかけてきたのだろう。でも、何故?

 逃げだしてしまった自分を怒っているのかと思ったが、彼の瞳にあるのは怒りではなく、むしろこちらを心配し気遣うような眼差しだ。

 目の前に立つラ・ピュセルを呆然と映したたまの瞳は、やがて申し訳なさそうに伏せられて、淡い唇から謝罪の言葉が洩れた。

 

「ごめんね。ラ・ピュセルが一生懸命教えてくれたのに、ぜんぜんできなくて……嫌な思いさせちゃったよね」

「いや、そんなことは……」

「いいの。私……どんくさいから」

 

 首を小さく横に振り、浮かべるのは自嘲の笑み。

 

「昔から、勉強も習い事も何をやっても駄目で……皆を困らせて、愛想尽かされちゃって……」

 

 脳裏に浮かぶのは、いつも自分を弟や妹と比べてきた母の顔。教師の失望した眼差し。いない者として扱うクラスメイト達。呆れ、見下し、嘲笑う無数の瞳。瞳。瞳。

 胸が苦しくなる。縋りつくように首輪に触れる。その姿はまるで、十字架(ロザリオ)を握り神に許しを請う罪人のようにも見えて、

 

「その首輪は?」

 

 問い掛けられると、その唇が描く笑みがふっと変わった。自嘲から、儚げな微笑へと。

 

「これ、ルーラがくれたの」

「ルーラが……?」

 

 たまはこくんと頷き

 

「ルーラが初めて、だったんだ……」

 

 懐かしむように、噛みしめる様に、あるいは吐き出すように、ルーラとの思い出を語る。

 

「私、いつも臆病で、人見知りで……。頭も悪いから……おばあちゃん以外、誰も相手をしてくれなかったの。……でも、ルーラはそんな私を見捨てないで、色んな事を教えてくれたんだ。いつも失敗してばっかりだったし、何回も怒られたけど……みんなで色んな事をするのは……ルーラと一緒にいるのは……楽しかったなぁ」

 

 今でも鮮明に思い出せる、ルーラとの日々。

 人助けが上手くいかなくて途方に暮れていたたまの前に、颯爽と現れたルーラ。二人きりで肩を寄せ合って『魔法少女への道』にルビを振った夜、物覚えの悪い自分にもルーラは根気よく付き合ってくれて「親切なんですね」と言ったら顔を真っ赤にしていた。みんなで企画したルーラの誕生日パーティーは本当に賑やかだった。いくつもいくつも湧き上がるそのどれもが、大切な色褪せる事のないキラキラした思い出だ。

 どんなに怒っても、呆れても、罵っても、それでもルーラは最後までたまに向き合ってくれた。その堂々とした姿に秘かに憧れた。ずっと一緒にいたいと思った。思っていた。

 

「なのに、私……」

 

 声が、震える。ギュッと、たまが握りしめた掌が苦悶の声を上げた。

 

「ルーラを、殺しちゃったの……ッ」

「――――!」

 

 血を吐くような告白に、ラ・ピュセルが息をのむ。

 

「もし、私がもっと頭が良かったら……スイムちゃんは私にも相談してくれて……スイムちゃんを止められて……ルーラは、助かったのかなぁ……」

 

 ルーラを喪ったあの夜から、ずっと考えていた。

 どうすればよかったのか。どうしたら死なせずにすんだのか。何が悪かったのか、何がいけなかったのかを必死に考えて、悩んで、そうして行きついた答えは

 

「私が、弱かったから……何もできなかったから……ルーラは…ルーラはぁ……っ!」

 

 私の、せいだ。

 もし止められるとしたら、私だけだったはずなのに、私が、こんなだったから……。

 

「強く……なりたいよ……ッ。ならなくちゃ、だめなんだ。弱いままじゃ、また誰かが死んじゃう。そんなのは、もう嫌だよ……」

 

 もう、好きな人が死ぬのなんて見たくない。

 スイムスイムがミナエルがユナエルが死ぬ夢を見て何度目覚めただろうか。それが夢であることに安堵して、でも今日現実になるかもしれないという恐怖を味わうのは。

 誰にも死んでほしくないし、殺してほしくも無い。でも、どれだけ願おうとどれほど祈ろうとも自分には止める力も無い。

 だから、力が欲しかった。大切な人を今度こそ守る力が。

 声を震わせ、痛々しいほどに拳を握り、涙を流しながらたまは言う。

 

「だから、私は強く……なるんだっ。今度は私がみんなを守れるように……。ラ・ピュセルみたいに、強く……ッ。でないと……でないと……また、私――ッ」

 

 胸が張り裂けそうだ。吐き出す言葉が止まらない。涙が溢れてどうにもできなくて。悲しみと苦しみと激情と絶望が渦巻いて頭の中がぐちゃぐちゃになって――

 

 

 

「たま!」

 

 

 

 何か、とても強いものに抱きしめられた。

 震え、怯え、今にも押し潰されようとするたまの体を抱きしめるラ・ピュセルの腕の中で、たまは驚きよりもまず、温かいな……と思った。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 咄嗟に身体が動いていた。泣き叫ぶたまを、僕は強く抱きしめていた。

 だって、あまりにも見ていられなかったから。

 おそらくはスイムスイムが主犯となって、それにピーキーエンジェルズも加担したのだろう。そしてたまは何も知らされず、ルーラは殺された。

 たまはただ騙されたようなものなのに。誰も恨まず、自分を責めて、自分を嵌めたはずの仲間の事を想って、泣いている。声を震わせ、痛々しいほどに拳を握り、涙を流している。

 そんなの……そんなのって……ッ。

 

「違う。違うよたま。君は何も悪くないよ……!」

 

 その涙を止めたくて、その悲しみを伝えた言葉に、だがたまは、

 

「私が悪いんだよ……。私が弱かったから、ルーラを死なせちゃって、ラ・ピュセルにも迷惑をかけちゃった」

 

 それでも、自分を責め続ける。

 

「私ね……ほんとは……ラ・ピュセルに憧れてたんだよ。私がラ・ピュセルと戦ったあの時、ラ・ピュセルは三対一なのに堂々としてて、スノーホワイトを守るために戦って……怖かったけど、格好いいって思ったの。私も、こんな風になりたいなって……」

 

 眩しい物を見るように、僕を見つめて

 

「だからラ・ピュセルと特訓できるって知った時は、嬉しかった……。怖かったけど、きっと頑張ればラ・ピュセルみたいに強くなれるかもって……大切な人を守れるようになるって…思ったん……だ……」

 

 語る声は、暗い失意に沈んでいった。

 

「でも、駄目だった……やっぱり、私なんかじゃ……」

 

 僕の腕の中で、一人の少女が泣いている。

 自信が無くて臆病だけど、心優しい魔法少女が。己が苦しみを、嘆きを、絶望を曝している。そんな彼女を、救いたいと思った。同じ魔法少女として。そのためならば

 

「たまは、弱くなんて無いよ……」

「え?」

「それに私は――僕は、たまが思っているような奴じゃない」

 

 

 僕は僕の醜い部分を、曝してもいい。

 

「僕がクラムベリーと戦った時を覚えているかい」

「う、うん……」

 

 困惑を浮かべながら頷くたまに、僕は伝える。

 

「あの時は、本当なら別に戦わなくてもよかったんだ。クラムベリーはキャンディーが目的じゃなかった。だったら断る事も逃げる事も出来たはずなんだ。なのに、僕が戦いを挑んだのは……」

 

 彼女が憧れたモノの正体を。哀れな道化の真実を。

 

「ただ、戦いたかったからなんだよ……! 守るためとか、悪を倒したかったとかじゃないんだ。ただ手に入れた力を振るいたくて、騎士というキャラクターに酔いしれたくて、僕は――僕は、いつの間にか、誰かを守るためじゃなくて、自分の為だけに戦っていたんだ……!」

 

 振り絞るように言葉を吐き出す度、憤死せんばかりの羞恥と自己嫌悪で死にたくなる。

 なんて恥知らずだ。僕は何を勘違いしていたんだ。戦闘向きとは言えない魔法少女三人を相手しただけで英雄にでもなったような気でいたのか。その結果が――

 

「クラムベリーに負けて、そのショックに押し潰されそうになって……挙句、皆に心配をかけたんだ」

 

 その時になってようやく、自分はただの魔法騎士の夢を見ていた騎士もどき(ドンキホーテ)だったと気付いたのだ。

 

「いまこうして少しは立ち直れたのだって、大事な人に助けられたからだよ。きっと僕一人じゃ今でも絶望に囚われて、潰れてた……」

 

 もしスノーホワイトが、小雪がいなければどうなっていたかは想像するまでも無い。僕は結局、一人じゃ自分の弱さにすら負けていただろう。

 

「でも、たまは違うだろ」

 

 そして僕はたまの瞳を真っ直ぐ見詰めて、伝える。。

 僕が見てきた、自分を誰よりも弱いと嘆く彼女の『強さ』を。

 

「たまは僕と同じように無力感を感じていて、でも僕とは違って一人でそれに立ち向かおうとした。大切な人を守るために弱い自分と戦った。僕はその頑張りを知ってる。その想いの強さを知ってる」

 

 そうだ。たまは誰の助けも借りず、自分一人で己の無力と戦うことを決意し、諦めずに何度でも立ち上がったんだ。

 

「だから泣かないで。諦めないでくれ。そんな君ならきっと、強くなれるから」

 

 たまは、僕の言葉をじっと聞いていた。

 ぼうっと、まるで神託を聞く巫女のように黙して、最後まで聞いてから、ぽつりと問う。

 

「わたしに、できるかな……?」

 

 僕は、はっきりと頷いた。僕の言葉が真実であることを、彼女が持つその『強さ』――僕が憧れてきた魔法少女達が持っていたものと同じ『強さ』を、知っていたから。

 

「できるよ。それにたまは弱くなんて無い。臆病で力が足りないかもしれないけど、優しくて強い心を持ってる魔法少女だ」

 

 それを聞いたたまは、その瞼をぎゅっと閉じた。果たして僕の言葉に一体何を感じたのか、僕には窺い知ることなど出来ない。だが、次に瞼を見開いた時、その瞳には決意の光が在った

 

「ラ・ピュセル。特訓、もう一度お願い」

 

 たまは、立ち上がった。

 

 

 ◇たま

 

 

 再び戻った王結寺本堂の裏。夜天を流れる雲の切れ間から降る月光の下、たまは再びラ・ピュセルと向かい合った。

 やっぱり何度やっても、緊張はする。こうしているだけで顔は強張って、肌が小さく震えてくる。でも、今度こそ失敗するわけにはいかない。ここで頑張って、強く、強くなるんだ。

 たまはラ・ピュセルへと目を向け

 

 ――豪!

 

 叩きつけられた『圧』に、気を失いそうになった。

 眼前に立つラ・ピュセル。その総身から、凄まじいばかりのプレッシャーが噴き上がっている。対峙するだけで押し潰されそうなそれに、冷や汗が流れ息が出来ず、意識すら消し飛びそうだ。

 

「うッ……あ…っ…ぁ……!」

 

 実戦経験こそ碌に無い物の、たまとて馬鹿ではない。今までラ・ピュセルが本気を出していたなどとは思っていないし、実際に手加減されているとも感じていた。

 だから今のこれは、ラ・ピュセルがほんの少しだけ本気を出しただけなのだ。

 

 なのに、こんなにも――恐ろしい。

 

 これは殺し合いを、命と命を奪い合う地獄を潜り抜けてきた者だけが放てる修羅の気だ。

 怖い。恐ろしい。足が震え、今にも崩れ落ちそうになる身体を必死に支えるけど、心そのものが折れてしまいそうだ。

 それでも、何とか耐える。耐えなくてはならない。

 ラ・ピュセルの瞳を見たから。こちらに真っ直ぐ向けるそれは、たまを信じる瞳だ。たまならばきっと大丈夫だと信じる眼差しだ。

 ラ・ピュセルはたま自身が信じられないたまの可能性を信じて、だからこそ今、本気の戦意をぶつけている。だったら、応えたい。ラ・ピュセルの、こんな自分を信じてくれた人のためにも!

 

「いくよ……ラ・ピュセル!」

 

 恐れを振り払う様に叫び、地を蹴り拳を繰り出す。

 だがそれはラ・ピュセルの肘によって防がれ、容赦無くそのまま腕をとられて地面に引き倒された。

 身体に響く硬い地面の感触と衝撃。息が詰まり痛みも少し感じるが、たまはすぐ地面に手を着き立ち上がり再び殴り掛かった。それはまた容易に防がれ、再度地面に叩きつけられる。だがそれがどうした。たまはその手に力を込めて立ち上がり、何度でも向かって行く。

 拳を振るい、防がれ、その度に倒される。一撃も加えられないまま、地面にはたまが倒れ転がされた跡だけが増えていく。

 

 そうして何度目かの激突の末、たまは再び地面に倒れ伏していた。両手両足をつき、四つん這いで荒い息を吐くたまはもはや疲労の極み。

 対してラ・ピュセルには一切の焦りも疲れも無い。ただ悠然と対峙し、油断無く拳を構えている。まるで竜と子犬の戦いだ。基礎力が違う。経験が違う。たまが勝っている点などどこにもないのではないかと思う。

 でも、

 

「だ、めだ……諦めちゃ……だめだ……ッ」

 

 たとえ視界が霞んでも、息が苦しくても、足が震えていても、立ち上がるんだ。

 

「私は……強く、なるんだ……!」

 

 死なせてしまったルーラのために。それでも守りたい仲間のために。信じてくれたラ・ピュセルのために。

 歯を食いしばり、立ち上がろうとした時――たまは、目の前の地面に刻まれた『それ』を見つけた。

 

「これ……」

 

 凝視し、ハッとラ・ピュセルの足下を見る。その地面には――あった。同じものが。

 ……でも、体力的にまともに動けるのはあと一回が限度。もしこれで失敗したら、後は無い。

 いける……かな。大丈夫……なのかな……。いや、違う。そんなのもう関係ない!

 もう失敗なんて考えるな。自分がしなくちゃいけないことだけを、考えるんだ!

 たまは力強く立ち上がり、地面を強く蹴って――跳躍した。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

「な……!?」

 

 己めがけて飛びかかるたまに、僕は目を見開く。

 それはまるで猛犬のごとく、己が力と想いの全てを込めて敵を倒さんとするその迫力に思わず気圧されかけ、だがすぐさまを気を引き締める。

 落ち着け。たしかに今までに無い攻撃だ。文字通りの乾坤一擲。当たればきっと受けとめきれない。……でも、当たればだ。たとえどれほど勢いはあっても、空中では軌道は変えられない。大丈夫、落ち着いて体をずらせば――避けられる。

 刹那の内に判断し、実行しようと右足を動かした瞬間――その下の地面が消失した。

 

「なにっ!?」

 

 穴が開いた。そう気付いた時、すぐさままだ地を踏んでいた左足でバランスを取ろうとして――そこの地面にすら穴が開き、僕の体は完全に宙に投げ出された。

 驚愕する僕の視界に、次々と開き地を埋め尽くしていく無数の穴が映る。もはや踏みしめるべき地面など無い。小さな爪痕はたまの『すぐに穴を掘れる』魔法によって拡大し、地の全てはたまの穴に征服されていく。

 

 穴を掘った? だが何時の間に……これほどの爪痕を?

 

「――っ! そうか……!」

 

 ハッと脳裏によみがえったのは、たまが地面に倒れる何度も繰り返された光景。あの時、たまは地面に手をついて立ち上がっていた。そのたび地面に出来ていたのは――手と、『爪の痕』!

 

「はは……じゃあ、もう逃げられないな」

 

 なにせここには、この地面一面にはたまが何度も転び、そのたびに立ち上がってきた無数の努力の爪痕が刻まれているのだから。

 やられた。たまらず苦笑を浮かべた僕の視界を、たまが伸ばした拳が埋めて――

 

 

 ◇たま

 

 

 勢いよくラ・ピュセルへと飛び込んだたまは、そのまま押し倒すように二人で穴の底に落ちた。

 

「わきゃっ!?」

 

 ラ・ピュセルの体越しに感じる着地の衝撃に悲鳴を上げ、その胸に顔を埋めるたま。そんな彼女は、ラ・ピュセルの体の上で失意のため息をついてしまう。

 激突の瞬間、無我夢中で拳を繰り出したものの……当たった手ごたえは感じられなかった。もう一度やろうにも、もう限界だ。全身に疲労が重りのようについて、立ち上がる力すら残って無い。

 

「……たま」

 

 自分の不甲斐なさに泣きそうになるたまの耳に、ラ・ピュセルの声が届く。

 怒っているのだろうか。呆れているのだろうか。いずれにせよそれも仕方ないと思う。せっかく信じてくれたのに、その期待を裏切ってしまったのだ。申し訳なくて、顔を合わせることすら出来ない。

 ラ・ピュセルの胸元に顔を埋めたまま、向けられるだろう非難の言葉を待つたまの頭に、ぽんっ……と優し気な掌が乗せられた。

 

「よくやったね」

 

 そう、まるで褒める様に撫でてくる。思わぬその反応に顔を上げたたまの瞳が、見た。微笑むラ・ピュセルの顔――その頬に確かに刻まれた一筋の爪痕を。

 

「あ……わた、し……」

「うん。この通り、掠っただけだけどしっかり当てられたよ」

 

 そう頬の傷を指さして示してくれる。その光景がにわかには信じられなくて、でも確かにラ・ピュセルは褒めてくれて。

 

「ほんとに……私……出来た……の?」

「ああ。君はやれたんだよ、たま。頑張って、諦めずに立ち上がって、私に傷をつけられるくらいに強くなれたんだ」

 

 まるで自分の事のように嬉しそうに笑って、強く優しく撫でてくれて――その瞬間、私の胸が熱くなって、体の奥から言葉に出来ないものがこみ上げてきて、私は思いっきりラ・ピュセルに抱き着いた。

 

「やったーーー! あはははっ! やった! やったよラ・ピュセルーー!」

「うわっ!?」

「私、わたし……ありがとう! ラ・ピュセルのおかげだよっ!」

 

 突然抱き着かれてラ・ピュセルは目を丸くしていたけど、やがてふっと目を微笑ましげに細めて

 

「違うよ。全部たまが頑張ったからさ。たまが諦めなかったから、大切な誰かを守るために強くなろうとしたからだよ」

「ううん。そんなことないよ………きっと、ラ・ピュセルがいなかったら諦めてた。私が頑張れたのは、諦めなかったのはラ・ピュセルのおかげだよ」

「たま……」

「……だから、ありがとう。ラ・ピュセル」

 

 私はありったけの感謝を告げる。想いを伝える。

 でも言葉だけじゃとても伝えきれなくて、むしろ想いがもっともっと溢れてきて――だから、もっとその体を抱きしめることにした。

 きっとこの想いは、全身でしか伝わらないから。

 

「えへへ……ラ・ピュセル……ラ・ピュセルぅ……」

 

 綻ぶ唇で名前を紡いで。再び顔を埋める。ラ・ピュセルの胸は柔らかで、とても温かかった。

 

 

 ◇スイムスイム

 

 

 地の底の闇の中に、声が響く。

 深海にも似た光無き地下の暗黒に、微かに、遠くから、だが確かに届くそれは、ラ・ピュセルとたまの声だ。ふそれを、地の底に『潜っている』スイムスイムは一人だけの闇の中で聞いていた。

 

 どうやらラ・ピュセルとたまの特訓はうまくいったらしい。命令をきちんと果たすのはやはり騎士を名乗るだけはある。それにルーラが考えた特訓だ。うまくいかないはずがない。

 

 改めてルーラの偉大さを感じながら、じっと息を止め、耳を澄ます。潜行時間の延長と聴覚の強化を目的としたこの特訓もまたルーラから命じられたものだ。

 ルーラを殺したのはスイムスイムだが、ルーラを誰よりも尊敬――否、崇拝しているのもスイムスイムだった。それは今も変わらず、おそらくは未来永劫に不変だろう。

 これから大変なことはたくさんあるだろうけど、ルーラから教わった事を忘れず、守っていればきっと大丈夫。

 

 だから、どうか天国から見守っていてください。あなたの死は無駄にしません。頑張ります。何人殺しても何人死なせても頑張ります。私があなたになるために。

 

 




今回も読んで下さりありがとうございます。
今回もとんでもない難産でした。
たまの口調はこれでいいのかとか悩みつつ、作業で磨り減った気力を森の音楽家ならぬ山の音楽使いの歌で回復させ何とか書き上げました。ヨングミラー
そうして出来たのがこのたま攻略編です。やったーフラグが立ったよそうちゃん。実際原作でも一級フラグ建築士だしね。もう永遠に回収できないけど

今回のたまは作者の独自解釈がかなり入ってるので人によっては違和感あるかもしれませんね。でも実際たまは友達を守るためなら頑張れる子だと思うのです。原作で敵に自ら立ち向かった時はどっちも友達のためだったし。そんなたまはだからこそシリーズ最大のジャイアントキリングができたのでしょうね。作者はあのシーンが大好きです。オチも含めてね。

ではまた次回で

おまけ『岸辺颯太の孤独な戦い。その2』

色即是空空即是色。去れよ煩悩頑張れ理性。拝啓お母さん。あなたの息子がピンチです。

「えへへ~ラ・ピュセル~♪」

僕の胸で今、たまが満面の笑顔を浮かべている。
嬉しそうにしっぽを振って全身でその嬉しさを伝えてくれる。
それはいい。素晴らしいことだ。悲しみの底にいた彼女が心の底から嬉しそうに笑っているのを見ていると、魔法少女として正しいことが出来たと思える。女の子の涙を止められた事に普段の人助けとはまた違った達成感と充足感を感じる。うん本当に良かった。やっぱり女の子は笑顔が一番だ。
が、問題が一つだけある。

「ラ・ピュセル……ラ・ピュセルぅ~……(すりすり)」

たまさんちょっと抱き着きすぎじゃなかろうか!

たまは僕の首に両腕を絡ませてしな垂れかかっている。つまり、文字通りの密着状態。そしてたまは華奢な少女の肢体を、その柔らかな頬をささやかな胸をこれでもかと擦り付けてくるのだ。

ぶっちゃけ思春期真っ盛り中学生男子にはあらゆる面でキツ過ぎるってば!

赤い髪がふわりと揺れるその度に、何とも言えず良い香りが鼻をくすぐる。僕の名前を紡ぐ唇から漏れる吐息がもろに肌にかかる。
こんなに間近で女の子の身体を感じた事なんて無い僕は、もうそれだけで頭が沸騰してどうにかなりそうだ。

(おおおおおおお落ち着け僕! 平常心そう平常心だ! とりあえず目を瞑り心を無にしてって目を閉じたら余計感触に集中しちゃうじゃないか!)
「ラピュセルって柔らかくて温かいにゃ~(ふにゅんっ)」
(ふおおおおおおお!?)

たまが動くその度に、たまの決して大きいとは言えない胸は、僕の身体にふにゅんと当たってその柔らかさを伝えてきた。
正直、たまの貧乳は全魔法少女の中でもバストファイブじゃなくてベストファイブに入るスイムスイムの巨乳とは違って、微笑ましさはあっても色気なんてほとんど無いと思っていた。
ごめんねたま僕が間違っていたよ。たまの胸は小さくても凶器だ! 僕の理性を殺しにくる大量破壊兵器だ! 誰か助けて! でもスノーホワイトは来ないで!

「なんでかな……ラ・ピュセルとこうしてると、すごく心が温かくなるんだぁ……」
(僕の心はすごく追いつめられるんだけどね!)

や、やばい。これ以上続くと僕の理性がもたない。
正直たまには悪いけど、ここは男らしくきっぱり言おう。

「た、たま……ごめん。そろそろ離れ――」
「ずっと……こうしてたいにゃぁ……」
「ごめんなんでもない」

何その笑顔反則です。そんな幸せそうに呟かれたら拒絶なんてできないじゃないか! でもやっぱりピンチ! 僕の剣が大きくなっちゃうよ! もう誰でもいいからヘルプミー!

「あーー!? たまとラ・ピュセルがまたイチャついてるー!」
「またまたお姉ちゃんマジスクープ!」

お 前 ら だ け は お 断 り だ よ !

「てかうわっ。たまなんか発情してんじゃん」
「かわいそうに。ラ・ピュセルに堕とされちゃったんだね」
「文字通りの牝犬にするとかマジ野獣じゃん。ていうか淫獣?」
「これはもう事案発生だね。さっそく女騎士は淫獣だったって拡散しなきゃ!」

「やめろおおおおおおおおおおおお!」
「ふにゃ~……ラ・ピュセルぅ~……❤」

門前町の夜空に、僕の絶叫とたまの幸せそうな声が響いたのだった。


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