魔法少女育成計画routeS&S~もしものそうちゃんルート~    作:どるふべるぐ

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大変長らくお待たせしたぽん。
礼によってアホみたいに長くなったけど許してぽん。
新章ではついにアニメで大活躍した《あの男》が動き出すぽんよ。


猫は魔法少女に似合う

 この選択が間違っていることを、僕は知っている。

 たとえどんな理由があろうとも、正しい魔法少女であるならば決して選んではいけない手段だと。これが愛しい人との別離を意味するのだということも。

 でも、それでも、僕はあの子に生きてほしいから、だから――ッ

 

 握り締めた大剣の柄に力を込める。それだけで痛みが全身に走り、無数に刻まれた傷口から血が噴き出ても構わない。もっと強く。もっと強くッ。

 迸る激情を力に変えて剣を握り、超重量に軋む足で床を踏みしめ、血を吐き咆哮を上げて、天を衝く巨大な刃を――振り下ろした。

 

 

 

「おっちゃ――」

 

 

 

 ぐしゃりと、命が潰れる音がした。

 

 猛烈な不快感で、目を覚ます。

 まず感じたのは、胸が張り裂けるような苦しみと暴れ狂う心臓の鼓動。

 息が苦しい。まるで直前まで暗い水底に沈められていたかのように、僕は全身から冷たい汗を流しながら荒い呼吸を繰り返した。

 窓から淡い朝の光が差し込む、見慣れた自分の部屋。ベッドに横たわる身体が重く、気怠い。不快な疲労感が纏わりつき、湧き上がる途轍もない罪悪感に吐き気すら覚える。

 なぜこんなに気分が重苦しいのか。考え、そして思い出す。

 

「ああ、そうか……」

 

 この手に今も残り、きっとこの命が尽きるその時まで決してこびり付いて離れないだろう、人間の血を肉を骨を――命を潰す感触(きおく)を。

 

 

 

 ――僕は昨日、人を殺したんだ……。

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 ──ホテル・プリーステスの戦いの5日前。

 

 

 

 ◇岸辺颯太

 

 あの辛く、激しく、そして死よりもなお苦しい喪失を味わったマジカロイドとの戦いから一夜が過ぎた。

 

 あの戦いのあと、ウサギの足によって一命をとりとめる事が出来た僕はアリスと共に、今だ意識を取り戻していない小雪を彼女の家へと運んだ。

 おそらくスノーホワイトに変身して外出する時に鍵を開けていたのだろう自室の窓から密かに入り、ベッドにそっと小さな身体を横たえた。静かに瞼を閉じて、でも頬に涙の後が残るその寝顔に、この子だけは絶対に守らなくてはと改めて決意を固めながら。

 

 それから僕はアリスと別れ、王結寺へと向かう。スノーホワイトを生き残らせるために、必ず戦わねばならないだろうあの戦闘狂を倒す戦力を得るべく。

 たとえそれが正しい魔法少女とは対極たる悪と手を組み外道に落ちる事を意味するのだとしても、僕はスノーホワイトとアリスの助命を条件に──スイムスイムの騎士となったのだ。

 

 そうして迎えた新たな朝は、心機一転という言葉の明るいイメージとは裏腹に最悪の気分だった。

 それはあのクラムベリーに敗れスイムスイムに騎士となる事を迫られた後の、自分が進むべき道を見失った『迷い』とはまた異なる、マジカロイドを──人を殺したことの罪悪感によるものだ。

 

 思えば、昨夜までは生死をかけた戦いによる緊張と興奮そしてスノーホワイトを守らなければという思いに心が張り詰めていたため、他の事を思っている余裕などなかった。

 ゆえに戦いが終わり一つの区切りが付いた今、あの時の苦しみが、痛みが、哀しみが、見えざる罪の十字架となって僕の背に一気に圧し掛かっていた。

 

 敵とはいえ生きている人間を殺す事の生理的嫌悪と、それまで魔法少女としての存在意義にも等しかった理想を喪ったことの喪失感。

 寝間着から中学の制服に着替えて朝食を作るために台所に行ってからもそれらは鎖のごとく心身に絡み付き、解ける気配は無い。

 結局僕は手間のかかる料理など作る気になれず、レトルトのカレーを温めて食べることにした。

 

「いただきます」

 

 そして白米を盛った皿にルーを流し込み、ダイニングのテーブルの上に置く。僕は手にもったスプーンを湯気のたつカレーライスの中に挿し入れて──

 

 柔らかな米を潰すぐしゃりという感触。赤黒いルーのなかに白い粒が混じり合ってぐちゃぐちゃになってまるであのマジカロイドだった血と肉と骨のように

 

「うッ………!?」

 

 襲いかかるおぞましいフラッシュバック。吐き気と共に喉奥から込み上がる物を手で口を塞ぐことで押し止め、どうにか堪える。

 

「ぷはっ……はあ…っ…はぁ…っ…はぁ……くそっ」

 

 しばし経ち、ようやく吐き気が治まるも、もとから乏しかった食欲はもはや完全に失せてしまった。

 

『──……こちら、現場からの中継です』

 

 あまりの気持ち悪さに悪態をついたその時、朝のニュース番組を流していたテレビが見覚えのある光景を映し出す。

 

 遠くに山々を望む、名深市郊外に広がる田園地帯。普段ならば農家の者以外あまり人影の無いそこには、だが今は警察関係者と思われる者達と多くの報道陣、そして野次馬らによって黒山の人だかりができていた。

 本来ならば平和そのものであるはずの田園風景に、多数のテレビカメラと車両が乱雑に並び、険しい面持ちの警官達が行き交う異様な緊張感にその光景はいっそ非日常的でありながら、確かな現実として画面に映し出されていた。

 小さく息を飲んだ僕の耳に、張り巡らされた黄色い規制線の前に立つリポーターの声が入る。

 

『ご覧の通り、現場となるここ名深市郊外からN山の麓にかけて数キロにわたって謎の溝のようなものが刻まれています!』

 

 アップにされた画面に映るのは、大地を深々と抉る斬痕。土も岩も木々も軌道上の全てを押し潰し、ただ真っ直ぐに伸びる破壊の跡。

 

『溝の深さは浅いものでも2メートルから深い箇所では20メートルを超えるものもあり、あちらが見えますでしょうか……小高い丘が割られて谷のようになっているのが分かります』

 

 きっとこの場の誰にも、これが何かは分からないだろう。これは常識の埒外であり、限界すらも破壊した魔法によるものなのだから。

 我ながら凄まじく、そして恐ろしい。

 郊外だからよかったものの、もしこれを都市部の中心で使用していたら、いったいどれ程のビルが、車が、そして人が刃に潰されていたか……。

 

『そして昨夜は奇妙な物体が多くの市民に目撃されており、それがこの事態を引き起こした原因であると思われます』

 

 怖気のする想像に小さく身震いしていると、画面が切り替わり眼鏡をかけた小肥りの中年男性が映る。

 

『いやあ本当に驚きましたよ! 家出した娘を探してたらいきなり凄いプレッシャーというか気配というか、まあそんな感覚がして空を見たら銀色のでっかい柱みたいなのがそびえてたんですよ!』

 

 街頭インタビューだろう。脂ぎって豚を思わせる男性は向けられたマイクに向かって興奮した様子でまくし立てた。

 

『ビル? いやいや違いますって、あれはそんなモノとは比べ物にならないくらい高くて大きくて、今まであんなの見たことないですよ! 僕なんて思わず腰を抜かしちゃって……あぁ、華乃ちゃん大丈夫かなぁ……驚いて転んで怪我してないといいけど……。もし華乃ちゃんの珠のようなお肌に傷がついたらと思うと僕は興奮っ……じゃなかった心配で心配でぇ……』

 

 娘の安否を鼻息も荒く心配する男性の姿に、胸が痛む。

 そうさせたのは僕だ。僕の魔法がこの名も知らぬ父親の優しい心を苛ませているのだ。

 言い様の無い罪悪感を覚える僕をよそに、また新たな人物が映される。

 胸元を飾る青いネクタイが印象的なその女性は、凛々しい美貌に怒りを浮かべ、憮然とした表情で

 

『ああ忘れもしない。あれは滅多に現れないという幻の屋台を求めて三日三晩の張り込みのすえにようやく見つけ、そこの看板メニューである濃厚豚骨ラーメンを味わっていた時にアレは現れた。天を衝き月をも貫かんとするかのごときその偉容に、思わず私の麺を啜る手が止まったぞ。そして次の瞬間、アレが傾いたかと思うとそのまま倒れ、凄まじい轟音と地を揺らす振動が発生した。それに屋台の店主が驚いて倒れそうになったところを私はすかさず助けたものの、犠牲は大きかった……ッ』

 

 そこで女性はくわっと目を見開き、握った拳を怒りに震わせて

 

ラーメンの丼がひっくり返ったのだッ!! 絶妙なコシのある麺はこぼれ落ち濃厚スープは飛び散って、あの至高の一杯が無惨にも……ッ! 赦せん。もしアレをやった者を見つけた時は○○○を××してラーメンのダシにしてやる!!』

 

 おでこにビキビキと青筋を浮かべた悪鬼のごとき形相がテレビに大写しとなり、また画面が切り替わる。

 今度は先ほどよりも画質が荒く枠の狭い、おそらくはスマートフォンか何かのカメラで撮影した映像に。

 

『当時の様子を視聴者が撮影した映像がこちらです』

 

 暗い夜空を映したその映像。中心には確かに銀色の何かが映っているものの、辛うじて分かるのはその色だけで具体的な形は判別できない。なぜならば、その姿は壊れたフィルターを通したかのように歪み、まるで魔法少女を撮影した時のようにぼやけていたから。

 

『画面中央のこの何かがこれを引き起こした原因と思われますが、この箇所だけ奇妙に映像が歪んでおり詳細は確認できません』

 

 やがて天高くそびえていたそれは、ぐらりと揺れて地に落ちる。まるで断頭の鎌のように。直接、凄まじい轟音と振動がカメラを揺らし、映像は終わった。

 そして画面が現場の様子に戻る。

 

『なお現場付近の工場跡から一人のものと思われる遺体が発見されており、損傷が激しく現在身元の確認を進めています。同市内では山林で木王早苗さんの遺体が発見されており、今回の事件との関連性は不明です。この物体の正体は現在調査中であり、詳細が分かり次第お伝えしたいと思います。現場からでした』

 

 リポーターがそう締め括り、中継からスタジオの映像に移った。

 それからスタジオでは、専門家としてのコメントを求められた老タレントが宇宙人の仕業と断言し隣に座っていたオカルト否定派の教授と口論になっていたが、そんなドタドタ劇は、僕にはまるで頭に入らなかった。

 胸が苦しい。痛みと共に膨れ上がるストレスに視界が歪む。

 当たり前だ。僕がした事による結果を、それによって起こった罪もない人々の怒りと苦しみを、あらためて突き付けられたのだから。

 

「分かってはいたけど、キツイな……ッ」

 

 そうだ。分かっていた事だ。

 僕の選んだ道はどうしようもなく間違っていて、そこは誰かの血と涙で塗りたくられているということは。

 でも、それでもこればかりは………ッ。

 

『続いて世界のニュースです。中東の――国において現地時間の昨夜未明、軍によるクーデターが発生しました。市街では政府側が雇った傭兵団との激しい戦闘が発生しており――』

「――え」

 

 突如耳に飛び込んできたそのニュースに、それまでとは違う悪寒がはしる。

 

『なおこの国は旅行先としても人気があり、現地には多くの邦人旅行者がいるものと思われ──』

 

 ああ知っている。だってそれは、その国は、今まさに僕の両親が旅行に行っている国なのだから。

 僕は弾かれたようにスマートフォンを手に取り、動揺に震える指で画面を操作し、両親へと国際電話を掛けた。

 焦る心を嘲笑うかのように、繰り返される無機質なコール音。祈るような気持ちでそれを聞きながら待っていると、間もなく母親に繋がった。

 

『もしもし、母さんっ!』

 

 無事だった。良かった……。

 安堵のあまり大きなため息をつき、両親と久々の会話をする。

 どうやら現在、父と母は現地のホテルに泊まっているらしい。幸いにも市街地からは離れているので戦闘に巻き込まれること無く無事だが、政府要人の国外脱出を防ごうとする軍によって空港が占拠されているため、しばらくは帰国が出来なさそうだとも。

 

『いざとなれば大使館に駆け込んで保護してもらうから、母さんたちの事は心配しないでいいわよ』

「うん、分かったよ」

『……そうちゃん、元気なさそうだけど大丈夫?』

「え……っ」

 

 不意に言われたその一言に、小さく驚きの声を上げる僕。

 

『何年一緒に暮らしてると思ってるのよ。息子のことなんて声を聴いただけで分かるわよ』

「そう、なんだ……」

『当たり前でしょ。で、大丈夫? 体調でも悪いの? ちゃんとご飯食べてる?』

「食べてるよ」

『じゃあ何か悩んでるの? ほらあんたって昔から他の人の悩みまで背負い込んじゃう所があるじゃない』

「……まあ、そんな感じかな。でもこれは誰かのじゃなくて僕自身の問題だから、自分で何とかするよ」

 

 うん。そうだ。そうしなければならないのだ。

 今だ治まらぬ胸の痛みを感じつつもそう答えると、電話ごしの母親は小さな溜息を一つし、だが優しい声で言ってくれた。

 

『そう……。まあ思春期だし色々な悩みはあると思うけど、あんたなら何とかできるわよ。自信を持ちなさい。なんたってそうちゃんは私達の自慢の息子なんだからね』

「…………ッ」

 

 

 

 ――でもね母さん。その自慢の息子は、昨日人を殺したんだよ。

 

 

 

『……そうちゃん?』

 

 何も知らない両親の愛は、だが凄まじい罪の意識となって僕の胸を突き刺した。

 しばし言葉を失った僕を心配する母親に、僕は苦しい笑みを浮かべて誤魔化そうとする。

 

「あっ、いや、なんでもないよ」

『本当に? 無理してない?』

 

 嘘だ。

 

「本当だって。僕が嘘を嫌いなのは知ってるだろ」

 

 だから嘘をつく自分が嫌いだ。

 

『そうね……』 

 

 僕は、母さんを騙している。

 たとえそれが誰かを助けるためだとしても、そのために悪を働くのなんて魔法少女として許されていいはずはないと知っているのに。

 

『じゃあ私たちはこの騒ぎが落ち着くまでは帰ってこれないから、そうちゃんはくれぐれも体調には気を付けて、あんまり無理しちゃだめよ』

「うん。分かった。僕はもう大丈夫だから、母さんこそ気をつけて」

 

 偽りの笑みで嘘を紡ぎ、大切な人を騙して、僕は通話を終えた。

 ひどい気分だった。

 湧き上がる罪の意識と止まらない胸の痛み。

 

「ごめん。母さん……」

 

 僕は、最低の息子だ。

 

「けどもう、止まるわけにはいかないんだ……」

 

 耐えろ。耐えろ。耐えろ。

 胸の痛みは止めどなく、罪の意識はこの身に重く圧し掛かる。

 だが、それに潰されてはいけない。この歩みを止めてはならない。あの子を救おうとするのなら、この痛みに耐えて耐えて耐え続けなければならないのだから……ッ。

 

 深く息を吸い、吐く。スプーンに手を伸ばし、握る。

 そして僕は、温かみがとうに失せて冷たくなってしまったカレーをかきこんだ。

 

 

 ◇細波華乃

 

 

 カーテンの隙間から射し込む柔らかな朝の光とは裏腹に、細波華乃(さざなみかの)の目覚めは爽快とは言い難かった。

 最低限の家具だけが置かれた、年頃の女子高生が一人で住んでいるにしては余りにも殺風景なアパートの一室。おそらくは華乃が生まれるより前の昭和時代から在るのだろう古びた部屋の中心に敷いた布団からむくりと身を起こして、呟く。

 

「……眠い」

 

 寝癖ができてしまった腰まで流れる黒髪を揺らし、気だるげに呟いたその声は、ひどく不機嫌なものだった。

 

 細波華乃──魔法少女リップルは、忍者をモチーフにした魔法少女だ。

 無駄な脂肪の一切無いしなやかに引き締まった肢体を、忍び装束をベースにより動きやすさを追及したかのような露出度の高いコスチュームに包み、16人の中でもトップクラスの敏捷性で夜を駆ける魔法の忍者、それがリップルである。

 他者との余計な交わりを好まぬ一匹狼然とした態度だが、彼女には相棒である魔法少女がいた。

 トップスピード――魔女のコスチュームを着た魔法少女という何ともややこしい姿の魔法少女。そしてこの、リップル曰く『おせっかいで押しつけがましい先輩ぶった馬鹿』こそが華乃の不機嫌の原因だった。

 

 昨夜、華乃――リップルはトップスピードと共にいつものようにキャンディー集めをしている途中で、『アレ』を目撃した。

 

 まるで神が降臨する光の柱の如く、あるいは人が神の域に至らんとしたバベルの巨塔の如く、地より伸び天を貫く――白銀の輝きを。

 

 それが何がは分からない。それは彼女の人生で、一度たりとも見たことも聞いたことも無い物。――だが一目見た瞬間に、分かった。

 

 あれに触れてはならない。

 あれは触れる全てを圧し潰す。肉の一欠片骨の一粒までも粉砕し、形在る総てを鏖殺する――殺戮の『力』だ。

 理性ではなく生存本能でそう直感したリップルによって引き止められ、接近し正体を見に行こうとしたもののここは素直に従うトップスピード――ではなかった。

 自称・名深市最速魔法少女はあろうことか「やっぱ気になる!」と言って現場に行こうとしたのだ。

 普段はリップルのブレーキ役を自任しているが、ひとたび何かに夢中になるとリップルをさらに上回る暴走をする相棒をリップルは必死に止めた。

 主に言葉で無理なら力ずくで。結局、ついには上空100メートルの箒の上で羽交い絞めにするというマジカルアクロバティックな力技(ワザマエ)でもってようやくトップスピードを諦めさせた頃にはすでに夜の二時を回っていた。

 おかげで碌に眠れなかった。ゆえに猛烈な寝不足だ。今日も学校の後はバイトがあるというのに居眠りでもしたらどうしてくれるのだ。あの魔女っ娘いっぺんシメてやろうか?

 

 お気楽能天気な相棒を未だ眠気のさめぬ頭でひとしきり呪いつつ華乃は立ち上がり、壁のハンガーに掛けていた高校の制服に着替えるべく寝間着がわりのTシャツに手をかける。そんな主とは対照的に、なだらかな胸元ではプリントされた子猫がゆるくも可愛らしい顔を向けていた。

 言っておくが別に自分の趣味ではない。たまたま行きつけの量販店で売られていたTシャツの中でも最も安かったから買っただけだ。それだけだったらそれだけだ。

 

 誰にともなく言い訳しつつTシャツを脱ぎ、下着も替えようとして、はたと気付く。そういえば普段使っていた下着類は全て洗濯物用の袋にまとめていたのだった。それを昨日、本当ならば魔法少女活動が終わった後にコインランドリーで洗濯・乾燥しようと思っていたのだが、終わってみればとにかく精神的にも体力的にも疲れていて早く帰って寝る事しか考えられなかった。ゆえにトップスピードとのやりとりで疲れ果てた華乃はそのまま帰宅し布団に撃沈してしまったのだった。

 

 ……かくて現在、いつも使っている下着類は全て未洗濯のままであり、年頃の女の子としては流石にそれを着ていくわけにもいかない。

 ならば万事休すかというと、そうでもない。

 実は、実家を出て行って一人暮らしを始めた頃に値段が安いので買ったものの主にビジュアル的な理由で一度も着用していなかった下着があるのだ。

 

 だが、自分にアレを履けというのか。

 

 しかめ面でタンスを開けてそれを手に取り、眺める。

 

 ……ないな。うん。

 

 見れば見る程自分のような女が身に付ける物では断じてない。というかもし自分なら他人がこれを着用しているのを見たとしたらまず間違いなく人格を疑うだろう。

 だが、もはや着られる下着はこれしかない。ないのだ。

 

「…………」

 

 洗濯していない下着を履き続ける事とコレを身に付ける事、どちらが女の子としてより恥か葛藤すること暫し、

 

「まあ、別に誰かに見せるわけでもないし……」

 

 妥協の台詞を呟き、華乃はしぶしぶながらそれに履き替えようとして――ふと鳴りだしたスマートフォンの着信音を聞いた。

 新着メールを知らせるそれに、バイト先からの連絡だろうかと手を伸ばし、画面を確認する華乃。そして一目見て盛大な舌打ちをした。

 

 

 《FRM 母 おはよう華乃。昨日の夜はあんな事があったけど華乃は大丈夫だった? お母さんは家にいたんだけどもうびっくりしちゃって、あの人なんてその後の揺れで転んじゃったわ》

 

 それは大事な一人娘を心配する母の言葉。

 だが一文字読むごとに、華乃の瞳は険しさを増していく。

 

 《すごく怖かったけど、けどそれよりもお母さんは華乃が心配で心配でたまらなかったの。だって愛しい娘で大切な家族なんですもの。それで今回の事で思ったの。やっぱり家族は一緒にいるべきなんじゃないかって。ねえ華乃、いつでも帰ってきていいのよ。私もお父さんも待って――》

 

 最後まで読むこと無く、華乃はメールを削除した。

 反吐が出る。心配しているだと? 娘の身体に邪な目を向ける男を再婚相手として連れてきたあんたが?

 あまりの不快感に怒りすら込み上げ、もともと悪かった機嫌はもはや最悪なものとなっていた。

 

 偽善者め。誰があんな家に、あんな母親の下になど帰るものか。あんたはせいぜいあの男に尻でも振って、可哀想な娘を想う優しい母親という自分に酔いしれていろ。

 もしこれが親不孝というならば上等だ。

 

 私は、最低の娘で構わない。

 

 心の中でそう吐き捨て、華乃は乱暴な手つきで下着を履いた。

 

 

 ◇岸辺颯太

 

 

 腹に無理やり詰め込むように朝食を済ませた後、向かった学校ではやはり昨夜の話題――僕が使った魔法――で持ちきりだった。

 

 通学路で、廊下で、教室で、二人以上が顔を合わせれば誰もがその話をしている。あれは何だったのか男子達がやれ宇宙人の仕業だの自衛隊の極秘兵器実験だのはたまた集団幻覚ではないかなどとその正体を熱く議論している隣では、もしもう一度現れたらどうしようと女子達が不安げに話していたりと、先週までの平凡ながらも穏やかな日常風景はたった一晩で様変わりして、校内は異様な興奮と喧騒に満たされていた。

 

 だが、それも仕方ないことだろう。中学生といえば一番多感で夢見がちな年頃だ。僕だって魔法少女でなければ皆の中に混じって同じようにしていたさ。

 彼らにとって初めて見るだろう《魔法》とは、今までの常識を打ち壊すほどの存在。退屈な日常を吹き飛ばす圧倒的すぎるインパクトだったのだから。

 

 そんないつもとは異なる空気に包まれた時間は終業のチャイムが鳴っても続き、連続する事件の発生から生徒の安全を鑑みて放課後の全部活動が中止され速やかに帰宅するよう促されてもなお、興奮冷めやらぬのか放課後の教室で幾人かが話し込んで先生に大目玉を喰らっていたほど。これがおそらくは明日も明後日も続くのだろう。さすがに七十五日とはいかなくとも、終わるのはいつになるやら。

 

「私のクラスでも同じですよ。岸辺先輩」

「ああやっぱり……」

「はい。むしろ町中がその話題で持ちきりでした」

 

 自分がした事の影響をあらためて思い知らされ、僕は自業自得ながらうんざりと溜息が漏れた。そんな僕の姿を、隣を歩く物静かな少女――鳩田亜子(はとだあこ)が薄い灰色の瞳を揺らし見つめている。

 黄昏に染まる色白の肌。短くお下げにした黒髪。どこか日本人形を思わせる彼女は僕と同じ中学校の後輩で、不死の魔法を持つ16番目の魔法少女――ハードゴア・アリスだ。

 ようやく訪れた放課後、夕陽に染まる茜色の空の下を、僕たち二人は並んで帰路についていた。

 

「まあ、あれだけ派手にやれば当然か……」

「そうですね。今思い出しても身震いします」

 

 凄まじい戦い。そして恐ろしい敵だった。

 もし僕が間に合わなければ、もしアリスが兎の足を手渡さなかったら、もしスノーホワイトが僕を庇わなければ、あの戦いで歯車が一つでも狂えばまず間違いなく僕たちは全員死んでいた。もう一度やれと言っても絶対に不可能な、今こうして生きている事がまぎれも無い奇跡だ。

 いや、それを言うなら一度は「もう関わらないでください」とまで言われたこの子とまたこうして話すことが出来るという事もまた、か。

 

「亜子ちゃんはあの後は大丈夫だった? 体調とかは平気?」

「私は大丈夫です。けど……」

「けど?」

「先輩のほうこそ大丈夫ですか? その、顔色が悪いようですが……」

「ああ、大丈夫だよ。ただちょっとまだ、昨日の疲れが残っているだけだから……」

 

 嘘は言っていない。確かに体の傷は癒えた。

 だが精神に刻まれた傷のほうは今も残り、僕のこの手にはあの時の感触が──人を殺す手応えが──こびりついている。

 けどその苦しみをこの優しすぎる少女には見せたくないから、僕は何でもないと無理やりに笑顔を作った。

 

 僕と彼女が会えるのは学校が終わって人目の少ないこの時だけ。その理由は亜子ちゃんに対する心無い生徒達からの迫害だ。

 僕と一緒にいるというただそれだけで亜子ちゃんを虐げる彼女らを刺激しないよう、僕たちは校内では顔を会わせないようにしたのだ。僕が下手に関われば事態が余計に悪化しかねないから仕方がないとはいえ、こんな手段で沈静化を待つしかないというのは何とも歯がゆい。+

 だからこれ以上、この子には精神的な負担を掛けたくないのだ。

 けれど、そんな我ながら下手なごまかしはやはり見破られて

 

「……無理しないでください。岸辺先輩、辛そうですよ」

「疲れが酷いだけだってば。家に帰って休めば明日には平気だよ」

 

 

 

「――あの魔法少女を、殺したからですか?」

 

 

 

「…………ッ」

 

 否定の言葉は、出てこなかった。

 脳裏にマジカロイドだった血と肉と骨の残骸がフラッシュバックし、一瞬呼吸が止まってしまったから。

 

「やっぱり、そうですよね……」

 

 強張り、血の気が引いているだろう僕の表情を見た亜子ちゃんは、哀し気に目を伏せる。

 

「先輩は優しいから、人を殺すのなんて辛すぎますよね」

「……でも、スノーホワイトを救うためにはそれしかなかったから……仕方がないんだよ」

 

 そうだ。仕方がないのだ。

 僕は殺した。スノーホワイトを救うために、マジカロイドを殺した。

 人間として、否、魔法少女としても絶対にしてはならない最悪の禁忌と知りながら、殺したのだ。

 ゆえにこれは、この胸が張り裂ける苦しみは、

 

「たしかに辛いけど、これは当然の罰なんだ」

 

 確信を込めて偽りない気持ちを言う。けれど亜子ちゃんは小さく首を横に振って

 

「それでも、これ以上先輩の心が傷つくのなんて嫌です。もしこれでまた人を殺したら、岸辺先輩はもっと苦しむじゃないですか……ッ」

 

 まるで我が事のように辛そうに、僕の瞳を見て

 

「やっぱり、私が先輩の代わりに戦って――」

 

 

 

「それは駄目だ」

 

 

 

 鋭く発した声は、確固たる意志を宿して彼女の言葉を止めた。

 

「君は穢れちゃ駄目だよ、亜子ちゃん。穢れてしまった僕の代わりに、君は正しい魔法少女としてスノーホワイトと共にいて欲しいんだ」

 

 スノーホワイトの隣には、彼女と同じ道を行ける者が必要だ。寂しがり屋な彼女を癒し、共に歩き、支えていける、そんな存在が。……もう正しい魔法少女ではなくなった僕の代わりに、必要なんだ。

 そしてそんな人は、僕が知る限り世界でたった一人――

 

「スノーホワイトを託せるのは君だけなんだよ、亜子ちゃん――いや、ハードゴア・アリス」

 

 真剣に僕を見詰める亜子ちゃんの瞳を、僕もまた真っ直ぐに見返し伝えた。

 二つの意思がせめぎ合う沈黙が、下りる。立ち尽くし見つめ合う僕たちの間を吹き抜ける、黄昏の風。

 それに撫でられ靡く黒髪をそっと手を添え押さえて、亜子ちゃんは口を開いた。

 

「先輩は、ずるいです……」

「え……?」

 

 ぽつりと漏れた言葉に、意味が分からず疑問の声を漏らしてしまう。

 そんな僕に亜子ちゃんは微かに苦笑を浮かべ、どこか拗ねたような声で

 

「そんな事を言われてしまったら、私はもう何も言えなくなってしまうじゃないですか」

 

「ほんとうに、ずるい人です」と、かつて誰よりも自分の居場所を、自分を必要としてくれる誰かを求めていた女の子は呟いていた。

 何だかその気持ちを利用したようで――いやまあ半ばその通りなのだが――申し訳なくなり僕は頭を下げる。

 

「ごめんね。僕の我が儘に巻き込んじゃって」

「いいえ。これは私が選んだ道でもあります。私も、スノーホワイトのために生きて行くと決めたんですから」

 

「でも……」亜子ちゃんは僕の目を真っ直ぐに見て、真摯な瞳で

 

「無理はし過ぎないでくださいね。先輩が傷つけばスノーホワイトが……いいえ、私も哀しいですから」

「……うん。分かったよ。無理はしないようにする」

 

 できるだけ、だけど……。

 自分でも、これから待ち受けるだろう戦いの数々を無傷で潜り抜けられるとは思っていない。未だ生き残っている魔法少女は多く、そのほぼ全てが恐るべき魔法を使うのだ。マジカロイド一人でも死の淵を彷徨ったというのに、果たして生きてその全てを倒せるのか、断言などできはしない。

 それでも、この優しい魔法少女には哀しい思いをしてほしくないから、

 

「約束ですよ」

「うん。約束だ」

 

 また風が吹く。だが今度はより冷たく、まもなく訪れる夜闇の気配を孕んで。

 夜は近い。黄昏に沈む世界の中で、僕たちは愛しい魔法少女のために約束を交わした。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 それから僕と亜子ちゃんは再び歩き出し、しばらく共に黄昏の道を歩いていたが、やがて分かれ道に辿りつく。そこでふと亜子ちゃんは立ち止まった。

 

「私はこれからスノーホワイトの家に行こうと思います。まだしっかりとは話せてはいませんし、これからの事も相談しなければいけません」

「そうだね。じゃあ……ここでお別れかな」

「先輩は、会いに行かないのですか?」

「会っちゃいけないんだよ。僕にはもう、スノーホワイトの――小雪の隣にいる資格は無いからね」

「岸辺先輩……」

 

 そうして亜子ちゃんとはそこで別れ、僕は独り黄昏の街を歩く。

 寂しいとは……正直、思う。小雪の顔をもう一度見たい。愛しいあの子に会いたいと叫ぶ女々しい未練が痛む胸の奥から湧き上がるも、僕はそれを振り払うようにただ足を動かした。

 そうして小雪の家から一歩でも遠くへ、少しでも離れようと歩き続けていた時

 

 

 

「ハァハァ……お嬢ちゃん。僕と一緒にいい事しない?」

「いいことってなに?」

 

 

 

 目の前で事案が発生していた。

 そう、事案だ。

 具体的には僕の目の前の路上で、ランドセルを背負った小学生の女の子に肥満体の中年男性が息を荒げてこんな事を言っていたのだ。

 うん。どこからどう見ても紛うこと無き声かけ事案だ。

 

「実はねぇ。僕の娘が家出しちゃって困ってるんだ。だから探すのを一緒に手伝ってくれないかなぁ。……ハァハァ……」

 

 などと胡散臭すぎる事を言う中年男。発情期の豚を思わせるその顔はどこかで見た事があるような気がしたが今は置いておこう。

 今最も重要なのは目の前で起きている声かけ事案だ。言っておくが勘違いなどではない。

 見よ。あの中年男の邪な欲望にぎらついた瞳を。そしてすぐ傍の路肩に駐車してあるハ●エースを! トップクラスの車内空間を誇り、『マジカルデイジー』TVシリーズ第一期第4話『逃がすなデイジー! 幼女誘拐犯追跡24時!』では悪の人身売買ヤクザが何人もの子供達を誘拐するのに使っていた国産車両。すでにそのドアは開かれ、幼女を今か今かと待ち受けているそれこそが何よりの証拠だ。

 

「人助けは確かにいい事。うん。分かった」

 

 なのに女の子は悪魔の囁きに躊躇うこととなく頷いてしまった。嘘だろ!?

 不味い。このままでは女の子は目の前の声かけ犯の毒牙にかかってしまう。ならば今すぐに魔法少女ラ・ピュセルに変身して割り込むべきなのだろうが、あいにくと近くを見渡しても人目から隠れて変身するための物陰がどこにもなかった。あるいはもう少し遠くに行けば見つかるのかもしれないが、それでは最悪手遅れになってしまうかもしれない。

 

「ありがとう! 君は良い子だねぇ」

「お礼はいい。キャンディーを増やす機会があるのなら逃す手は無いから」

「キャンディー? まあいいや、じゃあ早速あそこに停めてある僕の車に乗って探そうねぇ」

 

 にやついた笑みを浮かべた中年男の脂肪がたっぷりとついた腕が女の子に伸ばされ――た瞬間には、僕は駆けだしていた。

 女の子の前に割って入り、立ちはだかって男の魔の手を防ぐ。

 

「やめろ! この子に触るな!」

 

 突如乱入してきた僕に、中年男は目を丸くして

 

「なっ、なんだ君は!?」

「ただの通りすがりです。でもこれ以上この子に近づくなら警察呼びますよ」

 

 一応年長者だから口調こそ敬語だが、睨み、鋭い口調で言う。

『警察』という言葉に、中年男は目に見えて狼狽した。

 

「けっ、警察だって!? い、一体僕が何をしたっていうんだ!?」

「どう見ても今のは声かけでしょ」

「ごっ誤解だよっ! ぼ、僕はただ家出した娘を一緒に探してほしくて声をかけただけで……っ。ほらぁ、探すなら同じ女の子の意見を参考にした方がいいだろぉっ?」

 

 などと意味不明の供述を繰り返す声かけ犯。生え際の後退した額から脂汗をだらだらと流し必死にまくしたてる姿は、語るに落ちるとはこの事かと呆れてむしろ哀れになってくる程だが、かと言って許す事など出来はしない。

 

「ねえ……」

 

 困っている人を助けるのは魔法少女の仕事だ。

 

「ねえ……っ」

 

 ……僕はもう正しくは無いけれど、それでも魔法少女だから。

 

「ここで立ち去ってくれるなら通報はしませんから、こんな事はもう二度と――」

「えいっ」

「あ痛ぁっ!?」

 

 脛を!? いきなり背後から向う脛を蹴られた!?

 弁慶も涙する痛みに堪らず悲鳴を上げて蹲ると、その犯人――背中に庇っていたはずの女の子と目が合った。

 

 なんで。どうして。一体何が、間違ってたのかなぁ……?

 

 激痛に悶える脳裏に幾つも浮かんだ疑問は、だが次の瞬間には──涙の滲む視界に映ったその顔に、吹き飛んででいた。

 黄昏の風に小さく靡く、細く柔らかな髪。幼いゆえに一片の穢れも無い無垢な柔肌。その可憐な顔だちは今だあどけない蕾なれど、いずれ誰もを魅了するだろう美しさとなって花開くことを確信させる。対して表情は乏しく、その美しい容貌とも相まってどこかビスクドールを思わせる浮世離れした雰囲気があった。

 だが何よりも、僕を惹き付けたのはその瞳。そこに宿る、幼いからこそ純粋で危ういほど真っ直ぐに夢を見る子供の、強い意志の輝きだ。

 そんな女の子の円らな瞳が、僕をじいっと見つめていたのだ。

 

「(じぃ~~……)」

 

 見ている。微動だにせず超見ている。

 

「えっ……と……」

 

 ゴゴゴゴゴ……なんて音が聞こえてきそうなほどの無言の眼差し。息を飲み暫し呆然としていた僕だが、その円らなれど圧すらも感じる瞳に流石に戸惑いを覚えた時

 

「やあっ」

「痛い! ってまたぁ!?」

 

 また蹴られた!? 今度は反対側の脛を!

 彼女が着ている学生服。一目でわかる上質な生地と洗練されたデザインのそれは、名深市の中でも良家や有力者の子息が多く通うことで知られる有名学校の物だ。当然履いている靴も艶のある高級革靴で、見た目はもちろん頑丈さも折り紙付き。硬い爪先なんてもはや凶器だよ。いま身を以って知ったからね!

 けっきょく両方の脛に手をやってしゃがみ込む羽目となった僕を、女の子はやはり感情の読めない人形めいた表情で眺め、小さな唇を開いた。

 

「邪魔しないで」

「じゃ、邪魔って……? ていうか僕何で二回も蹴られたの!?」

「せっかく人助けをする所だったのに邪魔されたから」

「そ、それはごめん――って違うよっ!」

 

 あどけなくも有無を言わせぬその口調。それがあまりにも堂々としたものであるから僕はつい反射的に謝ってしまいそうになるが、寸ででハッと我に返る。

 

「僕はむしろ君を助けに来たんだ!」

「助けに?」

 

 きょとんと小さく首を傾げる女の子。大人びた態度とのギャップで可愛い。

 っていやいや和んでいる場合じゃないだろ僕。早く誤解を解いてこの子を犯罪者から助けなくちゃ!。

 

「そいつが言ってることは嘘だ。君は騙されてるんだよ……っ」

「嘘? ……そうなの?」

「うっ!? そ……それはだねぇ……なんというかぁ……」

 

 呟き、横に立っている中年男に目を向ける女の子。ジロリと真っ直ぐな眼差しで問われ、中年男はビクゥッと脂肪を揺らして震えた後、何やらしどろもどろに呟いている。

 見苦しい。さっさと観念して立ち去ればいいのに。

 僕は呆れつつも解決を確信する。が、中年男はここで思わぬ行動に出た。

 

「だっ騙されちゃいけぬああああああいッッッ!!」

 

 甲高い声で突如絶叫し、いきなりの事に唖然とする僕をその太い手でズビシッと指さしたのだ。

 

「嘘をついてるのは僕じゃない! こいつだああああ!!」

「……は?」

 

 いったい何を言い出すのか。思わず疑問の声を漏らしてしまった僕に構わず、中年男は唾を飛ばしながらまくしたてる。

 

「こいつこそ甘い言葉で君を騙して色々とうらやまけしからん――もとい卑劣外道性犯罪をしようとしてるんどぅあ!」

「はあああっ!?」

「『せーはんざい』ってなに?」

「詳しく知りたければあっちのハ●エースの中でおじさんが手取り足取り教えてあげるよぉ!」

「いや何言ってんだあんた!?」

 

 いきなりとんでもない事を口走りだした中年男に、もはや敬語すら忘れてツッコむ。

 だが中年男は止まらない。ここが無罪(せい)と(社会的)死の正念場だと言わんばかりの必死の形相で僕を悪者に仕立て上げようとする。

 

うるさああああい! お前みたいな爽やかスポーツ少年みたいなのが人畜無害そうな顔して女の子を食い散らかしてるんだ! 僕知ってるんだぞ!」

「な!? そんなわけないだろ!」

「しらばっくれるな! 口ではどう言おうが裏では純真無垢な女の子をあの手この手で次々と籠絡したあげく酒池肉林ハーレムを作ってるんだろ! 僕は(薄い本で)詳しいんだ!」

「そうなの?」

「違うよ!」

 

 女の子の純粋無垢な眼差しが今度は僕へと向いて問いかける。

 けど当然、僕は全力で否定し――

 

「嘘だああ! どうせラッキースケベとか称して女の子の胸やお尻に触ったりパンツ見たり嬉し恥ずかしセクハラ三昧してるんだ! お前のヤッてることは全部まるっとお見通しどぅるあ!」

「そうなの?」

「……ぇえっとぉ……」

 

 言われて、うわぁ脳裏に蘇ってくるぞ。スイムスイムのたわわなお餅の柔らかさと以前ハプニングで触ってしまったリップルのお腹の滑らかな感触が。

 い、いや……でもあれはワザとじゃないし。幸運……じゃなくて不幸な事故だし。第一胸は触ったけど誰のお尻も触った事なんて無いしっ!

 

「そっ、その反応わまさか本当に経験済みなのか!? くうぅぅぅッッ! 死ね! 氏ねではなく死ね! 女の子の愛に恵まれない全世界の非モテ男の恨み辛み嫉妬と怨念を受けて爆発して死ねリア充!

 

 遂にはギリギリと歯軋りして、今にも両目から血涙を流さんばかりの中年男。

 そのあまりの迫力に僕はたじろぎ、だがここで引くわけにはいかない。反論するべく口を開こうとした時――

 

 

 

「店の前で騒がないで」

 

 

 

 凛と澄んだ、だが地獄の底から響くかのような殺気を孕んだ声が、僕と中年男の言い争いをその迫力で止めた。

 思わず声の方に目をやると――ヤバイ奴がいた。

 

「店の迷惑になるから今すぐ消えて。早く」

 

 僕らの横にあるカフェの入り口の前で仁王立ちしながら僕らを見据えるのは、腰まで届く艶やかな黒髪が印象的な女子高生くらいの少女。

 ここでバイトしているのだろう。綺麗に整った顔立ちで、その手足はすらりと伸びてアスリートのように引き締まっている。猫のマークが付いたエプロンの下の胸は乏しいようだが、それがかえって彼女のスマートな長身の美しさを引き立てていた。

 率直に言って美少女である。

 

 だがでかい。そして目つきがヤバい。

 いくら向こうは年上とはいえ僕だって成長期の男子だ。162㎝の身長は同年代では決して低くないだろう。が、この目の前で仁王像の如き威圧感で立つ女子高生には到底及ばない。

 高い。というかデカい。どう低く見ても170㎝以上はある。ラ・ピュセルの時の身長でも(169㎝)敵わないとは……ッ。

 

 なかつその切れ長の瞳から放たれる眼光たるや、どこまでも鋭く冷たくなおかつ激しく、なまじ顔が美しい分迫力が増して、気の弱い者なら一睨みで泣き出してしまいそうなほどに強烈。

 そんな凶器レベルのそれが、170越えのガタイの長身から『これ以上騒ぐようならどうなるか分かってんだろうな?』と無言の殺意と共に叩きつけられるのだ。

 

「ひぅっ……!」

 

 精神耐性が強化される魔法少女時ならともかく今の僕はごく普通の男子中学生。結果、僕は成す術も無く蛇に睨まれた蛙の如く硬直した。

 ついでに死も覚悟したがけしてオーバーではない。だってこの子の目は本気で人を殺れる目だもの。

 せめて女の子だろは守ろうと、この身を盾にして庇うべく咄嗟に手を伸ばし抱き寄せる。

 

「ぁ……っ」

 

 小さな声を漏らし、腕の中にぽすんと収まる小さな体。柔らかな髪からふわりと幼い香りがした。

 ついでに女子高生の眼差しが性犯罪者を見る目に変わり殺意が十割増しになった。

 

 あ、これは死んじゃうやつだ。

 

 妙に凪いだ心地でそう自らの死を悟る僕。

 ごめんね亜子ちゃん……君との約束守れないや。

 絶対に死なないと約束した後輩に心の中で謝った時、

 

「華乃ちゃわあああああああああん!」

 

 爆発した奇声が処刑場めいた空気をぶち壊した。

 え? 今度は何?

 もはや何度目かも分からないそれに唖然とする僕など見向きもせずに、その発生源たる中年男は喜色満面の笑みで女子高生に語りかける。

 

「やっと見つけたよぉ華乃ちゃん!」

「なんで……あんたがここに……ッ」

 

 一方、女子高生は苦々しく美貌を歪め、ゴミを見るような目で呟いた。

 

「決まってるじゃないか! 華乃ちゃんを探してたんだよ!」

「なんで私を……」

「家出した娘を心配するのは当然でしょぉ!」

 

 忌々しげに睨みつける恐怖の眼光などものともせず目をぎらつかせて詰め寄る中年男。

 あいつすごいな。僕なんて一睨みで声も出せなくなったのに。

 ここまでくれば天晴な変態ぶりにもはや感心しつつ、対照的な二人を見る。まったく似ていないがどうやら親子らしい。

 しかしその関係は女子高生の嫌悪にそまった表情を見る限り、良好ではなくむしろ最悪なようで

 

「娘って……あんたのことを父親だなんて思った事なんかない。だいたい血も繋がってないのに父親面しないで」

「血なんて繋がってなくとも愛でつながってるよぉ! 父と娘の愛で!」

「父親って言っても五人目でしょ」

 

 おおぅ。なにやら複雑な家庭事情のようだ。

 そう吐き捨てる女子高生の取り付く島もない態度に、ついに中年男は業を煮やしたのかその両手を広げて

 

「そう言わず一緒に僕らの家に帰ろうよ! お母さんだって華乃ちゃんを心配して帰りを待ってるんだよおおおおおお!」

 

 叫び、女子高生に無理やり抱き着こうとしてきた。

 

「ッ! やめ――ッ」

 

 これは流石に見過ごすことはできない。

 僕は咄嗟に抱き寄せていた女の子を離し、二人の間に割って入るべく立ち上がうとして

 

「……チッ」

 

 舌打ちの音と共に女子高生の総身から噴き上がった怒気に、再び硬直した。

 一瞬で鳥肌が立ち気圧される程の凄まじいそれ。煮え滾る溶岩のような声が響く。

 

「あの女が心配してるはずなんてない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……ッ」

 

 吐き捨て、その脚が振り上げられる。

 ヒュンッ! 鞭のように放たれたそれが、風を切る音と類まれなる筋力が生む破壊力を纏って虚空を裂き

 

「寝言は寝てから言って」

 

「ぶふおおおおおおおおおおおおおおおお!?

 

 今まさに抱き着かんと迫る中年男の側頭部へと命中。

 叩き込まれた凄まじい衝撃に、見るからに肥満体だったにもかかわらず中年男の身体は吹き飛び近くのゴミ捨て場へと激突した。

 かくして積み上げられたゴミ袋の間に埋まるように倒れた男。その身体からはぐったりと力が抜けて、完全に白目をむいている。気絶したようだ。

 

 凄い。というか人間の身体ってあんなに飛ぶものなんだ……。

 と、普段の僕ならその光景を前にそんなことを思っていただろう。

 だが今、僕の視界はそちらを向いていなかった。

 僕が呆然と見ていたのは、

 

「もう二度と来ないで」

  

 

 

 その姿をもはやゴミ以下の物へと向ける目で見、吐き捨てる女子高生――のハイキックで舞い上がったスカートの中身だったからだ。

 

 

 

 誓うがわざとではない。

 女の子から受けた脛キック×2のダメージで僕はしゃがみ込んでいた。

 でもって女子高生は仁王立ちをしていて、なおかつその状態でハイキックをしようものなら多少スカートが舞い上がってしまうのは物理法則上仕方のない事なのだ。

 むろん舞い上がるとは言っても古いモンロー映画のようなほぼ直角ではなく精々90度か少し下程度なのでそう簡単には見えないはずだが、不幸にも位置的に下から見上げる形となっている僕にはこうしてバッチリと見えてしまっていると言う訳だ。

 うん。僕は悪くない(現実逃避)。

 

 そんな事を考えていると、女子高生は今度は僕へと瞳を移し

 

「あんたもさっさとどこかへ――」

 

 あ。目が合った。

 そして今の状況に気が付いた。

 目を見開いてビキッと硬直してる。

 

 下から呆然と見上げる僕の瞳と、女子高生の上から唖然と見下ろす瞳。

 二つの眼差しが重なり合い、時が止まる。

 そして空気も死んだ。どうしたらいいの。

 

「…………」

「…………」

 

 や、やばい。ほんとどうしよう。何か言わなきゃ。嗚呼とにかく何でもいいからッ何かこうこの状態を切り抜ける起死回生の一言を……何でもいいからッ!

 

 この時、僕の脳髄は突然のパンチラに混乱しきっていていた。だから正常な判断など下せるはずも無かったんだと先に言っておく。

 でなければ、僕は少なくとも絶対にこんな事を言わなかったからだ。

 

 

 

「可愛い猫ちゃんだね!」

 

 

 

 結果、僕の意識は側頭部に叩き込まれた衝撃に体ごと吹き飛ばされた。

 ブラックアウトする視界に最後に映ったのは、一瞬で顔を真っ赤に染めて二発目のハイキックを放った女子高生。その舞い上がるスカートの向こうで無邪気に笑う、純白の生地にプリントされた猫ちゃんのスマイルだった。

 

 

 ◇カラミティ・メアリ

 

 黄昏から夜の闇へと沈みゆく街の中を、カラミティ・メアリは歩いていた。

 暴力団やアウトローの多く集う城南地区の中でも特に治安が悪く、堅気の者ならば絶対に立ち入ろうとしないその一角を、後ろに数人の黒服の男達――暴力団『鉄輪会』の構成員――を従え悠然と進む彼女の足取りはごく自然に、だがどこか浮足立っているようにも見える。

 対してヤクザたちの表情は一様に緊張し、強張っていた。

 彼らは知っていた。

 この女がこういう雰囲気の時は、必ず何かが起こる前触れだと。

 それが具体的には何なのかは、用件も聞かされず『付いて来い』とだけ言われた男達にはわからない。

 

 だが、一つだけは断言できる。

 今までがそうだったから。

 これから、雨が降るのだ。鉄と血の――全てを巻き込みぶち壊す、破壊と暴力の雨が。

 

「なあにビビッてんのさ」

 

 戦慄し、その恐怖に震えた男達へとメアリは可笑しそうに笑いかけた。

 だが、その笑みは男たちを安堵させるどころか、さらなる恐怖へと叩き込む。

 

「別に鉄火場に行こうってんじゃないよ。ただちょっと、注文してたパーティーの小道具を取りに行くだけさ。これからおっぱじめるそいつを盛大にド派手に愉しくするための――ね」

 

 そう心底愉し気に語る笑みが、まさしく血に飢えたケダモノのそれだったのだから。

 

 




お読みいただきありがとうござます。
自分の書いている物が果たして面白いのか全く分からなくなるという物書きの職業病を発症するも、好きな漫画の『本当に面白い物が出来た時はうぬぼれでなく分かるもの』という台詞に感銘を受け「あ、やっぱこれ面白くないんですねうん知ってた。でもそろそろ投稿せんとヤバイしもうこれでいっちまえ!」というノリで投稿した作者です。

でも基本クッソ長いうえにグダグダなのはいつもの事か。つまり世はなべてことも無し。これが作者の平常運転だ。うん死んだ方がいいよね分かっております。

今回の話で登場した五人目のパパはアニメ版のパパです。変態を書くのが楽し過ぎて気付いたらこのありさまだよ! ちなみに原作者はおっさん魔法少女を登場させようとはしたものの担当に止められたらしいけどまさかそれって五代目パパかしらん? 真相はベルッちあたりにでも調べてもらおうそうしよう。

はてさて次回は謎の小学生の正体が遂に明らかになります。衝撃の正体を今からお楽しみに。
でもその前にIFルートの方も書かにゃならんかぁ。
でもでもこれからリアルがちと忙しくなりそうなので投稿と感想返しが遅くなります。うんマジごめん。時間が空き次第書き上げたいと思いますので気長にお待ちください。でわ

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