魔法少女育成計画routeS&S~もしものそうちゃんルート~    作:どるふべるぐ

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やべえ……やべえぽん……。
作者には文章を短くまとめる才能が欠落してるぽん。
ぶっちゃけ二万字超えちゃったけど許してぽん。


ぼくの誓った魔法少女(後編)

 ◇岸辺颯太

 

 

 首を掴まれ持ち上げられる感覚で、目を覚ます。

 気だるさと疲労感が重く纏わりつく,力が入らない体は半ば膝立ちの姿勢にされ、覚醒しきっていないぼんやりとした意識を、万力の如き強さで首を掴む手の、硬く、だが火傷しそうなほどの熱さが叩き起こした。

 

「っあああああ!?」

 

 熱い。まるで熱した鉄を押し当てられたかのようだ。高温の苦痛にもがき苦しむも、その手は決して離さず、僕は悲鳴を上げることしかできない。

 

「そうちゃん!」

「――ッ!? スノー……なんで……痛ああ…ッ」

 

 目を向けると、鞘の中にいるはずのスノーホイトの姿が。

 床にへたり込み、極細の糸にか弱い身体を縛られながら、蒼褪めた貌と震える瞳で僕を見ている。

 なんで、鞘が……っ危ないスノーホワイト。すぐに隠れるんだ……!

 祭壇に乗せられた生贄の子羊のように無防備な彼女に警告しようとするも、喉から絞り出した声は言葉とならず苦悶に消える。

 そんな僕を――奴が嗤っていた。

 

「ゼェ……ハァ……これはこれは……ハハハっ傑作デスね」

 

 マジカロイド555。

 先程よりも更に赤く染まったこいつが、何故か僕の顔をしげしげと眺め、愉快気に頬を歪める。

 

「前々からヅカ系を気取っているとは思っていましたが、まさかアナタが本当に男だったとは思いませんでしたよラ・ピュセル」

「っ……!?」

 

 くっくと喉を鳴らし嘲りを含んだその言葉に、はっと自分の身体を見下ろせば、そこにはあるべき魔法少女ラ・ピュセルの胸の谷間ではなく、見慣れたオレンジ色のパーカーとジーンズを着た中学二年生の――『岸辺颯太』の身体が。

 変身が解けている! 意識を失ったから…魔法も一緒に解除されたのか……ッ

 

「ち……っ」

「おっと変身などさせませんよ」

 

 咄嗟に変身しようとしたものの、意識を集中させるより先にマジカロイドがその手に力を籠め――ミシッと骨が軋むほどに首を絞められ意識は激痛にかき乱された。

 

「かはっ…げほっ…ごほっ!?」

 

 息苦しさに集中できず変身が阻まれ、激しくせき込む。

 窒息寸前にまで締め上げられ涙の滲む視界に映るは、獲物をいたぶる愉悦に歪む加虐的な笑み。せめてもの抵抗に睨みつけるが、マジカロイドは

 

「おやおやそう怖い顔をしないで欲しいデスね。そもそもこうなったのはアナタの自業自得でしょう? アナタがあの時、ワタシを撃ち殺そうとしたハードゴア・アリスを止めたから、ワタシはその隙にアクセル装置を起動できたのデスから」

 

 その言葉に、胸の奥がズキッと痛んだ。

 自らの手で勝機を捨てた後悔は確かにある。ああ分かっているさ。この事態を招いたのが僕であることぐらい。でも、

 

「しかし何故アナタはあの時止めたのデスか? あのまま勝てたのに? ワタシを殺せたかどうかは分かりませんが行動不能くらいには出来たかもしれないのに何故あんな真似を?」

 

 それだけは、できない。しちゃいけないんだよ。

 

「……あたり、まえだろ……魔法少女は、殺しなんてしないんだ」

 

 清く正しく美しく。それが魔法少女。

 それが、僕とスノーホワイトが夢見た存在だ。

 だから、己のために誰かを殺そうなんて、そんなのは違う。

 そんな奴はもう、魔法少女じゃない。

 ルーラ達に襲われたあの夜、キャンディーを奪われこのままでは死ぬしかないと分かっていても最後まで戦いを拒んだ――スノーホワイトの想いを穢してはいけないんだ。

 

「そんな理由ですか。そんなもので、せっかくのチャンスを無駄にしたと?」

 

 語った理想は、だがマジカロイドに嘲笑れた。

 

「ハハハッ――これは戦いデスよ。殺されたくなければ相手を殺して生き延びるしかない殺し合いに、そんな甘っちょろい考えで挑もうとは……呆れましたよ」

「だ、まれ……」

「ああ全くもって下らない。夢を見るのはそっちの勝手デスが、所詮、夢は夢でしかないのデスよ。この無慈悲でくそったれな現実(リアル)の前では何の役にもたちはしない。夢を見れば叶うとでも? 理想を語れば実るとでも? アナタ馬鹿ぁデスか現実見ましょうよ。今日日(きょうび)ガキでも知ってますよ。何かを成すために必要なのは夢でも理想でもなくただ一つ――『力』なのデスよ」

 

 黙れ。馬鹿にするな。

 お前に何が分かる。あの子の夢が、僕の理想がどれほど強くひたむきで切なる物かを、お前なんかに……ッ。

 

「僕は、お前とは違う。力に溺れて……正しく在ろうとしない……意識の低い魔法少女とは……ッ」

「力に溺れてデスか……まあそうデスねええその通り。ワタシは力に溺れているデスよ。この圧倒的なパワー。無限に溢れて尽きないこのエネルギー。これで溺れないわけがないじゃないデスか」

「俗物め……ッ」

「俗物大いに結構。まあたしかにワタシは碌な人間ではありませんし力こそ正義とは言いませんよ。デスがラ・ピュセル、アナタよりはましでしょう?」

 

 硝子の赤瞳が冷たく光る。

 冷酷で加虐的なその眼差し。捕らえた獲物をじりじりと絞め殺す毒蛇にも似たそれに、背筋に冷たいものが走った。

 

「なん……だと……」

「清くとか正しさとか上辺だけの言葉を掲げても弱いから誰も守れない。力が無いから何も出来ない。そのくせ誰も殺さずに全てを救おうだなんて甘すぎる願いを抱く。ああまったくどんなたちの悪いジョークですか笑えませんよ。こんなものに付き合わされた挙句ズタボロになったアリスには同情するデスよ」

「――ッ」

 

 滴る毒の牙のような言葉(あくい)。アリスへの罪悪感が胸を締め付ける。

 確かに、勝機を捨てアリスがやられたのは――僕のせいだ。勝機を捨ててでも不殺を貫くことを僕が選ばなければ、今も彼女は無事でスノーホワイトも助け出せただろう。

 ――けど、もしあの時に戻れたのだとしても、僕は同じ選択をする。

 勝ちたい。死にたくない。生きたい。でも、それ以上に僕は――僕たちは魔法少女で(ただしく)ありたいんだ。

 

 

 ◇クラムベリー

 

 

「――あの時も、貴方はそうでしたね」

 

 辛うじて残った屋根の淵に腰かけ、眼下の戦いを観賞する森の音楽家クラムベリー。

 血の赤に彩られたその瞳が、かつての夜に見た光景を思い出す。

 

「忘れもしない。いいえ、忘れようとしてもできるはずなどないあの戦いの最後で、貴方は私を斬りました」

 

 今でも鮮明に思い描ける。血の高揚と戦いの歓喜と共に脳裏に焼き付いて離れない、あの燃える様な瞳。硬く雄々しい切っ先で柔肌を抉られるあの痛み。

 

「この胸を裂き、血が飛沫となって噴き出る程に――しかしそれは、致命傷ではなかった」

 

 期待外れと思っていた者から受けた反撃の刃は、落胆していたクラムベリーを一転歓喜させた。まさにサプライズ。あの歓喜と興奮の中でなら、あるいは死ぬのも悪くなかったかもしれない。

 だが自分は死ななかった。剣を掲げて斬りかかるラ・ピュセルを見た時は確実に殺されるのだと思ったのに、死んでいなかった。

 あの状況ならば受けるのは致命傷であるはずなのに、真っ二つにされているはずなのに、

 

「剣の長さが足りなかったから? いいえ。貴方に限ってそれはありません。足りないのなら、その魔法で刀身を巨大化させ両断すればよかったのですから」

 

 ゆえに斬られた時、己の胴体が分かれていない事にむしろ呆気にとられたものだ。

 

「その判断力とセンスがあれば思い付かなかったはずは無い。反射神経、発動速度も十分に間に合うはず。なのに貴方はそれをしなかった――私を殺さなかった」

 

 その事実を認識した時、思わず嘲笑してしまった。

 

「なんと甘い。この期に及んで殺人を拒むとは、殺し合いにおける覚悟の無さに呆れましたよ」

 

 そして音で気を逸らし、首を掴み吊り上げた。

 ちょうど今、マジカロイドがそうしているように。

 

「ですが、貴方の目を見てそれが間違いであることに気付きました」

 

 声も出せぬほどに細首を握り絞められ、血を流し激痛に顔を歪めてもなお睨みつけてくる龍の瞳。その奥底で最も強く燃えていたのは、悪を倒さんとする正義感や敵にすら情けをかけようという慈愛の心――などでは無い。

 

「たしかに殺しに対する生理的嫌悪はあったでしょう。良心の呵責もあったのでしょう。ですが貴方が最後まで私を殺さなかった最も根源的な理由は、覚悟の甘さでも意思の弱さでもなく、まして倫理や道徳などと言ったまともな物ですらなかった」

 

 それは理性を凌駕し道理に背き生存本能すらねじ伏せる――全てを超えた渇望。

 

「――『理想の魔法少女で在りたい』」

 

 これほどの痛みと暴力を受けてもなお諦めぬその想い。理解を絶するその覚悟に、総身が震えたのを今でも覚えている。

 

「私がどれほど危険かを知り、絶望的実力差を悟り、まともに戦えば勝機など無きに等しく、ならば我が身とスノーホワイトの安全を考えれば絶対にここで殺すべき。それでも、貴方はその総てを承知した上で私を生かした。――己が理想とする正しい魔法少女は決して人を殺さない。ただそれだけの理想論(りゆう)で」

 

 これまでも、理想を掲げた魔法少女はいた。愛や正義と言った夢見がちな理想に燃えて己に挑みかかってきた者達など血に彩られた半生で何人も見てきたし、飽きる程に殺してきた。

 だが、これは違う。夢見がち程度では説明できない。もはやタガが外れている。

 これは、目の前にいるこの魔法少女は、倫理観の下に正気で理想を掲げてきた奴らとは明らかに異なるモノだ。

 

「長く魔法少女への夢を隠し続けてきた抑圧ゆえか、それともまた別の理由か、何が彼をそうさせているのかは分かりません。ですが、勝利よりも人倫よりも己が命にすら優先させて理想(ゆめ)を貫くその在り方は――もはや狂信ですよ」

 

 だからこそ、殺害という確実な方法ではなく、クラムベリーを殺さず倒すという選択をしてしまったのだろう。そうしてしまっては、己は理想の魔法少女ではなくなってしまうから。

 

「しかし無慈悲な現実の中では、絶望的な力を前にしては、貴方の理想は所詮、儚く幼稚で現実性のない夢物語」

 

 なんと愚直なのだろう。なんて哀れなのだろう。

 だが、嗚呼だからこそ、悪意に傷つき現実に踏みにじられても教義(りそう)にその身を捧げるのならば

 

「だとしても、その全てを承知してなおも己が信仰に殉じるというのなら、ああ颯太さん貴方こそは正しく――《殉教の聖処女(ラ・ピュセル)》の名に相応しいですね」

 

 

 ◇岸辺颯太

 

 

 マジカロイドは嗤う。

 

「さて、奪う事も出来ないくせに守りたいと泣いて喚くだけの清く正しい弱者と、何でもできて好きに奪える悪逆非道の強者。はたしてどっちがマシなのでしょうね?」

 

 僕の理想を。正しい魔法少女で在りたいと願う僕の夢を、弱者の戯言と断じて。言葉で嬲り、力で虐げ、夢も理想も凌辱する。

 力を信望する彼女と理想を信仰する僕。決して相容れない者同士が、己と異なる信仰を力で弾圧する――まるで異端審問だ。

 そこでは神の子もその使徒もそして聖女も、皆己が信仰を語り理想を説き、だが誰一人として理解される事無く異端の烙印を押され裁かれる。

 今まさに吊るし上げられている僕のように――

 

「まあとはいえ、そんな甘っちょろさのおかげで勝てたのデスから感謝しないといけませんね」

 

 ガチャリと、いつの間にかマジカロイドがその右手に持っていたショットガン――アリスから回収したのだろう――の銃口を持ち上げる。そしてそれを僕の胸―――心臓の真上に押し当て、

 

「だからせめてものお礼に、一発で殺してあげるデスよ」

 

 引き金に指を掛けた。

 それが意味するものに心臓が凍り付く。これが引かれた瞬間、胴体に大穴が空き僕は死ぬのだ。

 

「駄目っ……止めてマジカロイド! そうちゃんを殺さないでッ!」

 

 月下の処刑場となったこの場に、スノーホワイトの悲痛な叫びが響く。

 大切な人を喪ってしまう恐怖に震える涙声で叫びながら、華奢な身体を縛る糸から何とか抜け出そうともがくも、出来ない。むしろそのせいで擦れた糸が服を切り皮膚に食い込み、白雪の肌を赤く染める。その鋭い痛みに呻き涙を流すもスノーホワイトは止めない。僕を助ける為に、血を流し足掻いている。

 

「スノーホワイト……ッ!」

 

 嫌だ。駄目だ。僕は死ねない。あの子を残して死んではいけない。だってここで死んでしまったら次はスノーホワイトが、あの子が殺されてしまう。嫌だ。それは、それだけは、絶対に……ッ。

 

「は…な…せぇ…ッ」

 

 白い装甲に覆われたマジカロイドの腕を両手で掴み、力ずくで引き剥がそうとする。だが魔法少女の腕は人間ごときの力でなどびくともせず、むしろ嬲るように力を込められた。

 

「がッ……ぁぁ…っ…」

 

 機械の指先が喉に食い込むその痛みに漏れる、かすれた呻き。

 これじゃあ、あの時と同じだ。今だこの脳裏に恐怖と共に刻まれたあの夜。血と絶望に彩られたクラムベリーとの戦いと。

 あの時の僕は力に酔っていた。英雄願望で目が曇って冷静な判断が出来ず、命のやり取りだという自覚も覚悟も無く圧倒的な格上に挑んで――負けた。

 もし、スイムスイムに助けてもらわなければきっと僕はあの時に死んでいただろう。

 だから今回は油断も慢心も無く、一歩間違えば殺される戦いなのだと最初から覚悟して臨んだのだ。圧倒的な力の差があろうとも、最後まで諦めず全身全霊で勝利を掴んだたまのように。スノーホワイトを守るために、命を賭けて。

 なのに……くそ……ッ!

 

「おやおやそんなに睨まないでくださいよ。恨むならワタシではなく――」

 

 嘲る瞳が覗き込む。もがく僕の瞳の奥の、魂すらも嬲り穢すように。

 

「奪う事も出来ないくせに夢を見て、浅はかな命を落とす自分を恨むことデス」

 

 そして、引き金にかけられた指が無情にも動き――

 

 

 

 

 

 

「待って……ください……ッ!」

 

 

 

 

 

 突然に響いた声に、止められた。

 僕でもスノーホワイトでもないその声。

 目を向けると、

 

「アリス……」

 

 月光を浴びて夜闇に赤く浮かび上がる血だまりに立つ、ハードゴア・アリスの姿が。マジカロイドによって半ば肉塊になっていたその身体は既に人の形を取り戻し、紫の瞳が僕を見る。

 

「あなた……だったんですね……」

 

 僅かに見開かれたそこに驚きが浮かび、だがすぐに納得の色となった。

 

「やっぱり、あなたは………」

「え……」

 

 眩しい物を見る様な眼差しで呟くアリス。困惑するも、その意味を問う前にマジカロイドの苛立たしげな声が殺意を孕み響く。

 

「またアナタですか。いい加減しつこいデスよ」

 

 今だ僕に押し付ける銃口よりも冷たく剣呑なそれにアリスが向けたのは――懇願。

 

「どうか、その人たちを殺さないでください……」

「ハッ! 何を言いだすかと思えば……寝言は寝てから言うデス」

 

 未だ傷が完全には癒えていないのか蒼褪めた唇から血を垂らしながら言うアリスに、だがマジカロイドはやれやれと肩をすくめ一笑に付す。そして再び、引き金にかけた指に力を――

 

 

 

「――かわりに、私が死にますから」

 

 

 

 

「な……ッ!?」

 

 低く、だが悲壮な響きで紡がれたその言葉。

 僕が思わず絶句してしまった一方、マジカロイドは

 

「へえ……」

 

 その指を再び止めて、問う。

 

「アナタが、この二人と引き換えに命を差し出すと?」

「はい」

 

 躊躇いなく頷くその顔を、マジカロイドの赤い瞳がじぃっと見つめる。そこから何やらキューンと機械音がするのは、もしかしてセンサーか何かを使っているのだろうか。

 

「……なるほど、何故こいつらなんかのためにわざわざ死ぬ気になるのかは全くもって理解できませんが、どうやら本気のようデスね」

 

 ふむと呟いたのち、僕の首から手を離した。

 いきなり解放され、僕はそのまま床に倒れ込む。

 

「がっ……げほっ…ごほっ…はあっはあっ……!?」

 

 息苦しく涙が滲む視界。蹲り咳き込みながら、酸欠寸前だった肺に必死に空気を送り込んだ。

 アリスが心配げな眼差しを向けてくれるが、マジカロイドはそんな僕の様子など一瞥すらせず

 

「まあいいデスよ。こいつらを殺すのは簡単デスが、アナタは違います。不死身なんてチート持ちのアナタを今ここで殺せるのなら、これを逃しておく理由は無いデスし」

「それは本当ですか……?」

「ええ本当デスよ。まあぶっちゃけこの二人を殺して怒り狂ったアナタを相手にするのも面倒デスから」

 

 ため息交じりに言われたその言葉に、アリスは小さく安堵の息を吐いた。

 なんで……なんで、そんな表情が出来るんだ?

 

「交渉成立デスね。では、早速ですが変身を解いてもらえませんか。ああくれぐれも妙な真似はしないで下さいよ。その時はすぐにラ・ピュセルとスノーホワイトを殺しますから」

「はい。分かりました」

 

 それはつまり、自分が死ぬ事が決定したという事なのに。

 君は、なんでそんなに迷い無く、

 

「だ……めだ……アリス……ッ」

 

 長く絞めつけられたために息を吐くだけで痛む喉で、呼びかける。

 出会ってからまだほんの短い間だけど、それでもこの黒い魔法少女が素直ないい子で、僕と同じくスノーホワイトを心から想っている同志だと分かり合えたから。

 失いたくない。そう思い必死に止めようとした声はだが何も出来ず

 

「ごめんなさい……先輩」

 

 黒いドレスを纏う華奢な身体から光が溢れ、アリスを包み込む。

 これは変身を解除する光。途中でキャンセルすることは出来ないそれが頭頂部から下へと流れていき

 

「―――――え……」

 

 現れたその姿に、僕は言葉を失った。

 だってそれは、その黒髪は、月光を浴びて闇により白く浮かぶ色白の肌は、まだ幼さを残したあどけなくも儚げな顔立ちは、

 

「亜子……ちゃん……?」

 

 赤黒く濡れる血だまりの中に、あの子が――鳩田亜子がいた。

 

 

 ◇鳩田亜子

 

 

「そんな……君が……」

 

 明かされた黒い魔法少女の正体。それを目の当たりにしながらなお信じられないと目を見張る颯太に、亜子は静かに頷く。

 

「はい。私が、ハードゴア・アリスです」

「じゃあ、前に言っていたやらなくちゃいけない事って……」

「ずっと、スノーホワイトを探していました……」

 

 言って、白い魔法少女を向く灰色の瞳。

 

「私を……?」

 

 その言葉に、スノーホワイトは今だ縛られたまま困惑した。

 

「なんで……もしかして、私達どこかで会った事があるの?」

「……はい」

 

 どうやら覚えてはいないらしい。

 ……無理も無いか。自分と彼女が会ったのは失くした鍵を手渡されたあの時だけ。スノーホワイトからすれば数え切れないほどしている人助けの一つに過ぎないのだから。

 でも、それでも構わない。例え貴方の記憶には無くとも、あの時の記憶は感謝と共に自分の胸に刻まれているのだ。それにこうして魔法少女となってその恩を返すことが出来るという時点で奇跡のようなものなのに、それ以上を望むのは高望みが過ぎる。

 本心からそう思いながら、マジカロイドへと向き直る亜子。

 

「ラ・ピュセルに続いてアナタもこんな子供とは。……とはいえ容赦はしないデスよ」

 

 破れた天井から差す月明かりに佇むその儚げな身体を、ショットガンの冷たい銃口が捉える。

 獲物を食い殺さんとする獣の口腔にも似たそれを前に、だが亜子は微動だにしなかった。

 

「抵抗はしません。命乞いもしません。ですが、約束だけは……」

「ええ守りますとも。商売人たるもの誠実さがモットーですから」

 

 あまりにも淡々としたその会話。今まさに自分達のために殺されようとしているのに余りにも迷いの無いその瞳に、スノーホワイトは息をのむ。

 

「なんであなたは……ッ」

 

 その金の瞳に困惑と戦慄を浮かべ、

 

「そんなに……私なんかのために……」

 

 震える声で、問いかけた。

 

「――私は」

 

 亜子は答える。淡い唇が紡ぐ言の葉に、想いをのせて。

 

「かつて、自分が生きていてはいけない存在だと思っていました」

 

 思い出すのは、かつての絶望。母が死に、父親にすら突き放された少女が抱いた想い。

 その小さな胸を覆い尽くし、嘆き悲しむ度に膨れ上がり、遂には自分を押し潰そうとしていた物。

 

「誰にも必要とされない。誰の役にも立てない。迷惑をかけ続けるだけの存在だと。だから――死ぬ事にしました」

「……ッ」

 

 静かに語られる暗い過去に、スノーホワイトが目を見張る。

 

「あの頃は、ただ死ぬためだけに生きていました」

 

 一刻も早く確実にこの世から去るために叔父の睡眠薬を少しずつ拝借し、遺書も書いた。だがようやく致死量まで溜まりようやく死ぬると思った夜――家の鍵を無くしてしまったのだ。

 

「でも、出来なかった。」

 

 学校から帰り、これでようやく死ねると思った矢先の事に、亜子は絶望した。

 自室の机の中に隠した睡眠薬でひっそりと死ぬつもりだったのに、これじゃあ出来ない。恥知らずにもまだ生きてしまう。また迷惑をかけてしまう。鍵を必死に探して探してでも見つからなくて目の前が真っ暗になってしまった時――

 

「スノーホワイト――あなたに救われたのです」

 

 全てに絶望した自分の前に現れた白い魔法少女は、探していた鍵を手渡してくれた。

 差し伸べられたその手は白雪のように清らかで、誰かを助けられるのが嬉しくてたまらないという思いに溢れた優しい笑顔に、冷たく凍えていた心が温かく包まれるのを感じたのだ。

 何て清く、正しく、美しい人だろう。

 穢れた血の流れる自分とはあまりにも違う、清く尊いその姿。

 そしてなによりも、こんな自分にそんな笑顔を向けてくれる事が、嬉しかった。

 もはや、死にたいという気持ちなど無くなっていた。

 かつて神の子に出会い救われた人々もこのような気持ちだったのだろう。嗚呼、この人の力になりたい。この人のために――生きていきたい。

 

「思い出した……あなた、あの時の……」

 

 スノーホワイトの金の瞳に浮かんでいた困惑が理解の色となる。

 語った出会いの物語は、その記憶を呼び起こしたようだ。

 

「でもどうして……私は、たった一度だけあなたを助けただけなんだよ……ッ」

「たった一度でも、私はそれで救われました。それだけで十分なんです」

 

 最期に、この胸に溢れる感謝をあなたに伝えよう。

 

「ありがとうございますスノーホワイト。あなたのおかげで私は、穢れた血でも生きていいのだと思えた。だからあなたのためなら、私は死んでもいいと思えるのです」

 

 本当はもっとあなたと話したかった。あなたの傍にいたかった。

 でも、あなたにこの思いを伝え、その命を救えるのなら、これでいい。

 

「ッ……! アリスぅ……ッ……!」

 

 名残り惜しく思いながらも、涙ぐみながら引き止めるように名を呼ぶスノーホワイトからマジカロイドへと目を移し

 

「最後の会話は終わりましたか?」

「はい。……待っていてくれたんですか?」

「ワタシは卑怯者かもしれませんが鬼ではないデスよ。三分だけ待ってやるくらいの情けは有ります」

 

 余裕の笑みで語るそれは、勝利を確信した慢心ゆえだろうか。でも、ありがたいことに変わりはない。

 

「お気遣い感謝します」

 

 これから自分を殺す相手に律儀にも礼を言い――そして、最期の会話が終わった。

 

「礼は結構デス。ではこれで思い残すことは亡くなったでしょうし――心置きなく死んでください」

 

 亜子に突き付けられたショットガン。その引き金にかけられた指が、動く。死を放つ銃口を前に、小さな胸にふとよぎるのは岸辺先輩には結局なにも出来なかったという後悔。

 あの人には結局、最後の最後まで迷惑を掛けてしまった。もっと謝りたかったけどもう時間は無い。次の瞬間には、弾丸に穿たれ自分は死ぬのだから。

 せめて生きて、あの人――小雪さんと幸せになってほしいな。

 そう思いながら、最期の瞬間を受け入れるべく亜子が静かに瞳を閉じると―――

 

「駄目だ亜子ちゃん!」

 

 覚悟していた銃声の代わりに響く鋭い声。続いて金属同士がぶつかり、揉みあう音が鳴った。

 それに何事かと亜子は目を開き、見た。マジカロイドの腕にしがみ付き力ずくでショットガンを逸らす――ラ・ピュセルの姿を。

 

「なっ!? まだ邪魔するデスか!」

「痛ぅっ……やらせはしないぞ。絶対に……ッ」

 

 突然の、それも思わぬ邪魔に驚愕するのはマジカロイドも同じ。そののっぺりとした顔に苛立ちと怒りを浮かべ、ラ・ピュセルを引き剥がそうともがく。

 まさかもう一度変身するだけの力があるとは思わなかった。だってラ・ピュセルの身体はもはや傷だらけで、鎧はひび割れ服は破け、血を流していない箇所を見つけるのが難しい程の満身創痍。

 だというのに、なぜこの人は立ち上がる? 力むだけで唇から血が溢れ立つのもやっとのはずのその身体で、こんな自分のためになんでそこまでするのだ?

 

「やめてください先輩っ。先輩が死んでしまいます……!」

「やめ……ないさ……ッ。だって、このままじゃ君が死んじゃうだろ」

「それでいいです。スノーホワイトと先輩が助かるのなら、私は死んでも――」

「よくないッ!」

 

 血を吐きながらの一喝。

 夜気を震わせ鋭く響く激情に亜子は、いやスノーホワイトやマジカロイドですら気圧された。ラ・ピュュセルは言う。

 

「死ぬんだぞ! 死んじゃうんだぞ! 君みたいな子が! こんな所で!」

 

 亜麻色の髪を振り乱し、震える身体で必死にしがみ付いて

 

「それでいいわけないだろ! たとえ君がそう思っていも僕は嫌だ。だいたい……――」

 

 叫ぶ。血を流し傷つきながらそれでも捨てられない

 

「友達を死なせても生きたいだなんて、魔法少女が思っていいはずないだろ!」

 

 ――己が理想を。

 

 その姿に亜子は、この少年の本質を悟った。

 この人は、本当に《魔法少女》だ。ただひたすらに魔法少女が好きで、己もまた理想の魔法少女で在りたい人なのだ。

 たとえどれだけ脆く儚い、現実という苦難の前では容易く壊されかねない幼子の夢想だとしても、胸に抱いて傷つきながらそれでも理想の姿を求め足掻き続けるのがこの人の在り方(ロールプレイ)なのだと。

 

 なんて、なんて綺麗で――そして哀しくなるほどに痛々しい人なのだろう。

 そんなに傷だらけで、血を流して、いっそそんなものなど捨てて諦めた方が楽なのに。そうしない――いや、出来ない。きっとそれは、この夢見る少年には死ぬ事よりも辛いのだろうから。

 でも、それは――

 

「どこまでお花畑なんデスかアナタはッ!」

 

 怒りと侮蔑をこめマジカロイドが叫ぶ。

 

「綺麗事ばかりいつまでもぉ…ッ…いい加減にしなさいよ!」

 

 聞き分けの無い子供を折檻するようにラ・ピュセルを怒鳴り殴りつけ

 

「力も無いくせに! 弱いくせに! その理想とやらでは何もできないのデスから諦めなさい!」

「誰が……諦めるか……ッ。僕は魔法少女だ! スノーホワイトの騎士だ!」

 

 対して、たとえ勝てなくとも、倒すことは出来ずともスノーホワイトを守り抜くとラ・ピュセルは燃える瞳で語り、叫ぶ。

 

「逃げろ亜子ちゃん……ッ! 僕がこいつを抑えるから、君は変身してスノーホワイトを抱えて逃げてくれ!」

「そんな……ッ。それじゃ先輩が……」

「僕に構うな!」

 

 死んでしまう。そう言おうとしたのを悲壮な叫びが切り捨てる。

 

「僕はもとから死ぬつもりでここに来たんだ。だからたとえ殺されても、君とスノーホワイトが生き延びてくれるならそれでいい……ッ」

 

 そう語り、血に塗れながら彼は微笑むのだ。

 己が理想に殉ずる覚悟を決めたその表情は凄絶なまでの美しさ。それは蝋燭が消える瞬間の輝き、死に逝く者の美しさだ。

 

「嫌っ……やめてそうちゃん!」

 

 だが、それは皮肉にも彼自身が拒絶したアリスと同じ自己犠牲。ゆえに正しい魔法少女たるスノーホワイトが受け入れるはずも無く、金の瞳から涙を流し止めようとする。

 

「もういいよ……! 私だってそうちゃんを犠牲にしてまで生きたくないよ!」

「ごめん……でも僕は――」

 

 いやいやと拒むスノーホワイト。それを何とか説得しようとラ・ピュセルがスノーホワイトへ目を向けた――その瞬間、

 

「ッ離れろデス!」

「うわっ……!?」

 

 注意が逸れた一瞬の隙を突かれ、ラ・ピュセルは力づくで振りほどかれてしまった。

 もともと体力は限界に達していたのだ。それを気力のみで支えていたラ・ピュセルはもはやマジカロイドの全力を抑えきれるはずもなく、そのまま床に倒れた彼へと向けられる――銃口。

 

「アナタ目障りすぎデス。――死ね」

 

 その声は怒りと殺意に煮え滾り、マズルフラッシュと共に銃声が轟く。

 そして夜闇に赤く飛び散り咲いた血の花は、だがラ・ピュセルの物ではなかった。

 

「あ………」

 

 鮮血とそれに混じった肉片が、亜子の顔にべちゃっとかかる。

 だが、その不快な感触より生々しい温かさよりも、眼前の衝撃的な光景に目を見張る。

 その灰色の瞳に映るのは、発砲の瞬間ラ・ピュセルの前に割って入りその身を盾にして弾丸に貫かれた一人の魔法少女の姿。

 

「スノー……ホワイト……」

 

 亜子は、己が全身の血が凍りつくのを感じた。

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 撃たれる。そう思った時、死への恐怖はあったけど後悔は無かった。

 もともと捨てた命だ。僕が撃たれる事で生まれる隙に、亜子ちゃんが変身したアリスがスノーホワイトと共に逃げてくれるならそれでいいと、そう心から思っていた。

 

 なのに、なんで……君が盾になるんだ、スノーホワイト……ッ。

 

 床に倒れた僕の前に、スノーホワイトが背を向け立っている。

 僕を守るように両手を広げて。僕の代わりに弾丸を受けて。

 

「大丈夫……そうちゃん……?」

 

 か細く震える声で問い掛け、崩れ落ちた。

 血を撒き散らして倒れるスノーホワイトを慌てて受け止める。

 その身体は、ゾッとするほど軽かった。それはつまり、あるべき体積がごっそりと抜け落ちたからで……

 

「スノーホワイト!」

「そうちゃん……怪我は、無い……?」

「僕なんてどうでもいいだろ! それより君の方が……ッ」

 

 おそらくは肌に食い込む糸から無理やり抜け出したのだろう。滑らかだったスノーホワイトの肌は傷つきズタズタで中には肉が削げ落ちている箇所まである。そして苦し気な呼吸に合わせて僅かに動く胸の下、弾丸を受けた腹部は……ああ、なんてことだ……ごっそりと抉れ、衝撃でグチャグチャになった赤い肉の間から砕けた骨の白が覗いている。

 そこから溢れる血が止まらない。白い服を赤黒く染めて、その度にスノーホワイトの身体が冷たく、軽くなって……ッ。

 

「あ、うあっ……駄目だ! 止まれ、止まって!」

 

 傷口に手を押し付け塞ごうとするけど、血は指の隙間から止めどなく流れ落ちていく。スノーホワイトの中から、命が消えていく……!。

 

「ごめ、んね……」

「なんで……なんで君が謝るんだよ……ッ」

「そうちゃん……苦しかったよね……辛かったよね……一人でずっと戦って……」

「それが何だっていうんだよ! だってそれは――」

 

 君のためだから。

 そう言おうとした僕は、けど

 

「私のせいだよね……」

 

 スノーホワイトが紡いだ声に宿る後悔と絶望、そして自分自身をどこまでも責め苛む思いに、言葉を無くした。

 

「違うスノーホワイト。そんなことは……」

「私の……せいだよぉ……コホッ」

 

 否定した唇から溢れる血。血の気の引いた口元を赤く染めるそれを慌てて拭う。

 

「駄目だ。もう喋らないで……ッ」

 

 懇願するも、スノーホワイトは言葉を紡ぐのを止めない。

 それはまるで、死に逝く身体に残る己が命そのものを声にして絞り出すかのように。

 

「私が気付けてたら……力になれていたら、こんなことにならなかったのに……ッ」

 

 僕を見詰める瞳から後悔の涙を流して

 

「ごめんね……そうちゃん……私……なんにもできなかったよ……」

 

 その涙は白雪の頬を濡らし、床に広がる自らの血だまりの中に落ちて――呑まれた。

 そして微かに動いでいた唇が、動きを止める。弱弱しくも紡がれていた言葉が、途絶える。

 

「スノーホワイト……?」

 

 その様に言い様の無い悪寒を感じ呼びかけるも、答えは無い。色の抜けた唇から漏れるのは、血の香りの交じる吐息だけで

 

「スノーホワイトっ……ねえお願いだ返事をしてよ!」

 

 どんなに語り掛けても、縋るように揺すっても、沈黙するスノーホワイト。――まるで、ただの死体のように。

 それがたまらなく怖くて叫ぶ僕に、温もりを失い冷たくなっていくその肌が、か細い呼吸が、どうしようもなく伝えてくる。僕の腕の中の女の子にはもう、声を出す力すら消え失せてしまったのだと。

 

「や、やだよ……そん……なんで、こんな……ッ」

 

 やめて。返事をして起き上がって声を出してくれよ。

 怒りでも罵倒でもいいから、僕に話しかけてくれよ。

 たとえ嫌われてもいい。君が生きていてくれるなら僕はそれでいいんだ。

 ねえ、お願いだよ――

 

「スノーホワイトおおおおおおおおおおおおおおおお!」

 

 

 ◇ハードゴア・アリス

 

 

 胸が張り裂けるような竜の慟哭が轟く。

 墓所にも似た廃工事の夜闇に木霊する悲しみと絶望の中――

 

「スノー……ホワイト……」

 

 亜子は、呆然と白い魔法少女の名を呟く。

 けど、返るのは冷たい沈黙のみ。その人は慟哭する竜の騎士の腕の中で、血と傷に塗れて死に逝こうとしているのだから。

 

「あ、ああ……――――ッ!」

 

 その事実に目の前が暗くなり、世界は色を失う。

 小さな胸を覆い尽くした絶望が殺意となるまで、刹那ほどもかからなかった。

 

 ――殺してやる。

 

 憎悪に滾る決意のままに変身。亜子――ハードゴア・アリスはせめて恩人の仇を討つべくマジカロイドへと向き直り

 

 

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 

 

 その時、ハードゴア・アリスは地獄のような熱を感じた。

 それは爆発の如く激しく噴き上がり凄まじい勢いでこの場全てに吹き荒れる、熱さすら感じる程の激情。それは、地獄の底で燃え上がる業火の如き――憤怒の念。

 その凄まじい怒気に肌がひりつく。戦慄が止まらない。

 だがこれは直接向けられたわけでは無いあくまでも余波。だというのに肉を炙り骨をも焦がし魂すら焼き尽くされるかのような感覚を味わいながら、アリスはその発生源へと目を向け――燃え上がる竜を見た。

 

 

 ◇森の音楽家クラムベリー

 

 

 その時、森の音楽家クラムベリーは薔薇色の唇を吊り上げた。

 妖精の如き美貌を歓喜に歪め、血色の瞳を輝かせて

 

「ああ、やっと………やっと『それ』を外しましたか」

 

 他の魔法少女には聞こえなかっただろうが、音楽家の人ならざる耳は確かに捉えていた。総身から怒気を炎の如く噴き上げる竜の、見えざる枷が外れる音を。

 

「待ち焦がれていましたよ颯太さん。その清く正しく美しくも、目障りで忌々しいそれが外れるこの時を……」

 

 ようやく。嗚呼ようやくだ。

 彼が理想の魔法少女で在るために己自身にかけたもの。何よりも固く強くその魂に結ばれて、どれほど絶望的な戦いでも、死にかけるほどの暴力を振るわれようと、決して超えようとはしなかった最後の一線。クラムベリーが外せなかった――《不殺》の枷。

 

「――そして今、貴方はそれを振り払った」

 

 眼下からひしひしと感じる。なんと心地良い怒気。そして凄烈な殺意か。

 これほどの闘気を放てるのは、プロの戦う魔法少女でもそうはいないだろう。

 

「ですがまだです。まだ足りない……」

 

 これはあくまでも抑えうる限界を超えた怒りによって一時的に枷を外したに過ぎない。この戦いが終われば彼はまた己が殺意を縛り付け封じるのだろう。

 それは駄目だ。それでは困る。ここまで期待させて――あの夜のように二度も袖にされてはたまらない。

 

「どうか至ってください。堕ちてください。私の下へ。この私の世界(となり)へと」

 

 憤激する竜の騎士へ、森の音楽家は(こいねが)う。

 聖女を導く天使のように純粋に、地獄へと誘う悪魔の如く禍々しく。

 薔薇の唇が紡ぐ切なる祈りが、この血と怒りと戦いの果てに叶うことを願って。

 

 

 ◇マジカロイド555

 

 

 そしてマジカロイド555はその時、叩きつけられた怒気に圧倒された。

 余波ですらアリスを怯ませる怒りの奔流。熱く煮え滾る超密度のそれを真面に浴びて、マジカロイドはまさしく蛇に睨まれた蛙のごとく硬直し、震えて息を飲む。

 それも仕方がない。いかに圧倒的な力をえようともマジカロイド自身は非戦闘系の魔法少女であり、戦う者としては未熟すぎる素人に過ぎないのだ。ゆえに戦士ならば持つべき、相手の殺意や怒気を前にして心を保つ術など身に付けていなかったマジカロイドは成す術も無く気圧され、

 

「おおおおおおおおああああああああああッッッ!!!」

 

 怒号を上げて殴りかかって来たラ・ピュセルの拳を頬に受けた。

 

「がッ……ッ、ひぃ!?」

 

 爪が掌を突き破る程に固く握られていた拳の衝撃は凄まじく、それがめりこんだ頬の装甲が砕ける痛みと――そしてなによりもラ・ピュセルの凄まじい殺意に悲鳴を上げるマジカロイド。

 それでも反撃すべくショットガンを向けようとするもその銃身を横から殴られ、衝撃でショットガンは手から離れてしまう。再び床に墜ちたそれをマジカロイドは拾おうとするも、怒れる竜がそれを許さない。

 間髪入れず新たな拳が顔面を直撃、視界が白熱し痛みが弾ける。新たな悲鳴と共に鮮血を夜闇に飛び散らせながら、ラ・ピュセルは更に拳を振るい殴りつけてくる。

 柔肌ならぬ赤く熱したマジカリウム合金を殴りつける事で拳が傷つき血を流そうとも、凛としていた美貌を憤怒に染めて、その瞳を己が怒りで焼却した理性の代わりに殺意で満たしながら。

 

「うああああああああああああああ!」

 

 もはやその口から溢れるのは人の言葉ではない。

 それは怒りが悲しみが後悔が自責がありとらゆる激情が迸る――慟哭。

 

 

「先輩……ッ」

 

 あまりにも荒々しく、そして悲壮なその姿に、見つめるアリスの胸が痛んだ。

 あの優しくて、理想を追い求めた彼が、あそこまで誰かを殺そうとする。その姿がたまらなく辛く――哀しい。

 ああ、そうか………。だからマジカロイドを殺そうとした自分を、二人は止めたのか。

 小さな胸を締め付ける痛みと悲しみで、アリスはようやく理解した。大切な誰かが人の道から外れて堕ちるのは、ここまで辛い物なのだと。

 

 轟く慟哭の中、マジカロイドの全身を襲う攻撃は激しさを増し止まる気配はない。拳どころ蹴りや尻尾すらも使い、もはや全身を凶器にして殺しにかかるようなその暴力を受けるマジカロイドは

 

「ぐがッ、はッ……! くッ……やってられませんよ!」

 

 僅かな隙を突いて背中のランドセル型バーナーを吹かし宙に逃れた。

 拳の届かぬ中空で静止し荒い息をつくマジカロイドは全身がラ・ピュセルの攻撃で傷つき、致命傷こそ無いものの、肌を埋め尽くすような罅割れから流れる血が赤熱した装甲を更に赤く染めている。

 そして慄くその瞳には、今も手は届かずとも眼光だけで射殺さんとするかの如く己を睨みつけるラ・ピュセルへの恐れがあった。

 

 ……もういい。スノーホワイトは即死こそしなかったが虫の息だ。もはや何があろうとも助かるまい。そうだもう魔法少女一人を殺すという目的は達成したのだ。きっとあの殺人狂も満足するだろう。ならもうここで、こんな奴の相手をしてやる必要などない。

 

 そう結論し、そのままラ・ピュセルに背を向け更なる上空へと飛び立とうとした瞬間――豪と大気を呻らせる巨大な刃が横から迫り、慌てて回避しようとしたものの背中のブースターを斬りつけられた。

 深々と亀裂の入ったブースターはその機能を失い、成す術も無く墜ちるマジカロイド。

 

「ぐはっ…が…こ、こんな……まさかアナタ本気で、殺す気デスか……」

 

 受け身も取れず床に叩きつけられた彼女は戦慄する。

 なぜならば今の大剣の一撃は、それまでのように刃を寝かせた不殺の剣ではなく、己を明確に両断しようとしたもの。殺さずならぬ必殺の殺人剣。

 もし避けるのが後一瞬でも遅れていたら、自分は二つに断たれて死んでいた。

 その事実に体の芯が凍り付くような恐怖を感じ震えるマジカロイドの瞳に映るは――血に濡れた剣を握り、慟哭しつつ迫るラ・ピュセルの姿。

 

 逃がさない。絶対に殺す。どこまでも追いかけ追いつめ殺す殺してやる。

 

 もはや立っている事すらも不条理な程の満身創痍でありながら、全身でそう語る様は正に修羅。

 

「ひぃいいいッ!!」

 

 逃げられない。嗚呼きっとこいつはどこまで逃げても追って来る。自分を殺すためにどこまでもいつまでも永遠に。まるで逃れられぬ悪夢のようにッ。

 ならっ、だったら……ここでッ――――殺すしかない!

 

 死にたくない。その手でスノーホワイトを死の淵に立たせておきながらあまりにも身勝手ではあるが、ゆえに何よりも強いその想いが一時ではあるが恐怖を上回り、マジカロイドにその奥歯の下に仕込んだ最終兵器―――『アクセル装置』を起動させる。

 

 キュイィィィィィィイィ―――

 

 三度鳴る起動音と共に己の全機関が急稼働し、それによる熱で更に赤熱する身体。

 熱い。三度目とはいえ内部から熱せられるその感覚は筆舌に尽くし難く、まさに内臓総てが燃える様なオーバーヒート状態だ。

 そんな永遠にも感じる辛苦の時に耐え――そしてマジカロイドは超速の領域に至った。

 思考すらも加速させた己以外の全てが停滞する音速の世界の中、赤き閃光と化しラ・ピュセルへと疾走する。

 

 早く、一刻も早く殺さなければ……ッ!

 

 その心を満たすのは恐怖と焦燥。

 この一見無敵とも思える『アクセル装置』だが、その凄まじい性能ゆえに消耗が激しすぎるという弱点があった。全ての機関のリミッターを解除しボディが耐えられる限界まで稼働させるゆえにエネルギーの消費が凄まじく、またオーバーヒートによる苦痛は長時間使用すれば精神が壊れかねないほど、ゆえにマジカロイドはこの秘密道具だけは使用を躊躇っていたのだ。

 事実、既に二回の使用だけでもエネルギー残量は危険粋近くまで消耗している。

 そしてそれは現在も減り続け、起動できるのはこれが最後だろう。ゆえに

 

 殺す! 絶対に何としてもエネルギーが尽きる前に刹那を超えて殺す!

 

 

 必殺の決意を燃やし、体感時間の差ゆえスローモーションで動くラ・ピュセルの胴体を貫かんと突き出した貫手は―――虚空に突如出現した鞘によって防がれた。

 

「んなっ!? 」

 

 それは厚さはそのままにラ・ピュセルを覆い隠すほどの幅となって貫手を受け取め、主を守る――超高速をも超える固有武器の《瞬間展開》による防御。

 そして必殺を期した攻撃を防がれた驚きで一瞬動きが停止したマジカロイドへと、その隙を逃さず振り下ろされた大剣が襲いかかった。

 咄嗟に横に跳び避けるも、いかな超速とはいえ完璧に隙を突いたそれを躱しきることができず、左足の太腿を深く斬りつけられてしまう。

 

「痛ああ……ッ!?」

 

 悲鳴と共に血が噴き出る。最悪な事にそこは利き足だった。

 そんな苦しむマジカロイドに追い打ちをかけんと容赦無く繰り出される二太刀目の斬撃。それを何とか加速して躱すも、利き足のダメージによってその速度は明らかに減じている。

 

 一端距離を取り自己修復システムによる回復を待つか? 

 駄目だ。完治するより先にアクセル装置』のエネルギーが尽きる。こいつを殺せるのは、今この超加速の時の中しかない!

 

「――ッいきます!」

 

 内より焼かれるかのような熱に耐えつつ、マジカロイドは咆哮する竜へと殴りかかった。

 

「ああああああああああああああああああああああ!」

 

 対してラ・ピュセルには、もはや正常な思考など無かった。

 あるべき理性は荒れ狂う怒りに焼却され、守るべき倫理も殺意に呑まれ、正しくあろうとする意思すらも愛しい者がもうすぐ喪われる哀しみとそれを成した者への憎悪に狂った。

 嘆き叫び暴れ狂いながら、ラ・ピュセルは速度が落ちたとはいえそれでもなおゼロコンマを凌駕して襲いかかる超高速の攻撃を捌き続ける。

 だがその動きには、どう捌くか、どう対応するかという思考は無い。

 ただこれまで積み上げその身に沁みついた戦いの経験――もはや本能とも言うべき思考ならざる反射と、その身も魂も焼き尽くす《怒り(おもい)》によってラ・ピュセルは戦っていた。

 

 とはいえそれまでの思考速度によるロスが無くなったため渡り合えているのだから、却ってそれが幸いしたともいえる。しかしそれを喜ぶ理性などとうに無く、いや、そもそも彼の狂乱する思考はとうにただ一つの《問い》にのみ向けられていたのだ。

 

「なんで……ッ」

 

 轟く憤怒の慟哭に、初めて人の言葉が混じる。

 

「なんでだ……ッ」

 

 怒りと悲しみと憎悪がぐちゃぐちゃ混じり合い震える声が叫ぶその問いが向けられたのは、眼前のマジカロイドか、あるいは己か、もしくはこの残酷で不条理な世界その物への――

 

「なんでだあああああああああああああああああああああああ!!!!」

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 スノーホワイトは――小雪は、僕が知る限り誰よりも正しい魔法少女だった。

 あの子が夢見ている魔法少女像は僕が目指していた物とは違うけれど、それでも誰よりもひたむきにそれを愛して、そうであろうとする小雪が――僕は好きだった。

 

 そしてこの狂った殺し合いで他の魔法少女達が命惜しさに次々と道を踏み外していく中で、マジカルキャンディーを奪われた君は自分が死ぬと分かっていても、取り返すために戦おうとする僕を拒絶した。拒絶してくれた。

 ……あの時、僕は君に『いいわけないだろ! 死んじゃうんだぞ!』と言ったけど、でも同時に嬉しかったんだ。

 だって、君は死の恐怖よりも友達を危険な目に合わせないことを、魔法少女として正しくある事を選んだのだから。

 正直、僕もいざ自分が死ぬとなったら同じ選択を出来るかどうか分からない。自分の命が助かるのならば誰かの命を危険にさらすことを選ぶかもしれない。

 

 だからこそ、君の言葉が何よりも眩しかった。その意思が本当に尊いと思った。

 だからこそ、僕もまた、君のためにキャンディーを捧げるという、正しい魔法少女として死ぬ事の覚悟が出来たんだ。

 きっとあの時初めて、僕は真に魔法少女として生きて死ぬ決意が出来たのだと思う。

 君が、僕を《魔法少女》にしてくれたんだ。

 

 だから、君には生きてほしかった。君は僕の憧れで恩人で――好きな人で、たとえ僕が死んでも君さえ生きていてくれるのなら、僕が夢見た《魔法少女》はいなくならないとそう思っていた。なのに……なのに……ッ

 

「なんでなんだよおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 叫ぶ。

 それだけでズタボロの身体に痛みが走り何本か折れているだろう骨が震え口から血が溢れるがかまうものか。

 こんな痛みなんてあの子が死に逝こうとしている苦しみに比べればどうでもいい。

 

「なんでだ!? なんでスノーホワイトが死ぬんだ! あの子が誰かを傷つけようとしたか!? 誰かを悲しませたのか!? 違うだろ……ッ。あの子はただ、誰かの幸せのために頑張って、正しい魔法少女であろうとしただけじゃないか!」

 

 死んでいいはずはないんだ。あの子が死ななくちゃいけない理由なんてどこにもないんだ……ッ。

 なのにスノーホワイトは……。そして僕は……ッ!

 

「なんで守れなかった!? 何で救えなかった!? 何で僕は、あの子を! スノーホワイトを……ッ!」

「ガキだからデスよ!」

 

 不意に頬に炸裂する衝撃。防ぎきれなかったマジカロイドの拳が、僕を殴りつけた。

 だがその痛みよりも、その言葉が荒れ狂う胸を冷たく穿つ。

 

「アナタがいつまでも理想やらにこだわってたせいデスよ当たり前でしょ! だからスノーホワイトは死ぬしアナタは誰も守れないんデスよ!」

 

 さっきまであれほど否定した言葉が、スノーホワイトが倒れた今はどうしよく突き刺さった。

 

「いい加減目を覚ましなさいよ現実見ろよ! アナタの理想なんて幻なんデスよ! 全部全部間違ってるんデス!」

 

 それは肉体を壊せないなら心を折ろうという企みからの言葉だろう。でも、それは確かに僕の心の――最も深く大事な根源を揺さぶっている。

 

 間違っていた……のか………?

 

 僕はただ、正しい魔法少女であろうとした。

 アニメで漫画で映画で見た、弱きを助け強きをくじく、どんな悪を前にしても正しく在り、そして大切な人を守り抜く。そんな魔法少女に。

 だから僕は、クラムベリーの暴力にもスイムスイムの狂気にも耐えて決して屈せず、ここまで頑張ったんだ。

 だから僕は、マジカロイドを殺そうとしたアリスを止めようとしてでもそのせいでスノーホワイトが撃たれて血が出て倒れ死にそうになって………ああ違う違うんだそんなつもりじゃなかったんだ君を傷つけさせるつもりは無かったんだ僕はただ……ただ……ッ――魔法少女は正しくあるべきという、理想を信じていただけなんだ。

 

 それが……間違っていたのか?

 

 なら、なら僕が信じて、守ろうとしていたものは、ただの――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「理想の魔法少女? そんなものは――どっかの誰かが馬鹿なガキ共を釣るために考えた嘘っぱち(フィクション)でしょ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 あ、ああ………ッ!

 ああ………ッ!

 ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

「そんな! そんなそんなそんなウソだうそだ嘘だあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

「嘘じゃありません真実デスよ! 嘘なのはあなたが今まで馬鹿みたいに信じてた――」

 

 涙が溢れる。壊れたみたいに止まらない。視界が滲み歪んでぐちゃぐちゃになって訳が分からなくなってでもマジカロイドは止まらずに騒ぎ続け黙れええええええええええええええええええ!!!

 

「アナタじゃ――ぐえっ!?」

 

 なおも罵るその首を掴む。そのスピードにもいいかげん目が慣れてきたから、攻撃を防御した際の隙を突いて捕らえられた。

 そしてもうこれ以上こいつの言葉を聞きたくなかったから、拳を叩き込む。その顔面を殴りまくる。

 怒りよりも憎悪よりも、このどうしようもない激情を何かにぶつけなければ気が狂ってしまいそうなんだ。

 

「黙れだまれ黙れええええええええ!」

「ぐ…がっ………ぁぁっ……ぎあっ……ッ!?」

「僕はずっと夢見ていたんだ! 魔法少女になりたくてでもなれなくてやっとなれたから正しい魔法少女であろうとしたんだ! それだけなのにただそれだけなのに何で僕が正しくあろうとすればするほど全部壊れていくんだよおおおおおおおおおお!?」

 

 今、飛び散っているのはどっちの血だろうか。僕が吐き出す血か、マジカロイドの顔面から溢れる血か。

 殴る僕と殴られるマジカロイド、この身体の内から何もかもが狂い壊れていく痛みはどっちの――

 

「正しくあろうとしたのが間違いなのか!?  それとも魔法少女になろうとしたことがあああああああいったい何がどこからどこまでが間違いなんだあああああああああ!?」

 

 狂乱する思考と激情のまま、僕はマジカロイドを振りかぶり床へと叩きつけた。

 

「ぐごはぁッ……!?」

 

 コンクリ―トを粉砕しつつバウンドし、どさりと床に転がるマジカロイド。

 手足がひしゃげあらぬ方向に曲がり、全身に走る亀裂から血を垂れ流して痙攣するもまだ生きている。ならば大質量で押し潰すべく、僕は再び剣を出し、それを10メートルほどに巨大化させ振り下ろした。――が、それは刃の軌道上に出現した10の魔法陣から飛び出た鉄筋によって防がれた。

 

「い、いやだ……ッ…わたしは……まだ、死ねない……ッ!」

 

 喉が潰されかけたからかひび割れた声で、それでも己を圧し潰さんとする刃を鉄筋で必死に支え抵抗する。

 血まみれでスクラップのような姿になってもなお、マジカロイドは生きようとしていた。

 スノーホワイトを殺そうとしておきながら。……でもそれが魔法少女として間違っているのか、僕にはもはや分からない。

 

 ああ、もう……分からない……分からないよ………。

 何が正しくて、何が間違っていたのか………。

 スノーホワイトを守るために誰かを殺すのが正しいのか。理想の魔法少女であろうとしたのが間違っていたのか。もう、ぼくには……なにも………――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だめ…だ…よ………そうちゃん………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――――――ッ!?」

 

 耳に届く、微かで、今に消えてしまいそうなほどに弱弱しい、でも確かに聞こえた――愛しい声。

 

 

 

 

「殺しちゃ……だめ………」

 

 

 

 降り返らずとも分かる。あの子が、横たわるスノーホワイトが、もうほとんど力なんて残ってないはずなのに、それすら吐息に変えて、語りかけているのだと。

 

「そうちゃんが……私たちが夢見た魔法少女はね……」

 

 道を見失いかけた僕に、それを示すために。

 

「清く……正しく……美しく……」

 

 魔法少女とは何かを、その命を懸けて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんなを……幸せにする人……でしょ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ………ああ………。

 そうだ……そうだった……。僕たちは、魔法少女のそんな姿に憧れて、なろうと夢見たんだ。それが、その清く正しい在り方がたまらなく眩しくて――何よりも美しかったから。

 

「だから……ね……そうちゃんは、間違ってないよ………」

 

 確かに、スノーホワイトがこうなってしまったのは僕が理想を捨てなかったからかもしれない。でも、それでも……。

 

「そうちゃんは………そうちゃんはちゃんと……魔法少女だ……よ……」

 

 声が途切れ……消える。吐息はまだか細くも続いているので死んではいない。なけなしの力を使い果たし、完全に意識を失ったのだろう。再び声が聞こえる事は無いが、その意思は、誰よりも魔法少女だったスノーホワイトの言葉は、僕の迷い狂乱する心に確かな光をもたらしてくれた。

 

 間違いなんかじゃないんだ。

 ああそうだ。たとえ子供の夢に過ぎないのだとしても、清く正しく美しく在りたいという尊いその想いが――間違っているはずがない!

 

 心を覆う靄が晴れる。狂気が消えて理性が戻り、体の奥から湧き上がる怒りとは違う温かなぬくもり。

 目が、覚めた。

 今なら迷わず言える――僕の理想は正しいのだと。

 そして同時に、ようやく――何がこの結果を招いたのかを、悟った。

 

「ああ……そうか……こうなったのは、全部――――」

 

 そして僕は――大剣の柄を握る手に力を籠める。

 長大なる剣をしっかりと支え、マジカロイドを――圧し潰すべく。

 

「なっ!? ……ワタシを殺す気デスか!」

「ああ……そうだ」

「何故デス……ッ? スノーホワイトは殺すなと――」

「分かったんだよ。何なのか……」

 

 理想を貫く覚悟はあった。

 驕りは既に捨てていた。

 命を懸ける意味も、戦う理由も全て定めていた。

 そのどれもが間違いではなかった。僕は何も間違えてはいなかったんだ。

 だとしたら、正しい道を選んでされでもなおこの惨劇に至った全ての原因は――

 

 

 

 

 

「今の僕には、理想を貫き全てを守る力なんてなかったんだよ」

 

 

 

 

 

 そう。ああ認めよう。マジカロイド、お前の言葉もこれだけは正しかったのだと。

 僕にはただただ《力》が足りなかった。それだけの救いようが無い程にシンプルな話なのだ。

 もし僕にもっと力があれば、理想を貫き誰も殺さずみんなを救うことができただろう。マジカロイドを正面から打倒し、スノーホワイトを助けだすことが。

 いや、そもそも誰も巻き込まずにスイムスイムからマジカルフォンを奪い全てを解決できたかもしれない。

 でも、それは叶わず、スノーホワイトは傷ついた。

 つまりは全部、ああ全部――

 

 

 

「理想を叶える力の無かった、僕のせいなんだよ」

 

 

 

 誰も巻き込まないようにした。誰も殺さないと決めた。理想の為ならば、こうするしかなかった。

 それ以外の選択肢なんて無かった。だってそれが、僕が理想の魔法少女でいるための唯一の(route)だから。

 でも、その先に在ったのは――これだ。

 誰よりも守りたい女の子が死に逝こうとしている。こんな結末だ。

 

 

 

 いやだ。いやだいやだいやだ!

 僕が死ぬのはいい。けど、君が死ぬのなんて耐えられない!

 

 

 

 今ならまだ間に合うかもしれない。

 死んではいないのだから急いで病院に届ければあるいは、芥子粒ほどでしかない可能性、ほんの僅かな希望でしかないとしてももしかしたら――助けられるかもしれないのだ。

 だが、たとえ幸運にも一命をとりとめたとしても、生きていると知られたらマジカロイドはまた殺しに来るのだろう。こいつが生きている限り、スノーホワイトは命の危険にさらされるのだ。そしてこの恐るべき魔法少女からスノーホワイトを守り続ける自信は、僕にはない。きっといつか、スノーホワイトは殺されてしまう。

 

 だから僕はこれから――――『間違える』よ。

 

「誰も殺さないという理想を守ってスノーホワイトを死なせるしかないのなら――僕は、理想を捨てる」

 

 そう口にした瞬間、自らの心臓を引き千切るかのような痛みが胸を襲うも、歯を食いしばり耐える。己という存在のアイデンティティーそのものともいうべき物を切り捨てる苦しみはもはや死よりも辛いが、この決断に迷いは無い。

 魔法少女として絶対にしてはならない間違った選択だとしても、この瞬間に、理想の魔法少女でなくなるのだとしても。

 

 

 

 僕は、あの子を守る《剣》になると誓ったのだから。

 

 

 

 この命よりも、理想よりも大切な――ぼくの誓った魔法少女(スノーホワイト)を救うためならば

 

「お前を殺す――マジカロイド」

 

 宣言し、僕は更に剣を伸ばす。

 柄の部分はそのままに刃だけを拡大させ、ついには15メートルにも届くだろうそれはもはや剣というよりも白銀の巨塊。魔法少女の膂力をもってしても両腕にずっしりとくるその重量を支えるだけで、全身に刻まれた傷口から血が溢れ肌を濡らす。

 

「ぐっ……くぅ……ッ」

 

 力を込めれば体の内側が酷く痛み、これまでに幾度となく受けた攻撃で既に満身創痍の身体が悲鳴を上げた。

 それでも僕は渾身の力で剣を押し込めようとするも――出来ない。

 既に一トン近くあるだろう刃を、10本の鉄筋は軋みを上げながらも今だ受け止め続けているのだ。

 

「くうぅ……ッ絶対に、こんな所で死ぬものデスか………ッ! ワタシは……ワタシはあっ!!」

 

 血に塗れ罪を重ねながら、それでも生きたいと願うマジカロイドの叫びに呼応するかのように鉄筋が更にせり出し、刃を押し上げてきた。

 

「負ける……かッ。僕はあの子のために……ッ……お前を……ッ!」

 

 負けじと僕もまた剣に力を籠めるも、死に抗う思いを力に抗う鉄筋に徐々に押し返されていく。

 

「くっ……そぉっ……ッ!」

 

 腹に力を入れ、足を踏みしめ歯を食いしばっても、刃の後退を止められない。

 既に90度近くまで戻されて、このままでは完全に押し負けてしまう。スノーホワイトが死んでしまう!

 

 剣をもっと大きく重くできれば鉄骨ごと押し潰せるのだろうが、いくら魔法を発動しようとしてもこれ以上は大きくならなかった。

 僕の魔法の上限は自分が支えられる大きさまでだ。通常時なら更なる拡大が可能だが、今の満身創痍の身体では……これが限界なのか……ッ。どう頑張ってもこれ以上は出来ない。これが僕の限界で――――

 

 

 

「 知 る か あああああああああああ!」

 

 

 生まれかけた諦めを吹き飛ばす咆哮。

 喉奥から溢れた血が飛び散るがそれが何だ。

 震える体に力を籠める。血が噴き出そうが骨が軋もうが構うことなく。荒れ狂う意識を集中し――願う。

 

 更なる大きさを。全てを圧し潰す重さを。スノーホワイトの敵を倒す――力を!

 

 限界なんて知るものか。これが極限なんて誰が決めた。

 僕は知っている。こんな時にどうすればいいか。

 子供の頃から何度も見てきた。決して諦めないその姿に教えられた。

 自分の限界にぶつかった時、キューティーヒーラーは、マジカルデイジーは、ひよこちゃんは、僕が夢見て憧れた全ての魔法少女は――ッ

 

 

 

 限界なんて―― ぶ っ 壊 す ん だ !

 

 

 

 そして僕の思いが、限界を壊した。

 

 

 ◇森の音楽家クラムベリー

 

 

 クラムベリーは歓喜していた。

 待ちわびた瞬間の到来に。望んだ存在の誕生に。

 

「そうです。それこそが魔法少女です」

 

 その凪いだ魂を熱く震わせて、喜びに満ち満ちた笑みを浮かべ高らかに謳う。

 

「人は限界を超えられない。自らに定められた領域からは飛翔出来ない。己が限界に縛られた者でしかない」

 

 砕かれる鎖の音が聞こえる。新たなる強者の産声が聞こえる。

 

「ですが魔法少女とは、人を超えて不可能を可能とし、その思いで全てを超越できる存在――決められた限界など壊してしまえる者なのです。ゆえに――」

 

 ゆえに祝おう。祝福しよう肯定しよう。

 たとえ貴方がどれほど己自身の選択を間違いだと断じようとも。私が望み求め待ち望んだ――

 

「貴方は――貴方こそが魔法少女(きょうしゃ)です!」

 

 まるで恋人に語りかけるかのように声を弾ませるクラムベリー。

 その目の前で、銀の刃が膨れ上がり天へと伸びた。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 その時、名深市に住むほぼ全ての者が同じモノを感じた。

 老若男女区別無く、獣も虫も草木すら、理屈でも経験でもなく生物的な本能で感じる――圧倒的な《力》の気配を。

 寝ていたものは飛び起き、室内にいる者は外に飛び出し、窓から、路上から、あるいはビルの屋上からそれを見た。

 

 夜天に突き立つ――銀の巨刃を。

 澄んだ月の光を浴びて、暗い夜空に白銀に輝くその威容。切っ先は雲に隠れて全長は分からず、されどその巨塔の如き幅と大きさに誰もが息を飲む。

 あれは何だ。何なのだ。男が女が若者が老人がその存在に圧倒され疑問を抱くも、答えなど得られない。あまりにも想像を超え、理解を絶していたから。

 

 ゆえにそれを唯一理解できたのは、同じように人ならざる者達だった。

 

 

 

「おいおいリップル。アレ見ろよアレ!?」

「言われなくてももう見てる」

 

 いつものように箒に乗って行動していたリップルとトップスピードは、上空からそれを目撃した。

 

「何なんだよアレは。銀ギラでバカでかくて………。あそこにあんなモン建ってなかったよな?」

「当り前だ。それにあれが建物だとしたら、こんな一瞬で建つはず無い。だとしたらおそらく――何かの魔法」

「だよなぁ……。くっそ、ここからじゃ何なのか分からねえ。もっと近くまで行って――」

「やめて。こんな状況によく分からない物に関わるなんて危険すぎる。それにあれは、何だかわからないけど――すごくヤバい気がする」

 

 

 

 無法に生きる暴力の権化、カラミティ・メアリは根城にするクラブの屋根からそれを眺め、獰猛に笑う。

 

「誰かは知らないけど、随分と派手な事をしてくれるじゃないか」

 

 しばらくは静観しようと思っていたが、これほどの盛り上がりならばそろそろ混ざるべきなのかもしれないと。

 

 

 

「あれは、何なのでしょう……」

「分からない」

 

 自室の窓から見える銀の威容を不安げに見つめるシスターナナを、その傍らにナイトの如く寄り添うヴェス・ウィンタープリズンは優しく抱き寄せた。

 

「けど、あれがたとえ何であろうと、私は君を絶対に守るよ。シスターナナ」

「ウィンタープリズン……」

 

 

 

 そして、王結寺に集う魔法少女達は、一目でその輝きの正体を理解した。

 その清廉なる銀の輝きを、それをただ一人振るう騎士を知っていたから。

 

「すげー……」

「マジでけー……」

「あれは……剣だよね。あれってまさか……」

 

 揃ってあんぐり口を開けるピーキーエンジェルズと、その正体を悟ったたま。

 一方、夜天を貫く巨刃を静かな瞳でじっと見つめるスイムスイムは

 

「ラ・ピュセル……」

 

 小さく、その名を呟いた。

 

 

 

 それは、一人の少年の思いが成した奇跡。

 決められた限界を壊し、成長した魔法。

 もはや限界など無い。その剣は、彼が望む限り無限に拡大する。

 それは理想を棄てた少年が、それでも成さんとする誓いの顕現。

 それは愛しい少女を守るために、彼女を害さんとする敵が何処にいようと世界の果てまでも届き断ち斬る――万里断つ無限の剣。

 その名は――――

 

 

 

 《ぼくの誓った魔法少女-unlimited sword extend-》

 

 

 

 ◇ラ・ピュセル

 

 

 限界を超えて拡大した剣の重さが、一気に圧し掛かる。

 支えられる限界を超えた超重量を強引に支えるその負担は、僕の身体を容赦なく壊していった。

 握る腕の筋肉がブチブチと音を立てて千切れていく。骨が軋み罅割れ、幾つかは耐え切れずに折れた。踏ん張る脚も足首までが床に埋まり、いずれは自重で潰れるだろう。

 これが限界を超えた代償。許容量を超えた力は己自身に牙を向く。

 だがこれなら――殺れる!

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」

 

 筋肉を千切らせいくつかの骨を犠牲にして、大剣を振り下ろす。

 鉄筋がそれを阻もうとするが絶望的重量に敵うはずも無く、刃はその全てを潰して落ちていく。

 そして、マジカロイドは――

 

 

 

「おっちゃ――」

 

 

 

 その瞳を絶望に染め、最期に何かを口にしようとして――超重量に押し潰された。

 

 天が堕ちたかのような轟音と振動。それは全てを揺らし、ただでさえ朽ちていた廃工場の一部が耐えきれずに崩れ落ちる。それはほんの一瞬の事だったが、まるで永遠のようにも感じる程の衝撃だった。

 それが治まった時、僕はようやく剣を消す。

 すると一気に疲労感と脳内麻薬で誤魔化していた痛みが押し寄せ、倒れ込みそうになるが何とか耐えて、前方に目をやった。

 

 そこには――超重量による破壊の爪痕が在った。

 刃が突き破った壁は崩壊し、そこから外のアスファルトを超えて郊外に広がる田園地帯の果てまで、深い陥没が一直線に刻まれている。目を凝らせば近くの山にはちょっとした谷が出来ていた。

 

「我ながら……すごいな……」

 

 ここが郊外で、向こう側が人家の無い田園地帯でよかった。これならきっと、巻き込まれた人はいないだろう――一人を除いて。

 マジカロイドがいた場所には、人の形をした物は無かった。

 在ったのは潰れた肉片と砕けた骨が飛び散った血だまりだけ。

 あのくすんだピンク色は脳髄だろうか。ならその近くにある白い粒は歯で小さな肉塊は舌か……。

 それが今際のきわに何を語ろうとしたのかは分からない。最期の言葉すらも言い終える前に――僕が殺したから。

 

「うぷっ……!?」

 

 喉の奥から血と一緒にこみ上げる物を、口を手で押さえて耐えた。

 口の中に血と吐しゃ物の香りが充満する。気持ち悪い。人を殺した生理的嫌悪が止まらない。

 けど、駄目だ。

 こいつを殺した僕は、僕だけは絶対にそれをしてはいけない。

 ここで罪悪感のまま全てを吐き出してしまえば楽になるだろうけど、僕は――目をギュッと閉じ、こみ上げた物全てを呑み込んだ。

 

「――ッはぁっ……はぁ……ッ!」

 

 膝に手を突き呼吸を整え、口を拭う。口元を抑えていた手には、僅かに漏れた吐しゃ物が血と混じり合いこびり付いていた。

 

「スノー……ホワイト……」

 

 それを拭うことなく、僕は歩き出す。

 あの子の下へ。誰かを殺してでも僕が守りたかった、誰よりも愛しい子の所へ。

 

「はやく……連れて行かなくちゃ……病院に……」

 

 もう無事な骨の方が少ないけど、足だけは折れていなくてよかった。

 

「助けるから……ぜったいに……死なせるもんか……きみを……ッ」

 

 

 壊れかけの身体を引きずるように、床にぼたぼたと血を垂らしながら進んで……進んで……そしてようやく、僕はスノーホワイトの傍まで――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先輩…っ…ごめん……なさい。………スノーホワイトは……もう…っ…――手遅れ、です……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――え?」

 

 紫色の瞳から涙を流し、喉を震わせるアリスの足元に――彼女はいた。

 いつの間にか変身は解けたのか私服姿で、動かずに、横たわっている。

 その肌は最期に見た時よりもずっと白く、血潮の色が抜け落ちて。

 その薄く開いた目には――もうほとんど、光が無かった。

 

「スノー……ホワイト……?」

 

 名を呼ぶ。返事は無い。

 

「小雪……?」

 

 幼馴染の名前で呼んでも、その唇は――動いてくれない。

 

「そ……んな……」

 

 全身の血が凍り付いたかのような感覚。視界がぐらりと揺れる。見えざる支えを失ったのように僕の身体から力が抜け、僕は前のめりに倒れた。

 変身が解け、同時に激痛が襲い血を吐き散らす。

 変身中に受けたのは殆どが致命傷だったのだ。当然人間の方の身体も無事では済まず、目立った傷は無くとも中身は――もう壊れている。

 

「がはッ……! げっ……ごはっ…ああああ…ッ!」

「先輩!」

 

 止めどなく溢れ出る血で床を濡らしながら、僕は震える手を伸ばした。

 

「こゆ……き……」

 

 血に塗れた指で、床に力無く投げ出された彼女の手へと

 

「こゆきぃ………ッ」

 

 触れたくて、あの子のぬくもりを感じたくて……僕は……

 

 

 

 ――私子供の頃からずっと魔法少女に憧れてきて、やっとその夢が叶ったんです! だから理想の魔法少女を目指したいんです!

 

 

 夢を語る君の笑顔に心を奪われた……

 

 

 

 ――……小雪が止めても行くよ。

 ――駄目だよそんなの!

 ――もし……うまくいかなかったら僕のキャンディーは全部小雪にやる。

 ――駄目! 絶対行かせないから……

 

 

 

 奪われたキャンディーを取り戻すために戦おうとする僕を引き止めたきみの力強い優しさを、本当に眩しく思ったんだ……

 

 

 

 ――小雪って昔から泣き虫だったよな。誰かが喧嘩してると関係ないのに泣き出したりして。

 ――争い事は……昔から嫌い。

 ――うん。だから小雪がすごく辛いのも分かってる。でも頑張ってほしいんだ。

 ――はい。

 

 

 

 君は優しいから……そんな君に……傷ついてほしくないから……僕は……

 

 

 

 ――……そうちゃんがいれば、私頑張っていけそう。

 

 

 

「こ……ゆ……きぃ…」

 

 声が、うまく出せない……。

 寒い……身体から……熱が消えていく……。

 音がだんだん聞こえなくなって……目の前が、暗く……暗く……。

 ああ……きみが……よく見えないよ………。

 

ゆ……き…………

 

 声を、聴かせてよ………

 君に、触れさせてよ………

 僕はね……君のぬくもりが………大好きなんだよ………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そぅ……ちゃ……………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 伸ばした手が、落ちる。

 視界の全てが闇に包まれ、熱も思考もそして光も何もかもが喪われていく。

 その中で微かに聞こえた声は……すぐに潰えた。

 そして……僕…………も………―――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 こうして、理想に生きて、だが誰も守れず何も成せなかった《ラ・ピュセル》という魔法少女は

 

 

 

 死んだ。

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。あけましておめでとうございます今年もよろしくお願いします作者です。

なぜ年内には完結させる(キリッ)と言いつつ新年のあいさつをしているかといえば、長くなりすぎて余裕で年をまたいでしまったからです。ふふふ……おかしいなあ作者の脳内では一万字くらいで収まるはずだったのになあ……(白目)。その謎を解くカギは作者の文章構成力のゴミカスさですね分かっております。

とはいえ何とかお届けする事が出来ました最終話完結編。作者は自分の物語を読む人が少しでも幸せな気持ちになれいいなあという気持ちでいつも書いてます。だからきっとこのあとがきもみんな笑顔で読んでくれているのでしょうねウフフ(*´ω`*)
……あら何故かしらどこからか殺気を感じるわ?
ですかこの後はまだエピローグが残されております。書きあがり次第上げますのでしばしお待ちください。

ちなみに今回のおまけはマジカロイドこと安藤真琴の短編です。時間軸的にはマジカロイドが秘密道具のコピー弁当を使用してから555になる間にあった一幕です。
ぶっちゃけ作者は幾多のまほいくカプの中でもこの二人の組み合わせが大好きなんですよ(笑)


おまけ


「……と……ちゃん……」
「んぅ………」
「起きなよ。真琴ちゃん」

自分の名を呼ぶ馴染みの声に、安藤真琴は微睡から目覚めた。
起き抜けのぼうっとする頭で寝惚け眼をこすり、欠伸をしたところで自分が寝ていたのがたまに帰る自宅のベッドでも友達の家でもなく、段ボールハウスに敷かれた布団の中だと気付く。

「あれ……私……なんでこんなとこ……っうぅ……気持ち悪い」

突如襲いかかって来た吐き気と頭痛に呻くと、ダンボルハウスの入り口から顔をのぞかせていた口髭のダンディな男――真琴が親しく付き合っているホームレスのおっちゃんは呆れた表情で

「覚えてないのかい? 真琴ちゃんは昨日の夜――いや日付はもう変わってたか――いきなりやけに上機嫌で訪ねてきてそのまま俺と酒盛りしたんだぜ。なんかお祝いだの幸運のおすそ分けだってどっさりと酒とつまみまで持ってきて……」
「ぅ……あ~思い出してきた……。そういえばそうだっけ……」
「そうとも。そんでそのまま酔いつぶれて寝ちゃったんだよ。で、そのまま外で寝てたんじゃ風邪ひくだろうから俺の寝床に運んどいたってわけだ」
「あっちゃ~……そりゃあ世話掛けたね……――うぷっ!?」
「だからあんなにかっぽかっぽ飲むもんじゃねえって言ったろ。――ほれ、水飲み場から組んできた水」
「ごくっ…んくっ………ぷはぁ……。ありがと……」

受け取ったコップに入っていた水を喉に流し込み、少しは気分が落ち着いた真琴は、ふと自分の格好を見る。多少は乱れているがたぶん寝ている間に身じろぎしたためだろう。それ以外には怪しい――たとえば悪戯されたような痕跡は無かった。

「おっちゃん意外と紳士なんだね」
「おいおい見くびるなよ。おっちゃんは見ての通りホームレスしてるが、性根まで堕ちちゃいねえさ。寝ている女の子に乱暴なんてしねえよ」
「ふーん……」

実を言えば、こうしておっちゃんの寝床の世話になったのは初めてではない。
たとえばホテルやネットカフェに泊まる金も無く、頼れる友達も見つからなかった時、何度かここで寝かせてもらった。
でも、今もそうだが何かをされたことは一度も無い。
自分は女で、おっちゃんは中年とはいえ中々にガタイがよく、力ずくで迫られたら抵抗なんて出来ないというのに。

「おっちゃんて不能なの?」
「ぶっ!? 女の子がなんてこと言ってんだ!」
「いたっ!? 叩くことないじゃんかよ~」
「うるせえ。真琴ちゃんが馬鹿なこと言うからだ」

ぽこっと叩かれたせいでずり落ちたニットキャップを直していると、おっちゃんはやれやれと腕を組み

「だいたいなあ。若いもんが朝っぱらから俺みたいなのと付き合ってるなんて駄目だぜ。真琴ちゃんくらいの若者ならほら、こう自分の夢を追いかけて同じくらいの連中たちと頑張ってる年頃だろ」
「うわ説教とか親父臭いよ」
「まあオヤジだからな。とにかく真琴ちゃんにはなんかないのか? そういう夢みたいなの」
「ん~~……特にこれといったのは無いかな。ぶっちゃけ金は無いけど現状にはそこそこ満足してるし」
「これが今どきの若者って奴なのかねえ。おっちゃんがこうなる前の若い頃は自分の夢に向かって我武者羅に突っ走ったもんなんだがなあ」
「や、私はやりたい事しかやらない主義なんで……。ていうかおっちゃんホームレスしてんじゃん。それって夢を追いかけて大失敗したってことじゃん」
「ぐうっ!? 痛い所を容赦なく抉るね真琴ちゃん。……まあ実際そうなんだけど」
「ほら、夢のために頑張っても報われないんじゃ結局くたびれ損じゃん。だったら夢なんて無くていいよ」
「まあ確かにくたびれ損なんだけどな」

真琴の言葉におっちゃんは溜息を吐くと――ふと、遠い目を浮かべた。

「でもな真琴ちゃん。確かに何も得る物は無いかもしれない。疲れるだけかもしれない。けど、それでも夢のために頑張ってる間ってのはすげえ楽しいんだよ。どんなに大変でしんどくても、『生きてる』って感じがするんだ。それを知らないままってのは、もったいないぜ」

そしてニカっと笑い、大きな掌で真琴の頭を撫でる。

「だからな、真琴ちゃんにはどんなにささやかでもいいから、なんか一つ夢を見てほしいと思う訳よ」

まるで、父親が幼い子に語り掛けるように。
そう穏やかに言うおっちゃんに、真琴は

「おっちゃん。女の子にいきなり触るのはセクハラだよ」
「容赦ないなホントに!?」

慌てて手をどけるその姿が可笑しくて、クスリと笑みが零れる。
親しいとは言っても、自分とおっちゃんは別に男女の関係ではない。
ただ気が向いたら会って、一緒にすごして別れるだけの間柄。
けど、野良猫と野良犬のじゃれ合いじみたこの関係が――なんとも心地よかった。

「ふふっ……ねえおっちゃん。今ね、一つだけなら夢ができたよ」
「おっ。言った傍からいきなりだな。まあ聞かせてくれるかい」

やりたいことというよりも、そうなったらいいなというものだけど

「おっちゃんとずっと、こんな風に過ごしてたいなあ………ってね」

うん、おっちゃんとこうしてたわいも無い話をして、何をするわけでもなく穏やかに過ごす。
こんな日々がずっと続けばいい。それが自分の夢でいいや。

満足げに一人頷く。そんな真琴に、おっちゃんは

「え、つまりおっちゃんと結婚してくれるの?」
「いやそれはないから」
「ひでえ!? 今のはどう聞いてもプロポーズだろ!」
「いや自意識過剰だから。大体おっちゃんタイプじゃないし。私を嫁にしたけりゃ億万長者になって出直して来いだし」
「真琴ちゃんはおっちゃんに恨みでもあんの!?」

容赦なさすぎる言葉の暴力にガックリと膝をついたおっちゃんだったが、しばらくすると気を取り直したのか

「まあ、何はともあれ真琴ちゃんに夢が出来てよかったな。じゃあお祝いに豪勢な朝飯を奢ってやるよ」
「え、それは嬉しいけどおっちゃん金ないじゃん」
「心配すんなって。釣り竿一本あればすぐに魚料理が用意できるから」
「って要するにいつもの釣り魚じゃん……。まあいいや、じゃあ私もついてくよ」
「お、珍しいな。でも真琴ちゃん、たしか前にアイナメを釣った時にもう二度と釣りなんてするもんかって言ってなかったっけ」
「ふっふーん。今日の私は一味違うから。たぶん高級魚とかバンバン釣っちゃうよ」
「おいおいなんかすごい自信だな」
「今の私の運は人生最高だからね。なんたって幸運の契約書にサインしたから」
「なんだそりゃ? 何だかよくわからねえが変な契約するとロクな事にはならんぜ。いやマジで……うん……ホントになぁ……」

なにやら妙なトラウマが刺激されたのか、死んだ目でブツブツ呟くおっちゃん。

「いいから早く行こうよっ。おっちゃん」

そんな彼にはお構いなく、真琴は晴れやかな笑顔で言った。
もしたくさん釣れたら、今日は日ごろの感謝を込めて特別に自分が手料理を作ってあげようかなと思いながら。

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