魔法少女育成計画routeS&S~もしものそうちゃんルート~    作:どるふべるぐ

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僕の友達

 ◇姫川小雪

 

 

 

 ――そうちゃん……。そうちゃんはなんで《ラ・ピュセル》なの?

 ――え? なんでって……。

 ――私は自分の名前が『小雪』だから『スノーホワイト』っていうアバター名にしたけど、そうちゃんは何で『ラ・ピュセル』って名前にしたのかなあって思って。

 ――ああ、そういうことか……。『ラ・ピュセル』っていうのはね………

 

 

 

「……ん……ぅ……」

 

 自室のカーテンの隙間から洩れる、柔らかな朝の光。閉じた瞼に当たるその眩しさに、小雪はベッドの上で小さく呻いた。

 寝不足のぼうっとした表情は物憂げで、その僅かに開いた目の下にはうっすらと隈がある。

 それは小雪があまり……いや、ほとんど眠れなかったからだ。

 

『ラ・ピュセルなら今夜、トップスピードとキャンディー集めに向かう途中で見た』

 

 昨夜、リップルから告げられた一言がずっと頭から離れない。

 それはありえない筈の言葉だった。

 だってラ・ピュセル――岸辺颯太は体調が悪くて魔法少女活動をしていなくて、今夜だって家で休んでいるはずなのだ。颯太が自分に嘘を吐くはずはない。だって私は――スノーホワイトはラ・ピュセルのパートナーで盟友だ。楽しい時も大変な時も、ずっと二人で魔法少女活動をしてきたのだ。

 そんな相手が自分を騙すはずない。だからきっとそれは何かの間違いで

 

『遠目からだけど間違いない。あれはたしかにラ・ピュセルだった』

 

 しかし、そう語るリップルの澄んだ目はどこまでも真っ直ぐで、嘘をついている者のやましさなど無かった。そこに込められた確信に、それが紛れも無い事実なのだと知った。

 それからどうやって家に戻ったのかを、小雪はよく覚えていない。

 変身を解き、ベッドに入ってからもほとんど眠れず、颯太の事ばかり考えている。

 リップルはいつも不機嫌そうでちょっと近寄りがたいけど、トップスピードの相棒だし悪い人だとは思えない。だから、やっぱり自分を騙すための嘘ではないのだろう。だったら嘘を吐いているのは颯太の方で……ならなんで、颯太は嘘をついていたのだろうか?

 

 何かやむにやまれぬ事情があるのならば、助けてあげたい。

 颯太は責任感が強い。だからもし何らかのトラブルに巻き込まれても、小雪を危険にさらさないため一人で何とかしようとするかもしれない。だったらそんな水臭い事をしたのを怒って、それから力になってあげよう。自分は戦える魔法少女じゃないけれどパートナーなのだから、どんなピンチでも二人一緒に乗り越えるんだ。

 

 でも、もし、もしも……たんに自分といるのが嫌になったからだったら?

 考えてみれば、自分と颯太が憧れる魔法少女像は異なるものだ。人助けをする魔法少女に憧れて戦いを嫌がる自分に、戦う魔法少女が好きな颯太はついていけなくなったのかもしれない。

 もしかしたら、自分なんかじゃなくて他の魔法少女の方がいいのかも……。スノーホワイトとは違う誰かの隣にいるラ・ピュセル――颯太の姿を想像すると、胸が締め付けられるように苦しくなった。鼓動が乱れ、視界は潤み、涙がこぼれそうになる。

 

 こうして独り悩んでいるくらいなら、直接その真意を聞いてみるべきなの……かな……。

 小雪は緩慢な動きでマジカルフォンを手に取り、ラ・ピュセルのアドレスを開く。

 後はメッセージを作るだけでいい。しかし――小雪の指はそこで止まる。

 

 聞いてみたいけど、聞くのが怖い。

 だって、それで拒絶されたら、スノーホワイトの隣にはもう居たくないと言われてしまったら――自分は本当に一人になってしまうから。

 結局、しばし葛藤した後に小雪は一度開いたマジカルフォンを閉じてしまった。

 

「そう……ちゃん……」

 

 その真意を知りたい。その胸に秘める思いを聞きたい。

 そう願うのとは裏腹に、自分はどうにも出来なくて。

 問い掛ける様に、助けを求める様に、小雪はか細く彼の名を呟いた。

 

 

 ◇岸辺颯太

 

 

 いよいよ、今日が来た。来てしまった。

 スイムスイムから告げられたタイムリミットの、最終日が。

 新たな脱落者が発表される今日の夜、王結寺で僕の選択が問われ――運命が決まる。

 だからか、目覚めてからどうにも気が高ぶって落ち着かず。だが胸の内は重石が入っているかのように重苦しい。

 武者震いと言う奴だろうか。その時を前に重圧と緊張感を感じるのは、仕方が無いと思う。でも、今からこんな調子では身が持たない。

 だから今だけは気分を変えて少しでも生気を養うために、僕は外出する事にした。

 

 そして四月半ばの麗らかな日差しが降る、休日の昼下がり。

 青い空に白い雲。その下を老若男女様々な人々が、休日ならではのどこか解放感の漂う表情で行き交っている。それは重く張り詰めた緊張感に苛まれる僕とはあまりにも対照的な、平穏の光景。

 そんな真昼の太陽が照らす街中を、僕はどこを目指すでもなくぶらついていた。

 時おり行きつけのゲームセンターや本屋に立ち寄り、気分を変えようとする。しかし好きなゲームをしても、サッカー雑誌を立ち読みしていても、どうしてもこれからの事が頭から離れない。

 

 僕が選ぶのは、もちろんスノーホワイトの隣にいる道だ。

 彼女の剣になるとに誓ったというのもあるが、スイムスイムの仲間になれば何をさせられるか分かったものではない。この手でスノーホワイトやウィンタープリズン達を陥れるなんて死んだほうがましだ。

 だが、そのためには奪われたマジカルフォンをスイムスイムから取り戻さなければならない。言葉による説得は無理。取引になど応じる奴ではない。できる事は全てやって、チャンスには挑戦し――そして失敗した。

 ゆえにもはや――力尽くで取り戻すしかない。

 今夜、王結寺で行われるだろうやりとりの途中で、奪う。たとえ真正面からは無理でも、隙を窺いあるいは騙してでも。そして奪った後はすぐに離脱したいところだが……最悪、戦闘になるだろう。

 

 ……だが、そうなれば、たまとも戦う事になるのか。

 

 たまの無邪気な笑顔が頭をよぎり、胸が痛む。

 僕を慕う、あの子の顔を曇らせる事になるという罪悪感に苛まれつつ歩く僕の耳に――その時、ふと小さな鳴き声が聴こえた。

 

「……?」

 

 その場で立ち止まり、耳をすます。

 ………聞こえる。小さいけれど、確かに。

 それは近くにある路地裏へと続く道、その暗がりから聞こえた――にゃあ、というか細い声。

 猫の鳴き声だろうか。暗がりから誰かを呼ぶような寂しく孤独なそれが気になって、引き寄せられるように僕は声の方へと向かった。

 

 狭い路地裏に入り、日の光の届かぬ薄暗いそこを進む。するとまもなく、地面に置かれた段ボールの箱を見つけた。

 覗いてみると、中には柔らかそうなシーツが入れられていて、それに一匹の子猫がくるまっている。チェシャ猫というやつだろうか……。豊かな毛並みでどことなく笑っているような口元が特徴的なそいつは、丸い瞳に警戒の色を浮かべて僕を見上げていた。

 

「捨て猫か……」

 

 呟きつつ手を伸ばすと、フシャーと鋭く威嚇される。

 あやうく噛まれる寸前に慌てて手を引っ込める僕に、牙と敵意を剥きだしにして唸る子猫。なんとも強い警戒心だ。その姿を前にどうしたものかと考えていると

 

「岸辺、先輩……?」

 

 その時、ふと背後から聞こえた小さな声。聞き覚えのあるそれに振り返ると、そこには――

 

「亜子ちゃん……?」

 

 意外な物を見たという表情を浮かべた、儚げな雰囲気の少女――鳩田亜子がいた。

 彼女は派手すぎないシックな私服に華奢なその身を包み、思わぬ再会に驚きの声を漏らす僕を灰色の瞳で見つめている。

 

「どうして……」

 

 人の滅多に入らないような薄暗い路地裏に君がいるんだ? そう問いかけようとした時、彼女が手に持つビニール袋に気が付いた。

 

「この子に、ご飯をあげようと思って……」

 

 そう言うと、亜子ちゃんは「失礼します」と僕の隣にしゃがみ、ビニール袋から牛乳パックと猫缶を取り出しその蓋を開ける。そしてそれを段ボールの中へと置くべく手を伸ばし「あ……っ!」先ほど危うく手を噛まれそうになった僕は慌てて止めようとして――亜子ちゃんの手に擦り寄ってきた子猫に目を丸くした。

 チェシャ猫は小さな喉をゴロゴロと鳴らして柔らかな手にすりすりと体を擦り付けている。まるで母親に甘えるかのような安心しきったその姿は、僕の時とはまるで別猫だ。

 

「懐かれてるんだね」

「そう………でしょうか……?」

 

 亜子ちゃんは小さく首を傾げるが、これを懐いていると言わずしてなんと言うのか。

 いや、考えてみれば僕はどうにも昔から猫には噛まれる体質だから、単に僕が嫌われ過ぎているだけなのか……?

 

「…………」

「…………」

 

 並んでしゃがむ僕達の間に流れる空気は、どこか重くぎこちない。最後に学校で別れた時の気まずさをまだ引き摺っていたから。

 ふと、亜子ちゃんが問い掛けてきた。

 

「先輩はどうしてここに?」

「歩いていたらたまたま鳴き声を聞いてね。それで何だろうと思ってここに来たんだよ」

 

 説明すると亜子ちゃんは「なるほど」と頷きつつ牛乳パックの中身を持参したらしいミルク皿に注ぎ、先に段ボール入れておいた猫缶の隣に置く。流れるように淀みないその仕草は、隣で見るだけでもそれが何度も繰り返されたものだと分かる。

 

「君が世話をしてるのかい?」

「はい。この子の怪我が治るまではこうして世話をしようと思って」

 

 怪我? 言われて子猫をよくよく見てみると、確かに後ろ足に包帯が巻かれている。見た限り折れているわけではないようだが、傷が痛むのか動きがぎこちなかった。

 

「これって……」

「不良の人達に虐められたんです」

 

 不穏なその台詞に、僕は眉を寄せる。

 

「夜に数人で寄ってたかって、遊び半分だったのでしょうね。……母猫はこの子を庇って死にました」

「酷いな……」

「私が不良を追い払った時には、この子は足に怪我を負いながらも亡骸にすがりついて何度も呼びかける様に鳴いていました」

 

 淡々と語る亜子ちゃんだが、その瞳は悼みの色を浮かべて己に擦り寄る子猫を見つめていた。

 一方、僕は彼女の言葉の中に在った不可解な点に気が付く。

 

「追い払ったって……亜子ちゃん一人で?」

 

 亜子ちゃんはごく普通の中学生で、見た目も華奢で力が有るようには見えない。とても不良数人をどうにかできるとは思えないのだが……。

 怪訝に思い問い掛けると、亜子ちゃんはぴたっと動きを止めて……なにやら考え込むように沈黙した後

 

「……頑張りました」

 

 と言った。

 じいぃ……っと真っ直ぐに僕の目を見て、でも小さな額からは冷や汗が一つ。

 

「頑張ったんだ……」

「はい。頑張ったんです」

 

 静かだがどことなく有無を言わせぬ声と瞳。どうしよう。ツッコミどころがあるのにツッコめない。

 何とも言えない無言の緊張感が高まる中、見つめ合う僕たちの足下で「にゃ~ご」という不満げな声が足下から響いた。

 

「あ……。ごめんね」

 

 まるで放っておかれたことを拗ねるような目で見上げる子猫の頭を亜子ちゃんが撫でると、子猫は満足げに喉を鳴らす。

 人と猫ではあるが、まるで親子の様なそのやりとりに僕は

 

「亜子ちゃんは優しいね」

 

 それは、一人と一匹の温かな光景が微笑ましくて、自然と出た言葉。

 何の悪意も無く、彼女の優しさをただ本心から褒めただけのもの。

 でも、それが――亜子ちゃんの手を止めた。

 

「優しい。ですか……?」

 

 淡い唇から漏れたのは、凍り付いたように平坦な声。

 雰囲気が、変わった。背筋にぞくりと悪寒がはしる。

 それはまるで踏み込んではいけない場所に踏み込んでしまったかのような、開けてはならない箱を開けてしまったかのような感覚。不穏なそれに戸惑いつつ、僕は返答した。

 

「う、うん。だって傷ついた子猫を世話して――」

「本当に助けたいのなら、こうしてご飯だけを与えるのではなく引き取るべきです。でも、私にはそれができません。叔父さん達にこれ以上ワガママを言って迷惑を掛けたくないから、しません。……だからしてあげられることはせいぜい、また不良に見つからないようにこうして路地裏に隠すことくらいなんです」

 

 滔々と、淀みなく語る亜子ちゃん。その声に無力感と申し訳なさと、そして己への冷たい嫌悪を孕ませて

 

「こんなのは優しさではなく――ただの偽善です」

 

 そう、吐き捨てた。

 悪ぶるでも卑下しているのではなく、ただ単に事実のみを述べている、そんな口調で。

 

「優しくなんて無いんです。私は、先輩が思っているような人じゃありません」

「そんなことは……っ――」

 

 それがあまりにも痛々しくて、見ていられなかったから、僕はその言葉を否定しようと口を開き

 

 

 

 

 

「――私は、人殺しの娘です」

 

 

 

 

 

 昏く虚ろな、その墓穴のような瞳に――言葉を失った。

 

 

 ◇姫川小雪

 

 

 姫川小雪は物憂げな表情で、街の小さな通りを歩いていた。

 別にこれと言った用事があったわけでもなく、かといって休日に散歩を楽しんでいると言う訳でもない。ただ、欝々と部屋に籠っていると嫌な想いに囚われてしまうから、逃げるように出てきただけだ。

 その胸を悩ませ、欝々とさせるのは――岸辺颯太の事。

 結局、小雪は彼に電話することができなかった。

 聞くのが怖くて、知るのが嫌で。もしも拒絶されたら、もう会いたくないと言われたら、そんな考えたくも無い未来が頭をよぎり、どうしてもマジカルフォンの通話ボタンを押す指が止まってしまう。

 

 臆病だな。私って……。

 

 こんな弱虫だから、見限られても仕方ないのかもしれない。

 自己嫌悪を孕んだ憂鬱な溜息が唇から漏れようとした時――小雪は、どこからか微かに響く耳慣れた声を聞いた。

 

「え……? この声って……」

 

 彼の事を考えるあまりの幻聴だろうか。耳を疑いつつも、小雪はその声が聞こえた方向へと足を踏み出す。――見えざる何かに導かれるように。

 

 

 ◇岸辺颯太

 

 

 思えば僕は、鳩田亜子と言う女の子のことを何も知らなかった。

 

 ――今から三ヶ月ほど前、私の父が母を刺し殺しました。

 

 そういえば、そんなニュースをテレビで見た気がする。

 

 ――父は捕まり、そのせいで沢山の人に迷惑をかけてしまいました。

 

 地元で起こったショッキングな事件に少しは驚いたけど、結局は自分には関係の無い遠い世界の出来事だと思ってすぐに忘れ去った。被害者であり加害者の『鳩田』という名前ごと。

 

 ――親戚の人達は身内から人殺しが出たと白い目で見られたそうです。

 

 気が付いていた、学校で生徒達から亜子ちゃんに向けられていた視線を。

 

 ――そして引き取ってくれた叔父さん達はけして裕福と言う訳でもないのに、こんな私のために学費を払わなければなりません。

 

 いつもこの子は、どこか申し訳なさそうにしていた。

 一緒に登校している時も、並んでお昼ご飯を食べている時も、何気ない会話の最中ですら、その微笑の中には暗い陰があった。

 

 ――関係のないはずの学校のみんなにも、それ以外の私の周りにいる誰も彼も、私がいるせいで不快にさせ気を遣わせてしまう。それが、たまらなく嫌なんです。

 

「っ……でも、それは君が悪いわけじゃないだろ。確かに君の父親は人殺しかも知れない。でも、それは君自身とは何の関係も――」

 

 亜子ちゃんは首を小さく振り

 

「いいえ。たとえ父の事が無くとも、私の血は穢れています」

 

 じっと、僕の目を見た。まるで審判を待つ罪人のように。静かに、決してその眼差しを逸らさず

 

「もし、大切な誰かのために人を殺さなければいけないのだとしたら、岸辺先輩は殺せますか?」

 

 底光りする、灰色の瞳が問いかけ――言った。

 

「私は、殺せます」

 

 それは倫理や道徳などといった人間として本来あるべき外れてはならない何処かの『タガ』が外れた――もしくはもとより欠落した瞳。

 昏く淀んだ深淵でありながら処刑鎌のごとく鈍く光る、あの戦に狂った森の音楽家と、そして憧れ故に狂気に堕ちたスイムスイムと同じ

 

「殺せるんです。自分でも分かるんです。きっと私はそれが必要なら躊躇も迷いも無く、人を殺せる。そういうモノなのだと」

 

 ――人殺しの目だった。

 

「私は人殺しの娘です。父と同じ穢れた血が流れる、まだ人を殺していないだけの人殺しです」

 

 滔々と紡がれる独白は、まるで己自身を断罪するかのように。

 哀しみと自己嫌悪の昏い陰が、彼女の能面めいた貌を染めていた。

 

「……私は誰にも必要とされません。私は迷惑を掛け続けるだけの存在です。――私は、いてはならないんです」

 

 そう、自らの存在価値を断じて、亜子ちゃんはようやくその唇を閉じた。

 そして沈黙が下りる。まるで罪人を裁く処刑場の如く、冷たく重苦しい――沈黙が。

 告げられた真実。そのあまりの重さと悍ましさに、僕は言葉を失う。

 自分の母親が、殺された。それも父親によって。

 僕の両親は仲睦まじい方だと思う。時々喧嘩もするけど、でも仲直りした後に穏やかに笑い合う姿が僕は好きだった。

 

 だからこそ、家族が家族を殺すなんて、その事実がどれ程におぞましくそして辛く悲しい事なのか、僕には想像もつかない。

 その惨劇が、どれほど一人の少女の心を切り刻み押し潰し癒えぬ傷をつけたのかも。

 そうでありながら、この子は慰めなど求めていない。赦しなど受ける資格は無いのだと、その灰色の瞳で語っている。

 

「そんなこと……言わないでくれよ……」

 

 それがどうしようもなく痛々しくて、哀しくて、でもどんな言葉を掛ければいいのかも分からず口から洩れた力無い声は、

 

「いいえ。わたしは――」

 

 否定され。亜子ちゃんがさらに言葉をつづけようとした時――

 

 

 

「――そう……ちゃん……?」

 

 

 

 背後から聴こえた、決してここで聴くはずの無い声に、僕は耳を疑った。

 驚愕と共に振り向く僕の背後、表通りへと通じる路地裏の入り口に、差しこむ光の中に呆然と佇む――

 

「その子……だれ?」

 

 姫川小雪が、いた。

 丸い瞳を見開いて、穏やかな微笑みが似合うはずの顔を戸惑いと驚きに染めて――見つめ合っていた僕と亜子ちゃんに、微かに震える声で問い掛けた。

 でも僕の頭は突然の事態に動揺して、言うべき言葉が出てこない。

 

 なんでだ。なんで君がここにいる? ……いけない。何かわからないけど、とても不味い予感がする。このままでは何か取り返しのつかない事になる、そんな予感が。

 

 理屈ではない、どうしようもなく湧き上がる悪寒。それに急かされる様にとにかく何かを言うべく僕は口を開こうとして

 

「そうちゃん。もしかして……いつもその子と会うために……」

 

 呆然と語る小雪の顏に、息を呑んだ。

 血の気が失せて青白く、表情の抜け落ちたデスマスクじみた貌。なのにその瞳の中には驚愕悲痛困惑絶望あらゆる感情がぐちゃぐちゃに混ざりあって膨れ上がっている。

 

 駄目だ。この顔はいけない。

 小雪は大人しそうに見えて意外と頑固で我慢強く、嫌な事があってもギリギリまで己の内に溜め込む性格だ。でも、ゆえに限界に達すると感情が爆発する。そうなれば落ち着くまで全てを拒絶し、半ば自暴自棄になってしまうのだ。

 今の小雪は、そうなる寸前だ。

 

「あ……ごめんね。私、そういうの鈍くて……気が付かなくて……」

 

 決壊寸前の激情を無理やりに押さえ込んだ、たどたどしくも張り詰めた声を漏らす唇が、歪んだ。

 無理に笑みを浮かべようとしたのか。小雪は泣いているようにも笑っているようにも見える歪な貌で

 

「あ、ははは……じゃあ……私、行くね……」

 

 踵を返し、立ち去ろうとする。

 

「ま、待って!」

 

 その背中に、僕は咄嗟に手を伸ばした。

 何が何だかわからない。何で小雪が突然ここに現れたのかも。そんな表情をするのかも。それでもなにか、致命的なすれ違いが起きていることだけは感じて、僕は、彼女をとにかく引き止めようと

 

「いやっ!」

 

 振り払われた手で、拒絶された。

 互いの手と手がぶつかる乾いた音が、路地裏に響く。

 

「え?」

 

 何をされたのか、咄嗟には理解できなかった。

 けど、叩かれた手が伝える痛みでようやく、目の前の幼馴染から拒絶されたのだと理解する。

 小雪もまた、自分がしたことが信じられないという表情で呆然としていたが、我に返った僕が一歩踏み出すと肩を震わせて後ずさり、じわりと、震える瞳に涙を浮かべ――言った。

 

「………そうちゃん、何で、嘘ついてたの?」

 

 氷の刃で心臓を突き刺された――気がした。

 

 だってそれは、本当の事だから。

 僕は小雪に嘘をついてきた。

 嘘をついて、騙して、心配をかけて。体調が悪いと言えば小雪は無理をして一緒に魔法少女活動をしようとは言わないだろうと――小雪の優しさを、利用したんだ。

 生き残るために。この子の隣に帰るために。全ては、自分のために。僕は――

 

「……――ッ」

 

 ぐちゃぐちゃの感情に潤んだ小雪の瞳が、答えを待っている。僕は口を開こうとして、でも、何も言えなかった。

 僕が魔法少女活動をしていないことに亜子ちゃんは関係ない。小雪はたぶん何かを誤解している。けど本当のことを言う訳にはいかない。言えばスイムスイムは僕のマジカルフォンを破壊するから。

 

 ……いや違う。本当は、罪悪感が僕から言葉を奪っていたんだ。

 この子の気持ちを弄んだ卑劣なお前に、言い訳する資格など無いだろうと。

 言葉を無くし俯く僕を、小雪は棄てられた子供のような瞳で見つめていたが、

 

「…………っ」

 

 やがて踵を返し、走り去っていった。

 通りの雑踏に紛れ、遠ざかっていく足音。その消えていく背中を見送る事しかできなかった僕に、声が掛けられる。

 

「今の人は……?」

 

 灰色の瞳に戸惑いを浮かべ問いかける亜子ちゃんに、答える。

 

「幼馴染、だよ……」

 

 そう、幼馴染で、僕の想い人で、そして――必ず守ると誓った盟友だ。

 なのに、僕は……ッ。

 

「……ごめんなさい。私のせいですよね」

 

 拳を握り、自己嫌悪に顔を歪ませる僕に、亜子ちゃんが静かに呟く。

 

「いや、違う。君は悪くないよ。だってそもそも僕が――」

「いいえ。私のせいです。私が傍にいたから。私と関わったからこうなったんです」

 

 より陰の増した表情で語るその声は心から申し訳なさそうに謝罪し、そして己を責めていた。

 そして亜子ちゃんはその小さな頭を下げ

 

「今までこんな私に構っていただいてありがとうございました。……でも、もういいです」

 

 再び顔を上げた時、その瞳には明確な拒絶が在った。

 

「もう、私なんかに関わらないでください」

 

 僕を嫌っているのではなく、ただどこまでも自分を嫌い切った灰色を前に、僕は言葉無く立ち尽くしかなかった。

 

 

 ◇クラムベリー

 

 

 一人の少年が打ちひしがれ。

 独りの少女が己を呪い。

 少年が守りたかったはずの少女は絶望した。

 

 そして、ある少女が自ら己の運命を狂わせた時、この歪んだ魔法少女選抜試験は最初の見せ場を迎える。

 その始まりは、全ての魔法少女のマジカルフォンに同時に送られたメッセージからだった。

 

 

 

 ファブ:今日はみんなに良いお知らせがあるぽん

 ファブ:魔法の端末がまたバージョンアップしたぽん

 ファブ:便利なアイテムをダウンロードできるようにようになったぽん

 ファブ:全部で五個

 ファブ:どれも先着一名様限り、早い者勝ちぽん

 ファブ:頑張るみんなにファブからのささやかなプレゼントぽん

 ファブ:アイテムはスタート画面の「アイテム購入」で確認してぽん

 

 四次元袋《1000》

 一人で持ち上げることの出来る大きさ、重さであればどんなものでも入れることが出来るよ。四次元だから入れておける数も無限大だよ。

 

 透明外套《2500》

 羽織った人が誰からも見えなくなるよ。匂いもなくなるから犬にも見つからないよ。

 

 武器《500》

 アバターのコスチュームに追加できる武器だよ。魔法少女の力で振るっても簡単には壊れないんだ。武器の種類はリストの中から選んでね。格好いい名前をつけよう。

 

 元気が出る薬《300》

 テンションマックスになる薬だよ。怪我が治ったりするわけじゃないから勘違いしないでね。使い過ぎると体に毒だよ。一(びん)十錠。

 

 兎の足《600》

 大ピンチになったらラッキーな事が起こるよ。それでピンチから救われるかどうかは君次第だからあんまり期待しすぎないようにね。

 

 

 

 そのメッセージを受け取った魔法少女達の反応は様々だった。

 目を輝かせ、どれがいいのかと選ぶ者。

 対価を考え、購入するべきかを悩む者。

 目当ての物を先に買われて嘆く者。

 勝利のためにリスクと引き換えに購入する者。

 そして――そんな物は無くとも己は生き残れるとほくそ笑む者

 

 いずれにせよ、この嵐の前の平穏にも似た凪いだ状況に投げ込まれた新たな一石が生んだ波紋は全ての魔法少女を飲みこみ、更なる混沌の中に引きずり込む。それに抗う事は、誰にもできない。

 そして

 

「やれやれ。ようやくバージョンアップが完了したぽん」

「ご苦労様です。ところで、支払いがキャンディーというのは当初の予定とは違っていますね」

「本当なら寿命を対価にして引き返すことができなくさせる筈だったのに、こうせざる負えなかったぽん」

「購入者は同時に脱落のリスクが高まり、死なないためには誰かからキャンディーを奪うしかない。手っ取り早く戦わせるには仕方がないとしても、ずいぶん強引なやり方ですね」

「いや上から目線のうえに他人事だけどそもそも誰のせいだと思ってるぽん」

「堪え性の無いファブの自業自得でしょう?」

「うっさいぽん」

 

 悪辣なる試験官(ゲームマスター)達は嗤う。

 

「これにて新たなる戦いの種は蒔かれ、まもなくこの街に赤く美しい血の花が咲き誇るでしょう。――貴方(あなた)がどのような花を咲かせるのか。それとも貴方自身が花と成るのか。今からとても楽しみですよ。颯太さん」

 

 この楽しい楽しい狂ったゲームが、より凄惨により残酷により派手で血みどろで阿鼻叫喚の修羅道へと堕ちる歓喜に、嗤う。

 

 

「ところで、ずっと不思議だったけどなんでクラムベリーはラ・ピュセルをそこまで気にするぽん?」

「おかしいですか?」

「たしかに芽があるとはいっても、所詮はボロ雑巾にして圧勝した相手ぽん」

「圧勝……圧勝ですか……ふふ」

「え、なにそのヤバげな笑み。背筋がゾゾっとするんだけど」

「失礼ですね。それに、あれは圧勝などではありませんよ。――むしろあの戦いで私は彼に徹底的に辱められ、袖にされたのですから」

 

 そう語るクラムベリーが浮かべた微笑は優雅で美しく、だが恋する乙女というにはあまりにも歪で壊れていた。

 

 

 




お読みいただきありがとうございます。
シャーロキアンの妹がシャーロック目当てにFGOを始めたので「ならワシもやろ」とプレイしたはいいものの「ひひひ、先にシャーロック当てたでえ。くやしいのう。くやしいのう」と自慢してくるのにキレて「ギギギ……みてろやワイも当てたるけえ。回すで10連。来たれシャーロック!」そして「うおおおおおおお!? ルーラーキタコレ!金や金のルーラーさんじゃ!これは間違いなくシャーロックに違いねえ!」結果→ジャンヌ・ダルクでした。……うんこれはきっと早よラピュセル書けという神からのオーダーだなと悟り早速書き上げた作者です。

あさて、今回の亜子の内面描写ですが、100%作者の独自解釈かつ設定改変です。
原作無印の『亜子の父と似た目をしていた。(中略)。そんな父の底光りする目とそっくりだった。鏡を見るたび目にする自分の顔にも二つある、父そっくりの目。あれは、人殺しの目だ』という文とキャラソンの歌詞などから妄想しましたので公式設定とは一切関係ありませんので悪しからず。たぶん作者の一番の被害者は亜子。

ではまた次回で。


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