信じられない言葉が、菊岡さんの口から出てきた。
「―――もう一度、あの世界にダイブしてくれないか?」
穏やかに冷静に真剣に、まっすぐ兄と向かい合いながらの頼んできた。
私の一番聞きたくなかった言葉。そんなことはありえない/できるわけがない/もう関係ないとタカをくくっていながらも、心の片隅にいつもコベリついていた不安。だから今、反響して出てきた想いは「やっぱり……」、諦念混じりの焦燥感。確かなはずの床がグラグラと揺れている。
「……本当に戻れるのか、あの世界に?」
「行きは保証できる。だけど、帰りは自力でどうにかしてもらうしかない」
目眩を起こしている私から、兄と菊岡さんが離れていった。私を揺さぶっている衝撃は、二人にとってはそよ風と同じだったらしい。何事でもなかったかのように話が進んだ。どんどん遠く遠くへと、離れていく―――
「なぜ俺なんだ? 侵入できるのなら、アンタらでも良かったんじゃないのか?」
「実はもう侵入したんだ。でも……、帰ってこれなかった」
新たな/知らされていなかった事実に、兄は初めて驚きをあらわにした。
「君は知らなかっただろうが、半年ほど前に侵入したんだ。3人のメンバーをログインさせることに成功した」
半年前/まだ兄がゲームに囚われていた頃=SAO対策委員会の救出部隊。ただ手を込まねているだけではなく、兄たちを助けようと奮闘していた、侵入することもできた。……不謹慎ながらも最初に出てきたのは、ちゃんと仕事してたんだ。
「その際システムの中枢まで潜り込めた。あと一歩で現実世界とのリンクを解放させることができたんだけど……、寸前で茅場に邪魔されてね。侵入は失敗に終わってしまった」
だからこそ、知らされなかった/必要のないことだった。多大な労力をかけたのだろうが、結果は白か黒しかない。その犠牲には何の意味もない、兄が独力で果たした以上つけてやることもできない。
ソレを察してか、内情は聞かず代わりに現実の問題に戻した。
「……なんで、俺たちに教えてくれなかったんだ?」
「使用したアカウントが特殊なものでね。死んだ213人のアカウントから作り上げたものなんだ」
「死人のアカウント!? ……そんなことできたのか?」
「部品を切り貼りして使用者に似せた偽造アカウントだよ。
人の脳波パターンは指紋と同じで一人一人違うけど、ナーブギアが読み取るのはその中の一部分だけ。全体の一割未満程度、統計学的に十分だとされている数十箇所の結節点だけで個人を判断している。だから、同じパターンを抽出してつなぎ合わせれば、騙すことは可能だ」
菊岡さんのそれらしい説明に黙るも、納得したわけではなかった。理解できなかっただけだ。……そんな説明だけでは足りなすぎる。
しかし、こちらの訝しりを解消してくれることなく、続けてきた。
「それに、君らは自発的なログアウトこそ封じられてしまったが、ログインはできていたんだよ」
「……どういうことだ? HPが0になったら死ぬんだから、できるわけないじゃないか」
「でも実際は、誰も死んでいない。……不慮の事故を除いてね」
ゲームをプレイしている最中、プレイヤーは自発的にログアウトすることができない。HPが0になったら被っているナーブギアによって、数十秒後に脳みそが焼かれる。だから無事に現実へ帰還するには、ゲームクリアするしかない。誰か一人でもクリアすれば、それまで生き残ったプレイヤーも同じく帰還することができる。……コレが、プレイヤーに課せられた縛りだった。
こちらから仮想世界/ゲーム内の現状を観測することはできなかった。見れるのは暗号化されたコードと数値のみ/前時代の据え置き型ゲーム機にも劣る情報の少なさ、その程度ではプレイヤーたちの現状を実感して把握するなど不可能だった。収集と解析と再現の過程を経るため、時差が1ヶ月以上もあった。その中でそのルールだけは、プレイヤーたちと同時に知ることができた/送られてきた。下手に物理的な介入をすれば、真っ先に被害をこうむるのはプレイヤーだと知らせるために/脅すために……。だからこそ繊細に扱ってきたのだが、その罰則が果たされたことはなかった。誰も脳を焼かれなかった/生きていた。囚われた植物状態だけど、生きている。
なぜ生かされているのか/殺さないのか? 答えはわからない、わからないままだ。……良心が咎めたから、というわけでもないだろうに。
「茅場が君たちに課したルールからも、ソレは導き出せるよ。『HPが0になったら殺す』のではなく、『ナーブギアの電力を総動員して脳みそを焼く』という点からね」
「……何が違うんだ?」
「大いに違う。脳を焼くだけであって殺すわけじゃない。カーディナルシステムは、処置したプレイヤーを死人とは見ていない、そもそも死が何なのか設定もされていない。だから、アカウントを抹消したりはしない。……そんな権限を与えてしまえば茅場も、一度入ったらログアウトできなくなるからね」
付け足された説明に兄は、ようやく腑に落ちた顔つきをした。……私にはまだ、チンプンカンプンだ。
「でも『死んで』いることには変わらない、外見は個人に見えるけど中身は214人の集団でもある。紛い物だと気づかれれば強制排除されるし、最悪脳みそが焼かれる。システムの監視下に置かれている君たちと接触することは、避けなければならないことだった」
ようやく兄の質問に答えを示した。
ソレに兄は納得するも瞑目した。……仕方のないことではあるが、『もし』を考えてしまう。そうだったらどれだけの可能性が開けていたのかと、気付けなかった後悔の苦味に眉をしかめていた。
「その3人は……、どうなったんだ?」
「ほかのプレイヤーと同じだ。アチラから戻ってこれなくなった。専用の施設で昏睡状態になってるよ」
とりわけ、感情を込めずに言った。それまでと変わらず、至って平静のままで同僚の悲惨を告げてきた。
ソレが事の重さを伝えた。兄は押し黙り、それ以上の説明は求めなかった。
「……なら、もうその手は使えない、てことか?」
「残念ながらね。排除されたあと、パッチを当てられてしまった。213人全てのアカウントは封印されてしまったんだ。……無理やりログインすれば、システムや茅場に利するような行動を強制させられてしまうことになってしまった」
モンスターとなって、プレイヤーと敵対することになるとかね……。苦笑しながら、自分たちの失敗を告白した。
兄は黙って聞いていた、怒ることも笑うこともせずに。ただ続きを促す。
「君たちの脳機能を一時的に最低レベル、ナーヴギアが信号をキャッチできないレベルまで落とす、なんて際どい方法も考えられた。意識が希薄になってしまえば、逆にナーブギアが固定しようと働きかけてくる、そこを捉えて逆に書き換える。……問題はその間、アチラでの君たちが全く身動き取れない状態になってしまうこと、君らと直接連絡を取れないことだ」
他にもプランが幾つもたてられたが、全て無駄だった/徒労に終わってしまった……。
菊岡さんは一通りこれまでの道のりを告白し終えると、一つ小さなため息をつき俯いた。それまで保っていた笑顔すら曇らせて、押し黙る。
場に重い沈黙が流れる中、兄がおもむろに口を開いた。
「茅場は最後、俺に約束した。1対1のデュエルに勝ったのならゲームクリアと見なす、生き残ったプレイヤー全員をログアウトさせる、て……。
だから俺は、あいつと戦った、相打ちで仕留めた」
それなのに……。冷静を保ちながらも、内には煮えたぎる何かを押さえつけながら告げた。
顔を上げると、ソレを宿らせた瞳で菊岡さんと相対した。
「彼がそう約束したのなら、その予定だったんだろうね。
プレイヤーは全員ログアウトできるはずだった。できなかったのはおそらく……、僕らの介入が少なからず影響を及ぼしたからだろう。システムが不安定になりコントロールが効かなくなってしまった、のかもしれない」
だから、君のせいではないよ……。含ませた労わりを兄は、拒絶するでも受け取るでもなく黙って見据えた。
「本来なら、一度家に帰ってじっくり考えてみてくれ、と言ってやりたいんだけど……事は急を要してね。今ここで決めて欲しい」
「なぜ急いでるんです?」
「もう敵は、君を射程に入れたからだ」
いきなりの物騒な単語に、兄は眉をひそめた。
「敵って……、誰のことです?」
「特定の個人じゃないよ。あの鋼鉄の浮遊城に眠っている『宝』を欲しがっている連中だ。……僕らの所属している組織の性質上『とある超大国』を想定しているけど、実体はもっと不確かなものだろうね」
「だろうって……、いい加減すぎないか?」
「あえて定義するのなら、人の欲望が魅せる夢、あるいは悪霊といったものだね。特定の形を持たず好きな場所へ瞬時に飛べ誰にでもとり憑き支配することができる。君を使って城へとアクセスしようとしている僕らも、ソレの支配圏から逃れているわけじゃない」
急に話がオカルトじみた方向に飛び、戸惑いを隠せなかった。菊岡さんの口からそんなものが出てくるとは思わなかった。
そんな兄を察してか、一度コホンと咳をして話を戻した。
「ようは君に、日本人だから協力しろできないのなら売国奴だ、て言ってるんだ。……何を言いたいのかわかるね?」
さらりと出てきた脅迫に、兄はふたたび眉をひそめた。ぐっと何かを飲み込む。
「……今時じゃ流行らない考えですね」
「当たり前すぎることだからね。考えたことすらないだろう? 日本国籍がどれほどの価値を持っていたか、なんてね」
「貴方はソレの守護者ですか?」
「そうありたいと、思っているよ」
ニコリと、害意や悪意など微塵もないと言わんばかりの笑顔を向けながら言った。
ゾッとさせられた、同時にフワフワと漂っていた意識が一気に戻された。我が身に関わる身近な危機に、目覚めの冷水を浴びせられた。
その落ち着き払って穏やかですらある態度が、何よりの証拠だった。要求を飲まないのならとことんやると、そんなことを/おそらくはそれ以上もやると、悪魔のような一面を垣間見せてきた。……ここは、自分がいたはず/いるべき場所ではなくなっていた。
しかし兄は、私の感じていた不安をものともせず、ただ熟考していた。冷静に損得を、自分の目的にかなっているかどうかを、確かなものは何かを……。それで何がしかの答えを導き出したのだろう、顔を上げた。
「アンタらがアスナを、プレイヤー全員を助ける保証はある、てことでいいんだな?」
「助けないメリットは、ほんの少し自分だけは生きながらえる、ていう妄想に浸れるだけだよ。……ここにいる全員が、そんな甘さをとうの昔に克服している」
示された周囲にそっと目配せした。内外に注意を向けた臨戦状態で待機している大人たち、店員やお客だった時からガラリと雰囲気がかわっていた、私たちの話を静かに聴いている結城さんたちすらも同類だ。彼らに共通しているのは瞳の虚、暗く吸い込まれそうでゾッとさせられてしまう黒。作られた無音の空白がそこに鎮座し、言い知れぬ凄みを放っていた、このおしゃれなカフェ全域を墓地じみた静寂に塗り替えていた。……菊岡さんの言うとおり、まともな人たちじゃない。
そして、兄の顔にも目を向けるとそこには、同じものが浮かんでいた。息を飲まされた/泣きそうになるのを寸前でこらえた、信じたくない/恐れていた事実を確信してしまった。もうごまかせない。兄はココの住人だった、私だけが場違いだった。
「僕らが彼らに優っている点は、迅速に動けること、先手を打って行動できることだ。彼らは大所帯ゆえに後手に回らざるを得ない。……その分情報網がしっかりとしているんだけどね」
「だから、あえて厳しい道を選ばなくちゃならない」
「そのとおり。話が早くて助かるよ」
スラスラと同意が形成されていった、すでに始めから決めていたかのように。私は置き去りにされていく―――。ここまでだ。
バンと、断ち切るように立ち上がった。最後の契約が交わされる寸前、叩き切るように叫んだ。
「―――断ります。他をあたってください!」
一も二もなく拒絶、兄が何か言おうとするがそれも無視した。
そんなこと絶対にダメだ、あってはならないことだ。もう一度あの仮想世界にログインするなんて、考えられない。やっと帰って来れたのに/なんとか無事に帰って来れたのに、どうしてまた戻らなくてはいけない? 危険に身を晒さなくてはいけない? なぜ兄をそんなところへ連れて行こうとするのか……。私からお兄ちゃんを奪おうとするなんて、許せない。
何かがガッチリと、填った気がした。所在なげな不安はいっぺんに消えていた。
「お兄ちゃんはもう関係ありません。それはあなた方の仕事です、巻き込まないでください」
「いやぁ、しかしだねぇ直葉ちゃん。もう和人君は無関係だとは―――」
軽薄そうに話しかけてくる菊岡さんを無言で睨みつけて、黙らせた。うっかり焼けた鋼鉄に触れてしまったかのように、口をつぐむ。
そしてその他を、きつく睨みつけるように見回した。先に感じさせられた心細さは全くなくなっていた。人の形をしている怪物の群れなんかじゃない、ただのデグの棒たちだ。
「大の大人がこれだけ揃っておきながら、お兄ちゃん一人に背負わせる? 死ぬかも知れないのに? ……ふざけるのも大概にして」
腹の奥底からこみ上げるがままに出した罵倒に、自分でも驚いた。吐き出してみてようやく、ソレが自分の答えだったとわかった、コレを言いたくてたまらなかった。彼らだけではなく兄自身にも、ここにいる皆に/無責任な空気に。
それにビビったわけではないだろうが、何人かの瞳には揺らぎが見えた。特に、突然の来訪者『結城彰三』さんには。何か口にだそうとして、でもなにを言えばいいのか分からずに口を閉ざした。苦いものをぐっと飲み込むようにして、やりきれない悲しみを堪えている。
それを見ると一瞬だけ、心が揺らいだ。かつての自分の姿が重なって見えた。でも、変えない/変えるわけにはいかない。ソレと同情は別物だ。
溢れそうになるものを全て飲み尽くすと、おもむろに結城さんが話しかけてきた。
「……直葉ちゃん、といったね。
君は、お兄さんのことが大切なんだね。何を差し置いても」
優しげな声音、幾重にも刻まれた皺は消えない傷跡にも見えた。それだけでトゲを纏っていた心が柔がされる。四方八方に向けていた敵愾心も幾分か宥められた。疲れきっているのにそれでも気張り続けなすべきことをなそうとしている、そんな強さと弱さが同居した深みがあった。
だからか、止められてしまう/丸め込まれてしまうことを怖れ、お腹に力を込めなおす。冷まされた怒りを沸き立たせるように答えた。
「ええ、そうですよ! せっかく助かったのに、また危険にさらすなんて馬鹿げてる。
今の状況は全部、やるべき人たちがやるべきことを全うしてなかったからです。ただの怠慢じゃないですか。そのツケを支払わされているだけです! できるできない以前の問題なんですよ、結果だって関係ない! 自分たちの尻拭いもできず16歳の子供に全部背負わせるなんて……、恥ずかしくないんですか?」
自分たちがまだ子供であることを大いに利用した叱責。そんなことを言える私は一体何者なのか……、少しばかり卑劣さを感じさせられた。でも、事実なのだから仕方がない、割り切って再度睨みつけた。
誰も、菊岡さんすら何も言い返さなかった。できたのだろうがやらなかった、その沈黙に込められた責任感が胸を刺してくる。
再びの孤独感、正しいはずなのに通らない矛盾に苛立たされた。何か重ねようと口を開くも堪えた、そんなことすべきでないことだけは確かだった、私の程度を落とすだけだ。ただ視線を緩めず気を張り続ける。
息が詰まるような沈んだ沈黙、ソレを破るように/滲み出してきたかのように結城さんが口を開いた。
「そうだね……、全くその通りだ。私もそう思っていたよ」
静かに慎重ににじみ出てくる後悔を背負って、皮肉で紛らわせることもなく。私と向かい合ってきた。
そして、自分の罪を告白してきた。
「明日菜が、娘がああなってしまった後、私は何をすべきなのかそもそも何ができるのか、考え続けてきた。
どうやっても助けてやることはできない。私はエンジニアでもなければ警察官でもない、政治的なコネは多少持っているが国を動かすほどじゃない。ナーヴギアのロックは外せず茅場の潜伏場所もわからない、無事に助け出してやれない。できることと言えば、ソレができる人間を見つけ出し援助することだけだ。そして、明日菜が帰って来れる場所を、家を守ってやることだけだ……。そうしたはずだった」
ひと呼吸置いて決心を固めると、続けた。
「だが、現実は違っていた。私はそれまで通りの生活を続けていただけだった、明日菜がいないのに揺らがなかった。居てもいなくても変わらなかった、掛けがいのない娘だったはずなのに……。
私は私の日常を明日菜よりも優先していた。情けないことに、そうなっていることにすら気付けなかった。―――ソレを教えてくれたのは浩一郎、息子だった」
いきなり知らない人の名前が出てきて、目を丸くした。誰なのかそっと周りに目配せすると、皆/兄にも周知の人物だったのだろう、痛ましさゆえか沈鬱とした表情を浮かべていた。
「浩一郎は、明日菜やあのゲームに囚われた人々を助けるために動いた。そこにいる菊岡を動かし、専門家や有志を募って救出のための計画を練り上げ、実行した。率先して自分の身を危険にさらして。……先の話で出た3人の中の一人が、浩一郎だ」
思わず、アッと声を上げてしまった。慌てて口元を押さえる。……彼がなぜここにいるのか/兄に戦地へ向かうよう懇願しているのか、察した。
沸き立てた怒りが、同情で湿らされていく。そこに立っている老人は、かつての私でもあった。
「私は娘と息子を奪われた。永遠に取り戻せず、奪われたままで一生を終えるかもしれない。……いや、今のままで必ずそうなるだろう。
もしあの時、私がもっと真剣になっていたのなら、なりふり構わずに行動していたら。どんな手を使おうが誰が邪魔しようが何を犠牲にしようが、全てを賭けていたのなら―――」
冷静に己の罪を客観視してきた結城さんの瞳に、狂気の色が灯り始めた。ほの暗い地底の底から仰ぎ見てくるような黒い太陽のような光。その姿すら/纏う気配にも、禍々しい色で染められていた。
ブルリと、怖気が全身を走りぬけ強ばらせてきた。ゴクリと息を飲まされた。……同じだと思わされたが全く違っていた。重ねられた年月と想いの凄みは、私が出したであろうどの暗い色調もかなわないモノを作り出していた。
現れようとしたソレをすぐさま収めると、最後の懊悩を吐き出した。
「考えてしまう。どうしても、考えざるを得ないんだ。……君も、そうは考えなかったかな?」
考えたはずだ、この無力感を知っているはずだ、ただ待つだけに意味はない。ならば、私がやるべきことはわかっているはずだ……。心の奥底にあった柔らかな部分をグサリと、刺し貫いてきた。思わず後ずさりしてしまった。共感してしまう。
だけど、寸前で堪えた。まとわりついた情念を振り払うように、お腹に力を込め直した。
「……わかりかねます。私はまだ貴方と違って、奪われたわけじゃない。取り戻せたので」
話はこれまでと、冷たく言い捨てた。断ち切って離れた。
結城さんの事情は、おおよそ予測がつく。早急に解決したいとの切迫感も伝わってきた、それ以上の執念も。宣告されたことはためらいなく実行する、その確信に慄かされる。
でも同時に、だからこそかもしれないが、他人の子供を犠牲にすることに憤りを感じていた。しかも自分の手でそうしなければならないことにも。現状の選択肢のなさ、己の無力感に苛まれている、己で己を焼いていた。内外から責め立ててくる不条理で心身ともにやつれていた。それは彼を見た瞬間に分かった/伝わってきた、死に際の祖父の姿にそっくりだった。
なぜ祖父は安らかに逝けなかったのかずっと疑問だった、あの後悔の顔が忘れられない。彼を見ていると/話を聴いているとソレがわかったような気がしてくる。私に足りなかった葬いがそこにあった、祖父の無念が訴えかけてくるような寒気もしてきた。だから、共感してしまう、気持ちがブレそうになる……。
だけど振り切る、私の意見は変わらない。9千人の他人よりも明日菜さんよりも兄の方が大事だ、天秤にかけられたのなら迷わず兄を取る。結城さんと同じだ。ただ、私にもたらされた奇跡が彼には訪れなかっただけだ、私と彼の現状は大きく違う。
「行こうお兄ちゃん、こんな話聞く必要ないよ。……お兄ちゃん?」
その手を引きここから出ようとする。一刻も早く、こんな場所から兄を連れ出したかった。でも……、止められた。兄はその場から動こうとしない。
胸にジクリと、痛みが走りぬける。
「スグ、すまない。俺は……話を聞きたい」
だから、帰らない……。申し訳なさそうに顔を曇らせながらも、その瞳はまっすぐにこちらを見据えていた。
その視線に強さにたじろがされた。先の病院でも見せた眼差し、その奥に秘められていたものが表に現れている。兄もまた、ここから動かない理由を持っていた、あるいは逃げ出さない/出せない理由を。やっと訪れた機会、雌伏の時はもう終わった、覚悟は遠の昔に済ませてきた。……それがわかってしまう。
胸の痛みがさらに強くなった。幻の痛みで眉をひそめる。どうして、どうして、どうしてわかってくれないの―――。
でも、耐えた/堪える/踏みとどまった。崩れ落ちそうになる心を保たせた。破裂しそうになる我が儘を押さえ込みながら、努めて平板な声で問うた。
「……わかってるの? 戻れば死ぬんだよ」
「そうと決まってるわけじゃないよ」
「そんなことどうでもいいから?」
申し訳なさそうに笑いかける兄に、突きつけた。それでわすかに目を見張った、次に出そうとした言葉を飲み込んでいた。
その隙を突いて、さらに踏み込んだ。
「自分はどうなっても構わないから、助けに行きたいの?」
再度突きつけた言葉は、自分でも驚くほど冷たい言い方になっていた。ゆえにか、兄はまた言葉を失い瞳を揺らがした。
兄は戻りたがっている。そこに恐怖はない、そこに行けば死ぬかもしれないことを恐れていない、そこに行けないことこそ恐れている。あるのはただ、怒りだけ。助け出せなかった後悔と自分の力のなさに怒りを滾らせている。生暖かい諦観に心が溶けることを嫌っている、憎悪していると言ってもいい。そうなるぐらいならいっそ、あのデス・ゲームの中に身を投じた方がマシだと。……それが、ここ3ヶ月・兄が戻ってきてからこの方、わかったこと。
なぜそう思えてしまうのか、わからない/わかってしまう/わかりたくない。私もまたそうだったから、わからないふりなどできない。身につまされるほど理解できてしまう身勝手。……兄の決断は、私をこんなにも苛立たせてくる。
だから、向けられてくる無言の謝罪に、言いようもない歯がゆさを感じさせられていた。
「直葉ちゃん。僕らの方も最大限の安全策を講じるつもりだ。和人君の命の安全は保証するよ」
「でも今までそれができなかった! そんなこと出来ていれば、9千人も被害なんて出ていないはずですよね? お兄ちゃんに頼る必要もないはずです」
横から助け舟をだしてきた菊岡さんを一蹴した。抑えが効かず声を荒らげた。
真っ赤な嘘だ、とまでは言わない。そんな騙すみたいな真似が通るほど、この場にいる人間に冗談はない。皆おのおの真剣だ。そして、そんな余裕をかませてやれるほど、今の私には余裕がない。
「そのことについては、信じて欲しい……というのもおこがましいね。
情けないことに僕らは失敗続きで、君の信頼に応えることがほとんど出来ていないのは事実だ。何を言おうが信じられないのは当たり前だ」
「だったら、話はこれで終わり―――」
「それでも、和人君しかいないんだ」
一転して真剣に告げた。私にとっては死刑宣告に等しいもの。
反発できない代わりにギリッと、奥歯を噛み締めた。
「もう少し時間と余裕があれば、僕らだけでもなんとか出来た。和人君に頼る必要は必ずしもなかった。だけど、現状はそれを許してくれなくてね。今迅速に動かないと、戦況はさらにひどいものになる」
「戦況……?」
不穏な単語に、思わず反応してしまった。先にも聞いたような気がしたが、改めて向かい合うと決心まで揺らがされる。
目の前の男と自分は、互いに違うものを見ている。どうにも重なり合わないソレに、言いようもない不快感を感じていた。知らないことで虚仮にされているかのような不快感、道化にさせられている苛立ち。その立場のズレが、表立ってきた。
「そう、ひどい戦況だ。和人君はそれをひっくり返してくれる、僕らにとっての切り札みたいなものなんだよ」
そのためか、菊岡さんの顔には余裕の笑が戻っていた。
私はといえば、再びのわけのわからなさに黙らざるを得ない。と惑わされているうちに、会話の主導権まで握られてしまった。……兄がどうしてこの人を嫌っているのか、分かる気がする。
「ゴメンね直葉ちゃん。返事を聞かない限りこれ以上話せない。守秘義務というやつだよ、刑事ドラマとかスパイ映画とかで聞いたことはあるだろう?」
「おい、どういうことだよ菊岡さん?」
気軽にわけのわからないことを言ってくる菊岡さんの様子から、何かに勘づいたのだろう。兄が探るように/言い知れぬ怖れを含ませて言った。
「なんでそんなことを、関係のない直葉に言うんだ?」
その疑問でハタと、私にも気づいた。
なぜ、私はここにいるのか? 必要なのは兄だけなはずなのに、どうして私まで呼ばれているのか? 家族の同意を得たいのなら、今日は一日中母がいる自宅にいるべきなのに。どうして私だけを、ここに連れてきて話を聞かせているのか? 新宿の町中にあるこの喫茶店を丸ごと自分たちのテリトリーに変えてしまうような、法も常識も無視する強引な人たちが―――。
「さッすが和人君、察しが良すぎるねぇ。―――彼女をここに連れてきた理由の一つさ」
出来のいい生徒を褒めるように菊岡さんは、訝しり続ける兄へ答えた。
その悪意などまるで見えない微笑みを見て兄は、何かを悟った。
「……まさかあんた―――」
「そう、そのまさかだ!」
ワナワナと、理解した何かを吐き出さんとする兄の機先を制して、菊岡さんが指さした。クイズの難問を解いてみせた挑戦者に、司会者が「正解!」と賞賛するように。
そのフザけた行為に怒りのボルテージが沸点を超えた。
兄は、飛びかかるように彼の胸ぐらを掴んでひねり上げた。グイッと持ち上げ締め上げる。
「ふざけんなッ! なんでスグまで―――」
「彼女こそ君の、最大の安全策だからだよ」
苦しむ素振りは見せず笑みを絶やさずに、言った。正答の解説をするように。
「君があそこにダイブする時には、彼女も一緒にダイブしてもらわなくてはならないんだ。君一人ではカーディナルに取り込まれて抜け出せなくなる可能性は極めて高いが、彼女が一緒にダイブしてくれればその危険は減る。生還率が高くなるんだよ」
「だけどスグを危険に晒す!」
目を剥き今にも食って掛かる勢いで言った。締めつけを強く、そのまま絞め殺さんとするかのように。
だけど菊岡さんは、涼しげにそれを眺めるだけ。暖簾に腕押しのように、兄の激昂をどこか冷めたまま面白そうに見下ろしていた。
「ログインして正しくゲームクリアへ到達すれば、カーディナルもプレイヤーたちの命を離さざる得ないだろう。それがカーディナルの機能のすべてだからね。
けど、途中参加者である君にソレが適応されるかわからない。そもそも、クリアデータを使ってもらう以上無事に再ログイン出来るかどうかもわからない。不正ユーザーとして門前払いされるならまだしも、取り込まれてプレイヤーたちの敵対者として使われたら目も当てられない。《フラクタルライト》を奪われてグール化でもしたら、最悪だ。ゲームクリアはさらに遠のいて、プレイヤーの解放はもはや誰にもできなくなる。……直葉ちゃんは、そうならないための保険さ」
長々と説明を繰り広げて終えると、答えを聞くように黙った。
私にはその1割程度しか理解できない。わけがわからなすぎる。ソレは説明というよりも、新しい情報を見せびらかすようなものだ。そしてその感慨は、兄も同じだろう。それを問い質したくて胸の中をかき乱している。
でも、ソレはできない。兄は聞き出したい全てを飲み込んだ、その苦味に耐えた。
それを聞き出すということは、この話を了承するということだから。一度知ればもう後戻りはできない、させてもらえない。まだまともに話したのは数回程度しかないが、菊岡さんという人はそういう人だとわかった。あるいは、彼の職責がそうさせるのかもしれないが。相手に選択肢を与えるようでいて自分好みの選択へと誘導する。そして、抜け出せないように絡め取っていく。無理やりではなくそっと匂わせるようにして誘い込む、それを拒めば周りの部下たちが強制するだろう/『保護』するのをやめるかもしれないと。……優しそうでいて実に陰険極まりない。
つまり、この店に入った時点で全ては決まっていた。兄の、私たちの意思はほとんど斟酌してくれない。できるのはただ、頷くだけ。すでに王手を打っていたことに気づかせないこと、その偽装の全てを『優しさ』だと飲み込むだけ。
周りに気づかれないように、溜息をついた。幾分か不快な気分が出て行く。すると、歪んだ微笑みが浮かんできた。
だからといって私の意志が変わることはない。偶然にも菊岡さんの思惑が重なっただけだ。やるべきことは変わらない。……そのことに、ちょっとだけ安心した。
「―――どのぐらい、高くなるんですか?」
冷静に、落ち着いて言った。先ほどまでの焦燥感は、嘘のように静まっていた。
だけど兄は、逆だった。
「やめろスグ。そんなこと聞かなくていい―――」
「あちらで一度も死なないか、免疫システムに汚染されなければ確実だよ」
兄の忠告に被せるように答えてきた。あからさまな無視と妨害。その顔は、人の願いを聞き届ける悪魔のそれに似ている。
条件を吟味してみた。まだ想像しか及ばないけど、今の覚悟をうわまるほどじゃない。……問題はない。
ソレを察せされたのだろう。兄は動揺をグッと抑え込むと、平静になって命じてきた/懇願した。
「……菊岡さん。直葉を巻き込むな」
「僕はただ、現状で成しうる方法を提示しているだけだよ、和人君」
決めるのは僕じゃないし君でもない、直葉ちゃんだ……。含ませた言葉は兄をさらに抉った。
もはや怒気を越えて殺気にまで高まっている兄。睨みつける視線は、もはや隠しようもなく暗く冷たく研ぎ澄まされていた。だけど菊岡さんは、ニンマリと笑って答える。口元を三日月型にまで歪めながら、底冷えするような道化の顔。
一触即発のピリピリとした空気が、音をかき消した。緊迫の静寂、息が詰まる―――。でも、長くは続かなかった。
「残念ながら、これ以外に道はないんだ。明日菜さんを助け出したいのならね」
決め手を差してきた。
それを聞くと、兄の顔が奇妙に歪んだ。今まで外に出していた怒りがくるりと反転して、自分の方に跳ね返ってきたかのようでたじろいでいる。それに負けじと菊岡さんを睨みつけるが、先までの鋭さはなくなっている。
明日菜さんを救出できる……。それは/それこそ兄の願い、たった一つの望み、兄がここにいる理由だ。
それは、嫌っているはずの菊岡さんの話を聞いている理由でもある。自分の命を度外視してしまえるだけの動機。だから、やれることならなんでもやる。できないことでもやり通してみせる、何を差し置いても。それを果たすことに無茶など何もない。……例え、家族の想いを振り切ってでも。
ズキリとまた、胸に痛みが走った。今の兄の顔をまともに見れない。私の願いとズレていることに気づかれたくなくて、そんな想いに蓋を閉めた。
すると急に、胸糞悪くなるような嫌な考えが頭に浮かんできた。
今ここで、上手く言いくるめてしまえば、兄はあの危険な世界に行けないかもしれない。どれだけ願っても行けない。道を作った菊岡さんたちがそのような条件を出してきた、それは命を落とすほどの危険なことだと警告までしてきた。だから、私さえ「行かない」と答えてしまえば、兄を止めることができる。その選択肢が私の前に丸投げされている、私だけに選択権がある。
だけどそれは、どちらを選んでも後悔が残ってしまう二者択一だ。誰もが満足する答えはない。それ以降、代わり映えはほとんどないけど平和だった日々とは無縁になってしまうことだけは、確かだ。それだけはどちらに転んでも取り戻せない。それこそ、私が一番望んでいることなのに……。だから/できることなら、このまま時が止まって欲しいと、思ってしまう。
(……でもそんなこと、できないよね)
苦しむ兄の顔を見てしまうと、誰に向かってでもなく呟いていた。
頭の中に溜まっていたドロが、スゥー抜け落ちていった。
そして、その苦味を/痛みを受け入れた。それを飲み込み笑顔で包み込んだ。誰にも気づかれないように、溢れる涙に蓋をした。
「―――お兄ちゃん。私も、話を聞きたいな」
ソレが滲み出てこないように、朗らかな笑みを浮かべて言った。先に兄が、私に告げたサヨナラと同じセリフ。今できる以上の精一杯で、微笑んで見せた。
それが、本当の決め手になった。兄の顔がさらに苦悩で歪んだ。
胸の中に吹き荒れている想いに、決着がつけられないでいるのだろう。過去の不始末への罪悪感/己の無知といたらなさへの憤り/虚しさに負けてしまう怠惰への怒り、やっと見出した道に誰かを巻き込まざるを得ない不条理に呪いの言葉が溢れてくる。自分ではなかなか認めないがプライドの高い兄のことだから、自分への哀れみはないだろう。口を開くも、それを言葉として出すことができない。何も言えず、様々な感情が渦巻いている顔つき/一人ぼっちになった泣きそうな顔で私を見つめてくるだけ。
してやったり……。この決断は間違っていなかった。それだけで、そう思えてくる。
「直葉ちゃんが行ったところで危険がなくなるわけじゃない。むしろあちらの戦い方に慣れていない君は、和人君の足でまといになるよ?」
「……アナタがソレを言うんですか」
菊岡さんの忠告に、呆れながら言い返した。切り替えの速さには、怒るにも怒れない。
そして、肩をすくめながらの無言の返答、「それでも行くのかい?」と。
「私だけがお兄ちゃんの命綱、なんですよね?」
「『だけ』ではなく一番有効、が正解だ。
ニコリと、穏やかな微笑みとともに訂正してきた。……乙女心を容赦なく傷つけてきた。
『だけ』ではなく『一番有効』。つまり代わりはいる。さきほどの私の読みは、浅はかな考えに過ぎなかったらしい。兄とは違って私には、ちゃんと逃げ道が用意されていた。断れば、受け入れてもらえる余地があった。
ただし、また3か月前に逆戻りだ。兄の不在を抱えながら過ごす毎日。今度は、戻って来れるかわからない。奇跡を自分で捨てるのだから……。
そんなものを選ぶ私じゃない。そんなのは最悪だ、それこそ絶対にダメだ。……だから私は、そんな道を選ばない。
「行きます。私も一緒に、行きます!」
はっきりと宣言した。
自分の命の重みは知らない、でもその使い方だけは知っているから。今が使い時だから、ためらわず懸ける。
そんな私の決断を菊岡さんは、わざとらしく驚いていた。目を見開いて息を止めて、今まで見たことがないほど真剣そのもので……。
こんなことわかってたくせに何の冗談よ……。憮然な顔を作った。彼の話や態度は訳がわからない事だらけだけど、一応の筋は通っている。全てに何らかの意図と罠が仕掛けられていた。ただそれらは、後々になれば自ずとわかってくるものだった。実に不愉快だけど、その信条だか原則だけは確かなはずだ。
でも、今回のそれは意味がわからない。どうしてそんなに驚くのか、驚く何が私にあるのか、彼を驚愕せしめる何か―――
そこまで思い至って気づいた。こっちの話を聞いていないような顔つきだったことに。彼の注意は私に向いていない。向かっているのは私の後ろ、誰もいないはずの窓ガラスの向こう側に―――
「伏せろ、直葉ちゃん!!」
―――ピキィンッ。
初めに響いてきたのは、背後で鳴ったその鋭い破裂音。硬い何かが割れた音、たぶん分厚いガラスが割れた音。母が愛用していたグラスにヒビが入った時も、同じ音が鳴ったのを思い出した。
次に見えたのは、鮮やかな紅。クラシックな落ち着いた店内を彩る紅色。バケツに入ったペンキをぶちまけたように前衛的だったけど、奇妙にも店の雰囲気と調和した内装であるかのように見えてしまった。この店にはどういうわけか、その紅がよく似合う。
そして視界の端には、もつれ合いながら床に倒れている兄と菊岡さん。突然、何かに気づいた菊岡さんが、脇目も振らずに兄に飛びかかった。頭から体当たり気味での飛びかかりに、兄共々後ろの席にダイブしていた、机と椅子と食器とその他いろいろを巻き込みながら着地した。彼らの、特に菊岡さんにもその紅がまとわりついている。
また彼のわけのわからない行動。だけど兄の顔は/その目は、私に向いていた。私を見て何かを叫ぼうと破裂寸前だった、声にならない叫び声をあげていた。なんで、そんな顔をしてるんだろう―――
答えに思い至るまもなく、視界がグニャリと歪んだ。床が急に傾き続ける、天井が壁になり壁が床に変わった
まるで、地球の重力が突然おかしくなってしまったようだった。だけど周りの人たちはそんな中で、立ち続けていた。いや、私から見るとそこは壁だから立っているというのは何かおかしい。重力というものは、空から地面に押し付けるようにかかる力だと思っていたのに、なんでそんなことできるのか。現実世界には、私が大好きな仮想世界
浮かび上がってくる疑問の数々。その全てを繋げる答えが解る前に私は、暗い闇へと落ちていた。どこまでも、どこまでも、深く深い底へ―――……。
深淵に飲まれる寸前、最後に浮かんできたのは、兄のこと。私と兄の関係。
(こんなことならはっきりと、言っちゃえば良かったのに……)
想い残したことといえば、それだけ。……私のバカ。
冷たい何かが触れたあと、私は、微睡みの闇に溶けた。
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