Re:SAO √R   作:ツルギ剣

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向かうは西

 

 敷居を跨ぐ前から、強烈な違和感を感じた。

 

 

 

「―――さぁ二人共、好きなもの頼んでくれ」

 

 オーダー表に乗せられている聞いたことのない商品名と高額な品々をみて驚いている俺たちに、菊岡がニコニコと人当たりの良さそうな微笑みを浮かべてきた。

 落ち着いたクラッシクな音楽が流れる古風かつ高級感ただよう喫茶店、一昔前のモダン風をイメージしたであろうレンガ造りの店。およそ10代の若者が入っていいような場所ではない。ピシッと高級そうなスーツに身を包んだ目の前の男ならいざ知らず、俺と直葉は完全に場違いだった。加えて言うなら、そんな高給取りな男が来るような場所でも、裕福なマダムではなく一般ピープルである若造をお招きする場所でもない。完全に浮いていた。

 

「……場所変えませんか、菊岡さん?」

「おや。何か不満かな、和人君?」

 

 無理だと分かってはいたものの聞いてみた。予想通り笑顔を絶やさずに返してくる菊岡に、ため息をついた。

 隣に座っている直葉は、緊張でガチガチになっている。キョロキョロと落ち着きなく、オーダー表を見ては目を丸くしてアワアワと俺と菊岡を交互に見ていた。人見知りなどしない質ではあるはずだが、さすがにここは異界過ぎるのか戸惑いを隠しきれていなかった。

 俺の方は言えば、やはりこの未知の体験に驚かされてはいた。

 馴染みなどあるはずのないこの場所は、同じく異世界だ。あのゲーム世界では何度か似通っている場所・ここ以上に豪奢な場所には行ったことはあったが、現実の中と生身を持ってしてではまるで違う。匂いや触覚といった仮想世界では再現することが難しい感覚だけでなく、店内の色彩やそこに反響する音色まで圧倒的に違う。情報量が桁違いすぎて、同じように見えても全くの別物としか思えない。あちらで慣れているから大丈夫とタカを踏んでいたが、誤算だった。初見さんであるオドオドを隠しきれなかった。

 ただそれ以上の、警戒すべき異常を見いだしてしまった。ソレがなかったらただ、直葉と同じようにしていられただろう。

 

「……ここは少しばかり、俺たちには馴染みのない場所なので。もっと気軽なファミレス辺りにしてくれると助かります」

「いい機会じゃないか、貴重な人生勉強だと思えばいい。若いうちでは、こんな素敵な場所にはなかなか来れないからね」

 

 再度の申し出もすげなくやんわりと断られた。目の前の菊岡は、穏やかそのもので優しい叔父か何かにも見えるが、ここから決して動かないとの頑なさが底にあった。こちらが何を言おうともここで食事をとると、決めている。すでに決められていた。

 再び、ため息をついた。同時にほんの少しうつむき、店内の様子に意識を集中する。

 見出した異常。それは、俺たちへの警戒心のなさ。この喫茶店では明らかに異物であるはずの俺たちが入ってきても、先までの落ち着いた空気と談笑を続けている先客たちの様子。席へ案内してくれたメイドさんの完璧なまでの職業意識、なんでここにこんなガキが来るんだという拒絶反応がなかった。

 あちらの世界でもそういった貧富の差別意識は存在した。初見かつみすぼらしい格好のまま店内に入ると、店員や客の態度がガラリと変わってしまう。何回も通って作法を身につけて衣装を高級なものに整えるかすることで、初めて彼らは情報提供者になってくれる。現実でもそういった現象と意識はあるはずだ。違うのは、あちらの人々の感情表現は現実のそれよりも短調であることだけ。

 菊岡がわざわざこの店を選んだ理由、異常がないことの異常、ここにこだわる訳。それらから導き出される答えは―――。

 

「―――ご注文、よろしいでしょうか?」

 

 考え込んでいると、女性のウェイターさんがオーダーを取りに来た。この場所には相応しからぬ女学生と思しき年齢だが、場慣れて落ち着いた声のウェイターさん。同時に、水とフォーク・スプーン諸々が入った細長いバケットを配ってきた。

 その時、袖口から伸びている手・指先にも目がいった。

 若い女性とは思えない使い込んでいる手、固く握り締めて何かをソレで殴りなれている拳、白く細く長い指とは到底言えない。筋肉がついているのか、指を曲げれば第三関節の間にできるはずの凹凸が少ない。直葉の手にもそのような特徴は現れているけど、彼女の場合防具をはめているから目の前の彼女ほどではない。剣道ではそのような形に変わらない。素手で何かを叩き続けなければ。

 加えて、変なところに出来ている指のタコ。見た目通りの学生なら昔ながらの鉛筆かシャープペンを使っているだろう、中指と薬指にソレがあるはず。パソコンを使っているのならそもそもできない。でも彼女のそれは、人差し指と親指だ。普通の学生生活をしていては、そんな場所にタコは出来にくい。

 ソレを見て更なる確信を得た。

 

「ここは僕が持つから、好きに頼むといいよ」

「……はぁ。そんなに言うなら、遠慮なく頼ませてもらいますよ」

 

 気づかれぬようため息混じりの呆れ気味で言うと、「どうぞ」と優しげに勧めてきた。

 その表情には、何らやましさや敵意などというギコチなさは見えない。およそ、目の前の俺や直葉を害しようなどとは考えていない顔だ。どこまでも余裕で泰然としていて、知的で優しいお姉さん。背丈の関係から見下ろす形の視線は、まるで籠の中の愛玩動物でも眺めているかのような穏やかさと慈しみをたたえている。

 その顔は知っていた。よく似た表情を見たことがある。あちらの世界で、俺の前に立ちふさがった神様気取りの狂人。あの男が垣間見せてしまった本性、それによく似ていた。

 あの時は、半信半疑ながらも自分の直感を信じた。奴がそのような心持ちであったからこそ、不意打ちで先手を打つこともできた。それが正しい選択だったのかは現状を鑑みるにわからないが、求めていた答えには行きあたった。

 

 置かれたバケットを見た。そこと俺と菊岡との距離を瞬時に目測すると、納得できるものであったことがわかった。

 次いで隣の直葉を見た。何も気づいていない、ただこの店内の雰囲気に飲まれているだけだ。胸に少しだけ、躊躇いが浮かんできた。何とかしてこれからのことを伝えてやりたくてたまらないが、目の前に菊岡がいる以上そんなことはできない。……後悔した。反対を押し切ってででも安全な場所に避難させるべきだった。

 俺のことはどうでもいい、どうにでもなる、どうなってもいい。でももし最悪な結末になったら、直葉まで―――……。最悪な想像に腹の底から震えてきた。あの時は成功したが、今回もできるとは限らない。あの時だってどうして勝てたのかわからない、偶然の産物でしかなかったのだから……。

 でも、無視して振り切った。ここまで来てしまった以上は仕方がない、何としてでも守り抜かなくてはならない。直感に従うことにした。

 

「すいません菊岡さん。これ、なんて読むんですか?」

「ん? どれどれ―――」

 

 オーダー表をチラリと見せながら言った。ギリギリ、覗き込まないといけない位置に置いて―――。

 警戒心など見せず、ヌッと菊岡の顔がこちらにせり出してきた。仕掛けに見事はまって、ニヤリと口元を歪めた。

 素早く、そのネクタイを掴んで引き寄せた。もう一方の手では同時に、バケットの中の果物ナイフを掴んで突き出した。そして、その無防備な首筋に刃を這わせた。

 驚愕で、菊岡の顔から余裕の笑みが消えた。店内が、息を飲んだように緊迫し静まり返った。こちらの異常に目を見張っている。

 だけどそれも一瞬、すぐさま店員・客すべてが機敏に動き出す―――

 

「動くな!」

 

 ドスの利いた声で店中に叫ぶと、数人がビクリッと体をこわばらせた。懐に伸びた手が止まって、金縛りにあったかのようになった。特にそれは、俺たちの近くにいた女性ウェイターさんに効果があった。

 彼女は、先までの営業スマイルをかなぐり捨て一気に鋭く目尻を上げてこちらを見据えてきた。そして、他の人たち同様に何かを掴みあげようと背中の腰に手を回した。俺が菊岡を捕えてナイフを突きつけてから驚きのためか少し遅れてはいるが、ウェイターさんとは思えない速度の早変わりだ。そして行動だ。すぐさま腰のものをこちらに突き出そうとした。だけど、俺が凄みを効かせるとワンテンポ遅れてしまった。周りの何人かはソレを俺たちに向けてきたが、近くで睨みを効かした彼女は取り出せず舌打ちしているだけ。

 俺が行動を移すと、店中が俺たちに銃を向けてきた。

 

「……和人君。僕らは敵同士ではないはずだよ」

「だったら、こんな場所に連れ込んできたのは、何かの冗談ですよね? 全く面白くありませんけど」

 

 今にも頚動脈を切り裂かれるというのに、落ち着き払っている菊岡。穏やかで物分りがいい先生が、聞き分けなく手に負えない生徒を諭すかのように……。普通ではありえない反応だ。

 でも、そんなことは知っていた。だから、こちらもそれに対応できる。

 

「桐ヶ谷君、ソレをしまって―――」

「貴女はソコから離れろ」

 

 視線だけ動かして即す。瞳は揺らがず、手に持ったナイフをさらに強くつかみ直した。

 いざという時、彼女の位置は危険だった。銃がある以上距離など関係ないかもしれないが、彼女との距離はぎりぎり取っ組み合いができてしまう。今朝の直葉との試合でも実証されてしまったように、力押しをやられるとこちらが圧倒的に不利だ。しかも相手は直葉以上であることは明白、素人の子供を制圧するなど朝飯前だろう。こちらが先手を取り続けるには、彼女をどうにか引き離さないといけない。無力化されてしまえば状況は最悪だ。

 彼女は、光のない眼で俺をジッと見つめながら、チラリと菊岡さんに目を配った。どうすべきなのか判断を仰ぐ。

 

「……隣の直葉ちゃんのことを考えたほうがいいよ、和人君」

「それなら、直葉を今すぐ家に帰してやってもいいですか?」

「んー。そうしてあげたいのは山々なんだけど、彼女にも要件があってね。それにこういう状況だと、ただで帰すわけにも行かなくなった」

「帰してくれないと、これ以上話は進みませんよ?」

 

 できるだけ静かに事務的に言いながら、刃を肌に喰い込ませて威嚇。その硬さと冷たさ故か、菊岡がすこしだけこわばっているのがわかった。そして同時に、周囲の彼の部下たちにもさらなる緊張が走った。

 一触即発の空気、手に持ったモノが今にも爆ぜてしまうほど膨れ上がっている。

 こちらに放射されているであろう敵意と害意が、皮膚全体にバチバチと帯電して圧迫し鋭敏にしてくる。こちらのリズムを乱し隙をこじ開けようとしているかのように、唸り睨みつけ犬歯を剥き出しにしている。それはかつて、あちらの世界で体感させられた死闘に似ていた。主催者がそうであれと定めたように、たった一つの命を賭け合う戦い。だからそれは、俺にとって懐かしいだけで怖れて震え上がる異常じゃない。

 

「話は俺だけで、良かったんじゃないんですか?」

「そうだよ。まさか直葉ちゃんまで来てくれるとは思わなかった」

 

 白々しい嘘を……。沸き上がるものを押さえ付けながら、続けた。

 

「だったらやっぱり、場所変えませんか? ここは人目が多すぎる」

「みな関係者だよ。内緒話をするにはここが一番いい」

 

 菊岡さんの余裕の笑みは、乱れない。表情とは裏腹に頑なだ。

 すると、状況についてこれない直葉が、あたふたしながらとんちんかんな/だけど最も正常な答えを漏らしてきた。

 

「お、お兄ちゃん!? そ、ソレはそのぉ、ええとそのぉ……危ない、よ? あ、危ないから、そのぉ―――」

「大丈夫だよスグ。とりあえずそこにある水でも飲んで、落ち着こうか」

 

 菊岡に使ったのとは真逆の調子で、困惑している妹をなだめ気をそらした。

 そんな俺の誘導が効いたのか、机に置かれていたコップを掴むと、グイっと飲んだ。一気飲み。

 飲み干すと、喉に詰まったのか咳き込んだ。ゲホケホと直葉の咳がこだまする。

 そんな彼女の介入で水を差されるも、緊迫は弛緩しきらず。再び無言でのつばぜり合いになった。

 しばらくそうしていると、俺の覚悟と行動力を理解してくれたのだろう、小さくため息をついた。そして片手を、皆に見えるようにほんの少し上げる。

 すると、店内がざわついた。空気に戸惑いが混じってきた。俺に向けられていた警戒と威嚇の何割かが、菊岡への抗議へと変わっていく。

 だけど菊岡は揺るがずそちらに向けもしない。それで部下たちは、その視線と指先に戸惑いを浮かべてしまった。俺が警告を即した女性ウェイターさんも、渋々その場から離れていった。……こちらの恐喝が通った。

 

「……事の機密性から、どうしても必要なことでね。私が掌握しているここを対談の場に選ばせてもらったんだ」

「俺たちと話すだけなら、必要なかったんじゃないんですか? どこぞのファミレスでもいいし、先のタクシーの中でも良かった」

 

 わざわざ自分のテリトリーに誘い込んできた理由は……。言いながらナイフを、首筋から喉元に当て直した。菊岡のネクタイをさらに引っ張って前のめりにさせて、刃先の上に乗せた。

 長期戦になる予感がした。その際手が疲れて切り裂けなくなったら終わる。

 時間稼ぎなどさせるつもりはない。だが、このような危険な交渉には慣れていると言わんばかりの菊岡を見るに、時間がかかるのは仕方がない。せめて片手だけでなく、両手でことを済ませられるように体勢を変えた。菊岡がすぐさま反撃に移れないように体勢を整え直した。

 

「どうしてアスナを助けることに、こんな面倒な手続きが必要なんです? 何か疚しいことでも隠しているですか?」

「それは、あちらの御仁が説明してくれるよ」

 

 少し息苦しそうだが、笑顔を絶やさずに店の出入り口を指さした。菊岡を警戒して以上、視界の中にソレを映すことができない。

 でも、安い誘導だ。注意を逸らさせて反撃のチャンスを作る魂胆なのが見え見えだった。そんなものに乗ってやるほどお人好しじゃない。指し示されたそちらは見ずに、菊岡を警戒し続けた。その瞳の反射を利用して確認する。

 そこには確かに、初老の男性が立っていた。

 

「―――これが、《強化兵士育成プログラム》の賜物か……」

 

 示された入口の方から、しわがれて弱々しいが不思議と穏やかな心持ちにさせてくれる声が聞こえてきた。葉花落ちてもなおしっかと根を張り立ち続ける大樹。……どことなく、ここにはいないアスナを連想させてくる安心感。

 現れた人物に驚き、思わずそちらに目がいってしまった。

 

「彰三さん……?」

「おお。もう知ってたんだね和人君、さすが!」

 

 気安い菊岡の褒め言葉に、再び注意を向け直しナイフを構え直した。そして、晒してしまった隙に歯噛みした。……危なかった。

 驚きの波がひとしお鎮まると、もう一度現れた彼を見た。

 総合電子機器メーカー《レクト》のCEO=【結城彰三】。アスナの実の父親。

 家庭の裕福さと一つの巨大企業を引き受ける大役を担い続けていることからくる、優雅さと精悍さが程よくブレンドされた気品を纏っている。その顔も、穏やかさと重厚さを兼ね備えた偉人の風貌といってもいい。

 でも、かつては恰幅がよくかつ引き締まった顔つきは、今では見る影しかない。幾重にも走ったシワと頬が少しこけている顔には年相応に、それ以上の老いの影がにじみ出ていた。綺麗にまとめたオールバックのシルバーグレーの髪も、それを一層際立たせてくる。この二年間で積み重ねてきた心労が色濃く現れ、もはや回復の兆しが見えないほどの衰えに蝕まれていた。

 

「桐ヶ谷君すまない。ソレを収めてくれないか」

「なぜ貴方がココに?」

「子供たちを助けるためだ。そのために、君たちの力を借りるためだよ」

 

 そう言って力なく笑いかけてきた。空気に飲まれず主導権を確保するために早口で問いかけたが、戸惑いを隠せなかった。そのような弱った顔をする人ではないと、思っていたから。

 

 アスナの本名と素性がわかった時、同時に彼のことも調べた。

 資料に載っていた彼は、やはりアスナの父親だけあって、自らの知略と精悍さを頼り生き抜いてきた老騎士だ。常に凛として誰にも簡単には膝を屈しない強情さと誇り高さに満ちていた。会社のために大鉈を振るっては人事削減と異動を断行する冷徹さ、ともしながらも再就職しやすいよう手厚い保障を与える優しさ。何よりも、新しいアイデアと技術をどんどん取り入れ進化を続ける若々しさは、いつまでも保ち続けてきた。彼がCEOになってからのレクトの高い成長率が、その決断と行動が正しかったことを証明している。その姿は一見すると獅子のような強面ではあったが、身近な人は彼の清廉さと苛烈さに心持ちを新たにさせられていた。

 だけど、あの事件が起こった時/娘が被害者の一人だとわかった時から、その力は衰えを見せてきた。隠してきた老いが抑えきれなくなった。全てが暗転していった。CEOの位も辞して、隠居するように人前から姿を消した……。

 資料の中の彼と今の彼は、まるで別人だった。そう思わせる程の衰退が露わにさせられていた。

 

「結城会長は今、非常に危うい立場にいてね。このことを世間か他のレクト社の誰かに知られれば、袋だだきの末に役員会議から締め出されちゃうかも知れないんだ」

 

 補足するように菊岡が言うも、「どういうことだ?」と探りを継げられなかった。

 心労が心身を侵している。それがありありとわかる。直葉同様に、彼も2年間苦しんできた被害者の一人だ。それはわかる。そう想ってくれていることを、アスナに伝えてやりたいぐらいだ。いい父親なんだと、直感させられた……。

 でも、それと彼女を助けられるか否かは別だ。

 

「……今まで何もできなかった貴方に力を貸せば、アスナは助かるんですか? 他のみんなも、助け出せるんですか?」

 

 アナタなんかに、そんなことができるのか? できるだけ感情を込めず静かに、聞いた。

 言葉に込めたトゲが深く、胸の奥に刺さった。そんな感触をえるも、顔には現れず腹の中で飲みこまれた/抑え込んだ。

 だけど、答えは出ず黙ったまま。すまなそうに、顔を曇らせながら見据えてくるだけ。何もせず黙って受け止める、それこそが答えだと言うかのように……。

 答えられるわけがない詰問だった。そんなモノを口に出して不愉快だったが、もう止められない。ハッキリと聞かなくてはならないものだった。

 

「慰めはいらない、騙されるのもゴメンです。俺一人だけ助かったことに意味なんてない。アスナを、共に戦ったみんなを助け出せなかったのなら全て、無意味なんです。何の価値もない。……俺は、あの世界から皆を助け出さなきゃいけないんですよ」

 

 今欲しいのは、傷を舐め合うことじゃない。下らない言い訳が聞きたいわけでもない。助けるのか見殺しにするのか、出来るのかできないかだけ……。真っ直ぐ見据えながら、彰三さんのみならず店内にいる全てに宣言した。

 我ながら大それた宣言だった。たった独りの、10代後半の痩せっぽっちのガキが吠えれるセリフじゃない。未だあの世界での感覚が/『黒の剣士』としての万能感がそうさせているとしか思えない。奈落の底への隘路を突き進んでいるかのような恐怖が、腹の底から震えだしてくる。皮肉る余裕すらもてず、青ざめそうになった。

 でも堪える、堪えなければならない。一歩だって退くわけにはいかない。……今ここには/これから先にも、俺しかいないのだから。

 

「……そうだな。今まで何もできなかった私では、信用してくれるわけはあるまいな」

 

 俺の覚悟に悄気返ってしまったかのように俯くと、そのまま―――頭を下げた。

 

「だが、そこの男が道を作ってくれたのだ。あの電子世界に入るための道だ。私にもそれがどうしても必要なんだ! ……頼む、桐ヶ谷君」

 

 大企業の会長が、義務教育すら卒業しきれていない子供に頭を下げている。必死に懇願している……。その姿にもう、何も言い返せなかった。必要ない。

 周囲を見てほんの少し迷いながらも、捕らえていた菊岡を解放した。

 

「……少し訂正するとね、結城会長の多大なる貢献の賜物だよ。彼の資金援助と情報提供が無ければ今できていない道だ。完成はもう2年後になるはずだった」

 

 やっと自由になった菊岡は、刃先を当てられていた喉元を手でさすりながら言った。そこにはじんわりとほんの少しだけ、赤いものが浮かび上がっている。それを手で拭い取ると、乱れた服も整えた。

 

「完成……? 何のことです?」

「茅場晶彦が作り上げたAI(人工知能)【カーディナル】、それに匹敵するAI」

 

 菊岡の口から出きて言葉に、一瞬、唖然としてしまった。まず正気を疑ってしまった。

 だけど、顔はいたって真面目。ヘラヘラとしていた先よりも、今の方が信頼に値する何かがあった。

 

「……まぁ、今もってその本体の在り処すら特定できず、解析し尽くしていない以上『匹敵する』などとは呼べないだろうね。でも、茅場が使ったであろう当時の演算装置よりは性能がいいのを使っている。おまけに大容量だ。君が開けてくれたセキュリティーホールをくぐって中に侵入するぐらいは、簡単にしてのけれる」

 

 断言すると、いつものようにニコリと、嘘っぱちな笑みを貼り直した。

 

「……そんなものがあるなら、なぜ俺の力が必要なんです? 俺はただのガキですよ」

「謙遜にも程があるよぉ。ただの子供が、現役の自衛官たちを手玉にとったりはできないよ、普通」

 

 おちゃらけてはぐらかしてくるが、無視して睨み続けた。……途中、自衛官なる不穏な単語がポロリと出てきたがそれも無視した。

 しばらく相対していると、先に折れたのは菊岡だった。肩をすくめてくる。

 

「……そうだね。正確に言えば、桐ヶ谷和人君の力ではなくて、【キリト】君の力が必要なんだ」

「どういうこ、と―――!?」

 

 最後まで口に出さずに、菊岡の言いたいことを悟った。

 未だ発見できない、あのゲームを運営し9千人以上のプレイヤーを捕らえ続けている【カーディナル】。約2年以上もの間/今もなお、様々な外敵・ウイルスにさらされながらも決して門戸をひらかせなかった不動不沈の要塞。俺がこれから行かなければ/戻らなければならない場所だ。まともな方法では侵入できず門前払い、そもそも居場所すらわからない。

 だけど今ソレには、一つの穴があいている。俺が茅場を倒して開けた穴、本来は誰でもいつでも簡単に使えるはずだったログアウト、現実に帰還するための電子の橋だ。ナーヴギアを使ってもう一度ログインしようとしてもできなかったが、なくなったわけではない。俺のナーヴギアちゃんと、クリアデータが収まっていた。

 その橋を舗装/拡張=穴をこじ開けて、通れるようにした。そして、途中だったとは言えゲームクリアに導くことができた俺、【カーディナル】が唯一異物として排除しない/できないであろうアカウントの所有者。

 答えは、一つだけだ。

 

「和人君。もう一度、あの世界にダイブしてくれないか?」

 

 さらりと告げてきたのは、予想通りの答え。俺の待ち望んでいた答え。アスナを助けだすために、あの世界に戻る。

 今まで途切れていた道が、一つにつながった。

 

 返事はもう、決まっていた。

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

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