Re:SAO √R   作:ツルギ剣

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 前に書いたものを分割、加筆・修正したものです。


貴方のハートへ

 

 

 覗き込んだスコープから見えるのは、標的/獲物。いつだってそうだった。

 

 正確にはこの目で見ていないが、射程には収めている。今頭に被っている『特殊なバイザー』に映っている情報通りなら、銃口を向けていた。遮光ガラスの先にいる、線の細い短髪の男の子に、おそらくは私とたいして変わらない年頃の。その無防備に晒されている側頭部に。

 あとはただ、ほんの少し人差し指に力を込めるだけ/引き金を引くだけでいい。それだけで男の子は、その頭に真っ赤な彼岸花を咲かせ部屋中に花弁を飛び散らせる、鮮やかな大輪の花が描かれるだろう。【運営】からの連絡があり次第それは現実のものとなる。

 それまでは、硬いコンクリートの上だ。冬真っ盛りの冷たい風が時折撫ぜてくるビルの屋上に、腹射姿勢で待機し続けている。ガヤガヤと賑わう人ごみを見下ろしながら、体を冷やし続ける。心穏やかに、その瞬間を待っている。

 射界に収めているソレが、今回の標的だった。

 今時珍しい武家屋敷みたいな家に住んでいる少年、郊外の病院からベンツか何かの高級車に乗ってここ新宿でひっそりと降りてきた少年、黒服黒メガネのSPに常時警護されていたにも関わらずどこにでもいるような見た目の少年。どうしてなのか想像だにつかない、彼を暗殺しなければならない理由など……。

 でもソレが、『特別ステージ』に進むための条件。まことしやかに噂されてきた/都市伝説の類と思われてきた『未踏エリア』に行くために、必要なことだ。

 

 ―――気づかれぬようにある少年を尾行し、指示が下りしだい暗殺しろ。

 

 リアルだったらとても物騒な企みだが、ココではよくあることだ。このゲーム世界では日常茶飯事だ。―――ガンシューティングのVRゲームGGO(ガンゲイルオンライン)には、そのようなクエストが多数ひしめき合っている。

 方法は各自に任せられている。針金でもナイフでも銃でも爆弾でもいい、あるいは素手でも。私の場合は使い慣れた相棒、対物狙撃ライフルだ。ソレがあればどんな困難だろうが突破できる頼れる武器、私だけの得物【PGM・ウルティマラティオ・へカートⅡ】。ただ、今回に限っては運営が用意したもののみ。できるだけ同じようなものを渡すとのことだが、皆一級品だろうからそれも難しいだろう。だから今構えているのは、ただの長距離狙撃ライフルだ。

 なんでも、『こことそこは同じ世界だけど過去の世界。だから、今自分が持っているアイテムその他を持っていくことができない』とのためだ。わざわざそんな設定を拵えてくれなくてもいいのにと鼻で笑ってしまったが、リアリティを高めるための道具一式=本物の銃と使用アバターのステータスの再現。―――ソレが、笑い話から笑いを奪い取った。

 驚愕させられた。受け渡されたバイザーを被って起動させると、現実世界ではありえないような超人的な動きができるようになっていた。

 マンションの2階にあるはずの自宅の窓へジャンプするだけで入れる、駐車違反と思わしきベンツを上下にひっくり返す、スクーターでひったくりをする馬鹿者たちの元まで走って追いつき取り戻すなどの身体能力。付属しているゴーグルは、望遠鏡と顕微鏡と赤外線カメラが搭載されているのか、数キロ先でも髪の毛先でも月明かりのない夜でも見たいものを見せてくれる。銃を構えると、ポインターなど付けていないはずなのに【予測線】らしきものが見えた。壁や扉や別の階越しであるのに、そこにいるであろう人物の声と足音と鼓動まで聞こえてくる、混み合った雑踏からでも位置と体格までも聞き取れた。―――その瞬間、世界が変わった。見違えてしまった。

 テスターに選ばれたプレイヤーには皆、ソレに類する力が与えられた。私は狙撃手であったため、身体能力値は並だが知覚能力は超人の域に達していた。ギュウギュウ詰めの満員電車の中/渋谷の渋滞した道路の上でタクシーの中から別のタクシーの中にいる個人を弁別できる聴覚は、誰もが持ち合わせている能力ではないだろう。このクエストの最中だけ貸し与える異能だが、失敗したり他人に吹聴して回れば取り上げられてしまう。クエスト達成者のみが、継続して使うことが許される。

 その一言で、微かにあったはずの倫理観はぶっ飛んだ。常識もゴミ箱に捨てられた。この異常を「正常」なものとして受け入れた。ココはGGO世界の過去の世界、自分たちはタイムワープしてココにいる、この任務を果たし未来を変えるために……。そういうことになった。

 

 周囲に気を配ってみるも、テスターらしき人影は見当たらない。

 今私のいる場所は、絶好のポイント……とまではいかないが、かなり優位に立てるはずの位置だ。隠蔽の度合いや風向き・飛距離など最適な狙撃に必要な条件を揃えている。ビルの屋上や高台ならどこでも良いというわけではない、全て鑑みると必然選択肢は限られてきてしまう。だからあえてベストを外して次点を選んだ、敵も狙撃の危険は知っているだろうから警戒されているはず=潜伏が見破られる危険があった、次点の場所でも今の身体/知覚能力値ならば充分以上に埋め合わせられる。同じ得物を使い今回の特別ステージに呼ばれる人ならばそう考える/考えざるを得ない。光学迷彩や超長距離狙撃ライフル・光線銃を使えばまた違ってくるだろうが、この現実世界ではそんな近未来アイテム=GGOで使っていた自分の武器は使えないはず。……使えるのなら、へカートを用意してくれなかったのは嫌がらせと考えるしかなくなる。

 索敵範囲には、それらしき人影・不自然な偽装は見えない。つまり―――

 

(私が一番乗り、てことね)

 

 どうやらそうらしい。この近くにスナイパーは私一人だ。

 確信に至ると、自然と口元が綻んできた。

 ほかのテスターを見つけ出し、チームを組んでことに当たることはできた。現にそうしているテスターはいるだろう。暗殺した者だけが合格、のように伝わってくるが、明記されてはいない。潜伏がバレたり吹聴の度合いが酷い場合が失敗/力を取り上げる、と言っているだけだ。暗殺が成功したあと残ったテスターがどうなるのか/合否の判断は不明。ゆえに競争して足を引っ張り合う必要がない。コレが『テスト』であり何かしらを『選抜』したいことを考えれば、とどめの一撃だけが価値を持つとは考えづらい、テスター同士共闘してソレを確実に叩き込む道筋を作った方が優秀。試されていることの一つには、コレが理解できるか否かが入っているはず。

 それでも私が一人でやるのは、ソレがベストだからだ。見ず知らずのテスターと協力してことに当たるよりも、一人でやるほうが無難だからだ。もともとコミュ力が高いとは思っていないがそれでも、信頼関係を築くには時間が無さ過ぎる。このテストが始まってまだ1ヶ月ほどしか経っていない。その間、自分の得た力を確認しほかのテスターを探し出し計画を練り行動する……、とてもじゃないが間に合わない。不自然な繋がり/ぎこちない連携ほど怖いものはない。目的を共有し邪魔だては無意味と理解しているのなら、各々の判断で勝手に動いたほうが成功率は上がる。何より、私が組んでもいいと思えるプレイヤーたちは、テスターの中にはいない。

 『未踏エリア』で消失した戦友。その謎の解明と救出のために私は、ここにいる。

 

 姿勢は変えず視点は定めたまま、視界の右端に映っている電子文字を見た。小さなデジタル時計、右最端の数字が刻々と変化している。……まだ、コールはかかってこない。

 思わず舌打ちした。

 

(今ならすぐにでもヤレるのに、運営は何を躊躇ってるのよ……)

 

 これまで何度も見過ごさざるを得なかったチャンスを思い出して、苛立ちが募ってくる。わけのわからない尻込みに、気持ちが落ち着かなくなる。

 でも、射線はぶれない。狙いを外すようなことはない。

 ソレと体は、しっかりと分かれていた。どのように心乱されようが、瞳と指先はやるべきことを心得ていた。それは私の意思を無視しながら、私の意志を貫き通す。だから、ターゲットの前・射線上に他の誰かが被さった今、集中し直せと警告してきた。

 再び舌打ちした。今から場所を移動しても間に合わない。……待つしかない。

 

 再び静寂に沈み込むとツーツー、耳元で電子音が鳴った。

 運営からの合図か、と思いきや、他プレイヤーからの交信だった。見たことのない番号だったが、名前には見覚えがあった。

 確認すると驚き、顔をしかめた。思いもよらなかった相手だ。視界端でターゲットの動きを確認するも……、変わる様子は見えない。

 深くため息をつくと、視線と姿勢はそのままに耳を軽くタッチ/交信受諾の合図をした。

 

『―――よぉ【シノン】。対象の動きはどうだ?』

 

 こちらが返事をする前に、向こうから喋ってきた。男の低い声/陽気ではあるがギリギリ緊張感を維持している声がしてきた。

 聞こえぬように舌打ちした。もうそんなことまで……、私もヤキがまわったかな。

 

『おい、聞こえてるんだろ返事しろよ。そこにいるのはわかってるんだぜ』

 

 どうやって私の位置を特定したのか? 急いで発信者を探していると、ふと気づいた。なぜ声をかけてきたのか、そもそも連絡をとれたのか。

 GGOでは、交戦中の見ず知らずの他プレイヤーとは直接交信できない。できるのはパーティーメンバーかフレンドだけ。大抵のプレイヤーが通信妨害や割り込みによる盗聴などをしてくるので、交戦可能エリアでの通信は御法度だ、直接言葉かジェスチャーで伝えるしかない。そのクセが抜けていなかった。ここでの他プレイヤー=テスターたちは皆、敵ではなく仲間扱いだ。一定距離まで近づいていたのなら交信できる。たとえ、私の潜伏場所がわからなくても。

 ハッタリならば、ダンマリを決めこめばいい。そう思い黙ろうとするも、そこまで汲々とする必要もない、もうチェックメイトしたも同然なのだから。

 

「……店内からの動きはなしよ、【ダイン】」

『お! やっぱりいやがったか。そのセリフからすると……、斜向かいのビルの屋上か? あのでけぇ看板の隙間から覗いてるなぁ』

「あなた達の方は?」

 

 そちらはベストポジションではあるものの、ハズレだ。あえて教えず逆に尋ねると、息を呑む音が聞こえてきた。

 

『……なんでチームで動いている、て考えた?』

「あなたはこんな、スニーキングミッションを有利にこなせるステータス構成じゃないから。ソロでやるより仲間を募ったほうが成功率が上がる。そう考えてるテスターはほかにもいるはず。ここまで来れたということは、チーム結成ができたということ」

 

 簡潔に答えると、肩をすくめ舌を巻いていた。

 ソレは私が、一人でやりきろうとした理由でもある。私にうってつけすぎた。

 

『正解だよ。

 で今、その仲間の一人が配電盤に遠隔起動の小型爆弾を仕掛けた。爆発させれば店の電気が止まる。その隙に踏み込んで刈り取る、てのが俺たちの始末のつけ方だったが……、お前さんが力を貸してくれるのなら別だ』

 

 力任せ/特攻まがいの暗殺に眉を顰めてしまったが、咀嚼してみれば頭を抱えるほど悲観的でもない。考えを改めた。

 同じ人間同士/身体能力値が同じならば自殺行為でしかないが、今の私たちは違う。無理を通せるしゆえに意表もつける、相手がプロであっても油断しているはず。オーソドックスな方法を選んだ私とも、さして成功率も危険度も変わらないのかもしれない。

 ただ、だからといって強引過ぎることに変わりはない。『力』に頼りすぎている。そもそもまだ、運営から指示が降りてきていない。ここで仕留めるかどうかもわからないのに爆弾を仕掛けるのは、焦りすぎた。

 

『……お前さんの心配はわかるよ。ちょいと早とちりじゃないか、てな。でも、やるなら今ここがベストだろう。ようやく話も動き出してあんな如何にもなアジトにいる、護衛をたらふく詰め込んでな。―――ほれ、もう一方おいでなすったぜ』

 

 ダインが指摘し入口付近に目をやると、黒塗りの高級車が停まっているのが見えた。そこから出てきた初老の男が、スーツを着た男女に誘われ店の中に入っていく。

 初めて見た老人だが、集めた資料のどこかで見かけた。少年に関係しそうな/接触してきた人物をピックアップしたその資料の山の中に、彼がいたような気がしたが……どうにも思い出せない。重要度を低くしてしまったのかもしれない。

 

『ありゃぁ確か……、レクト社の社長じゃねぇか? 『あの事件』で息子と娘が両方とも犠牲になっちまった、ていう』

 

 なんだってこんな場所に来たんだ……。ダインの言葉で、ようやく思い出せた。

 そしてようやく、朧げながら見えてきた。このテストの結末が、運営が何を求めているのか、なぜこんな回りくどいことをさせてきたのかが。……もしかするとかなり、私の想定は甘かったのかもしれない。ことの規模を見誤っているかもしれない。

 

「ダイン。あなた達に協力してあげる」

 

 突然の賛意にダインは、キョトンと呆けた。だけどすぐに理解すると、ニヤリと笑う。

 

『そいつは心強いぜ、お前さんがいればこのミッションも間違いないだろう。【片目のジャック】のスナイパーがいればな』

 

 嫌な名前に一瞬、顔をしかめてしまった。皮肉なのかと睨むも、底意は感じられなかった。ただの賞賛として使っただけだ。

 【片目のジャック】。私の所属していたチーム、GGOで最強を欲しいままにしたギルド、4人の凄腕スナイパー。その名はプレイヤーたちの中では、羨望と嫉妬と何よりも恐怖の的だった。狙われたら最後命はない、挑んだものは皆返り討ちに遭った、正体不明の4人組。……だけど今は、私一人だけ。

 私たちは別に、正体を隠してきたわけではなかった。スナイパーであるため必然、相手に名前を知られることがないだけだ。だから知り合いのダインは知っているし、言いふらして面倒を起こすこともないのでそのままにしていた。でも今、あえてソレを許している。探さなくてはいけない人がいる。

 

「何をすればいいの?」

『基本は狙撃に集中してくれりゃいいよ。俺らがお前さんのサポートをする。……仕留め損なった時の後始末をするとかな』

 

 そんなことはないと思うが……。挑発的だが、信頼しているからこそのセリフだった。悪い気はしない。

 ただそれは、協力しなければならない理由ではない。

 

「万が一失敗したのなら、そこから撤退して。次のチャンスに賭けたほうがいい」

『……それじゃ組む意味がねぇぞ? お前さんだけ働かすことになっちまう』

「問題なのは仕留めることじゃないわ。その後、逃走ルートの確保よ」

『? ……それこそ意味がわからんぞ。お前がどこにいるのかわからんが、撃ったあとそこから逃げ切るのなんて簡単だろう?』

「ええ、できるでしょうね、ちゃんと用意しておいたから。ただ、『捨て駒』を用意することができなかった。今日は逃げきれても明日からはわからない」

 

 通信越しに息を呑む音が聞こえた。

 そこまでのことは考え抜いていなかった、といったところだろうか。運営が後始末をつけてくれると期待しているのかもしれない。あるいは、あまりありえないことだが、ここは現実ではなくよく似た仮想世界だと信じきってしまっているかだ。……どちらであれ「いい人」過ぎる。

 テスターは皆、捨て駒かもしれない。コレが終わればみな殺されるかもしれない。そうすれば誰もこの事件に関わっていない。こんな東京の中で暗殺者が跋扈していたなんて信じない、しかも子供である程度訓練されているのも、さらには超人的な運動能力を持っていることも。ある超大国がバックについているのなら尚更だ。生き証人がいなくなれば/いたとしても、勝手に与太話にしてくれることだろう。

 すでにこの「ゲーム」に参加してしまった時点で終わりだ。遅かれ早かれ死ぬ、どんな策を講じても逃げ切れない。必要なのは納得できるかどうかだけ、命以上に大切な何かを得られると想えるかどうか。私にはあるが彼には……どうだろう。

 

『そいつはつまり……、俺たちに捨て駒になれ、てことか?』

「そこまでは要求しないけど……、やってくれるのならお願いしようかな?」

『丁重にお断りさせてもらいます。そんな気は毛頭ございません。まだまだ我が身が一番可愛いもんでね』

「残念……。まぁ、やって欲しいことは、ソレと似たようなものだけどね」

『言ってみな。場合によっちゃ、あんたを処刑台に送る』

「今から伝える場所に行ってもらいたいの。もし指令が来て私が撃ったのなら、そこから各自逃げて欲しい」

 

 そう言うとダインに座標データを送った。目星をつけておいたいくつかの狙撃ポイント/私が今いる場所以外の。

 見せられたソレらに呆然と首をかしげるも、理解した。

 

『コレはつまり……リスク分担、てことか? あとで調べられても誰が犯人かわからなくするために?』

「木を隠すなら森の中、人を隠すなら人ごみの中ってことよ。……まぁ逃げる時は、普通の人間のようにしたらアウトだけどね」

 

 欲を言えば、解体した狙撃銃が入っていそうなカバンかケースを用意してもらいたかったが、無理だろう。今現場を離れるのはまずい、足跡を残してくれるだけでも充分事足りる。

 

「今ならただの野次馬で終わるけど、コレをやれば殺人犯の一味てことになる。運が悪ければ一人だけそうなるかもしれない。……ロシアンルーレットみたいなものね」

 

 それでもやる? 煽るような仄めかしたが、上手く扇動できたかどうか。……この手のことは苦手だ。

 心配は杞憂だった。

 

『そのぐらいはしねぇとな。お前さんのヒモにはなりたかねぇし、ここまで来たかいもねぇ。―――ほかのメンバーも了承してくれたよ』

 

 中々に早い返答に笑みが浮かんだ。……ここまできて迷われても腹が立つだけだけど。

 作戦を承諾するとすぐさま、ダインがメンバーに号令をかけた。

 

「スタートだけあわせて。他は各自に任せる」

『元からそのつもりだよ』

 

 そう言い捨てると、通信を切ってきた。

 

 

 

 肩の荷を降ろすように、ふぅと息を吐いた。……独りで長くやってきたので、久しぶりの他人との会話に疲れた。

 落ち着くと再び、あの静寂が戻ってきた。狙撃銃との一体感が戻った。どこまでも広がり続ける鋼鉄の冷たさと圧縮され形を得た熱、全てを客観視する微睡み―――

 だけどピーピーと、心地よい時空を切り裂いてきた。耳元で電子音が鳴った。視界の端にも、小さな赤いランプが瞬いている。

 運営からのゴーサイン、―――時間だ。

 突然の指令に慌てそうになるも、冷静に微睡む。状況を再確認した。

 店内の標的に動きはない。今の場所からヘッドショットを決めることは、難しいことではなくなった。ただ先ほどから少しだけ、標的が動いていた。対面して座っている相手を掴み上げているような格好、だろうか。ココからは頭が半分ほど見えている状態、動かずに固定している。そのままならば、当てられないこともない状況。

 でも、銃口はこのままでも問題ない。人間一人分なら簡単に貫いてターゲットに当てられる、確実に撃ち抜ける心臓を狙ったほうが無難だ。それだけの威力がこの狙撃銃と弾丸にはある。その間にある遮光ガラスが徹甲弾でも止めるような防弾仕様だったのならば、2発目で決めるだけだ。

 だから、―――何の問題もない。

 

「……アナタには何の恨みもないけど、まぁ、運がなかったということで」

 

 視線の先、ターゲットである黒髪の少年に向かってボソリと呟いた。

 いつもならやらないこと。そうするだけの余裕があったのか。あるいは、この行為についての罪悪感からだろうか。私の天秤は、目の前の彼よりも仲間に傾いたはずなのに……。

 一体何故、どうして? 答えを胸の奥から探り出そうとすると同時に、指は引き金を引いていた。

 

 穏やかな微睡みの中、慈母のようなやらかな指使いで、死神の一撃が解き放たれた。

 

 

 

 

 

 ◆   ◆   ◆

 

 

 

 何が何だかわからない……。状況に取り残されて、受け入れるのに精一杯だった。

 

 こんな高級そうな店、どうして兄は菊岡とかいう人にそんなことをする? 何のためらいもなくナイフを突きつけるなんて……。

 そんな状況を見れば店員さんからお客までこちらに注目するのはわかる、けど銃を向けてくるのは何故? まるでそうなることに備えていたかのように。

 そんな中で、危険すぎる状況なのに二人は、憎まれ口を叩きながらも平静を保っている? そしていきなり来客が、見たこともない初老の男性が登場してきた!? 何なのこれは―――。

 

 現状は私の常識をふた回りほど上回っていた。ドラマか映画の中に迷い込んでしまったのような非現実感、突発過ぎるトラブル。わけがわからなすぎて、ただ事の成り行きを見守るだけしかできなかった。

 でも、最後の一言。菊岡さんが言った言葉は、混乱状態の頭でもわかった。それが何を意味するのか、すぐさま理解が降ってきた。

 バンッと、机を叩きながら立ち上がった。

 

「―――そんなの、絶対ダメッ!!」

 

 注目されるのも構わずに、叫んだ。

 何か、決定的な決断を口にしようとする兄に先んじて、叫んでいた。

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。

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