Re:SAO √R   作:ツルギ剣

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 互いに本気でぶつかり合えば、親友になれる……はず。


剣士vsスナイパー

 

 

 焼け付くような痛みに、叫びだしそうになった。事実叫んでいたのだろう。だけど、意識に登る間もない。

 

 ありえない、ありえない、ありえない。アリエナイ―――。

 

 ナイフが刺さった衝撃で体が傾く最中、パニック状態になっていた。

 ココでは、こんなことなどありえない。強すぎる痛覚などない。見た目と違って伝えられる痛みは、何分の一にも減らされるはず。こんなに、本物のような痛みなどありえないはずだった。いつもとは違う身体のあり方に、悲鳴が漏れそうになった。

 だけど、寸前でこらえた。喉元で噛み殺す。

 やらねばならないことがあった。行方不明になった戦友を見つけなければならない/全てを知っているであろう『運営』の下にたどり着かなければならない。そのために、やるべきことがある。今なお敵意を向けてくる相手/標的の少年を、コレをしでかした不届きものを退けなければならない。今を戦い抜かねばならない。泣き言をわめいている場合じゃない。

 改めてソレを思い起こした、その前に/既に、体は動いていた。果たすべき報いへ、沸騰させる―――

 空いた左手は、即座に/無意識に脇のホルスターに突っ込まれていた。そして黒星(ヘイシン)を/奴を殺す武器を、抜き放った。

 体重を支えきれず背中から倒れる間際、銃口を差し向け定めた。肩が床にぶつかるその寸前、引き金を引いた。

 

 パンッ、パンッ―――。

 

 衝撃と破裂音が、廊下中に響き渡った。

 不安定な体勢でもあったので、差し向けた腕も跳ね上げられた。その反動で、引き金は二度引かれてしまった。弾丸が二つ、銃口から飛び出していった。

 定めていたのは少年の眉間。だけど銃弾は、あらぬ方向に飛び去っていった。

 標的には当たらない/掠めもしない。一つは横の壁に小さな穴を開け、もう一つは天井の照明の一つを破壊した。パリィンと甲高い破砕音を鳴らすと、廊下は一気に薄暗くなった。細かな破片がキラキラと、舞い落ちては床に散乱する。

 当然の結果だ、狙いなど定めていなかったのだから。そんな余裕もなかった……。

 だけど、威嚇効果はあったのだろう。電灯を壊してのも幸いだった。すぐにでも飛びかかってきそうな敵は、何が起きたとその場で怯んでいた。

 刺さったナイフはそのまま、受身も取れずに倒れた衝撃で頭が揺すられ痺れている。追撃などできない、視線だけでも定めた。そして、全力で現状を把握する。

 

(距離はおよそ……、10から8歩―――)

 

 完全に拳銃で必中させられる間合いだ。そのことを知っている人間ならば、まず襲いかかってこない/これない。銃弾を避けるため物陰に隠れるか、両手を挙げて機を伺うかのどちらかだ。

 だけど今わたしは、銃口を向けていない。しっかりと両手で支えてもいない、致命的なポイントに定めてもいない。拳銃を使う上で必要な3アクション、そのうちの2つは、いつもの私ならまとめて行えるものだった。だけど今はその限りじゃない。攻撃予備動作を完了させる間、無防備を晒してしまうだろう。

 ただ、それでも距離は私の味方だ。それを含めても銃の優位は揺るがない。こちらが確実に先制を行えるだろう、強力無比/絶死の一撃とともに―――

 だからそうした。迷いなく、右肩の痛みを無視して銃口を敵に向けた。

 

 

 

 その瞬間、ゾクリと、震え上がった。

 

 

 

 自分の考えが甘かったことを悟らされた。目の前にいる獲物は生贄の子羊なんかではないと、痛感させられた。

 

(なんだこいつ? なんで……怯まない?)

 

 無謀な行動、保身を考えない前進、命知らずの突貫―――。鬼を殺す修羅のような形相で、まっすぐに飛び込んでくる。

 全身の皮膚が一気に、泡だった。体温が触覚ごとかき消された。弾丸よりも疾く恐ろしく圧倒的な、殺意の突風。

 ソレを浴びせられると、直感した。

 

(撃ったら私……。いえ、撃っても―――殺される)

 

 強敵との戦いの際、不意の襲って来る予兆。綿密に立てた計画が一気に瓦解してしまう、寸前の警告。私を何度も危地から救い出してくれた感覚。それが告げてきた。あの敵は私を滅ぼすつもりだ/滅ぼせる一撃を放ってくる/そうしない限り止まらない、と。撃たれることなど恐れていない、ソレで死ぬかも知れないなど省みていない。ただ、わたしを殺す。そのために/それだけのために突撃している、まるで人型大の銃弾のように。……そう、直感させられた。

 体が一気に冷えた。首筋がビリビリと泡だった。腹の奥底から震えが、広がってきた。それが手のひらにまで伝染し、痺れさせてくる。指先が凍りついていた。全身が攻撃の停止を、命令していた。だけど、

 

 ―――もう、間に合わない……

 

 ここから人ごみの中へ逃げ込んだとしても、追撃は止まないだろう。目の前の敵から逃げ切れるとは思えない。

 自爆テロと同じだ。スイッチを押される前に、その額か心臓へ確実に弾丸をぶち込むしかない。話し合っている場合じゃない、取引の段階は遠の昔に過ぎていた。相手だけを速やかに殺す以外では勝ち目がない、そもそもそんな結末は負けたも同然、どちらにも得がない最悪の戦術だ。防御も逃げも許さない特攻。かつて自分たちの曽祖父たちがやってのけたその戦術の恐ろしさを、身を持って体感させられた。

 逃げるしかない。この戦いは何にもならないのだから、迷惑なだけなのだから。ここは身を引く、次の機会を待てばいいだけだ。怒りは胸に秘めろ、チャンスは必ず巡ってくる……。狙撃手としての冷静さは、そう囁いてきた。

 だけど、腹の底から沸き上がってくるものは違った。

 だからこそ背中を見せるな、と叫んでいる。ここで逃げることは許さない、この肩の落とし前をつけずには終われない。何より、この敵に背中を向けるなど、あってはならないことだ。

 

 

 

 ―――負け犬になることを許すな。塗られたドロは、倍の怒りで塗り返せ!

 

 

 

 私の誇り、私たちの絆。決して失われてはならないモノ―――。仲間の/リーダーの言葉が、谺した。

 吹き荒れた熱が、冷静を吹き飛ばしていた。だから/そして/既に、決まっていた。コレは決して、逃げてはいけない対決だった。

 

(そうだ、コイツこそ。私の―――敵だ!)

 

 痺れを無理矢理噛み殺すと、銃口を向けた。

 撃鉄が雷管を叩き炸裂、その衝撃に備えて手首・腕・肩をしっかりと固定した。そして砲台を安定させると、指先に力を込めた。グッと、祈りを込めるように。目の前の敵を止められる力があると信じて、撃ち放つ。

 その寸前、私の前に影がよぎった。―――隣にいたヴァサゴが前に、飛び出してきた。

 邪魔するように/守るように、間に割って入ってきたヴァサゴ。視界の大半が彼の背中で隠された―――

 突然の横槍に驚愕/舌打ち。奴ごと撃ち抜こうかとの考えが一瞬、脳裏をかすめた。だけど、体はいつものように/反射的に必要行動を取る。曲げかけた人差し指から、力を抜いた。

 敵はすぐさま私からヴァサゴへ、目の間の障害物に目標を切り替えると、血に濡れた空手を拳にして突き出した。

 鋭くかつ全身の体重を込めたかのような拳。対象を殴り飛ばすというよりも、貫き穿つ槍の突き、中国拳法の『崩拳』によく似ている。だけど、近接戦闘術/格闘術に疎い私では判断つかない。

 分かることは、害意以上の殺意が込められている一撃、であること。私と同年代の少年が放てる拳ではない、そもそも誰であっても他人に向けられるものではない。全身全霊、一切のプレーキを排した容赦ない拳打―――

 ヴァサゴは、それに応戦しようと構えた。脇を締めながら両手を顎の前で揃える、ボクシングスタイル。こなれた動作で構えると―――消えた。膝から力を抜きいきなり体を沈ませると、敵の意識と打点からズラした。

 その最中、背後から見えた横顔は、口元を釣り上げての笑顔。勝利を確信した笑み―――。

 敵の拳は、ヴァサゴの頭を掠めるも、空を貫いた。

 そして、ガラ空きになった胴体。そこに滑り込んだヴァサゴは、腰のひねりを込めたフックを叩き込んだ。ブンッと唸りを上げて、無防備の脇腹を撃ち抉つ―――

 ゴキリッと嫌な音が響き渡ると、敵は無理やりくの字に曲げられた。

 

「―――ガハァッ!!」

 

 痛みが口から漏れた。叩き出された、と言ったほうがいいのかもしれない。呻き声とともに飛び散ったのは鮮血だった。

 それだけに収まらずヴァサゴの拳は、メリメリと食い込み続けた。脇腹を肋骨ごと/内蔵ごと抉り取るかのような拳の大鎌。たまらず足が浮くと、真横の壁まで吹き飛ばされた。

 まるでゴムボールのように、硬い壁へ叩きつけられバウンドした。ベタンッと叩きつけられ、呻き声すら黙らされる。

 反射的に足を前に出して立ち止まろうとするも、同時に頭を強打したのだろう、視線を定められずクラクラと彷徨わせていた。口と鼻から鮮血が目は白目を剥いている気絶一歩手前。それでもこちらの探そうとするが、打ち据えられ体内で反響し続ける衝撃がそれを許さない。

 そんな混乱状態故に、前に出した足はまったくもって役に立たなかった。体の支え棒にはなれずほんの少しだけ落下を食い止めるだけ。その場でくるくるクラクラと、泥酔したかのようによろめきながら……、崩れ落ちた。

 力尽き床に、倒れた。

 

「……シット! 脅かしやがって」

 

 出した悪態とは裏腹に、その顔には凶悪な肉食獣の笑みを浮かべていた。敵の殺気と血と暴力に当てられた一時的な高揚だけではない、場慣れてしている。ソレを手懐け我がものにしている余裕があった。

 再び舌打ちを零した。先とは違う、嫉妬が込められた。……私ができなかったことを彼はしてのけてみせた。

 降りかかった不運と不甲斐なさで、心と呼吸が荒ぶってきた。築き上げたプライドが傷つけられた。ソレを鎮めんと目を瞑る。数呼吸……、無理やり押さえつけるとようやく、銃口を下ろした。

 

(結果的に、こいつに助けられた、か……)

 

 不愉快な事実に、鎮めたモノが暴れだしそうになった。その前に、倒れた敵を見下ろした。

 その姿に、緩みかけていた臨戦態勢を戻された。

 ピクピクと痛みに悶えながら痙攣している、ゲホゲホと喘鳴と血に吐き出し続けている、指先一つまともに動かせず毛虫のように蹲ったまま。肋骨が砕けたのかもしれない、呼吸もまともにできず顔は土気色になっていた。いつ気絶してもおかしくない、痛みのあまり気絶できないのかもしれない、瀕死の状態だ。それでも、まともに見えていないであろう視線には、先にも劣らない/それ以上の幽鬼じみた瞋恚の炎が迸っていた。私に向けていた。

 ゴクリと、息をのまされた。目が離せない。……これほどの敵だったとは、予想だにしていなかった。

 慄然と立ちつくしていた私をよそに/引き剥がすように、ヴァサゴが、彼の頭をガンッと踏みつけた。

 

「おいガキ、どうやって俺たちを見つけ出した?」

「……お前も、そいつの仲間……、なんだな?」

 

 冷酷に機械的に、本性であろうヤクザを顕にしながら情報源を聞き出そうとするヴァサゴ。そんな彼を無視して少年も、切れ切れに激痛をこらえながら問いかけてきた。

 答える代わりに、鳩尾を蹴り上げた。ヴァサゴの革靴の先が、めり込んでいく。

 

「―――ガぶァッ!」

 

 肺から空気が押し出されると同時に、喀血した。ピチャリと、鮮やかな赤の雫が、床とヴァサゴのズボンの裾に飛散した。

 蹴られた痛みで、ゴホッゴホッと咳き込んだ。ソレで横隔膜が激しく動かされたからだろう、悶えた。中性的な整った顔を苦痛で歪め、蠕動するかのよう身震いする。

 

「もう一回だけ聞くぞ、よぉく考えてから答えるんだ。アンダスタンダ?

 どうやって、俺たちの居場所を、見つけだしたんだ?」

「…………なんで、スグを……、あんな……目に?」

 

 懇願するように/糾弾するように/断罪するように。激痛に顔を歪めながらも、その眼差しだけは強く射抜くような少年。

 それを間近で見たヴァサゴは大きく、ため息をついた。そして肩をすくめると―――、嗤った。まるで友人から面白いジョークを言われたかのように、ゾッとするほど穏やかな笑顔、色男の顔立ちも相まって凄残なほど。

 その表情には見覚えがあった。

 迫られた二者択一を決めた時/どちらか片方を捨てた時、切り捨てた可能性とともに心も闇の中に沈ませて体を命じた通りに動かすための初動。どんな卑劣漢でも人間であるのなら生じてしまう同族殺しの忌避感、遺伝子に刻まれたその本能を抑圧し引き金を引くための心の防御。回数を重ねたとしても、その反射行動の反射を綺麗にぬぐい取ることはできない。……つまりヴァサゴは、目の前の少年を殺すことに決めたらしい。

 ソレを実行するため、着ているスーツの内の脇に吊ってあるものに手を伸ばした。L字型の金属の塊/拳銃―――

 

 ―――ソレは、私がやるべきこと。誰にも踏み荒らされてはならないミッションだ。

 

 自分の手でやり遂げる必要は、必ずしもない。楽をするに越したことはない。求められているのは、言われた通り確実に達成することだ。だから、ヴァサゴがそれを遂行したところで変わらない。そのはずだ/ソレが正しい―――。

 それなのに私は、すぐさま立ち上がると探した。考えるより先に体が動いていた。今いるような建物の中なら、通路の壁のどこかに備え付けられているであろう透明なカバーに覆われた赤いボタン=火災報知機。

 それを見つけると迷わず、殴り押した。

 瞬間、けたたましいサイレンが、建物内に鳴り響いた。

 

「そいつは私の獲物よ。勝手に手をくださないで」

 

 ヴァサゴの背中に言い放つと同時に、握っていた【黒星】も向けた。

 それを横目でチラリと確認したヴァサゴは一瞬、鋭く冷たい視線を向けてきた。敵を見るような真っ黒な瞳。だけどすぐに、偽りの笑顔の仮面を被り直すと言った。

 

「……ワオ、こりゃ驚いた! 肩からそんなもの生やしながら、まだ正気を保ってられるなんてなぁ」

「私はアナタの正気を疑ってるけど? ついさっき教えてあげたことも忘れる、なんて―――」

 

 言いながら、指摘されたナイフを握った。

 救急医療の面から考えて、すぐに出血を止められる手立てと環境がない今、抜かずにそのままにした方が良かったのかもしれない。重要な血管が傷つけられていたら、抜いて数分で出血多量になるかもしれない。でも今、そんなことを/我が身を省みるわけにはいかない。

 ほんの一瞬躊躇うも、すぐに気合を込め直すと―――、一気に抜いた。

 

「―――ねッ!」

 

 刃を抜き取ると、ブシュリと真っ赤な血が噴き出した。服にもジンワリと赤が広がっていく。止まらず溢れ続ける生暖かい液体は脇を通り、下着も濡らしていった。

 呻き声を噛み殺していると、血の流れは緩やかなものになっていった。……幸いなことに、動脈が傷ついたわけではなかった。

 傷口を塞いで包帯でも巻けば、いずれ止まるだろう。救急キットは用意している。……もしもの時にと用意したが、まさか役に立つとは思わなかった。

 それをもたらしたナイフを見た。

 包丁や文房具やサバイバル用の万能ナイフでもない、人を斬るためのナイフ=コンバットナイフ。一般人であるはずの彼が持てるはずのないものだ。警察や軍隊でも簡単には持てないだろう、特にこんな大都会の真っ只中ならば。

 

(一体どこでこんなモノ、手に入れたのよ……?)

 

 前情報にない武器、少年の追跡力/戦闘力。その出処に考えを巡らそうとすると、ヴァサゴが肩をすくめながら言った。

 

「今、俺のケツの穴は二つになっていない。てことは、許してあげるてことだろう?」

「都合のいい解釈ね。でも―――」

 

 やる気はなかったけど、そうしてみるのも悪くないかも……。ソレを実行したときのことについて考え顔を下ろすと、チラリと、組み伏せられていた獲物が動いたのが見えた。無力化したはずの少年が、その手をヴァサゴの足に叩きつけようとするところを。緊張が解けてしまった隙を突いての反撃/噛み付き。

 突然の出来事に警告が間に合わず、ヴァサゴは足首を―――、喰われた。

 

 急襲、驚愕、激痛そして―――、出血。

 噛まれた足首からプシュリと、鮮血が吹き出した。

 

「がァァァっ!?」

 

 深々と噛まれたヴァサゴは悲鳴を漏らすと、その形の良い顔を苦悶に歪めた。そして少年を睨みつけると、無事な足で踏み潰そうとした。

 

「この、くそジャップがァぁ―――ッ!!」

 

 まるでゴキブリでも見つけたかのように、険悪感を露わにして。頭蓋まで踏み砕くような、一切容赦のない体重と勢いを込めた踏み潰し。

 しかし少年は、ソレを見越していたのだろう。叩き込まれる足を直前で掴むとそのまま、ベクトルをずらした。ヴァサゴの足は滑る。

 

「ホワッ―――!?」

 

 踏み込んだはずの感触と反発がなく、ズルリと滑り体勢が崩れた。ヴァサゴの顔が驚愕に染まった。何が起きたかと確かめようとする間もなくそのまま、頭から倒れた/倒された。ガツンと思い切り、後頭部が床にぶつかった。

 

 倒れたその場でのびたヴァサゴ。ソレと入れ替わるように少年が、立ち上がっていく。私を見据えながら、傷や吐瀉物や血で汚れているのも構わずに―――。一連の活劇を唖然と、見送ってしまった。

 気づいたときにはもう、一手遅れていた。

 

 少年は、立ち上がると同時に追撃してきた。まるでターミネーターのように、先と同じように迷わず一直線で、こちらに肉薄してきた。……今度は、銃では近すぎる距離。

 慌てて対応するも、慣れというものはこういった時に恐ろしい。狙撃手として日々を過ごしてきた/勝利を重ねてきたことで、近接格闘を疎かにしてしまった。そのツケだったのかもしれない。反射的に再び、握っていた銃を差し向け/構えてしまった。

 だから当然、その銃は弾かれた。

 振り上げ構え直そうする不安定な瞬間を狙われた。少年が下から突き出してきた掌底をぶつけられると、手から銃がこぼれた。【黒星】が宙を舞う―――。

 

(やば!? なんてドジを―――)

 

 混乱、動転、恐慌一歩手前―――。真っ白になってしまった。

 何も考えられない。ただ、宙を舞う黒い金属の塊を見送るだけ。

 その間にも少年は、一歩踏み出してきた。互いに手が届く至近距離、血に濡れたその顔が間近に見える。……ついに懐にまで迫っていた。

 もう避けられない。距離など取らせてくれない。生存本能が危険に反応して、急速に防御を固めようとした。少年と自分との間に空いていた片手を滑り込ませる、少年の攻撃に備える。

 そしてピタリと、人肌の触感と重圧をその腕に感じたその時―――、衝撃がきた。

 

 瞬間、意識と体がブレた。ガクンと体が押し出され、意識が置き去りにされた。

 体当たり―――。飛び込んだ勢いと少年の全体重が一度に/一箇所に、襲いかかった。

 足が床を滑る、重力が縦ではなく横にかかっているかのように落下する。突進の勢いを自重とともにそのままぶつけられて、たまらずその場から吹き飛ばされた。

 そして流され墜落した先には……、硬く冷たい感触、壁に叩きつけられた。

 

「―――ガパァッ!!」

 

 肺から空気が押し出された。受身も取れず、背中と頭をモロにぶつけた。

 衝突で再び、心身の一体感が壊された……。

 

 グラグラと揺れ動く白濁した視界、その中でパチパチと小さな星々が瞬きもしている。上下左右が定まらず、どこに立っているのかすらわからない状況に陥っていた。

 ただその人事不肖は、ほんのひと時の間だけ。再びの衝突で、一気に目覚めさせられた。

 初めにそれを感じたのは頬と耳。硬く短い毛糸の感触、シックな色合いの幾何学模様、床に引き詰められたカーペットの感触だ。壁に叩きつけられたあと、バウンドしてそのまま床に倒れたのだろう。触れている部位からジンジンと鈍痛が染み広がっていく。

 不快な感覚……。まだ体は痺れて動かない。だけど、意識は起こされた。無理やり引き起こされた。目の前にまた、血塗れた少年の姿が見えるほどには。その少年が、倒れた私を押さえつけるようにマウントポジションをとって、その両手で私の首を力の限り握り窒息させようとしている光景が見えてしまうほどには―――

 頭が沸騰しているかのように熱く膨張してくる。硬く鋭い爪の先が、薄い首の皮に食い込んでくる。その奥の骨まで握りつぶさんと、漆黒の眼光が降り注がれている。

 

 詰みだった。もはや避けられない、防ぐこともできない……。

 手を伸ばし掻きむしり首を絞めるその手を剥がそうとしても、ビクともしない。体を揺すりこの場から逃れようにも、身動きひとつできない。声をだそうにも空気すら出せない。そうやってもがき続けるたびに、意識が混濁し朦朧としていく。抵抗する力が徐々にだけど確実に消えていく。少年はその手を緩めることはない。絶対の殺意が、見下ろすその瞳にはあった。

 

 ―――殺すはずだった獲物に、殺される。あの時と同じように……。

 

 でも今は、【黒星】もナイフも持っていない。殺す側に立ってはいない。私は私が生きることを決められない。ただ無抵抗で無防備で、絞め殺されるのを待つだけ。……あの強盗犯が私に、そうしたように。

 酸素がなくなりだんだんと意識が遠のいていく、そのまま二度と目覚めない……。そして、私が終わる/終わってしまう。コンティニューはありえない、やり直しなんてきかない、ここはゲームの中なんかじゃないから。現実だから。

 こんな場所で私が、私は、私を、私―――

 

(…………ここが、私の終焉なの?)

 

 ―――……

 ――……

 ……

 …

 。

 

 

 

 

 

 ―――こんな終わり、冗談じゃないッ!

 

 

 

「ガ……、ガハァッ、ガアアアァァァァーーーーっ!!」

 

 全身を振り絞って出して雄叫びを放つと、残った力を全て拳に込めた。絞める手を振りほどくのをやめて、攻勢に転じた。

 ヴァサゴがつけた傷、骨折しているであろう脇腹を思い切り叩いた。

 

「―――ぐぶぅァッ!?」

 

 ぐにゃりとした肉の感触が拳に伝わると、少年は嘔吐いた。たまらず体をくの字に曲げて、締め付けていた両手もはんばほどけた。

 止められていた血流と空気が、一気に流れ込んできた。

 その隙、起死回生のチャンス。よろけて脂汗を額ににじませた少年を脇に押しのけると、そこから逃れた。そして、ゴロゴロと床を転がっていき離れていくと、目的のモノを探した。

 

(ここに、どこかに……あるはずなんだ!)

 

 肺はまだまだ空気を欲して咳き込ませようとするが、耐えてさがす。這いずり回りながらも探す。ここで諦めたらやられるだけだ、今度は逃げられない。それに、まだ視界ははっきりとしていないが近くに落ちているはずだった、【黒星】が―――。

 脇目も振らずに周囲を探りつづけると、見つけた。黒い金属の塊。

 それにすがるように鷲掴むと、間髪入れずに振り返った。膝立ちの姿勢で、銃口を後ろの少年に向けた。

 再び相対した少年の手にも武器が、私の肩を刺したナイフが握られていた。それを今一度突き刺さんと、突撃している。

 

 

 

 銃とナイフ/差し向けた銃口と鋒―――、殺し合う私と敵。

 

 

 

 どちらが片方の命に達するかわからない。どちらも奪いあえてしまう絶妙な間合い。危険極まりない崖っぷち。

 それなのに私は、ひどく冷静だった。命を奪われる恐怖や奪う罪悪感・肩を刺され首を絞められた痛みにさらなる苦痛がもたらされるかもしれない不安も遠くどこかに消えて、澄み切っていた。引き金にかかっている人差し指が、いつも以上に軽い。

 既にわかっていたからだろう、この先の結末が。私の勝利が。それは、迫り来る少年の顔にも見えたものだ。数秒先に起こる絶望の未来を、同じく垣間見てしまっていた。それなのに引き返せず突っ走らなければならない、敗北必至の無益な突貫。

 

(これでやっと―――、仕留めた)

 

 長い、あまりにも長い狩りだった……。

 その未来を起こすべく私は、引き金を引いた。

 

 

 




 長々とご視聴、ありがとうございました。

 感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。

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